連載小説
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なっちゃったものは仕方ない
 馬を飛ばしてなんとか朝礼の前に騎士団本部へ辿り着くと、同僚達から死人を見る目で見られた。それらを軽く無視して直属の隊長室へ向かい、事情を説明しようとしたルークへの隊長の最初の言動は、まさかの鉄拳制裁だった。
「いっ!」
 あまりの痛さに、思わず頭を押さえてうずくまる。そんなルークを見下ろし、隊長のミラは溜め息をついた。
「まったく、お前は何度言えば分かる。無茶な真似はするなと、私はいつも言っているはずだぞ?」
「隊長こそ、何度言えば分かんだよ。無理、無茶、無謀の無い無い三拍子は俺の専売特許だぞ」
 直後、再びミラの鉄拳が炸裂した。
「あだっ!」
「得意げに言うな! それに、目上の者には敬語を使えと何度言えば分かる!」
 二発目の鉄拳によって、ルークは軽く眩暈がした。
 女であるミラのどこにそんな力があるのかと疑いたくなるくらいに痛い。これ以上殴られると頭の形が変わるか、記憶が飛ぶかしそうなので、ルークはなるべく控えめに抗議する。
「そうは言うけどな。隊長だって、今更俺が敬語なんか使うことを期待してないだろ?」
「そうだな。お前が私に敬語など使ったら、明日は剣の雨が降ると思っている」
 実のところ、ミラには隊長という肩書きを除いても敬語を使わなければならない。彼女は、この国では有力な貴族の一人娘なのだ。つまるところ、お嬢様というやつである。
 それがなぜ騎士団などというむさ苦しいところにいるかというと、本人曰く、政治の道具にされるのが嫌だったからだそうだ。
 よって若いうちから剣を学び、貴族の権力という後ろ盾も使わず騎士団に入団、実力だけで隊長の地位に昇りつめた努力の人だ。
 男所帯の騎士団に所属しているだけあって手が出るのは早いが面倒見は良く、貴族ならではの恵まれた容姿もあって、実は隠れファンも多い。
 そんなミラだが、『兜割』というおよそ女らしくない二つ名も持っている。これは文字通り兜を割るという意味でつけられたのだが、拳で兜を割りかねないという意味でつけられたものだ。
 実際に何度もその鉄拳を頂戴したことのあるルークから言わせると、本気でできかねない。ミラの鉄拳はそれくらい痛い。正直、剣より素手で戦った方が強いとさえ思っている。
 彼女は規則違反をした者にその鉄拳を振るう確率が高いので、ミラの隊に所属する者は大抵一度はその鉄拳を食らい、恐怖を刻まれている。ちなみに、命令違反や単独行動をして鉄拳制裁を頂戴することにおいて、ルークの右に出る者はいない。
「じゃあ、最初から言うなって。育ちの悪い俺に敬語なんか使用できるわけないだろ」
「……他の隊長には使うのにか?」
「あれはそれっぽく言ってるだけだ」
 さらりと言うと、ミラは溜め息をついた。
「いい加減に隊長推薦を受けろ。そうすれば、私や他の隊長にもその態度で接していいのだからな」
「いい加減にするのは隊長の方だ。俺なんかに隊長が務まるわけないだろ」
 仮に隊長になったところで、すぐにヘマをして降格処分になるのは目に見えている。なら、最初から今のままでいい。
「はあ。実力は問題なく隊長クラスのくせに、どうしてなろうとしない? なりたいと思ったところで、隊長の推薦がなければなれんのだぞ?」
「隊長の数は今でも足りてるだろ。無理に増やそうとすんなよ」
 ミラはまだ何か言い足りなそうだったが、のらくらと避けるルークとのやり取りで諦めたらしい。美しい顔を曇らせ、再び溜め息をこぼした。
「分かった、この話はもういい」
「まだ何かあるのか?」
 ミラは頷き、言った。
「服を脱げ」
「こんな明るいうちから脱げだなんて、隊長も大胆だな」
 茶化してやると、ミラの顔が瞬時に赤くなった。
「なっ!? ばっ! な、何を言っている! 誤解だ! 私は傷口を見せろと言ったんだ!」
「はいはい、分かってるよ。……ん?」
 制服の上着に手をかけたところでふと気付いた。
「どうした? 痛むのか?」
「いや、隊長、なんで俺が刺されたこと知ってんだ?」
「ああ、そういうことか……」
 ミラは納得したように頷き、小さく笑った。
「お前を刺した三人組は、キースを含めた数人が既に捕らえて牢に送還済みだからな。よって、事情はおおよそ把握している」
 どうやら友人の方で上手くやってくれたらしい。あの頭の男も捕まったと聞いて、ルークは一安心だ。
「しかし、捕らえた時に頭の男が悪あがきとばかりにお前を殺したと言った時は、皆も驚いたそうだぞ。後で聞かされた私も同様だ。なにしろ、今日までお前が見つからなかったからな。だが、こうして戻ってきてくれた。これでようやく一安心できるというものだ。さて、話を戻そう。傷の具合はどうだ?」
「こうして隊長と話ができるくらいには大丈夫だ」
「そうか……。しかし、頭の男の話ではかなりの重傷を負わせたとのことだったが、その傷は自分で手当てしたのか?」
「いや、助けてくれたやつがいてな。おかげで命拾いした」
「ほう。では、不詳の部下を救ってもらった以上は隊長として礼を言いに行かんとな。その者はどこの者だ?」
「あー、それなんだけどな……」
 そこで初めてルークは言葉に詰まった。それというのも、ルークを助けてくれたミーネは魔物だ。それを正直に話したら、礼どころか討伐することになりかねない。
「なんというか、人間嫌いの頑固な爺さんでな。俺を助けてくれた時も、しぶしぶだったらしい。そういうわけだから、隊長が行くのはやめてくれ。礼は俺が後日行くって言ってある」
 この時ばかりは心の中でミーネに謝りつつ、ルークは適当な嘘を並べた。
ミラは少しばかり考えている様子だったが、ルークの話を真偽を確かめているというよりは、お礼をどうするかに意識が向いているようだ。
「そうか。では、ルーク。お前が次に礼をしに行く日は私に言え。騎士団員の命を救ってもらった以上は、きちんと礼をしなければならないからな。手土産用に資金を渡してやろう」
「りょーかい」
「さて、では次にお前の仕事の話だが」
「仕事の話? 俺、別の隊に配属変更か?」
「馬鹿を言え。お前は我が隊が誇る優秀な隊員だ。私が手放すわけないだろう。話というのは、お前の体についてだ。まだ本調子ではないだろうからな。仕事は当分の間、午前だけでいい。昼からは療養しろ。拒否は許さん。いいな?」
 確認のためか、ミラの目がじろりとルークに向けられる。これは何か言おうものなら、間違いなく鉄拳が飛んでくる空気だ。
「はいはい、わかったよ」
 降参とばかりに両手を上げてみせると、ふとミラの空気が緩んだ。
「では、私の話はこれで終わりだ。お前は今から資料室へ行け」
「は? なんで資料室に?」
「反省文を書けと言っているんだ。枚数は十枚。書き終わったら私の机の上に置いておけ」
「うげっ、マジかよ……」
「返事は?」
 したくないがするしかない。
「りょーかい……」
「よし。では行っていい」
 盛大にため息をつきつつ回れ右をして扉に向かい、部屋を出ようとする。そこで、何か思い出したようにミラから声がかかった。
「ルーク」
「なんだよ? まだ何かあるのか?」
 勘弁してくれといった感じで振り向くと、ミラは明後日の方向を向いて視線をルークと合わせないようにしていた。なんだかいつものミラらしくない雰囲気だ。
「まあ……なんだ。お前の無茶の尻拭いはしてやれるが、死んだらそれまでだ。だから、その……あまり心配させるな……」
 そう言ったミラの口調から本気で心配してくれていたことは、ルークにも感じ取れた。こちらに非があるだけに、もの凄く居心地が悪い。
「悪かったよ」
 それだけを言うと、ルークは逃げるように隊長室を後にした。


「はあ……ようやく終わった……」
 日がとっぷりと沈む時間になってようやく反省文を書き終えたルークは、ぐったりと机に突っ伏した。
 まともな学がないルークにとって、反省文の作成というのはとんでもない苦行なのだ。それを十枚など、もはや正気の沙汰ではない。
「おー、生きてるみたいだな」
 のん気な声がしたので顔を上げてそちらを見ると、資料室の入り口に寄りかかるようにしてキースが立っていた。
「反省文十枚に殺されかけたけどな」
「そっちじゃない。泥棒の方だ」
 体を起こし、今度は椅子の背もたれに姿勢悪く寄りかかる。
「ああ、そっちか。どちらにしても殺されかけたのは同じだ。大体、お前はあまり心配しているようには見えないぞ」
「そりゃ、お前とは付き合いが長いからな。殺したって死なないやつだよ、お前は。それに、朝お前の姿を見たって話も聞いたからな。俺としては、やっぱり生きてたってくらいだ」
「今回ばかりはさすがにまずかったけどな。それより、連中を捕まえたんだろ? お手柄、おめでとさん」
 キースの顔が苦いものになった。
「よせよ。あれはお前がきちんと追跡してくれたからだ。誰が一番貢献したかでいったら、間違いなくお前だよ」
「だったら反省文なんて書かせないでくれと言いたいね。午前中から始めたってのに、この時間だ」
「今日中に終わったんだからいいだろ。前に書いた時は次の日にもつれこんで、隊長に鉄拳をもらってたじゃないか」
 さすが付き合いが長いだけあって、よく覚えている。
 ルークは笑いつつ、反省文をキースに見せた。
「俺だって学習能力くらいはあるぞ。見ろ、苦心の末に書きあげた渾身の一枚を」
「ん? 枚数は十枚じゃなかったか?」
「俺が十枚も書けるわけないだろ。一枚仕上げるだけで精一杯だったからな。二枚目からは『体が勝手に動きました。今では反省しています』を以下同文だ」
 嘘だろうという目でキースが反省文を見てきたが、本当にそう書いてあったものだから、盛大に溜め息をこぼした。
「お前ってやつは……。こんな反省文を提出してみろ。間違いなく隊長の鉄拳をもらうことになるぞ」
「反省文を十枚書くくらいなら、鉄拳をもらった方がましだ。反省文の苦痛は何時間も続くが、鉄拳の痛みはしばらくすれば消えるからな。それよりキース、この国の歴史が書かれた本がどこにあるか分かるか? ちょっと調べたいことがあるんだが」
 ルークとしてはかなり真面目に聞いたのだが、言った途端にキースは信じられないとばかりに何度も瞬きをしつつルークを見つめてきた。
「おいおい、刺されたナイフに頭をおかしくする毒でも塗ってあったのか? それとも隊長に殴られすぎて、頭がおかしくなったか?」
「どういう意味だよ」
「お前が自分から勉強するなんてあり得ないからだ! そんなことしたら、明日は槍の雨が降るぞ」
 断言するキースに、自分がさりげなく酷いことを言っている気配は微塵もなかった。
「よーし、歯を食いしばれ。一発で勘弁してやる」
 握りこぶしを作ってみせると、キースはさっと距離を取った。
「説明しろよ。一体どうして急に歴史なんか勉強しようとするんだ? お前らしくないぞ」
 キースの言い分はもっともだ。確かにルークも自分らしくはないと思う。だが、完全に追い出したとされるはずの魔物が今も存在しているのだ。だとしたら、歴史が間違っていることになる。
「俺を助けてくれたじいさんが歴史にものすごく詳しくてな。手当てしながらあれこれと話してくれたんだが、それに対して俺が言えたのはへぇとかはぁばかりだったものだから、最近の若者はこんなことも知らんのかと散々バカにされてな。言われっぱなしは癪だから、次に会った時は驚かしてやろうと思ったんだよ」
 ミーネの存在を隠すために作られた架空のじいさんがどんどん脚色されていく。そんな嘘を当然のようにのたまったからか、キースは疑うというより呆れるような目を向けてきた。
「そこまでいくと、お前の負けず嫌いも相当なものだな。ま、理由はともかく、勉強しようって思うのはいいことだ。来いよ、案内してやるから」
 キースに案内されるままに資料室を移動し、分厚い本がぎっしりと詰まっている辺りに向かう。どの本も小難しい題名のものばかりで、ルークはそれを視界に入れただけでげんなりした気分になった。
「この辺りだな」
 足を止めたキースが目を向けた先には近年の歴史だの、国の成り立ちだのといった題名の本が並んでいた。ルークはその中から近年の歴史と書かれた本を手に取ってみたが、内容が内容だからか、本は厚くてずっしりと重く、その重量だけで読みたくなくなる。
「助かる。これでじいさんに一矢報いることができそうだ」
「大したことじゃない。で、お前はこれからそれを読むのか?」
「ああ。明日には礼を言いに行くつもりだからな。今日中に詰め込んでおく予定だ」
 言ってはみたものの、正直読む気がしない。それが顔に出ていたらしく、キースは苦笑を浮かべた。
「ま、ほどほどに頑張れ。俺はいつもの酒場に行っているから、飽きたら来いよ」
 ルークの肩を軽く叩いて、キースは資料室から出て行く。
 それを見送るとルークは分厚い本を開き、目次に目を通す。見たいのは魔物を追い払ったとされる何十年か前のあたりだ。細かい文字がびっしりと踊る目次に心を折られそうになりつつ、なんとか該当する部分を見つけ、そのページを開く。
 魔物根絶運動と題されたページには事の発端から結末までが細かく書かれていたが、ルークは最後の結末の部分だけに目を通した。
 そこには、全ての魔物を捕まえて奴隷船に乗せ、別の大陸に移送したとある。それを作者が自分自身の手で行なったかのように書いてあるので、ルークは鼻で笑ってしまった。
「なにが全ての魔物を追い出しただ。思いっきり残ってるじゃねーか」
 しかし、なぜミーネだけが残っているのかは気になる。何か重大な理由でもあるのだろうか。
「明日、本人から聞いてみるか……」
 調べるより聞いた方が早い。もっと言えば、これ以上本を読みたくない。
 そんな理由で本を棚に戻すと、反省文を手に資料室を後にしたのだった。


 翌日。
 案の定、反省文の内容についてミラから鉄拳をもれなく頂戴し、まだ痛む頭を撫でながら、ルークは馬に乗って森に向かっていた。本来なら昼休憩の時間にこうして町の外をふらふらしているのはなんとも不思議な気分だ。
 やがて森に入り、しばらく進んだところで見えてきたミーネの家に辿り着くと、馬を近くの木に繋いだ後に家の扉をノックする。
「はーい」
 明るい声が聞こえると、少しの間を置いて扉が開き、ミーネが顔を出した。
「あ、ルーク! ちょうどよかった。今お昼ご飯を作ったところなの。一緒に食べよ♪」
 なんというか、ものすごい歓迎ムードだ。ルークを見た途端にミーネはぱっと顔を輝かせ、獣の尻尾は犬の如く揺れている。
 待ちきれないとばかりに家に引っ張られ、そこでようやくルークはしゃべらせてもらえた。
「おい、ちょっと待て!」
「ん? どうかしたの?」
 きょとんとするミーネを真っ直ぐに見つつ、ルークは溜め息混じりに言ってやった。
「あのな。当たり前のように俺を家に上げてるが、もし俺がお前の討伐隊を連れて来ていたらどうするつもりだよ?」
「え?」
 そんな考えは全くなかったらしく、ミーネはぽかんとした後、探るように辺りを見回した。そして最終的にルークを上目遣いに見つめ―。
「どうしよう?」
 と、尋ねてきた。
「俺が連れて来た場合の話をしてんだぞ。その俺に聞いてどうすんだ」
「あ、そっか。えっと、え〜と……」
 指摘されてようやく困った顔になったミーネは再び考えるように辺りを見回し、そして。
「どうしよっか……?」
 再びルークに尋ねてきた。
 ルークはもう溜め息しか出ない。悲しいことに、これが自分の命の恩人なのだ。
「お前な、もう少し警戒心を持て。それでよく生きてこられたな」
「うう……。だって、森の中はわたししかいないし……」
 なんだか微妙にずれた発言をしている。
「はあ、まあいい。これ、礼の品だ」
 そう言って、たんまりと膨らんだ袋を差し出した。中身は大量の食糧だ。魔物がどんな物を必要とするか分からなかったので、食べ物なら貰って困ることはないだろうと思っての判断である。
「お礼なんていいのに」
 差し出された袋を受け取ったミーネは苦笑を浮かべている。嫌そうではないので、ルークは内心ホッとした。
「命を助けられたんだ。これくらいは当然だろ」
「うん、まあ、そうなんだけど……」
 ミーネの目がちらりと別方向に向けられる。その先はダイニングらしく、作ったばかりらしい料理の香りが漂ってきている。なんとなく言いたいことを察したルークは仕方なく聞いてやった。
「そういや、昼飯を作ったところだったか」
「うん。それで、ルークは? もうお昼は食べちゃった?」
 少し期待を込めた目でミーネが見つめてくる。食べたかと聞かれれば、仕事が終わったら買物をして直行したせいでまだ食べていない。
「いや、まだだな」
「じゃ、じゃあ、一緒に食べない? いっぱい作ったから、ルークの分もあるんだ」
 少しぎこちない食事のお誘いだった。それなのに、目は必死に一緒に食べたいと訴えてきている。それに籠絡されたわけではないが、了承していた。
「わかった」
「ほ、ほんと!? じゃあさっそく食べようよ! こっちに来て!」
 予想以上に喜ばれた。ミーネはルークの腕を掴むと、こっちと引っ張って行く。尻尾はぶんぶんと揺れて、喜びをこれでもかと現わしている。本当に犬みたいなやつだ。
 そんなミーネの様子に苦笑しつつ案内されたダイニングのテーブルの上には、思った以上の量の食事が用意されていた。
「確かに随分と多く作ったな」
 見たところ、二人分はある。細い見かけに反して、意外と大食いだったりするのだろうか。
「あ、えっと、実はまだあってね……」
 そう言って、ミーネは追加の料理を持ってくる。それを繰り返すこと三回。テーブルの上は様々な料理でいっぱいになった。
「……おい。これは作りすぎだろ。お前、実は大食いなのか?」
「え〜と、実は、昨日の夜から多めに作ってて……」
「は? なんでいきなりそんなことしてんだよ」
「あう……。だ、だって、ルークがお礼しに来るって言うから、いつ来てもいいようにって思って……」
 つまり、ルークが来た時のことを考えて多めに作っていたらしい。気を遣って貰えるのはありがたいが、ここまで大量にあるとほとんど嫌がらせにしか思えない。
「バカだろお前……」
「あはは……。その、食べきれなかったら残してくれていいから」
 乾いた笑みを浮かべるミーネはさり気なく視線を逸らした。作りすぎたという自覚はあるらしい。
「はあ……。まあ、腹は減ってるから、なんとかなると思うけどな。とりあえず、ご馳走になる」
 見たところ妙な料理はなく、至って普通だ。ミーネは魔物なので、普通では食べないようなものを食材にしていたらどうするかと思っていたが、大丈夫そうだ。
 とりあえず、野菜がたっぷり入ったスープを一口飲んでみる。
「えっと、どうかな?」
 味の感想をミーネが求めてくるが、ルークは正直返答に困った。不味くはない。だが、美味いとも言えず、まさに普通。見事なアベレージである。
「はっきり言って、普通だ。点数で言うなら50点」
「うう……。わたし、料理はあまり得意じゃないから、その点数には何も言えないよ……」
 その後、やはり平均点としか言い様のない料理群をなんとか平らげ、ルークはげんなりした様子で椅子にもたれかかっていた。美味くも不味くもない料理を食べるのはなかなかに辛く、俺は一体何をしてるんだと考えてしまったくらいだ。
 オール50点の料理を作り出したミーネはといえば、コーヒーを淹れているところだった。それをマグカップに注ぐと、ルークの前に持ってきてくれる。
 さっそく一口啜ると、やけに美味く感じられた。平均点50の料理の後では、普通のコーヒーも美味しく感じられるものらしい。
 ミーネはハチミツとミルクをたっぷりと入れて胸焼けしそうな味にしたコーヒーを満足そうに飲んでいる。この雰囲気なら少し真面目な話をしても大丈夫そうだと思ったルークは、遠慮なく尋ねてみることにした。
「なあ、少し聞いていいか?」
「なに?」
 ミーネの明るい青の瞳がルークに向けられる。
「お前、ここに一人で住んでいるのか? 家族は?」
 直球な質問をぶつけると、ミーネは曖昧な笑みを浮かべ、少し顔を俯けた。
「ずっと一人だよ。家族はいない。わたし、孤児だったから」
「孤児?」
「うん。ここから南に行ったところに、ケーストって町があるでしょ? わたしはそこの孤児院にいたんだ」
 その孤児院はルークも知っている。だが、そこにミーネがいたということが驚きだ。町の孤児院に魔物がいるとなったら、それこそ大騒ぎになりそうなものだが。
「笑えない冗談だな。魔物が堂々と町中の孤児院にいたってのか?」
「だってわたし、最初は魔物じゃなかったもん」
「……は?」
 聞き間違いでなければ、ミーネは最初は魔物ではなかったと言わなかっただろうか。
「わたし、最初は人間だったんだよ。でも、魔物になっちゃったから、孤児院を追い出されたんだ。もう七年前になるかな」
 そう言ったミーネは寂しそうだったが、それを気にかける余裕はルークにはなかった。
「魔物になったって、そんなことあり得るのかよ?」
「魔物化って言うみたい。わたしも詳しいことは分からないけど、魔物の魔力? っていうものがあって、それが宿っている物を身につけていると、魔物になっちゃうんだって」
 冗談みたいな話だ。それではまるで呪いの道具ではないか。
「性質が悪いな。だが、お前もそれがおかしいとは気付かなかったのか?」
「ぜんぜん気付かないよ。だって、普通の物なんだもん。ちょっと待ってて」
 ミーネは立ち上がると、ぱたぱたと別の部屋に行き、ある物を持ってきた。手にしていたのは毛皮の外套だ。庶民でも買えるありふれたそれは冬の必需品で、おかしなところはない。
「おい、まさかこれが……」
「うん。これがわたしが魔物になった原因。冬にね、これにくるまって寝てたら、いつの間にか魔物になっちゃった」
 ミーネが呆れるように笑っているのは、こんな物で自分の体が別の存在へと変化したからだろうか。
「……悪い。気軽に聞いていいことじゃなかったな」
 色々と予想外の真実に、ルークは素直に謝るしかなかった。
「別にいいよ。それより、わたし、妖狐って種族なんだって。どう? これ、可愛いと思わない?」
 急に嬉しそうな顔になったミーネがどうだと言わんばかりにくるりと回った。あまりにも話と様子が急変しすぎて、ルークにはついていけない。
「……とりあえず、そういうセリフは自分で言わない方がいいと思うぞ?」
 ミーネが可愛いのは認めるが、自分で言うのは正直アウトだ。
「え? ……ち、違うよ! わたしが可愛いって言ったのは耳と尻尾のことで、わたし自身じゃないよ!」
 自分の発言が誤解を招いたことを理解したらしい。顔を赤くしながら弁解してくる。
「はいはい。つーか、本当に可愛いと思ってるのか? その耳と尻尾はお前が人でないことの証だぞ。元は人だっていうなら、千切って捨てたいとか思わないのか?」
「う〜ん……。なんかもう、付いてて当たり前になっちゃったからなぁ……。この体、特に不便は感じてないし、人に戻ることもできないだろうから、もうこれでいいやって感じ、かな?」
 開き直りなのか、それとも前向きなのか、ミーネは笑顔だ。
「お前がいいならいいけどな」
「うん。あ、でも……」
「なんだ、やっぱり何かあるのか?」
 ミーネの笑顔がふと曇り、狐の耳がうなだれ、尻尾がしゅんとしおれる。
「うん……。この国、反魔物派でしょ。だから、誰もわたしとは関わってくれないでしょ? 一人ぼっちなことを時々寂しく思うことはあるかな……」
 魔物の体には困っていなくても、それによって生じた問題には不便を感じているらしい。だからこそ、ルークが訪れた時にあのはしゃぎぶりだったわけだ。
「……正直に答えてほしいんだが」
「なに?」
 真面目な声を出したからか、ミーネが少し疑うような目を向けてくる。それをきちんと見つめ返し、ルークは言った。
「お前、人を食べたいと思ったことはあるか?」
 魔物という存在について、ルークは聞いた話でしか知らない。それも、人やその魂を食らうといったお伽噺のようなことだけだ。だから、魔物の感覚について、聞いた話から想像した上での質問だった。
「え……な、ないよ! わたし、元は人だよ? 他の人をそういう目で見たことすらないよ!」
 両手をぶんぶん振り、必死な感じで弁解する。これが演技だったら色々とまずいのだが、ミーネの場合はどう見ても素だし、嘘がつけるような性格でもない気がする。
「そりゃよかった。俺も、狐娘にばりばりと食われて終わる人生なんてごめんだからな」
「え? えっと、それ、どういう意味?」
 単なる確認だ。ルークも魔物についてはまったく知らないのだ。だから、いくら元は人とはいえ、魔物になったことで感覚が変わっていないかが気になった。結果は大丈夫そうだ。
「ヘマして刺された傷が治るまでは、仕事が午前中だけになったからな。だから、午後の予定は空いてる。俺でよければ、話し相手にくらいはなってやらなくもない」
 ミーネの耳がぴんと立った。尻尾もむくりと膨らみ、次第に揺れ動く。
「ほんと!? 本当にいいの!?」
「さすがに毎日は無理だけどな。それでよければ」
「うん! それでいい! 約束だよ! 約束だからね!」
 ルークが話し終わる前から満面の笑みで嬉しそうに言われては、さすがに気恥しくなり、慌てて顔を逸らした。どうもこいつといると調子が狂う。だが、退屈はしなくていいかもしれない。今なら、ルークといると退屈しないと言ったキースの気持ちが分かる気がした。
 尻尾をぶんぶん振り回し、喜びをアピールしているミーネを見るとつい笑ってしまう。
「狐っていうか、犬だな」
「?」
 ルークの呟きは聞こえなかったのか、ミーネは小さく首を傾げている。
 それを見て、こいつなら大丈夫だとルークは思う。
「ま、なるようになるか」
 ミーネはやはり不思議そうに首を傾げたままだ。
 元人間であり、一人ぼっちの狐娘と、目つきの悪い騎士の珍妙な日々が始まった瞬間だった。
13/05/21 00:09更新 / エンプティ
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■作者メッセージ
ミーネの日記
今日はとってもいいことがあった。
ルークがお礼をしに家に来てくれた♪
それだけじゃなくて、また来るって言ってくれたのがすごく嬉しい♪
次はいつ来てくれるのか、今から楽しみ♪
たくさん作っちゃったご飯も食べてくれた。でも、味は50点……。100点満点中50点ならいいけど、500点満点とかだったらどうしよう……。
料理は苦手だけど、いつか美味しいって言ってもらえるように頑張らなきゃ!


どうもエンプティです。
さっそくですが、すいませんでした!
前回でシリアスは終わりにする予定だったのですが、ミーネの過去がシリアスになってしまいました。そのミーネも、話の都合で登場が途中からだったりで、反省しております。
次回からはきちんとミーネの魅力を書いていきますので、今回はご容赦を。
考えている設定では、あの狐娘は色々とやらかしてくれるはずなので、今後の活躍をお楽しみに。
では、また次回でお会いしましょう。

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