パイレーツ・ティアーズ
前回の街道沿いの町から離れ、多くの船が行き来する親魔物領の港町に取材に来ていたリックとノエル。二人は桟橋から繋がっている巨大な船の扉の前で佇み、興奮で鼻息を荒くしながらも真剣な眼差しで扉の上にある看板を見ていた。その後ろ姿はまるで戦場に行く前の戦士の姿でもある。
「リック……」
「なんだノエル……」
「言っておくが、これは取材だからな……」
ノエルは取材という言葉を強調し、それを聞いたリックはつばを飲み込み、死地に向かうかのような顔で返事をする。
「ああ……分かってるよ……これは取材なんだな……」
二人は顔を見合わせ、無言で互いに頷き合い、ゆっくりと扉を開け、前へと進んでいった。扉の向こうは薄暗く、すぐ階段になっていたが二人は無言で降りていく。その階段を降りる途中から海水が足に浸かり始め、階段を降りる頃には腰まで海水に浸かっていたが、それでも二人は歩くのをやめず進んでいく。薄暗い通路を歩いていくと、タキシードを着た柄の悪そうな男がカウンターに座っており、ジロリとリックとノエルを見て、口を開く。
「お客様。こちらは初めてでしょうか?」
低い声と柄の悪そうな顔とは裏腹に実に丁寧な言葉使いとしっかりとしたタキシードを着ていることが逆にこちらの恐怖を煽っており、気の弱いものなら、すぐにでも泣いて帰ってしまいたくなるほどであったが、二人は怯まずに「そうだ」と答えると、男は二人分の浮き輪を取り出し、再び口を開く。
「当店では魔物娘の了承無しのお触り、及び乱暴やお持ち帰り等は禁止しております。もしこれを破るようでしたら、以後この店を出入り禁止にさせていただきますが宜しいですね?」
「ああ……」
二人は緊張しながらも静かに男の問いかけに答え、浮き輪を受け取る。その答えに満足いったのか男は黙って頷く。
「それでは奥でごゆっくりとお寛ぎ下さい。」
リックとノエルは浮き輪を身に付け、男が指し示す方へと歩くにつれ通路は徐々に深さを増していき、足が届かなくなっても浮き輪と足で泳ぎ続け、通路の先に見える光へと向かう。
そして―――――――
「「「お帰りなさいませ! ご主人様!」」」
「「うむ。」」
彼らを笑顔で出迎えるのは三人のメイド服を着たマーメイド。かわいらしいフリルをつける者、無駄な装飾を省き落ち着いた感じにする者、ハートを刺繍されたエプロンを身に付ける者。その三人ともがそれぞれの体系に合うメイド服を身に付けており、彼女たちの魅力を十二分に引き出している。リックとノエルは三人のマーメイド達によって奥の海水に浮かぶテーブルへと案内されていく。
―メイド喫茶 パイレーツ・ティアーズ―
それが先ほど二人が穴が開くほど見ていた看板の内容。案内している彼女たちが働いているこの近海に幾つかある店の名前。陸に生きるものにとって珍しい海の魔物たちのウェイターがメイド服を着て、足が届かないぐらい海水で沈んだ店内を優雅に泳ぐ。海の男やメイド服大好きな者、また魔物娘好きから高い支持を受けている店であるが、二人が取材するのはメイド服で働く彼女たちではなく店そのものに対してのことだ。リックは前々からこの店を舞台とする話が書きたかったのだ。そこで実際に現場に行き、話しを聞くことにしたが、既にこの二人メイドに魅了されて我を忘れている。ぼーっとしている二人が案内されたそのテーブルは浮き輪をつけている二人にとってちょうどいい高さで浮いており、使いやすい気遣いがされている。
「ご主人様。何なりとお申し付けください。」
案内したメイドのうち一人がその場に残り、二人は海水の中に潜っていく。残ったメイドが笑顔でメニューを聞いたので、リックはここのお勧めを、といった。リックとノエルはメニューなどはじめから無かったかのようにただ、メイド姿のマーメイドたちに見惚れていた。
「……ここは天国か?ノエル?」
「いいえ、メイド喫茶です。」
エロイ魔物娘に変わった衣装を着させることでかえってその魅力を引き立てる。白と黒で彩られたメイド服を着た姿をまず見ない海の魔物ならなおさらの事だ。男の夢のコラボレーションが目の前にし、だらしなく鼻の舌を伸ばすのも無理は無く、念入りに言っていた取材のことを失念しても誰一人とて責められるはずも無い。リックとノエルは注文の品が来るまでの間、華麗なる海のメイドたちを観察し始める。基本的にウェイターは海水の中で待機しているが、呼び鈴を鳴らすとすぐにそのテーブルへ行き、まぶしいほどの笑顔と魔物娘特有の魅力的な体と海水で濡れたメイド服を魅せる。どうやら彼女たちが着ているメイド服は防水加工は余りされておらず、濡れた服がはっきりとメイドたちのボディラインを写す。
「わざとだよな、あれ。」
「どー考えてもわざとです。ありがとうございます。」
「まじでありがたい……」
お互いが互いに同意し合い、どちらが何を言ったかもどうでも良くなってきたところに、先ほど注文を頼んだメイドが料理を持って戻ってくる。さすがに料理を運んでいる時は海水から顔を出しているようだ。
「ご主人様! 本日のお勧め、いちゃラブ定職です!」
その言葉に二人が現実へと引き戻されていく。目の前にあるのは、ハート形のオムライスに、ストローが二つに分かれているコップ、さらにはなにやらプルプルとした果肉を持つフルーツ。明らかに野郎が一人食べるためのものではない。
「それではごゆっくり〜❤」
料理を運んできたメイドは少し派手な水しぶきを上げて海水の中へと潜り、少し離れた所では、何にかのメイドたちがリックとノエルを見て何か顔を赤くして見守っている。二人は潜った地点にできる波紋と運ばれてきた料理を交互に見て何ともいえぬ疲労感に見舞われた。
「あーノエル君? これはどうゆうことだと思う?」
「はぁ、俺はノーマルなんだけどなぁ。」
「俺だって野郎に手を出す趣味はねぇよ……」
実際のところ、ノエルの顔はそれほど女っぽいというわけではない。しかし、整った顔立ちといつ魔物娘に好かれてもいいように肌の手入れと髭剃りを完璧に行っているためか、顔だけ見た人たちから男っぽい女と勘違いされることも極稀にあった。しかしなんで今このタイミングでなのか。
「取材を忘れてたリックのせいだな。」
「いや、メイド服に現を抜かしたノエルのせいだな。」
至福の時を壊された二人は互いに深い溜め息をつき、仕方なしとオムライスに手を出す。口に含んだそれは今まで食べたことがあるどのオムライスよりもおいしかったのが、より二人を悲しみに陥れる。
「……取材……するか……」
リックは既に死んだ魚のような目でつぶやき、ノエルもまた同じ目でそれに同意する。もともとそれが目的だったのだが。呼び鈴を鳴らし、その音を聞き海水の中から現れた人魚のメイドに対して、取材のことを話す。
「取材ですか? 畏まりました。すぐにメイド長を呼びますね。」
彼女はそう言うと、再び海水の中に潜っていく。しばらくすると、他のとは少し違うメイド服を着たマーメイドが現れ、自らこの店、パイレーツ・ティアーズのメイド長と名乗り、二人を奥の部屋へと案内する。その部屋は店内同様、海水が張っておりその中央で一人の顔に傷がある大男が石像の様にずっしりとした態度で、ただならぬ雰囲気を出している。浮き輪をつけながら。受付にいた柄の悪そうな男と同じ様にタキシードを身に付けているが、この男には少し窮屈そうに見える。大男は二人をじっと睨んだと思えば、いきなり大声を上げて笑い出した。その声は豪快で、どこか憎めないまさしく海の男のような声であり、そんな男がタキシードを着て、口を大きく上げて笑う姿は違和感を感じられずにはいられなかった。
「ハッハッハッ! 俺がこの全パイレーツ・ティアーズの元締め、モーガンだ! よろしくな!」
「作家のリックです……」
「その担当ノエルです……」
見た目も笑い声も豪快な男が名乗り、たじたじになりながらも二人も名乗る。正直言って、元締めというより海賊の頭領といったほうがしっくり来る。こんな大男の前で堂々と取材できるのか不安になってくる。
「で、聞きたいこととは何だ?」
浮き輪に揺らされながらも大男は愉快そうに笑みをこぼし、二人の言葉を待っている。リックはなけなしの勇気を振り絞り、質問を口に出す。
「この店はなんでメイド服にで接客しているのですか? 普通に海の魔物たちがウェイトレスをするだけでも十二分に客寄せはできると思いますが……」
「あー、それはだな、見知ったヤツでも普段とは違う格好していると、なんかこう、ドキマギするっつーか……」
先ほどの豪快さとは打って変わってなにやら口ごもるモーガン。だがその言おうとしていることは良く分かる。つまり彼女たちが普段とは違う格好をするだけでまた違った魅力と新鮮さを引き出す。先ほどリックとノエルが抱いた感想であり、それだけのことがメイド服に秘められている。
「そういえば、あのメイド服は水をはじく素材で出来てませんよね?」
「おお! そうだとも! 何せ水に濡れて見えるそそられるボディラインいつものヤツだとまずみえねぇからなぁ……」
腕を組みうんうんと頷く大男にリックとノエルも賛同する。すなわち、この店は男のロマンを形にし、実現する店なのだ。モーガンに対して急に親近感を持ったリックは続けざまに質問を繰り出す。
「では、男性店員がタキシードなのは?」
「そりゃ、メイドときたら執事だろ?」
ドヤ顔を決めるパイレーツ・ティアーズの元締め。こんなヤツが元締めで本当に大丈夫なのか不安になるが、彼が醸し出す雰囲気はあんなに緊張でガチガチだったリック達の緊張をほぐし、口を回らせる。
だからこそ、
「では、この店、パイレーツ・ティアーズの由来は?」
そう聞いた時、急にモーガンの顔が歪んでいき、なにやら言いにくそうに口ごもり始める。この男なら何を質問しても豪快な笑い声と共に答えてくれるだろう、そう考えていた二人にとってこのことは意外だった。さっきまであった愉快な空気が薄れ、重い空気に変わっていく。すると不意に彼の隣にいたメイド長が口を開く。
「パイレーツ・ティアーズの男性店員はみんな海賊だったの。モーガンはその頭領。」
すっかり意気消沈してしまったモーガンの代わりにメイド長が淡々と過去の話を口にする。
かつて近海を荒らしまわる大海賊団がいた。並み大抵の国では太刀打ちができない艦隊を持ち、海賊団の頂点に君臨する頭領たった一人でその全てを意のままに動かす。当時の彼らを止めることができるのは神か悪魔かと謂われていた。だが、彼らの栄光もそう長くは続かなかった。嵐により彼らの頭領を乗せる船が難破し、海に投げ出されてしまう。海の上では無敵とも思えた彼らも、海の中では赤子とはそう変わらない。沈んだもの全てが死を覚悟した時、海の魔物たちがその場に駆けつけ、乗員全員が一命を取り留めることができた。
“何故俺たちを助けた?”
海賊の頭領であるモーガンが助けた海の魔物たちに最初に言った言葉。彼らはこの海で余りに多くの罪を犯してきた。略奪、強姦、虐殺。その犠牲者の中には魔物娘もおり、周りから怨まれることはあれど、助けてもらう理由はない。何故、こんなロクデナシどもの命を助けたのか頭領を含む船員には全く分からなかった。その問いに一人のマーメイドが答える。
“私たちが助けたわけじゃない。ポセイドン様が助けただけ。”
神々の中でも慈愛に富む海神ポセイドン。その心はいかなる海よりも深く、海に生きる全ての命を愛する。そんな彼女だからこそ、彼らを見捨てることができなかったのだろう。気がつけばあちこちで海賊の子分たちが泣き始め、頭領の目からも涙が零れていた。
かつての海賊たちが住んでいた町はまさしくこの世の地獄という呼び名が似合う場所であった。教会から見捨てられ、当たり前のように犯罪が横行し、誰も彼もが悪として生きることを余儀なくされる町。自分たちは誰かを愛することも誰からも愛されることは無く、空っぽの心で死人同然の生活を営んでいた。だからこそ、その空いた穴を埋めるかの様にして徒党を組み、近海を恐怖のどん底へ突き落とす大海賊団の道を歩ませた。だが、彼らの荒んだ心は満たされないまま、本当は何がほしいかも分からないままに子供が駄々こねるように暴れまくった。しかし今、海神は、海は彼らを受け入れた。無知で愚かで救いようが無い自分たちに愛を与えてくれた。だからこそ、
“何か、礼をさせてくれ。”
神をも恐れぬ海賊達が海神の愛を知り、その愛に報いるために生き方を変える事を誓った涙。その涙がこの店の由来となった。
「私たち魔物娘が望んだのは夫、もしくは人間の男性と出会える場所だった。だからモーガンたちは自分たちの船をそのまま店に改造したのよ。」
海の魔物たちにとって夫を得ることは陸に住む魔物たちよりも難しい。生活圏が違うため、浜辺か、船の上でしか出会うことが出来ない。船を難破させてそこからおぼれた男性と結ばれる方法もあるが、近年、安全な海の旅を確保するために魔物娘の夫婦が乗船している。これにより、今までカモだった教会所属の船でさえ手が出せない状況に陥り、男性と出会える可能性は低くなってしまった。
「なるほど、だから海の魔物娘の喫茶店を作ったんですね。」
ノエルはようやくこの店の全ての謎が解けてすっきりしたような顔で答えた。ちなみにモーガンは自分の過去の話を余り聞きたくなかったのか、メイド長が話し始めてすぐに店のほうとは違う奥の部屋に引きこもっている。
「ついでに言うと、出会いの場所だから現場を指揮するメイド長を除いてほぼ全員独身よ。誰かもらってくれればいいのだけれども。」
メイド長が冗談か本気なのか分かりにくいようなトーンで語りかける。
「いえ、俺の嫁はリャナンシーちゃんと決めているので。」
「このバカを見張ってなきゃいけないので。」
「あら、残念。かわいいお嫁さんに会いたくなったらいつでも来て頂戴ね。」
彼女は言葉とは裏腹にそれほど残念そうでは無いようにくすくす笑う。それにつられてリックとノエルも笑みをこぼしす。
「大丈夫よ。うちは来るものは拒まず、去るものは追わず、ご主人様を押し倒すのはメイドにあらず、がモットーよ。」
メイド喫茶パイレーツ・ティアーズ。男のロマンを作り上げた店は今日も今日とて世界各地からやってくるご主人様達と可憐なるメイドたちに出会いの場所を提供する。それが愛を知らなかった海賊達から愛を教えてくれた海への恩返しなのだから。
パイレーツ・ティアーズを後にしたリックとノエル。港町の少し寂れたホテルの個室にあるテーブルで執筆しながらリックは今日のことを振り返る。
「さすがにモーガンさん達の過去のことは書けねぇよなぁ。」
「当たり前だろ。フツーにメイド喫茶のイチャイチャ話でも書いてろよ。」
「……そうするか。」
隣で眼鏡をかけながら魔物図鑑を読むノエルは自分の故郷を思い出す。もしも、あの国の全員が真実の愛を知っていればもう少しマシだったかもしれない。
「考えてもしょうがないか……」
ノエルは考えるのをやめ、隣でうなり声を上げるリックが次にどんな作品を書くのか、それだけのことを考えていた。
彼らの取材旅行はまだ続くかもしれない。
「リック……」
「なんだノエル……」
「言っておくが、これは取材だからな……」
ノエルは取材という言葉を強調し、それを聞いたリックはつばを飲み込み、死地に向かうかのような顔で返事をする。
「ああ……分かってるよ……これは取材なんだな……」
二人は顔を見合わせ、無言で互いに頷き合い、ゆっくりと扉を開け、前へと進んでいった。扉の向こうは薄暗く、すぐ階段になっていたが二人は無言で降りていく。その階段を降りる途中から海水が足に浸かり始め、階段を降りる頃には腰まで海水に浸かっていたが、それでも二人は歩くのをやめず進んでいく。薄暗い通路を歩いていくと、タキシードを着た柄の悪そうな男がカウンターに座っており、ジロリとリックとノエルを見て、口を開く。
「お客様。こちらは初めてでしょうか?」
低い声と柄の悪そうな顔とは裏腹に実に丁寧な言葉使いとしっかりとしたタキシードを着ていることが逆にこちらの恐怖を煽っており、気の弱いものなら、すぐにでも泣いて帰ってしまいたくなるほどであったが、二人は怯まずに「そうだ」と答えると、男は二人分の浮き輪を取り出し、再び口を開く。
「当店では魔物娘の了承無しのお触り、及び乱暴やお持ち帰り等は禁止しております。もしこれを破るようでしたら、以後この店を出入り禁止にさせていただきますが宜しいですね?」
「ああ……」
二人は緊張しながらも静かに男の問いかけに答え、浮き輪を受け取る。その答えに満足いったのか男は黙って頷く。
「それでは奥でごゆっくりとお寛ぎ下さい。」
リックとノエルは浮き輪を身に付け、男が指し示す方へと歩くにつれ通路は徐々に深さを増していき、足が届かなくなっても浮き輪と足で泳ぎ続け、通路の先に見える光へと向かう。
そして―――――――
「「「お帰りなさいませ! ご主人様!」」」
「「うむ。」」
彼らを笑顔で出迎えるのは三人のメイド服を着たマーメイド。かわいらしいフリルをつける者、無駄な装飾を省き落ち着いた感じにする者、ハートを刺繍されたエプロンを身に付ける者。その三人ともがそれぞれの体系に合うメイド服を身に付けており、彼女たちの魅力を十二分に引き出している。リックとノエルは三人のマーメイド達によって奥の海水に浮かぶテーブルへと案内されていく。
―メイド喫茶 パイレーツ・ティアーズ―
それが先ほど二人が穴が開くほど見ていた看板の内容。案内している彼女たちが働いているこの近海に幾つかある店の名前。陸に生きるものにとって珍しい海の魔物たちのウェイターがメイド服を着て、足が届かないぐらい海水で沈んだ店内を優雅に泳ぐ。海の男やメイド服大好きな者、また魔物娘好きから高い支持を受けている店であるが、二人が取材するのはメイド服で働く彼女たちではなく店そのものに対してのことだ。リックは前々からこの店を舞台とする話が書きたかったのだ。そこで実際に現場に行き、話しを聞くことにしたが、既にこの二人メイドに魅了されて我を忘れている。ぼーっとしている二人が案内されたそのテーブルは浮き輪をつけている二人にとってちょうどいい高さで浮いており、使いやすい気遣いがされている。
「ご主人様。何なりとお申し付けください。」
案内したメイドのうち一人がその場に残り、二人は海水の中に潜っていく。残ったメイドが笑顔でメニューを聞いたので、リックはここのお勧めを、といった。リックとノエルはメニューなどはじめから無かったかのようにただ、メイド姿のマーメイドたちに見惚れていた。
「……ここは天国か?ノエル?」
「いいえ、メイド喫茶です。」
エロイ魔物娘に変わった衣装を着させることでかえってその魅力を引き立てる。白と黒で彩られたメイド服を着た姿をまず見ない海の魔物ならなおさらの事だ。男の夢のコラボレーションが目の前にし、だらしなく鼻の舌を伸ばすのも無理は無く、念入りに言っていた取材のことを失念しても誰一人とて責められるはずも無い。リックとノエルは注文の品が来るまでの間、華麗なる海のメイドたちを観察し始める。基本的にウェイターは海水の中で待機しているが、呼び鈴を鳴らすとすぐにそのテーブルへ行き、まぶしいほどの笑顔と魔物娘特有の魅力的な体と海水で濡れたメイド服を魅せる。どうやら彼女たちが着ているメイド服は防水加工は余りされておらず、濡れた服がはっきりとメイドたちのボディラインを写す。
「わざとだよな、あれ。」
「どー考えてもわざとです。ありがとうございます。」
「まじでありがたい……」
お互いが互いに同意し合い、どちらが何を言ったかもどうでも良くなってきたところに、先ほど注文を頼んだメイドが料理を持って戻ってくる。さすがに料理を運んでいる時は海水から顔を出しているようだ。
「ご主人様! 本日のお勧め、いちゃラブ定職です!」
その言葉に二人が現実へと引き戻されていく。目の前にあるのは、ハート形のオムライスに、ストローが二つに分かれているコップ、さらにはなにやらプルプルとした果肉を持つフルーツ。明らかに野郎が一人食べるためのものではない。
「それではごゆっくり〜❤」
料理を運んできたメイドは少し派手な水しぶきを上げて海水の中へと潜り、少し離れた所では、何にかのメイドたちがリックとノエルを見て何か顔を赤くして見守っている。二人は潜った地点にできる波紋と運ばれてきた料理を交互に見て何ともいえぬ疲労感に見舞われた。
「あーノエル君? これはどうゆうことだと思う?」
「はぁ、俺はノーマルなんだけどなぁ。」
「俺だって野郎に手を出す趣味はねぇよ……」
実際のところ、ノエルの顔はそれほど女っぽいというわけではない。しかし、整った顔立ちといつ魔物娘に好かれてもいいように肌の手入れと髭剃りを完璧に行っているためか、顔だけ見た人たちから男っぽい女と勘違いされることも極稀にあった。しかしなんで今このタイミングでなのか。
「取材を忘れてたリックのせいだな。」
「いや、メイド服に現を抜かしたノエルのせいだな。」
至福の時を壊された二人は互いに深い溜め息をつき、仕方なしとオムライスに手を出す。口に含んだそれは今まで食べたことがあるどのオムライスよりもおいしかったのが、より二人を悲しみに陥れる。
「……取材……するか……」
リックは既に死んだ魚のような目でつぶやき、ノエルもまた同じ目でそれに同意する。もともとそれが目的だったのだが。呼び鈴を鳴らし、その音を聞き海水の中から現れた人魚のメイドに対して、取材のことを話す。
「取材ですか? 畏まりました。すぐにメイド長を呼びますね。」
彼女はそう言うと、再び海水の中に潜っていく。しばらくすると、他のとは少し違うメイド服を着たマーメイドが現れ、自らこの店、パイレーツ・ティアーズのメイド長と名乗り、二人を奥の部屋へと案内する。その部屋は店内同様、海水が張っておりその中央で一人の顔に傷がある大男が石像の様にずっしりとした態度で、ただならぬ雰囲気を出している。浮き輪をつけながら。受付にいた柄の悪そうな男と同じ様にタキシードを身に付けているが、この男には少し窮屈そうに見える。大男は二人をじっと睨んだと思えば、いきなり大声を上げて笑い出した。その声は豪快で、どこか憎めないまさしく海の男のような声であり、そんな男がタキシードを着て、口を大きく上げて笑う姿は違和感を感じられずにはいられなかった。
「ハッハッハッ! 俺がこの全パイレーツ・ティアーズの元締め、モーガンだ! よろしくな!」
「作家のリックです……」
「その担当ノエルです……」
見た目も笑い声も豪快な男が名乗り、たじたじになりながらも二人も名乗る。正直言って、元締めというより海賊の頭領といったほうがしっくり来る。こんな大男の前で堂々と取材できるのか不安になってくる。
「で、聞きたいこととは何だ?」
浮き輪に揺らされながらも大男は愉快そうに笑みをこぼし、二人の言葉を待っている。リックはなけなしの勇気を振り絞り、質問を口に出す。
「この店はなんでメイド服にで接客しているのですか? 普通に海の魔物たちがウェイトレスをするだけでも十二分に客寄せはできると思いますが……」
「あー、それはだな、見知ったヤツでも普段とは違う格好していると、なんかこう、ドキマギするっつーか……」
先ほどの豪快さとは打って変わってなにやら口ごもるモーガン。だがその言おうとしていることは良く分かる。つまり彼女たちが普段とは違う格好をするだけでまた違った魅力と新鮮さを引き出す。先ほどリックとノエルが抱いた感想であり、それだけのことがメイド服に秘められている。
「そういえば、あのメイド服は水をはじく素材で出来てませんよね?」
「おお! そうだとも! 何せ水に濡れて見えるそそられるボディラインいつものヤツだとまずみえねぇからなぁ……」
腕を組みうんうんと頷く大男にリックとノエルも賛同する。すなわち、この店は男のロマンを形にし、実現する店なのだ。モーガンに対して急に親近感を持ったリックは続けざまに質問を繰り出す。
「では、男性店員がタキシードなのは?」
「そりゃ、メイドときたら執事だろ?」
ドヤ顔を決めるパイレーツ・ティアーズの元締め。こんなヤツが元締めで本当に大丈夫なのか不安になるが、彼が醸し出す雰囲気はあんなに緊張でガチガチだったリック達の緊張をほぐし、口を回らせる。
だからこそ、
「では、この店、パイレーツ・ティアーズの由来は?」
そう聞いた時、急にモーガンの顔が歪んでいき、なにやら言いにくそうに口ごもり始める。この男なら何を質問しても豪快な笑い声と共に答えてくれるだろう、そう考えていた二人にとってこのことは意外だった。さっきまであった愉快な空気が薄れ、重い空気に変わっていく。すると不意に彼の隣にいたメイド長が口を開く。
「パイレーツ・ティアーズの男性店員はみんな海賊だったの。モーガンはその頭領。」
すっかり意気消沈してしまったモーガンの代わりにメイド長が淡々と過去の話を口にする。
かつて近海を荒らしまわる大海賊団がいた。並み大抵の国では太刀打ちができない艦隊を持ち、海賊団の頂点に君臨する頭領たった一人でその全てを意のままに動かす。当時の彼らを止めることができるのは神か悪魔かと謂われていた。だが、彼らの栄光もそう長くは続かなかった。嵐により彼らの頭領を乗せる船が難破し、海に投げ出されてしまう。海の上では無敵とも思えた彼らも、海の中では赤子とはそう変わらない。沈んだもの全てが死を覚悟した時、海の魔物たちがその場に駆けつけ、乗員全員が一命を取り留めることができた。
“何故俺たちを助けた?”
海賊の頭領であるモーガンが助けた海の魔物たちに最初に言った言葉。彼らはこの海で余りに多くの罪を犯してきた。略奪、強姦、虐殺。その犠牲者の中には魔物娘もおり、周りから怨まれることはあれど、助けてもらう理由はない。何故、こんなロクデナシどもの命を助けたのか頭領を含む船員には全く分からなかった。その問いに一人のマーメイドが答える。
“私たちが助けたわけじゃない。ポセイドン様が助けただけ。”
神々の中でも慈愛に富む海神ポセイドン。その心はいかなる海よりも深く、海に生きる全ての命を愛する。そんな彼女だからこそ、彼らを見捨てることができなかったのだろう。気がつけばあちこちで海賊の子分たちが泣き始め、頭領の目からも涙が零れていた。
かつての海賊たちが住んでいた町はまさしくこの世の地獄という呼び名が似合う場所であった。教会から見捨てられ、当たり前のように犯罪が横行し、誰も彼もが悪として生きることを余儀なくされる町。自分たちは誰かを愛することも誰からも愛されることは無く、空っぽの心で死人同然の生活を営んでいた。だからこそ、その空いた穴を埋めるかの様にして徒党を組み、近海を恐怖のどん底へ突き落とす大海賊団の道を歩ませた。だが、彼らの荒んだ心は満たされないまま、本当は何がほしいかも分からないままに子供が駄々こねるように暴れまくった。しかし今、海神は、海は彼らを受け入れた。無知で愚かで救いようが無い自分たちに愛を与えてくれた。だからこそ、
“何か、礼をさせてくれ。”
神をも恐れぬ海賊達が海神の愛を知り、その愛に報いるために生き方を変える事を誓った涙。その涙がこの店の由来となった。
「私たち魔物娘が望んだのは夫、もしくは人間の男性と出会える場所だった。だからモーガンたちは自分たちの船をそのまま店に改造したのよ。」
海の魔物たちにとって夫を得ることは陸に住む魔物たちよりも難しい。生活圏が違うため、浜辺か、船の上でしか出会うことが出来ない。船を難破させてそこからおぼれた男性と結ばれる方法もあるが、近年、安全な海の旅を確保するために魔物娘の夫婦が乗船している。これにより、今までカモだった教会所属の船でさえ手が出せない状況に陥り、男性と出会える可能性は低くなってしまった。
「なるほど、だから海の魔物娘の喫茶店を作ったんですね。」
ノエルはようやくこの店の全ての謎が解けてすっきりしたような顔で答えた。ちなみにモーガンは自分の過去の話を余り聞きたくなかったのか、メイド長が話し始めてすぐに店のほうとは違う奥の部屋に引きこもっている。
「ついでに言うと、出会いの場所だから現場を指揮するメイド長を除いてほぼ全員独身よ。誰かもらってくれればいいのだけれども。」
メイド長が冗談か本気なのか分かりにくいようなトーンで語りかける。
「いえ、俺の嫁はリャナンシーちゃんと決めているので。」
「このバカを見張ってなきゃいけないので。」
「あら、残念。かわいいお嫁さんに会いたくなったらいつでも来て頂戴ね。」
彼女は言葉とは裏腹にそれほど残念そうでは無いようにくすくす笑う。それにつられてリックとノエルも笑みをこぼしす。
「大丈夫よ。うちは来るものは拒まず、去るものは追わず、ご主人様を押し倒すのはメイドにあらず、がモットーよ。」
メイド喫茶パイレーツ・ティアーズ。男のロマンを作り上げた店は今日も今日とて世界各地からやってくるご主人様達と可憐なるメイドたちに出会いの場所を提供する。それが愛を知らなかった海賊達から愛を教えてくれた海への恩返しなのだから。
パイレーツ・ティアーズを後にしたリックとノエル。港町の少し寂れたホテルの個室にあるテーブルで執筆しながらリックは今日のことを振り返る。
「さすがにモーガンさん達の過去のことは書けねぇよなぁ。」
「当たり前だろ。フツーにメイド喫茶のイチャイチャ話でも書いてろよ。」
「……そうするか。」
隣で眼鏡をかけながら魔物図鑑を読むノエルは自分の故郷を思い出す。もしも、あの国の全員が真実の愛を知っていればもう少しマシだったかもしれない。
「考えてもしょうがないか……」
ノエルは考えるのをやめ、隣でうなり声を上げるリックが次にどんな作品を書くのか、それだけのことを考えていた。
彼らの取材旅行はまだ続くかもしれない。
12/02/16 17:11更新 / のり
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