連載小説
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ミラの乙女な日々
 他愛のない会話をするだけで心が落ち着くのはなぜだろう。
 隣りを並んで歩くだけで嬉しくて、つい笑みがこぼれてしまうのは―?
 時々、傍にいてほしいと思うのは―?
 それはきっと、一つの感情がそうさせるから。
 

 
 それが特別な出会いだったとはミラは思っていない。単に、同じ隊長に問題児を引き取ってほしいと泣きつかれたからだ。女隊長として名を馳せているミラなら、その問題児も言うことを聞くはずだからというのがその隊長の言い分だった。
 問題児を押し付けたい魂胆が丸わかりだったが、ミラは特に条件を付けるでもなくその人物を引き取った。
 そして後日。件の問題児と対面したミラが真っ先に思ったことは、本当に騎士なのかという疑問だった。
 制服はしっかり着ているし、だらしなく立っているわけでもない。ただ普通に立っているだけなのに、その目つきの悪さが全てを台無しにしていた。こう言っては悪いが、騎士の制服を着た山賊といった方がしっくりきてしまう。
 手元の資料に目を向けながら、ミラは改めてその人物を見た。
「さて、始めようか。5番隊所属のルークで間違いないな?」
「はい。その通り……です」
 さほど緊張しているようには見えないが、返事がぎこちなかったのはなぜだろう。
 少し疑問に思ったが、それは口にせずに続ける。
「既に話は聞いているとは思うが、本日をもってお前は我が隊へ所属変更となる。とはいっても隊員は顔見知りだろうから、その点に関しては問題ないだろう。私についてはなにか知っているか?」
「まあ、それなりには」
「では、話はこれで終わりだ。長々と話すのは好きではないのでな。お前から質問はあるか?」
 何度もやってきた行為なので、ほとんど事務的に進めていき、最後の質問時間になった。
 この時、ミラが見てきた男は半分がミラについての個人的な質問をし、もう半分は特にないと言う。後者の場合はそのまま解散、前者の場合は高確率で威圧を込めた口頭注意となる。さて、この男はどうするのかと眺めていると、ルークはぽつりと言った。
「俺の経歴についての言及は?」
「……は?」
 思わず間抜けな声が出ていた。
「いや、俺の経歴についてなにも聞かないのか……じゃなくて、聞かないんですか」
「あ、ああ。そういうことか」
 そういえば、ルークがどんな人物なのか軽く尋ねた際にあれこれと言われた気がする。よほど不満があったのか、それはもうあれこれと言うので、ミラはほとんど聞き流したのだった。
 あの日のことを思い出しつつ、一つ咳払いをする。
「生憎と、私は自分で判断したがる性分でな。他人がお前につけた評価などどうでもいい。よって、お前が過去になにをしでかしていようと、言及するつもりはない」
 今度はルークが戸惑ったような顔になった。
「はあ……そうですか」
「ああ。そういうわけだから、今後は我が隊で仕事に励むように」
 いつものお決まり文句を告げて、ルークとの初対面は終わった。この時は変わった男という感想しかなかった。


 それからしばらくは何もなかった。ある日、珍しく国を騒がせる大火事が発生した。原因は恨みからくる放火だと後に判明したが、当時は火を消すだけで精一杯だったのを覚えている。
 現場は火の熱でその辺り一帯の温度が高く、大声で指示を出しているだけで喉が焼けるようだった。あちこちから悲鳴だの怒号だのが聞こえるなか、ある報告がミラに届いた。逃げ遅れた子がいるというのだ。その報を聞いた時、ミラは判断に迷った。
 人がいるなら助けなくてはならない。しかし、目の前の火事は近隣にまで飛び火し、勢いは衰えそうにない。この中でまだ生存しているのか怪しい者のために、隊員を危険に晒すべきなのか。
 咄嗟にどんな決断を下すかミラが悩んでいた時だ。
「おいルーク、正気か!?」
「安心しろ、ばっちり正気だ」
 片方は緊迫した声、もう片方はこの状況がわかっていないんじゃないかと思えるくらいにのん気な声だった。ミラが目を向けると、キースとルークが向かい合って言い合いをしていた。
「いいや、考え直せ! どう見たって人が入っていける状態じゃない!」
「そんな状態のあの中に、ガキがいるかもしれないんだろ? だったらいくしかねーだろ」
 言った同時に、ルークは手にしていたバケツを掲げて頭から水をかぶる。それを見て、ルークがなにをしようとしているのか、ミラも理解した。
「ルーク!」
 慌てて足早に近づくと、キースはしまったという顔になったが、ルークは表情一つ変えずにこちらを見ていた。
「水をかぶっていたようだが、なにをするつもりだ?」
「はっ。まだあの中に逃げ遅れた子供がいるようなので、ただちに調査に向かうところです」
 律儀に敬礼し、しっかり報告するルーク。自分が勝手なことをしているとはっきり理解している顔でそんなことを言うものだから、ミラの表情は一瞬で険しくなった。
「そんな命令を出した覚えはない! 勝手な行動は―」
「そんなわけなので、ちょっといってきます。キース、後は頼んだ」
「あ、おいルーク!」
 ミラの言葉を遮るように言うと、説教はごめんだとばかりにルークは燃え続ける家の中へと飛び込んでいってしまった。
「なっ……」
 唖然とするしかないミラの隣りで、キースが盛大にため息をついた。
「あの馬鹿……」
 

 結果から言って、子供は無事救助された。助け出したルークにも問題はなく、せいぜい髪の先端が少し焦げた程度だった。火事は何時間もかけて消し止められ、事件は一段落といったところだ。だからこそ、ミラは自室にキースを呼び寄せていた。ルークももちろん呼びだしてはいたが、まずは別の人間からルークという人物について聞いておきたくなったのだ。
「単刀直入に聞く。お前はルークと相部屋だから相応の仲だと判断しての質問だが、あいつは命知らずなのか? それとも、上官の命令はきく必要がないとでも思っているのか?」
 目を向けると、キースは苦笑交じりに小さくため息をついた。
「前者は事実ですが、後者は誤解です。あいつも上の命令をきく気はあります」
「お前がそう言うのなら、ひとまずそれは置いておこう。で、お前から見てルークはどんな男だ」
「一言で言うなら、いい意味での馬鹿ですね。あいつの今日の行動をご覧になったからわかると思いますが、ルークはこうするべきだと判断したら、例えそれが命令違反であっても躊躇わずに実行するんですよ」
 その結果が火の中に突撃らしい。
「その後になにかしらの処分を受けることになるとしてもか?」
「あいつはそんなこと考えないでしょうね。馬鹿ですから」
 キースが呆れたように言うので、ルークは常習犯らしい。
「わかった。お前はもう下がっていい。ルークにここに来るように伝えてくれ」
「了解しました」
 敬礼し、キースはきびきびとした動作で部屋を出ていく。全ての騎士がああいう人間だったなら、隊長達ももっと気楽なのだがとぼんやり考えていると、部屋の扉がノックされる。キースとは正反対の問題児が来たらしい。
 「入れ」と声をかけると、至っていつも通りの顔をしたルークが緊張感のかけらも持たずに入ってきた。
「失礼します」
 まったく反省している感じではなかったので、ミラは少しだけ声を険しくする。
「なぜ呼ばれたか、わかっているな?」
「一応は」
「独断行動を許した覚えはない。それは騎士団の規律でも定められていることだ。これに違反した理由はなんだ」
「人命救助を優先しただけだ……です」
 だから俺は悪くないとでも言いたいのだろうか。加えて、初めて会った時はさほど気にしなかった変な言葉遣いもミラをげんなりさせた。
「……気になっていたが、その妙な言葉遣いはなんだ。私を馬鹿にしているのか?」
「敬語が得意じゃないもんで。そんな気はまったくねぇ、じゃなくて、ないです」
 そう言ったルークは少しも悪びれている様子はない。ついでにいってしまうと、もはや敬語を使う気すらないんじゃないかとさえ思う。
「とりあえず、今は敬語は使わなくていい。いちいち気が散って話が進まん」
 そう言ったところで、こちらはこの国で知らない人なぞいない大貴族の家に生まれているのだ。どうせこの男も同じだろう。いつものことだ。
 もう慣れているので、微塵も期待せずにルークに顔を向ける。だが、この山賊騎士はミラの予想をたやすく裏切ってくれた。
「そうか。んじゃ、遠慮なく」
 あっという間に砕けた言葉遣いになるルーク。ついでとばかりに姿勢まで楽なものに崩し、同僚と雑談でもするかのようなリラックスぶりである。
「……順応が早すぎるだろう」
 見かねてミラが本音を漏らすと、ルークはけろりとした顔で言った。
「そうか? 別に、普段通りにしただけだぞ」
「一応聞いておくが、お前は私のことを知っているか?」
 キースが馬鹿だと言っていたので、ひょっとしてミラのことを知らないのではという疑問が浮かび、思わず聞いていた。
「隊長のことか? まあ、人並みには知ってるぞ。大貴族のお嬢様なんだろ?」
 知っていてこの気安さはなんなのだろう。少なくとも、今までミラが会ってきた人といえば、少しでも取り入ろうとへりくだってくるか、後難を恐れて差し触りのない対応をするかのどちらかしかなかったというのに、ルークはまったくそんなことはしなかった。
「それをわかっていて、お前はなんとも思わんのか?」
「なんともってなんだよ。ああ、あれか? 確かに夜はワイン片手にステーキを毎日食えるなんて最高だよな」
 もはや絶句するしかなかった。今語ったのはルークがイメージする貴族像なのだろうか。それともふざけているのかと思ってその様子を窺うが、恐ろしいことにルークに冗談を言っている感じはしなかった。ここでようやくミラも理解した。確かにこいつは馬鹿だと。しかし、腹の立つ馬鹿ではなかった。
「……もういい。お前と話していると、私まで馬鹿になりかねん」
 席を立つと、さっさとルークの背後に回る。そしてグッと拳を固めると、ルークの後頭部目がけて痛撃を放った。
「いっっっ!?」
 両手で後頭部を押さえてうずくまるルーク。それを見て、幾分か気が晴れた。
「っ〜〜! おい隊長、いきなりなんで殴ったんだよ? ただでさえよくない頭が更に悪くなったらどうすんだ」
「黙れ! 今日の件はこれで不問にしてやる! もう下がっていい!」
 この時、ミラの中でルークはものすごく馬鹿で変な男という評価になっていた。
 この事件がきっかけというわけではないが、ルークはそれから何度も規律違反をした。それだけで顔を突き合わせる回数は嫌でも増えたのだが、いくら注意しても「いつものことだろ」と開き直りに近い返事ばかりするのだから、ミラの拳が炸裂しない日はなかったと言っていい。おまけに、ミラに対して敬語を使わなくなった。それについても注意したところ「元に戻すのがめんどい」というふざけた返答が返ってきた。その時ばかりは、いつも以上に強烈な痛撃を見舞っておいた。悶絶していたのは言うまでもない。
 だが、そんな日々を送っているうちにあることに気づいた。誰かに見られることが慣れているミラにとって、自分を見る目は大貴族の令嬢でしかなかった。騎士団の隊長という地位に昇り詰めても、それは変わらなかった。
 しかしだ。自分がいつもあれこれと注意している問題児は、ミラのことをそんな目で見てはいなかった。
「お前は何度言っても直す気がないようだな。私を隊長だと理解しているのか?」
「当たり前だ。しっかり隊長だと理解してるぞ」
「なら、なぜお前はそうも図々しい態度をとれるのだろうな。私の肩書きが騎士団の隊長だけではないことは知っているだろうに」
「そんなことどうだっていいと思ってるからだろうな」
「一応、これでも大貴族なんだが。 お前にとってはどうでもいいことなのか?」
「ああ、どうでもいいな。そもそも、隊長が貴族だろうが、俺は貴族として振る舞ってる隊長を見てねーし。だから隊長は隊長だ」
 馬鹿らしく、実にわかりにくい言い方だ。それだけに、本心からそう言っていることはよくわかった。それに、自分のことを、貴族として見ていないことも。
「お前のような者もいるのだな……」
「なんだよ、その表現は。俺に言ってんなら、俺にわかるように言えって」
「断る」
 ルークの姿を目で探すようになったのはこの頃からだったと思う。
 その最たる例が朝礼だ。
 毎朝の朝礼は特に整列位置が決められているわけではない。だが、多くの人間はおおよそ決まった位置に行く。だから、最前列に並ぶ者の顔ぶれは毎日同じだし、誰がどこにいるかもほとんど変わらない。だが、ルークはといえば同じ場所にいたことがない。そんなこともあって、注意事項を話しつつ、目が探してしまう。それですぐに見つけられると、なんとなくその日は気分がよかった。
 ある時は、剣を使った実践訓練の時。広大な訓練場に整列して二人一組での訓練だが、これは大体が他の隊と合同で行われるため、集まる人数もそれなりのものになる。その中でルークを見つけるのはなかなかに楽しかった。この時に、剣の腕前はかなりいいことを知った。
 ルークが問題を起こし、呼び出す時でさえ、なんとなく楽しいと思えた。お互い仕事でろくに会話する時間など取れないから、表面上は注意するという名目で呼び出し、説教は適当にすませて他愛ない話をしたりもした。
 ミラにはっきりとしたチャンスが訪れたのは、キースが隣り町に出張となったことだ。ルークと組む見回り担当がいなくなるので、その空席をどうするかという問題が生じた。順当に考えれば、出張帰りの者と組ませればそれでいいのだが、ミラにそうする気はなかった。幸い、ルークが問題児ということで、他の者に任せるわけにはいかないというもっともな理由をつけて、しっかりとその席を確保した。おかげで、隊長業務を片付けるために早朝に起きることになったが、ミラにとっては大した問題ではなかった。


「ルーク!」
 予定通りに隊長業務を終えて本部の出口で待っていると、朝礼を終えた者がぞろぞろと出てきた。その中からルークを発見し、すぐに声をかける。
 ミラの声はしっかり届いたらしく、ルークは人波から外れてこちらにやってきた。
「おー、隊長。ちょうどよかった。キースが出張でいなくなったが、代わりに組むヤツはどうなってるんだ?」
「ああ、それは私だ」
 至っていつも通りの声で、しかしほんの少しの期待も込めて、さらりと相手は自分だと告げる。だが、そんなミラの儚い想いなど気づくはずもないのがルークという男だ。
「は? 悪い、もう一回言ってくれるか?」
 冗談だろうとでも言いたそうな顔で、失礼なことを平然と言ってきた。
 わかってはいたし、現実はそんなことはないだろうなと思っていたが、実際にそうなるとやはり落胆してしまう。
 こっちはこのために早朝に起きて仕事を片付けたというのに、そんなことには一切気づいてもくれないのだから。
「お前と組むのは目の前にいる私だと言っている」
 理不尽だとはわかっていながらも、つい声に感情が出てしまう。
「いや、隊長は隊長の仕事があるだろ? 見回りなんかしてる暇あるのかよ?」
「そんなものは早朝の時点で半分以上片付けておいた。後は見回りが終わってからで問題ない。なにより、お前をキース以外の者に任せるわけにはいかないからな。それとも、私では不満か?」
「いーや、そんなわけない。さて、見回りに行くか」
 事務的に種明かしをしても、ルークは気づかない。それどころか、こちらの空気を察して逃げるように歩き出してしまう。
「まったく……」
 この朴念仁めと心の中で罵りながら、ミラは後を追った。


 歩きながら、世の男女がする逢引きというのはこういうものなのだろうかとミラは思った。隣りでは、ルークが若干不満そうな顔で串焼きをかじっている。串焼きが不味いのではなく、ミラにご馳走されたことがお気に召さないらしい。
 世間一般では、男が女にご馳走するものらしいので、立場が逆なことに納得がいかないのだろう。だが、ミラは貴族だし、それを除いても隊長という地位のおかげで給金はルーク達隊員とは差がある。どちらが奢るべきかなど、考えるまでもない。
 合理的な判断を下し、続くパン屋でもやはりミラが支払いを済ませてパンを渡してやると、ルークは実に不本意そうな顔でパンを食べ始めた。なぜかその様子が面白くて、つい吹き出してしまった。
「おい隊長、人を見て笑うのは失礼だと思うんだが」
「すまん。だが、なんだか面白くてな」
 そう、本当に面白い。見回りをして、昼に食事をご馳走しただけ。単にそれだけのことが、ミラにはとても楽しかった。仕事という、色気のいの字もない時間だが、こうして逢引きまがいのことをしてみると、それがどれだけ心満たされるものなのか、はっきりとわかる。
 それをもっと続けたいと思うが、ルークの勤務時間は昼までだ。これ以上拘束するわけにもいかない。
「さてと、お前はそろそろ上がれ。それとも、まだ何か食べるか?」
「……いや、いい」
 食べると言ったなら、それこそ満足するまで付き合うつもりだったが、今日のルークは普段の図々しさを発揮することなく、首を振った。
 「そうか。ではまた明日のお楽しみということにしておこう。きちんと休めよ、ルーク」
「はいはい、お疲れさん」
 軽く手をひらひらさせつつ、ルークはくるりと踵を返して雑踏に消えていく。
 その背中を見送りながら、ミラは小さくため息をついた。
 ささやかで幸福な時間だったという実感がある。仕事をしていてさえそう感じるのだ。これで本当に逢引きをしたら、一体どれほど幸せなのだろう。
 制服などというつまらない格好ではなく、私服を着て町を歩き、食事をし、なんてことのない会話をしながら一日を終える。それができたら、どれほど幸せだろうか。
 ぼんやりとそんなことを考え、ミラはふと笑みをこぼした。
 浮かんできたのは、そんなことできるはずがないという否定の言葉。この国にいる限り、それは決して叶わない。自分の、そして、家の知名度はこの国に知れ渡っている。そのミラが、私服で町を男と歩いていたなどと父の耳に入れば、なにをするかわからない。
 ミラは再び、視線を雑踏に向ける。そこに、想い人の姿は既になかった。


 ここ数日の出来事を思い出し、ミラは仕事の手を止めてぼんやりとしていた。普段ならこんなことはないのだが、昨日は思いもしない偶然で夜にルークと出会い、そのまま一緒に食事に行ったのだ。ルークは制服だったが、ミラは見合い用の露出が少し多めのドレス。そのせいか、意外にもルークは動揺した様子を見せつつ「似合ってる」と言ってくれた。それを思い出すだけで恥ずかしくなると同時に、自然と笑みも浮かんでしまう。
「はあ……」
 なんとも言えないため息をついていると、部屋の扉がノックされる。
「入れ」
 瞬時に気を引き締め、扉の向こう目がけてそう言うと、なかなかの勢いで扉が開けられた。
「やっほー、ミラちゃん。遊びに来たよ」
 恐ろしいくらいに軽い感じで手を振りながら入ってきたのは、ミラのものとは若干違った騎士団の制服に身を包んだ若い女。服装が違うのは、ミラ達とは業務が違うからだ。
「なんの用だ、アイシャ。我が隊の予算案なら提出したはずだぞ」
「それはもちろん知ってるって。そうじゃなくて、遊びに来たっていたでしょー? そういうわけだからっ♪」
 スキップでもしそうな足取りで椅子に座るミラの背後に回ると、アイシャはごく自然な動作で手を伸ばした。ミラの胸に。
「ひぁぁっ、ばっ、どこ触って、んっ……!」
「いやー、久しぶりだけど相変わらず豊かに実ってるねー。制服の上からでもわかるこの感触、たまらないなー、同じ女として羨ましい限りだなー」
 鷲掴みにしたミラの胸を、アイシャは遠慮なく揉みしだく。その度に、ミラは嬌声が漏れるのを必死にこらえた。
「この……! いい加減にしろっ!」
 我慢の限界を超え、ぐるりと体を捻ると、人の胸を揉んで悦に浸っているアイシャの頭めがけて、ミラはほとんど手加減のない一撃をお見舞いする。
「いったーい!!」
 被弾した頭を両手で押さえ、うずくまるアイシャ。それでも涙目になりながら見上げてくる。
「ねぇミラちゃん。いつも思うけど、ミラちゃんの手って何製……? 絶対に人製じゃないよね……?」
「それがわかるまで殴られてみるか?」
 アイシャはおかわりの意思はないらしく、首をぶんぶん振った。
「まったく、ふざけに来たのならさっさと帰れ。私は暇ではない」
「スキンシップくらいいいじゃない。数少ない女の騎士団仲間でしょー」
「黙れ。お前のあれはスキンシップじゃない。ただのセクハラだ」
「それは仕方ないよ。ミラちゃんの胸は感触がいいし、触ってる時のミラちゃんはすごく可愛いし。ほら、私が触りたくなるのも仕方ない!」
 真顔で変なことをのたまうアイシャ。ちなみに、彼女がミラは着やせする説の噂を発した根源であることをミラは知らない。
「ふざけるのもいい加減にしろ!」
 追撃の一撃が正確にアイシャの頭を捉える。
「いった〜〜っ! ふざけてない! 可愛いは正義なんだよ!」
 涙目でアイシャがそんなことを訴えてくる。いちいち相手にしてやるのも鬱陶しくて、ミラはため息をつくと椅子に戻った。
「わかった、それでいいからそろそろ帰れ。お前とじゃれ合っている暇はない」
「つれないなー……」
 頭をさすりつつ、若干の不満顔で立ち上がったアイシャだったが、ふと表情を真面目なものに変える。
「じゃ、挨拶はこれくらいにして、本題に入ろうかな」
「真面目な話なんだろうな?」
 じろりと疑いの目を向けるが、アイシャも今度ばかりはふざけた空気を出さなかった。
「もちろん。ミラちゃんに頼まれてた件、手配できたよ」
「! そうか……。で、予定日は?」
「十日後。ごめんね、なんとか最速のものを手配したかったんだけど、これが限界だったよ」
 申し訳なさそうなアイシャに、ミラは苦笑を返した。
「十日なら充分だろう。悪かったな、面倒を頼んで」
「友達だからね。まあ、これくらいはしてあげるよ。なにより、恋の相談だしね」
「……助かる」
 ミラが素直にそう言うと、アイシャは目をぱちくりさせた。 
「おやおや〜、ミラちゃんも成長したね」
「なにがだ」
「だって、初めて私に相談してた頃は『べ、別に恋の相談なんかじゃない……』とか素直じゃないこと言ってたし。あの頃に比べたら、随分と丸くなったなーって」
 言った覚えがあるので、ミラは少しばかり顔を逸らした。
「う、うるさいっ。前のことは別にいいだろう」
 アイシャの騎士団での担当は財務関係。そこのトップなので、言ってしまえば騎士団の財布は彼女が握っているようなものだ。女の身でそんな地位にいるのはもちろん理由があり、ミラほどではないにせよ、彼女もまたそれなりに地位ある貴族の娘なのだ。
 アイシャがそんな背景を持っていることもあり、ちょっとした親近感からつい口を滑らせた結果がこれである。こうして協力してくれるのはいいのだが、代わりにセクハラ被害に遭うようになった。恩恵と、被る被害が釣り合っているのか微妙なので、ミラとしては少々複雑であると思わざるを得ない。
「はいはい。それにしても、ルーク君は愛されてるな〜。それも、かなり。幸せ者だね、彼は」
「べ、別にそこまで好きというわけでは……」
 つい素直じゃない言葉が口から出てしまう。それを聞いたアイシャは、実に腹立たしい顔になった。
「おやおや〜? 彼が盗人に刺されて行方不明になった時、血相変えて私に整備済みの馬やら物資やらを要求して、夜通しの探索部隊を編成しようとしたのは誰だったかな?」
 そう言って、楽しそうに顔を近づけてくる。
「っ〜! ああそうだ! それくらい心配したし、それくらい好きだ!」
 気持ちを暴露するのはものすごく恥ずかしく、ミラはそっぽを向いた。それを見たアイシャは満足そうなため息をついた。
「ああもう、ミラちゃんはいちいち可愛いな。私が男だったら、間違いなく求婚しているのに」
「仮にお前が男だったとしても、お前の求婚は即答で断るから安心しろ」
「大丈夫、ミラちゃんが受け入れてくれるまで、毎日求婚しに行くのをやめないから」
 ただの迷惑行為である。だが、アイシャならやりかねないから怖い。
「お前が女でよかったと思うしかないな。そんなことをされたら、心が病みかねん」
「じゃあ、ルーク君になら、毎日でも求婚されてもいいのかな?」
 ミラはその場面を想像してみた。小奇麗な服に身を包んだルークが、真面目な顔で求婚の言葉を面と向かって言ってくる。
「結婚してくれ」
 想像しただけなのに、ミラは恥ずかしさで顔が赤くなるのを自覚した。
「おや〜、その顔は満更でもないみたいだね」
「それは違う。毎日どころか、初日に押し切られる自信がある」
「実際にそうなったらいいのにねー。まあ、聞いてる限りじゃかなりの鈍感みたいだし、ミラちゃんから言うしかないかな?」
 そう、問題はそこだ。向こうから言ってきてくれるなら、ミラも素直に受け入れるのだが、ルークにそんな気配は微塵もない。ならばとこちらが気のある素振りを見せても、ルークがそれに気づくことはない。ミラとしては、鈍感なのも大概にしろと声を大にして言ってやりたいのを日々我慢しているのだ。
「私としても、そうするしかないかと思っている。だが、いざその時になると、どうしても言えなくてな……」
 愚痴っぽいかと思ったが、アイシャは理解を示した。
「あー、まあ告白だしね。勇気がいるのもわかるよ。でも、向こうが言ってきてくれないなら、こっちからいくしかないでしょ?」
「その通りだ。私もわかってはいるんだが、どうもな……」
 歯切れ悪く言い訳していると、アイシャは一つ頷いて笑った。
「じゃあ、そんなミラちゃんに必勝法を教えてあげよう。これを実行すれば、間違いなくルーク君はミラちゃんに惚れるよ」
「あまり参考にならなそうだが、一応聞こう。どんな方法だ?」
「ミラちゃんのその立派な胸を使うだけだよ。ちょっと触らせてあげれば、男なんていちころだねっ。その破壊力は私が保証する。男なら即死させるだけの威力がある兵器と言ってもいいね」
「少しでも期待した私が馬鹿だった……」
 まあ、そう都合のいい方法なんてない。ついでに、アイシャにはそこまで期待してはいけない。それはわかっていたことだ。
「酷いなー、けっこう真面目に言ったのに。そうじゃなきゃ、意識してもらえるように少しずつ事を運ぶくらいしかないよ。ルーク君みたいなタイプには通用するかわからないけど、これが一番無難なんじゃない? ミラちゃんなら、ゆっくりと時間をかければ、結果にも期待できそうだけど」
「そうしたいところだが、うかうかしてられない事情ができてな」
 それだけ言うと、アイシャはすぐに察したらしい。
「え、まさかライバルがいるの?」
「ああ。それも、かなりの強敵だ」
 ミラにとっても意外だったが、ルークに想いを寄せる者が他にもいたのだ。驚くほどに可愛らしい娘が。
「へー、少し意外だな。ルーク君、モテるんだ。まあ、雰囲気はちょっと頭のいい野良犬みたいで可愛いけど。でも、ミラちゃんがライバルだって認めるほどなの? 世辞抜きに、並大抵の子じゃ、ミラちゃんの圧勝だと思うけど」
 アイシャのよく分からない可愛い基準はしっかり無視し、ミラは頷いてみせた。
「ああ。あれは私とは毛色の違うタイプの女だな。だからこそ、うかうかしてるわけにはいかん」
「へー、ミラちゃんがそう言うなら、相応の子なんだね。ちなみに、ミラちゃんと違うってどんなタイプの子? 今、目の前にいてミラちゃんとどちらか選べって言われたら、私が迷うくらい?」
「恐らく、お前は向こうを選ぶだろうな」
 ミーネの容姿を思い出し、ミラはそう判断する。アイシャでなくとも、十人の男に聞いたら、半分は向こうを選ぶだろうとも思っている。それくらい、ミーネは可愛らしかった。ミラにはない、守ってあげたくなるような、言ってしまえば庇護欲をくすぐるような雰囲気がミーネにはある。それは、言いかえれば、童話などでよくあるお姫様が持っているような空気だ。
 庇護欲を煽るだけならそれこそ町にいる娘だってできるが、そこには媚びも含まれているので、女の身から見るとあくどいとか、あざといという感想しか抱かない。だが、ことミーネに至っては、それが恐ろしいほど似合っていた。 ミーネ自身が誰かに媚びるだとか、気を引くという他意を持ち合わせていないため、純粋に本人の魅力を引き出す行為になっているのだ。
 あれを見た時は、これは反則だろうと本気で思った。
「……実際に見ないで判断するのはよくないね。そういうわけで、是非紹介して」
「断る」
 真顔で会いたいと言ってきたアイシャにそう即答する。
「えー、なんでよ。会わせてくれるくらいいいじゃない! 独占よくない!」
「お前の目が真剣すぎて怖いから却下だ」
「酷い! 可愛い子にあって癒やされたいだけだよ! 変なことなんてしないし!」
 そんなことをのたまうアイシャだったが、人の胸を散々弄んでいた時点で信用はゼロだ。
「そうか。気がすんだら帰れよ。あと十日だというなら、私も色々と準備することがあるからな」
 ミラが真面目にそう答えると、駄々をこねていたアイシャはぴたりと動きを止めた。
「ねえミラちゃん、ミラちゃんのことだから本気なんだろうけど、それでいいの?」
「もちろん。もう決めたことだ」
「そっか。じゃあ、これ以上あれこれ言うのは余計なお世話だね。まあ、上手くいくよ。少なくとも、私が準備した方はね」
「そちらに関しては、私も信用している。後は、ルークだけだな」
「ふふっ。こういうちょっと悪いことって、いくつになってもどきどきするね」
 心底楽しそうに笑うアイシャにミラは苦笑した。
「なにを他人事みたいにしている。貴族である以上、お前にもいずれ起こることだぞ」
「その時はミラちゃんと同じことするから大丈夫」
 軽い感じで言うが、アイシャもその行動力はミラ並みなので、やると言ったら必ず実行するだろう。そうでなければ、騎士団なんて物騒な場所に入ったりはしない。
「まあ、お前ならそうするか。しかし、すまないな。一方的に私が頼る形になって」
「いいよ、別に。私は可愛い子の味方だからね。さてと、ほどよく時間も潰せたし、私はそろそろ戻るよ。予算案の補正について会議があるから」
「そうか。せいぜい公平に分配してくれ」
「仕事は公平にしてるって。じゃあね、ミラちゃん。ばいばい」
 手をひらひらさせ、賑やかな女の代表みたいなアイシャが出ていくと、部屋は途端に静かになった。
 ミラは立ち上がると、そっと窓から町の様子を眺めた。ミラの部屋の位置はちょうど通りに面しているので、そこそこ町の様子が見えたりする。ミラの目は、そのまま広場に向かった。舞台がまだあるので、この間の劇団はまだ在住しているらしい。そういえば、あの時はルークが踊り子の胸を堂々と見ていて、ミーネとともに気分を悪くしたのだった。
 あの日のことを思い出し、自然と笑みが浮かんでしまう。それだけではない。喜んだり、切なかったり、怒ったり……。どの感情も、胸を疼かせるこの気持ちがそうさせることくらいは、ミラも理解している。だから、しっかりと伝えよう。
「私も、大好きなんだろうな……」
 静かな部屋で、ミラは小さく呟いた。
14/10/20 22:22更新 / エンプティ
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