リリムと白い孤島 〜白銀の世界にて〜
視界に映る景色は白一色だった。
今回、私が散歩に来たのは小さな雪島。
ここ最近雪を見ていないと思い、行き先がこの島になったわけだ。
雪景色というのはいつ見てもいいもので、そこに雪が降っていると更にいい。
静寂とともに降り続ける雪を眺めていると、なぜか心が躍るから。
しかも、嬉しいことに今回の散歩には同行者もいるのだ。
私がつい口元に笑みを浮かべてしまうのも無理はなかった。
「いい景色ね」
「ええ、そうね……」
「それに、とても静か。落ち着くわね」
「そ、そうね……」
いちいち相槌を打ってくれる連れの声は、いまいち元気がない。
その理由は、お互いに手に持った食べ物にある。
「ふふっ、雪景色を見ながら食べるソフトクリームというのもなかなか乙なものね」
「どこがよっ!!」
今度は相槌ではなく、不満の声を返された。
どうやら可愛い連れは我慢の限界を超えたらしい。
「なんで雪島に来てアイスを食べなくちゃいけないのよ!?」
「レナが用意してくれたからね。それに、アイスじゃなくてソフトクリームよ♪ほら、コーンもあるじゃない♪」
「そんなのどうでもいいわよ!アイス食べながら見る景色は他にいくらでもあるでしょ!?なんでよりにもよって雪景色なのよ!?」
「私が雪を見たかったからね」
素直に理由を述べると、ルカの口から白い息が舞い上がった。
「あんたバカでしょ!?そんな理由でここに来たわけ!?」
ルカの不満は大噴火、感情につられて体も温かくなったりはしないのだろうか。
「寒いなら、暖気の魔法を使えばいいじゃない」
「嫌よ!あんたが使ってないのに、アタシだけ使ったらなんか負けた気になるでしょ!!」
いつから我慢勝負になったのだろうか。
仮に勝負だとしても、アイス片手に手足を震わせている時点で勝敗は明らかな気がするが、ルカはまず認めないだろう。
「体、震えてるわよ?」
「歯だってガチガチ、い、言ってるわよ……!なんであんたは平気そうなわけ!?」
本当に歯をかちかち言わせながらこちらを睨んでくる目にいつもの鋭さはなく、感情の火山活動は早くも下火らしい。
それでも断固として魔法を使わないあたり、ルカの負けず嫌いも相当なものだ。
だからこそ笑ってしまう。
「あら、私も寒いとは思ってるわよ?」
言っておくと、私もルカも防寒具の類は一切身につけていない。
私に至ってはリリムの装束で、谷間やお腹回り、太腿などは丸見え状態だ。
単純に一種の痩せ我慢なのだが、ルカは納得いかないらしい。
寒さで震えながらも、胡散臭そうな目で見られた。
「あんたのその格好で、寒さに耐えられてるのが不思議で仕方ないわ……」
「だから寒いとは思ってるわ。でも、そうね、そろそろ暖でも取ろうかしら」
そう言ってルカへと向き直り、胸にかかった服を少しだけ持ち上げ、かなり際どい位置まで肌蹴させる。
それを見て、雪のように白かったルカの顔色が赤へと変色した。
「なにしてんのよ!?なんで脱ごうとしてるわけ!?」
「裸で抱き合った方が温かいって言うじゃない。そういうわけだから、ほら、ルカ」
私の胸に飛び込んでおいでとばかりに両腕を広げてみせる。
「ほらじゃないわよ!!こんなバカなこと言い合ってないで、さっさと温泉に行くわよっ!!」
確かに景色を満喫した後は温泉旅館に行く予定ではある。
ルカはその予定を繰り上げるつもりらしく、私のおふざけを無視して雪原に小さな足跡を残しながら先に行ってしまう。
「あら、残念」
虚しく広げた手を下げ、持っていた残り僅かのソフトクリームを口に放り込む。
途端に口の中に広がる冷たさに、ついため息がでてしまう。
吐いた息が白い煙となって流れていくなか、私はそっと小さな足跡を追い始める。
身を切るような冷気が心地よかった。
「ふぅ…。生き返るわぁ〜」
服を脱ぎ終えて浴場に入ると、一足先に湯舟に浸かっていたルカが至福の表情を浮かべていた。
「気持ち良さそうね。どう、湯加減は?」
「文句なし…って、あんた、堂々としすぎでしょ」
タオルを手にした私を見て、ルカは呆れたように言う。
「あら、他にお客さんもいないんだし、別にいいじゃない。それに、見られたところで減るわけでもないし」
私達が来たのは公衆浴場なのだが、微妙な時間に来たからか、貸し切り状態だった。
それが理由というわけでもないが、私はタオルを手に持っているだけで、大事なところは隠してもいない。
「そうじゃなくて。いくら同じ女でも、目のやり場に困るって言ってんのよ」
「あら、存分に見てくれて構わないわよ?」
裸の付き合いという言葉もあるし、さっきも言ったように見られて困るわけでもない。
そんなわけで、ルカの入っている奥の露天風呂まで行くと、彼女の隣りに体を沈めた。
外の気温を考慮してか、少し熱めの湯に肩から下を浸からせると、体の芯が温まっていく。
その快感は顔を綻ばせるのに十分だ。
「ふふっ、いい湯加減ね。それに景色も素敵」
天気は曇り。それだけなら、とてもいい景色とは言えないが、代わりに雪が降っているのだ。
それは肌に触れると融けて、温まった体に別の快感をもたらす。
雪が静かに降っていることもあって、見て良し、触れて良しと、ちょっとした贅沢を味わっている気分だ。
「確かにね。雪が降っているなかの露天風呂もなかなかいいもんだわ」
ルカもご満悦なようで、笑顔で同意してくれた。
「まったくね。これで隣りに夫がいてくれれば文句なしなのだけど」
想像できないが、お互いに愛する男が隣りにいて、仲良く風呂に入っている。
それは素敵なことではないだろうか。
「…悪かったわね、隣りにいるのがアタシで」
ほんの少しだけ拗ねたような声。
その顔を見ても少しむくれているように見えるので、どうやら誤解させてしまったらしい。
「ああ、ごめんなさい。言葉が足らなかったわね。さっきの発言にお互いって足してもらえるかしら」
どこに足せばいいかは、言わなくてもすぐに分かるだろう。
ルカはこちらに顔を向けて、少し考えるように真剣な表情になる。
そしてすぐにそれは苦いものになった。
「ないわ」
そう言いつつ、首から下を湯舟に沈めた。
「否定しなくてもいいじゃない。私はいつかそんな日が来てほしいと思ってるわ」
「あんたの隣りに夫がいる日はいつか来るだろうけど、アタシの隣りはないわ。間違いなくうざいもの」
いかにもルカらしいセリフである。
そんな彼女は私の隣りを離れ、温泉の中心へゆらゆらと移動する。
「はあ…あったまるわ」
そして気持ち良さそうに伸びをした。
見かけ相応の少女のような振る舞いは、見ていて微笑ましいもの。
こんな様子を見せられれば、大抵の男が心を射抜かれてもおかしくない気がする。……私は弄りたくなるのだが。
「じゃあ、未来の夫に代わって、今は私がルカを満足させてあげましょうか」
そう言って立ち上がり、向かう先はシャワーが設置された場所。
「ルカ、こっちに来て。せっかくの機会だから、背中を流してあげるわ」
「……なに企んでるの?」
思いっきりジト目で見られた。
「なにも?友達なんだし、単純に背中を流してあげたいと思っただけよ」
浮かべた笑みに嘘はない。
少しの沈黙の後に、ルカはそう判断したらしい。
温泉から出ると、ゆっくりと私の前まで来た。
「せ、背中だけだから。変なとこ触ったら怒るからね?」
くるりと背を向け、肩越しにこちらを見た横顔は赤い。
それは湯でのぼせたというわけではないだろう。
「ええ、もちろん」
ルカが大人しく座ると、石鹸でスポンジを泡立たせる。
そして、白い背中にそっと触れた。
「んっ…」
か細い声とともに、体がぴくりと反応する。
どうも、ルカはかなり敏感なようだ。
まったく可愛い子だと思いながら、ゆっくりとその背中にスポンジを滑らせていく。
しかし、ルカが少女なこともあってその背中は小さく、作業はすぐに終わってしまう。
まあ、本当の目的はここからのだが。
ルカは触ったら怒ると言ったが、それは故意にということであって、事故だったらなにも問題はない。
幸い、手は泡まみれでうっかり滑る可能性は大いにある。
理論武装をしっかり整えたところで、さっそく行動開始だ。
まずは脇下。そこから、ルカの愛らしい胸の膨らみに手を滑らせる。
姉のセラにはしょっちゅうやられた悪戯だ。
ルカのことだから、これをやればきっといい反応をしてくれるに違いない。
それを想像してニヤリとしながら、まずはと脇に触れた時だ。
「ひぅっ」
予想以上にいい声で鳴かれたと同時に、ルカがすごい勢いで逃げていた。
それはあまりにも唐突で、私はほとんど固まったまま、目を瞬かせてしまう。
そんな私を、ルカは顔を真っ赤にしながら睨んだ。
「ちょっと!変なとこ触んなって言ったでしょ!?」
…そういえば、ドレスを作る時に脇を触られて猫のような悲鳴を上げていたんだった。
それを思い出し、少し迂闊だったと内心反省する。
「ごめんなさい、脇が駄目だとは思わなかったから」
「駄目に決まってるでしょ!?あんた、どこを変なとこだと思ってたのよ!?」
「どこって、それはもちろん股―」
「いちいち言わなくていいわよっ!!」
遮るように怒鳴ると、ルカはまったくもうとぶつぶつ文句を垂れながら背中を流し始める。
思い描いた計画は見事に失敗だ。
少し残念に思うが、ルカの胸の成長具合を調べるのは諦めるしかない。
軽くため息をつくと、瞬時に薄い笑みを顔に貼り付け、くるりと背中をルカに向ける。
そしてしなを作りつつ、こう言った。
「ねえ、ルカ。今度は私の背中を流してくれない?」
仕方ないから、恥ずかしがるルカを見て満足することにしよう。
しかし、肝心のルカは恥ずかしさよりも腹立たしさの方が勝っていたらしい。
無表情に私を見つめると、無言でスポンジを投げつけてきたのだった。
「酷いわルカ。私も背中を洗ってほしかったのに」
「あんたが先にふざけたんでしょ」
風呂を上がった私達はそんな会話をしながら廊下を歩いていた。
温泉旅館ということで、利用者には食事のサービスが付くのだ。
一応、今回は休憩だけの利用だが、気が変われば一拍していってもいいかもしれない。
「じゃあ、真面目な話でもしようかしら」
「なによ?」
真面目という言葉で、ルカも聞く耳は持ってくれるようだ。
「たまには、男探しでもしようかと思ってね」
「は?」
ルカが残念な人を見る目になった。
「それのどこが真面目な話なわけ?」
「あら、私達魔物から見れば真面目な話じゃない。それに、こういう地域に住んでいる男の精は美味だって聞いたことがあるわ」
「なにそれ。胡散臭すぎて、鼻が曲がりそうなんだけど」
「ほら、人って命の危機に陥ると、子孫を残すために性欲が昂ぶるっていうじゃない。だから、こういう過酷な環境に住む男の精は上質な場合が多いらしいのよ。そういうわけだから、食事が終わったら、デザートを食べに行かない?」
「一人で行ってきなさいよ。アタシは普通のデザートでも食べてるわ」
散歩は一緒に来てくれても、あっちの食事は相変わらず駄目らしい。
男の精の味について、とうとうと説明しようかとルカを見つめると、目と目が合った。
「なによ?」
「いいえ、なんでもないわ」
しおらしく聞き入れるルカではない。
一瞬でそう結論が出て、私はため息をつきながら再びルカを見つめる。
この子は、一生精の味を知らないまま生きていくのだろうか。
「なんだか、ものすごく腹の立つ視線な気がするんだけど」
「気のせいよ。ほら、部屋に戻りましょ」
料理は個室にて出してくれるとのことだった。
それはいいのだが、リリムだということで料金はそのままに、上等の部屋をあてがわれてしまった。
ルカは役得だと言っていたが、特別扱いされるのが好きではない私は複雑な気分である。
そんなことを思いながら用意された部屋に到着して中に入ると、仄かに良い匂いが漂っていることに気づいた。
匂いの発生源は部屋の中央にあるテーブルに置かれた鍋からのようで、私達が温泉に入っている間に用意してくれたらしい。
「ふーん。さすがリリムね。待遇いいわー」
それを見て、思いっきり棒読みで棘のある言葉がルカから放たれた。
どうも、風呂でのやり取りを根に持たれている気がする。
ただ、ルカがそう言ってしまうのも無理はない。
真っ白な壁紙にベージュのカーペット。
若葉を思わせるグリーンのソファ、白い机に椅子。
部屋全体が品の良さを感じさせる作りなのだ。
リリムというだけでこの部屋を普通料金で利用させてもらえるのは有難いが、素直に喜ぶ気にはなれない。
なぜなら、ルカがここぞとばかりに楽しそうな目を向けてきているから。
「なんだか、ものすごく意地悪な視線を向けられてる気がするんだけど」
「あんたの気のせいでしょ。ほら、さっそく食べましょ」
廊下でのやり取りと似たような言い合いをしつつ、ルカは鍋の蓋を開けた。
途端に白い湯気が立ち上り、それと合わせて一層濃くなる鍋の香りは食欲を掻き立てる。
入っている具も骨付きの鶏肉から白身魚の切り身を始めとする海の幸、色とりどりの野菜と豊富だ。
「あら、おいしそうね」
「そうね。まあ、適当にぶち込んだだけって感じもするけど」
「鍋ってそういうものよ。こういう寒冷地じゃ定番だし、いいじゃない」
実は鍋料理、私はけっこう好きだったりする。
簡単に作れるからということもあるが、一度レナが作った鍋を食べて、それがかなりの絶品だったせいだ。
レナは半端に余った食材を使っただけと言っていたが、今のところあれ以上の鍋は食べたことがない。
そのせいか、鍋料理を見ると内心期待してしまう。
「じゃ、食べましょ」
ルカが二人分をよそり終えて席につくと「いただきます」のかけ声とともに早速食べてみた。
口に入れたホタテの身を噛みしめると、しみ込んだつゆが次々に出てきて口内に広がっていく。
それはあっさりとした味付けで、食材本来の味を殺すことなく見事に合わさっていて、実においしい。
ルカの感想も同じようで、「へえ、けっこういけるじゃない」とまんざらでもない顔で食べている。
「味付けはどうやっているのかしら」
再現できるとは思わないが、料理を作る身としてはどうしても気になってしまう。
レナだったら一口で分かるのだろうが、生憎と私はそうもいかない。
「ああ、そういえばあんたは料理するんだったわね」
「ええ。未来の彼には愛情のこもった料理を食べさせてあげたいもの。まあ、私の手料理は今のところルカしか食べてないけど」
放っておくと、ルカは果物やパンといったそのまま食べられるものを口にすることが多いので、彼女の家に遊びに行った時は私が料理を作るようにしているのだ。
「あんたが勝手に作るから、食べてあげてるんでしょ」
「ふふ、そうね。だって作り甲斐があるんだもの。あなたはどこが悪いかはっきり言ってくれるから」
味付けはもちろん、野菜のサイズから焼き加減まではっきり言ってくれるおかげで、ルカの好みはおおよそ把握してると言っていい。
付き合いとは恐ろしいものである。
「な、そ、それはあんたの料理がまだまだだからでしょ!」
そして、最大の理由がこれ。
作れば、文句を言いながらも少し照れたように食べてくれる。
作る方としても、こんな様子を見せられたら頑張れるというものだ。
「でも、大分上達したでしょ?」
「ふ、ふん。レナに比べたら、まだまだよ」
比べる対象がレナというのはあまりにも酷いが、ルカなりに上達したとは思ってくれているらしい。
それを嬉しく思いながら、魚の切り身を口に入れた時だ。
部屋の扉が控えめにノックされた。
ぴくりと手が止まり、正面の席に座るルカへと目を向けると、首をかしげて肩をすくめた。
「どうぞ」
扉の向こうへ返事をすると、入ってきたのは旅館の代表であるサキュバスだった。
「お食事中、失礼します。実はリリム様に折り入ってお話が」
口ぶりとは裏腹に、纏う空気は真剣な話をしにきたという感じではない。
困ったように笑っていることからも、それは間違いではないはず。
「なにかしら?」
「はい。実は、この島を治めるイース様があなた様に是非お会いしたいというので、それをお伝えしに」
「そのイースって誰よ?」
ルカの問いに、サキュバスは笑って答えた。
「ドラゴンですよ。この島に住む者のリーダーとでも言えばいいのでしょうか」
「ドラゴンねぇ…。あんたの知り合いなの?」
ルカの目がこちらに向くが、残念なことに私も知らない。
「いいえ。そもそも、この島に来るのも初めてよ。だから、なぜ会おうとするのか、私が聞きたいくらいね。彼女は他になにか?」
最後の問いは、サキュバスに向けて。
「いえ、他は特に。ただ……」
彼女の言葉が淀む。
伏し目がちにこちらを見るのは、やはり私がリリムだからだろうか。
「ただ?」
「えっと、イース様は現在妊娠中でして。リリム様にこんなことを申し上げるのも図々しいのですが、もしイース様と面会なさるのでしたら、出向いていただけないかと……」
ああ、と聞いた瞬間に小さく頷いていた。
イースの伝言を伝えるだけでなく、彼女の体を気遣ってお願いしに来たわけだ。
だからこそ、イースがどういう人物なのか、少し分かった気がする。
「なるほど、分かったわ。じゃあ、こちらから会いに行くと伝えてもらえる?もしあなたが私に会いに来たら、口はきかないともね」
イースは多くの者に慕われる存在。
私の了承の返事にサキュバスが顔を綻ばせたことからも、間違いではないだろう。
「ありがとうございます…!イース様は島の中央付近にある山にいらっしゃいます。言ったように、妊娠中ですから不在ということはないはずです。それでは、失礼致します」
ホッとしたような顔でサキュバスは一礼し、静かに部屋を去って行った。
「で、今度はなに企んでるのよ?」
扉が閉まるやいなや、そう言うルカ。
「あら、企むだなんて心外だわ。向こうは会いたがっていて、私に断る理由はない。なら、会ってみたっていいじゃない。ルカだって気になるでしょ?」
「ならないわけじゃないけどさ。あんた、下手したら恨みごとを言われるだけかもよ?」
ドラゴンといえば、そのプライドの高さはヴァンパイアと同じかそれ以上。
そんなドラゴンをメスへと変えたのが私の母なのだから、その文句を言われる可能性は十分にある。
その可能性を考えた上で、会おうと決めたのだ。
「まあ、その時はその時ね。それより、会いに行くのは今日と明日、どっちがいい?」
「ちょっと。なんでアタシまで一緒に行くことになってんのよ?」
「あら、来てくれないの?」
そんなわけないわよねという意味を含ませ、にっこり微笑む。
ルカのことだから、頼まずともついて来てくれるとは思うが、やはりきちんとお願いするにこしたことはない。
「…まあ、付き合ったっていいけどさ」
ぷいっとルカの顔が横を向き、視線が逃げた。
その横顔には照れてますとはっきり書いてあるから可愛らしい。
「ふふ、ありがとう。で、今日と明日、希望はどっち?」
なにもかもを独断するのは、人の上に立つ者がすること。
だが、私達は友達であって上司と部下ではない。
だからこそ、お互いの意見は尊重しあうべきだ。
そんな考えの基に問いかけたのだが、ルカは顔をこちらに向けず窓の外を眺めたまま。
そこで気づいた。
ルカの横顔は照れていたものから、白けたようなものになっていた。
それが全てを物語っていた。
時刻は夕方で、私達は風呂上がりで、外には雪が降っていて、現在食事中。
この状況で、食事が終わったら改めて外出しようと思うだろうか。
我ながら頭の悪い質問をしたと自嘲の笑みを浮かべてしまう。
「今日は一拍して、明日ね」
ルカはなんとも言わない。
けど、それでいい。
不満があるなら、ルカははっきりと言う子だから。
無言のやり取りをどこか心地よく思いながら、私はこちらを向いたルカの椀へと鍋の具をよそったのだった。
一夜明けると、気持ちのいい晴天だった。
雲一つないおかげで太陽の光はまんべんなく地上に降り注ぎ、景色を白く染め上げている雪はそれを反射して光り輝く。
昨日とはまた違った景色を楽しみつつ、私とルカは空を飛んでいた。
向かっているのはイースの住処だという山。
聞いたところによると、麓に夫婦で住んでいるとのことだった。
行けば一目で分かるとの話を頼りに、ルカと二人がかりで空から地上を眺めていると、ルカが声を上げた。
「ミリア、あれじゃない?」
ルカが指差した方角にあるのは、山の真下でぽっかりと口を開けた大きな洞穴。
「あれは…水晶?」
それを見た私は思ったことを口にする。
その洞穴の周囲には、形も大きさもバラバラの結晶体がいくつもあった。
共通しているのは、雪と同じように陽の光を反射しているところだろうか。
静かに降り立ち、間近で見た水晶はやはり綺麗で、そんな水晶に彩られた洞穴は未知の世界へと誘う入り口にも見える。
そのせいか、少しわくわくしてしまう。
「へぇ〜、これ、自然物か」
さっそくとばかりに水晶へ興味の目を向けるルカ。
「あの薬の材料になるかな…」なんて呟きを聞く限り、研究者としての思考が回転を始めたらしい。
それを横目で見つつ、一歩踏み出した瞬間だった。
「ようこそ」
よく響く男の声が聞こえた。
見れば、いつの間にか洞穴の前に一人の若い男が立っていた。
「あなたは?」
「イースの夫のウォルターです。妻に言われて、あなた方をお出迎えするために来ました」
ウォルターはそう言って朗らかに笑った。
「そう、気遣い感謝するわ。ところで、私達が来るのを知っていたみたいね?」
「ええ、カーリアから今朝宿を発ったと連絡がありましたから。さあ、こんなところで立ち話をするのもあれですから、奥へどうぞ。妻が待っています」
カーリアというのは、宿のサキュバスのことだろう。
どうやら私が思っている以上に、この島は人と人との繋がりが深いらしい。
招かれるまま、ウォルターの後に続いて洞穴に入ると私とルカは揃って足を止めた。いや、止めてしまった。
「これ、全部水晶…?」
「綺麗ね…」
呆気にとられたのは久しぶりかもしれない。
洞穴の中は、全てが水晶で構成されていた。
地面、天井、壁に至るまで全てがだ。
そこは自然が生み出した水晶洞窟という芸術だった。
「ふふ、驚いていただけたようで満足です。これは宝、この場所そのものが妻の大切な宝なのです」
ウォルターの言葉が洞窟へと奪われていた意識を現実に戻す。
「でも、彼女にとって一番の宝はあなた。こんなすごい場所よりも、あなたの方が彼女にとっては大切。そうでしょ?」
夫婦である以上、ドラゴンにとって最も大切なのは夫。
口元に笑みを浮かべてそう言うと、ウォルターは困ったように眉を歪めた。
「身に余る光栄というのは、きっとこういうことを言うのでしょうね」
「愛されてるわね」
他愛もない会話を続けながら歩いていくと、ふと開けた空間に出た。
そこに、彼女はいた。
「お待ちしていました、リリム様。お連れの方もようこそ。この島を治めております、イースです」
大きなお腹に真珠色の鱗で覆われた手を当て、イースは綺麗に頭を下げる。
それに合わせて淡い翠の髪がこぼれた。
「ミリアよ。この子はルカ」
「ミリア様にルカ様ですね。まずは呼び出すような形になったこと、申し訳ありませんでした」
「あら、それこそ気にしなくていいわ。おかげで、いいものが見れたし」
わざと辺りを見回してみると、イースは穏やかに笑った。
「そう言っていただけると、幾分か溜飲が下がります」
予想に反して、イースは穏やかな性格らしい。
ちょっと拍子抜けだが、これなら恨みごとを言われる心配もない。
「じゃあ、さっそく私に会おうとしたことについて訊いてもいいかしら?」
「ええ、もちろん。しかし、お話をするのなら、座ってゆっくりとしませんか?」
現実的な提案に頷いて返事をすると、「こちらへ」と奥へ案内された。
そこは客室らしく、凝ったデザインのテーブルとそれを挟んで二つのソファが設置されていた。
「こちらへお座り下さい。今、お茶を淹れてきますので」
「イース、お茶は俺が用意する。君は座っていてくれ」
「え、でも」
ウォルターがイースを遮り、ほとんど無理矢理といった感じでソファに座らせると、隣りの部屋へと消えていった。
「その大きさだとそろそろでしょ?体は大事にしなくちゃダメよ」
私の視線に気づいたのだろう。
イースはそっと膨らんだ腹を撫でた。
「お医者様の見立てでは、一週間以内とのことです。ただ、夫や島の人達にまで大事にされすぎている気がして申し訳なくて」
イースがどこか困ったように笑うなか、隣りに座るルカがさり気なく視線を外したのは、自分の両親を思い出したからだろうか。
「お待たせしました」
そこへウォルターがやってきて、目の前に湯気の立つ飲み物が置かれた。
赤みがかった琥珀色と香りから察するに、紅茶らしい。
「ありがとう」
さっそく口をつけてみれば、熱さと苦み、そして仄かな甘みが口内に広がる。
ルカも静かに紅茶を飲み、「あつっ…!」とうめくなか、ウォルターがイースの隣りの座ったのを見計らって、本題を切り出した。
「さて、そろそろいいかしら。なぜ、私に会おうとしたの?」
「リリム様には島民全員が恩があるからです。この島、今は当たり前のように町があって人が住んでいますが、昔はそうではなかった。小さな集落が点々とあるだけだった状態からここまで発展できたのは、ふらりと島を訪れたリリム様のご夫婦が力を貸してくれたからでした。ですから、同じリリム様であるあなたとも、是非お話がしたかったのです」
流暢に語り終えたイースが小休憩するように紅茶を飲むなか、私は一人納得した。
宿での待遇は、色々な背景があったからこそらしい。
「そのリリム、名前は覚えているかしら?」
「ええ、もちろん。あの方のお名前はセラ様です」
聞いた瞬間、喉から「くふ」と変な笑いがもれていた。
面白いわけでもないのに、つい口元に笑みが浮かんでしまう。
「どうかしましたか?」
イースが不思議そうに見つめてくるなか、私はそっと口元を撫でた。
「いえ、セラ姉さんなら納得だと思ってね。あの人、旅行好きだから」
「この島に来た時も旅行だと言っていましたが、やはりお好きなのですか」
「ええ。最低でも月に一回は行くはずよ」
「道理で年に一回は来てくださるわけですね」
まるで旧知の間柄のように、会話が弾む。
お茶が出されていることも手伝って、のんびりとした昼下がりを過ごしている感覚だ。
だが、そんな穏やかな談笑の時間は唐突に終わりを迎えた。
「イース様〜!!」
客室へと入ってきたのは一人のハーピー。
顔を赤くし、肩で大きく息をしているところを見ると、かなり急いで来たようだ。
「どうしたのですか、セリーヌ。そんなに慌てて」
「い、今、船を見て!そ、それで!」
「船?」
イースが訝しそうに首をかしげ、夫のウォルターはいつの間にか汲んできた水をセリーヌへと差し出す。
それをほとんど一息に飲み干すと、セリーヌは少しは落ち着いたらしく、ウォルターに礼を言ってから改めて口を開いた。
「いつもの定期船が来る岸に、見たことのない船があるのを見ました!大きな船です!」
「新しい定期船じゃないの?」
事の経緯を黙って聞いていたルカが口を挟むが、イースはそれを否定する。
「いいえ、定期船はつい数日前にこの島を出たばかりです。次に来るのは一週間は先のはず」
その言葉に、全員が黙りこむ。
島にいつも来る船ではないのなら、残る可能性は少ない。
そしてそのどれもが、手放しで喜べないものばかりだ。
「あんた、同じこと考えてるでしょ」
声のした方を向けば、腕と足を組んだルカが真剣な顔でこちらを見ていた。
「そうみたいね」
「あの、あまり当たってほしくはないのですが、その船は……」
イースも気づいたのだろう。
美しく整った顔を曇らせつつも、ほぼ確信しているみたいだ。
「あんたの予想、多分当たってるわ。招かれざる客が来たみたいね」
ルカの言葉が、静かな客室に響いた。
時間は少し前にさかのぼる。
島の南にある岸に一隻の大型船が到着した。
大砲まで備えたその船は、誰が見ても物々しい雰囲気を醸し出していて、穏やかや平和といった言葉とは無縁に見える。
そんな船の一室では、一人の兵士と、いかにも頭脳労働が似合う容貌の男が会話をしていた。
「ウィル様、上陸の準備が整いました!」
「ご苦労。偵察部隊は?」
「はっ、準備は整っております。指示があれば、いつでも行けます」
「わかった」
ウィルと呼ばれた青年は一旦視線を別のところへと向ける。
そこにいるのは十代後半と思われる少女。
椅子にきちんと座ったまま膝に両手を置き、我関せずとばかりに目を閉じている。
「エアリス様、よろしいですね?」
「はい」
少女は変わらず目を閉じたまま、小さく頷くだけ。
それを見届けると、ウィルは兵士へと向き直った。
「偵察部隊に伝達。目標は白いドラゴンだ。調査を開始しろ」
今回、私が散歩に来たのは小さな雪島。
ここ最近雪を見ていないと思い、行き先がこの島になったわけだ。
雪景色というのはいつ見てもいいもので、そこに雪が降っていると更にいい。
静寂とともに降り続ける雪を眺めていると、なぜか心が躍るから。
しかも、嬉しいことに今回の散歩には同行者もいるのだ。
私がつい口元に笑みを浮かべてしまうのも無理はなかった。
「いい景色ね」
「ええ、そうね……」
「それに、とても静か。落ち着くわね」
「そ、そうね……」
いちいち相槌を打ってくれる連れの声は、いまいち元気がない。
その理由は、お互いに手に持った食べ物にある。
「ふふっ、雪景色を見ながら食べるソフトクリームというのもなかなか乙なものね」
「どこがよっ!!」
今度は相槌ではなく、不満の声を返された。
どうやら可愛い連れは我慢の限界を超えたらしい。
「なんで雪島に来てアイスを食べなくちゃいけないのよ!?」
「レナが用意してくれたからね。それに、アイスじゃなくてソフトクリームよ♪ほら、コーンもあるじゃない♪」
「そんなのどうでもいいわよ!アイス食べながら見る景色は他にいくらでもあるでしょ!?なんでよりにもよって雪景色なのよ!?」
「私が雪を見たかったからね」
素直に理由を述べると、ルカの口から白い息が舞い上がった。
「あんたバカでしょ!?そんな理由でここに来たわけ!?」
ルカの不満は大噴火、感情につられて体も温かくなったりはしないのだろうか。
「寒いなら、暖気の魔法を使えばいいじゃない」
「嫌よ!あんたが使ってないのに、アタシだけ使ったらなんか負けた気になるでしょ!!」
いつから我慢勝負になったのだろうか。
仮に勝負だとしても、アイス片手に手足を震わせている時点で勝敗は明らかな気がするが、ルカはまず認めないだろう。
「体、震えてるわよ?」
「歯だってガチガチ、い、言ってるわよ……!なんであんたは平気そうなわけ!?」
本当に歯をかちかち言わせながらこちらを睨んでくる目にいつもの鋭さはなく、感情の火山活動は早くも下火らしい。
それでも断固として魔法を使わないあたり、ルカの負けず嫌いも相当なものだ。
だからこそ笑ってしまう。
「あら、私も寒いとは思ってるわよ?」
言っておくと、私もルカも防寒具の類は一切身につけていない。
私に至ってはリリムの装束で、谷間やお腹回り、太腿などは丸見え状態だ。
単純に一種の痩せ我慢なのだが、ルカは納得いかないらしい。
寒さで震えながらも、胡散臭そうな目で見られた。
「あんたのその格好で、寒さに耐えられてるのが不思議で仕方ないわ……」
「だから寒いとは思ってるわ。でも、そうね、そろそろ暖でも取ろうかしら」
そう言ってルカへと向き直り、胸にかかった服を少しだけ持ち上げ、かなり際どい位置まで肌蹴させる。
それを見て、雪のように白かったルカの顔色が赤へと変色した。
「なにしてんのよ!?なんで脱ごうとしてるわけ!?」
「裸で抱き合った方が温かいって言うじゃない。そういうわけだから、ほら、ルカ」
私の胸に飛び込んでおいでとばかりに両腕を広げてみせる。
「ほらじゃないわよ!!こんなバカなこと言い合ってないで、さっさと温泉に行くわよっ!!」
確かに景色を満喫した後は温泉旅館に行く予定ではある。
ルカはその予定を繰り上げるつもりらしく、私のおふざけを無視して雪原に小さな足跡を残しながら先に行ってしまう。
「あら、残念」
虚しく広げた手を下げ、持っていた残り僅かのソフトクリームを口に放り込む。
途端に口の中に広がる冷たさに、ついため息がでてしまう。
吐いた息が白い煙となって流れていくなか、私はそっと小さな足跡を追い始める。
身を切るような冷気が心地よかった。
「ふぅ…。生き返るわぁ〜」
服を脱ぎ終えて浴場に入ると、一足先に湯舟に浸かっていたルカが至福の表情を浮かべていた。
「気持ち良さそうね。どう、湯加減は?」
「文句なし…って、あんた、堂々としすぎでしょ」
タオルを手にした私を見て、ルカは呆れたように言う。
「あら、他にお客さんもいないんだし、別にいいじゃない。それに、見られたところで減るわけでもないし」
私達が来たのは公衆浴場なのだが、微妙な時間に来たからか、貸し切り状態だった。
それが理由というわけでもないが、私はタオルを手に持っているだけで、大事なところは隠してもいない。
「そうじゃなくて。いくら同じ女でも、目のやり場に困るって言ってんのよ」
「あら、存分に見てくれて構わないわよ?」
裸の付き合いという言葉もあるし、さっきも言ったように見られて困るわけでもない。
そんなわけで、ルカの入っている奥の露天風呂まで行くと、彼女の隣りに体を沈めた。
外の気温を考慮してか、少し熱めの湯に肩から下を浸からせると、体の芯が温まっていく。
その快感は顔を綻ばせるのに十分だ。
「ふふっ、いい湯加減ね。それに景色も素敵」
天気は曇り。それだけなら、とてもいい景色とは言えないが、代わりに雪が降っているのだ。
それは肌に触れると融けて、温まった体に別の快感をもたらす。
雪が静かに降っていることもあって、見て良し、触れて良しと、ちょっとした贅沢を味わっている気分だ。
「確かにね。雪が降っているなかの露天風呂もなかなかいいもんだわ」
ルカもご満悦なようで、笑顔で同意してくれた。
「まったくね。これで隣りに夫がいてくれれば文句なしなのだけど」
想像できないが、お互いに愛する男が隣りにいて、仲良く風呂に入っている。
それは素敵なことではないだろうか。
「…悪かったわね、隣りにいるのがアタシで」
ほんの少しだけ拗ねたような声。
その顔を見ても少しむくれているように見えるので、どうやら誤解させてしまったらしい。
「ああ、ごめんなさい。言葉が足らなかったわね。さっきの発言にお互いって足してもらえるかしら」
どこに足せばいいかは、言わなくてもすぐに分かるだろう。
ルカはこちらに顔を向けて、少し考えるように真剣な表情になる。
そしてすぐにそれは苦いものになった。
「ないわ」
そう言いつつ、首から下を湯舟に沈めた。
「否定しなくてもいいじゃない。私はいつかそんな日が来てほしいと思ってるわ」
「あんたの隣りに夫がいる日はいつか来るだろうけど、アタシの隣りはないわ。間違いなくうざいもの」
いかにもルカらしいセリフである。
そんな彼女は私の隣りを離れ、温泉の中心へゆらゆらと移動する。
「はあ…あったまるわ」
そして気持ち良さそうに伸びをした。
見かけ相応の少女のような振る舞いは、見ていて微笑ましいもの。
こんな様子を見せられれば、大抵の男が心を射抜かれてもおかしくない気がする。……私は弄りたくなるのだが。
「じゃあ、未来の夫に代わって、今は私がルカを満足させてあげましょうか」
そう言って立ち上がり、向かう先はシャワーが設置された場所。
「ルカ、こっちに来て。せっかくの機会だから、背中を流してあげるわ」
「……なに企んでるの?」
思いっきりジト目で見られた。
「なにも?友達なんだし、単純に背中を流してあげたいと思っただけよ」
浮かべた笑みに嘘はない。
少しの沈黙の後に、ルカはそう判断したらしい。
温泉から出ると、ゆっくりと私の前まで来た。
「せ、背中だけだから。変なとこ触ったら怒るからね?」
くるりと背を向け、肩越しにこちらを見た横顔は赤い。
それは湯でのぼせたというわけではないだろう。
「ええ、もちろん」
ルカが大人しく座ると、石鹸でスポンジを泡立たせる。
そして、白い背中にそっと触れた。
「んっ…」
か細い声とともに、体がぴくりと反応する。
どうも、ルカはかなり敏感なようだ。
まったく可愛い子だと思いながら、ゆっくりとその背中にスポンジを滑らせていく。
しかし、ルカが少女なこともあってその背中は小さく、作業はすぐに終わってしまう。
まあ、本当の目的はここからのだが。
ルカは触ったら怒ると言ったが、それは故意にということであって、事故だったらなにも問題はない。
幸い、手は泡まみれでうっかり滑る可能性は大いにある。
理論武装をしっかり整えたところで、さっそく行動開始だ。
まずは脇下。そこから、ルカの愛らしい胸の膨らみに手を滑らせる。
姉のセラにはしょっちゅうやられた悪戯だ。
ルカのことだから、これをやればきっといい反応をしてくれるに違いない。
それを想像してニヤリとしながら、まずはと脇に触れた時だ。
「ひぅっ」
予想以上にいい声で鳴かれたと同時に、ルカがすごい勢いで逃げていた。
それはあまりにも唐突で、私はほとんど固まったまま、目を瞬かせてしまう。
そんな私を、ルカは顔を真っ赤にしながら睨んだ。
「ちょっと!変なとこ触んなって言ったでしょ!?」
…そういえば、ドレスを作る時に脇を触られて猫のような悲鳴を上げていたんだった。
それを思い出し、少し迂闊だったと内心反省する。
「ごめんなさい、脇が駄目だとは思わなかったから」
「駄目に決まってるでしょ!?あんた、どこを変なとこだと思ってたのよ!?」
「どこって、それはもちろん股―」
「いちいち言わなくていいわよっ!!」
遮るように怒鳴ると、ルカはまったくもうとぶつぶつ文句を垂れながら背中を流し始める。
思い描いた計画は見事に失敗だ。
少し残念に思うが、ルカの胸の成長具合を調べるのは諦めるしかない。
軽くため息をつくと、瞬時に薄い笑みを顔に貼り付け、くるりと背中をルカに向ける。
そしてしなを作りつつ、こう言った。
「ねえ、ルカ。今度は私の背中を流してくれない?」
仕方ないから、恥ずかしがるルカを見て満足することにしよう。
しかし、肝心のルカは恥ずかしさよりも腹立たしさの方が勝っていたらしい。
無表情に私を見つめると、無言でスポンジを投げつけてきたのだった。
「酷いわルカ。私も背中を洗ってほしかったのに」
「あんたが先にふざけたんでしょ」
風呂を上がった私達はそんな会話をしながら廊下を歩いていた。
温泉旅館ということで、利用者には食事のサービスが付くのだ。
一応、今回は休憩だけの利用だが、気が変われば一拍していってもいいかもしれない。
「じゃあ、真面目な話でもしようかしら」
「なによ?」
真面目という言葉で、ルカも聞く耳は持ってくれるようだ。
「たまには、男探しでもしようかと思ってね」
「は?」
ルカが残念な人を見る目になった。
「それのどこが真面目な話なわけ?」
「あら、私達魔物から見れば真面目な話じゃない。それに、こういう地域に住んでいる男の精は美味だって聞いたことがあるわ」
「なにそれ。胡散臭すぎて、鼻が曲がりそうなんだけど」
「ほら、人って命の危機に陥ると、子孫を残すために性欲が昂ぶるっていうじゃない。だから、こういう過酷な環境に住む男の精は上質な場合が多いらしいのよ。そういうわけだから、食事が終わったら、デザートを食べに行かない?」
「一人で行ってきなさいよ。アタシは普通のデザートでも食べてるわ」
散歩は一緒に来てくれても、あっちの食事は相変わらず駄目らしい。
男の精の味について、とうとうと説明しようかとルカを見つめると、目と目が合った。
「なによ?」
「いいえ、なんでもないわ」
しおらしく聞き入れるルカではない。
一瞬でそう結論が出て、私はため息をつきながら再びルカを見つめる。
この子は、一生精の味を知らないまま生きていくのだろうか。
「なんだか、ものすごく腹の立つ視線な気がするんだけど」
「気のせいよ。ほら、部屋に戻りましょ」
料理は個室にて出してくれるとのことだった。
それはいいのだが、リリムだということで料金はそのままに、上等の部屋をあてがわれてしまった。
ルカは役得だと言っていたが、特別扱いされるのが好きではない私は複雑な気分である。
そんなことを思いながら用意された部屋に到着して中に入ると、仄かに良い匂いが漂っていることに気づいた。
匂いの発生源は部屋の中央にあるテーブルに置かれた鍋からのようで、私達が温泉に入っている間に用意してくれたらしい。
「ふーん。さすがリリムね。待遇いいわー」
それを見て、思いっきり棒読みで棘のある言葉がルカから放たれた。
どうも、風呂でのやり取りを根に持たれている気がする。
ただ、ルカがそう言ってしまうのも無理はない。
真っ白な壁紙にベージュのカーペット。
若葉を思わせるグリーンのソファ、白い机に椅子。
部屋全体が品の良さを感じさせる作りなのだ。
リリムというだけでこの部屋を普通料金で利用させてもらえるのは有難いが、素直に喜ぶ気にはなれない。
なぜなら、ルカがここぞとばかりに楽しそうな目を向けてきているから。
「なんだか、ものすごく意地悪な視線を向けられてる気がするんだけど」
「あんたの気のせいでしょ。ほら、さっそく食べましょ」
廊下でのやり取りと似たような言い合いをしつつ、ルカは鍋の蓋を開けた。
途端に白い湯気が立ち上り、それと合わせて一層濃くなる鍋の香りは食欲を掻き立てる。
入っている具も骨付きの鶏肉から白身魚の切り身を始めとする海の幸、色とりどりの野菜と豊富だ。
「あら、おいしそうね」
「そうね。まあ、適当にぶち込んだだけって感じもするけど」
「鍋ってそういうものよ。こういう寒冷地じゃ定番だし、いいじゃない」
実は鍋料理、私はけっこう好きだったりする。
簡単に作れるからということもあるが、一度レナが作った鍋を食べて、それがかなりの絶品だったせいだ。
レナは半端に余った食材を使っただけと言っていたが、今のところあれ以上の鍋は食べたことがない。
そのせいか、鍋料理を見ると内心期待してしまう。
「じゃ、食べましょ」
ルカが二人分をよそり終えて席につくと「いただきます」のかけ声とともに早速食べてみた。
口に入れたホタテの身を噛みしめると、しみ込んだつゆが次々に出てきて口内に広がっていく。
それはあっさりとした味付けで、食材本来の味を殺すことなく見事に合わさっていて、実においしい。
ルカの感想も同じようで、「へえ、けっこういけるじゃない」とまんざらでもない顔で食べている。
「味付けはどうやっているのかしら」
再現できるとは思わないが、料理を作る身としてはどうしても気になってしまう。
レナだったら一口で分かるのだろうが、生憎と私はそうもいかない。
「ああ、そういえばあんたは料理するんだったわね」
「ええ。未来の彼には愛情のこもった料理を食べさせてあげたいもの。まあ、私の手料理は今のところルカしか食べてないけど」
放っておくと、ルカは果物やパンといったそのまま食べられるものを口にすることが多いので、彼女の家に遊びに行った時は私が料理を作るようにしているのだ。
「あんたが勝手に作るから、食べてあげてるんでしょ」
「ふふ、そうね。だって作り甲斐があるんだもの。あなたはどこが悪いかはっきり言ってくれるから」
味付けはもちろん、野菜のサイズから焼き加減まではっきり言ってくれるおかげで、ルカの好みはおおよそ把握してると言っていい。
付き合いとは恐ろしいものである。
「な、そ、それはあんたの料理がまだまだだからでしょ!」
そして、最大の理由がこれ。
作れば、文句を言いながらも少し照れたように食べてくれる。
作る方としても、こんな様子を見せられたら頑張れるというものだ。
「でも、大分上達したでしょ?」
「ふ、ふん。レナに比べたら、まだまだよ」
比べる対象がレナというのはあまりにも酷いが、ルカなりに上達したとは思ってくれているらしい。
それを嬉しく思いながら、魚の切り身を口に入れた時だ。
部屋の扉が控えめにノックされた。
ぴくりと手が止まり、正面の席に座るルカへと目を向けると、首をかしげて肩をすくめた。
「どうぞ」
扉の向こうへ返事をすると、入ってきたのは旅館の代表であるサキュバスだった。
「お食事中、失礼します。実はリリム様に折り入ってお話が」
口ぶりとは裏腹に、纏う空気は真剣な話をしにきたという感じではない。
困ったように笑っていることからも、それは間違いではないはず。
「なにかしら?」
「はい。実は、この島を治めるイース様があなた様に是非お会いしたいというので、それをお伝えしに」
「そのイースって誰よ?」
ルカの問いに、サキュバスは笑って答えた。
「ドラゴンですよ。この島に住む者のリーダーとでも言えばいいのでしょうか」
「ドラゴンねぇ…。あんたの知り合いなの?」
ルカの目がこちらに向くが、残念なことに私も知らない。
「いいえ。そもそも、この島に来るのも初めてよ。だから、なぜ会おうとするのか、私が聞きたいくらいね。彼女は他になにか?」
最後の問いは、サキュバスに向けて。
「いえ、他は特に。ただ……」
彼女の言葉が淀む。
伏し目がちにこちらを見るのは、やはり私がリリムだからだろうか。
「ただ?」
「えっと、イース様は現在妊娠中でして。リリム様にこんなことを申し上げるのも図々しいのですが、もしイース様と面会なさるのでしたら、出向いていただけないかと……」
ああ、と聞いた瞬間に小さく頷いていた。
イースの伝言を伝えるだけでなく、彼女の体を気遣ってお願いしに来たわけだ。
だからこそ、イースがどういう人物なのか、少し分かった気がする。
「なるほど、分かったわ。じゃあ、こちらから会いに行くと伝えてもらえる?もしあなたが私に会いに来たら、口はきかないともね」
イースは多くの者に慕われる存在。
私の了承の返事にサキュバスが顔を綻ばせたことからも、間違いではないだろう。
「ありがとうございます…!イース様は島の中央付近にある山にいらっしゃいます。言ったように、妊娠中ですから不在ということはないはずです。それでは、失礼致します」
ホッとしたような顔でサキュバスは一礼し、静かに部屋を去って行った。
「で、今度はなに企んでるのよ?」
扉が閉まるやいなや、そう言うルカ。
「あら、企むだなんて心外だわ。向こうは会いたがっていて、私に断る理由はない。なら、会ってみたっていいじゃない。ルカだって気になるでしょ?」
「ならないわけじゃないけどさ。あんた、下手したら恨みごとを言われるだけかもよ?」
ドラゴンといえば、そのプライドの高さはヴァンパイアと同じかそれ以上。
そんなドラゴンをメスへと変えたのが私の母なのだから、その文句を言われる可能性は十分にある。
その可能性を考えた上で、会おうと決めたのだ。
「まあ、その時はその時ね。それより、会いに行くのは今日と明日、どっちがいい?」
「ちょっと。なんでアタシまで一緒に行くことになってんのよ?」
「あら、来てくれないの?」
そんなわけないわよねという意味を含ませ、にっこり微笑む。
ルカのことだから、頼まずともついて来てくれるとは思うが、やはりきちんとお願いするにこしたことはない。
「…まあ、付き合ったっていいけどさ」
ぷいっとルカの顔が横を向き、視線が逃げた。
その横顔には照れてますとはっきり書いてあるから可愛らしい。
「ふふ、ありがとう。で、今日と明日、希望はどっち?」
なにもかもを独断するのは、人の上に立つ者がすること。
だが、私達は友達であって上司と部下ではない。
だからこそ、お互いの意見は尊重しあうべきだ。
そんな考えの基に問いかけたのだが、ルカは顔をこちらに向けず窓の外を眺めたまま。
そこで気づいた。
ルカの横顔は照れていたものから、白けたようなものになっていた。
それが全てを物語っていた。
時刻は夕方で、私達は風呂上がりで、外には雪が降っていて、現在食事中。
この状況で、食事が終わったら改めて外出しようと思うだろうか。
我ながら頭の悪い質問をしたと自嘲の笑みを浮かべてしまう。
「今日は一拍して、明日ね」
ルカはなんとも言わない。
けど、それでいい。
不満があるなら、ルカははっきりと言う子だから。
無言のやり取りをどこか心地よく思いながら、私はこちらを向いたルカの椀へと鍋の具をよそったのだった。
一夜明けると、気持ちのいい晴天だった。
雲一つないおかげで太陽の光はまんべんなく地上に降り注ぎ、景色を白く染め上げている雪はそれを反射して光り輝く。
昨日とはまた違った景色を楽しみつつ、私とルカは空を飛んでいた。
向かっているのはイースの住処だという山。
聞いたところによると、麓に夫婦で住んでいるとのことだった。
行けば一目で分かるとの話を頼りに、ルカと二人がかりで空から地上を眺めていると、ルカが声を上げた。
「ミリア、あれじゃない?」
ルカが指差した方角にあるのは、山の真下でぽっかりと口を開けた大きな洞穴。
「あれは…水晶?」
それを見た私は思ったことを口にする。
その洞穴の周囲には、形も大きさもバラバラの結晶体がいくつもあった。
共通しているのは、雪と同じように陽の光を反射しているところだろうか。
静かに降り立ち、間近で見た水晶はやはり綺麗で、そんな水晶に彩られた洞穴は未知の世界へと誘う入り口にも見える。
そのせいか、少しわくわくしてしまう。
「へぇ〜、これ、自然物か」
さっそくとばかりに水晶へ興味の目を向けるルカ。
「あの薬の材料になるかな…」なんて呟きを聞く限り、研究者としての思考が回転を始めたらしい。
それを横目で見つつ、一歩踏み出した瞬間だった。
「ようこそ」
よく響く男の声が聞こえた。
見れば、いつの間にか洞穴の前に一人の若い男が立っていた。
「あなたは?」
「イースの夫のウォルターです。妻に言われて、あなた方をお出迎えするために来ました」
ウォルターはそう言って朗らかに笑った。
「そう、気遣い感謝するわ。ところで、私達が来るのを知っていたみたいね?」
「ええ、カーリアから今朝宿を発ったと連絡がありましたから。さあ、こんなところで立ち話をするのもあれですから、奥へどうぞ。妻が待っています」
カーリアというのは、宿のサキュバスのことだろう。
どうやら私が思っている以上に、この島は人と人との繋がりが深いらしい。
招かれるまま、ウォルターの後に続いて洞穴に入ると私とルカは揃って足を止めた。いや、止めてしまった。
「これ、全部水晶…?」
「綺麗ね…」
呆気にとられたのは久しぶりかもしれない。
洞穴の中は、全てが水晶で構成されていた。
地面、天井、壁に至るまで全てがだ。
そこは自然が生み出した水晶洞窟という芸術だった。
「ふふ、驚いていただけたようで満足です。これは宝、この場所そのものが妻の大切な宝なのです」
ウォルターの言葉が洞窟へと奪われていた意識を現実に戻す。
「でも、彼女にとって一番の宝はあなた。こんなすごい場所よりも、あなたの方が彼女にとっては大切。そうでしょ?」
夫婦である以上、ドラゴンにとって最も大切なのは夫。
口元に笑みを浮かべてそう言うと、ウォルターは困ったように眉を歪めた。
「身に余る光栄というのは、きっとこういうことを言うのでしょうね」
「愛されてるわね」
他愛もない会話を続けながら歩いていくと、ふと開けた空間に出た。
そこに、彼女はいた。
「お待ちしていました、リリム様。お連れの方もようこそ。この島を治めております、イースです」
大きなお腹に真珠色の鱗で覆われた手を当て、イースは綺麗に頭を下げる。
それに合わせて淡い翠の髪がこぼれた。
「ミリアよ。この子はルカ」
「ミリア様にルカ様ですね。まずは呼び出すような形になったこと、申し訳ありませんでした」
「あら、それこそ気にしなくていいわ。おかげで、いいものが見れたし」
わざと辺りを見回してみると、イースは穏やかに笑った。
「そう言っていただけると、幾分か溜飲が下がります」
予想に反して、イースは穏やかな性格らしい。
ちょっと拍子抜けだが、これなら恨みごとを言われる心配もない。
「じゃあ、さっそく私に会おうとしたことについて訊いてもいいかしら?」
「ええ、もちろん。しかし、お話をするのなら、座ってゆっくりとしませんか?」
現実的な提案に頷いて返事をすると、「こちらへ」と奥へ案内された。
そこは客室らしく、凝ったデザインのテーブルとそれを挟んで二つのソファが設置されていた。
「こちらへお座り下さい。今、お茶を淹れてきますので」
「イース、お茶は俺が用意する。君は座っていてくれ」
「え、でも」
ウォルターがイースを遮り、ほとんど無理矢理といった感じでソファに座らせると、隣りの部屋へと消えていった。
「その大きさだとそろそろでしょ?体は大事にしなくちゃダメよ」
私の視線に気づいたのだろう。
イースはそっと膨らんだ腹を撫でた。
「お医者様の見立てでは、一週間以内とのことです。ただ、夫や島の人達にまで大事にされすぎている気がして申し訳なくて」
イースがどこか困ったように笑うなか、隣りに座るルカがさり気なく視線を外したのは、自分の両親を思い出したからだろうか。
「お待たせしました」
そこへウォルターがやってきて、目の前に湯気の立つ飲み物が置かれた。
赤みがかった琥珀色と香りから察するに、紅茶らしい。
「ありがとう」
さっそく口をつけてみれば、熱さと苦み、そして仄かな甘みが口内に広がる。
ルカも静かに紅茶を飲み、「あつっ…!」とうめくなか、ウォルターがイースの隣りの座ったのを見計らって、本題を切り出した。
「さて、そろそろいいかしら。なぜ、私に会おうとしたの?」
「リリム様には島民全員が恩があるからです。この島、今は当たり前のように町があって人が住んでいますが、昔はそうではなかった。小さな集落が点々とあるだけだった状態からここまで発展できたのは、ふらりと島を訪れたリリム様のご夫婦が力を貸してくれたからでした。ですから、同じリリム様であるあなたとも、是非お話がしたかったのです」
流暢に語り終えたイースが小休憩するように紅茶を飲むなか、私は一人納得した。
宿での待遇は、色々な背景があったからこそらしい。
「そのリリム、名前は覚えているかしら?」
「ええ、もちろん。あの方のお名前はセラ様です」
聞いた瞬間、喉から「くふ」と変な笑いがもれていた。
面白いわけでもないのに、つい口元に笑みが浮かんでしまう。
「どうかしましたか?」
イースが不思議そうに見つめてくるなか、私はそっと口元を撫でた。
「いえ、セラ姉さんなら納得だと思ってね。あの人、旅行好きだから」
「この島に来た時も旅行だと言っていましたが、やはりお好きなのですか」
「ええ。最低でも月に一回は行くはずよ」
「道理で年に一回は来てくださるわけですね」
まるで旧知の間柄のように、会話が弾む。
お茶が出されていることも手伝って、のんびりとした昼下がりを過ごしている感覚だ。
だが、そんな穏やかな談笑の時間は唐突に終わりを迎えた。
「イース様〜!!」
客室へと入ってきたのは一人のハーピー。
顔を赤くし、肩で大きく息をしているところを見ると、かなり急いで来たようだ。
「どうしたのですか、セリーヌ。そんなに慌てて」
「い、今、船を見て!そ、それで!」
「船?」
イースが訝しそうに首をかしげ、夫のウォルターはいつの間にか汲んできた水をセリーヌへと差し出す。
それをほとんど一息に飲み干すと、セリーヌは少しは落ち着いたらしく、ウォルターに礼を言ってから改めて口を開いた。
「いつもの定期船が来る岸に、見たことのない船があるのを見ました!大きな船です!」
「新しい定期船じゃないの?」
事の経緯を黙って聞いていたルカが口を挟むが、イースはそれを否定する。
「いいえ、定期船はつい数日前にこの島を出たばかりです。次に来るのは一週間は先のはず」
その言葉に、全員が黙りこむ。
島にいつも来る船ではないのなら、残る可能性は少ない。
そしてそのどれもが、手放しで喜べないものばかりだ。
「あんた、同じこと考えてるでしょ」
声のした方を向けば、腕と足を組んだルカが真剣な顔でこちらを見ていた。
「そうみたいね」
「あの、あまり当たってほしくはないのですが、その船は……」
イースも気づいたのだろう。
美しく整った顔を曇らせつつも、ほぼ確信しているみたいだ。
「あんたの予想、多分当たってるわ。招かれざる客が来たみたいね」
ルカの言葉が、静かな客室に響いた。
時間は少し前にさかのぼる。
島の南にある岸に一隻の大型船が到着した。
大砲まで備えたその船は、誰が見ても物々しい雰囲気を醸し出していて、穏やかや平和といった言葉とは無縁に見える。
そんな船の一室では、一人の兵士と、いかにも頭脳労働が似合う容貌の男が会話をしていた。
「ウィル様、上陸の準備が整いました!」
「ご苦労。偵察部隊は?」
「はっ、準備は整っております。指示があれば、いつでも行けます」
「わかった」
ウィルと呼ばれた青年は一旦視線を別のところへと向ける。
そこにいるのは十代後半と思われる少女。
椅子にきちんと座ったまま膝に両手を置き、我関せずとばかりに目を閉じている。
「エアリス様、よろしいですね?」
「はい」
少女は変わらず目を閉じたまま、小さく頷くだけ。
それを見届けると、ウィルは兵士へと向き直った。
「偵察部隊に伝達。目標は白いドラゴンだ。調査を開始しろ」
12/06/12 00:02更新 / エンプティ
戻る
次へ