連載小説
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リリムと終わらない物語 〜日々の残照〜
静まりかえった部屋に、青年の荒い息だけが音として響いた。
まだ若い彼は衣服を一切纏わない姿でベッドに横たわっている。
その傍らに私は立っていた。
むき出しになった彼のペニスは見事に反り返り、表面に血管が浮き出ている。
後は、私が好きに精を搾り出すだけ。
しかし、ここまできて私の身体は拒絶の意思を示した。
私自身もペニスを前にしているというのに、目の前の彼から精を欲しいとはまったく感じない。
「ごめんなさい。やっぱりいいわ」
「え……」
途端にベッドの上の青年は飼い主に裏切られた子犬のような表情になった。
これから存分に快楽を味あわせてもらえると思っていたのだから、それも当然だ。
しかし、そういう気分になれなかった。
青年の頭に手を置き、催眠の魔法をかける。
すぐに襲ってきた睡魔に秒殺され、青年は眠りについた。
そのまま記憶を少し弄り、私に関するものだけを消すと脱いだ衣服を着せてあげる。
これで次に目覚めた時は、横になっているうちにうっかり眠ってしまったと思うはずだ。
後始末を終えると転移魔法で自宅へと戻り、ベッドに倒れ込んだ。
ここ最近、ずっとこんなことの繰り返しだ。
いくら私が膨大な魔力量を誇ろうと、それが有限であることに変わりはない。
だから、今日のように精を得ずに魔法だけ使えば減る一方なのは当然のこと。
魔力はまだまだあるとはいえ、回復させておくにこしたことはない。
頭ではそうわかっているし、現に精をもらいに出かけてはいるのだが、後は搾るだけという段階になると、どうしても気が萎えてしまう。
おかげで、魔力を無駄に消費するだけの日々が続いている。
身体は精を欲している。
しかし、いざその時になると拒絶反応を起こすのだ。
求めているものを拒絶する時点で矛盾しているようだが、少しも矛盾していない。
精を求めているのは間違いない。
ただ、精を欲しい相手がただ一人なだけで―。
「あなたのせいよ……」
ベッドにうつ伏せに倒れ込んだまま、彼が寝ていた場所に手を伸ばす。
かつては在った境界線は今はもうない。
しかし、同時に彼もまた消えてしまった。
いや、私が消した。
彼がいた場所に手を置いても、そこに彼の温もりはない。
温もりだけではない。
匂いも気配も、全てが消えてしまった。
二人で寝るのが当たり前になっていたからか、ベッドが広く感じる。
「嫌になるわね……」
枕に顔を埋め、目を閉じると眠気が襲ってきた。
疲労を感じないでもない。
ただ、それは心からくるものだ。
ため息をつくと、毛布にくるまってそのまま眠ることにする。
夕食を食べていないせいで微妙に空腹だが、料理をする気にならない。
もう一度ため息をつくと、意識が薄れていく。
一人のベッドは、心なしか寒い気がした。


気がつけば朝だった。
まどろむ意識のなかで、今日の予定はどうしようかと思いながら身体を起こす。
そして何気なく隣りを見て、朝一番のため息がもれた。
当然、そこには誰もいない。
無防備な寝顔で私を楽しませてくれた彼はもういないのだ。
わかっているはずなのに、身体が勝手に動いてしまう。
もう、すっかり癖になっている。
そこを見たのはなかったことにして、寝巻から着替えて台所に向かう。
昨夜はなにも食べなかったことだし、朝食はしっかり食べなければ。
だが、いざ準備をしようとしたところで手が止まる。
どれだけ張りきって作ろうと、食べてくれるグレンはいない。
そう思っただけでやる気が失せた。
「はあ……」
グレンがいないせいで、口から出るのはため息ばかりだ。
準備しかけた食材を片付け、ふらりと居間にいく。
その過程で、無意識のうちに目が彼を探している。
いないとわかっているはずなのに探してしまう。
最近まで当たり前のように傍にいてくれたから、そのうちにすっと姿を見せてくれるような気がするのだ。
しかし、いくら待っても私が期待していることは訪れない。
聞こえるのは、屋根をうつ雨の音だけ。
「雨……」
今になって気づいた。
本来なら目覚めて一番に気づくはずだが、今頃になってようやくだ。
よほどぼんやりしていると痛感する。
ふらりと玄関に向かい、扉を開くと見事な雨だった。
「……」
雨の景色を一瞥すると、そのまま外に出る。
途端に冷たい雨が頭から足までまんべんなく降り注ぎ、私を濡らしていく。
それでも構わずに前へと進む。
あっと言う間にずぶ濡れになった服が肌に張り付いてくるが、そんなことは気にせずに家から離れると、そこで立ち止まって空を見上げた。
絶え間なく降る雨はやみそうになく、あらゆるものを洗い流しているように見える。
それを眺め、ふと思う。
グレンを想うこの気持ちも、流してくれればいいのにと。
「馬鹿な考えね……」
そんなことで誰かを想う気持ちが捨てられるなら、苦労はしない。
仮にそれが本当にできたとしても、この想いを捨てたいかといわれれば、うなずきかねるのだ。
心が泣いている。
そう思った時だった。
頬に当たる雨に、温かい粒が混じった。
「え……?」
驚き、自分の頬に手を当てる。
冷たい雨に混じるそれはすぐに冷めてしまうが、きちんと私の顔にあった。
それだけでなく、次々に頬を伝っていく。
そうなって、ようやくそれが雨ではないことを理解した。
「泣いているの……?私は……」
最後に涙を流したのはいつかも覚えていない。
その理由さえも記憶に残っていない。
でも、今私は確かに泣いている。
彼が傍にいないことが寂しい。
急に湧き上がってきた寂寞の思いに、自分で驚いてしまう。
今までずっと一人で暮らしてきて、寂しいと思ったことなどなかった。
賑やかなパーティーやルカとともに散歩に行って帰ってきた時でも、そう感じたことはなかった。
なのに、今は寂しい。
グレンが傍にいてくれないことが、こんなにも寂しい。
「グレン」
口から勝手に彼の名前が出た。
「グレン」
私の声はすぐに雨の音にかき消されてしまう。
「グレン」
そっと、彼の名を何度も呟く。
この世界に、グレンの名を持つ男は他にもいるだろう。
でも、私の声に応えてほしいのはたった一人だけ。
私が想いを寄せている彼だけ。
もう一度、彼の名を呼ぼうと口が開きかけた時だ。
「ミリア?こんな雨の中なにしてるのよ?」
雨音に聞き慣れた声が加わった。
それが誰かは、すぐにわかる。
ゆっくりとそちらを向けば、魔力のヴェールで雨を遮断しているルカがいた。
不思議そうに私を見ていたルカだったが、すぐにその目が見開かれ、驚愕の表情になる。
「っ!あんた、泣いて―」
恐ろしいことに、ルカはすぐに見抜いたらしい。
しかし、この雨の中では涙か雨かの区別などできないはずだ。
それを誤魔化すように、無理矢理笑みを浮かべる。
「ちょっと雨に当たっていただけよ」
直後、ずんずんと大股で近寄ってきたルカに腕を引っ張られた。
「当たってたじゃないわよ!風邪ひいたらどうするつもり!?」
魔物がそうそう風邪などひくわけがない。
そんなことは魔物なら誰だってわかっているはずなのに、ルカは強引に腕を引っ張り、私を家の中へと連れていく。
「ほら、さっさと濡れた服を脱ぎなさいよ!あと、タオルと着替えはどこ!?」
風呂場の脱衣所まで引っ張ってきたルカは苛立ちを隠そうとしない声で、早口にまくし立てる。
「寝室のクローゼットと引き出しにそれぞれあるわ」
「取ってくる。いい!?アタシが戻ってくるまでに脱いでおきなさいよ!?」
怒り心頭といった様子で行ってしまった。
なんでそこまで怒っているのかはわからないが、このままでいたら余計に怒らせることになりそうだ。
仕方なくびしょ濡れになった服と下着を脱ぎ、暇に任せて自分の裸に目をやる。
色白の肌、膨らんだ胸、くびれた腰、すらりとした手足。
そのどれがもが男を魅了してやまない……はずだが、グレンはどう思っていたのだろう。
あの日、あのままキスをしていたら、この裸体を晒して欲望のままに交わっていた。
そうすれば、グレンのことを間違いなく魅了していたはずだ。
そうするのが嫌で本能に抗ったわけだが、こんな寂しい思いをするくらいなら、いっそ魅了してしまったほうがよかったと思えてくる。
あの時の選択が間違っていた気がしてくるのだ。
そんな馬鹿な考えにため息をつきかけたところで、ルカが戻ってきた。
「ミリア、入り口に置いておくから」
「わかったわ」
返事をすると、足音が遠ざかっていく。
少女らしい小さな足音が聞こえなくなると、自然と笑えてきた。
これ以上、ルカに心配をかけるわけにはいかない。
なんとか気持ちを切り替えると、ルカが持ってきてくれたタオルで体を拭き、次いで服を着る。
そのまま居間に行くと、ルカは不機嫌丸出しの顔で待っていた。
「お待たせ」
「ん……ってあんた!髪が濡れたままでしょ!」
そして、私を見て再び呆れたような声を上げる。
そういえば、ざっと拭いただけな気がする。
「すぐに乾くわ」
「そういう問題じゃないわよ!ほら、ここに座んなさい!」
さっきと同じように強引に腕を引かれ、そのままソファに座らせられる。
そうするとルカは再びタオルを取ってきてソファの後ろに回り、そのまま私の頭を拭き始めた。
「ルカ?」
「いいから、じっとしてなさいよ」
遠慮しているのか、少しぎこちないが、ルカの手は止まることなく頭の上で動いている。
「で、あのバカはどこにいったのよ?」
あの馬鹿とは、きっと彼のことだろう。
グレンを思い出させる発言に、心が再び痛み出した。
「……故郷に帰ったわ」
「は?帰った?」
自分の言葉に胸が締め付けられる。
本当は無理矢理帰ってもらったと言ったら、ルカはどういう反応をするのだろう。
「ええ。あなたが作ってくれた薬のおかげで具合もよくなったから、そろそろ戻ると言ってね。だから、故郷まで送ったわ。今後は、そこでゆっくり過ごすそうよ」
直後、私の頭の上で動いていたルカの手が止まる。
「ふーん……」
私の言葉を信じていないのか、実に気のない返事だ。
止まっていた手が再び動き始めるが、さっきより少し荒っぽい。
拭いてくれるのは嬉しいが、もう少しなんとかならないかと背後を振り返ろうとしたところで、ルカから声が発せられた。
「あんたは、それでよかったの?」
体がぴたりと硬直する。
これでいいわけがない。
あの時のグレンの言葉を思い出すだけで胸の奥が痛み出す。
だが、同時にそう言うグレンの気持ちも理解できた。
勇者の彼がなにを思い、そう言ったのか、手に取るようにわかってしまったのだ。
ただ、理解することはできても本能がそれを拒否した。
お互いの望むことは両立しない。
それがわかったから、私はグレンを故郷に無理矢理送還した。
あのままだったら、強硬手段に出て自分の望みを果たそうとしたから。
そんな私の事情もあって、結果的にグレンの意思を優先したが、いいわけがないのだ。
そう思っているはずなのに、口は真逆のことを言っていた。
「……ええ」
「本当に?」
間髪入れずに聞き返された。
「本当よ。それより、今日はどうしたの?ルカ」
強引に話題を変えて振り返ると、ルカはぷいとそっぽを向いてしまう。
「別にこの間と同じ。ちょっと様子を見にきただけよ。アタシが作った薬で具合が悪くなったとか言われても困るし。ま、無駄な心配だったみたいだけど」
素っ気なく言うルカは髪を拭き終わったらしく、すたすたと歩いて私の正面のソファに座る。
そして、すぐにその目が私に向けられた。
「ま、あいつがいないならいないで構わないわ。アタシにはどうでもいいし。そんなことより、どこか出かけない?」
「こんな天気でも出かけるつもりなの?」
「退屈よりはマシよ」
珍しく、ルカからのお誘いだ。
普段の私なら二つ返事で了承しているところだが、今はそんな気分になれなかった。
「ごめんなさい、ルカ。今日はそういう気分じゃないのよ」
「じゃあ、どんな気分なわけ?」
どんな気分かといわれても困る。
正直、今日はなにもしたくない。
「そうね……。家でのんびりしていたい気分かしら」
ルカは嫌がりそうなどと思いながら言ってみたのだが、ルカは意外なことにすんなりとうなずいてみせた。
「じゃあ、それでいいわ。ちょっと飲み物用意してくる」
そう言ってルカが腰を浮かせるので、らしくない行動に目を見開いた。
「ねえルカ、なにかあったの?」
「は?どういう意味よ?」
「だって、ルカらしくないんだもの。だから、なにかあったのかと思って」
ルカがこの家に来たことは一度や二度ではないから、勝手は知っていておかしくない。
だが、自分で飲み物を用意するなどと言い出すとは夢にも思わなかった。
こちらの胸中を察したのか、ルカは目を細めてなんともいえない視線を向けてくる。
「なにかあったのはあんたでしょ」
まったく鋭い指摘だ。
気心知れた仲だからか、つい苦笑してしまう。
ただ、今のルカの視線はちょっと痛いので、逃げるように腰を上げた。
「あなたが思うようなことはなにもなかったわ。それより、飲み物は私が用意するから、ルカは座っていて。コーヒーと紅茶、どちらがいいかしら。お望みなら、お酒でもいいけど」
ルカは相変わらずじっと刺すような視線を向けてくる。
やがて、むすっとした表情で顔が逸らされた。
「なんでもいいわ。あんたの飲みたいやつと同じでいい」
「じゃあ、ちょっと待っててね」
気だるい体を動かして辿り着いた台所で、飲み物は何にしようかと思案する。
その過程でティーポットが目につき、そのまま紅茶に決定。
続けてカップを用意しようとしたところで、ぴたりと手が止まった。
手の先にあるのは、空色のカップ。
いつもグレンが使っていたものだ。
別にどのカップが誰用などとは決めていないのだが、ルカはピンク、私は緑を使うことが多かった。
それに従うならピンクのカップのはずなのに、手は空色に伸びていた。
グレンとの共同生活がすっかり癖になっていることを痛感する。
もう、そのカップを使う者はいないというのに。
主が消え、使い手のいなくなった空色のカップを見ていると不意に目元が熱くなり、慌てて顔を振る。
さっき涙を零したせいで、涙腺がかなり緩んでいるらしい。
再び涙が出そうになるのをこらえ、手早く紅茶を準備するとピンクと緑のカップをトレイに載せて居間に戻った。
「お待たせ」
ルカの前にカップを置き、その向かい側に自分の分を置くとソファに腰を下ろす。
それだけで、身体が変な疲労を訴えてくる。
やはり今日は気だるい。
このままソファに横になったらそのまま眠れそうだ。
ルカはルカでさっそく紅茶に口をつけ、しかめっ面で「あつっ……」と呻いている。
それを見て、私も自分のカップに口をつけた。
口内で広がるほんのりとした甘みと若干の苦み、そして風味溢れる香り。
グレンはコーヒーより紅茶を好むようなので、美味しいと評判の茶葉を買ってみたのだが、その評価に間違いはないようだった。
ただ、そのグレンがいないというだけで、せっかくの紅茶もほとんど味がしない。
コーヒーにしたほうがよかったかもしれないなどと思っていると、ルカから声がかけられた。
「ねえミリア。もう一度聞くけど、あんたはこれで本当によかったの?」
面と向かって見つめてくるルカは、どこか心配そうな表情を浮かべている。
なんだかんだで気を遣ってくれるルカだが、ここまでストレートな心配をされたのは初めてかもしれない。
それくらい、今の私は普段とは違って見えるということだろうか。
だとしたら、これ以上の心配をかけるわけにはいかない。
だから、紅茶をもう一口飲んで普段通りのように振る舞い、極めつけの笑顔を浮かべた。
「ええ。心配してくれてありがとう。嬉しいわ」
目を細めてからかいの言葉を告げる。
後は、恥ずかしがるルカに追い討ちをかけて完璧に普段通りの振る舞いとなるはずだった。
しかし、ルカは少しも恥ずかしがってなどいなかった。
まるで飼い主の不思議な行動を眺める猫のように、じっと私を見つめてくるだけだった。
おかげで面食らったのは私だ。
こんな反応は予想すらしてない。
「ルカ……?」
声をかけると、ルカはどこか憂いを帯びた表情で顔を逸らした。
「……そう。なら、もういいわ」
この話は終わりとでも言わんばかりに紅茶を啜るルカからは、呆れや疲労といった空気が感じられる。
その後、ルカは夕方に帰るまでずっとその空気を纏ったままだった―。


お茶で使用した最後の皿を洗い終え、かちゃりと音を鳴らす。
雨は止んだらしく、洗い物が終わると家の中は途端に静寂に包まれた。
時刻は夕食を作る時間だ。
なにを作ろうかと腰を浮かせたところで、ルカは夜は予定があると言って帰っていった。
その際、「きちんと夕飯は食べなさいよ」と捨て台詞を残していったのだが、一人では食事以前に料理をする気にならない。
「……はぁ」
漏れたため息が消えていくと、再び寂しさが込み上げてくる。
さっきまではルカがいてくれたおかげで忘れていたが、一人になった途端にこれだ。
それを紛らわせたくて、つい辺りを見回してしまう。
もういない彼を探し、この家のどこにも存在していないことを再確認すると、今度は心が痛みだす。
「本当に嫌になるわね……」
立っているのも億劫になり、寝室に移動するとベッドに体を横たえた。
「グレン……」
すぐそこにいるような気がして、彼がいつも寝ていたところに手を伸ばす。
しかし、伸ばした手は虚しく空を切り、シーツの上に落ちる。
すぐにでも会いたい。
彼に会って想いを伝え、優しく抱きしめてもらいたい。
グレンはこの世から消えてしまったわけではない。
だから、会いに行こうと思えばいつでも行ける。
でも、それはできそうにない。
グレンを求める本能はすっかり沈黙しているが、彼と会ったらどうなるかわからないからだ。
どうにもならない現状をもどかしく思っているうちに、いつの間にか浅い眠りについていた。
ソファに向かい合って座り、お茶をしながらグレンと楽しそうに会話をしている自分が見えた。
そして、私は空気にでもなったかのようにその様子を眺めるだけで、声も出せないままに談笑する二人を眺めるだけ。
この光景が過ぎた日々の一日なのか、それとも訪れるはずだった未来の日なのかはわからない。
グレン……。
見ていて切なくなる夢の中で、誰よりも愛しい彼の名をそっと呟いた―。


翌日の朝の目覚めはあまりいい気分ではなかった。
もっと言えば、グレンがいなくなってから、いい目覚めを迎えたことはない。
ゆっくりと体を起こし、ちらりと横目で隣りを見る。
そしてすぐにため息がもれた。
「四日目……ね……」
グレンがいない朝を迎えるのはこれで四日目。
自分で言ってみて呆然としてしまう。
まだ四日しか経っていないのかと。
体感では彼がいなくなってもう何年も過ぎたように感じるというのに、実際はたったの四日だけ。
四日でこれでは先が思いやられる。
今後を考えるとげんなりし、起こした上半身がベッドに倒れ込んだ。
「今日はどうしようかしら……」
優先すべきは魔力の回復、つまりは精の摂取なわけだが、まったくといっていいほど気が向かない。
それだけでなく、なにもしたくない。
しなければならない用事があるわけでもないし、今日は一日寝ていようかとなまけ心が顔を覗かせてきた時、玄関をノックする音がした。
次いでルカの声。
昨日は様子見という理由で来てくれたみたいだが、今日の訪問目的はなんだろうか。
やれやれとため息をこぼし、玄関まで移動すると扉を開ける。
「おはよう、ルカ。今日はどうしたの?」
「退屈だったから来ただけよ。はい、これ」
素っ気なく言い、手にしていた袋を差し出してくる。
「これはなに?」
「差し入れのレナの料理よ。どうせ食欲ないとかで食べてないんでしょ?」
見事なまでに図星だ。
共に過ごした時間がそれなりだと、ここまでわかってしまうのかとちょっと感心してしまう。
「朝はまだ食べてないわね。とりあえず入って」
扉を開けて、ルカを家に招き入れる。
こんなやり取りを翌日も翌々日もした。
ルカが朝からレナの料理を持って私の家に来るのだ。
「ねえルカ。毎日来てくれるのは嬉しいけど、仕事はいいの?」
「アタシを誰だと思ってんのよ。納期が近い品は全部用意してあるから問題ないわ」
当然顔で言うルカだったが、この日はふと思いついたように顔を向けてきた。
「ああ、そういえばあんたにちょっと付き合ってもらいたいところがあるのよ。大した手間でもないから、一緒に来てくれる?」
「付き合ってほしいところ?……どこなの?」
一瞬、気が乗らないと言いかけたが、それは寸前のところでこらえた。
断って家にいたところですることもない。
することがなければ寂しさを覚え、そのままグレンのことを考えてしまう。
それなら、ルカについて行った方が気は紛れる。
「そこそこ大きい町よ。アレストってとこ。アタシが材料仕入れてるとこの店主が一度リリムに会ってみたいんだってさ。まあ、向こうが勝手に言ってるだけだから、無理に来なくてもいいわ。これで今後の取引が悪くなるわけでもないし」
「行くわ。家にいても退屈だもの」
「そう。じゃあ、これ食べたら行きましょ」
話がまとまり、レナお手製の厚い肉を挟んだサンドイッチを食べたところでアレストに向かった。
気持ちのいい快晴の下、町はけっこうな賑わいぶりで、綺麗に石が敷き詰められた歩道を歩く人の数はそれなりだった。
なんてことのない日常的な光景には、仲よく腕を組んで歩く恋人の姿もある。
それを目が捉え、来ないほうがよかったかもしれないと内心呟く。
ほんの数日前まであんなふうにグレンと並んで歩いていた私には少し目の毒だ。
そう思い、勝手にため息をつきかけるが、それはなんとか阻止した。
ルカは聡い子だから、私とグレンがまともな別れ方をしたわけではないことくらい、うすうす気づいているはずだ。
だからこそ、こうして気晴らしに私を連れ出してくれている。
その気遣いを無駄にするような真似はしたくない。
だから、笑顔を浮かべて尋ねた。
「さて、私達はどこに向かうの?」
「町の西側にある雑貨商よ。ここからだとこっちね」
迷う素振りもなくルカが歩き出し、私もそれに続く。
だが、軽快に歩くルカと違って私の足取りは重い。
しかも、仲睦まじく歩いている恋人や夫婦が目につく度に足は重さを増していく。
これは本当に自分の足なのかと首をかしげそうになった頃、目的地に到着した。
四階建てのその建物は、壁面は白く、屋根は群青色と目立つ作りだった。
いくつもある窓ガラスは磨き上げられて光を反射している。
白い壁は汚れやくすみもなく、建てられたばかりだと言われても納得できる見栄えだ。
ルカは随分立派なところと取引しているのねとぼんやり商館を眺めるが、当のルカは慣れた足取りで玄関に向かう。
そこには男が一人退屈そうに立っていたが、ルカを認めると恭しく頭を垂れた。
取引相手だからか、特に言葉をかけられることもなく顔パスらしい。
だが、続く私を見て男は怪訝そうな表情を浮かべた。
彼にとって私は見知らぬ者だからそれも当然の反応だが、ルカが一言二言言うと、それで話はすんだらしい。
男は見事な作り笑顔を浮かべて、ルカの時と同じように頭を垂れた。
そんなやり取りを経て商館に入ると、そこは貴族の屋敷のような内装だった。
照明、絨毯、椅子にテーブルといった日常的に使う物から、ところどころに置かれた花瓶や棚まで、一目で高級だとわかる物ばかりだ。
そこを行く人もきちんとした身なりの者ばかりで、いかにも儲かっていることを窺わせる。
前を歩いて私達を案内してくれている男も、上質の生地で作ったと見られる服に身を包んでいる。
「立派なところね」
思ったことを口にすると、隣りを歩くルカは前を行く男を気にせずに言った。
「あんたの実家や、セラの城に比べれば可愛いもんでしょ」
「そうかしら」
「平民出身のアタシにはそう見えんのよ」
そうこうしているうちに案内をしていた男が足を止めた。
扉をノックし、中にいる人物に来客の旨を告げると、すぐに許可が出たらしい。
扉を半開きにして、入るように手で合図する。
ルカが先に入り、私が後に続く。
背後で静かに扉が閉まると、爽やかな男の声が部屋に響いた。
「ようこそ、クロシス商会へ」
声の主はテーブルの書類から顔を上げ、うっすらと笑みを浮かべていた。
ブラウンの髪を後ろに撫でつけ、四角いフレームの眼鏡をかけたその男はまだ若く見える。
だが口ぶりから察するに、この商会の主なのだろう。
「呼んだのはあんたでしょ」
「ええ、その通りです。それにしても、知人の方まで連れてきて下さるとは。どうぞ、お座り下さい」
意外なことに男は立ち上がるとこちら側に来て自ら椅子を引き、そこに座るよう手で促した。
ルカが当然のようにそこに座るので、私もそれに習って隣りに腰かける。
それを見届けた男は私達の正面の席に戻ると、テーブルの上の鈴を鳴らした。
すぐに雑務担当と思われる男が部屋に入ってきて、男の傍で一礼する。
「飲み物をお伺いしましょう。ルカさんはどうしますか?」
「紅茶」
ルカが素っ気なく言うと、男の視線が私に映る。
「では、リリム様はいかがしますか?お望みなら、年代物の酒もお出しできますが」
えらい気の遣われようだ。
しかし、お酒を口にしたい気分ではない。
「私も紅茶でいいわ」
「左様ですか。では、お二人に紅茶を」
無理に酒を勧めようとはせず、傍の男に指示を出す。
うなずき、男が出て行くと視線がこちらに向いた。
「さて、早速ですがご連絡させていただいた件について説明致しますね。まずは―」
「ちょっと。それより先にすることあるでしょ?」
ルカが鋭い声で口を挟んだからか、男は呆けた表情で話すのを止める。
「先にすること?……ああ、そうですね。そうでした」
若干考えるように視線をさ迷わせたが、すぐに理解したらしい。
バツが悪そうに立ち上がり、私に目が向いた。
「申し訳ありません。私としたことが、ついいつもの調子で話しておりました。美人二人と向かい合って浮かれているのかもしれませんね」
そう言いつつ咳払いし、真っ直ぐに私を見て微笑む。
「当商会の主、ベニラスと申します。以後、お見知りおきを」
右手を胸に当てて恭しく頭を下げつつ自己紹介する。
こうなったら次は私の番だ。
しかし、立ち上がろうとしたところでルカに腕を掴まれた。
なんのつもりかと目を向ければ、そんなことはしなくていいと目で語っている。
「この子はミリア。わかっていると思うけど、リリムの一人よ」
なぜかルカが私に代わって紹介をする。
それでも構わないのか、ベニラスは満足そうにうなずいてみせた。
「ミリア様ですね。リリム様はあらゆる者を魅了できると聞いていますが、こうして直に会うと納得できる話ですね。噂に違わぬ美貌だ。お会いできて光栄ですよ」
その時、先程の男がカートを押して部屋に戻ってきた。
私とルカの前に紅茶とミルク、角砂糖、薄い紫のソースがかかった白いケーキが並べられていく。香りから察するに、レアチーズケーキのようだ。
それらを並べ終わると、男は再び一礼して部屋から去っていった。
「どうぞ、遠慮なく召し上がり下さい」そう言ってベニラスはにこやかに笑う。
「では、先程の続きといきましょうか。ルカさんをお呼びした件ですが、以前から打診されていた品を入手するルートができました。ただ、我々の顧客には需要があまりよろしくない。買い手はルカさんだけのようなものです。よって、ルカさん次第でそのルートを使用するかが決まる。その詳細をお話するためにお越しいただいたわけです」
「確保できる量は?」
問い返すルカに、ベニラスはもったいぶるように間を空けて言う。
「常識の範囲内でなら、いくらでも」
「ん、わかった。じゃあ、よろしく頼むわ」
悩む素振りさえ見せないルカに、ベニラスは了承の意を示した。
「かしこまりました。いつもながら即断即決ありがとうございます。あれこれと詳細条件をつけないのはルカさんくらいなものですよ。では、必要があればお申し付け下さい。今後は他の品と同じようにご用意しますので。なにか質問はございますか?」
「それ、取引以外のことでもいい?」
「ええ、もちろん」
ベニラスがうなずいてみせたので、そこでルカは私を見た。
「リリムに会いたいと言った理由は?」
その質問は少し意表を突いたらしい。
ベニラスは何度か声なく口を動かし、ようやく笑みを浮かべた。
「……大した理由ではありませんよ。自慢ではありませんが、我々は王族との取引を行うこともあります。商人は儲けることが信条の生き物ですから、取引相手が金持ちであることに不満はありません。その点においては取引相手が国王であることは喜ばしいことでしょう。しかし、取引相手としては不満がなくとも、人間的に見ると実につまらない。とある国の王とその子息にお会いしたことがありますが、常に他人の目を気にして、えらそうにふるまうことが仕事だとでも思っているようでした」
当時の様子を思い出したのか、ベニラスはふと笑って続ける。
「人の王族は残念でしたが、魔物の王族はどうなのだろうと思ったのです。しかし、リリム様となるとそれこそ簡単に会えるものでもない。だから、顔の広いルカさんにお願いしたのですよ」
「ふーん。で、感想は?」
ベニラスの顔に苦笑が浮かんだ。
「想像以上の美しさに驚きました。同時に、会えてよかったと思います。ルカさんには感謝しますよ」
「感謝するならアタシじゃなくて、こうして来てくれたミリアにすることね。で、話は終わり?」
「ええ。他に質問がなければ」
すぐにルカが立ち上がった。
どうやら、話すことはもうないらしい。
「じゃあ、今日はこれで帰るわ。ミリア、行きましょ」
「ああ、ミリア様。少しお待ちを」
私が立ち上がったところで、そんな声がかかった。
見れば、ベニラスが立ち上がってこちらに向かってくる。
そして、私の前に立つと右手を差し出してきた。
「今後、よい関係を築きたいと思いまして」
そこには多分な意味が含まれていそうだったが、握手を求められたら応じないわけにもいかない。
差し出された手を握り返し、笑みを返す。
「そうね。ルカのこと、今後もよろしくお願いするわ」
「ええ、もちろんですとも。ミリア様も今後なにか必要な物がありましたら、遠慮なくお申し付け下さい。どんな物でも必ず用意してみせますので」
握手を交わしていた手が彼の両手で包まれた。
ベニラスとしては、今後も懇意にしたいということなのだろう。
だが、なぜか彼と触れていることが不快だった。
それを少しでも早くなんとかしたくて、会話を切り上げる。
「ありがとう」
幸い、ベニラスはそれで手を離してくれた。
「では、またのお越しをお待ちしています」
ベニラスに見送られて部屋を出た私とルカはそのまま商館を後にする。
行き先もなく少し歩いたところで、ルカが立ち止まって振り向いた。
「さて、用事は終わりよ。これでアタシも時間が空いたわけだけど、行きたい場所はある?」
ルカの言葉にはあるなら付き合うという意味が含まれていたが、ぶらつきたい気分ではない。
「ないわね。どこかで、座ってゆっくりしたいわ」
「そう。じゃあ、ちょっとついて来て。無駄な時間に付き合せたお詫びに奢るから」
私の腕を掴むと、ルカはずんずんと歩き出した。
腕を引かれる形になった私は必然的についていくことになる。
そういえば、グレンと買い物に出かけた時は私がこうして彼の腕を引いていた。
あれが昔のことのように思えた。
もうあの頃には戻れないのだと思うと、胸に切ない痛みが走る。
気休めにしかならないが、それを手で押さえているうちにルカが止まった。
「ここよ」
案内された先は、洒落た雰囲気の喫茶店だった。
ただ、同時に高級そうな空気も醸し出している。
そして、それが勘違いではないことはすぐに証明された。
入店すると、先程の商館にいた人達と大差ないくらいに立派な服のウェイターに出迎えられ、案内された席で開いたメニューの品々は、そのどれもが高額だった。
私もリリムの端くれなので、魔王城にいた頃はこれくらいの品を食べていたはずだが、ルカがこういう高級嗜好の店に連れてくるとは思わなかった。
「……ルカ、こういう店にはよく来るの?」
「ん、まあね」
メニューから顔も上げないルカだが、見栄を張っているわけでもなく、その表情はいつも通りの澄まし顔。
それが、随分と気を遣わせてしまっているような気がした。
「ルカ、こういう気遣いは……」
「なによ。奢りなんだから、あんたは遠慮なく頼めばいいのよ。言っとくけど、アタシ結構稼いでるから、この程度どうってことないわ」
それ以上言うと、怒りそうな雰囲気だった。
仕方ないので、ため息を落とすとメニューを見つめ、現在の食欲でも食べられそうなものを吟味する。
ルカも決まったらしく、目で私に確認をすると、呼び鈴を鳴らした。
先程のウェイターが現れ、二人分の注文を確認すると深々と腰を折ってから去っていく。
「何度か来たことあるの?」
「片手で数えられる程度だけどね」
「そう……。ちょっと意外だわ。あなたは、こういう店に興味なさそうだったから」
「まあ、それもあながち間違いじゃないわね。以前、ベニラスが勧めてきたから、気まぐれ起こしてちょっと前に入ってみたのよ」
「で、悪くはなかったと」
「そういうこと」
ルカが何度も来ている以上、値段相応の味は保証されているようだ。
「でも、あなたが男の勧めた店に行くというのは、なんだか不思議に感じるわ。あの人とは仲がいいの?」
「別に、ただの取引相手の関係よ。それ以外の意味はないわね。で、あんたに聞きたいんだけど」
「なに?」
「大したことじゃないわ。と、その前に……」
ルカが口を止めたのは、先程のウェイターが小奇麗なワゴンに注文の品を載せて戻ってきたからだった。
彼は手早くテーブルに品物を並べると、「以上でお揃いでしょうか」と確認。
ルカがうなずいてみせると、馬鹿にならない金額が記されている伝票をテーブル端に残して去っていく。
ルカが飲み物に手を出したので、それに習って私も香り豊かなエスプレッソを口に運ぶが、香りに反してろくに味がしない。
このエスプレッソに限ったことではないが、最近、口にするものから味というものがほとんど感じられなくなった。
ただ、奢ってもらっている手前、ルカにそれを悟らせたくはなかった。
「美味しいわね。香りも味も見事だわ」
「ま、値段が値段だし、そうでなくちゃただのぼったくりってことになるしね。で、さっきの続きだけど、あんた、あいつと会ってどう感じた?」
「あいつ?」
「ベニラスよ」
反射的に右手を見ていた。
そこに、握手の時に感じた不快感はほとんど残っていない。
彼と会っていたのは、数十分前。
だというのに、ベニラスの顔があまり思い出せない。
気がついたら、握手を求められていた。
そんな感じだ。
「その様子じゃ、ろくに興味を持たなかったみたいね」
私がなにも言わないことから、当りをつけたルカが言ってきた。
「ごめんなさい」
「別に、責めているわけじゃないわ。ベニラスは独身で、恋人もいない。だから、あそこと取引してる独身の魔物の半分以上があいつを狙っているわ。そんな男が、あんたの目にはどう映ったのか気になっただけよ」
「いい人だったとは思うわ。私の好みではなかったけど」
「向こうはあんたのこと気に入ったみたいだけどね。あそこまで他人に冗長に話してるとこは初めて見たわ。ま、他人のアタシから見れば、あんたに相応しい男だとは思わないけど」
ルカは頬杖をついて私を見た。
優しげな目が私に向けられ、次いで口元が少し笑う。
「じゃあ、どんな人が私に相応しいと思うの?」
ようやくいつもの調子が出せた気がする。
しかし、ルカは鼻で笑った。
「さあね。アタシから言わせてもらえば、そんなヤツはこの世にいない」
「……それは、私は一生結婚できないということかしら」
さすがにそれは嫌な気がする。
「そうは言ってないわ。ただ、相応しいヤツはいないってだけ。だから、あんたが気に入った男を選べばいいってことよ」
もう選んでる。
喉まで来ていたその言葉を注文したラズベリーソースのチーズケーキを口に入れて誤魔化すが、同時に思い浮かんでしまった彼のことまでは打ち消してくれなかった。
目を閉じれば、どこか哀愁を含んだ微笑を浮かべるグレンが見えた。
会いたい。
この手で故郷に送ったくせに、ついそう思ってしまう。
「ミリア?」
意識が現実に戻った。
「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたものだから」
「……ごめん。気に障った?」
ルカにしては珍しく、口元をもごもごさせてから謝罪の言葉が返ってきた。
「そういうわけじゃないわ。ちょっと思うところがあっただけ」
「思うところ、ね……」
なにかに気づいているようなニュアンスのセリフを吐き、ルカはカップに口をつける。
続けて、巨大なパフェプリンを食べ始めた。
「ルカ、それ、一口もらっていい?」
ルカは食べる手を休めると、器をテーブルの中央に滑らせてきた。
「それで、今後の予定は?私はまだどこかに付き合った方がいいの?」
「あそこだけだから、もういいわ。逆に、今度はアタシが訊きたいんだけど、あんたに行きたいところがあるなら付き合うわ。……夫探しでもね」
最後に取ってつけたように言われた夫探しの言葉に、胸がちくりとする。
夫になってほしい人は一人しかいない。
しかし、欲しいのに求められない。
そのもどかしさが苦みとなって、胸の内側に広がっていく。
「行きたい場所はないわね……。夫探しの気分でもないし、申し出はありがたいけど、またの機会にするわ」
視線をルカから外すと、胸の苦みを消そうとパフェプリンを一匙すくって口に運ぶ。
糖分が八割以上を占めているであろうそれは、口に入れると簡単に溶けていく。
しかし、心だけでなく、親友にも嘘を吐いた口には苦さが広がったのだった。
13/05/12 21:41更新 / エンプティ
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■作者メッセージ
新年、明けましておめでとうございます。
しかし全く話が進んでません!めでたくねぇ!
とりあえず謝っておきます。どうも、エンプティです。
この内容で一話使うのは避けたかったのですが、グレンと別れた後のミリアをどうしても書かなくてはいけなかったのでご容赦を。
肝心の恋煩いのミリアを上手く書けたかは正直疑問なのですが。
そんなわけで、今回はグレンはお休みです。


「バカね……」


それは、虹色の日々だった。
一つとして同じ日はなく、そのどれもが輝いていた。
しかし、それが失われようとしている。
目の前の現実は似ているようで、全く異なるもの。
全てを在りし日に戻すため、彼女は動く。


次回、あの子のターンです。

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