苦労の絶えない日
自分のくしゃみでルークは目が覚めた。
背中がひんやりするのは床に寝ていたせいだろう。カーペットこそ敷いてはあるが、季節は秋。何もかけずに寝るにはいささか時期が悪い。
「そういや、自分の部屋じゃないんだったな……」
見知らぬ天井から目を離し、ルークは体を起こしてある方向を見た。その先にあるのは一つのベッド。そこには、ルークがここに泊まることになった原因である娘が無防備に眠っている。頭に狐の耳があるので、人化の術とやらは解けたらしい。
それを確認すると、今度は壁に付けられた古い時計に目をやる。騎士団は毎日朝礼を行なう決まりだ。その朝礼まで一時間もない。朝礼に出るのは強制なので、ルークは穏やかに眠る狐を起こしにかかった。
「おいミーネ、起きろ」
軽く揺すると、ミーネの目がうっすらと開いた。青い瞳がルークに向く。
「あれ、ルーク……？」
眠たげな声を出すミーネだったが、次の瞬間目がぱちっと開き、がばっと起き上がった。
「きゃああああっ！ なんで当たり前のようにわたしの部屋にいるの！？」
昨夜酔い潰れた狐娘様は毛布で体を隠すように覆いつつ、寝惚けたことをのたまった。
「よく見ろバカ狐。ここがお前の部屋に見えるか？」
「え……？」
きょとんとしつつ、ミーネの顔がくるりと部屋を見回す。
「えっと、ここ、どこ……？」
「町の宿だよ。どっかの誰かさんが昨夜酔い潰れてくれたおかげでな」
「酔い潰れた……？ ……あっ！ そういえば、お酒飲んだ後のこと覚えてないかも！」
ハッとした表情で、ミーネは至極当然のことを口走った。
「それを酔い潰れたって言うんだこのバカ！ おかげで俺はお前をおぶってここまで連れてきた挙句、床で寝る羽目になったんだよ！」
「え、おぶって……？」
「ああ、そうだ。なかなかに重かったぞ」
実際は大して重くもなかったが、わざと意地悪なことを言ってやると、ミーネは複雑そうな顔でむくれた。
「そ、そんなに太ってないもん……」
そして口元を毛布で覆いつつ「おんぶ、なんで覚えてないんだろ……」と小声で呟いた。
「まあ、体重の話はどうでもいい。それより、俺はもうすぐ仕事の時間だから行くぞ。昼には迎えに来てやるから、それまで大人しく待ってろ。朝飯は今から持ってきてやる」
それだけ言って扉に向かおうとしたところで名前を呼ばれた。
「ル、ルークっ。待って」
「なんだよ」
振り向くと、なぜか頬を少し赤くしたミーネがこちらを見ていた。
「えっと、その、ねっ……」
「だから、なんだよ？」
少し苛立ちを込めた声で聞き返すと、ミーネはぐっと何かを堪えるような顔になり、そして言った。
「その、おんぶしてほしいなぁって……」
「は？」
さっぱり意味が分からない。起きているようで、頭は夢の世界をさまよっているのだろうか。
「えっと、ルークは重いって言ったけど、わたしは太っていませんっ。わたしもおんぶしてもらったこと覚えてないし、それを証明するためにもう一度おんぶしてほしいと思いますっ！」
要点をまとめると、太ってないと言いたいらしい。
「あー、分かった分かった。お前は太ってない。それを認める。よし、朝飯を取りに行くか」
朝からミーネに付き合っている暇はないので、棒読みで適当に流すと部屋から出た。
「え……。おんぶは？」
「知らん」
それだけ言うと、ルークはさっさと扉を閉めたのだった。
「おいルーク、昨夜は帰ってこなかったが、どうしたんだ？」
朝礼が終わり、ぞろぞろと騎士団本部を歩くなか、隣りのキースがそう聞いてきた。キースとは相部屋なので、ルークが帰ってこなかったことは当然知っているのだ。
「あー、ちょっと面倒な事情があってな。宿に泊まる羽目になったんだよ」
「へぇ、宿にね。ルークにもつい女ができたか」
からかい半分に言ってくるが、女という点は当たっているから困る。厳密には違うが、それを言えばからかいの種を提供することになるので、 ルークはさらっと流す。
「んなわけないだろ。ちょっと面倒なことがあったってだけだ」
「面倒ねぇ。ま、そういうことにしておいてやるよ。お前が面倒事に首突っ込むのはいつものことだしな」
「そういうこった」
肩をすくめていつもの担当区域へと向かおうとする。しかし、すぐ目の前を歩いていた同僚が唐突に足を止めたので、ルークは危うくぶつかりそうになった。
「おっと。急に止まるなって」
しかし、ルークの抗議の声は無視された。それ以前に、目の前の同僚はルークの方など見向きもしていない。その視線は騎士団本部と町とを繋ぐ唯一の入り口に向けられていた。
訝しんでルークも視線を向ける。そして体が瞬時に硬直した。
そこにいたのは、どう見ても場違いな若い娘。いかにも人を待っていますといった感じに佇んでいるそいつは、ルークの知っているでかい狐だ。瞬時に嫌な予感が走る。
その容姿に騙されたのか、それとも困っている感じだったからか、先頭を歩いていた騎士の一人が声をかけた。
「騎士団本部に何かご用ですか？」
「あ、えっと、ルーク……いますか……？」
おずおずと申し出た言葉はその場にいた者全員に聞こえたらしい。同僚達の視線が強烈な勢いで集中する。
その視線にはミーネも早々に気づき、ルークを発見した途端に笑顔になった。他の騎士達の視線などお構いなしにルークの前までやってくると、さっそく無自覚な精神攻撃を繰り出してきた。
「えへへ。来ちゃった」
本人は悪戯っぽく笑っているが、ルークはまったく笑えない。何が来ちゃったなのだろう。犬でも待てはできるというのに、狐はできないのだろうか。
加えて、職場にいかにも知り合いですよっといった感じで押しかけられ、しかもそれを多くの同僚に目撃されるという事態になり、ルークは何を言えばいいのかわからない。
微妙な沈黙を破ったのはキースだった。
「あー、ルーク。そのお嬢さんは誰だ？」
間違いなくこの場にいる全員が聞きたいであろう言葉に、ルークに集まる視線に更に力がこもる。
「とりあえず、お前らが思っている関係ではない。そうだよな？」
この面倒な事態を引き起こしてくれたミーネへ顔を向けて丸投げする。お前が説明しろよというルークの意思表示だ。
ところが、肝心のミーネは「え」と呟き、途端に困り顔になった。ルークとしては、「え」じゃねえよと叫びたいくらいだ。
「だそうですが、真相は？」
キースが爽やかな笑みを向けると、ミーネは露骨に視線をきょろきょろさせる。その際にルークと目が合い、こういう事態の時にどう説明すればいいか思い出したらしい。こくりと頷いてみせた。
これで大丈夫だとルークがこっそりため息をつくなか、ミーネは言い放った。
「えっと、ルークはわたしのご主人様です♪」
なぜか胸を張って得意げに言った言葉は、この場にいる者全員を残らず凍りつかせた。
「なん……だと……」
「美女と山賊……？」
「あんな可愛い子のご主人様とか、羨ましすぎる……」
「は……？」
「え……既にそういう関係ってことか……？」
誰もが呆然とするなか、真っ先に動いたのはルークだ。不意打ちのとんでもない発言に頭は完全に機能を停止しているので、体が勝手に動き、ミーネの肩を掴んだ。
「待て待て待て！ その言葉はどこからひねり出したんだ！？ 俺に恨みでもあんのかよ！？ それとも今朝おんぶしなかったこと怒ってんのか！？ だったら俺が悪かったよ！ 謝るから、この状況をどうにかしろ！」
「あ、あれ？ わたし、何か変なこと言った……？」
「変なことしか言ってねーよ！ 大体、どこでどう思ったらあんな発言をしようって考えになるんだ！ 頭でも打ったのか！？」
「えっと、『男の人を喜ばせる百の方法』って本にそう書いてあったの思い出したから、言ってみたんだけど……」
「男を困らせる百の方法の間違いだろ！」
おかげで、ルークには収拾がつかない事態になっている。そんななか、キースが一つ咳払いをした。
ミーネに任せたのが間違いだったと痛感していたルークは、最後に頼れるのは友かとガラにもなくキースを見た。頼む、この状況をなんとかしてくれと目で訴えながら。
「あー、ルーク。他人の性癖に口出しするつもりはないが、人前でご主人様と呼ばせるのはちょっとどうかと思うぞ？」
まさかの追い討ちだった。
「だから違う！」
その場で説明すること三十分、ようやくミーネの発言や関係についての説明を終えたルークはものすごい疲労を感じながら町を歩いていた。隣りではキースとミーネが並んで歩いている。見回りにミーネがついてきたのだ。紳士な友人は見回りしつつ、ご丁寧にミーネにあれこれと説明してやってる。よくやるよと、ルークは呆れる思いだった。
そんなわけで、二人と一匹の見回りになったのだが、幸い何事もなく時間は過ぎていき、やがて昼になった。
三人がいるのは昨日ルークとミーネが買物をした露店通りの近くだ。食欲をそそるパンや焼き肉の匂いが今日も漂ってきている。そのせいで、ルークの腹が間抜けな音を立てた。
「そろそろ昼だな。一旦休憩にするか」
空腹の音を聞いたキースがくっくと笑い、目を露店に向ける。
「賛成。ま、俺は休憩じゃなくて、これで終わりだけどな」
「やれやれ。仕事が半日で終わりとは、羨ましい限りだな。さて、ミーネさんは露店の食べ物でいいですか？ お望みなら、俺達は料理店でも構いませんが」
「あ、大丈夫です。露店、昨日だけじゃ、全部見て回れなかったので」
「ほほーう」
感心したように頷き、次いでキースが楽しそうにルークを見てくる。
「なんだよ」
ルークが面倒そうな目を向けると、キースが顔を寄せてきて、小声で呟いた。
「いや、頼れるルーク殿はきちんとレディをエスコートしたみたいだと思ってな」
朝の騒動で、ルークとミーネの関係は昨日決めた通りのものとなっている。問題のご主人様発言に対しては、ミーネがちょっと裕福な家の使用人ということにしたのだが、キースはそれを茶化したいようだった。
「ああそうだよ。療養しなくちゃいけないのに、きちんと町の案内をした俺の真面目さを褒めてもらいたいね」
「なに言ってんだ。ミーネちゃんみたいな可愛い子と知り合った挙句、町案内までしたんだ。実はまんざらでもないだろ？」
「んなわけあるか。おかげで今朝の事件だ。昨日出会ったのが俺じゃなければよかったのにと後悔したね」
半分は本音だ。ミーネと出会ったこと自体はなんとも思ってないが、今朝のことは本当に勘弁してほしかった。
「あの、どうかしたんですか？」
男二人がこそこそと話し合っていたからか、ミーネが口を挟んできた。
「いいえ、ミーネさんに何を食べてもらおうか相談していたんですよ。ルークがお世話になったみたいですし、昼食はこちらでご馳走させていただきます」
人当たりのいい笑顔でキースが対応するなか、ルークは世話をしているのは俺だと声を大にして言いたい気分だった。
「え、でも、昨日もルークにご馳走になったので……」
「いえいえ、お気になさらず」
もう勝手にやってろと思い、ルークは近くの露店で厚い肉を挟んだパンを買おうと列の後ろに足を動かしかける。
「えっと、じゃあ、クリームの入ったパンを」
「ルーク、クリームパン」
「は？」
「あ、でも、からあげも捨てがたいかも……」
「お任せを。ルーク、からあげ追加だ！」
そこでようやくルークは口を挟んだ。
「ちょっと待て。気を引きたいのはお前だろ。なんで俺に振るんだ」
そう言った途端、キースの腕が肩に回され、ぐいっと顔を近づけてきた。
「おいおい、俺がミーネちゃんの気を引いてどうするんだ。お前がそんな素振りを見せないから、代わりに聞いてやってるんじゃないか」
「余計なお世話だ。大体、俺はそいつの気を引きたいなんて、これっぽっちも思ってないぞ」
ルークの首に回されたキースの腕に力がこもった。
「おいルーク、お前、目は大丈夫か？ ミーネちゃんをよく見てみろ。冗談みたいに可愛い子だぞ。しかも、お前に好意的だ。断言するが、こんな機会は一生に一度あるかないかの奇跡といっていい。ここでものにしなくてどうするんだ」
「だから、余計なお世話だ。それに、見かけが可愛いからといって、中身もそうとは限らないだろ」
なにせ、その正体は魔物なのだ。ミーネの普段の様子から察するに、感覚は人と大差ないようだが、それでもまだまだ分からないことだらけだ。
「とぼけるなよ。昨夜部屋に帰ってこなかったのだって、本当はミーネちゃんと一緒にいたからだろ？ 出会った当日に抱いておいて、可愛くないとは言わせないぞ」
唯一ルークが外泊したことを知っているキースはそんなことを言ってきた。そこには誤解も含まれているが、ミーネと一緒にいたことは確信している感じだ。
「抱いてねぇ！ いいか、お前には真実を教えておくけどな、俺が外泊する羽目になったのは、あいつが酔い潰れて、それを宿に運んだからだ！」
「なるほど。で、そのまま酔った勢いに任せて手籠めにしたと」
全部事実なのに、なおもキースは疑ってくる。
「そっちから頭を離せ！ 俺は別の部屋だ！ 寝ているあいつの体には一切触れてねぇよ！」
「腹を割って話そうぜルーク。親友じゃないか。お前が可愛がってやったから、ご主人様なんて呼ばれてるんだろ？」
本気で頭痛がしてきた。
「だから、力いっぱい違う！」
いい加減にしろとばかりに睨むと、キースはようやく離れてやれやれと肩をすくめた。
「わかったわかったよ、降参だ」
「あの、どうかしたんですか？」
男二人でごにょごにょとやっていたからか、ミーネが首を傾げていた。
「いえ、ミーネさんをどこに連れて行こうか話していたんですよ。いい店があることを思い出したので、露店の食べ物はまたの機会にということで。さ、こっちです」
瞬時に笑顔を浮かべ、キースは先導するように歩き始めた。それを目で眺めながら、ミーネはつつっとルークの横に並ぶ。そして耳打ちしてきた。
「何かあったの？」
「なんでもねーよ」
ミーネの吐息が耳にかかってくすぐったいし、甘いいい匂いはするしで、それに微妙に腹が立ったルークは素気ない返事をして歩き出した。
「あ、待ってよ！」
待つかバカと心の中で呟きつつ、ルークは早足でキースに並ぶ。
「で、どうすんだ？ どっかの食堂にすんのか？」
「女性にご馳走するのに食堂はないだろう。ミーネちゃんはそういうタイプじゃないしな」
「さすが騎士団有数の色男。女のことがよく分かってるこって。で、具体的にはどこに行くんだ？」
「西の通りを少し行ったところに『白鹿亭』って店がある。お手頃値段で味よし、雰囲気よしの隠れ名店だ。女性からも好評の店だし、あそこにしようと思う」
ルークのからかいは軽く流し、キースはすたすたと歩いていく。女性を連れていけるような店まで把握しているなど、本当に色男だとルークは半ば感心する。そこで、隣りのミーネを横目で見た。こうして歩いている分には、十分に見栄えする美人だ。露店なんかよりは料理店の方が似合っている。
「ねえルーク。白鹿亭ってことは、鹿さんのお肉があるのかな？」
前言撤回。ミーネはやはりミーネだった。
「お前、しゃべんなければいいのにな」
「えぇっ！？ なんで！？」
本当に残念な狐である。
白鹿亭は昼時ということもあって混雑していた。だが、酒場と違ってうるさいわけではなく、静かな賑やかさとでもいえばいいのだろうか。
そんな店内は綺麗なもので、なんとなく上品な雰囲気だ。女の感性などさっぱり分からないルークでも確かに女が好きそうだなと納得できる。店内を見て「わぁ……」と呟いたミーネの反応を見ても、その判断が間違いではないことは明らかだろう。ルークは少し場違いな気がしないでもなかったが。
初めてではないキースが守備よく四人用のテーブル席を確保し、席に着くとメニュー開いて品書きを吟味する。
「キース先生、お勧めは？」
メニューは取り立てて目新しいものもないので経験者に意見を求めると、キースは苦笑を浮かべた。
「悪い、俺もお勧めを言えるほど来たことがあるわけじゃないんだ。だが、食べた料理はどれも美味かったから、問題はないはずだ」
「だとさ。好きなの選べ」
ルークの隣りで興味深そうにメニューを覗き込むミーネにそう言ってやる。そして、キースは煮込みハンバーグ、ルークはビーフシチュー、ミーネはキノコのリゾットをそれぞれ注文した。
混雑しているだけあって、料理が出てくるまでに時間がかかったが、出てきた料理は待たされただけの価値はある味だった。
昼食は手早く済ませるのが習慣になっているルークとキースはすんなり食べ終わり、後はミーネを待つばかり。
「さてと。ミーネさん、すいませんが俺は先に失礼させてもらいます。午後からも仕事なので」
「あ、はい。料理、美味しかったです♪」
「それはよかった。機会があれば、またご馳走します。じゃあなルーク。きちんと家まで送って差し上げるように」
「へいへい、わーってるよ。んじゃ、お疲れさん。また夜な」
少し多めの代金を置くと、キースは去って行った。
「お前が食い終わったら、俺たちも行くか」
「うん」
こくりと頷き、ミーネは残りのリゾットを口に運んだ。
食事を終え、適当に買い物をすませ、ミーネを家まで送り届ける頃には日が沈み始めていた。
「んじゃ、またな」
「うん。また行こうね」
家の前で馬から降りたミーネは手を振ってみせた。その足元には買った物が置かれている。服はいいが、袋いっぱいのキノコはミーネが自分で食べるものだと思いたい。
「買い物はいいが、また酔い潰れるのは勘弁だぞ」
「もうお酒は飲まないもん」
失態だったとは思っているのか、ミーネはむーっと唸り、そっぽを向いた。
「そりゃ残念だ。男と一緒に酒を飲む女って、俺的にはけっこう評価高いんだがな」
「えっ、じゃ、じゃあ、飲むっ」
ものすごい早さの手のひら返しだった。
「あ？ 無理すんなよ。どうせまた酔うだけだろ」
「飲む」
やけに強気だ。実は負けず嫌いだったりするのだろうか。
「酒は人によって強い弱いあるし、意地張らなくたっていいだろ」
「だって、ルークに愛想尽かされたら怖いもん……」
急にしょげた感じで、上目遣いになったミーネがちらりと見てくる。そのせいで、心臓がどくりと跳ねた。
「……あ、あー、まあ、その、なんだ。そのうちにまた連れてってやるよ。それでいいだろ？」
「うん。約束だよ？」
安心したのか、ホッとしたように笑顔を浮かべるミーネ。もう見ていられず、ルークは視線を外した。
「分かったよ、約束だ。んじゃ、またな」
「うん。……その、またねっ」
照れ隠しなのか、ぶんぶん手を振り始めたミーネに見送られつつ、ルークは町への帰路についたのだった。
ミーネに振り回された二日間が終わり、ルークが自分の部屋へと帰ってくると、アルコールの香りが鼻孔をくすぐった。どうやらキースは一人で一杯やっていたらしい。
「おお、戻ったか。お疲れさん、お姫様はきちんと送り届けたんだろ？」
「ああ。それより、部屋で一人寂しく酒飲むなよ。俺も混ぜろ」
「喜んで、と言いたいところだが、それは無理だな。我らが隊長殿より、お前が帰ったら部屋に来るようにとの言伝を頼まれている」
グラスを用意しようとしていたルークはその言葉で振り向いた。
「あ？ 隊長が？ なんの用だよ？」
「さあな。しかし、お姫様といい、隊長といい、美人から引っ張りだこだな。色男は大変だろう。なあ、ルーク？」
にやにやと笑うキースは実に楽しげだ。昼にルークが同じことを言ったのを、根に持っているのかもしれない。
「その苦労はお前の方が分かってるだろ。ま、とりあえず行ってくる」
殴られてはたまらないので、肩をすくめ、ルークは自室を後にする。そして、足早に隊長室へと向かった。
「隊長、入るぞ？」
ノックすると「入れ」の返事が聞こえ、ルークが扉を開けて室内に入ると、ミラは正面の机で両手を組み合わせてこちらを見ていた。その目がやけに真剣だったので、自然と背筋が伸びる。
「キースから言われて来たんだが、何か用か？」
「用がなければこんな時間に呼び出したりはしない」
「じゃあ、さっさと話してくれると助かるな」
「言わなくても分かるだろう」
「俺がバカなのは知ってるよな。はっきり言ってくれないと誤解するぞ」
なんとなく想像はついているが、それでもルークはとぼけてみせた。
そんなルークにミラはため息をつき、剣呑な表情で見つめてくる。
「今朝のことについてだ。なんでも、見目麗しい女とただならぬ関係だと耳に挟んだが、そのことについて説明してもらおうか」
今度はルークがため息をつく番だった。
「隊長がどう聞いたかによって誤解の解き方が変わるんだが」
「噂はいつも尾ひれがつくものだ。私が耳にしたのはこれでもかと脚色されたものだろうから、信じてはいない。だから、当事者であるお前に真実を説明してもらいたい」
聞く耳は持ってくれるらしい。
噂について根掘り葉掘り聞かれるものと思っていたルークはホッとしながら、丁寧に事情を説明した。
「というわけだ」
「ふむ……」
最後まで黙って聞いていたミラは口元に手を当てると、視線を机に落とした。
「つまり、お前は助けたその娘を案内してやっただけで、妙な関係にはなっていないわけだな？」
「ああ」
げんなりしながら首肯すると、ミラの目がこちらに向いた。
「本当だな？」
「俺、そんなに信用ないか？」
「そういうわけではない。だが、仮にお前がどこぞの娘といかがわしい関係になっていると、私が、その……色々と困る」
そう言ったミラは複雑そうな表情で顔を逸らす。それで納得した。
「まあ、確かに部下が女遊びして妙な関係を作ってるなんてことになったら、隊長としては面倒だよな。だが安心しろ。俺、女にモテたことないからな」
「…………」
ルークの自虐的な発言に呆れたのか、ミラは何か言いたげに口を開いたが、言いかけてやめる。そのまま扉に視線をやり、手を払って行っていいと示した。
「もういいのか？」
「ああ」
許可が出たので、ルークはくるりと踵を返し、隊長室を後にする。その背中をミラが少し不安そうな目で見ていたことには、当然気づかなかった。
背中がひんやりするのは床に寝ていたせいだろう。カーペットこそ敷いてはあるが、季節は秋。何もかけずに寝るにはいささか時期が悪い。
「そういや、自分の部屋じゃないんだったな……」
見知らぬ天井から目を離し、ルークは体を起こしてある方向を見た。その先にあるのは一つのベッド。そこには、ルークがここに泊まることになった原因である娘が無防備に眠っている。頭に狐の耳があるので、人化の術とやらは解けたらしい。
それを確認すると、今度は壁に付けられた古い時計に目をやる。騎士団は毎日朝礼を行なう決まりだ。その朝礼まで一時間もない。朝礼に出るのは強制なので、ルークは穏やかに眠る狐を起こしにかかった。
「おいミーネ、起きろ」
軽く揺すると、ミーネの目がうっすらと開いた。青い瞳がルークに向く。
「あれ、ルーク……？」
眠たげな声を出すミーネだったが、次の瞬間目がぱちっと開き、がばっと起き上がった。
「きゃああああっ！ なんで当たり前のようにわたしの部屋にいるの！？」
昨夜酔い潰れた狐娘様は毛布で体を隠すように覆いつつ、寝惚けたことをのたまった。
「よく見ろバカ狐。ここがお前の部屋に見えるか？」
「え……？」
きょとんとしつつ、ミーネの顔がくるりと部屋を見回す。
「えっと、ここ、どこ……？」
「町の宿だよ。どっかの誰かさんが昨夜酔い潰れてくれたおかげでな」
「酔い潰れた……？ ……あっ！ そういえば、お酒飲んだ後のこと覚えてないかも！」
ハッとした表情で、ミーネは至極当然のことを口走った。
「それを酔い潰れたって言うんだこのバカ！ おかげで俺はお前をおぶってここまで連れてきた挙句、床で寝る羽目になったんだよ！」
「え、おぶって……？」
「ああ、そうだ。なかなかに重かったぞ」
実際は大して重くもなかったが、わざと意地悪なことを言ってやると、ミーネは複雑そうな顔でむくれた。
「そ、そんなに太ってないもん……」
そして口元を毛布で覆いつつ「おんぶ、なんで覚えてないんだろ……」と小声で呟いた。
「まあ、体重の話はどうでもいい。それより、俺はもうすぐ仕事の時間だから行くぞ。昼には迎えに来てやるから、それまで大人しく待ってろ。朝飯は今から持ってきてやる」
それだけ言って扉に向かおうとしたところで名前を呼ばれた。
「ル、ルークっ。待って」
「なんだよ」
振り向くと、なぜか頬を少し赤くしたミーネがこちらを見ていた。
「えっと、その、ねっ……」
「だから、なんだよ？」
少し苛立ちを込めた声で聞き返すと、ミーネはぐっと何かを堪えるような顔になり、そして言った。
「その、おんぶしてほしいなぁって……」
「は？」
さっぱり意味が分からない。起きているようで、頭は夢の世界をさまよっているのだろうか。
「えっと、ルークは重いって言ったけど、わたしは太っていませんっ。わたしもおんぶしてもらったこと覚えてないし、それを証明するためにもう一度おんぶしてほしいと思いますっ！」
要点をまとめると、太ってないと言いたいらしい。
「あー、分かった分かった。お前は太ってない。それを認める。よし、朝飯を取りに行くか」
朝からミーネに付き合っている暇はないので、棒読みで適当に流すと部屋から出た。
「え……。おんぶは？」
「知らん」
それだけ言うと、ルークはさっさと扉を閉めたのだった。
「おいルーク、昨夜は帰ってこなかったが、どうしたんだ？」
朝礼が終わり、ぞろぞろと騎士団本部を歩くなか、隣りのキースがそう聞いてきた。キースとは相部屋なので、ルークが帰ってこなかったことは当然知っているのだ。
「あー、ちょっと面倒な事情があってな。宿に泊まる羽目になったんだよ」
「へぇ、宿にね。ルークにもつい女ができたか」
からかい半分に言ってくるが、女という点は当たっているから困る。厳密には違うが、それを言えばからかいの種を提供することになるので、 ルークはさらっと流す。
「んなわけないだろ。ちょっと面倒なことがあったってだけだ」
「面倒ねぇ。ま、そういうことにしておいてやるよ。お前が面倒事に首突っ込むのはいつものことだしな」
「そういうこった」
肩をすくめていつもの担当区域へと向かおうとする。しかし、すぐ目の前を歩いていた同僚が唐突に足を止めたので、ルークは危うくぶつかりそうになった。
「おっと。急に止まるなって」
しかし、ルークの抗議の声は無視された。それ以前に、目の前の同僚はルークの方など見向きもしていない。その視線は騎士団本部と町とを繋ぐ唯一の入り口に向けられていた。
訝しんでルークも視線を向ける。そして体が瞬時に硬直した。
そこにいたのは、どう見ても場違いな若い娘。いかにも人を待っていますといった感じに佇んでいるそいつは、ルークの知っているでかい狐だ。瞬時に嫌な予感が走る。
その容姿に騙されたのか、それとも困っている感じだったからか、先頭を歩いていた騎士の一人が声をかけた。
「騎士団本部に何かご用ですか？」
「あ、えっと、ルーク……いますか……？」
おずおずと申し出た言葉はその場にいた者全員に聞こえたらしい。同僚達の視線が強烈な勢いで集中する。
その視線にはミーネも早々に気づき、ルークを発見した途端に笑顔になった。他の騎士達の視線などお構いなしにルークの前までやってくると、さっそく無自覚な精神攻撃を繰り出してきた。
「えへへ。来ちゃった」
本人は悪戯っぽく笑っているが、ルークはまったく笑えない。何が来ちゃったなのだろう。犬でも待てはできるというのに、狐はできないのだろうか。
加えて、職場にいかにも知り合いですよっといった感じで押しかけられ、しかもそれを多くの同僚に目撃されるという事態になり、ルークは何を言えばいいのかわからない。
微妙な沈黙を破ったのはキースだった。
「あー、ルーク。そのお嬢さんは誰だ？」
間違いなくこの場にいる全員が聞きたいであろう言葉に、ルークに集まる視線に更に力がこもる。
「とりあえず、お前らが思っている関係ではない。そうだよな？」
この面倒な事態を引き起こしてくれたミーネへ顔を向けて丸投げする。お前が説明しろよというルークの意思表示だ。
ところが、肝心のミーネは「え」と呟き、途端に困り顔になった。ルークとしては、「え」じゃねえよと叫びたいくらいだ。
「だそうですが、真相は？」
キースが爽やかな笑みを向けると、ミーネは露骨に視線をきょろきょろさせる。その際にルークと目が合い、こういう事態の時にどう説明すればいいか思い出したらしい。こくりと頷いてみせた。
これで大丈夫だとルークがこっそりため息をつくなか、ミーネは言い放った。
「えっと、ルークはわたしのご主人様です♪」
なぜか胸を張って得意げに言った言葉は、この場にいる者全員を残らず凍りつかせた。
「なん……だと……」
「美女と山賊……？」
「あんな可愛い子のご主人様とか、羨ましすぎる……」
「は……？」
「え……既にそういう関係ってことか……？」
誰もが呆然とするなか、真っ先に動いたのはルークだ。不意打ちのとんでもない発言に頭は完全に機能を停止しているので、体が勝手に動き、ミーネの肩を掴んだ。
「待て待て待て！ その言葉はどこからひねり出したんだ！？ 俺に恨みでもあんのかよ！？ それとも今朝おんぶしなかったこと怒ってんのか！？ だったら俺が悪かったよ！ 謝るから、この状況をどうにかしろ！」
「あ、あれ？ わたし、何か変なこと言った……？」
「変なことしか言ってねーよ！ 大体、どこでどう思ったらあんな発言をしようって考えになるんだ！ 頭でも打ったのか！？」
「えっと、『男の人を喜ばせる百の方法』って本にそう書いてあったの思い出したから、言ってみたんだけど……」
「男を困らせる百の方法の間違いだろ！」
おかげで、ルークには収拾がつかない事態になっている。そんななか、キースが一つ咳払いをした。
ミーネに任せたのが間違いだったと痛感していたルークは、最後に頼れるのは友かとガラにもなくキースを見た。頼む、この状況をなんとかしてくれと目で訴えながら。
「あー、ルーク。他人の性癖に口出しするつもりはないが、人前でご主人様と呼ばせるのはちょっとどうかと思うぞ？」
まさかの追い討ちだった。
「だから違う！」
その場で説明すること三十分、ようやくミーネの発言や関係についての説明を終えたルークはものすごい疲労を感じながら町を歩いていた。隣りではキースとミーネが並んで歩いている。見回りにミーネがついてきたのだ。紳士な友人は見回りしつつ、ご丁寧にミーネにあれこれと説明してやってる。よくやるよと、ルークは呆れる思いだった。
そんなわけで、二人と一匹の見回りになったのだが、幸い何事もなく時間は過ぎていき、やがて昼になった。
三人がいるのは昨日ルークとミーネが買物をした露店通りの近くだ。食欲をそそるパンや焼き肉の匂いが今日も漂ってきている。そのせいで、ルークの腹が間抜けな音を立てた。
「そろそろ昼だな。一旦休憩にするか」
空腹の音を聞いたキースがくっくと笑い、目を露店に向ける。
「賛成。ま、俺は休憩じゃなくて、これで終わりだけどな」
「やれやれ。仕事が半日で終わりとは、羨ましい限りだな。さて、ミーネさんは露店の食べ物でいいですか？ お望みなら、俺達は料理店でも構いませんが」
「あ、大丈夫です。露店、昨日だけじゃ、全部見て回れなかったので」
「ほほーう」
感心したように頷き、次いでキースが楽しそうにルークを見てくる。
「なんだよ」
ルークが面倒そうな目を向けると、キースが顔を寄せてきて、小声で呟いた。
「いや、頼れるルーク殿はきちんとレディをエスコートしたみたいだと思ってな」
朝の騒動で、ルークとミーネの関係は昨日決めた通りのものとなっている。問題のご主人様発言に対しては、ミーネがちょっと裕福な家の使用人ということにしたのだが、キースはそれを茶化したいようだった。
「ああそうだよ。療養しなくちゃいけないのに、きちんと町の案内をした俺の真面目さを褒めてもらいたいね」
「なに言ってんだ。ミーネちゃんみたいな可愛い子と知り合った挙句、町案内までしたんだ。実はまんざらでもないだろ？」
「んなわけあるか。おかげで今朝の事件だ。昨日出会ったのが俺じゃなければよかったのにと後悔したね」
半分は本音だ。ミーネと出会ったこと自体はなんとも思ってないが、今朝のことは本当に勘弁してほしかった。
「あの、どうかしたんですか？」
男二人がこそこそと話し合っていたからか、ミーネが口を挟んできた。
「いいえ、ミーネさんに何を食べてもらおうか相談していたんですよ。ルークがお世話になったみたいですし、昼食はこちらでご馳走させていただきます」
人当たりのいい笑顔でキースが対応するなか、ルークは世話をしているのは俺だと声を大にして言いたい気分だった。
「え、でも、昨日もルークにご馳走になったので……」
「いえいえ、お気になさらず」
もう勝手にやってろと思い、ルークは近くの露店で厚い肉を挟んだパンを買おうと列の後ろに足を動かしかける。
「えっと、じゃあ、クリームの入ったパンを」
「ルーク、クリームパン」
「は？」
「あ、でも、からあげも捨てがたいかも……」
「お任せを。ルーク、からあげ追加だ！」
そこでようやくルークは口を挟んだ。
「ちょっと待て。気を引きたいのはお前だろ。なんで俺に振るんだ」
そう言った途端、キースの腕が肩に回され、ぐいっと顔を近づけてきた。
「おいおい、俺がミーネちゃんの気を引いてどうするんだ。お前がそんな素振りを見せないから、代わりに聞いてやってるんじゃないか」
「余計なお世話だ。大体、俺はそいつの気を引きたいなんて、これっぽっちも思ってないぞ」
ルークの首に回されたキースの腕に力がこもった。
「おいルーク、お前、目は大丈夫か？ ミーネちゃんをよく見てみろ。冗談みたいに可愛い子だぞ。しかも、お前に好意的だ。断言するが、こんな機会は一生に一度あるかないかの奇跡といっていい。ここでものにしなくてどうするんだ」
「だから、余計なお世話だ。それに、見かけが可愛いからといって、中身もそうとは限らないだろ」
なにせ、その正体は魔物なのだ。ミーネの普段の様子から察するに、感覚は人と大差ないようだが、それでもまだまだ分からないことだらけだ。
「とぼけるなよ。昨夜部屋に帰ってこなかったのだって、本当はミーネちゃんと一緒にいたからだろ？ 出会った当日に抱いておいて、可愛くないとは言わせないぞ」
唯一ルークが外泊したことを知っているキースはそんなことを言ってきた。そこには誤解も含まれているが、ミーネと一緒にいたことは確信している感じだ。
「抱いてねぇ！ いいか、お前には真実を教えておくけどな、俺が外泊する羽目になったのは、あいつが酔い潰れて、それを宿に運んだからだ！」
「なるほど。で、そのまま酔った勢いに任せて手籠めにしたと」
全部事実なのに、なおもキースは疑ってくる。
「そっちから頭を離せ！ 俺は別の部屋だ！ 寝ているあいつの体には一切触れてねぇよ！」
「腹を割って話そうぜルーク。親友じゃないか。お前が可愛がってやったから、ご主人様なんて呼ばれてるんだろ？」
本気で頭痛がしてきた。
「だから、力いっぱい違う！」
いい加減にしろとばかりに睨むと、キースはようやく離れてやれやれと肩をすくめた。
「わかったわかったよ、降参だ」
「あの、どうかしたんですか？」
男二人でごにょごにょとやっていたからか、ミーネが首を傾げていた。
「いえ、ミーネさんをどこに連れて行こうか話していたんですよ。いい店があることを思い出したので、露店の食べ物はまたの機会にということで。さ、こっちです」
瞬時に笑顔を浮かべ、キースは先導するように歩き始めた。それを目で眺めながら、ミーネはつつっとルークの横に並ぶ。そして耳打ちしてきた。
「何かあったの？」
「なんでもねーよ」
ミーネの吐息が耳にかかってくすぐったいし、甘いいい匂いはするしで、それに微妙に腹が立ったルークは素気ない返事をして歩き出した。
「あ、待ってよ！」
待つかバカと心の中で呟きつつ、ルークは早足でキースに並ぶ。
「で、どうすんだ？ どっかの食堂にすんのか？」
「女性にご馳走するのに食堂はないだろう。ミーネちゃんはそういうタイプじゃないしな」
「さすが騎士団有数の色男。女のことがよく分かってるこって。で、具体的にはどこに行くんだ？」
「西の通りを少し行ったところに『白鹿亭』って店がある。お手頃値段で味よし、雰囲気よしの隠れ名店だ。女性からも好評の店だし、あそこにしようと思う」
ルークのからかいは軽く流し、キースはすたすたと歩いていく。女性を連れていけるような店まで把握しているなど、本当に色男だとルークは半ば感心する。そこで、隣りのミーネを横目で見た。こうして歩いている分には、十分に見栄えする美人だ。露店なんかよりは料理店の方が似合っている。
「ねえルーク。白鹿亭ってことは、鹿さんのお肉があるのかな？」
前言撤回。ミーネはやはりミーネだった。
「お前、しゃべんなければいいのにな」
「えぇっ！？ なんで！？」
本当に残念な狐である。
白鹿亭は昼時ということもあって混雑していた。だが、酒場と違ってうるさいわけではなく、静かな賑やかさとでもいえばいいのだろうか。
そんな店内は綺麗なもので、なんとなく上品な雰囲気だ。女の感性などさっぱり分からないルークでも確かに女が好きそうだなと納得できる。店内を見て「わぁ……」と呟いたミーネの反応を見ても、その判断が間違いではないことは明らかだろう。ルークは少し場違いな気がしないでもなかったが。
初めてではないキースが守備よく四人用のテーブル席を確保し、席に着くとメニュー開いて品書きを吟味する。
「キース先生、お勧めは？」
メニューは取り立てて目新しいものもないので経験者に意見を求めると、キースは苦笑を浮かべた。
「悪い、俺もお勧めを言えるほど来たことがあるわけじゃないんだ。だが、食べた料理はどれも美味かったから、問題はないはずだ」
「だとさ。好きなの選べ」
ルークの隣りで興味深そうにメニューを覗き込むミーネにそう言ってやる。そして、キースは煮込みハンバーグ、ルークはビーフシチュー、ミーネはキノコのリゾットをそれぞれ注文した。
混雑しているだけあって、料理が出てくるまでに時間がかかったが、出てきた料理は待たされただけの価値はある味だった。
昼食は手早く済ませるのが習慣になっているルークとキースはすんなり食べ終わり、後はミーネを待つばかり。
「さてと。ミーネさん、すいませんが俺は先に失礼させてもらいます。午後からも仕事なので」
「あ、はい。料理、美味しかったです♪」
「それはよかった。機会があれば、またご馳走します。じゃあなルーク。きちんと家まで送って差し上げるように」
「へいへい、わーってるよ。んじゃ、お疲れさん。また夜な」
少し多めの代金を置くと、キースは去って行った。
「お前が食い終わったら、俺たちも行くか」
「うん」
こくりと頷き、ミーネは残りのリゾットを口に運んだ。
食事を終え、適当に買い物をすませ、ミーネを家まで送り届ける頃には日が沈み始めていた。
「んじゃ、またな」
「うん。また行こうね」
家の前で馬から降りたミーネは手を振ってみせた。その足元には買った物が置かれている。服はいいが、袋いっぱいのキノコはミーネが自分で食べるものだと思いたい。
「買い物はいいが、また酔い潰れるのは勘弁だぞ」
「もうお酒は飲まないもん」
失態だったとは思っているのか、ミーネはむーっと唸り、そっぽを向いた。
「そりゃ残念だ。男と一緒に酒を飲む女って、俺的にはけっこう評価高いんだがな」
「えっ、じゃ、じゃあ、飲むっ」
ものすごい早さの手のひら返しだった。
「あ？ 無理すんなよ。どうせまた酔うだけだろ」
「飲む」
やけに強気だ。実は負けず嫌いだったりするのだろうか。
「酒は人によって強い弱いあるし、意地張らなくたっていいだろ」
「だって、ルークに愛想尽かされたら怖いもん……」
急にしょげた感じで、上目遣いになったミーネがちらりと見てくる。そのせいで、心臓がどくりと跳ねた。
「……あ、あー、まあ、その、なんだ。そのうちにまた連れてってやるよ。それでいいだろ？」
「うん。約束だよ？」
安心したのか、ホッとしたように笑顔を浮かべるミーネ。もう見ていられず、ルークは視線を外した。
「分かったよ、約束だ。んじゃ、またな」
「うん。……その、またねっ」
照れ隠しなのか、ぶんぶん手を振り始めたミーネに見送られつつ、ルークは町への帰路についたのだった。
ミーネに振り回された二日間が終わり、ルークが自分の部屋へと帰ってくると、アルコールの香りが鼻孔をくすぐった。どうやらキースは一人で一杯やっていたらしい。
「おお、戻ったか。お疲れさん、お姫様はきちんと送り届けたんだろ？」
「ああ。それより、部屋で一人寂しく酒飲むなよ。俺も混ぜろ」
「喜んで、と言いたいところだが、それは無理だな。我らが隊長殿より、お前が帰ったら部屋に来るようにとの言伝を頼まれている」
グラスを用意しようとしていたルークはその言葉で振り向いた。
「あ？ 隊長が？ なんの用だよ？」
「さあな。しかし、お姫様といい、隊長といい、美人から引っ張りだこだな。色男は大変だろう。なあ、ルーク？」
にやにやと笑うキースは実に楽しげだ。昼にルークが同じことを言ったのを、根に持っているのかもしれない。
「その苦労はお前の方が分かってるだろ。ま、とりあえず行ってくる」
殴られてはたまらないので、肩をすくめ、ルークは自室を後にする。そして、足早に隊長室へと向かった。
「隊長、入るぞ？」
ノックすると「入れ」の返事が聞こえ、ルークが扉を開けて室内に入ると、ミラは正面の机で両手を組み合わせてこちらを見ていた。その目がやけに真剣だったので、自然と背筋が伸びる。
「キースから言われて来たんだが、何か用か？」
「用がなければこんな時間に呼び出したりはしない」
「じゃあ、さっさと話してくれると助かるな」
「言わなくても分かるだろう」
「俺がバカなのは知ってるよな。はっきり言ってくれないと誤解するぞ」
なんとなく想像はついているが、それでもルークはとぼけてみせた。
そんなルークにミラはため息をつき、剣呑な表情で見つめてくる。
「今朝のことについてだ。なんでも、見目麗しい女とただならぬ関係だと耳に挟んだが、そのことについて説明してもらおうか」
今度はルークがため息をつく番だった。
「隊長がどう聞いたかによって誤解の解き方が変わるんだが」
「噂はいつも尾ひれがつくものだ。私が耳にしたのはこれでもかと脚色されたものだろうから、信じてはいない。だから、当事者であるお前に真実を説明してもらいたい」
聞く耳は持ってくれるらしい。
噂について根掘り葉掘り聞かれるものと思っていたルークはホッとしながら、丁寧に事情を説明した。
「というわけだ」
「ふむ……」
最後まで黙って聞いていたミラは口元に手を当てると、視線を机に落とした。
「つまり、お前は助けたその娘を案内してやっただけで、妙な関係にはなっていないわけだな？」
「ああ」
げんなりしながら首肯すると、ミラの目がこちらに向いた。
「本当だな？」
「俺、そんなに信用ないか？」
「そういうわけではない。だが、仮にお前がどこぞの娘といかがわしい関係になっていると、私が、その……色々と困る」
そう言ったミラは複雑そうな表情で顔を逸らす。それで納得した。
「まあ、確かに部下が女遊びして妙な関係を作ってるなんてことになったら、隊長としては面倒だよな。だが安心しろ。俺、女にモテたことないからな」
「…………」
ルークの自虐的な発言に呆れたのか、ミラは何か言いたげに口を開いたが、言いかけてやめる。そのまま扉に視線をやり、手を払って行っていいと示した。
「もういいのか？」
「ああ」
許可が出たので、ルークはくるりと踵を返し、隊長室を後にする。その背中をミラが少し不安そうな目で見ていたことには、当然気づかなかった。
13/08/05 23:30更新 / エンプティ
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