連載小説
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リリムと終わらない物語 〜誰がために〜
目の前のフラスコには、鮮やかな緑色の液体が入っている。
そこに赤い液体を流し込むと、配分を間違えなければ混ざり合った二つの液体は青になるはずだった。
しかし、アタシの予定とは違い、フラスコの液体は黄色になってくれた。
見事と言いたくなるくらいの失敗である。
「あーもう!」
机の上に並んだ器具を乱暴に端に寄せると頭をかく。
さっきから調合を失敗してばかりだ。
中には貴重な素材を使ったものまで失敗し、凡ミスだと言い訳すること四回。
失敗する度にいらつきは増し、比例するように調合の成功率は下がっていく。
机の上に並んだフラスコや乳鉢を見ていると自分の失敗の証拠を見せつけられているようで、隣りの寝室に向かうと、ベッドに身を投げ出した。
「まったく、なんだっていうのよ……」
ここ最近、原因不明のいらつきが治まらない。
そのまま枕に八つ当たりをかまそうとしたところで、ベッド脇においてある小さな棚が目に止まる。
そこに置かれたガラスのショーケースには、シャーロットから貰ったミリアとお揃いの首飾りが安置されている。
それを見ると、口から勝手にため息がこぼれた。
ちらりと時計を確認すると、時間はまだ市場が開く前だ。
このまま調合を続けてもろくな結果にならなそうなので、さっさと頭を切り替えてベッドから下りた。
あんな納期が先の薬を作っている場合ではない。
優先すべきことは他にあるのだ。
片付けるのも面倒で、机の上のゴミと化した薬品群には目もくれず、アタシは最近頻繁に行く店に向かった。
転移魔法で目的地の近くに到着し、その店へ視線を向ける。
そこには準備中なる札が下げられていたが、お構いなしに扉に手をかけると、扉は抵抗もなく開いた。
取りつけられた鐘が鳴り、カウンターで朝から惚気ている夫婦が揃ってこちらを見る。
「あ、ルカさん。おはようございます。今日もですか?」
「ええ。悪いけど、いつも通り適当に二人分お願い」
「喜んで〜」
ここ最近ですっかり定番になってしまったらしく、アタシを見るなりレナはそう言って笑った。
カウンター席に着くと、ハンスがさっそくコーヒーとミルク、砂糖壷を運んできてアタシの前に置いた。
すっかり慣れた動きだなんて観察していると、そのまま奥へと引っこんでいく。
「あんたは準備しないの?」
レナが傍で微笑んでいるままなので尋ねてみると、幸せな夫婦生活を送っている妖狐は花のように笑った。
「ふふ、やっぱり気づいていませんでしか。実は、夫もここ最近は私のと遜色ないくらいに料理を作れるようになったんです。だから、今までルカさんが持っていってる料理も、夫が作ってたんですよ?」
「え、そうだったの?」
まったく気づかなかっただけに、少し驚いてしまう。
アタシがここに来た時はまだ凝った料理はできないらしかったが、人間やればできるものらしい。
「ええ、そんなわけでこうしてお任せしてるんです。ちゃんとおいしく作れているでしょう?」
「……なんか狐につまれた気分だわ」
ちょっとした悔しさからそう言ってやると、レナは尻尾を揺らして声なく笑った。
その拍子に、ふとあることに気づく。
「あれ……あんた、尻尾増えたの?」
「ええ、昨夜増えちゃいました♪夫の愛の証です♪」
ご満悦の表情で尾を撫でるレナ。
ミリアがここにいたら、苦笑でも浮かべているところだろう。
「あんた達は幸せそうね」
「ええ。こうして子供以外で夫の愛の証が目に見えるのは、妖狐と稲荷の特権ですから」
「九尾になったら打ち止めでしょ」
意地悪なことを言ってやると、五尾になったばかりのレナは頬を膨らませてむくれた。
「うう、ルカさん意地悪ですよ」
そう言って恨みがましい目を向けてくるレナだったが、すっと表情が真面目なものに変わった。
「今日もミリアさんのところですか?」
不意をつかれた気分だった。
レナが気づいているとは思っておらず、つい目を見開いてレナの顔をまじまじと見つめた。
「……あんた、わかってたの?」
「なんとなくですけどね。最初はルカさんに恋人ができたのかと思いましたけど、料理を取りにくる時のルカさんはいつも真剣な顔してましたから。ああ、これは違うなって。そうなると、考えられるのって限られてくるじゃないですか。ルカさんはミリアさんと一緒の来店がほとんどでしたから、そのミリアさんと一緒に来ないのは、そこに理由があるからなんじゃないかって」
ほとんど間違っていない推論に、ちょっと感心してしまう。
「……気にならないの?」
アタシにしては考えが足らない発言に、レナは苦笑した。
「それはもちろん気になりますよ。ルカさんだけが店に来て、ミリアさんの分の料理を持ってくって、あまりいい想像ができませんし。でも、私まで心配してミリアさんに会いに行っても、あの人に余計に気を遣わせるだけしょう?」
あまりにも的を射た言葉だ。
こうして店を出しているから忘れがちだが、レナはアタシよりミリアとの付き合いが長いのだ。
「確かにそうね。あの子、自分が辛いところを見せようとしないから」
だからこそ、あの雨の日が思い出される。
あれは、普段は絶対にそういうところを見せようとしないミリアの不覚だった。
逆をいえば、ミリアがそうしてしまうだけのことがあった。
それを考えると怒りが湧いてきて、握った拳に力がこもる。
「ミリアさんは……こう言っては失礼ですけど、ずるいんですよね。私達が困っている時はすぐに手を差し伸べてくれるのに、自分が困っても、他人には見せようとしないから。だから、私達だけ甘える形になってしまう。私は、それが嫌です……。ミリアさんも、もっと頼ってくれていいのに」
しゅんとレナはうなだれ、さっきまで嬉しそうにしていた五本の尾も力なく垂れさがる。
「そうね。あの子は―」
ずるい。
言いかけたところで、ハンスが包装まできっちり済ませた料理を袋に入れて持ってきた。
「お待たせしました……って、なんだか暗いですね。どうかしました?」
「別に、ちょっとつまらない話をしてたってだけ」
話をはしょられたからか、ハンスは少し納得いかなげだったが、大人しく料理を差し出してきた。
それを受け取ると、いつものように席を立った。
「いつも悪いわね。今日の分もつけといて。後で払いに来るから」
「もう、ミリアさんもルカさんも、何度同じことを言わせれば気がすむんですか?友達からお金は一切いただきません」
たしなめるように言うレナの顔には笑顔が戻っている。
だから、こちらも笑っておいた。
「はいはい。じゃ、近いうちにまた来るわ。今度はミリアも一緒にね」
「お待ちしています」
夫婦に見送られて店を出ると、そこで立ち止まって今後の予定を考察してみる。
ミリアは行きたがらないだろうが、あまり家に引きこもっているのもよくない。
アタシは家での作業が多いから例外だと自分のことは棚上げし、連れ出す先の候補をいくつか挙げてみる。
しかし、すぐに首を振った。
「とりあえず、あの子と相談ね……」


自分の家を除けば、狐の尻尾と同じくらいに見慣れたミリアの家はひっそりとしていた。
なんの音もしないことからいないのではと思ってしまうが、今のあの子のことを考えれば外出の可能性は低い。
だから、扉をノックすれば予想通り「どうぞ」の声があった。
許可を得て中に入ると、居間に向かう。
そこにミリアはいた。
「おはよう、ルカ。今日はどうしたの?」
ソファに座り、微笑を浮かべるミリアは普段通りに見える。
だから、顔がやつれているように見えたのはアタシの錯覚だと思うことにしておく。
しかしだ。
これまでの付き合いから、アタシはミリアが自分の笑顔を自在に使い分けられる存在であることをわかっている。
よって、今浮かべている笑顔の質がどういうものなのか、おおよそ見分けられる。
その経験から見た今のミリアの顔にあるのは、無理をして作った笑顔。
いや、笑顔の仮面とでも言ったほうが正しいかもしれない。
それだけに、内心穏やかではいられない。
なんでアタシにまでそんな顔をするのかと、怒りが湧いてくる。
それを押さえて、努めていつも通りの声を出した。
「最近は暇なのよ。珍しく注文も入らないし」
「ふふ、たまにはのんびりできる時間があってもいいと思うわ。待ってて。飲み物を用意するから」
ゆっくりと立ち上がり、ミリアはふらりと台所に向かった。
その後ろ姿がとても儚げで、視線を逸らしてしまう。
見てられなかったのだ。
ミリアが飲み物を用意して戻ってきてもそれは変わらず、アタシは部屋の窓へ逃げるように視線を向けた。
「これ、いつもの差し入れよ」
用意してくれたコーヒーを口に含みつつ、レナ……ではなくハンスの手料理をテーブルに置く。
「いつも悪いわね。レナは元気そうだった?」
「ええ」
尻尾を増やすくらいに、とは内心でだけ呟いた。
ちらりとミリアの様子を窺うと、口元に笑みを浮かべてコーヒーを飲んでいる。
誰が見たって普段通りの振る舞いだ。
だが、その体から感じる魔力の少なさは誤魔化せない。
そのせいか、会話もなく向かい合っているだけだと、静かすぎて消えてしまうのではないかと錯覚してしまう。
そんな事態になったらと思い、自分の馬鹿な考えを慌ててなかったことにする。
それを考えることで、今までの出来事までもが消えてしまう気がしたのだ。
ミリアと過ごした日々は、まさに物語だった。
似たような日々はあっても、一日たりとも同じ日はなかった。
腹立たしいこともあったが、それでも楽しそうに笑うミリアを見れば、そんなことはどうでもよくなった。
自分の家で薬を作っているだけでいいと思っていたアタシは、いつの間にかいなくなっていた。
代わりに、今の関係を気に入っているアタシがいる。
しかし、アタシの好きな笑顔は今や作り物に置き換えられている。
このままでも看過できるわけがないのに、更に嫌な想像をしてしまう。
あの子の顔から、永遠に笑顔が消えたら。
このまま、笑わなくなってしまったら。
嫌だ。
心が即答する。
先日、向こうの要望でミリアをベニラスに合わせてみたが、あの子は上の空だった。
傍から見ればいつも通りでも、アタシの目には心がここにないことが丸わかりだった。
まるで抜け殻だと思った。
それで疑問が確信へと変わった。
この子がこんなことになっているのは、全てあいつのせいだと。
失いたくないという気持ちが、原因を排除しようとする怒りにすり替わっていく。
「ミリア、あいつの故郷ってどこ?」
「え……?」
自分でも驚くくらいに普通の声が出た。
その甲斐はあったのか、ミリアは心の死角をつかれたような表情になった。
しかし、すぐに元の穏やかな顔になる。
「それを聞いてどうするの?」
「あんた言ったわね。具合がよくなったから故郷に送ったって。それ、ちゃんと完治したのを確認したの?」
「そこまではしてないけど、別れた日はもう問題なさそうだったわ」
ミリアらしくない迂闊な発言だ。
アタシはそれを取っ掛かりにするべく、言葉を紡ぐ。
「つまり、きちんと確認してないってことね。それじゃ困るのよ。いくらアタシの薬だって、万能じゃないんだから。あんただって知ってるでしょ。誰にでも合わない薬があるってこと」
「……つまり、それを確認しに行くと」
「そうよ」
うなずいてミリアを見つめると、赤い瞳と視線が絡む。
アタシとしては教えてもらうまでそうしているつもりだったが、ミリアはすぐに視線を逸らした。
「あまり彼を困らせないでね?」
そう言って、あの馬鹿の故郷を教えてくれた。
「わかってるわよ」
素直に返事をしつつ地図で位置を確認すると、さっそく向かうことにする。
ミリアはついていきたそうな顔をしていたが、結局はなにも言わずにアタシを見送るだけだった。
家を出たアタシの中で、意識が急速に冷めていく。
それだというのに、怒りは未だにその温度を上げ続けている。
きっと、あの子の代わりなのだ。
あの子が怒らないなら、アタシが怒る。
あの子が言わないなら、アタシが言う。
アタシがしたいのはそれだけで、あいつを困らせるつもりなんてない。
二、三発は殴るかもしれないが。
そんなことを考えながら、グランワルドに向かった。


降り立った場所は、田舎という表現がこれ以上に似合うところはないだろうと断言できるくらいにのどかな光景が広がっていた。
「ド田舎ね……」
そんな感想を残し、あいつの家はどれかと見回す。
大して軒数もないので総当たりで探せばすぐに見つかるのだが、あいつを探すということに費やす労力なんてものは、アタシは持ち合わせていない。
結果、シンプルな方法に出る。
「ちょっとそこの」
いかにも平和ボケしてそうな顔で道を歩いていた若い男に声をかけると、そいつはすぐにこちらを見た。
「あ、はい。なんですか……って、魔物!?」
反魔物領の、しかもこんな田舎では肝心の魔物も見たことがないのだろう。
アタシは見ると、そいつは驚いて身を引いた。
ものすごく馬鹿に見えるが、こんなヤツに構っている暇などない。
だから、単刀直入に聞いた。
「グレンってヤツの家はどこ?」
「なっ……ま、魔物がグレンになんの用だよ?」
ヘタレのくせに、生意気にも聞き返してきた。
それがアタシに若干の怒りを覚えさせ、一歩前に出る。
「うっさいわね。教えるか、アタシの前から消えるか、さっさと選びなさいよ!」
軽く怒鳴ってやると、それだけで張り合おうとする気は完全に萎えたらしい。
「……この道を真っ直ぐに行って、突き当りを右に行ったところだ……」
白状したので、さっそくその方向へ向かう。
しかし、数歩歩いたところで背後から声がした。
「お前なんか、グレンに殺されちまえ!」
ぶっ飛ばしてやろうと後ろを向くと、脱兎の如く走り去っていく後ろ姿が目に映った。
いちいち制裁しに行くのも馬鹿らしく、鼻で笑って再び足を動かす。
道はどこまでも伸びていそうな気配があったが、田舎らしくすぐに突き当りにぶつかった。
右手を見れば、少し先に家が一軒あるだけだ。
必然的に、あの馬鹿の家はあそこになる。
会ったらどうしてくれようかと考えながら家に近づき、ふと顔をしかめた。
ここに来るまでに通り過ぎた家と違い、この家は誰かが生活している感じがしない。
家の窓ガラスは汚れていて中の様子を窺えないし、庭の花壇には雑草が我が物顔で咲き誇っている。
どう見ても廃屋である。
こうなると、あのガキが嘘の情報を教えた可能性が出てくる。
見つけ出してどんな制裁をしてやろうかと逡巡するが、ここまで来たのだから一応確認するかと考えなおし、玄関の前に立つ。
そして、色褪せた扉をノックしようとして、腕を止める。
なんであんなヤツの家に入るために、アタシはノックをしようとしているのだろう。
馬鹿らしいと思い、壊すくらいの気持ちで扉を開けた。
予想通り、中は暗かった。
加えて、埃とカビの匂いもする。
埃によって灰色一色となった家具の中で、そこだけ不自然にこげ茶色の薄汚いソファが壁際に置かれていた。
そこにあいつはいた。
俯いていた顔が上がり、アタシを見て目を見張る。
「君は……」
そんな声が聞こえた時には、アタシは乱暴に扉を閉めて大股に歩み寄っていた。
「ここでなにしてるわけ?」
あいつの顔が無表情になった。
「来るべき時を待っている」
遠回しな言い方だ。
それがアタシの怒りに油を注ぐ。
聞いたと同時に殴らなかったのは奇跡だと思う。
「アタシは言ったわね。あの子を傷つけたら、タダじゃおかないって」
言ったと同時に馬鹿の胸元を掴んで引っ張り上げ、壁に叩きつける。
あいつは衝撃に咳込んだが、それを気遣ってやるつもりなんてない。
「あんたのせいで、ミリアが苦しんでた!」
胸元を掴む手に力がこもる。
「あんたのせいで、ミリアが泣いてた!」
雨に打たれながら泣いていたミリアが鮮明に思い出される。
あの子が涙を見せるとしたら、それはきっと嬉し涙だけだと勝手に思っていた。
しかし、アタシが初めて見たミリアの涙は悲しみに溢れていた。
脳裏によぎったあの日の光景が、怒りを増幅させる。
「あんたのせいで―!」
「それ以上は、言わなくていい」
それは反射だった。
あいつの言葉が聞こえた時には、空いていたアタシの左手が拳となってその顔を殴っていた。
そのまま罵声を吐こうと口が動きかけたが、先にあいつがしゃべっていた。
「辛いのは……苦しいのは彼女だけじゃない。だから……もう言わないでくれ」
言うなの部分に先程よりも力がこもっていた。
それだけなら、アタシも引くつもりはなかった。
だが、ふとした拍子にこいつの手が目に入った。
固く握りしめられた右手からは、血が垂れていた。
強く握りすぎて、血が出るくらいに苦しんでいる。
腹立たしいが、それでアタシの怒りは幾分が静まってしまった。
「どうしてよ。どうしてあの子と別れたのよ。ミリアのこと、好きだったんでしょ!?」
殴られた拍子に唇を切ったらしく、あいつの口の辺りには血がついていた。
しかし、あいつはそんなことには構わずアタシを見て、少しだけ口元を緩めた。
「……ああ。ミリアのことを愛している。彼女の友人である君からすれば、信憑性のない言葉かもしれないが」
「アタシが聞きたいのはそんな言葉じゃない!どうしてあの子の傍を離れたのかって聞いてんのよ!」
胸元は掴んだままだ。
力を込めている以上それなりに苦しいはずだが、この男は少しも表情に出さずにアタシを見た。
「俺は勇者の一人だ」
勇者という単語にアタシの身体が勝手に反応する。
こいつを掴む手に更に力がこもる。
「それがなんだっていうのよ」
「勇者として実績がある。それがなにを意味するか、わかるか?」
青い目が揺らぐことなくアタシを見つめる。
「俺は、君達魔物を何人も殺してきたということだ」
「だからなによ!ミリアは大切じゃないから、傍を離れたとでも言うつもり!?」
「違う。彼女は俺にとって太陽のようなものだ。俺のような存在は、触れることはもちろん、傍にいることさえ許されない。それでも大切だと思っている」
「大切だと思っているなら、なんでよ!」
「ミリアの傍にいられる。俺にとってそれは、途轍もなく幸せなことだからだ」
こいつの言っていることが理解できない。
幸せになることのどこが悪いと言うのだ。
あんた馬鹿でしょ!と言いかけ、息を飲む。
こいつがなにを思ってそう言ったのか、すっと答えが浮かんできたのだ。
「気づいたようだな……俺の言葉の意味を。そうだ。俺は多くの魔物を殺してきた。罪なき彼女達の命を、無理矢理終わらせてきたんだ。それだけ不幸を振り撒いてきた俺が、幸せになっていいはずがない。だから、俺はミリアに言った。君の傍にはいられないと。彼女の傍にいると、俺は自分を赦してしまいそうになるからな……」
それは決定的な一言だった。
思考が急速に回り、疑問が次々に解決されていく。
こいつの薬をもらいに来たミリアは、自分も手伝いたいと言ってきた。
懸命に材料をすり潰しているあの子を見て、ようやく好きになれる相手が見つかったのだと思った。
それがどんなヤツなのか気になって、もっともな理由をつけて様子を見にも行った。
初めて見たこいつは少し浮世離れした雰囲気を持っていたが、それでも悪くないと思った。
なにより、ミリアが選んだ相手なのだから、変な男であるはずがないとも思っていた。
だが、現実はどうだ。
ミリアを傷つけ、こんなとこでわけのわからないことをぬかしている。
想い人から一緒にいられないと言われた時のミリアは、どんな気持ちだったのだろう。
それを考えただけで、全身の血が沸き立つ。
「幸せになっていいはずがない?そんなの、全部あんたの都合でしょ!好きなら傍にいなさいよ!男でしょ!いつまで過去を引きずるつもりよ!?」
「死ぬまでだ」
あまりにも単純明快な一言だった。
「間違いに気づいてからは、勇者の立場を利用して魔物を救う側に回った。全ては償いのためだ。過去をやり直すことはできない。どれだけ悔やんでも、魔物を殺す前には、ミリアと過ごしていたあの頃には決して戻れない」
「違う!」
体の奥から、ものすごい熱が込み上げてくる。
「もう戻れないアタシとは違う!あんた達は、まだやり直すことができるのよ!」
そう、アタシは戻れない。
どれだけ願っても、親子三人で暮らしていたあの頃には戻れないのだ。
戻るには、ピースが欠けてしまったから。
それは永遠に失われてしまったから。
ミリアと出会ってしばらくした頃、ふと考えるようになった。
もし、あの出来事さえなかったら、アタシは今も両親と三人で暮らしていたのかと。
それだけでなく、もしかしたら妹ができていたかもしれない。
どんどん増えていく家族に、アタシも幼い妹の世話を任され、お母さんの見よう見真似であれこれと世話を焼く。
それを見て、穏やかに笑う両親。
ささやかで、幸福な時間。
過去に戻ってやり直すことができるなら、そんな未来があったかもしれない。
けど、所詮は仮定の話だ。
その機会は永遠に訪れない。
でも、この二人は違う。
まだ、やり直すことができる。
お互いの気持ちに素直になれば、またあのひだまりのような時間に戻ることができるのだ。
ここにきて、最近イラついていた理由がわかった。
アタシはきっと、この二人に腹を立てていたのだ。
最良の選択を選ぼうとしない二人に。
互いに手を取って、幸せになる選択をしない二人に。
あの日のアタシには、家族とこれからも暮らし続けるという選択肢がなかった。
そもそも、選ぶことさえできなかった。
だから、余計に腹が立つのだ。
アタシにはなかった選択をすることができるのに、それを選ぼうとしないこの二人が。
「どうして……!」
あんたじゃなかったのよ。
そう言いそうになって、アタシは慌てて口を閉じた。
あの日、アタシ達家族の前に現れたのがこいつだったならと思ってしまったのだ。
もし、こいつだったなら、あの仮定の未来があったかもしれない。
先程の叫びで体の力が抜けていく。
胸元を掴んでいた手を離すと、あいつはぽつりと呟いた。
「やり直す、か……。それを願う権利は俺にはない。あったとしても、それはミリアが望んでくれた時だけだ」
あいつがそう言い終えた瞬間、まったく別の男の声が外から響いた。
「反逆者グレン!ネルエド教団支部の使者として、貴様の身柄を拘束にしに来た!大人しく出てこい!」
品のない怒声に振り向くと、すぐ傍で小さく息を吐く気配がした。
「やれやれ、ようやく迎えが来たか。しかし、どうしてこうもままならないのだろうな……」
疲れた声がした時には、あいつはアタシの横を通り抜けようとしていた。
なにがそうさせたのかはわからない。
しかし、アタシは咄嗟にあいつの腕を掴んでいた。
「ちょ、ちょっと。迎えってどういうことよ?あんたが呼んだってこと?」
「そうだ」
腕を掴まれてあいつは振り返った。
「なんでよ。あんたは教団が間違っているって気づいたんでしょ?なら、どうして―」
「罪には罰を。そして、裏切りは罪だ」
被せるように言われた言葉に、アタシは顔をしかめる。
「あんたがなにを裏切ったっていうのよ」
「教団だ。彼らにとって俺は裏切り者でも、俺にとっては仲間なんだ。しかし、彼らの勇者に対する期待を俺は裏切った。その罪は清算しなければならない」
至極当然のようにあいつは言ってのけた。
「清算って……あんたは勇者なんでしょ?裏切ったのに、わざわざ教団に戻ったら……」
そこでアタシは息を飲んだ。
「あんた、まさか―!」
驚いて、その顔を見る。
アタシを見たあいつは、うっすらと笑みを浮かべた。
そこでアタシは信じられないものを見た。
あいつの笑顔に、母であるルーシーの最後の笑顔が重なったのだ。
あの、死を受け入れてなお浮かべた笑顔が。
あいつの腕を掴んでいた手から力が抜け、するりと外れる。
「……その覚悟はできている。今まで教団から逃げた理由を考えていたが、ようやく理解できた。それは、ミリアに出会うためだった。おかげで、人生の最後に最高の幸せをもらった。だから……もう十分だ」
くるりと踵を返し、あいつは歩き出した。
「待ちなさいよ!あんたは、ミリアよりも償いを選ぶっていうの!?」
「それが俺の背負っているものだからな……。だから、彼女に一つ伝言を頼みたい」
伝言ではなく、遺言の間違いだろうとは言わなかった。
「言いたいことがあるなら、自分で伝えなさいよ」
振り向いたあいつは、悲しげに笑った。
「最後の願いなんだ。どうか聞き届けてほしい」
そんなの知らない。
アタシは返事をしてやらなかった。
それでもあいつは構わず、伝言とやらを語った。
「生まれ変わったら……いや、生まれ変わっても、また君を好きになる。その時は、どんな形であっても今度こそ一緒にいる。そう伝えてくれ」
「っ!人生は一度だけよ!生まれ変わることなんてない!」
そんな幻想に縋るなとの意味を込めて叫んだ。
しかし、あいつは目を細めただけで意思が変わった様子はない。
代わりに、こんな質問を投げかけてきた。
「一つ問いたい。もし俺が勇者ではなかったら……彼女は俺を見てくれただろうか?」
「そんなの、本人に聞きなさいよ」
これ以上ないくらいに、怒りをこめて言ったつもりだった。
だが、あいつを引き止めるだけの効果はなかった。
声なく笑うと、あいつは扉へと歩き出す。
外では痺れを切らしたらしい教団の使いが下卑た声で何事かを叫んでいる。
しかし、それがなんと言っているかわからないくらいに、アタシの頭には血が上っていた。
その場を駆け出してあいつに追いつくと、腕を引っ張った。
くるりとこちらを向いたあいつの腹目がけ、容赦のない一撃を打ち込む。
「っ!」
なかなか効いたらしく、あいつは体を曲げた。
そんなあいつを前に両腕を組んで傲岸に構え、言ってやった。
「アタシを伝言役に使ってこの程度で済むんだから、感謝することね」
アタシの言葉はすぐに理解できたらしく、あいつは口元だけ笑って「感謝する」と呟いた。
「あんたは、アタシが知る限りで二番目に馬鹿な男だったと記憶しておくわ」
一番はもちろん、妻と娘を捨てて逃げ出したゴミみたいな男だ。
あの時の光景が脳裏に蘇り、八つ当たり気味に目の前の男を睨む。
対するあいつは、今度は何も言わずに家を出ていった。
外でなにか口論する声が聞こえたが、やがて大勢の足音が遠ざかっていく。
静かな家に取り残されたアタシは唇を噛みしめた。
本当は、ぶん殴ってでもミリアの前に連れていくつもりだったのに。
予定と現実の乖離ぶりに、やり場のない怒りが湧いてくる。
アタシは、あの子の助けにはなれないのかと。
いや、まだある。
そう思ったアタシは今後の予定を立てるべく、カビ臭いこの場から家に転移した。


家の前まで戻ったところで、アタシの機嫌は更に悪くなった。
ここ最近見なかったやつがいたからだ。
まさに扉をノックするところだったそいつは、アタシを見て微笑んだ。
「あ、ルカさん。お出かけ中でしたか。最近依頼がないのでちょっと営業に来たんですけど、なにか調べてほしいことはないですか?」
ミリアが偶然最後の禁書を見つけたことで、こいつへの依頼は取り消した。
その際に、一応は探してもらったからということで、洋ナシをたくさんくれてやった。
アタシとしては、あんたはもう用なしだと皮肉を込めたつもりだったのだが、この馬鹿はなぜか大喜びで、ものすごく残念な男だと改めて実感したものだ。
そんなこともあって、こいつには怒るを通り越して呆れているのだが、今のアタシは思い出すだけで腹が立つ会話をしてきたばかりだ。
結果、我慢の限界は一瞬で超えた。
「うっさいわね!今、馬鹿な男と会ってきてイライラしてるんだから、アタシの視界に入るんじゃないわよ!」
「お、男に会ってきた!?」
理不尽な物言いに怒るどころか、馬鹿はそこに食い付いてきた。
「ちょ、ルカさん、それはどういうことですか!?男って取引相手かなにかですよね!?」
「うっさいって言ってんでしょ!アタシは忙しいんだから、あんたと馬鹿なことを言いあってる暇なんかないのよ!」
「そこをなんとかお願いします!」
行く手を遮るように立たれた。
こいつはそこまで背が高くないが、やはりアタシと比べればその差は歴然だ。
目ざわり度が格段に増し、鉄拳制裁による排除をしようと体が動きかける。
その時、ふとある考えが浮かんだ。
「……あんた、営業に来たって言ったわね。それ、危険なことでも調べる気でいるの?」
アタシが急に態度を変えたからだろう。
馬鹿も一歩体を引いて、真面目な顔になった。
「限度はありますが……。なにか、調べてほしいことが?」
「ないこともないわ。けど、先に言えば、この調べ物は確実に危険が伴う。だから、引き受けろとは言わない」
別に、こいつに頼まずとも調べる方法はある。
アタシとしてはそういうつもりで言った。
だが、なにをどう勘違いしたのか、馬鹿は少し嬉しそうに頭を下げた。
「なにを今さら。あなたの頼みなら、例え火の中だろうと水の中だろうと調べに行きますよ」
キメているつもりなのかもしれないが、普段は残念なところしか見せないだけにまったく様になっていない。
しかし、今回ばかりは触れないでおいた。
「そう。じゃあ、内容を言うわ。場所はネルエド教団支部。調査対象はそこにいるであろうグレンって勇者よ。ついでだから言ってあげるけど、あんたが気にしてるさっき会ってきた馬鹿な男ってそいつのことだから」
「勇者が調査対象ですか。これはまた珍しいことを」
「余計な話はいいわ。どうする?引き受けるの?」
「報酬は?」
全くちゃっかりしている。
そう思うが、ここまで聞いてきたということは引き受けるとみていいだろう。
なら、後はこいつが喜ぶことを報酬にしてやればいい。
非常に不本意だが、言ってやった。
「アタシの手料理」
「引き受けましょう」
一瞬、驚いた顔になったがこいつはすぐにそう答えた。
「もう一度確認するわ。この仕事は教団に潜入して情報を引き出す危険な仕事よ。この前みたいに情報を改竄する必要はないけど、危険であることに変わりはないわ。それでも引き受けるのね?」
「男に二言はありません。引き受けます」
きちんと意思のある声にうなずいてみせると、腰のポーチから連絡用の水晶を取り出す。
「じゃあ、これを渡しておくわ。使い方は知っているわね?」
「もちろんです」
水晶を渡すと、睨むように馬鹿の顔を見る。
「言ったように、調べるのはそのグレンって勇者のことだけでいいわ。その際、なにを知ろうと勝手な判断で動かないこと。どんな些細なことでもアタシに報告すること。いいわね?」
「一ついいですか?」
「なに?」
「なぜ、その勇者のことを?あ、言えないことなら構いませんが……」
アタシは少し悩んだ。
知らなくてもいいことだし、教えずともこいつは仕事をやり遂げるだろう。
しかし、今回ばかりは事情が事情だ。
いかにこの仕事が重要かをわからせるために、アタシは話した。
「アタシの……親友のためよ」
情報屋を営んでいるだけあって、それだけである程度の察しはついたらしい。
それ以上の質問はなかった。
「わかりました」
了承の返事を聞いたところで、真っ直ぐにその目を見た。
そして。
「ランディ」
奇跡的に頭の端っこに引っ掛かっていたそいつの名前を呼んでやる。
「この仕事、失敗は許さないわ。絶対に成功させなさい」
まさか名を呼ばれるとは思っていなかったのか、あいつの顔が驚愕色に染まり、目を見開いた。
それでも、アタシがどれだけ真剣かは理解したようだ。
片膝をついて、恭しく頭を垂れた。
「仰せのままに」
「話は終わりよ。このまま教団支部に送るわ」
うなずくランディを転移魔法で送ると、すぐに家に入った。
とりあえず、これで向こうの情報はすぐにわかる。
「後は……」
椅子に座り、次の考えを巡らせる。
そこには、あいつの伝言など含まれていない。
最後の願いなんて、アタシには知ったことではない。
ミリアはあいつのために、別れることを選んだ。
あいつは殺してしまった者のために、償うことを選んだ。
なら、アタシは?
そんなの、決まっている。
全てはミリアのため。
ミリアに笑顔を取り戻すためだ。
初めてセラに会った時に問われた言葉が思い出される。
『あなたはミリアのことをどう思っているの?』
大切な親友。
思い出しただけで顔から火が出そうなくらいに恥ずかしくなるが、それでもそう思っている。
だからこそ、どんな手段を使ってでもあの子に幸せを取り戻す。
最後になんてしてやらない。
お互いに愛し合っているのなら、きちんと結ばれるべきだ。
この広い世界で、無数の人がいるなかで、互いに好きになれる相手と巡り会う確率がどれほどのものか、あの二人はわかっていないのだ。
運命という言葉は好きじゃないが、やがて夫婦となる二人の巡り会いは全て運命なのだと思う。
アタシの両親がそうであるように。
今の魔王様がそうであるように。
あの二人もまた同じなのだ。
「バカね……」
今は一人呟くだけにしておく。
そして、いずれあの二人が夫婦になったら改めて言ってやるのだ。
そのために必要なことがあるなら、なんだってしてやる。
親友のためになるなら、惜しむものなどなにもないのだから。
13/01/14 23:58更新 / エンプティ
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■作者メッセージ
以上、ルカのターンでした。
奇跡だよ、文字数1万5千を切ってる!
年末年始と忙しくて、文章が書けなかったわけじゃないですよ?
まあ、なかなか他の作者さんの作品を読む時間までは確保できないのですが……。
さて、読者の方がもどかしい思いをするのは今回で終わりです。
長かったミリアの物語はいよいよ終わりを迎えます。
次回、最終話となります。


「私にはあなたが必要だからよ」


ずっと一緒にいたい。
まるで少女のような願い。
しかし、優しすぎる彼女には、そんなわがままを言うことさえ難しかったのかもしれない。
止まってしまった時間が動く時、想いは溢れ出した。
それに従い、彼女は彼の下へ向かう。
どこまでも一緒に歩いていくために。


「アタシがあんたの幸せを願っちゃいけないの?」


その姿は永遠に少女のまま。
サキュバスでは持ち得ない魔力を持った彼女は、惜しむことなくその力を振るう。
全てはかけがえのない親友のため。
それが、彼女の選択なのだから。


「これでお別れだ……」


主神より加護を受け、勇者の称号を与えられし者。
罪深き魂は今日も蒼く輝く。
贖いの時を迎えた時、貫くのは信念か、愛する人への想いか、彼もまた選択することになる。


それでは、最後までお付き合いいただけると幸いです。
ルカの活躍はまだ終わらんよ(ボソッ

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