連載小説
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縮まっていく距離
 馬に揺られ、ルークは珍しく頭を悩ませていた。天気は快晴である。こんな日はのんびりしたいのに、それができないのがもどかしい。その理由は先程ミラに言われたことだった。
「そろそろ傷の具合も良くなってきているだろう。仕事も段階を追って本来通りに戻していくぞ」
 それはつまり、以前と同じように一日フルで仕事ということになる。それは別にいい。元々はそうしていたわけで、今が特殊なだけだ。問題なのは、今向かっている先にいる小娘のことだった。
「どうすっかな……」
 以前と同じように一日の仕事になれば、当然ミーネの所に行っている余裕はない。ないわけではないが、厳しいものがある。それを言った時のことを考え、憂鬱になっているのだった。
 そうしているうちにミーネの家に着き、やや面倒な気分になりながら扉をノック。だが、返事がなかった。
「また寝てんのか……?」
 以前に同じ状況になった時には緊張したものだが、その理由が昼寝をしていたからだったので、今回は呆れるだけだ。
 ため息をつき、すっかり見慣れた扉を開けて家に入り、すぐにロビーに向かった。ルークは予想では、そこに眠りこけているミーネがいるはずだった。しかし、ロビーは無人で、肝心のミーネの姿はない。
「?」
 じゃあキッチンかとそちらも覗いてみたが、やはりミーネはいなかった。
「なんだ? どこ行ったんだ……?」
 軽く首を捻った時だ。微かだが、ミーネの声が聞こえた。
 聞こえたのは普段はルークが立ち入らない扉だった。しばらくどうするか悩んでみたルークだが、今更遠慮しなくてもいいかと思い、扉を開ける。
「なんだ、風呂かよ……」
 扉の先は脱衣所だった。その先の曇りガラスの向こうで、肌色が動いている。シャワーの音に混じって鼻歌が聞こえてきていた。ルークが先程聞いたのもこれらしい。
「おいミーネ、まだかかりそうか?」
「えっ!? ルーク、いつ来たの!?」
「今だよ。それより、まだかかるのか?」
「あっ、えと、もうすぐ出るから! ちょっと、待ってて!」
「いや、急かす気はないから、ゆっくり入れよ。俺はロビーで待ってるわ」
 そう言い、踵を返そうとした時だった。
「あ、ルーク! あのね! 今、お風呂なんだけど……」
 見りゃ分かる。そう言おうとしたルークだったが、続くミーネの発言で凍りついた。
「その……一緒に入る?」
 一瞬、何を言われたのか分からなかった。
 頭の機能が停止したルークが何も言えずにいると、ミーネも自分のうっかり大胆発言に気付いたらしい。慌てた声が飛んできた。
「あっ! えっと、今のは冗談だよ!? 冗談だからね!?」
 そこでようやくルークの頭が復活した。
「馬鹿言ってないで、さっさと上がってこい!」
 つい先程ゆっくり入れといった台詞と矛盾しているが、そんなことにはかまっていられない。
 ルークは返事を待たずに逃げるようにロビーへ戻り、ソファに身を投げた。
「ったく、あのバカ狐は……」
 胸がどきどきしているのが腹立たしくて悪態をつく。ここに来るまでに悩んでいた俺の時間を返せと言いたい気分だ。
 考えるのも馬鹿馬鹿しくなり、ソファにぐったりと背を預ける。そうすると、以前の昼寝をしていた日が思い出された。
 あの日は確か一緒に買い物をしに行く約束をしていて、なぜかルークがミーネの着ていく服を選ばされたんだった。そしてその後……。
「っ!」
 そう、その後は狐娘のうっかりで下着まで選ばされそうになったのだった。しかも、ガラス越しにシャワーを浴びてるミーネを見てしまったせいで、あの日見せられた空色の下着を身に付けたミーネを想像してしまい、ルークの眉間に皺が寄る。
 その時だ。不意に視界が真っ黒になった。
 温かくて柔らかい手の感触。石鹸の香りがするのは今まで風呂に入っていたせいだろう。
「だ、だ〜れだ?」
 そして少し上ずった声が頭の後ろから聞こえた。
「……おい、なに変なことしてんだ? のぼせたのか?」
 誰だもなにも、この家にはルーク以外ミーネしかいないだろうに。
「こ、答えてくれるまで、手は外しませんっ」
 なんだか意地になった声が聞こえた。それを面倒くさいと思いながら、ルークはその名を呼ぶ。
「ミーネ」
 その途端にぱっと手が外された。それと同時に振り向くと、頬を赤くしつつ唇を波打たせたミーネがいた。
「えへへ……正解」
 唐突な意味不明の行動に、ルークはため息しか出ない。
「えへへじゃねぇ。なんなんだ、今のは」
「えっと、それは、その……。その、す、す、すっ……」
 更に顔を赤くし、どもるミーネ。
「す、すぐにお昼の準備するから!」
 ようやく出てきたのはそんな言葉だった。しかも、それだけ言うと、本人は慌てた様子でダイニングに行ってしまった。
「なんなんだ、あの狐は……」
 結局、謎の行動の理由は言っていない。まあ、ミーネだからで片付くことだ。それくらい、あの狐娘は不思議な生き物だとルークは身を以て理解している。だから、今日のメニューがキノコの肉巻きという謎の料理でも今更驚きはしない。
「んじゃ、食べますかね……」
 珍妙な料理に精神は早くも疲弊してきているが、キノコを使った料理の出来に関してはルークも認めているので、見かけはともかく味は悪くないはずだ。
 ルークがいつもの席に着くと、ミーネはおずおずといった感じで隣りにやってきて、なぜかルークの隣りに座った。
「おい、なんでいつもの席に座らないんだ」
 いつもはルークの正面がミーネの定位置だったはずだ。
「た、たまにはいいかなーって」
 そう言いつつ、ミーネは顔を逸らしている。なにか隠しているのがばればれだが、こちらに被害が出ないならいいかと、ルークは無視を決め込んだ。
「へー、そりゃご勝手に。それより食べていいか? 腹減って死にそうなんだ」
「あ、うん。食べて食べて! けっこう自信作なんだ♪」
 パッとこちらを見たミーネは嬉しそうだ。
「自信作ねぇ。しかし、どう考えたらこんな料理を作る気になるんだ?」
「えへへ。ルークと私の好きなものを足してみようって思ったの♪」
 少しは料理について勉強した結果かと思ったらバカの考えだった。もはや突っ込む気にもならない。
「あー、それはすげーな。よし、じゃあ食べるか」
 ミーネの発言は適当に流し、ミーネオリジナル料理を口に運ぶ。それをミーネは隣りからじっと見つめてくる。
「なんだよ」
 口に放り込み、もぐもぐしながら横目で見ると、ミーネの顔に感想は? と書いてあった。
「いいんじゃねーの?」
「よかったぁ。美味しくないって言われたらへこんでたよ」
 ホッとした笑顔を浮かべ、ミーネも自分の分を食べ始める。だが、すぐに「あっ……」と呻いてその手を止めると、ルークの様子を窺うように見つめた。
「えと、その……ルーク」
「なんだよ」
 呼ばれて隣りのミーネに顔を向けると、口元に肉巻きキノコが差し出された。そして―。
「あ、あーん……」
 顔を赤くしたミーネがそんなことを言ってきた。
「なっ、ばっ!」
 いきなりの事態に言葉になっていない声を上げつつ、ルークは身体が反射的に動いていた。おかげで、隣りに座るミーネの頭を叩きつつ席を立つという、生まれて初めての行動を取ってしまった。
「な、なんで叩くの……?」
 頭を押さえ、うっすら涙目になったミーネが見上げてくる。
「なんでってお前、お前が変なことするからだろっ!? 大体、さっきのアレはなんだ!」
「だって『男の人を喜ばせる百の方法』に書いてあったから……」
「おい、その本今どこにある? 燃やすからちょっと持ってこい」
「燃やすなんて駄目だよ! まだ勉強中なんだから!」
どうやらミーネは現在も間違った手法を勉強中らしい。
「アホか! そんな妄想の産物で勉強になるわけねーだろ! 大体、お前がそこに書かれてることを実行する度に俺が被害を被ってるだろうが!」
 前回のご主人様発言に、今回はあーんときた。これだけ揃えば、その本に描かれてる内容に信頼性など皆無である。しかし、ミーネがしおらしく聞きいれることはなかった。
「だ、大丈夫だよ! だから、いつかルークを喜ばせてあげるもん!」
「今んとこ十割の確率で困ったことにしかなってねーから、まったく大丈夫じゃねーよ! ひょっとしてさっき風呂に入ってたのもそれのせいじゃないだろうな!?」
「あ、あれは、森にキノコ採りに行ったら汗かいちゃったから……」
 風呂のことを指摘すると、ミーネは途端に声を小さくしてごにょごにょ言い出した。
「だから、風呂入ったと?」
 ミーネはこくこくと頷いた。対するルークは盛大なため息で言いたいことを言外に伝えてやると、ミーネの狐の耳がへこたれた。
「うう……だって、ルークに汗臭いとか言われたらやだし……」
「あ? なんだって?」
 聞き返すと、ミーネに睨まれた。
「お、女の子は身体の手入れをきちんとしないといけないのっ!」
 女の子っていうか狐だろ。そんな感想が頭をよぎったが、言うと面倒なことになりそうだったので、この際よしとしよう。
 気持ちを落ち着けるように一息つくと、ルークは席に座った。
「わかったわかった、もういい。アホな言い合いは終わりな。今はメシにしようぜ」
 残っていた料理を口に運ぶと、若干冷めていた。それでも美味しいと思えるあたり、いい出来なのだろう。料理はこれなのに、作った本人は変な言動ばかりする残念な狐だ。そんなことを思いながら、ルークは残りの料理を平らげた。
 そして食後。
 洗い物が終わったミーネとルークは食事と同様に並んでコーヒーを飲んでいた。まったりとした時間だ。大事な話をするにはいい雰囲気だと判断したルークは、本題を切り出した。
「なあ、少し真面目な話があるんだが」
「真面目な話? なに?」
 カップを両手で持ちながら、ミーネが無防備に聞き返してくる。
「俺の仕事についてだ。今が療養中だってのは知ってるよな?」
「うん。あ、そういえば傷はどう? まだ痛かったりする?」
「おかげさまで問題ねーよ。だから、仕事が本来の時間に戻ることになった」
 そこでルークは一旦話すのを止めた。ミーネの様子を見るためだ。
 はっきりと告げたわけではないが、ミーネはルークの言わんとすることを理解したらしい。茫然といった感じでルークを見つめてきた。
「えっと、それは……」
 何かを言いかけたが、そこで顔を背け、俯いた。
「一日フルで仕事だ。当然、終わるのは夜になる。そうなったら、ここに来てる余裕はない」
「そう、だよねっ。仕事だもんね、仕方ないよ、ね……」
 無理しているのが丸分かりの声でミーネはそう言うのが精一杯のようだった。仕方ないと納得している口ぶりだが、耳はへこたれているし、尻尾はぶらんと垂れ下っている。しゅんとしていると、一目で分かる有様だった。
 本当に素直というか、馬鹿正直なヤツだと、ルークはため息をつく。
「まあ、それは最終的にという話だ。段階を追って戻していくらしくてな。とりあえず、一日と半日を交互にって感じらしい」
「え……。じゃ、じゃあ、その、半日の日は……」
 ルークに顔を向けたミーネが、遠慮がちに手を伸ばしてきて肘の辺りをちょこんと摘んだ。
 見ていて恥ずかしくなる可愛らしい仕草に、ルークは平静でいられなくなり、慌てて顔を逸らした。
「……まあ、半日の日は来てやる。それでいいだろ?」
「うん……。待ってるから……」
 そこでようやくミーネはぎこちなく微笑んだ。


 ルークの仕事の時間はそれから一週間後に変更された。
 久しぶりの長時間の見回りは、ミラが用事があるとかでカリムと一緒だった。
 定時になって仕事が終わり、今夜はどこで食べるかと、ルークは町をぶらついていた。最初はいつもの酒場にしようかと思っていたのだが、顔を出した途端に同僚達が揃って「可愛い彼女がいるヤツは奢れ!」とうるさかったので、さっさと逃げ出してきたのだ。
「さーて、どうすっかな……」
 ぼやきながら、普段は来ない通りを歩いていた。この辺りはいいお値段の店が多いので、ルーク達のような庶民には滅多に縁がない場所だ。それだというのに、通りはそれなりに賑わっている。そのほとんどが庶民的な格好なので、今夜は奮発したのだろう。ルークもその口で、今日はいい物でも食べて、明日からの仕事に備えようという算段だった。
 そんな考えの元に、どこの店が美味いのかと辺りの店を物色していた時だ。
「ルーク!」
 聞き慣れた声がどこからか聞こえた。
「ん? ってうおっ!」
 どこから呼ばれたんだと思う間もなく、近くの路地に引き込まれていた。ルークを引き込んだ人物は抱きつくようにして、ルークの身体を通りに向けて盾にするようにした。次いでバタバタと走り去っていく数人の足音が背後からする。それが聞こえなくなったところで、その人物はルークを解放した。
「ふう……。なんとか撒けたか」
 そう言って離れたのはいい匂いのする金髪の美女。一瞬誰だと思うルークだったが、すぐに理解した。
「なんだ隊長かよ。誰かと思ったぞ」
 髪を整えている上にドレス姿だったので最初は分からなかったが、目の前にいるのは紛れもなく隊長のミラだった。
「いきなり悪かったな。だが助かった。少々、面倒なことになっていてな」
 苦笑しながらミラは少し乱れた髪を手で整えた。
「追われてるみたいだったな。ありゃなんだ? 隊長を追い回すなんて、いい度胸してんな」
「あれは我が家の使用人だよ」
「は? なんで家の人間に追われてんだよ。親と喧嘩でもしたのか?」
 ミラの顔に呆れるような笑みが浮かんだ。
「まあ、それに近い。実は今日は見合いでな」
「ああ、だからドレスなのか。それなら納得だ」
 整えた髪に濃紺のドレスと、やけに着飾ってると思ったらそういうことらしい。
 状況に納得したルークは改めて今のミラをさり気なく観察する。普段は結わずに下ろしている髪が整えて纏められているおかげで新鮮に映る。だが、それ以上に目を引くのはやはり露わになっている素肌だろう。細い首筋から鎖骨のライン、そして開け放たれた胸元は夜の闇で白く輝いているようだった。
 その美貌を押し出した姿のミラを前にして、ルークは思わず見惚れていた。普段はあまり意識したことはないが、やはりミラは美人だと改めて思った。
「なんだ、人をじろじろ見て……っ!」
 不思議そうにルークを見つめていたミラだが、何かに気付いたらしく、慌てて胸元を隠した。
「ち、違うぞ! これは私の趣味じゃない! 見合いだからと無理矢理着せられたんだ!」
 自分の身体を抱きしめるようにしながら、ミラがそう訴える。
「別に、変だとは思ってねーよ! ただ……」
「ただ、なんだ?」
 じろりとミラに睨まれ、ルークは中途半端に言ってしまったことを後悔した。どんな姿をしていようと、ミラはミラなのだ。よって、ここで下手に言い訳などしようものなら、間違いなく鉄拳が飛んでくる。現に、ミラはそういう空気を発している。
「ただ、似合ってるって思っただけだ」
 ため息をつくと、見ていた正直な理由を白状した。着慣れているからというのもあるだろうが、やはり貴族なだけあって、ミラにはドレスがよく似合っていた。もう一つ正直に言うと、ドレスを押し上げている豊満な胸だ。胸元が開いているおかげで、はっきりと谷間を覗かせている。どうやら、ミラは着痩せする説は本当だったらしい。
「そ、そうか……」
 さっきまでの剣呑な空気を嘘のように発散させ、ミラは声を落とした。
「その、変ではないか……?」
 そして確認するように聞いてくる。心なしか、若干頬が赤い気がした。
「いや、すげぇ似合ってる」
 相手は見知っているミラのはずなのに、褒めるのは妙に気恥ずかしい。それをばれたくなくて、ルークは顔を逸らした。
「で、そんな格好までして見合いに行ってたのに、なんでこんなことになってんだよ」
「それは私が見合いの直前で抜け出してきたからだ」
 さらりと、すごい事実が告げられた。
「は? 抜け出してきた?」
「ああ。分かりやすく言うならサボりだな」
 冗談だろうと思ってミラを見るが、本人はなんでもないような顔をしている。どうやら事実らしい。そういえば、ミラは冗談の類を言わないのだった。
「サボりって、いいのかよ。そんなことして」
「いいわけがないだろう。だから追われている」
 そう言うミラは少しも深刻そうではなかった。
「はあ……。なんていうか、さすが隊長だな」
「ふん。どうせ断るのだ。だったら、最初から行くだけ時間の無駄だろう。それで、お前はこんなところで何をしている」
 状況を理解し、緊張が解けたところで腹の虫が鳴った。それでここに何をしに来たのかを思い出す。
「たまには奮発していい物食おうと思っただけだよ。最近はご馳走になっているおかげで財布が重いんでな」
 ミラの奢りとミーネの手料理のおかげで、最近は昼の代金が浮いているのだ。ルークとしては軽い皮肉のつもりだったが、それに動じるミラではなかった。
「そうか。では、今夜もご馳走してやろう。迷惑をかけたお詫びということでな」
 そう言ってルークの腕を取ると、ミラは通りに向かって歩きだした。
「おい隊長、見合いすっぽかして俺と飯食いに行っていいのかよ!?」
「興味もない男と愛想笑いを浮かべて楚々としながらの食事など、私はごめんだ。それなら、気楽なお前との食事を選ぶに決まっている。ほら行くぞ。近くにいい店がある」
 ほとんど強制的にといった感じで、ルークはミラに連れられ、見慣れない通りを歩かされた。そして五分後。回りと比べて一回り小さい建物の前に来ていた。
「今更だが、のん気に食事なんかしてていいのか? 親父殿に見つかったら面倒だろ」
「安心しろ。この店は穴場というやつでな。父上も知らない店だ。見ろ、看板が出ていないだろう?」
 言われてみれば確かに看板はない。これでは一目見ただけでは店とは分からない。
「まあ、確かにな。しかし、いいのか? こんなことして。俺、後で隊長の父上に暗殺されないだろうな」
「その時は私が仇を討ってやるから安心しろ。ほら、行くぞ」
 全く安心できないことを言われつつ、ルークはミラとともに店に入った。意外なことに店内は広く、しかも、見事と言っていいくらいに綺麗だ。当然、そこにいる人達も洒落た服装で、いかにも金に余裕がある人の場所といった感じだった。
「おい隊長、俺、明らかに場違いだろ。ものすごく浮いてるぞ」
「大丈夫だ。問題ない」
 そう言って、ミラは入ってすぐの所の受付に行き、二人であることを告げる。するとすぐに控えていた男がやってきて、空いてるテーブルへと案内された。
 席に着くと、すぐにグラスとボトルが用意され、勝手にグラスへと注がれていく。色と香りから察するにワインらしい。
「では、乾杯といくか」
 ミラがグラスを近づけてきたので、ルークもそれにならい、軽くグラスを打ち合わせて意味もなく乾杯した。
 さっそく飲んでみると一口で上等なものだと分かる味だった。いつぞやミーネと行った穴場の酒場もなかなかだったが、これはあそこを上回っている。
「なんだ、口に合わなかったか?」
 軽く飲んですぐに口を離したからか、ミラが口元に笑みを浮かべて尋ねてきた。
「いや、その逆だ。こんな上等な酒は滅多に飲めないからな。軽く感動してた」
「それはよかった。なくなったとしても、言えば新しいものを出してくれるからな。好きなだけ飲め」
「それは嬉しい話だな。ところで、メニューはまだか? さすがに酒だけじゃ、空腹は満たされないんだが」
 ルークがそう言った途端、ミラはきょとんとした後、何が可笑しいのか、くすくすと笑いだした。
「なんだよ隊長。なんで笑うんだよ」
「いやすまん。この店はコース料理専門でな。メニューなんてものは存在していないのだ。コース自体は選べるが、それは最初に私が選んでおいたからな。私達は出てきたものを食べるだけでいい」
 そう言いながら、ミラはルークのグラスにワインを注ぎ足していく。
「まさか俺がコース料理なんてものを食べる日が来るとは……。こういうもんは、てっきり金持ち専用だと思ってたんだが」
「まあ、それはあながち間違いではないな。店にもよるが、この店のコースはどれも一級品の料理ばかりだからな。値段も相応だ」
 その値段こそ言わなかったが、恐らく、ルークの一月の給料くらいなら軽く吹き飛びそうだ。それをなんでもないことのように言えるあたり、やはりミラは貴族なのだと再認識する。
「つーか、これ、ご馳走してもらうものの範疇を超えてるよな? 俺、ワインの分だけ金置いて帰っていいか?」
「なに馬鹿なことを言ってる。今夜は私の奢りだから気にしなくていい」
「いや、気にするだろ。串焼き奢ってもらうのとはわけが違うぞ。いくらふてぶてしい俺でも、さすがに遠慮するっての」
「ここまで来てそんなつまらないことを言うな。私に恥をかかせる気か?」
 笑っていない笑顔でそう言われては、ルークは大人しく従うしかなかった。
「はあ……。すげー借りを作った気分だ」
「気にしなくていいと言っている。ほら、料理がきたぞ」
 こうなったら開き直り、人生初のコース料理を堪能しようと思うルークだったが、すぐに表情を曇らせることになった。なぜなら、出てくる料理がさっぱり馴染みのないものばかりだったからだ。ルークに理解できたのはサラダだのスープだのといった大雑把なことだけで、今食べているものがなんという名前の料理なのかはまったく分からなかった。それを食事中の会話の種にしながら、時間は過ぎていった。
 よく分からないが美味い料理軍団を平らげ、計三本のボトルを空にしたところで今夜の食事は終わりとなった。もうじき冬になるせいか、店の外に出ると少し寒い。
 ルークが小さく身を震わせていると、後から出てきたミラも似たような感想を口にした。
「ふむ。酒を飲んだせいか、少し冷えるな」
「隊長の場合、それだけじゃないだろ」
 ドレスの姿のミラは胸から上が絶賛露出中だ。この格好で寒くないわけがない。
「だ、だから! この格好はあくまで見合い用で、私の趣味ではないと!」
「はいはい、わかってるって。それより隊長、今夜はご馳走さん。とりあえず、美味かったぞ」
「む、そうか。まあ、お前が満足できたならいいが」
「料理には大満足だと言っていい。だからこそ、奢られっぱなしはどうしても納得がいかねぇ」
「気にしなくていいと言っただろう」
「生憎と、俺が正直に納得するとは思ってないよな」
 ミラの顔に苦笑が浮かび、次いでため息が漏れた。
「ではどうする? 割り勘にでもするつもりか?」
「いーや、今夜は奢られとく。だから、今度一回だけ隊長の言うことなんでもきいてやるよ。どうやら、隊長の面倒事と高級料理一回分は釣り合うらしいからな。それでどうだ?」
 本当なら具体的にこうしてやると言えれば一番いいのだろうが、生憎とルークはミラの喜びそうなことを少しも把握していない。よって、ミラの望むことに付き合い、貸し借りを清算しようと考えたのだ。
「ふむ……」
 ルークの提案に、ミラは腕を組んで視線を逸らした。どうやらきちんと検討してくれているらしい。それはいいのだが、腕を組んだせいで立派な胸が押し上げられ、その存在を強調している。男の悲しい性で、どうしても目がそこに吸い寄せられてしまうが、あまり見ているとそろそろ鉄拳が飛んできかねない。
 ルークが理性を総動員してミラの胸から目を逸らしていると、しばらくして声がかかった。
「その言葉、嘘はないな?」
 妙に真剣な声だったので、ルークもきちんと顔を向けて答えた。
「ああ。限度はあるが、俺にできることならなんでもきいてやる」
 ミラはじっとルークを見つめていたが、やがてふっと表情を緩めた。
「わかった、それで手を打とう」
「んじゃ、約束な。俺はこれで帰るが、隊長はどうすんだ?」
「少し行ったところに馬車を待機させてあるからな。それで帰ることになる」
「馬車まで送ってくか?」
 ミラも一応女である。夜に一人歩かせるのは若干の不安がないでもない。だが、ミラは笑顔でその申し出を断った。
「いや、いい。気持ちはありがたいがな。見合いをすっぽかして男に馬車まで送ってもらったら、余計に面倒なことになるだけだ」
 確かにそれはそうかもしれない。仮に、そのことがミラの父親に知られた場合、本気でルークが暗殺されかねない。
「確かにそれもそうだな。わかった、ここで別れるとするか。んじゃ、隊長、今日はご馳走さん。また明日な」
「ああ。気をつけて帰れよ」
 そう挨拶を交わし、店の前で別れた。ミラは軽い足取りでルークとは別方向に去っていく。なんとなくご機嫌なようだが、いいことでもあったのだろうか。
「まさか、コース料理を奢ってもらうからとかじゃないだろうな……」
 仮にそうだった場合、ルークの財布は一足早く冬を迎えることになるかもしれない。
「やべーな。隊長がその気だったらどうすっかな……」
 遠ざかっていくミラの後ろ姿を眺めながら、貯金はどれくらいあったかと、検討違いのことを考えるルークだった。
14/05/02 22:01更新 / エンプティ
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■作者メッセージ
ミーネの日記
頑張って告白しようとしたけど、上手くいかなかった……。
小説みたいにさらりと言えば恥ずかしくないと思ったけど、やっぱり無理だよ……。
それだけじゃなくて、ルークが会いに来てくれることができなくなるみたい。もしそうなったらまた一人ぼっちは耐えられないかも……。
わたしと恋人だったら、忙しくても会いに来てくれるのかな?
ルークもわたしのこと好きだったらいいのに……。


お久しぶりです。エンプティです。
今回はミーネが頑張ったりルークの状況が変わっていったりといった部分を書きましたが、いかがだったでしょうか。
予定では残りは数話となっていますので、最後までお付き合いいただければ幸いです。
それでは、また次回でお会いしましょう。
最後に、お風呂に一緒に入ると思った人は正直に白状して下さいね。

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