連載小説
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リリムと遺跡の秘宝(前編)
空は雲一つない快晴だった。
開け放たれた窓から差し込む陽光は温かく、時折吹く優しい風が窓際のカーテンを揺らす。
時刻は朝が過ぎ、人が活発に動き回る頃。
とある街の家、その一室では時が止まったかのような雰囲気だった。
ベッドに横たわって眠る若い娘と、その傍に立ち、険しい顔で診断書に文字を書き連ねる白衣の中年男性。
更にその背後では、青年と中年の女性が医者の診断が終わるのを神妙な顔で見守っていた。
やがて診断書を書き終わったのか、医者の男性は険しい顔のまま、背後の二人へと振り向いた。
「非常に申し上げにくいのですが、これ以上は手の施しようがありません。もって一月半になるかと…」
医者の言葉に、中年の女性は「ああ…」と悲愴な声を漏らす。
青年も苦虫を噛み潰したかのような表情になるが、それでも気を落ち着けて医者に礼を述べた。
「…いつもありがとうございます、先生」
形式的な礼だったが、医者も状況が状況なだけに軽く頭を下げると部屋を出て行った。
部屋の扉がぱたんと音を立てて閉まると、青年はそっとベッドに歩み寄り、娘の顔を見つめる。
娘の顔立ちは整っているほうだが、青白い肌が確実に病に蝕まれていることを示していた。
「リィナ…」
青年がそっとその頬を撫でると、彼女の目がうっすらと開く。
済んだ青の瞳は虚空をさ迷った後、青年へと向けられた。
「ロイド…ごめん、ね…」
小さな、それもかすれそうな声での囁きは、青年の顔を曇らせるのに十分だった。
「起きてたのか…。ちゃんと寝てないと駄目だろ?」
「起きてたいんだ…。一月半、なんでしょ…?私が、生きていられる時間。だったら、できる限り起きて」
続きの言葉は咳によって邪魔をされた。
「…ほら、無理するな。それに、お前はもっと生きなきゃ駄目だ」
「そう、だね、お嫁さんになるって…、約束したもんね…」
生気のない顔で弱々しく微笑む様は、目を背けたくなるくらいに痛々しい。
それでもロイドは歯を噛みしめるだけに留めた。
「…そうだ。だから、今は休んでくれ。な?」
ロイドが無理矢理笑顔を浮かべると、リィナは声なく笑って目を閉じた。
少し眠るようだ。
「おばさん、外に出よう」
涙で目元を濡らしたリィナの母、デルフィンを部屋の外に連れ出し、台所の椅子に座らせる。
「ごめんなさいね、ロイド君…。親の私がみっともないとこを見せて…」
「いいえ、あんなこと言われたら、親なら誰だって動揺しますよ。それより、俺はやっぱり行くことにします」
どこへ、と訊かずともデルフィンはそれだけで分かったらしい。
瞬時に立ち上がると、ロイドの両肩を掴んだ。
「それだけはやめて!あなたも聞いたでしょう?あの子はもう、一月半しか生きられないのよ…。だったら、傍にいてあげて」
それは親としての願いでもあるのだろう。
ロイドとしても、できることならそうしていたい。
だが、それ以上にリィナを助けたいと思う気持ちの方が強かった。
「俺は、リィナに死んでほしくない。おばさんだって同じ気持ちのはずだ。だから、リィナを助けられる可能性があるなら、俺はそれに賭けたい。このままリィナが病気で死んでいくところなんて見たくないんだ」
「でも、噂に頼るなんて…!」
そう言われるのも無理はなかった。
だが、他に当てにできるようなものもないのだ。
「必ず手に入れてくる。だから…、それまで生きているように言っておいて下さい。…出発前にまた来ます」
デルフィンの手をそっと肩から外すと、ロイドはなにかを決心したように早足で家を出て行ったのだった。



「で、今日はなにしに来たのよ?」
机に向かい合って座る少女は青リンゴをかじりつつ、そんなことを言った。
時刻は間もなく昼になるのだが、徹夜であれこれと調合をしていたルカは今更ながらに遅めの朝食をとっているらしい。
「どこかに遊びにいかないかと思ってきたのだけど…」
言葉を区切り、視線を向けると青い瞳が無防備に見つめ返してきた。
「で?」
「ルカ、それはあなたの朝食なの?」
「朝食兼昼食ね」
それがなに?とでも言いたげなルカに、私は朝からため息だ。
「あなたはもう少しちゃんとしたものを食べるべきだと思うの」
「いいじゃない。大体、料理なんて時間のムダよ。そもそもアタシ達は魔力さえあれば生きていけるんだから、食事なんて適当でいいでしょ」
「それはそうだけど、そもそもルカは料理できるの?」
何気ない一言はルカの癇に障ったらしい。
その眉根に皺が寄った。
「失礼ね、アタシだって料理くらいできるわよ!ちょっと待ってなさい!すぐに作ってくるから!」
そう言い残し、隣りの部屋へと行ってしまった。
「あれは意地かしら…?」
なにはともあれ、ルカが料理を作ってくれるというのは楽しみだ。
だが、予想に反してルカはすぐに戻って来た。
「ルカ?料理は見てなくていいの?」
「ああ、もうできたから」
「え、できたの?」
ルカが隣りの部屋に行ってから五分くらいしか経ってないが、こんなに早く作れる料理があっただろうか?
私が不思議に思うなか、それは置かれた。
「……ねぇルカ、これはなにかしら?」
「見てわかんない?」
そう言われても困る。
なにしろ、私の前にあるのはどう見ても普通の卵なのだから。
「ゆで卵?」
ゆで卵を料理と呼んでいいかは分からないが、私が知る限りでは、殻が付いたままの卵はゆで卵くらいしかない。
そんな私に向かって、ルカは衝撃の一言を発した。
「違うわ、卵焼きよ」
「…え?」
卵焼き?目の前にあるこれが?
「私の知識が正しければ、卵焼きは溶いた卵を焼いたものだと思うのだけど」
「それは手間暇かけた卵焼きね」
つまり、これには手間暇かけていないということか。
「感想に困るけど、これは卵焼きというより目玉焼きなんじゃないかしら?」
「なに言ってんのよ。目玉焼きはちゃんと殻を割って焼いたやつでしょ。これはそのまま焼いたもの。だから卵焼きよ」
あくまで卵焼きだと主張するルカ。
まあ、理屈としては卵焼きになるのかもしれない。一応、焼いているし。
ただ、殻を割らずにそのまま焼くという発想が斬新すぎる。
「…ルカ、一緒にレナのところに行きましょう。簡単に作れる料理を教えてもらったほうがいいわ」
「…さっさと済ませてひと眠りしようと思ったんだけど、まあ、いっか」
ルカは少しだけ考えるような仕草をした後、行くという決断をした。
話がまとまったところで早速向かった狐の尻尾は、昼時だというのに珍しく客の入りが少なかった。これなら、レナもルカに料理を教える余裕くらいはあるだろう。
「お二人とも、いらっしゃいませ。今日は何にしますか?」
カウンターで作業をしていたハンス君が朗らかに笑いつつ、注文を尋ねてくる。
ここに連れてきた時は不安そうにしていた彼も、今は大概のものを作れるそうだから成長したものだ。
そして、月日によって成長するのは魔物も同じ。
だから、ルカも練習すればきちんと料理をできるようになるはず。
「アタシは海鮮パスタとコーンスープね」
だが、肝心のルカはさっさとカウンター席に着き、ハンスにそう告げていた。
「はい、わかりました。ミリアさんは何にしますか?」
ルカの注文を書き留めたハンス君が尋ねてくるが、私は目を細めてルカを見つめる。
「ルカ?」
「な、なによ。食事処に来たんだから、料理を注文するのは当然でしょ!?」
そう言いつつも、分が悪いとは思っているのか、視線が逃げる。
そんなルカにはため息ものだ。
「あの、ミリアさん?」
「そうね、私はおまかせするわ」
そう言いつつルカの隣りに座ると、あからさまにルカが顔を背けた。
まったく仕方のない子だと思っていると、頭にふと妙案が浮かぶ。
ここは一度、ルカに赤面してもらおう。
ルカにばれないように声なく笑いながら、ことさら悲しそうな声で言ってあげた。
「ルカは私のことが嫌いなのね…。悲しいわ…」
「なっ!」
瞬時にルカが振り向いた。
それに合わせて、今度は私が顔を背ける。
「ちょ、ちょっと!誰もそんなこと言ってないでしょ!?」
背後から動揺の声が聞こえるが、私は酔い潰れた客のようにカウンターへと突っ伏してルカとは反対方向へ顔を向ける。
「いいのよ。どうせ私はお節介なリリムだもの。嫌われたって仕方ないわ」
拗ねた演技まですると、ルカは完全に誤解したらしい。
「いや、だって、アタシ、料理は得意じゃないし、好きでもないし…。その、ご、ごめんなさい!」
意外なことに、その口から謝罪の言葉が漏れた。
その言葉が聞こえたと同時に振り向くと、そこには予想通り真っ赤な顔のルカがいた。
「嫌いじゃないなら、どう思ってるの?」
「なっ、あ、あんた…!!」
ようやく演技だったと分かったルカはわなわなと震え、顔が更に赤へと染まっていく。
それは何度見ても可愛らしい。
「ねえ、ルカ。どうなの?」
意地悪な表情と声で、恥ずかしさと腹立たしさ、両方の感情がこれでもかと現れているルカに顔を近づけ、その瞳を覗き込む。
ガラス細工のようなルカの瞳は動揺の色をありありと浮かべ、そして顔を逸らされた。
「し、知らないわよ!!」
今度はルカが顔を背け、私はくつくつと笑う。
まったく、いつまでも飽きないやり取りだ。
「なに楽しそうな話をしているんですか?」
そんな声がしたほうを見れば、両手だけでなく、その細い腕にまで器用に料理を乗せたレナが奥から出てきたところだった。
「ルカは可愛いって話よ」
「ああ、なるほど」
レナは頷き、持ってきた料理を置いていく。
「はい、可愛いルカさん♪」
しかし、ルカは全く見向きもせずにそっぽを向いたまま。
だが、レナは特に気にせず「冷めないうちに食べて下さいね」とだけ言い、今度は私の前におまかせした料理を置く。
レナが作ってくれたのはパスタで、レタスやトマト、玉ねぎといった野菜と、皮つきの鶏肉を刻んだものをのせ、最後になんらかのソースをかけたもの。
「おいしそうね。さすがレナだわ」
「大したものじゃないですよ。この程度なら手抜きの範疇ですし」
「あら、これで手抜きなの?」
「ええ。野菜は刻むだけだし、パスタは茹でるだけだし、鶏肉は焼くだけだしで、手間暇かけてませんから。私から見れば手抜きですね」
レナ曰く手抜きだそうだが、目の前にある料理は手抜きなどという言葉とは無縁の出来である。
まったく、羨ましい才能だ。
「手抜きで思い出したわ。レナ、後でルカに簡単に作れる料理を教えてあげてもらえるかしら?」
「ルカさんにですか?いいですけど、ルカさんが料理…」
こめかみに人差し指を当て、小首をかしげたレナはなにか考えている感じだったが、やがてなにか思いついたのか、ルカへと視線を向けた。
「ひょっとしてルカさん、恋人ができたんですか?」
「なっ!!ち、違うわよ!!」
レナの見当違いの発言に、こっそりと料理を食べていたルカがすごい勢いで反応する。
「あ、違うんですか。じゃあ、夫?」
「違うって言ってんでしょ!?そもそも、アタシは料理習うなんて言ってない!!」
椅子から立ち上がって猛抗議するルカに、レナは素で悪意のない止めの一言を言ってのけた。
「じゃあ、花嫁修業ですか。ふふ、いつかは妻になる以上、愛する夫に料理は作ってあげたいですよね♪」
四本の尻尾を揺らしてレナが楽しそうに笑い、隣りにいたハンス君は恥ずかしそうに顔を背けた。
傍から聞いていると、単なる惚気である。
「だからっ!違うって―」
完全に調子を狂わされたルカは顔を赤くしながら反論しようとするが、それは来客を知らせるベルの音でかき消された。
「いらっしゃいませ〜」
裏表のない笑顔とともに歓迎の言葉をお客へと向けるレナ。
そしてすぐに「あら」と漏れたのが聞こえた。
何気なく視線を向ければ、そこにいたのは立派な身なりのブラックハーピーだった。
「久しぶりですね。今日はいつもので?」
レナにとっては顔見知りなのか、常連さんのような扱いだ。
そんなレナに対して、ブラックハーピーは少しだけ苦笑を浮かべた。
「すいません、今日は仕事で」
レナに軽く手を上げると、ブラックハーピーは真っ直ぐに私の元へとやってきて、その場に片膝をついた。
「お食事中のところ失礼します。ミリア様であらせますね?」
「そうだけど、あなたは?」
「しがない使用人の一人です。我が主より、これをお渡しするようにと賜って参りました」
そう言って、懐から一通の手紙を差し出してきた。
「その主とは、誰かしら?」
「主の命は、余計なことは言わず、ただ渡してくるようにとのことでしたので、質問は遠慮願います」
あくまで主と言うことから、どうやら母様ではないらしい。
思い当たる人物が分からないまま、とりあえず差し出された手紙を受け取ると、ブラックハーピーは一礼して立ち上がる。
「確かにお届けしました。それでは、これで失礼します」
素早く静かに、それでいて堂々と去っていく姿は、使用人でありながらきちんと教育されている証拠だろう。
それだけに、彼女の主とやらが想像できない。
「ミリアさんも、あの人と知り合いなんですか?」
店の扉が閉められると同時にレナが尋ねてくるが、私は首を振ってそれを否定する。
「いいえ、少なくとも知り合いにブラックハーピーの配達人はいないわね」
「じゃあ、その手紙の差出人が知り合いということですか?」
レナとハンス君は興味深々、ルカもやり取りをしっかりと聞いていたからか、こっそりと視線を向けてくる。
三人の興味の目が集まる手紙をひっくり返してみるが、そこに差出人の名前はなかった。
「親愛なるシャーロット」
「なっ…」
ちょっとした悪戯心でそう言ってみると、期待通りに反応した者がいた。
当然、今度はその人物へと視線が集中する。
「どうしたの、ルカ?手紙が気になる?」
「な、なるわけないでしょ!アタシは関係ないもの!」
そう言って、ルカはぷいと顔を背けた。
しかし、髪の下から覗く両耳はぴくぴくと動いている。
「そうね、確かに関係なさそうだわ。これ、シャーロットからの手紙じゃないし」
差出人がシャーロットではないという事実を暴露すると、瞬時にルカが振り向いた。
「あ、あんた…!何度もアタシをからかって…!」
「あなたの恥ずかしがる姿が可愛いのがいけないのよ。それより、ルカも気になるでしょ?この手紙」
「うっさい!いいから、さっさと開けなさいよ!」
「そうですよ、早くあの人のご主人さまが誰なのか教えて下さい!」
開き直ったルカと痺れをきらしたレナに催促され、お望み通りに封を開けると、丁寧に折られた手紙を取り出し、その文面に目を通す。
文は僅かしかなかったのであっさりと読み終わり、目が肝心の差出人へと移る。
そして記された名を見た瞬間、私の口からため息が漏れていた。
「ミリアさん、一体誰からだったんですか?」
三人を代表してのレナの問いに、私は苦笑ともに返事を返した。
「姉さんよ」


夕方を過ぎた頃。
手紙で指定された時間に、私はある場所へと向かった。
転移した先はとある城の門付近。
時間が時間だからか、城門はぴったりと閉じられており、付近の静けさと相まって来る者を拒んでいるように見える。
そんな門の前に、私が来るのを分かっていたように佇むリリムがいた。
「待っていたわ。久しぶりね、ミリア」
「確かに久しぶりね、セラ姉さん。元気そうでなによりだわ」
「あなたもね。さあ、中へどうぞ」
姉が優しい笑みとともに右手をぱちりと鳴らすと、門が音もなく開いていく。
そして門をくぐった先の城へと続く通路では、様々な魔物が城の入り口まで列を作っていた。
幅広い通路の両脇に作られた魔物の列は、見る人にとっては圧巻かもしれない。
「姉さん、私がこういう仰々しいのを嫌いだと知っているでしょ?」
「もちろん知っているわ。でも、仕方ないわよ。この城の主は私で、あなたは私の妹なのだから。一応言っておくと、これは皆が勝手にやっていることよ?」
姉と私が近くにくると、列をなしている魔物は頭を下げていく。
その誰もが誇らしい顔で頭を下げていくのを見る限り、姉は慕われているのだろう。
「さすが姉さんね。人望が厚いことで」
「あら、人望ならあなただって私と同等だと思うのだけど?」
「さあ、どうかしらね」
肩をすくめて返事をすると、姉はくすりと笑う。
「ふふ、そうやって認めようとしないところは変わらないわね」
「そう言う姉さんも、私を着せ替え人形かなにかのように思っているところは変わらないわね。このドレスも、そういった意図があるのでしょう?」
現在、私は純白のドレスに身を包んでいる。
狐の尻尾で食事を終えてひとまず家に戻ると、家の前に豪華な箱が置いてあり、なにかと思って開けてみれば「これを着てきてね」というメッセージカードとともにこのドレスが入っていたのだ。
「可愛い妹を人形だなんて思うわけないじゃない。白のドレスにしたのは、絶対に似合うと思ったからよ。その黒い翼にはね。だから、あなたは白のドレス。逆に私は黒ね」
そう言う姉が着ているのは、色以外は全く同じデザインのドレスのようだ。
「それで?ドレスの贈り物までして、姉さんは私にどんなことをさせるつもりなのかしら?」
「そうね、まずは一緒に食事かしら」
姉の返事はごく普通のものだった。
だが、私は小さくため息をつく。
まずは、ということは他にもなにかあるということだから。
はてさて、一体なにを頼まれるやら…。
「ところでミリア、レスカティエの陥落はあなたの仕業かしら?」
聞いた瞬間、私は再びため息をついていた。
恨めしそうな目を姉に向けると、そこにあったのは全て把握している笑顔。
「…姉さん。分かっていて言ってるでしょ」
言った途端、姉はくつくつと笑う。
「ええ、もちろん。新聞では実名は伏せていたけど、私は姉妹の誰かまで分かっているから」
「誰かまで分かるの?やっぱり、セラ姉さんより上の姉さん?」
「そうよ。名前はデルエラ。私達より、ずっと上の姉さんね。私もほとんど会ったことはないから詳しくは知らないけど、過激派な人だと聞いているわ」
一人で教団の国を魔界へと堕としたくらいだから、過激なのは間違いないだろう。
「上の姉さんにこう言うのもなんだけど、反りは合わなそうだわ」
「そうね、確かに私達とは合わないかもね」
「ところで、なぜそんな話を?」
「気まぐれ起こして里帰りをしたら、そんな話を聞いたから。これはからかうしかないと思ってね」
そう言う姉は実に楽しそうだ。
それに対して私はため息しか出ない。
国を陥落させる暇があるなら、間違いなく散歩に行っている。
頭でそんなことを考えながら姉に続いて城内に入ると、シャーロットの屋敷以上に華やかな作りとなっていた。
遥か頭上に輝く巨大なシャンデリアは広い玄関全てを照らし、その明かりは目に眩しいくらいだ。
「そういえば、あなたがここに来るのは初めてだったわね。こっちよ」
金糸によって刺繍を施された青い絨毯が敷かれた廊下を進むと、姉は階段を上っていく。
磨き上げられた白い階段を三階まで上ると、一階と似た作りの廊下へ出た。
姉は廊下を真っ直ぐに進み、やがて突き当りまで来ると、そこで振り向いた。
「とりあえず、ここでくつろいでね」
そう言って開け放った先は、かなりの広さを持つ居間だった。
広さに比例して置かれている家具も相応の大きさで、四人は余裕で座れるだろうソファが二つ、艶やかな光沢を放つ縦に長いテーブルを挟んで向かい合うように置かれている。
それ以外にも、見事な装飾が施された戸棚、あちこちに飾られた白銀の壷、壁に飾られた風景画と、どれもが上品さを感じさせる物で溢れている。
だが、私が目を奪われたのはそれらの高級品ではなく、居間そのものだった。
床、壁、天井。
全てが白で統一され、どこか神々しさを感じさせる趣きなのだ。
「陳腐な言葉で申し訳ないけど、随分とすごい居間ね」
「ふふ、あなたがそう言ってくれたなら私は満足よ。ほらミリア、こっちに来て?」
姉に手招きされた先は、向かい合ったソファの一つ。
言われるがままに腰を下ろすとソファは音もなく沈み、その柔らかさを静かに誇示する。
「じゃあミリア、あっちを向いて。体ごとね」
隣りに腰かけた姉にそう言われ、私は素直に指示された方を向き、姉に背を向ける。
すると姉は私の翼に手を伸ばし、どこからともなく取り出した歯の細かい櫛で手入れをし始めた。
「うん、きちんと手入れはしてるみたいね。見事な手触りだわ」
「手入れはきちんとしているわ。じゃないと、姉さんに叱られるんだもの」
姉妹で意見が分かれる私の翼。
その中でも、この姉は私の翼に好意的だ。
それこそ、毎日翼の手入れをしてくれたくらいに。
「叱るのは当然じゃない。せっかく他の姉妹とは違う素敵な翼を授かったんだもの。きちんと手入れしなくちゃダメよ」
喋りつつも姉の手は止まらず、櫛が動く度に絶妙な心地よさを感じさせる。
「はいはい。それより姉さん、そろそろ私を呼び出した件について話してくれないかしら?まさかとは思うけど、翼の手入れをするためだけに呼び出したわけではないでしょ?」
「もしそうだと言ったら、笑ってくれる?」
あからさまな冗談は、機嫌が良い証拠だ。
そう思いつつ肩越しに振り向けば、悪戯っぽく笑う姉の顔があった。
「ええ、苦笑するわ」
「ふふ、笑ってくれるなら結構よ。それにしても、あなたの翼をこうして手入れしてると昔を思い出すわね。懐かしいと思わない?」
「思うわね。お風呂上がりに、いつも姉さんはこうしてくれたから」
当時は鬱陶しく感じることもあったが、今思えば不思議と懐かしさだけがこみ上げてくる。
なんだかんだ言って、私自身も姉に翼を手入れしてもらうことに満足していたのかもしれない。
「手入れしたくもなるわ。いつ見ても羨ましいと思うもの。これで角があれば完璧だったのだけど」
「じゃあ、今後生まれてくる妹達が、姉さんにとって理想の姿であるよう祈っておくわ」
「もう、意地悪ね。そう都合良くあなたみたいな特別な子は生まれないのよ?」
たしなめるような口調で言われた特別という単語は、姉が魔王城にいた頃何度も聞かされた言葉だ。
そのせいか、こうして目の前で言われると当時を思い出してしまい、ため息がこぼれる。
「姉さんこそ意地悪だわ。何度も言ってるでしょ?私は特別でもなんでもないわ」
姿が違うから。
より強い力を持っているから。
それだけの理由で自分が特別だと思うほど、自惚れてはいないつもりだ。
だが、私の言葉に今度は姉がため息をついた。
「何度言えば分かってくれるのかしら…。姉さん悲しいわ」
悲しみなど全く感じさせない口ぶりで姉がそう言った時だった。
上等のメイド服に身を包んだサキュバスがやってきて姉に頭を下げると、こう告げた。
「セラ様、食事の準備が整いました」
「そう、分かった、すぐに行くわ」
主が了承したからか、サキュバスはメイドらしく一礼して静かに去っていく。
「やれやれ、もうできちゃったのね。まだ手入れは終わってないのに」
背後から聞こえるのは苦笑混じりの声。
それだけで姉がどんな顔をしているか、振り向かずとも簡単に分かる。
「じゃあ、手入れはもういいんじゃないかしら?」
料理が冷めてしまっては台無しなのでそう言ってみたのだが、姉の手が止まることはなかった。
「それはダメよ。でも、料理が冷めてしまうのもあれだし、手早く済ませるわね」
翼の手入れを止めるつもりはないらしい。
昔と変わらない姉の性格に、思わず口元がほころんでしまう。
私がこっそり笑っている間にも姉は手入れを続け、不満のため息をもらしつつ作業を終えた。
「ふう…、こんなところかしら。本当ならもっと丁寧にやりたいのだけど」
納得いかなさそうな声なのは、手早く済ませることになったせいで満足いくまでできなかったからだろう。
少しむくれたような顔がどこか可愛らしさを漂わせていた。
「もう十分よ。ありがとう、姉さん。さ、食事にしましょ」
「そうね…」
仕方ないといった感じで立ち上がった姉はゆらりと歩き出し、私はそれに続く。
移動したのは居間の隣りの部屋で、そこに貴族特有の長い机はなく、お洒落なテーブルが一つ、向かい合った二組の椅子とセットで置かれていた。
「姉さん、椅子が一つ足りないみたいだけど」
姉は既婚者なので、当然夫がいる。
姉と夫に加え、そこに私が入ると椅子が足りないはずだ。
だが、姉は苦笑を浮かべて席についた。
「あなたの心配は問題ないから大丈夫よ。さ、席について」
座るように言われて、どこか釈然としないままに席につく。
「いいの?ここは義兄さんの席でしょ?」
「いいのよ。だって彼、今はいないから」
何気なく言われた言葉は、少なからず私に衝撃を与えた。
「いないって、義兄さんはどこに行ったの?」
「それは―」
「失礼します」
姉が言いかけたところで、まるで見計らっていたかのようにメイドが現れ、テーブルに料理を置いていく。
運ばれてきたのは肉厚のステーキで、ソースがかけられるとじゅうじゅうと音を立て、それと同時にソースの良い香りが食欲を刺激する。
それ以外のテーブルに並べられた料理も文句なしに最高級のものばかりだったが、私の興味は姉の事情にしかない。
料理の一切を無視して目で無言の催促をしていると、とっくに気付いていた姉は苦笑を浮かべる。
「食べないの?料理、冷めるわよ?」
「そうね、姉さんが話してくれたら食べるわ」
「じゃあ、話すからあなたも食べて。可愛い妹が一緒に食事をしてくれないのは悲しいから」
そう言われては仕方ないので、ナイフとフォークを取り、ステーキを切り分ける。
「焼き加減はレアでよかったかしら?あなたが望むなら、別の肉を用意させるけど」
「いいえ、これでいいわ」
一口サイズに切った肉をそっと口に入れると、ソースとは別にしっかりと牛肉の味がする。柔らかさも申し分なく、少し噛んだだけで簡単にとろけてしまうほどだ。
「随分と上等の肉みたいね」
「当然じゃない。妹に安物の肉なんて出すわけがないわ」
「お気遣い感謝するわ。で、そろそろ話してくれるかしら?義兄さんはどうしたの?」
あくまで食事を楽しむついでの会話。
明確には言わないが、それが姉の望みなはず。
だからこそ、手はきちんと動かして肉を切っていく。
そんな私の行動は、姉にとって満足だったらしい。
気配を感じて顔を上げれば、こちらを見て微笑む姉がいた。
「旅行に行っているわ」
さらりと言われた言葉が私の問いに対する返事だと気づくのに、少し時間がかかった。
「…旅行?」
「そう、旅行」
なるほど、だからいないのね…。
だが、そうなると頭に疑問が浮かぶ。
「姉さん以外の人と?」
妻である姉を差し置いて他の人と旅行とは、ある意味すごい。
「仲の良いインキュバスの人達と一緒に行くと言ってたわね。たまには、男だけでのんびりしたいとも言ってたかしら」
つまり、インキュバスだけの旅行ということらしい。
悪いことではないが、他の魔物から見れば、それは葱をしょった鴨が集団で歩いているようなものではないだろうか。
姉のことだから、その辺りはきっちりと対策をしてあるのだろうけど。
「色々な意味で、義兄さんには感心するわね」
「愛する夫の頼みだから束縛するような真似はしないけど、私を置いていくなんて酷いと思わない?」
「酷いというよりすごいと思うわ」
なんとなく、姉が私を呼び出した理由が読めてきた。
なにかをさせるために呼ばれたと思っていたが、この調子だと夫が帰ってくるまで城にいてほしいとでも言うのだろう。
「そこは同意してほしいわ。それはともかく、置いていかれて悔しいから、彼が帰ってきたら、今度は私と旅行に行ってもらおうと思ってね」
姉はそこで言葉を区切り、意味深な目で私を見てきた。
「で?さびしいから、それまで私にこの城にいろと?」
それは確信に近い予想だ。
だが、そんな先回りをした発言は誤りだったらしい。
言った途端に苦笑された。
「それはそれで魅力的だけど、その予想ははずれよ」
姉はそこで言葉を区切り、一口サイズに切ったステーキを口に運ぶ。
何度か租借して嚥下した後、そっとワインを口に含ませ、喉を潤す。
それを見計らって会話を再開する。
「なら正解は?」
「彼が帰ってきたら、どこに旅行に行くかはもう決めてあるの。ただ、その行き先がどうも物騒な雰囲気でね。気になって、調べてみたのよ」
話がようやく動き出した。
だからこそ急かすような真似はせず、食事の手を止めたりもしない。
だが、意識はしっかりと会話に向ける。
「原因はある噂。それも、信憑性に欠けていて、普通なら呆れてしまうような類のね」
焦らすように核心を言わず、人の興味を引き付ける語り方だ。
訊き返してほしいという魂胆が丸見えだが、姉のことだからわざとやっているに違いない。
「どんな噂なの?」
内心ため息をつきつつ視線を向ければ、嘲るような笑みを伴った姉の顔が目に入った。
ああ、絶対に楽しんでる。
姉の顔を見た瞬間、それを確信した。
「生命を司る『星』。それは不治の病さえも治し、不死をもたらす。そんな内容だったわね。よくある迷信話だけど、世の中にはそれが分からない人がいる」
つまり、その噂を信じた人達によって旅行先の雰囲気が悪くなっているということか。
『星』なるものがなんなのかは分からないが、噂を信じた人達なら想像がつく。
「権力を持った方々ね」
貴族に王族、教会の地位ある者。例を上げれば切りがないだろう。
「その通り。で、その人達がこぞって星とやらを探し求めてる。それぞれ、多くの人を使ってね。まったく呆れる話ね。完全な不老不死ではなくとも、サキュバスの秘薬と魔物の妻がいれば、かなり近い状態になれるのにね…」
「それは同感ね。でも、彼らも考えることは出来る。その噂の真偽くらいは判断できるはずよ。そして真だと判断し、行動を起こしている。姉さんはその理由を知っているのでしょう?」
私の返答に、姉は難題を解いた教え子でも見るように声なく笑った。
「ええ、知ってるわ。いえ、予想がつくと言ったほうがいいかしら。彼らの探し求める物は、どこにあるかまで判明してるのよ」
もったいぶるように言葉を区切り、真っ直ぐに私を見つめてくる。
明らかに私が答えるのを期待している素振りだ。
だから言ってあげた。
「でも、それだけが理由ではない。そうでしょ?」
肩をすくめて答える私に、姉はくすくすと笑う。
「ええ、その通りよ。察しがいいわね。さて、話を戻すと、彼らの求める物はとある遺跡にあるみたい。そして、その遺跡こそが彼らが動くに足ると判断した理由よ」
「遺跡が?」
「ええ。気になって調べてみたら、興味深い事実が分かったの。その遺跡は旧時代のものみたいでね。誰がなんの目的で作らせたかは不明。中は様々な罠がしかけてあって、深部まで到達した人はなし。そんな遺跡にあるくらいだから、『星』とやらも旧時代のものでしょうね。どう?あなたも興味が出てきたんじゃないかしら?」
姉の問いには素直に頷いたものの、頭は一つの言葉について考えていた。
旧時代。
ついこの間、旧時代の禁書をめぐってあれこれと動いていたせいか、その言葉に敏感になっている気がする。
それを顔に出さなかった自信はあるが、頭の中ではいくつかの仮説が浮かんできている。
例えばその『星』とやらが、最後の禁書なのではないか、など。
なんにしても、情報が足りなすぎる。
「つまり、それが理由?」
「実はもう一つ」
姉はナイフを置き、人差し指を立てる。
「遺跡については旧時代のものだと断言できるけど、『星』についてはなんとも言えないの。恐らくはなんらかの力を秘めた宝石だと思うけど、もしそれが旧時代のものだと仮定するなら、それを作ることのできる存在は限られている」
「『星』の作り手は旧魔王だと?」
話の向かう先が分かり、すかさず返事を返していた。
「随分とそこに辿り着くのが早いわね。でもまあ、その通りよ。旧時代の遺跡に眠る秘宝。そしてそれが旧魔王の作った物だと仮定したら…、『星』の存在も単なる迷信話ではすまなくなってくるわ」
淡々と語られる内容を聞きながら、そっとワインを口に含む。
だが、すっかり食事の気分ではなくなってしまったせいか、全く味がしない。
根拠のない噂と明快な事実は世界のどこにもある。
そこに仮説が加わっただけで、こうも芸術的な組み合わせになるのかと苦いくらいだ。
「旅行の予定先の現状と、その原因は分かったわ。で、それを話して姉さんは私になにを望むの?」
私にとって、一番肝心なのはそれ。
あれこれと情報を与えられたところで、結局は姉がどんなことを頼みたいのかの一点につきる。
今までの話が、食事を彩る会話だったとは思えないのだから。
「お願いは一つだけ。『星』が実在するか調べて。存在していないようなら、私が手を回して、その噂は単なる作り話だったと広めるから」
「もし、『星』が存在していたら?」
姉はその問いには答えず、視線を手元のステーキへと向ける。
それをナイフで均等に三つに切り分けると、真ん中の肉をフォークで刺した。
「原因が存在するなら、それを消してしまえばいい。簡単な話よね?」
そう言って肉をゆっくりと口内に納めると、会話と味、両方を楽しむかのように目を細めた。
つまり、『星』が存在するなら入手しろということらしい。
まあ、姉の言うことはもっともだ。
一つしかないものを多くの人が求めるなら、誰かが手に入れてしまえばいい。
それが、全く関係のない第三者なら尚良い。
問題を解決する方法としては妥当だろう。
だが、視点を変えれば、もっと簡単にこの問題は解決する。
だから、そっと申し出た。
「…姉さん、旅行先を変えたら?」
話を聞く限り、多くの人が動いているようだし、放っておいても時間が解決してくれそうだ。
よって、今回は別のところに行き、ほとぼりが冷めた頃にその街に行けばいいと思うのは私だけだろうか?
「そういう妥協はしないわ。私が行きたいのはその街なんだもの」
一体どんな返答をしてくるだろうかと待ち構えていたら、その口から出てきたのは可愛いわがままだった。
「じゃあ、姉さんが調べたら?」
「いやよ、私は彼との旅行の準備で忙しいもの。だから、あなたにお願いしたいの」
さっきまでのシリアスな雰囲気はどこに行ったのか、あっという間にのん気な姉妹の会話になり下がる。
まるで気ままな天気のようだ。
付き合う方は大変だが、楽しいと思えてしまうから困る。
「もし、私が断ると言ったら?」
冗談混じりの返答は意外にも効果があったらしい。
私にそう言われた姉は、はっきりと驚いていた。
だが、姉もリリム。
すぐに悪だくみでもするような笑みを浮かべた。
「秘密の仕事は大成功だったみたいね。聞くところによると、自分からその仕事を引き受けたとか。セリエルの仕事は引き受けるのに、私のお願いはきいてくれないの?」
秘密の仕事、セリエルとくれば、少し前に引き受けた教団支部の調査以外にない。
一応あの仕事は極秘だったはずだが、それを姉が知っていても驚きはしなかった。
「なんでも知ってるのね。さすが姉さんだわ」
「ふふ、どうかしら。で、返事は?」
これだけ外堀を埋められて、はい以外の返事ができると思うのだろうか?
「聞かなくても分かるでしょ?」
ため息混じりの返事と苦笑。
それだけで、姉は満足したらしく、満面の笑みで微笑んだ。
「もちろん。じゃあ、食事が終わったら詳細を話すわ」
お願いに関する話はひとまず終わりのようで、右手を鳴らす。
それは従者を呼ぶ合図だったらしく、壁際に控えていたサキュバスのメイドが静かに歩み寄ってきた。
「ワインを注ぎ足してもらえる?」
「かしこまりました」
指示を受けたメイドはすぐにボトルを持ってきて、二人のグラスにワインを注いでいく。
「ありがとう」
作業を終えたメイドに礼を言うと、姉は満たされたばかりのグラスを掲げた。
「あなたの仕事の成功を祈って」
言葉に合わせて私もグラスを掲げ、姉のものにそっとぶつける。
「「乾杯」」
ぶつかり合ったグラスが小気味よい音を鳴らすと、やれやれと思いながらワインを一息に飲み干す。
上等のワインは今度はしっかりと味がした。


必要な物はあらかた揃った。
多くの人が遺跡の探索に向けて準備を進めていると思っていたが、どの店でも品切れを起こしているようなことはなかった。
糧食や応急処置に必要な薬品類を買い揃えたロイドは一旦家に戻るべく、町中を歩いていた。
町行く人には見慣れた人も多数歩いているが、中には剣を持った者や、熊のような体つきをした、いかにも傭兵らしい男も多数見受けられる。
その誰もが最近になって見かけるようになったことを考えると、貴族や商人によって雇われた者達なのだろう。
この人達全員を出し抜き、『星』を手に入れられるのかと不安になるが、やらなければならないのだ。やらなければ、リィナは―。
「きゃっ」
「っ!」
物思いにふけっていたのが悪かった。
頭であれこれと考えていたせいで前方への意識が散漫になり、通行人の一人とぶつかってしまったのだ。
相手は灰色のローブを纏っていて、顔はフードで隠されていたが、声で女性だと分かった。
「すいません、少しよそ見をしていて…。怪我はありませんか?」
相手は軽くよろけただけで転んだわけではないから大丈夫だとは思うが、ロイドは一応そう声をかけた。
「ええ、問題ないわ。こちらこそごめんなさい。少し考え事をしていたものだから」
「無事ならよかった。本当にすいませんでした。申し訳ありませんが、先を急ぐので、これで失礼します」
もう一度謝ると、ロイドは足早にその場を去る。
少しの時間も無駄にできない以上、見ず知らずの他人と会話をしている暇などないのだ。
家に近づくにつれてほとんど駆け足になっていたロイドは自分の家に着くと、旅に必要な物を二つの麻袋に詰めていく。
ロイド自身も剣を腰に下げ、外套を身に纏う。
これで準備は完了、後はリィナ達に挨拶に行くだけだ。
当分は戻ってこないだろう家に鍵をかけ、リィナの家に向かう。
その際に視線を感じた気がしたが、ロイドは気にもとめずに先を急いだ。
街はいつも通り活気に満ちているなか、一つだけひっそりとした空気を放っているリィナの家。
もはやすっかり通い慣れた彼女の家に入ると、デルフィンは料理でもしているらしく、台所から芳しい香りがした。
「こんにちは。おばさん、リィナは起きてますか?」
「ええ、今日は調子がいいみたいで、起きているわ。もうすぐ昼食ができるから、起きているように伝えてもらえる?」
「はい」
もう何度も交わしたやり取りだからか、デルフィンは振り向きもしない。
台所に顔出しをしたロイドは伝言と挨拶のためにリィナの部屋に行き、扉を開ける。
リィナは相変わらず寝たきりだったが、意識ははっきりしているらしく、ロイドが部屋に入ると顔を傾けた。
「おはよう」
「もう昼だから、その挨拶はおかしいな」
旅装姿のロイドを見てもリィナは軽く笑っただけで、変わらぬ挨拶をしてきた。
「今日ロイドに会うのは初めてだから、、おはようでいいんだ」
「はいはい。もうすぐ昼食ができるから、起きてろだってさ」
リィナ独自の理論に苦笑を返しながら、そっとその頭に手を置いた。
病気で衰弱はしていても、その温もりはしっかりと存在する。
この温もりともしばらくはお別れだと思いながら、ロイドはゆっくりと頭を撫でた。
「子供扱い…?」
冗談を言えるくらいに調子がいいらしい。
「調子がいいみたいだな。これなら、俺が戻ってくるまで大丈夫そうだ」
その言葉がなにを意味するか分からないほど、リィナは幼くない。
返事の代わりにゆっくりと毛布から細い手を出し、ロイドの手に触れた。
「絶対に帰ってきてね…。ちゃんと待ってるから…」
「ああ…」
触れた手をそっと握り返す。
だが、恋人同士の静かな時間はデルフィンが顔を覗かせたことで終わってしまった。
「ロイド君、あなたにお客さんよ」
「俺に?」
リィナの家にまで尋ねてくるような知り合いがいただろうか?
首をかしげるロイドだったが、その客が目の前に現れたことで納得した。
「こんにちは」
そう挨拶をしてきたのは、さっきぶつかった女性だったのだ。
「あなたは……」
少し驚くロイドに、ローブの女性はフードの下で笑った…気がした。
「落し物を届けにきたの」
言葉とともに差し出してきたのは、折りたたまれたメモ用紙。
「それは…!」
あのメモ用紙には、遺跡周辺の詳しい見取り図が描かれている。
そして、あれは確かに上着の内ポケットに入れたはずだ。
慌てて懐を探るが、そこにあるはずのメモはなかった。
「さっきぶつかった時に落ちたみたいね。あの場に落ちていたわ。これ、あなたのでしょ?」
「すいません、わざわざありがとうございます」
「いいえ、それを落とした原因の半分は私にあるから。それより、あなたも『星』を探しているみたいね。理由は後ろの子かしら?」
「っ!」
ほとんどひったくるようにメモを取っていた。
「あんたには関係ないだろ」
「あら、口調が変わったわね。そっちが素なのかしら?それとも、この子の前だから?」
ロイドの脇をすり抜け、ローブの女性はリィナの傍に立って彼女を見下ろす。
「おい!図々しいぞ!」
人の事情にずかずかと入り込むようなやつを、リィナに近づけたくない。
そう思い、女性の肩を掴む。
だが、この招かれざる客は意にも介さず、リィナに語りかけた。
「随分と弱ってるみたいね。辛い?」
「綺麗…」
リィナの言葉が女性の素顔のことを言っているのだと気づくのに、少し時間がかかった。
フードを目深にかぶっている女性だが、ベッドから見上げるリィナには丸見えなのだろう。
「ありがとう。あなたも人にしては美人だわ。彼が感情的になるのも頷けるわね」
「ごめんなさい、いつもはもっと穏やかで優しい人なんです」
まるで友人同士のような会話だ。
確かにリィナは人見知りしない性格だが、それにしても打ち解け過ぎじゃないだろうか。
それも含めて文句を言ってやりたかったが、ロイドが口を挟める雰囲気ではなかった。
「ふふ、素敵な恋人ね。彼女、ずっとこの状態なの?」
こちらの心を読んだのか、唐突に話題を振られた。
「十歳の時からだ。けど、お前には―」
「私の後りの寿命、一月半なんです」
ロイドの言葉を遮るように、リィナは自分の現状を吐露する。
「そう…。美人薄命とはよく言ったものね」
ローブの下から彫像のように整った白い手が出てきて、リィナの頬に触れた。
「温かい…」
「彼に抱きしめられたら、もっと温かいわ。それを感じるためにも、もっと生きなくちゃね。あなたはまだ死ぬべきじゃないわ」
リィナに触れていた手をローブの中に引っ込めると、女性は踵を返した。
そして立ち尽くしていたロイドとすれ違いざま、そっと耳打ちする。
「偶然と必然が紡ぐ糸は、時に絡まり、時には外れるわ。だから、また会うこともあるでしょう。じゃあね」
意味深な言葉を残し、謎の女性は静かに部屋を出て行った。
「なにを言われたの…?」
「…大したことじゃない。それより、俺もそろそろ行くよ」
質問は笑って流すと、リィナの傍に立ってその顔を見つめた。
顔色は相変わらずだったが、幾分か血色がいい。
「うん、いってらっしゃい…」
快く送り出してくれる言葉と笑顔。
それは不安になる気持ちを落ちつかせるのに十分だった。
片時も離れたくないと思いつつも、努めて平静を装ってリィナの部屋を出た。
「おばさん、行ってきますね」
デルフィンにも挨拶をすると、娘と同じ青の瞳がこちらを見た。
「どうしても行くのね…」
「はい。リィナには生きていてほしいですから」
ためらうことなく答えていた。
それくらい、リィナが大切なのだと。
「…すぐに出発するのでしょ?これを持って行きなさい。あなたのお昼ごはんよ」
手渡されたのは、大きめの布袋。
その中身はいくつものサンドイッチだった。
デルフィンはロイドの手に布袋を置くと、そのまま手を掴む。
「絶対に帰ってきなさい。あの子を泣かすような真似は、ロイド君であっても許さないから」
「絶対に帰ります。それだけは約束します」
目と目が会うと、ロイドの覚悟が伝わったのか、デルフィンの手が離れた。
そして何事もなかったかのように昼食の準備を再開する。
ロイドは軽く一礼すると、すぐに家を後にした。
向かう先はただ一つ、街から少し離れた所にぽつんと存在する遺跡だ。
そこで『星』を手に入れなければならない。
頭を切り替え、いざ行かんとしたところで、それは目に入った。
いや、わざと目につく所にいたと言ったほうがいいかもしれない。
リィナの家の向かい側で、先程の胡散臭い女性が壁に寄り掛かっていたのだ。
「……」
無言で歩み寄って彼女の前に立つと、とぼけた声が返ってきた。
「あら、随分と早い再会ね。もう少し先だと思っていたのだけど」
「ふざけるな。一体ここでなにしてる?」
「考え事よ。あなたこそ、こんな所でのんびりしてていいのかしら?時間に余裕のある現状ではなかったと思うけど」
「不審者を放っておくわけにもいかないだろう」
「不審者?それは怖いわね、どこにいるのかしら?」
わざとらしい返事だ。
「お前だよ!答えろ、ここでなにをしている!?」
返答次第では本当に捕らえてやろうと思い、ロイドは不審者へと詰め寄った…はずだった。
だが、そう思って一歩近づいた瞬間、ローブの女性はまるで風のようにロイドの脇を通り抜けていた。
「なっ…」
意識はきちんと女性に向けていた。
それなのに、目の前にいたはずの存在が今は背後にいる。
「努力はね、報われるべきだと思うの」
慌てて振り向くと、女性は静かに、そしてゆっくりと大通りに向かって歩き始める。
「でも、世の中には報われない努力が必ず存在するのよ。例えば、恋人のために存在するかも分からない物を手に入れようとする、とかね」
返事はしてやらなかった。
これは、明らかに挑発しているようなものだから。
「ついて来ているということは、話を聞く気があると捉えていいかしら?」
歩を止め、女性が振り向く。
「…どうかな。不審者を捕らえようとしているだけかもしれないぞ?」
言ってみたものの、ほとんど負け惜しみだ。
急がなければならないのに、話に聞き入っていたのは事実なのだから。
「負けず嫌いなのね。そういう男は嫌いじゃないわ。だから、一つ提案があるのだけど」
「なんだ」
すかさず問い返すロイドに、女性はたっぷりと間を置いて答えた。
「私と手を組まない?」
「…なに?」
予想外の言葉に心が乱れる。
それを悟られないように、努めて普段と変わらない声で返事を返したつもりだが、うまく言えたかは怪しいところだ。
「私はこの騒動の原因である『星』について調査していてね。そのためにこの街に来たの。そこで出会ったのがあなたよ。『星』を調べる私と、それを求めるあなた。運命的だと思わない?」
どこか楽しそうな声音だが、ロイドは冷静に頭でこの人物と組むことについて考えてみる。
ローブに隠されてはいるが、女性はどう見ても華奢で、荒事になったら役に立つとは思えない。
なにより、調査ということはこの人もどこかの権力者の走狗にすぎないのだ。
組んで得るものより、利用される危険の方が遥かに大きい。
「断る。お前と組むことで、俺には得がなさそうだしな」
「私が魔物だと言っても?」
「それがなんだ。この街は親魔物派だ。魔物なんてどこにでもいる」
もっと言えば、多くの魔物を擁する権力者でさえもが動いているのだ。
魔物という理由だけでは、なんのアドバンテージにもならない。
だが―。
「リリム」
彼女の放った短い一言が、すごい早さでロイドの頭の中を駆け巡った。
リリムといえば、レスカティエの一件で世界中にその存在が知れ渡っている。
当然、その力もだ。
このタイミングで言った以上、目の前の女性の正体は―。
「お前が、そうだと?」
女性は答えず、そっとフードを外した。
そして露わになった素顔は、角がない点以外は話に聞いた通りのものだった。
白銀の糸を思わせる髪に、透けるような白い肌。
宝石を思わせる深紅の瞳。
リィナはその顔を見て綺麗と言ったが、こうして実際に見せられると綺麗なんて言葉ではとてもすまされない美しさだった。
見る者全てを惹きつける悪魔めいた美貌。
言葉で説明しろと言われたら、ロイドはそう言うだろう。
「納得してもらえたかしら?」
澄んだ声が耳に届き、惚けていた意識が醒める。
「なんでリリムがこんな所に…」
「言ったでしょ、調査だって。それで、私の提案に対する返事は?」
決断を迫られ、ロイドは返事に窮する。
リリムの同行者ができるのなら、心強いの一言に尽きる。
だが、万が一裏切られた時は目も当てられない。
最悪の可能性を考慮すると、簡単に返事はできなかった。
「どうして俺なんだ?調査するだけなら、組む相手は他にいくらでもいるはずだ」
「欲のためではなく、自分ではない誰かのために頑張ろうとしていたから。もし『星』が存在するのなら、あなたみたいな人に手に入れてもらいたいもの。理由を上げるなら、そんなところかしら」
そう語ったリリムに嘘を言っている様子はない。
だからこそ、ロイドの中の天秤は揺れ動く。
リリムの助力によってもたらされる利益と、裏切られたことによって被る損害は微妙な均衡を保っている。
それを動かすには、決断という重しをどちらかに乗せるしかない。
あまりにもハイリスク、ハイリターンな賭けに、胃が痛みを訴える。
背中に嫌な汗を流し、顔をこれ以上ないくらいに険しくさせながら、ロイドは苦渋の決断をした。
この決断が間違いではないと心で言い聞かせながら、ロイドは返事を返す。
「妙な真似をしたら、すぐに手を切る。その条件付きでなら、組んでもいい」
こちらの判断で、いつでも手を切れる。
ロイドだけが一方的に有利な提案に不平をもらすかと思ったが、リリムは小さく笑って頷いた。
「用心深いのはいいことよ。だから、その条件は飲みましょう」
そう言って、リリムはロイドへと歩み寄り、白い手を差し出してくる。
指の一本一本が細く、少し力を入れて握ったら折れてしまいそうな手を、ロイドはそっと握り返した。
「これで契約は成立ね。私はミリア、しばらくはよろしくね」
「ロイドだ。早速で悪いが、すぐに出発の準備をしてくれ。知っての通り、リィナには時間がない」
「糧食を少し買えばそれで済むわ。じゃあ、行きましょう」
歩き出したミリアに追従するように、ロイドも足を踏み出す。
『星』を巡る奇妙な二人旅が、静かに始まったのだった。
12/03/12 23:52更新 / エンプティ
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■作者メッセージ
どうも、エンプティです。
新作をお送りします。
またしても長文です、本当にすいません。後編はもう少しまとめたい(あくまで作者の願望です。長文になる可能性大)ところです。
後編は話の流れの通り、遺跡へ向かうことになります。
その奥で待ち受けるのは―、後編でのお楽しみということで。
ただ、作者が作者ですから、あまり期待はしないで下さい(苦笑)
ではまた、次回で会いましょう。

追記
要望があったのでシャーロットの簡単な紹介を。

シャーロット
種族はエキドナ。
独身であり、彼女も他のエキドナと同じように洞窟の奥で自分の夫となる人を待ち受けていたのだが、今のままでは世界中にいる男のほんの一握りにしか出会うことができないと気づき、洞窟を出た。
穏やかで人見知りしない性格のためか、ミリアを始め、その交友関係は非常に広い。面倒見も良く、近隣住民の悩みや相談に乗っているうちに信頼を集め、いつの間にか、領主兼貴族となっていた。
彼女がパーティーを開催するようになったのは、より多くの男と出会うためであるが、今のところパートナーには巡り会えていない模様。

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