リリムと謎の禁書(後編)
晴天のもとの港町リーベルは非常に賑やかだった。
港は様々な商品が出入りするため、どの店も扱っている商品が豊富だ。
それを目当てに歩く旅人姿の者もいれば、人でごった返している通りで自慢の歌声を披露するセイレーンもいる。
どこを見ても人と魔物。
祭りにも近い熱気が町中から発せられているからか、時折吹き抜ける潮風が心地いい。
用事がなければ気の赴くままに町を散策したいところだ。
「これだけ人がいれば、イデアスの行方を知っている人もいそうね」
「本人がここにいれば文句なしなんだけど、さすがにそれはなさそうだわ。とりあえず、別れて情報を集めましょ。あんたはどこに行く?」
「手分けする前に、まずは酒場に行ってみない?レゼルバが彼女と出会ったのも酒場のようだから、もしかしたら店の人も知っているかもしれないわ。それでダメだったら、手分けして情報を集めましょ。これだけ人がいると、合流するのも面倒そうだし」
「ん、そうね。じゃあ、適当な酒場に行きましょ」
そう言って歩き出すルカの隣を私もついていく。
そしてすぐに一軒の酒場を見つけたのだが、店の扉には「準備中」の札が下げられ、今は営業していないことを物語っていた。
「幸先悪くて嫌になるわ…。次に行きましょ」
「まあ、そう焦らずに。ちょっと待っててね」
ため息をついて歩き出そうとするルカを呼び止め、店脇の路地から裏に回る。
するとそこには、酒樽を運んでいる中年の男がいた。
「作業中悪いのだけど、ちょっといいかしら?」
「ん?おっと、これは随分と美人の魔物さんだ。私になにか用かな?」
「ええ。この店にドラゴンの客が来たことはある?」
単刀直入に尋ねると、男は肩をすくめた。
「いや、うちには来たことはないな。ドラゴンが来る酒場と言ったら、きっとモートの所だろう。たまにワインを飲みに来ると言っていたのを聞いたことがある」
「そのモートという人が経営する酒場はどこに?」
「町の東側だよ。通りから路地に入って行った所にある。あまり大きい店ではないから、見つけにくいかもしれんな」
「いえ、それだけで十分よ。ありがとう」
片手を上げて作業に戻る男に礼を言うと、すぐ後ろにいたルカに問いかけた。
「聞こえてた?」
「町の東側の酒場でしょ」
その場で回れ右をして歩き出すルカの後ろについて大通りに出ると、進路を東に向けて歩行を再開する。
「ねぇルカ。禁書について一つ訊きたいことがあるのだけど」
町中で世に知られるべきではない禁書のことを口にするのもどうかと思ったが、この喧騒では私達の会話など聞こえないだろうとルカに声をかける。
「なによ?」
「レゼルバにイデアス。偶然なのか、関わっている魔物がヴァンパイアにドラゴンと上位魔族ばかりだけど、禁書の内容を行使するには強い力を持った者でないとダメだったりする?」
ルカは足を止めると、視線を下に落とす。
「…あんたは本当に鋭いわね…。それもリリムだからなの?」
そう言って小さなため息を一つ。
そんなルカの様子は、見かけとは不相応の魅力を放っていて、妙に大人びて見える。
「あんたの問いに答えると、禁書の内容は上位魔族でなくとも使用できるわ。それこそ人でもね。禁書は魔力を帯びているって言ったでしょ?使用者が内容を理解すれば、後は禁書に宿る魔力だけでその内容を自在に行使できる。禁書が厄介な理由の一つよ」
ルカが語った内容に、今度は私が小さくため息をついた。
つまり、禁書は使い手を選ばないということだ。
よくもまあ、そんな厄介な代物をこの時代に残してくれたものだと執筆者に文句を言いたくなる。
それと同時に、これは母様が処理すべきなんじゃないかという考えが頭に浮かぶ。
だが、そんな考えはすぐに二度目のため息とともに消えていった。
「父様と交わることで忙しいから、こんなことはやらないわね…」
「なに訳分からないこと言ってんのよ?」
私の呟きが聞こえたのか、小さく首をかしげるルカ。
「いえ、ちょっと呆れてただけ。それより、教えてもらった酒場に行きましょ」
例えこの件について報告したところで、そのまま処理するようにと言われるのが目に見えている。
だったら報告などせずに、このままルカと一緒に禁書を探したほうがいい。
「まあ、なんでもいいけどさ。こうあちこち歩き回されるのは嫌になるわ」
「じゃあ、手っ取り早くお店を探す方法を使いましょうか?」
「なに、そんな方法あるの?」
つい数瞬まで面倒そうだったルカは、興味深々といった顔を向けてきた。
「ええ。とは言っても、確実ではないんだけどね」
ルカにそう説明すると、町行く人々へと視線を移す。
そしてその中から誠実そうな青年を見つけると、歩み寄って声をかけた。
「ねえ、そこのあなた。ちょっとお願いがあるのだけど、いいかしら?」
「あ、はい…。なんですか…?」
少しだけ抑えていた魔力を放ちつつ声をかけると、青年は惚けたような顔になって眠そうな声を出す。
そんな彼の背後に回り込むと、耳元でそっと囁く。
「難しいことじゃないわ。モートという人が経営する酒場に行きたいのだけど、案内をお願いできないかしら?」
「ああ、はい…。ご案内します…」
催眠術にでもかけられたかのようにフラフラと歩き出す青年。
どうやら当たりのようだ。
「はあ、なるほどね。この町の人間を魅了して案内させようってわけか。アタシにはない発想だわ」
やたらと近くで声がしたのでそちらを見れば、いつの間にか隣りに移動してきていたルカが露骨なため息をついていた。
「サキュバスらしくない発言ね。ルカが可愛らしくお願いしたら、大概の男は言うことをきいてくれるわよ?」
完全に成長しきっていないとはいえ、ルカもサキュバス。
その魅力は大人の男だろうと簡単に魅了できるだろう。…本人にその意思があればだが。
「アタシがそんなことすると思うの?」
案の定、ルカの返事はそんなことしないというもの。
それでも、この素直じゃないルカだって他人に頼むことはあるのだ。
だからそれを言ってあげた。
「でも、私にはお願いしてくれたわよね?出店の店番を手伝ってほしいって。だったら、男にもできるんじゃないかしら?」
それは少し前のこと。
ルカがお得意さんから依頼されて断れずに引き受け、それを手伝ってほしいと頼まれたのだ。
その時のことを持ち出すと、ルカの表情が一瞬にして崩れた。
「あ、あれは仕方なくだって言ってるでしょ!?それに、友達のあんたなら引き受けてくれると思って……っ!!」
恥ずかしさのあまり、語るに落ちたルカは私にとって嬉しい本音を漏らす。
顔を真っ赤にして口を手で覆うルカだが、そうしたところで口にした言葉は戻らない。
「ええ、もちろん。あなたの頼みなら、私はなんでも引き受けるわよ?」
嘘偽りのない言葉とともに笑みを向けると、向かい合っていられなくなったのか、ルカは顔を逸らした。
「も、もうこの話は終わり!!さっさとモートだかロートだかのとこに行くわよ!!」
早足で逃げるように去っていくルカの後ろ姿を見て、思わず笑ってしまう。
「素直じゃないわね」
そう呟きながら、ルカの後を追ったのだった。
「ここがそうです」
青年がそう言いつつ足を止めたのは、大きいとは言えないが、かといって小さいわけでもない建物の前だった。
それは静かな佇まいで、いかにも知る人ぞ知る秘密の酒場といった雰囲気だ。
しかも驚いたことに看板を掲げていなかった。
それを見たルカが訝しそうに目を細める。
「なによ、店の看板もないじゃない。経営者はやる気あんの?」
「まあ、いいじゃない。私達は客として来たわけではないしね」
なだめるように言うと、青年へと向き直る。
「案内御苦労さま。これはお礼よ」
そう言って、青年の頬にそっと触れる程度のキスをした。
「ふあ…」
その途端、なんとも言い難い声をあげる青年。
「ちょっと、なんか昇天しかけてるわよ?やりすぎなんじゃない?」
「軽く頬にキスをしただけなのに?」
ルカはやりすぎだと言うが、お礼は体でと言いながら相手を押し倒すサキュバスなんてざらにいるのだから、これくらいは可愛いものだと思う。
「あんた、自分がリリムだって自覚あるの?」
「それはもちろんあるわ。王女だという自覚はないけど」
「いや、そっちも自覚しておきなさいよ…。それにしても、リリムにキスされるとこうなるのね」
まるで珍しい彫像でも見るかのような目で青年を眺めるルカ。
「ルカにもしてあげましょうか?」
「しなくていいわよ!!それより、さっさとドラゴンについて訊きに行くわよ!!」
冗談混じりに言うと、頬を赤く染めつつ即答で拒否された。
そんなルカとともに酒場の扉を開けて中に入ると、様々な酒の香りが混じった酒場独特の匂いが鼻をついた。
店内に客の姿はなく、静かなものだ。
だが、そんな静寂はすぐに打ち破られた。
「いらっしゃい」
低めの声を発したのは、カウンターでグラスを磨いている中年の男だった。
前髪を後ろへと撫でつけ、口ひげを蓄えている面構えはいかにも酒場のマスターといった雰囲気だ。実際、そう見えるように毎日整えているのだろう。
この人がモートかと内心納得しながらルカを横目で見ると、彼女は口を引き結んだまま視線をあらぬ方向へと向けて知らん顔。
アタシは話す気なんてないから、あんたが話しなさいということらしい。
いかにもルカらしい態度に声なく笑うと、視線を男に戻す。
「一つ尋ねたいのだけど、あなたがモートでいいかしら?」
寡黙なのか、男は私の問いに対して小さく頷いただけ。
それでもきちんと会話に応えてくれるあたり、人が嫌いというわけではないようだ。
だから私は質問を続けた。
「この店にドラゴンの客が来ると聞いたのだけど、本当かしら?」
「…ええ」
「そのドラゴンはどこに住んでいるの、という質問はダメかしら?」
「それを知ってどうするので?」
返事こそ返してくるものの、モートはこちらを見ようともせずにグラスを磨き続けている。
素っ気ないのか、それともこれが客に対する対応なのか判断しかねるが、重要なのはドラゴンについてだ。
だからモートの問いには偽ることなく答えた。
「彼女に会いたいからよ」
その瞬間、時が止まったように感じた。
モートはグラスを磨く手を止めると、初めてはっきりと私へと視線を向けた。
青い目が私を、もしかしたらルカをも捉え、無言で見つめてくる。
音がないせいか、数秒の時間が長く感じられる。
それでも緊張するようなことはせず、わずかに微笑みながら彼の返事を待った。
「…町の北側、海に面する洞穴にいるかと」
沈黙を破ったのは独り言に近い返事。
それと同時にモートは再び視線を落とし、もうそこには誰もいないかのようにグラス磨きを再開する。
会話はこれで終わりという合図だろう。
「ありがとう」
なんだかんだできちんと教えてくれたモートに礼の言葉を述べると、ルカと共に踵を返して店を出ようと扉に手をかける。
「次はお客としての来店をお待ちしていますよ」
そんな言葉が耳に届いたのは、扉を開けた時だった。
肩越しに振り向くと、モートは変わらずグラスを磨いている。
だが、先程の言葉は確実に空耳ではなかった。
だからこそ、笑みとともに言葉を返す。
「ええ、またの機会に、ね…」
そう言って、静かに扉を閉める。
「やっとドラゴンの居場所が分かったわね。すぐに向かうんでしょ?」
「当然よ。そのために来たんだし」
当たり前の顔で空へと飛び立つルカ。
それを見て、私はため息を漏らした。
「これだけ人がいれば、それなりによさそうな男もいると思うのだけど、やっぱりあなたは禁書優先なのね…」
「当たり前でしょ。なんなら、あんたはここで夫探しをしてたっていいわよ?ドラゴンの居場所は分かったから、後はアタシ一人でもなんとかなりそうだし」
そう言われるとちょっとした意地悪をされた気になるが、空中で小首をかしげるルカの顔に悪意は感じられない。だから、きっと本心からそう言ってくれたのだろう。
「それこそないわね。夫探しはいつでもできるけど、あなたの手伝いは滅多にできないもの。だったら、私が優先すべきは友達であるあなたの手伝いよ」
苦笑とともに返した返事はルカにとって恥ずかしいものだったらしい。
頬をうっすらと朱に染めながら、複雑そうな顔で視線を逸らされた。
「…じゃ、じゃあ、行くわよ」
「ええ」
不思議と満たされている気がする。
それは多分、一つの目的を一緒にやり遂げようとしてくれる人がいるからだろう。
これで、その相手が夫だったら最高だったのにね…。
そんなことを思いながらも口にはせず、空へと飛び立つ。
そして北の方向へと進んだのだった。
象牙色の砂浜と、青の海が続く海岸。
空から見たその光景は絶景とまではいかなくとも、そのまま眺めていたいと思うくらいには綺麗なものだった。
ただ、肝心の洞窟が見当たらない。
「あのおっさんの話じゃ、洞窟があるって言ってたわよね?」
「ええ。とりあえず北に進みましょ。洞窟ならそうそう見落とすこともないでしょうし」
そう言いつつ海岸を北上していると、砂浜の終わりを示すように切り立った崖があった。
それだけなら、そのまま通り過ぎていたかもしれない。
だが、なんとなく気になって崖の正面に回り込んでみると、崖の真下に洞穴があった。入り口の付近には尖った岩が幾つもあり、まるで口を大きく開けた竜のようだ。
「ルカ、こっちに来て」
声をかけられたルカが隣に来て洞穴を眺め、納得という顔になる。
「なるほど、確かに海に面した洞窟ね」
牙のような岩に気をつけて洞穴の入り口に降り立つと、奥から風が吹いている。
それに混じり、魔力も感じられた。
奥までどれだけの距離があるかは分からないが、入り口にいてもその魔力を感じることができる以上、この奥にドラゴンがいることは間違いなさそうだ。
ルカも奥にいるであろうドラゴンの存在を感じ取ったのか、無言で右手を突き出して鮮やかな黄色の光球を作り出すと、それを前方に浮かべて穴の中へと入っていく。
それに続いて私も中へと入ると、洞穴の内部は予想以上に広かった。
見上げることができるくらいに高い天井と、広い横幅。
そこに洞窟特有の少し土っぽい匂いを含んだ空気が充満していて、人が入れば地下迷宮だと思うかもしれない。
幸いなのは一本道だということだ。
「イデアスはすごいところに住んでいるのね」
「陰気臭いところが好きってだけでしょ。ほら、行くわよ」
私は素直に感想を漏らしたのだが、ルカにとってはその程度らしい。
ルカの発言に軽くため息をつくと、光球の明かりを頼りに歩き出すルカに続いて奥へと進んでいく。
その過程で、侵入者を撃退する罠などがないか警戒していたのだが、どうやらイデアスはそういったことをするのは好きでないらしく、罠はもちろん、洞窟の内部も自然が作り出したままで放置してあるようだった。
おかげで、大した時間もかけずに最深部へと到達することができた。
「どうやら、この先みたいね」
曲がり角の手前でルカは足を止めて振り向く。
向こうも隠す気はないらしく、角の先から威圧するような魔力が感じられる。
「そうね。じゃあ、ご対面といきましょうか」
一息に角を曲がると、正面に仁王立ちするように腕を組んだドラゴンがこちらを見ていた。
直後に感じる射抜くような視線は、さすが地上の王者と呼ばれるだけはある。
「なんだ、お前達は?」
低い声で尋ねてくる彼女に、歓迎の色は一切ない。
「お邪魔させてもらってるわ。私はミリア。隣の子はルカ。訳あって訪問させてもらったのだけど、あなたがイデアスでいいかしら?」
「だったらなんだというのだ」
友好的な素振りは微塵も見せず、イデアスは即答で言い放つ。
なんともドラゴンらしい物言いだ。
これでは、禁書について説明するのはちょっと骨が折れそうだ。
さて、どう話すかと思案していると、待てと言うように目の前にルカの右手が差し出されていた。
「ルカ?」
疑問に思って彼女に問いかけるもルカは答えず、真っ直ぐにイデアスを見つめたままだ。
「あんたの持っている本を見せてもらいたいのよ」
「なに……?」
ルカの単刀直入な言葉に、イデアスは器用に片眉を吊り上げる。
そして次に彼女から吐かれた言葉は、表情と同様に不快を隠そうともしないものだった。
「ふざけるな。なぜ私の所有物を貴様らに見せなければならない」
抑揚のない声はおよそ協力をしてもらえるようには思えない。
それでもルカは言葉を続けた。
「あんたのその所有物に、世に仇なすようなものがあるからよ」
「なんだと…?」
一瞬は押し黙るイデアス。
だが、彼女はすぐに返事を返した。
「仮にそうだとしても、貴様たちに見せる筋合いは―」
「これを」
水掛け論になりそうだった二人の会話に割って入ると、イデアスに懐から取り出した手紙を差し出す。
レゼルバがしたためてくれた手紙だ。
イデアスは不満そうにしながらも手紙を受け取り、その内容に目を通す。
その目線が手紙の下部に記されていただろうレゼルバの署名に辿り着いた時、「この魔力は…」と小さく呟いた。
直後、盛大にため息をつく。
「全く忌々しい奴らだ。レゼルバの知り合いでなければ叩き出すところだったんだがな」
「で、どうするのよ?」
憎まれ口は気にせずルカが問いかけると、イデアスは再びため息をついた。
「探し物は本だと言ったな。私の所有する宝に本はそう多くない。今持ってくるから、少し待っていろ」
そう言い残し、イデアスはこの場を去る。
「はあ、これだからドラゴンは好きじゃないのよ…」
本人がいなくなった途端、今度はルカが盛大にため息をついた。
「そう?ドラゴンは皆ああいうものじゃないかしら?」
「傲岸不遜ってやつね。これだから上位魔族は」
「ねえ、ルカ。私も一応、上位魔族なのだけど」
「あんたは例外でしょ。本当に王女なのか疑いたくなる時あるし」
それはどういう意味の例外なのだろうか?
それを訊いてみたい気もしたが、イデアスが戻ってきたのでその質問はあおずけとなった。
「これで全部だ」
その手に持たれていたのは五冊の本。
そこには、予想通り禁書が含まれていた。
「それ…!」
見覚えのある本へと手を伸ばすルカ。
だが、その手は虚しく空を切る。
イデアスが意地悪をするように本を持つ手をひょいと上げたのだ。
「なっ、あ、あんた、なにすんのよ!」
「それはこちらのセリフだ。誰が触っていいと言った?」
一歩後ろに下がり、イデアスはルカに冷やかな目を向ける。
対するルカは怒りのこもった目で睨み返す。
どう見ても反りが合わないと思われるこの二人を放っておくと大喧嘩になりかねないので、ため息をつきつつ言葉を滑り込ませた。
「イデアス。あなたが持つその本は本当に危険な物なの。私達はそれを処分したいだけ。だから、渡してはもらえないかしら?」
「貴様、この本の内容が分かるのか?」
ルカから視線を外したイデアスは、初めて意外そうな顔で私を見た。
「私が分かるのは、それが危険な物ということだけよ。だから、その内容は―」
「もういいわ」
ルカにいきなり声を挟まれ、思わずしゃべるのを止めてしまう。
「ルカ?どうするつもり?」
「この手の馬鹿には、内容を言って渡してもらったほうが早いわ」
ため息をついたルカはしらけたような目をイデアスに向ける。
「小娘、貴様、この内容を知っているとでも言うつもりか?」
問いかけるイデアスに対して、ルカはぽつりと呟いた。
「ダークスライムさえも溶かす酸の雨」
「なに……?」
訝しむイデアスに構わず、ルカは禁書の内容を述べていく。
「死体に魂を呼び戻し、自分の僕とする死霊術。他人の精神を隷属させ、意のままに操る支配魔法。触れたものを全て灰に変える滅びの風。一呼吸しただけで体の内部から爛れ出す死の霧。その本に記されているのは、そんな内容ばかりよ。今アタシが言ったことはその本のほんの一握りにすぎない。読み解いていけば、もっとろくでもない内容が書いてあるでしょうね」
語り終えたルカは、真っ直ぐにイデアスを見つめる。
「アタシ達はそれを処分したい。だから、それを渡して」
ルカの説明を受けたイデアスは手元の禁書へと視線を落としていたが、不意に顔を上げた。
「…確かにろくでもない内容だな。いいだろう、これはお前達にやる」
そう言ってイデアスは禁書を放り投げる。
それを受け取ったルカだが、直後、疲れたように長い息を吐いた。
「これもハズレ、か…」
その言葉から察するに、今回も複製されたものらしい。
「それはどういう意味だ?複製されたものだからか?」
「そうなるわね。ルカの話では、本物は魔力を帯びているそうだから」
「魔力だと…?」
怪訝そうに私を見たイデアスだったが、なにか思い出したのか、小さく「まさか…」と呟いた。
「なにか心当たりでも?」
「…その本は、我が友から複製して譲り受けたものだ。魔力を帯びている上に、読めない文字で書かれているから、解読を手伝ってくれと言われてな」
思いがけない情報に、ルカは顔を向け、私は訊き返していた。
「差支えなければ、その友人について訊いても?」
「エキドナのシャーロット」
イデアスが短くそう言った途端、ルカは疲れたようにため息をついた。
「今度はどこのどいつよ…」
「魔界の貴族よ」
独り言に返事が返ってきたからか、ルカはもちろん、イデアスでさえ驚いたように私を見た。
「あんた、知ってるの?」
だが、それには答えず、今度は私がため息をつく。
「はぁ…。巡り巡って、物語は始まりへと戻るわけね…」
私の呟きを二人は理解できなかっただろう。
だが、私が思わずそう言ってしまうのも無理はなかった。
私に送られてきたパーティーへの招待状。
その送り主がシャーロットだったのだから。
「で、具体的にはどうするのよ?」
赤く熟れたリンゴをかじりつつ、そんなことを言うルカはあまりやる気のない声である。
イデアスの住処からリーベルへと戻ってきた私達はとりあえず休憩しようということで、当てもなく町を歩いている。
「どうするもなにも、禁書の行方が分かっているのだから、行く以外に選択肢はないでしょ?」
「そうだけどさ、あんたは招待されてるから問題ないだろうけど、アタシは色々とまずいでしょ」
「確かに今のままではまずいわね。でも、準備さえすれば問題ないわ」
社交場である以上、今のままのルカでは少し問題だが、逆に言えば準備さえできればそんなことはないのだ。
シャーロットの開くパーティーは人のそれとは違い、身分の高い者しか参加できないようなものではないのだから。
「準備ってなによ?」
リンゴをかじる手を止め、不思議そうに首をかしげたルカはとても魅力的だ。
だから、もったいぶるように言ってあげた。
「ふふっ、見れば分かるわ」
「あんたがそういう笑みを浮かべると、ろくなもんじゃなさそうなんだけど…」
つい数瞬前まで魅力的だった少女は、ものすごく胡散臭そうなものを見る顔になった。
「まあ、見れば分かるわ。じゃあ、行きましょ。それは準備に時間がかかるから」
早くも懐疑の目を向けてくるルカを連れ、私が向かったのは魔王城の城下町だ。
歓楽街として知られるそこでは、様々な商品を目にすることができる。
そんな町の一角に、目的の店はあった。
店頭には様々な衣服が飾られていて、なかにはかなり際どい下着もどうどうと陳列してある。
「服屋?」
「ええ。私や姉妹が愛用している店ね」
ハーピーが経営するこの店は主に衣服を扱っているが、注文すれば自分好みの服を仕立ててもくれるのだ。
「なによ、用意するって服なの?」
「ええ」
ルカに返事を返しつつ店の扉を開くと、「いらっしゃいませ〜」という間延びした声と共にハーピーが姿を現した。
「あ、ミリア様。お久しぶりです〜。本日はどのようなご来店で?」
「ドレスを一着仕立ててもらいたいの。なるべく早めにお願いしたいのだけど、いいかしら?」
「ええ、ええ、もちろんいいですよ。では、体のサイズを測りますから奥の部屋へどうぞ」
裁縫する部屋とまた違った部屋の扉を開け、手でこちらへと促してくる。
「ああ、ごめんなさい。今日は私のじゃないのよ」
「え…、というと…」
きょとんとしたハーピーの視線がルカに向けられる。
「へ?アタシ?」
当のルカは予想すらしてなかったのか、困惑した表情。
「もちろん。私はドレスなんて何着もあるけど、ルカは持ってないでしょ?」
「ちょ、ちょっと待って。用意するってドレス!?」
「ええ、そうよ。社交場に行くのだから、ちゃんとおめかししないとね」
シャーロットに頼めばルカに合うサイズのドレスなどいくらでも用意してくれるだろうが、いくら友達とはいえ、そこまでしてもらうのは気が引ける。
だからこうしてルカのドレスを作ってもらいに来たのだ。
だが、全てを悟ったらしいルカはいやいやをするように首を振る。
「いやいや、アタシにドレスなんて似合うわけないでしょ!!」
「そういうセリフは着てから言いましょうね〜。じゃ、奥の部屋に行きましょう♪」
「なっ、放しなさいよ!」
やだやだとその場を動こうしないルカの手を取り、ハーピーは奥の部屋へとルカを引きずって行く。
そしてパタリと扉が閉められた。
「じゃあ、脱ぎ脱ぎましょうね〜♪」
「ちょっと!!なんで脱ぐ必要があるのよ!?」
「もちろん、体に合ったドレスを作るために決まってるじゃないですか」
さっそく聞こえてきた会話で、ルカの顔が既に赤くなっていることが容易に想像できて、思わず笑ってしまう。
「ふふ、楽しそうね」
部屋の奥から聞こえてくる会話に耳を傾けていると、再び二人のやりとりが聞こえてきた。
「う〜ん、サキュバスにしてはあまり胸の発育が良くないですね。これからが成長期ということでしょうか?」
「うっさい!!余計なお世話よ!!」
中を覗かずとも、やりとりだけで何をしているか簡単に把握できる会話だ。
「しかし、この腰のくびれは見事ですね。これなら、コルセットを当てるより、ラインに沿ったドレスにした方が良さそうです」
「にゃああ!!ちょ、ちょっと、急に脇に触るんじゃないわよ〜!!」
今度は猫の鳴き声みたいな悲鳴が響いてきた。
それが涙声のように聞こえたのは、私の気のせいだろうか?
「はい、お疲れさまでした」
程なくして計測終了を知らせる声が聞こえたと同時に扉が開き、ハーピーが悠々と出てくる。
逆にルカは顔を赤くしながらぐったりとした様子で、とぼとぼと遅れて出てきた。
「う〜、酷い目に遭ったわ…」
「あら、体を計測しただけでしょ?」
特に他意なく言ったつもりなのだが、言い終わるや否や、親の仇のように睨まれた。
「あんなの計測じゃないわよ!!人の体を好き放題触っていいと思ってんの!?」
「ルカは今回だけなんだからいいじゃない。私なんて、ドレスを新調する度に計測してたのよ?」
ちなみに私が新調する理由のほとんどは、胸周りがきつくなるから。
そのせいで何度計測したか分からない。
それを思い出して言ってあげると、ルカは信じられないとでも言うような顔になった。
「あんなのを何度もやってるって、あんたの感覚おかしいわよ!」
「まあまあ、必要なことなんですから、そう怒らずに。それより、デザインについて要望はあります?胸元は大きく開けてほしいとか」
会話に割って入り、なだめるようにドレスの話を進めるハーピー。
「あるわけないでしょ!勝手にしなさいよ!」
完全に機嫌を損ねたらしく、ルカはそう言って店から出て行ってしまう。
「困った子ね…」
「ふふっ、可愛らしい子ですね。で、デザインはどうしましょうか?完全にこちらに任せてもらっても?」
ぷんぷんしながら出て行ってしまったルカに代わり、私へと確認の言葉が向けられるが、その言葉に少し考え込む。
本来なら任せると言いたいところだが、そうするとルカのお気に召さないデザインになる可能性があるからだ。そうなれば、ルカのことだから、間違いなく駄目だしするに違いない。
「そうね、基本的にはお任せするわ。ただ、あまり露出はない方向で。とりあえず、デザインに対する注文はそれだけね」
それだけは言っておかないと、かなり大胆な物になりかねないので釘を刺しておく。
そうでもしておかないと、ルカは完成品を見て「こんな恥ずかしいの、着れるわけないでしょ!」とでも言うに違いないからだ。
「露出は少なめで、ですね。分かりました、では早速取りかかります」
「お願いね」
一応お願いはしたものの、やはり出来具合は何度か見に来なくてはならないだろう。
なにしろ、ルカにとっては初めてのドレスだ。
やはり、本人も気に入るものを用意してあげたい。
今後のことを考えながら店を出ると、入り口のすぐ脇で腕を組み、不機嫌であると顔に大書したルカが待っていた。
「…話は終わったの?」
私の姿を確認したルカの口から出てきた言葉は、意外と普通のもの。
だが、その声は不機嫌さを隠してもいない。
「ええ。後は完成するのを待つだけよ」
「ふーん。そう」
なんとも気のない返事とともに踵を返し、ルカはすたすたと歩き出してしまう。
そんなルカの様子は、まるっきり臣民に厳しい女王様である。
「あれも才能かしらね…」
そう呟きつつ苦笑を浮かべ、私よりもよほど王女らしい振る舞いをするルカの後を追ったのだった。
日は過ぎ、パーティー当日。
宴の時刻に合わせて、私とルカはシャーロットの屋敷へと出向いていた。
もちろん二人ともドレスを着た上で、だ。
私が着ているのは黒のドレス。上に行くほど露出が目立つ作りで、肩や谷間もちろん、翼の都合もあって背中は腰から上が丸出しである。これに、二の腕まで長さのある黒の手袋を付けたのが今の私の格好だ。
そしてルカのドレスはというと、白を基調としつつ、うっすらと青を滲ませた鮮やかな色合いで、下半身を控えめに膨らませた仕上がりだ。
こちらの注文通り、露出は人のドレスと大差ないくらいに少なく、見えているのは首回りや綺麗な鎖骨くらい。
もちろんそれだけではなく、ゆったりとした袖や肩、左右の腰などの細かい所には純白の羽が添えられており、派手さを抑えつつ上品さを醸し出している。
そんなドレスを着ているルカの容姿も相まって、まるでお姫さまのようだった。
ちなみに、このドレスが出来あがるまでに私は店に何度も足を運んで、ルカに似合うようにとハーピーとデザインについてあれこれと意見を交わし合っていた。
その甲斐があったのか、出来あがったドレスを見た時も、身に纏っている今も、ルカはまんざらでもない様子。
もっとも、ドレスを着たところで性格が変わるわけでもないので、その口から出る言葉は普段と変わらないのだが。
「う〜、なんか落ち着かない…」
そんなことを漏らすルカは、珍しくおどおどしているように見える。
初めてのドレスを着て見ず知らずの人と会うということに対して、それなりに思うところがあるのだろう。
「ふふ、とっても素敵よ、そのドレス」
あれこれと調整してもらって仕立てたからか、世辞抜きに似合っている。
そして案の定、頬が染まっていくルカ。
だが、それは私の言葉に対してではなかったらしい。
「ドレス…だけ?」
予想すらしてなかった返事が返ってきて、まじまじとルカを見つめてしまう。
ルカは逃げるように視線を逸らすが、それでも顔は正面を向いたままで、時折こちらをちらりと見る様子は自分の問いに返事を待っているからだろうか。
なんにしても、滅多に見ることは出来ないルカの素直な様を見せつけられ、笑みが漏れてしまう。
「ごめんなさい、言い方が悪かったわね。素敵よ、ルカ。だから堂々として?そうすれば、もっと魅力的に見えるから」
「……」
今度はなにも返事は返ってこなかった。
でも、言葉が返ってこなくとも、私は満足だった。
小さく、本当に小さくだが、確かに頷いてくれたから。
「じゃ、受付を済ませましょ。おしとやかにね、ルカちゃん?」
そう言って門をくぐり、両脇を色鮮やかな花で囲まれた通路を進む。
遠目からでも立派だと一目で分かる屋敷は近くで見るとよりきらびやかに映り、珍しくルカが感嘆の声を上げる。
「随分とすごい屋敷に住んでいるわね。さすがはあんたの友達だわ」
「中はもっとすごいわよ?さ、行きましょ」
屋敷の入り口へと近づくと、そこには小さくも綺麗な丸机が用意されていて、二人のアリスが受付をしていた。
シャーロットの屋敷に仕える者だけあり、彼女達も立派な衣服に身を包んでいて、すぐにでも男が声をかけたくなるような立ち姿だ。
「ようこそおいで下さいました。お手数ですが、招待状を拝見させていただけますでしょうか?」
満面の笑みで問いかけてくるアリスの手へそっと招待状を置くと、招待状はもう一人のアリスへと回された。
「えーと、ミリア様ですね。はい、確認させていただきました。お連れの方はお一人様でよろしいでしょうか?」
手元の目録から顔を上げたアリスがルカに視線を向ける。
「ええ」
「かしこまりました。では、これで受付は終了となりますので、どうぞ屋敷にお入り下さい。なお、一部を除いて、どの部屋も立ち入りは自由となっています。屋敷の見取り図はお持ちになられますか?」
アリスの手が用意された見取り図へと伸びるが、私はそれを固辞する。
「いいえ、けっこうよ」
「かしこまりました。では、宴をお楽しみ下さい」
手続きが終了してうやうやしく頭を下げるアリス二人の横を通り、屋敷の扉を開く。
途端、眩しいくらいの照明の光が私達を襲った。
「っ…。さすがは貴族ね…」
入ってすぐの広い空間では、天井に巨大なシャンデリア、足元には汚れ一つない青のカーペット、目の前には屋内だというのに噴水まである。
そして思い思いの場所で談笑に花を咲かせる人や魔物。
初めてではなにもかもが別世界に見えるこの光景を前にして、ルカが呟いてしまうのも無理はない。
「とりあえず、正面の広間に行きましょうか。シャーロットがいるとしたら、恐らくはそこだろうから」
「え、ええ…」
きょろきょろしていたルカは曖昧に頷く。
「見るのは構わないけど、あまりきょろきょろしていると田舎者に思われちゃうわよ?」
「っ……!」
振り返り、含みを持たせた言い方をすると、ルカはぴくりと肩を揺らす。
「ふふ、まあ、実際のところ、あなたと似たような素振りをしている人は何人もいるようだけどね」
屋敷の豪華さに目を奪われがちだが、ちょっと来客へと目を移せば、いかにも落ち着かなさそうな顔で歩を進める人がちらほらと見受けられる。
『より多くの人と出会い、楽しんでもらうために、同伴者の地位や性別、人数は問わない』とは、招待状にあった一文だ。
その内容に従い、社交場は未経験という人を連れてきた客が少なからずいるのだろう。
様々な客で賑わう入り口を抜けて広間へと足を運ぶと、料理の香りが漂ってきた。
いくつもの丸テーブルの上に並べられた料理は立食式となっていて、多くの人が舌鼓を打っている。
また、テーブルが固まっている場所の先は何もない広い空間になっていることから、恐らくダンスをするために空けてあるのだろう。
視線を戻して多くのテーブルと人とが存在する広間を歩いていると、ようやく目当ての人物を見つけた。
私と同じように黒のドレスに身を包んだエキドナ、シャーロットは何人かの男性と楽しそうに話をしていたが、会話の間に視線をこちらに向けて少しだけ驚いた顔になった。
「失礼」という短い挨拶を男性達に述べると、静かに這ってきて顔を輝かせた。
「お久しぶりです、ミリア様」
「確かに久しぶりね、シャーロット。ところで、様はいい加減やめてくれないかしら?友達でしょ?」
「では、今後はミリア王女とお呼びしましょうか?」
目を細め、シャーロットは楽しそうに笑う。
「もう、意地悪ね。私がそういう呼び方をされるのは嫌いだと知っているでしょ?」
「ええ、もちろん。しかし、近頃はめっきり社交場に足をお運びにならなくなったとお聞きしていましたが、来ていただけて嬉しいですよ。しかも、お連れの方まで」
優しい金の瞳がルカに向けられる。
「友達のルカよ」
ようやくこの雰囲気に慣れてきたのか、私が紹介するとルカは軽く会釈する。
それに対してシャーロットはおやという顔になった。
「ルカ、といいますと、ローハスの近くに住むという天才少女の?」
「あら、ルカを知ってるの?」
「名前はそれなりに有名かと思いますよ。かの天才、フラン様の愛弟子でもあるようですし」
その言葉に、ルカははっきりと驚きを示した。
「師匠を知ってるの?」
「ええ、お薬サバトのフランといえば、それこそ有名ですからね。何度かお会いしたこともありますよ。愉快な方というのは、ああいう人を言うのでしょうね」
なにか思い出したのか、クスリと笑うシャーロットに対して、ルカは頭痛でも抑えるかのように頭に手をやった。
「はあ…。それ、間違いなく師匠だわ…」
「ところでシャーロット、今、時間はあるかしら?」
このままにしておくと、他愛もない談笑が続きそうだったので、流れを変える風を送り込む。
そして私の言葉の意味に、雑談をしていた二人はすぐに気づいたらしい。
ルカは一切の動作をやめて静かに私に視線を向け、シャーロットは一瞬呆けたような顔になるも、すぐに今までとは質の違う笑みを浮かべる。
「申し訳ありません。他にも挨拶をしなくてはならない方が大勢いらっしゃいますので、今は…」
返ってきたのは、きちんと言葉の裏を読んだ返事。
だが、このパーティーの主催者として、長くなる話をしている時間はない。
言葉を濁したのは、そういうことなのだろう。
シャーロットの事情を把握し、笑顔を向ける。
「主催者の役目、お疲れさま。そうね、なにも今すぐに、ということでもないから、折を見てまた会いに行くわ」
「いえ、なにやら大事なお話のようですから、後ほど私がお伺いします。では、それまで宴をお楽しみください」
優雅に会釈をすると、シャーロットは来た時と同じように、静かにこの場を去っていく。
「さて、後で話に来てくれるみたいだし、今はお言葉に甘えてパーティーを楽しみましょ。あっちにおいしそうな料理があったのよ」
「え、ちょっと!」
ルカの手を引き、シャーロットとは逆方向へと向かう。
そして適当なテーブルの前に来ると、目の前の料理を小皿に取り分ける。
「あの子がシャーロット。で、会ってみた率直な感想は?」
振り向きもせずに、背後にいるルカへと問いかける。
「…それを訊いてどうするのよ?」
「あなたの判断を仰ごうと思ってね。私にとってあの子は友達の一人。だから、どうしても贔屓目に見てしまうもの」
皿に程よく盛ると、別の皿に同じ料理を盛り始める。
ほとんど意識せずに手が動き、皿に料理が盛り終わる頃だった。
「間近で見て、シャーロットが悪い人には見えなかった。けど、アタシはあんたの友達だからって理由で、シャーロットを良い目で見ることは出来ないわ。…これで満足?」
こちらの考えを見透かしたかのように、ルカから呆れたような声が返ってきた。
そしてそれは私が望んだ答え。
だから振り返り、笑みを向ける。
「ええ。私はシャーロットに対して、どうしても警戒心が薄れてしまうから、もしもの時はお願いね?」
「分かってるわよ」
料理を取り分けた皿をルカへと差し出すと、彼女は大人しく受け取ってそれを口にする。
今できることはない以上、変な行動をしても仕方ない。
声には出さないが、それはルカも分かっているはず。
だからしばらくは、静かに食事を楽しんだのだった。
時間とともに広間に人が集まり、それに合わせて賑やかになってきた時だった。
不意に、シャーロットの声が広間に響いた。
「お待たせしました。音楽の準備が整いましたので、一曲踊っていただける方は前へお進み下さい」
魔導具によって広間全体へと向けられた言葉が終ると、待ってましたとばかりに多くの客が前へと進んでいく。
「なに?なにが始まるわけ?」
「パーティーのメインイベント、男女一組でのダンスよ。ここに集まっている人のほとんどは、結婚相手を探しに来たようなものだしね」
不思議そうに周りの人を眺めるルカに説明すると、納得という顔になった。
「ああ、そういうこと。よくもまあ、知らない相手と踊れるもんだわ」
「あまり他人事みたいには言っていられないわよ」
そう言っている間にも、男が一人、私達へと向かってきているのを目が捉えている。
「あの、よろしければ一曲踊っていただけますか?」
声をかけてきたのは、立派な礼服に身を包んだ青年だった。
女性に声をかけることに抵抗があるのか、顔に僅かに照れがある。
私から見れば、なんとも微笑ましい光景だ。
「さすがリリムね。せっかくだから、踊ってきたら?」
「あら、彼は私を誘っているのではないと思うけど?」
「はい。僕がお誘いしたいのは、あなたです」
少し恥ずかしそうにしつつ、青年がルカの手を取る。
「アタシ!?どう考えても誘うべきはこの子でしょ!?」
予想すらしてなかったのか、ルカは頬を赤くしながら驚きの表情を浮かべて、私と青年とを見比べる。
「いえ、僕はあなたをお誘いしたい。どうか一曲踊っていただけませんか?」
片膝をつき、下から見上げる形で懇願する青年。
そうまでされては、さすがのルカもどうしていいか分からなくなったようで、顔を真っ赤にしながら私に助けを求める視線を向けてきた。
滅多に見られないルカの様子はしばらく眺めていたいものだったが、このままでは曲が終わってしまう。
だから、そっとその肩を青年のほうへと押してあげた。
「見ての通り、こういう場所は初めてなの。だから、優しくリードしてあげてね?」
これは青年に対しての言葉。
ルカよりは場馴れしてるだろう青年は軽く頷き、ルカの手を引いていく。
「ちょっと、アタシはダンスなんて―」
「最初は相手の足を踏まないように注意してればいいだけ。そうすれば、踊っているうちに相手の呼吸に合わせられるようになるから」
アドバイスを送ると、ルカは裏切られた子犬のような目になる。
そんなこと聞いてないとでも言いたいのだろうが、それを口にすることなく青年とともにダンスの輪へと入っていった。
さて、お手並み拝見といこう。
そう思ったのだが、なかなか思い通りにはいかないらしい。
ルカというお邪魔虫がいなくなったからか、ここぞとばかりに何人もの男が声をかけてきたのだ。
「ごめんなさい。今はダンスの気分じゃないの」
そう言って、次々に誘いに来る男の申し出を断っているうちに曲が終了したようだ。
広間は一時的に静かになり、この間に踊り相手の変更が行われる。
しかし、意外なことにルカは戻ってこなかった。
不思議に思って場所を変え、ルカを探しているうちに次の曲が始まった。
さきほどよりもリズムよく進む曲のようで、それに合わせるように踊る人達も動きの速度を変えていく。
そんななかに、友の姿を見つけた。
さきほどの青年とはまた違った男性と踊っていることから、先程の時間に別の男性に誘われ、断れずにそのまま踊ることになったようだ。
「あらあら、これは意外ね」
頬を朱に染め、相手の足を踏まないように注意しながら踊るルカの様子は見ていて微笑ましい。
そんな彼女を見ていて思う。
ルカは言うほど男を嫌ってはいないんじゃないかと。
もし本当に嫌いなら、こうして嫌いな男と踊ったりはしないはず。
なんだかんだ言っても、ルカもサキュバスとしての本能には勝てないのだろう。ルカ自身もそれを分かっているのかもしれない。
でも、それを認めたくなくて素直にならず、意地を張り続ける。
全ては憶測にすぎないが、なにが真実だろうと、ルカが幸せになれるならそれでいい。
そのためには、まず禁書をどうにかしなくてはならないのだが。
ルカから目を別のところに向ければ、踊る人々を嬉しそうに眺めるシャーロットが視界に入る。
「あの子が禁書をね…」
どういった経緯で手に入れたかは別に考えなくてもいいだろう。
問題は、それを禁書だと知っていて手に入れたかだ。
純粋な好奇心から手に入れたのなら、大人しく渡してくれるはず。
だが、そうでないなら色々と面倒なことになる。
「これなら、純粋にパーティーに参加しているだけの方が気楽だったわね…」
口から出てくるのは、愚痴に近い言葉とため息。
なにも考えずに、ダンスを楽しむだけの招待客の方が良かったと思うのは初めてかもしれない。
そんな自分の考えに苦笑しながら、見知らぬ男性と踊るルカを眺め続けたのだった。
四曲目が終わった時、ルカはようやく帰ってきた。
「はあ…。アタシはなにしてんだろ…」
開口一番に漏れたのはため息。そして自分自身に呆れる言葉。
「ふふ、そう言う割には四曲も踊ってきたわね。楽しめたかしら?」
「なっ!あんた、見て―」
頬を瞬時に染め、こちらを見たルカの言葉が途中で止まったのは、すぐ近くから拍手が聞こえたからだろう。
二人揃って拍手のする方へと顔を向ければ、楽しそうに微笑むシャーロットがいた。
「見事なダンスでしたよ、ルカ様。楽しんでいただけたようで、主催者としては嬉しい限りです」
「様、はやめてくれる?どう見たってあんたの方が年上だし、そんな相手から様付けで呼ばれると、バカにされてるように感じるわ」
大分本来の調子を取り戻してきたのか、ルカの口からそんな言葉が放たれる。
対するシャーロットはというと、小さく笑うだけだった。
「これが私の他人に対する呼び方ですので、ご容赦願います。それはさておき、ミリア様もこんな所で壁の花を決め込んでおられず、一曲踊られてはいかがですか?」
笑顔が少し困り顔になったのは、私が一度もダンスに参加していないことを知っているからかもしれない。
「せっかくだけど、ダンスの気分ではないの。それに、あなたも私にダンスを勧めに来たわけではないでしょう?」
だから回りくどい前置きはやめましょう、という言外の言葉を含めて返事を返すと、シャーロットは意を得たとばかりに意味深な笑みを浮かべた。
「半分は本気で勧めたのですよ。それも主催者の勤めですから。さて、『お話』は別の場所でしましょうか」
「可能ならば、他の人がいない所で、ね」
小さく頷き、静かに移動を始めるシャーロットに続いて、私達も広間を出る。それだけで若干涼しく感じたのは、静かな昂揚によって広間に熱気がこもっていたからだろう。
「ああ、そうそう。言い忘れていましたが、お二人とも、男性の受けが良いようですよ」
先導するシャーロットが振り向き、思い出したように話を振ってきた。
「どういう意味かしら?」
一瞬だけルカと視線を合わせると、代表して私が問いかける。
「ダンスではなく、夜のお相手をしてもらいたいということですよ。特にルカ様は先程のダンスでその魅力をアピールしていましたから、何人もの方から打診されました」
「あらあら」
いきなり振られた話に意味はない。
頭がそう判断し、隣を歩くルカへと目を向ければ、これ以上ないくらいに嫌そうな顔をしていた。
「多くの男があなたをご所望のようだけど、相手をする気は?」
「あるわけないでしょ」
当然の如く即答である。
「ふふ、モテる女は余裕があるわね」
「あら、それはミリア様も同じですよ?」
それまで黙って会話を聞いていたシャーロットが発した言葉に、私は視線を彼女へと向ける。
「踊っていたわけでもないのに、多くの男性の目に止まったようですね。夜のお相手どころか、少しでもいいからお近づきになりたいという男性の方々から仲介してほしいと頼まれましたよ」
今度はルカから呆れたような目で見られ、思わずため息が漏れてしまう。
「で、その人達にはどう答えたのかしら?」
「気持ちは分かりますが、女性に声をかける勇気もない男の相手をしてくれる方ではありません。お近づきになりたいのでしたら、是非自分で声をおかけになって下さい。そう伝えておきました」
芝居のような語り口は、用意にその場面を想像させる。
そして少し悪戯っぽく笑う様子は変わらぬ友の姿。
こんな様子を見せられては、本当に禁書を持っているのかと疑問さえ浮かんでくる。
「夜の相手って言ってたけど、広間から客が減っていたのはそのせい?」
間が空いたからか、今度はルカが何気ない会話を振る。
「ええ。招待状にも書いたように、申し出てくだされば、お部屋を手配しますから。ダンスではなく、肌を重ねたくなった方々には個室に行っていただきました。今頃はベッドの上で愛し合っているでしょうね」
このパーティーの目的は、異性との出会い。
それが実現されているからか、主催者は満足そうに微笑み、そして私達を見た。
「だからこそ、お二人も相手を見つけてもらえれば、主催者としてこれ以上嬉しいことはないのですが」
「申し訳ないけど、私達はパーティー目的で来たわけじゃないのよ」
「それは残念です」
そう言いつつ、シャーロットは進むのを止める。
その左手には、なんの変哲もないノブが付いるだけの扉があった。
「どうぞ」
話はここで、招き入れるような仕草にそんな意味を含ませつつ、シャーロットは部屋に入るよう促してくる。
誘われるままに部屋に入れば、そこはこの屋敷にしてはやけに狭い一室だった。その代わりにか、正面奥にある机、その手前に向かい合ったソファ、両壁際には本棚、どれもが一目で高級な品だとわかる代物だ。
「ここは…、まあ、私が物思いにふける部屋とでも言いましょうか」
声とともに扉が閉まる音がして、私の脇をシャーロットが通り抜けていく。
「さて、一体どんなお話なのでしょうか?」
ソファに座ることさえ勧めずに尋ねてくるのは、私達が単なるおしゃべりをしに来たわけではないことを理解している証拠だろう。
「単刀直入に言うわ。あんた、これを持ってるでしょ」
ルカが複製された禁書を取り出して見せる。
「それは…。ルカ様の手にも渡ったということですか。確かに、その本の原本は私が持っています」
するすると机に移動し、その引き出しから一冊の本を取り出す。
それを見て、ルカの目が見開かれた。
「これですね。行商の方からほとんどタダで手に入れた物なのですが、知らない文字で書かれている上に、魔力を帯びているのですよ。だから、その内容も興味深いものだろうと思い、解読できそうな方に複製して―」
「あんた、自分がなにしたか分かってんの!?」
「え…?」
隣にいた私でさえ驚いたのだから、いきなりものすごい剣幕で怒鳴られ、言葉を遮られたシャーロットが戸惑った表情になるのは無理もないかもしれない。
そんな彼女へとルカはたたみかけるように言葉を続けた。
「それは、その本は、多くの人に甚大な被害を与えるような内容ばかりが書かれた禁書よ」
怒りのこもった声で語られる内容に、シャーロットはぬいぐるみに縋る幼い子のように禁書を両手で抱きしめる。
「ルカ様は、この本の内容をご存じなのですか…?」
震える声での質問は、およそ演技ではない。
だからルカも若干は怒りが治まったらしい。
腹立たしい顔でその問いに答えた。
「師匠の言葉をそのまま言うなら、それは死者をも蘇らせ、使役できる本。あんたは、そんな物騒な本を世に知らしめるような真似をしたのよ」
「そんな…」
目尻に涙が浮かび、しかられた子供のような友の様子はとても見ていられるようなものではなかった。
それに、シャーロットは純粋な好奇心から禁書を調べようとしただけなのだ。これ以上あれこれと言い続けるのは酷な気がした。
「ルカ、それ以上シャーロットを責めるのは止めてあげて。彼女に悪気があったわけじゃないんだから」
話しながらシャーロットの前に立つと、彼女はびくりと肩をすくませる。
「ねぇシャーロット。ルカが言ったように、それはとても危険な本なの。だから私達に渡してくれないかしら?」
潤んだ瞳でしばし私を見つめた後、シャーロットは小さく頷いた。
「ありがとう。それと、ごめんなさい。結果的に、あなたを責めるような形になってしまって」
そう言った瞬間、シャーロットに抱きつかれた。
「ごめんなさい、ミリア様…!私、そんなつもりじゃなかったんです…。ただ、本の内容が知りたかっただけで…」
嗚咽の声をあげながら、私の胸に顔をうずめて泣きじゃくるその姿に貴族の威厳などなく、悪戯を叱られた少女のようだ。
「もういいの。だから、泣かないで?」
そっとその頭を撫でつつ、振り向けばルカと目が合う。
そして彼女は、疲れた顔でため息をついたのだった。
「本当にすいませんでした…」
目元を赤くしながら、シャーロットは禁書をルカへと差し出した。
結果として、それほど問題なく禁書を手に入れることができたのだから、ルカも満足だろう。
そう思いつつ禁書の受け渡しを眺めていたのだが、受け取った途端にルカの表情が曇った。
「なによ、これ…」
「どうしたの、ルカ?」
「これ、以前アタシが処分したヤツより帯びている魔力が多いの。一体どういうこと…?」
怪訝そうな顔持ちで思案しているようだが、結局のところ何もわからなかったらしい。
今までの苦労を吐き出すようなため息とともに、禁書を床に置いた。
「…これから処分するものについて考察したって意味ないわね。じゃ、準備するわ」
「準備?」
「ええ。禁書は普通の本じゃないから、火の中に投げ込んだってダメなのよ。だから、専用の魔法で一気に消滅させるわけ」
魔法陣を展開していくルカの脇で、説明を聞いた私はふと思いつき、左手に魔力を集中する。
「こんな魔法では駄目かしら?」
左手に集中させた魔力で作り出した黒い球体をルカに見せると、ルカは慌てたようにその場から飛び退いた。
「ちょっとあんた!なに物騒なもん作り出してんのよ!?」
「ミリア様、さすがにそれは…」
ルカはもちろん、シャーロットまでもが戸惑ったような顔で球体へと視線を向ける。
「そんなに驚かなくてもいいんじゃないかしら」
「そういう問題じゃないわよ!大体、その魔法はなによ!?」
「まだ実験中の魔法ね。だから試作段階なのだけど」
姉があれこれと考察していたことをある日突然思い出し、考え付くままに開発してみたのがこの魔法だ。
よって、まだ未完成なのだが、友二人を驚かせるには十分だったらしい。
「試作ということは、これで未完成ですか…」
「実はあんたが禁書の書き手なんじゃないでしょうね!?」
シャーロットの呆れたような言い方はともかく、ルカの発言は笑えない冗談だ。
「とにかく、禁書はアタシが処分するから、あんたはその危ない魔法を消しなさいよ!」
「はいはい」
言われるがままに球体を霧散させると、ルカはしゃがんで展開した魔法陣へと手を触れる。
「さて、こっちの危ない本もこれで終わりよ!」
魔法陣へと注がれた魔力が紅蓮の炎となって吹き出し、禁書を業火が包む。
禁書を消滅させるためだけに特化した炎は燃え上がり、その奥で静かに消滅していく禁書が見えた。
禁書を完全に焼失させると、炎は魔法陣とともに消えていく。
「ふう。これでお終いね」
「お疲れさま。気はすんだかしら?」
「労いの言葉は早いわ。まだ一冊残ってるし、複製された禁書に関しても、なにか対策しておかないとまずいし」
残りは一冊だけになったというのに、それを喜ぶでもなく、ルカは講義でもするように人差し指を立てる。
そんな彼女に返事を返したのは、今まで成り行きを見守っていたシャーロットだった。
「複製に関しては、心配には及びません。私が付与した複製魔法によって精製されたものは、元が消滅すれば、それに伴って対消滅するようになっていますから」
「そうなの?」
「はい。ですから、お二人がお持ちなっていたものも消滅したはずです」
説明を受けてルカが複製された禁書を虚空から取り出そうとするも、無かったらしい。「ほんとだ」と、小さく漏らしていた。
「これで一つ懸念が消えたわね」
「ま、そうなるわね。じゃ、することしたし、アタシは帰るわ」
自分の目的は果たしたから帰る。
いかにもルカらしい言い分だが、目的を果たしたならパーティーを楽しんでもいいのではないだろうか。
だから言ってみた。
「あなたをご所望する人への、夜のお相手は?」
「するわけないでしょ!!」
さっきまでの清々しい笑顔はどこへやら、顔を赤くしてルカは叫ぶ。
「ふふっ、仲が良いんですね。私もミリア様とは親しいつもりですが、なんだか見せつけられてる気がして、少し妬けてしまいますね」
「なっ!」
「あら、見せつけてるのよ」
ますます顔を赤くするルカには構わず、冗談に冗談を返してくすくすと笑い合う。
「さて、ルカも帰りたいみたいだから、今日はこのへんでお暇させてもらうわ」
「そうですか。では、お見送りいたします」
来た時と同様、シャーロットに先導されながら玄関に到着すると、彼女は優雅に一礼した。
「それでは、またの機会にお会いできることを楽しみにしています」
「ええ。その時は、ルカも連れてきていいのでしょう?」
「連れてきていただかなくとも結構ですよ。次回からはルカ様にも招待状をお送りしますから」
「ちょ、ちょっと待って。なんでアタシまで招待されんのよ!?」
「あら、私の屋敷で社交会にデビューしたのですから、お呼びするのは当然ですよ。そうでなくとも、ミリア様の友人ですし」
にこにこと満面の笑みを浮かべるシャーロットを見て、ルカはなにを言っても無駄だと悟ったらしい。がっくりとうなだれた。
「さて、話もまとまったみたいだし、帰りましょうか」
「あ、お待ちくださいミリア様。これを」
シャーロットはどこからともなく小さな小箱を取り出すと、それを開けて見せた。
そこに入っていたのはお揃いの首飾り。
「これは?」
「月と太陽をイメージして作られたものだそうです。だから、先端に埋め込まれているのも、絆を意味する結晶ですね。月と太陽のように、お互いを支え合う夫婦のために作られたとお聞きしました」
言われてみれば、確かに先端は三日月と太陽という感じにも見える。
硬貨の一部分を繰り抜き、そこに結晶をはめ込んだとでも言えば、分かりやすいかもしれない。
「なぜこれを私に?」
「ミリア様とルカ様にはご迷惑をおかけしましたから、そのお詫びです」
「じゃあ、これ、一つはアタシにってこと?」
困惑顔のルカに、シャーロットは微笑んだ。
「はい。夫婦用に作られたとはいえ、浅からぬ絆を持つのは、なにも夫婦だけではないはずですから」
「いや、受け取れないわよ。あんたが自分の夫と一緒につければいいでしょ」
ルカが固辞するなか、私は首飾りに手を伸ばした。
「じゃあ、遠慮なく貰うわね」
「ちょっと!ここは、あんたも揃って断るとこでしょ!?」
「そうしたいのだけど、シャーロットはこう見えて意外と頑固なとこがあるのよ。だから、受け取るまで差し出されるわ」
「さすがミリア様。よく分かっていますね」
「当然よ。友達だもの」
二人してくすぐったそうに笑うなか、ルカだけはため息だ。
「はあ…。わかったわよ、貰えばいいんでしょ」
やけ気味に手を伸ばし、首飾りを手にすると、これでいい?とでも言いたげな目をシャーロットへと向ける。
「ありがとうございます。では、また」
「ええ」
貴族らしく、綺麗な会釈をするシャーロットと短い挨拶を交わし、私達は屋敷を後にした。
門をくぐって屋敷を離れ、月夜が照らす道をルカと並んで歩くも、会話はない。
それが嫌というわけではないが、せっかく二人でいるのになにも話さないというのもつまらない。
だからなにか話題を振ろうとして、その横顔が僅かに赤いことに気づいた。
不思議に思い、ルカが赤面するようなことがあっただろうかと今までのことを振り返ってみる。
だが、わざわざ記憶を巡るようなことをせずとも、すぐに一つの答えに辿り着いた。そしてそれは、間違いではないはずだ。
「この首飾り、二人の絆の証みたいね」
「……」
無言。
でもいいのだ。
その反応だけで、私の辿り着いた答えが仮定から確信へと変わるのだから。
「それにお揃いね。なんだか嬉しいわ」
「……」
ルカは変わらず言葉を発しない。
なにか反応をすれば負けだとでもいうように。
そんなルカの意地を突き崩すことが楽しくて、つい笑ってしまう。
そして、ルカが耐えられないだろう一言を言ってあげた。
「ルカも嬉しいんでしょ?」
「ッ!!」
図星を言い当てられ、体がびくりと反応してしまったルカは、腹立たしさと恥ずかしさとがごちゃ混ぜになったような顔で睨んでくる。
「な、なに勝手なこと言ってんのよ。付き合ってらんない!アタシは帰るから!」
裏返った声で早口にまくし立て、ルカは足早に逃げていく。
「お疲れさま」
空を見上げれば、満月が光り輝いている。その光が照らす夜道は静かだ。
だからこそ、私が漏らした呟きは静寂の中へと消えていったのだった。
港は様々な商品が出入りするため、どの店も扱っている商品が豊富だ。
それを目当てに歩く旅人姿の者もいれば、人でごった返している通りで自慢の歌声を披露するセイレーンもいる。
どこを見ても人と魔物。
祭りにも近い熱気が町中から発せられているからか、時折吹き抜ける潮風が心地いい。
用事がなければ気の赴くままに町を散策したいところだ。
「これだけ人がいれば、イデアスの行方を知っている人もいそうね」
「本人がここにいれば文句なしなんだけど、さすがにそれはなさそうだわ。とりあえず、別れて情報を集めましょ。あんたはどこに行く?」
「手分けする前に、まずは酒場に行ってみない?レゼルバが彼女と出会ったのも酒場のようだから、もしかしたら店の人も知っているかもしれないわ。それでダメだったら、手分けして情報を集めましょ。これだけ人がいると、合流するのも面倒そうだし」
「ん、そうね。じゃあ、適当な酒場に行きましょ」
そう言って歩き出すルカの隣を私もついていく。
そしてすぐに一軒の酒場を見つけたのだが、店の扉には「準備中」の札が下げられ、今は営業していないことを物語っていた。
「幸先悪くて嫌になるわ…。次に行きましょ」
「まあ、そう焦らずに。ちょっと待っててね」
ため息をついて歩き出そうとするルカを呼び止め、店脇の路地から裏に回る。
するとそこには、酒樽を運んでいる中年の男がいた。
「作業中悪いのだけど、ちょっといいかしら?」
「ん?おっと、これは随分と美人の魔物さんだ。私になにか用かな?」
「ええ。この店にドラゴンの客が来たことはある?」
単刀直入に尋ねると、男は肩をすくめた。
「いや、うちには来たことはないな。ドラゴンが来る酒場と言ったら、きっとモートの所だろう。たまにワインを飲みに来ると言っていたのを聞いたことがある」
「そのモートという人が経営する酒場はどこに?」
「町の東側だよ。通りから路地に入って行った所にある。あまり大きい店ではないから、見つけにくいかもしれんな」
「いえ、それだけで十分よ。ありがとう」
片手を上げて作業に戻る男に礼を言うと、すぐ後ろにいたルカに問いかけた。
「聞こえてた?」
「町の東側の酒場でしょ」
その場で回れ右をして歩き出すルカの後ろについて大通りに出ると、進路を東に向けて歩行を再開する。
「ねぇルカ。禁書について一つ訊きたいことがあるのだけど」
町中で世に知られるべきではない禁書のことを口にするのもどうかと思ったが、この喧騒では私達の会話など聞こえないだろうとルカに声をかける。
「なによ?」
「レゼルバにイデアス。偶然なのか、関わっている魔物がヴァンパイアにドラゴンと上位魔族ばかりだけど、禁書の内容を行使するには強い力を持った者でないとダメだったりする?」
ルカは足を止めると、視線を下に落とす。
「…あんたは本当に鋭いわね…。それもリリムだからなの?」
そう言って小さなため息を一つ。
そんなルカの様子は、見かけとは不相応の魅力を放っていて、妙に大人びて見える。
「あんたの問いに答えると、禁書の内容は上位魔族でなくとも使用できるわ。それこそ人でもね。禁書は魔力を帯びているって言ったでしょ?使用者が内容を理解すれば、後は禁書に宿る魔力だけでその内容を自在に行使できる。禁書が厄介な理由の一つよ」
ルカが語った内容に、今度は私が小さくため息をついた。
つまり、禁書は使い手を選ばないということだ。
よくもまあ、そんな厄介な代物をこの時代に残してくれたものだと執筆者に文句を言いたくなる。
それと同時に、これは母様が処理すべきなんじゃないかという考えが頭に浮かぶ。
だが、そんな考えはすぐに二度目のため息とともに消えていった。
「父様と交わることで忙しいから、こんなことはやらないわね…」
「なに訳分からないこと言ってんのよ?」
私の呟きが聞こえたのか、小さく首をかしげるルカ。
「いえ、ちょっと呆れてただけ。それより、教えてもらった酒場に行きましょ」
例えこの件について報告したところで、そのまま処理するようにと言われるのが目に見えている。
だったら報告などせずに、このままルカと一緒に禁書を探したほうがいい。
「まあ、なんでもいいけどさ。こうあちこち歩き回されるのは嫌になるわ」
「じゃあ、手っ取り早くお店を探す方法を使いましょうか?」
「なに、そんな方法あるの?」
つい数瞬まで面倒そうだったルカは、興味深々といった顔を向けてきた。
「ええ。とは言っても、確実ではないんだけどね」
ルカにそう説明すると、町行く人々へと視線を移す。
そしてその中から誠実そうな青年を見つけると、歩み寄って声をかけた。
「ねえ、そこのあなた。ちょっとお願いがあるのだけど、いいかしら?」
「あ、はい…。なんですか…?」
少しだけ抑えていた魔力を放ちつつ声をかけると、青年は惚けたような顔になって眠そうな声を出す。
そんな彼の背後に回り込むと、耳元でそっと囁く。
「難しいことじゃないわ。モートという人が経営する酒場に行きたいのだけど、案内をお願いできないかしら?」
「ああ、はい…。ご案内します…」
催眠術にでもかけられたかのようにフラフラと歩き出す青年。
どうやら当たりのようだ。
「はあ、なるほどね。この町の人間を魅了して案内させようってわけか。アタシにはない発想だわ」
やたらと近くで声がしたのでそちらを見れば、いつの間にか隣りに移動してきていたルカが露骨なため息をついていた。
「サキュバスらしくない発言ね。ルカが可愛らしくお願いしたら、大概の男は言うことをきいてくれるわよ?」
完全に成長しきっていないとはいえ、ルカもサキュバス。
その魅力は大人の男だろうと簡単に魅了できるだろう。…本人にその意思があればだが。
「アタシがそんなことすると思うの?」
案の定、ルカの返事はそんなことしないというもの。
それでも、この素直じゃないルカだって他人に頼むことはあるのだ。
だからそれを言ってあげた。
「でも、私にはお願いしてくれたわよね?出店の店番を手伝ってほしいって。だったら、男にもできるんじゃないかしら?」
それは少し前のこと。
ルカがお得意さんから依頼されて断れずに引き受け、それを手伝ってほしいと頼まれたのだ。
その時のことを持ち出すと、ルカの表情が一瞬にして崩れた。
「あ、あれは仕方なくだって言ってるでしょ!?それに、友達のあんたなら引き受けてくれると思って……っ!!」
恥ずかしさのあまり、語るに落ちたルカは私にとって嬉しい本音を漏らす。
顔を真っ赤にして口を手で覆うルカだが、そうしたところで口にした言葉は戻らない。
「ええ、もちろん。あなたの頼みなら、私はなんでも引き受けるわよ?」
嘘偽りのない言葉とともに笑みを向けると、向かい合っていられなくなったのか、ルカは顔を逸らした。
「も、もうこの話は終わり!!さっさとモートだかロートだかのとこに行くわよ!!」
早足で逃げるように去っていくルカの後ろ姿を見て、思わず笑ってしまう。
「素直じゃないわね」
そう呟きながら、ルカの後を追ったのだった。
「ここがそうです」
青年がそう言いつつ足を止めたのは、大きいとは言えないが、かといって小さいわけでもない建物の前だった。
それは静かな佇まいで、いかにも知る人ぞ知る秘密の酒場といった雰囲気だ。
しかも驚いたことに看板を掲げていなかった。
それを見たルカが訝しそうに目を細める。
「なによ、店の看板もないじゃない。経営者はやる気あんの?」
「まあ、いいじゃない。私達は客として来たわけではないしね」
なだめるように言うと、青年へと向き直る。
「案内御苦労さま。これはお礼よ」
そう言って、青年の頬にそっと触れる程度のキスをした。
「ふあ…」
その途端、なんとも言い難い声をあげる青年。
「ちょっと、なんか昇天しかけてるわよ?やりすぎなんじゃない?」
「軽く頬にキスをしただけなのに?」
ルカはやりすぎだと言うが、お礼は体でと言いながら相手を押し倒すサキュバスなんてざらにいるのだから、これくらいは可愛いものだと思う。
「あんた、自分がリリムだって自覚あるの?」
「それはもちろんあるわ。王女だという自覚はないけど」
「いや、そっちも自覚しておきなさいよ…。それにしても、リリムにキスされるとこうなるのね」
まるで珍しい彫像でも見るかのような目で青年を眺めるルカ。
「ルカにもしてあげましょうか?」
「しなくていいわよ!!それより、さっさとドラゴンについて訊きに行くわよ!!」
冗談混じりに言うと、頬を赤く染めつつ即答で拒否された。
そんなルカとともに酒場の扉を開けて中に入ると、様々な酒の香りが混じった酒場独特の匂いが鼻をついた。
店内に客の姿はなく、静かなものだ。
だが、そんな静寂はすぐに打ち破られた。
「いらっしゃい」
低めの声を発したのは、カウンターでグラスを磨いている中年の男だった。
前髪を後ろへと撫でつけ、口ひげを蓄えている面構えはいかにも酒場のマスターといった雰囲気だ。実際、そう見えるように毎日整えているのだろう。
この人がモートかと内心納得しながらルカを横目で見ると、彼女は口を引き結んだまま視線をあらぬ方向へと向けて知らん顔。
アタシは話す気なんてないから、あんたが話しなさいということらしい。
いかにもルカらしい態度に声なく笑うと、視線を男に戻す。
「一つ尋ねたいのだけど、あなたがモートでいいかしら?」
寡黙なのか、男は私の問いに対して小さく頷いただけ。
それでもきちんと会話に応えてくれるあたり、人が嫌いというわけではないようだ。
だから私は質問を続けた。
「この店にドラゴンの客が来ると聞いたのだけど、本当かしら?」
「…ええ」
「そのドラゴンはどこに住んでいるの、という質問はダメかしら?」
「それを知ってどうするので?」
返事こそ返してくるものの、モートはこちらを見ようともせずにグラスを磨き続けている。
素っ気ないのか、それともこれが客に対する対応なのか判断しかねるが、重要なのはドラゴンについてだ。
だからモートの問いには偽ることなく答えた。
「彼女に会いたいからよ」
その瞬間、時が止まったように感じた。
モートはグラスを磨く手を止めると、初めてはっきりと私へと視線を向けた。
青い目が私を、もしかしたらルカをも捉え、無言で見つめてくる。
音がないせいか、数秒の時間が長く感じられる。
それでも緊張するようなことはせず、わずかに微笑みながら彼の返事を待った。
「…町の北側、海に面する洞穴にいるかと」
沈黙を破ったのは独り言に近い返事。
それと同時にモートは再び視線を落とし、もうそこには誰もいないかのようにグラス磨きを再開する。
会話はこれで終わりという合図だろう。
「ありがとう」
なんだかんだできちんと教えてくれたモートに礼の言葉を述べると、ルカと共に踵を返して店を出ようと扉に手をかける。
「次はお客としての来店をお待ちしていますよ」
そんな言葉が耳に届いたのは、扉を開けた時だった。
肩越しに振り向くと、モートは変わらずグラスを磨いている。
だが、先程の言葉は確実に空耳ではなかった。
だからこそ、笑みとともに言葉を返す。
「ええ、またの機会に、ね…」
そう言って、静かに扉を閉める。
「やっとドラゴンの居場所が分かったわね。すぐに向かうんでしょ?」
「当然よ。そのために来たんだし」
当たり前の顔で空へと飛び立つルカ。
それを見て、私はため息を漏らした。
「これだけ人がいれば、それなりによさそうな男もいると思うのだけど、やっぱりあなたは禁書優先なのね…」
「当たり前でしょ。なんなら、あんたはここで夫探しをしてたっていいわよ?ドラゴンの居場所は分かったから、後はアタシ一人でもなんとかなりそうだし」
そう言われるとちょっとした意地悪をされた気になるが、空中で小首をかしげるルカの顔に悪意は感じられない。だから、きっと本心からそう言ってくれたのだろう。
「それこそないわね。夫探しはいつでもできるけど、あなたの手伝いは滅多にできないもの。だったら、私が優先すべきは友達であるあなたの手伝いよ」
苦笑とともに返した返事はルカにとって恥ずかしいものだったらしい。
頬をうっすらと朱に染めながら、複雑そうな顔で視線を逸らされた。
「…じゃ、じゃあ、行くわよ」
「ええ」
不思議と満たされている気がする。
それは多分、一つの目的を一緒にやり遂げようとしてくれる人がいるからだろう。
これで、その相手が夫だったら最高だったのにね…。
そんなことを思いながらも口にはせず、空へと飛び立つ。
そして北の方向へと進んだのだった。
象牙色の砂浜と、青の海が続く海岸。
空から見たその光景は絶景とまではいかなくとも、そのまま眺めていたいと思うくらいには綺麗なものだった。
ただ、肝心の洞窟が見当たらない。
「あのおっさんの話じゃ、洞窟があるって言ってたわよね?」
「ええ。とりあえず北に進みましょ。洞窟ならそうそう見落とすこともないでしょうし」
そう言いつつ海岸を北上していると、砂浜の終わりを示すように切り立った崖があった。
それだけなら、そのまま通り過ぎていたかもしれない。
だが、なんとなく気になって崖の正面に回り込んでみると、崖の真下に洞穴があった。入り口の付近には尖った岩が幾つもあり、まるで口を大きく開けた竜のようだ。
「ルカ、こっちに来て」
声をかけられたルカが隣に来て洞穴を眺め、納得という顔になる。
「なるほど、確かに海に面した洞窟ね」
牙のような岩に気をつけて洞穴の入り口に降り立つと、奥から風が吹いている。
それに混じり、魔力も感じられた。
奥までどれだけの距離があるかは分からないが、入り口にいてもその魔力を感じることができる以上、この奥にドラゴンがいることは間違いなさそうだ。
ルカも奥にいるであろうドラゴンの存在を感じ取ったのか、無言で右手を突き出して鮮やかな黄色の光球を作り出すと、それを前方に浮かべて穴の中へと入っていく。
それに続いて私も中へと入ると、洞穴の内部は予想以上に広かった。
見上げることができるくらいに高い天井と、広い横幅。
そこに洞窟特有の少し土っぽい匂いを含んだ空気が充満していて、人が入れば地下迷宮だと思うかもしれない。
幸いなのは一本道だということだ。
「イデアスはすごいところに住んでいるのね」
「陰気臭いところが好きってだけでしょ。ほら、行くわよ」
私は素直に感想を漏らしたのだが、ルカにとってはその程度らしい。
ルカの発言に軽くため息をつくと、光球の明かりを頼りに歩き出すルカに続いて奥へと進んでいく。
その過程で、侵入者を撃退する罠などがないか警戒していたのだが、どうやらイデアスはそういったことをするのは好きでないらしく、罠はもちろん、洞窟の内部も自然が作り出したままで放置してあるようだった。
おかげで、大した時間もかけずに最深部へと到達することができた。
「どうやら、この先みたいね」
曲がり角の手前でルカは足を止めて振り向く。
向こうも隠す気はないらしく、角の先から威圧するような魔力が感じられる。
「そうね。じゃあ、ご対面といきましょうか」
一息に角を曲がると、正面に仁王立ちするように腕を組んだドラゴンがこちらを見ていた。
直後に感じる射抜くような視線は、さすが地上の王者と呼ばれるだけはある。
「なんだ、お前達は?」
低い声で尋ねてくる彼女に、歓迎の色は一切ない。
「お邪魔させてもらってるわ。私はミリア。隣の子はルカ。訳あって訪問させてもらったのだけど、あなたがイデアスでいいかしら?」
「だったらなんだというのだ」
友好的な素振りは微塵も見せず、イデアスは即答で言い放つ。
なんともドラゴンらしい物言いだ。
これでは、禁書について説明するのはちょっと骨が折れそうだ。
さて、どう話すかと思案していると、待てと言うように目の前にルカの右手が差し出されていた。
「ルカ?」
疑問に思って彼女に問いかけるもルカは答えず、真っ直ぐにイデアスを見つめたままだ。
「あんたの持っている本を見せてもらいたいのよ」
「なに……?」
ルカの単刀直入な言葉に、イデアスは器用に片眉を吊り上げる。
そして次に彼女から吐かれた言葉は、表情と同様に不快を隠そうともしないものだった。
「ふざけるな。なぜ私の所有物を貴様らに見せなければならない」
抑揚のない声はおよそ協力をしてもらえるようには思えない。
それでもルカは言葉を続けた。
「あんたのその所有物に、世に仇なすようなものがあるからよ」
「なんだと…?」
一瞬は押し黙るイデアス。
だが、彼女はすぐに返事を返した。
「仮にそうだとしても、貴様たちに見せる筋合いは―」
「これを」
水掛け論になりそうだった二人の会話に割って入ると、イデアスに懐から取り出した手紙を差し出す。
レゼルバがしたためてくれた手紙だ。
イデアスは不満そうにしながらも手紙を受け取り、その内容に目を通す。
その目線が手紙の下部に記されていただろうレゼルバの署名に辿り着いた時、「この魔力は…」と小さく呟いた。
直後、盛大にため息をつく。
「全く忌々しい奴らだ。レゼルバの知り合いでなければ叩き出すところだったんだがな」
「で、どうするのよ?」
憎まれ口は気にせずルカが問いかけると、イデアスは再びため息をついた。
「探し物は本だと言ったな。私の所有する宝に本はそう多くない。今持ってくるから、少し待っていろ」
そう言い残し、イデアスはこの場を去る。
「はあ、これだからドラゴンは好きじゃないのよ…」
本人がいなくなった途端、今度はルカが盛大にため息をついた。
「そう?ドラゴンは皆ああいうものじゃないかしら?」
「傲岸不遜ってやつね。これだから上位魔族は」
「ねえ、ルカ。私も一応、上位魔族なのだけど」
「あんたは例外でしょ。本当に王女なのか疑いたくなる時あるし」
それはどういう意味の例外なのだろうか?
それを訊いてみたい気もしたが、イデアスが戻ってきたのでその質問はあおずけとなった。
「これで全部だ」
その手に持たれていたのは五冊の本。
そこには、予想通り禁書が含まれていた。
「それ…!」
見覚えのある本へと手を伸ばすルカ。
だが、その手は虚しく空を切る。
イデアスが意地悪をするように本を持つ手をひょいと上げたのだ。
「なっ、あ、あんた、なにすんのよ!」
「それはこちらのセリフだ。誰が触っていいと言った?」
一歩後ろに下がり、イデアスはルカに冷やかな目を向ける。
対するルカは怒りのこもった目で睨み返す。
どう見ても反りが合わないと思われるこの二人を放っておくと大喧嘩になりかねないので、ため息をつきつつ言葉を滑り込ませた。
「イデアス。あなたが持つその本は本当に危険な物なの。私達はそれを処分したいだけ。だから、渡してはもらえないかしら?」
「貴様、この本の内容が分かるのか?」
ルカから視線を外したイデアスは、初めて意外そうな顔で私を見た。
「私が分かるのは、それが危険な物ということだけよ。だから、その内容は―」
「もういいわ」
ルカにいきなり声を挟まれ、思わずしゃべるのを止めてしまう。
「ルカ?どうするつもり?」
「この手の馬鹿には、内容を言って渡してもらったほうが早いわ」
ため息をついたルカはしらけたような目をイデアスに向ける。
「小娘、貴様、この内容を知っているとでも言うつもりか?」
問いかけるイデアスに対して、ルカはぽつりと呟いた。
「ダークスライムさえも溶かす酸の雨」
「なに……?」
訝しむイデアスに構わず、ルカは禁書の内容を述べていく。
「死体に魂を呼び戻し、自分の僕とする死霊術。他人の精神を隷属させ、意のままに操る支配魔法。触れたものを全て灰に変える滅びの風。一呼吸しただけで体の内部から爛れ出す死の霧。その本に記されているのは、そんな内容ばかりよ。今アタシが言ったことはその本のほんの一握りにすぎない。読み解いていけば、もっとろくでもない内容が書いてあるでしょうね」
語り終えたルカは、真っ直ぐにイデアスを見つめる。
「アタシ達はそれを処分したい。だから、それを渡して」
ルカの説明を受けたイデアスは手元の禁書へと視線を落としていたが、不意に顔を上げた。
「…確かにろくでもない内容だな。いいだろう、これはお前達にやる」
そう言ってイデアスは禁書を放り投げる。
それを受け取ったルカだが、直後、疲れたように長い息を吐いた。
「これもハズレ、か…」
その言葉から察するに、今回も複製されたものらしい。
「それはどういう意味だ?複製されたものだからか?」
「そうなるわね。ルカの話では、本物は魔力を帯びているそうだから」
「魔力だと…?」
怪訝そうに私を見たイデアスだったが、なにか思い出したのか、小さく「まさか…」と呟いた。
「なにか心当たりでも?」
「…その本は、我が友から複製して譲り受けたものだ。魔力を帯びている上に、読めない文字で書かれているから、解読を手伝ってくれと言われてな」
思いがけない情報に、ルカは顔を向け、私は訊き返していた。
「差支えなければ、その友人について訊いても?」
「エキドナのシャーロット」
イデアスが短くそう言った途端、ルカは疲れたようにため息をついた。
「今度はどこのどいつよ…」
「魔界の貴族よ」
独り言に返事が返ってきたからか、ルカはもちろん、イデアスでさえ驚いたように私を見た。
「あんた、知ってるの?」
だが、それには答えず、今度は私がため息をつく。
「はぁ…。巡り巡って、物語は始まりへと戻るわけね…」
私の呟きを二人は理解できなかっただろう。
だが、私が思わずそう言ってしまうのも無理はなかった。
私に送られてきたパーティーへの招待状。
その送り主がシャーロットだったのだから。
「で、具体的にはどうするのよ?」
赤く熟れたリンゴをかじりつつ、そんなことを言うルカはあまりやる気のない声である。
イデアスの住処からリーベルへと戻ってきた私達はとりあえず休憩しようということで、当てもなく町を歩いている。
「どうするもなにも、禁書の行方が分かっているのだから、行く以外に選択肢はないでしょ?」
「そうだけどさ、あんたは招待されてるから問題ないだろうけど、アタシは色々とまずいでしょ」
「確かに今のままではまずいわね。でも、準備さえすれば問題ないわ」
社交場である以上、今のままのルカでは少し問題だが、逆に言えば準備さえできればそんなことはないのだ。
シャーロットの開くパーティーは人のそれとは違い、身分の高い者しか参加できないようなものではないのだから。
「準備ってなによ?」
リンゴをかじる手を止め、不思議そうに首をかしげたルカはとても魅力的だ。
だから、もったいぶるように言ってあげた。
「ふふっ、見れば分かるわ」
「あんたがそういう笑みを浮かべると、ろくなもんじゃなさそうなんだけど…」
つい数瞬前まで魅力的だった少女は、ものすごく胡散臭そうなものを見る顔になった。
「まあ、見れば分かるわ。じゃあ、行きましょ。それは準備に時間がかかるから」
早くも懐疑の目を向けてくるルカを連れ、私が向かったのは魔王城の城下町だ。
歓楽街として知られるそこでは、様々な商品を目にすることができる。
そんな町の一角に、目的の店はあった。
店頭には様々な衣服が飾られていて、なかにはかなり際どい下着もどうどうと陳列してある。
「服屋?」
「ええ。私や姉妹が愛用している店ね」
ハーピーが経営するこの店は主に衣服を扱っているが、注文すれば自分好みの服を仕立ててもくれるのだ。
「なによ、用意するって服なの?」
「ええ」
ルカに返事を返しつつ店の扉を開くと、「いらっしゃいませ〜」という間延びした声と共にハーピーが姿を現した。
「あ、ミリア様。お久しぶりです〜。本日はどのようなご来店で?」
「ドレスを一着仕立ててもらいたいの。なるべく早めにお願いしたいのだけど、いいかしら?」
「ええ、ええ、もちろんいいですよ。では、体のサイズを測りますから奥の部屋へどうぞ」
裁縫する部屋とまた違った部屋の扉を開け、手でこちらへと促してくる。
「ああ、ごめんなさい。今日は私のじゃないのよ」
「え…、というと…」
きょとんとしたハーピーの視線がルカに向けられる。
「へ?アタシ?」
当のルカは予想すらしてなかったのか、困惑した表情。
「もちろん。私はドレスなんて何着もあるけど、ルカは持ってないでしょ?」
「ちょ、ちょっと待って。用意するってドレス!?」
「ええ、そうよ。社交場に行くのだから、ちゃんとおめかししないとね」
シャーロットに頼めばルカに合うサイズのドレスなどいくらでも用意してくれるだろうが、いくら友達とはいえ、そこまでしてもらうのは気が引ける。
だからこうしてルカのドレスを作ってもらいに来たのだ。
だが、全てを悟ったらしいルカはいやいやをするように首を振る。
「いやいや、アタシにドレスなんて似合うわけないでしょ!!」
「そういうセリフは着てから言いましょうね〜。じゃ、奥の部屋に行きましょう♪」
「なっ、放しなさいよ!」
やだやだとその場を動こうしないルカの手を取り、ハーピーは奥の部屋へとルカを引きずって行く。
そしてパタリと扉が閉められた。
「じゃあ、脱ぎ脱ぎましょうね〜♪」
「ちょっと!!なんで脱ぐ必要があるのよ!?」
「もちろん、体に合ったドレスを作るために決まってるじゃないですか」
さっそく聞こえてきた会話で、ルカの顔が既に赤くなっていることが容易に想像できて、思わず笑ってしまう。
「ふふ、楽しそうね」
部屋の奥から聞こえてくる会話に耳を傾けていると、再び二人のやりとりが聞こえてきた。
「う〜ん、サキュバスにしてはあまり胸の発育が良くないですね。これからが成長期ということでしょうか?」
「うっさい!!余計なお世話よ!!」
中を覗かずとも、やりとりだけで何をしているか簡単に把握できる会話だ。
「しかし、この腰のくびれは見事ですね。これなら、コルセットを当てるより、ラインに沿ったドレスにした方が良さそうです」
「にゃああ!!ちょ、ちょっと、急に脇に触るんじゃないわよ〜!!」
今度は猫の鳴き声みたいな悲鳴が響いてきた。
それが涙声のように聞こえたのは、私の気のせいだろうか?
「はい、お疲れさまでした」
程なくして計測終了を知らせる声が聞こえたと同時に扉が開き、ハーピーが悠々と出てくる。
逆にルカは顔を赤くしながらぐったりとした様子で、とぼとぼと遅れて出てきた。
「う〜、酷い目に遭ったわ…」
「あら、体を計測しただけでしょ?」
特に他意なく言ったつもりなのだが、言い終わるや否や、親の仇のように睨まれた。
「あんなの計測じゃないわよ!!人の体を好き放題触っていいと思ってんの!?」
「ルカは今回だけなんだからいいじゃない。私なんて、ドレスを新調する度に計測してたのよ?」
ちなみに私が新調する理由のほとんどは、胸周りがきつくなるから。
そのせいで何度計測したか分からない。
それを思い出して言ってあげると、ルカは信じられないとでも言うような顔になった。
「あんなのを何度もやってるって、あんたの感覚おかしいわよ!」
「まあまあ、必要なことなんですから、そう怒らずに。それより、デザインについて要望はあります?胸元は大きく開けてほしいとか」
会話に割って入り、なだめるようにドレスの話を進めるハーピー。
「あるわけないでしょ!勝手にしなさいよ!」
完全に機嫌を損ねたらしく、ルカはそう言って店から出て行ってしまう。
「困った子ね…」
「ふふっ、可愛らしい子ですね。で、デザインはどうしましょうか?完全にこちらに任せてもらっても?」
ぷんぷんしながら出て行ってしまったルカに代わり、私へと確認の言葉が向けられるが、その言葉に少し考え込む。
本来なら任せると言いたいところだが、そうするとルカのお気に召さないデザインになる可能性があるからだ。そうなれば、ルカのことだから、間違いなく駄目だしするに違いない。
「そうね、基本的にはお任せするわ。ただ、あまり露出はない方向で。とりあえず、デザインに対する注文はそれだけね」
それだけは言っておかないと、かなり大胆な物になりかねないので釘を刺しておく。
そうでもしておかないと、ルカは完成品を見て「こんな恥ずかしいの、着れるわけないでしょ!」とでも言うに違いないからだ。
「露出は少なめで、ですね。分かりました、では早速取りかかります」
「お願いね」
一応お願いはしたものの、やはり出来具合は何度か見に来なくてはならないだろう。
なにしろ、ルカにとっては初めてのドレスだ。
やはり、本人も気に入るものを用意してあげたい。
今後のことを考えながら店を出ると、入り口のすぐ脇で腕を組み、不機嫌であると顔に大書したルカが待っていた。
「…話は終わったの?」
私の姿を確認したルカの口から出てきた言葉は、意外と普通のもの。
だが、その声は不機嫌さを隠してもいない。
「ええ。後は完成するのを待つだけよ」
「ふーん。そう」
なんとも気のない返事とともに踵を返し、ルカはすたすたと歩き出してしまう。
そんなルカの様子は、まるっきり臣民に厳しい女王様である。
「あれも才能かしらね…」
そう呟きつつ苦笑を浮かべ、私よりもよほど王女らしい振る舞いをするルカの後を追ったのだった。
日は過ぎ、パーティー当日。
宴の時刻に合わせて、私とルカはシャーロットの屋敷へと出向いていた。
もちろん二人ともドレスを着た上で、だ。
私が着ているのは黒のドレス。上に行くほど露出が目立つ作りで、肩や谷間もちろん、翼の都合もあって背中は腰から上が丸出しである。これに、二の腕まで長さのある黒の手袋を付けたのが今の私の格好だ。
そしてルカのドレスはというと、白を基調としつつ、うっすらと青を滲ませた鮮やかな色合いで、下半身を控えめに膨らませた仕上がりだ。
こちらの注文通り、露出は人のドレスと大差ないくらいに少なく、見えているのは首回りや綺麗な鎖骨くらい。
もちろんそれだけではなく、ゆったりとした袖や肩、左右の腰などの細かい所には純白の羽が添えられており、派手さを抑えつつ上品さを醸し出している。
そんなドレスを着ているルカの容姿も相まって、まるでお姫さまのようだった。
ちなみに、このドレスが出来あがるまでに私は店に何度も足を運んで、ルカに似合うようにとハーピーとデザインについてあれこれと意見を交わし合っていた。
その甲斐があったのか、出来あがったドレスを見た時も、身に纏っている今も、ルカはまんざらでもない様子。
もっとも、ドレスを着たところで性格が変わるわけでもないので、その口から出る言葉は普段と変わらないのだが。
「う〜、なんか落ち着かない…」
そんなことを漏らすルカは、珍しくおどおどしているように見える。
初めてのドレスを着て見ず知らずの人と会うということに対して、それなりに思うところがあるのだろう。
「ふふ、とっても素敵よ、そのドレス」
あれこれと調整してもらって仕立てたからか、世辞抜きに似合っている。
そして案の定、頬が染まっていくルカ。
だが、それは私の言葉に対してではなかったらしい。
「ドレス…だけ?」
予想すらしてなかった返事が返ってきて、まじまじとルカを見つめてしまう。
ルカは逃げるように視線を逸らすが、それでも顔は正面を向いたままで、時折こちらをちらりと見る様子は自分の問いに返事を待っているからだろうか。
なんにしても、滅多に見ることは出来ないルカの素直な様を見せつけられ、笑みが漏れてしまう。
「ごめんなさい、言い方が悪かったわね。素敵よ、ルカ。だから堂々として?そうすれば、もっと魅力的に見えるから」
「……」
今度はなにも返事は返ってこなかった。
でも、言葉が返ってこなくとも、私は満足だった。
小さく、本当に小さくだが、確かに頷いてくれたから。
「じゃ、受付を済ませましょ。おしとやかにね、ルカちゃん?」
そう言って門をくぐり、両脇を色鮮やかな花で囲まれた通路を進む。
遠目からでも立派だと一目で分かる屋敷は近くで見るとよりきらびやかに映り、珍しくルカが感嘆の声を上げる。
「随分とすごい屋敷に住んでいるわね。さすがはあんたの友達だわ」
「中はもっとすごいわよ?さ、行きましょ」
屋敷の入り口へと近づくと、そこには小さくも綺麗な丸机が用意されていて、二人のアリスが受付をしていた。
シャーロットの屋敷に仕える者だけあり、彼女達も立派な衣服に身を包んでいて、すぐにでも男が声をかけたくなるような立ち姿だ。
「ようこそおいで下さいました。お手数ですが、招待状を拝見させていただけますでしょうか?」
満面の笑みで問いかけてくるアリスの手へそっと招待状を置くと、招待状はもう一人のアリスへと回された。
「えーと、ミリア様ですね。はい、確認させていただきました。お連れの方はお一人様でよろしいでしょうか?」
手元の目録から顔を上げたアリスがルカに視線を向ける。
「ええ」
「かしこまりました。では、これで受付は終了となりますので、どうぞ屋敷にお入り下さい。なお、一部を除いて、どの部屋も立ち入りは自由となっています。屋敷の見取り図はお持ちになられますか?」
アリスの手が用意された見取り図へと伸びるが、私はそれを固辞する。
「いいえ、けっこうよ」
「かしこまりました。では、宴をお楽しみ下さい」
手続きが終了してうやうやしく頭を下げるアリス二人の横を通り、屋敷の扉を開く。
途端、眩しいくらいの照明の光が私達を襲った。
「っ…。さすがは貴族ね…」
入ってすぐの広い空間では、天井に巨大なシャンデリア、足元には汚れ一つない青のカーペット、目の前には屋内だというのに噴水まである。
そして思い思いの場所で談笑に花を咲かせる人や魔物。
初めてではなにもかもが別世界に見えるこの光景を前にして、ルカが呟いてしまうのも無理はない。
「とりあえず、正面の広間に行きましょうか。シャーロットがいるとしたら、恐らくはそこだろうから」
「え、ええ…」
きょろきょろしていたルカは曖昧に頷く。
「見るのは構わないけど、あまりきょろきょろしていると田舎者に思われちゃうわよ?」
「っ……!」
振り返り、含みを持たせた言い方をすると、ルカはぴくりと肩を揺らす。
「ふふ、まあ、実際のところ、あなたと似たような素振りをしている人は何人もいるようだけどね」
屋敷の豪華さに目を奪われがちだが、ちょっと来客へと目を移せば、いかにも落ち着かなさそうな顔で歩を進める人がちらほらと見受けられる。
『より多くの人と出会い、楽しんでもらうために、同伴者の地位や性別、人数は問わない』とは、招待状にあった一文だ。
その内容に従い、社交場は未経験という人を連れてきた客が少なからずいるのだろう。
様々な客で賑わう入り口を抜けて広間へと足を運ぶと、料理の香りが漂ってきた。
いくつもの丸テーブルの上に並べられた料理は立食式となっていて、多くの人が舌鼓を打っている。
また、テーブルが固まっている場所の先は何もない広い空間になっていることから、恐らくダンスをするために空けてあるのだろう。
視線を戻して多くのテーブルと人とが存在する広間を歩いていると、ようやく目当ての人物を見つけた。
私と同じように黒のドレスに身を包んだエキドナ、シャーロットは何人かの男性と楽しそうに話をしていたが、会話の間に視線をこちらに向けて少しだけ驚いた顔になった。
「失礼」という短い挨拶を男性達に述べると、静かに這ってきて顔を輝かせた。
「お久しぶりです、ミリア様」
「確かに久しぶりね、シャーロット。ところで、様はいい加減やめてくれないかしら?友達でしょ?」
「では、今後はミリア王女とお呼びしましょうか?」
目を細め、シャーロットは楽しそうに笑う。
「もう、意地悪ね。私がそういう呼び方をされるのは嫌いだと知っているでしょ?」
「ええ、もちろん。しかし、近頃はめっきり社交場に足をお運びにならなくなったとお聞きしていましたが、来ていただけて嬉しいですよ。しかも、お連れの方まで」
優しい金の瞳がルカに向けられる。
「友達のルカよ」
ようやくこの雰囲気に慣れてきたのか、私が紹介するとルカは軽く会釈する。
それに対してシャーロットはおやという顔になった。
「ルカ、といいますと、ローハスの近くに住むという天才少女の?」
「あら、ルカを知ってるの?」
「名前はそれなりに有名かと思いますよ。かの天才、フラン様の愛弟子でもあるようですし」
その言葉に、ルカははっきりと驚きを示した。
「師匠を知ってるの?」
「ええ、お薬サバトのフランといえば、それこそ有名ですからね。何度かお会いしたこともありますよ。愉快な方というのは、ああいう人を言うのでしょうね」
なにか思い出したのか、クスリと笑うシャーロットに対して、ルカは頭痛でも抑えるかのように頭に手をやった。
「はあ…。それ、間違いなく師匠だわ…」
「ところでシャーロット、今、時間はあるかしら?」
このままにしておくと、他愛もない談笑が続きそうだったので、流れを変える風を送り込む。
そして私の言葉の意味に、雑談をしていた二人はすぐに気づいたらしい。
ルカは一切の動作をやめて静かに私に視線を向け、シャーロットは一瞬呆けたような顔になるも、すぐに今までとは質の違う笑みを浮かべる。
「申し訳ありません。他にも挨拶をしなくてはならない方が大勢いらっしゃいますので、今は…」
返ってきたのは、きちんと言葉の裏を読んだ返事。
だが、このパーティーの主催者として、長くなる話をしている時間はない。
言葉を濁したのは、そういうことなのだろう。
シャーロットの事情を把握し、笑顔を向ける。
「主催者の役目、お疲れさま。そうね、なにも今すぐに、ということでもないから、折を見てまた会いに行くわ」
「いえ、なにやら大事なお話のようですから、後ほど私がお伺いします。では、それまで宴をお楽しみください」
優雅に会釈をすると、シャーロットは来た時と同じように、静かにこの場を去っていく。
「さて、後で話に来てくれるみたいだし、今はお言葉に甘えてパーティーを楽しみましょ。あっちにおいしそうな料理があったのよ」
「え、ちょっと!」
ルカの手を引き、シャーロットとは逆方向へと向かう。
そして適当なテーブルの前に来ると、目の前の料理を小皿に取り分ける。
「あの子がシャーロット。で、会ってみた率直な感想は?」
振り向きもせずに、背後にいるルカへと問いかける。
「…それを訊いてどうするのよ?」
「あなたの判断を仰ごうと思ってね。私にとってあの子は友達の一人。だから、どうしても贔屓目に見てしまうもの」
皿に程よく盛ると、別の皿に同じ料理を盛り始める。
ほとんど意識せずに手が動き、皿に料理が盛り終わる頃だった。
「間近で見て、シャーロットが悪い人には見えなかった。けど、アタシはあんたの友達だからって理由で、シャーロットを良い目で見ることは出来ないわ。…これで満足?」
こちらの考えを見透かしたかのように、ルカから呆れたような声が返ってきた。
そしてそれは私が望んだ答え。
だから振り返り、笑みを向ける。
「ええ。私はシャーロットに対して、どうしても警戒心が薄れてしまうから、もしもの時はお願いね?」
「分かってるわよ」
料理を取り分けた皿をルカへと差し出すと、彼女は大人しく受け取ってそれを口にする。
今できることはない以上、変な行動をしても仕方ない。
声には出さないが、それはルカも分かっているはず。
だからしばらくは、静かに食事を楽しんだのだった。
時間とともに広間に人が集まり、それに合わせて賑やかになってきた時だった。
不意に、シャーロットの声が広間に響いた。
「お待たせしました。音楽の準備が整いましたので、一曲踊っていただける方は前へお進み下さい」
魔導具によって広間全体へと向けられた言葉が終ると、待ってましたとばかりに多くの客が前へと進んでいく。
「なに?なにが始まるわけ?」
「パーティーのメインイベント、男女一組でのダンスよ。ここに集まっている人のほとんどは、結婚相手を探しに来たようなものだしね」
不思議そうに周りの人を眺めるルカに説明すると、納得という顔になった。
「ああ、そういうこと。よくもまあ、知らない相手と踊れるもんだわ」
「あまり他人事みたいには言っていられないわよ」
そう言っている間にも、男が一人、私達へと向かってきているのを目が捉えている。
「あの、よろしければ一曲踊っていただけますか?」
声をかけてきたのは、立派な礼服に身を包んだ青年だった。
女性に声をかけることに抵抗があるのか、顔に僅かに照れがある。
私から見れば、なんとも微笑ましい光景だ。
「さすがリリムね。せっかくだから、踊ってきたら?」
「あら、彼は私を誘っているのではないと思うけど?」
「はい。僕がお誘いしたいのは、あなたです」
少し恥ずかしそうにしつつ、青年がルカの手を取る。
「アタシ!?どう考えても誘うべきはこの子でしょ!?」
予想すらしてなかったのか、ルカは頬を赤くしながら驚きの表情を浮かべて、私と青年とを見比べる。
「いえ、僕はあなたをお誘いしたい。どうか一曲踊っていただけませんか?」
片膝をつき、下から見上げる形で懇願する青年。
そうまでされては、さすがのルカもどうしていいか分からなくなったようで、顔を真っ赤にしながら私に助けを求める視線を向けてきた。
滅多に見られないルカの様子はしばらく眺めていたいものだったが、このままでは曲が終わってしまう。
だから、そっとその肩を青年のほうへと押してあげた。
「見ての通り、こういう場所は初めてなの。だから、優しくリードしてあげてね?」
これは青年に対しての言葉。
ルカよりは場馴れしてるだろう青年は軽く頷き、ルカの手を引いていく。
「ちょっと、アタシはダンスなんて―」
「最初は相手の足を踏まないように注意してればいいだけ。そうすれば、踊っているうちに相手の呼吸に合わせられるようになるから」
アドバイスを送ると、ルカは裏切られた子犬のような目になる。
そんなこと聞いてないとでも言いたいのだろうが、それを口にすることなく青年とともにダンスの輪へと入っていった。
さて、お手並み拝見といこう。
そう思ったのだが、なかなか思い通りにはいかないらしい。
ルカというお邪魔虫がいなくなったからか、ここぞとばかりに何人もの男が声をかけてきたのだ。
「ごめんなさい。今はダンスの気分じゃないの」
そう言って、次々に誘いに来る男の申し出を断っているうちに曲が終了したようだ。
広間は一時的に静かになり、この間に踊り相手の変更が行われる。
しかし、意外なことにルカは戻ってこなかった。
不思議に思って場所を変え、ルカを探しているうちに次の曲が始まった。
さきほどよりもリズムよく進む曲のようで、それに合わせるように踊る人達も動きの速度を変えていく。
そんななかに、友の姿を見つけた。
さきほどの青年とはまた違った男性と踊っていることから、先程の時間に別の男性に誘われ、断れずにそのまま踊ることになったようだ。
「あらあら、これは意外ね」
頬を朱に染め、相手の足を踏まないように注意しながら踊るルカの様子は見ていて微笑ましい。
そんな彼女を見ていて思う。
ルカは言うほど男を嫌ってはいないんじゃないかと。
もし本当に嫌いなら、こうして嫌いな男と踊ったりはしないはず。
なんだかんだ言っても、ルカもサキュバスとしての本能には勝てないのだろう。ルカ自身もそれを分かっているのかもしれない。
でも、それを認めたくなくて素直にならず、意地を張り続ける。
全ては憶測にすぎないが、なにが真実だろうと、ルカが幸せになれるならそれでいい。
そのためには、まず禁書をどうにかしなくてはならないのだが。
ルカから目を別のところに向ければ、踊る人々を嬉しそうに眺めるシャーロットが視界に入る。
「あの子が禁書をね…」
どういった経緯で手に入れたかは別に考えなくてもいいだろう。
問題は、それを禁書だと知っていて手に入れたかだ。
純粋な好奇心から手に入れたのなら、大人しく渡してくれるはず。
だが、そうでないなら色々と面倒なことになる。
「これなら、純粋にパーティーに参加しているだけの方が気楽だったわね…」
口から出てくるのは、愚痴に近い言葉とため息。
なにも考えずに、ダンスを楽しむだけの招待客の方が良かったと思うのは初めてかもしれない。
そんな自分の考えに苦笑しながら、見知らぬ男性と踊るルカを眺め続けたのだった。
四曲目が終わった時、ルカはようやく帰ってきた。
「はあ…。アタシはなにしてんだろ…」
開口一番に漏れたのはため息。そして自分自身に呆れる言葉。
「ふふ、そう言う割には四曲も踊ってきたわね。楽しめたかしら?」
「なっ!あんた、見て―」
頬を瞬時に染め、こちらを見たルカの言葉が途中で止まったのは、すぐ近くから拍手が聞こえたからだろう。
二人揃って拍手のする方へと顔を向ければ、楽しそうに微笑むシャーロットがいた。
「見事なダンスでしたよ、ルカ様。楽しんでいただけたようで、主催者としては嬉しい限りです」
「様、はやめてくれる?どう見たってあんたの方が年上だし、そんな相手から様付けで呼ばれると、バカにされてるように感じるわ」
大分本来の調子を取り戻してきたのか、ルカの口からそんな言葉が放たれる。
対するシャーロットはというと、小さく笑うだけだった。
「これが私の他人に対する呼び方ですので、ご容赦願います。それはさておき、ミリア様もこんな所で壁の花を決め込んでおられず、一曲踊られてはいかがですか?」
笑顔が少し困り顔になったのは、私が一度もダンスに参加していないことを知っているからかもしれない。
「せっかくだけど、ダンスの気分ではないの。それに、あなたも私にダンスを勧めに来たわけではないでしょう?」
だから回りくどい前置きはやめましょう、という言外の言葉を含めて返事を返すと、シャーロットは意を得たとばかりに意味深な笑みを浮かべた。
「半分は本気で勧めたのですよ。それも主催者の勤めですから。さて、『お話』は別の場所でしましょうか」
「可能ならば、他の人がいない所で、ね」
小さく頷き、静かに移動を始めるシャーロットに続いて、私達も広間を出る。それだけで若干涼しく感じたのは、静かな昂揚によって広間に熱気がこもっていたからだろう。
「ああ、そうそう。言い忘れていましたが、お二人とも、男性の受けが良いようですよ」
先導するシャーロットが振り向き、思い出したように話を振ってきた。
「どういう意味かしら?」
一瞬だけルカと視線を合わせると、代表して私が問いかける。
「ダンスではなく、夜のお相手をしてもらいたいということですよ。特にルカ様は先程のダンスでその魅力をアピールしていましたから、何人もの方から打診されました」
「あらあら」
いきなり振られた話に意味はない。
頭がそう判断し、隣を歩くルカへと目を向ければ、これ以上ないくらいに嫌そうな顔をしていた。
「多くの男があなたをご所望のようだけど、相手をする気は?」
「あるわけないでしょ」
当然の如く即答である。
「ふふ、モテる女は余裕があるわね」
「あら、それはミリア様も同じですよ?」
それまで黙って会話を聞いていたシャーロットが発した言葉に、私は視線を彼女へと向ける。
「踊っていたわけでもないのに、多くの男性の目に止まったようですね。夜のお相手どころか、少しでもいいからお近づきになりたいという男性の方々から仲介してほしいと頼まれましたよ」
今度はルカから呆れたような目で見られ、思わずため息が漏れてしまう。
「で、その人達にはどう答えたのかしら?」
「気持ちは分かりますが、女性に声をかける勇気もない男の相手をしてくれる方ではありません。お近づきになりたいのでしたら、是非自分で声をおかけになって下さい。そう伝えておきました」
芝居のような語り口は、用意にその場面を想像させる。
そして少し悪戯っぽく笑う様子は変わらぬ友の姿。
こんな様子を見せられては、本当に禁書を持っているのかと疑問さえ浮かんでくる。
「夜の相手って言ってたけど、広間から客が減っていたのはそのせい?」
間が空いたからか、今度はルカが何気ない会話を振る。
「ええ。招待状にも書いたように、申し出てくだされば、お部屋を手配しますから。ダンスではなく、肌を重ねたくなった方々には個室に行っていただきました。今頃はベッドの上で愛し合っているでしょうね」
このパーティーの目的は、異性との出会い。
それが実現されているからか、主催者は満足そうに微笑み、そして私達を見た。
「だからこそ、お二人も相手を見つけてもらえれば、主催者としてこれ以上嬉しいことはないのですが」
「申し訳ないけど、私達はパーティー目的で来たわけじゃないのよ」
「それは残念です」
そう言いつつ、シャーロットは進むのを止める。
その左手には、なんの変哲もないノブが付いるだけの扉があった。
「どうぞ」
話はここで、招き入れるような仕草にそんな意味を含ませつつ、シャーロットは部屋に入るよう促してくる。
誘われるままに部屋に入れば、そこはこの屋敷にしてはやけに狭い一室だった。その代わりにか、正面奥にある机、その手前に向かい合ったソファ、両壁際には本棚、どれもが一目で高級な品だとわかる代物だ。
「ここは…、まあ、私が物思いにふける部屋とでも言いましょうか」
声とともに扉が閉まる音がして、私の脇をシャーロットが通り抜けていく。
「さて、一体どんなお話なのでしょうか?」
ソファに座ることさえ勧めずに尋ねてくるのは、私達が単なるおしゃべりをしに来たわけではないことを理解している証拠だろう。
「単刀直入に言うわ。あんた、これを持ってるでしょ」
ルカが複製された禁書を取り出して見せる。
「それは…。ルカ様の手にも渡ったということですか。確かに、その本の原本は私が持っています」
するすると机に移動し、その引き出しから一冊の本を取り出す。
それを見て、ルカの目が見開かれた。
「これですね。行商の方からほとんどタダで手に入れた物なのですが、知らない文字で書かれている上に、魔力を帯びているのですよ。だから、その内容も興味深いものだろうと思い、解読できそうな方に複製して―」
「あんた、自分がなにしたか分かってんの!?」
「え…?」
隣にいた私でさえ驚いたのだから、いきなりものすごい剣幕で怒鳴られ、言葉を遮られたシャーロットが戸惑った表情になるのは無理もないかもしれない。
そんな彼女へとルカはたたみかけるように言葉を続けた。
「それは、その本は、多くの人に甚大な被害を与えるような内容ばかりが書かれた禁書よ」
怒りのこもった声で語られる内容に、シャーロットはぬいぐるみに縋る幼い子のように禁書を両手で抱きしめる。
「ルカ様は、この本の内容をご存じなのですか…?」
震える声での質問は、およそ演技ではない。
だからルカも若干は怒りが治まったらしい。
腹立たしい顔でその問いに答えた。
「師匠の言葉をそのまま言うなら、それは死者をも蘇らせ、使役できる本。あんたは、そんな物騒な本を世に知らしめるような真似をしたのよ」
「そんな…」
目尻に涙が浮かび、しかられた子供のような友の様子はとても見ていられるようなものではなかった。
それに、シャーロットは純粋な好奇心から禁書を調べようとしただけなのだ。これ以上あれこれと言い続けるのは酷な気がした。
「ルカ、それ以上シャーロットを責めるのは止めてあげて。彼女に悪気があったわけじゃないんだから」
話しながらシャーロットの前に立つと、彼女はびくりと肩をすくませる。
「ねぇシャーロット。ルカが言ったように、それはとても危険な本なの。だから私達に渡してくれないかしら?」
潤んだ瞳でしばし私を見つめた後、シャーロットは小さく頷いた。
「ありがとう。それと、ごめんなさい。結果的に、あなたを責めるような形になってしまって」
そう言った瞬間、シャーロットに抱きつかれた。
「ごめんなさい、ミリア様…!私、そんなつもりじゃなかったんです…。ただ、本の内容が知りたかっただけで…」
嗚咽の声をあげながら、私の胸に顔をうずめて泣きじゃくるその姿に貴族の威厳などなく、悪戯を叱られた少女のようだ。
「もういいの。だから、泣かないで?」
そっとその頭を撫でつつ、振り向けばルカと目が合う。
そして彼女は、疲れた顔でため息をついたのだった。
「本当にすいませんでした…」
目元を赤くしながら、シャーロットは禁書をルカへと差し出した。
結果として、それほど問題なく禁書を手に入れることができたのだから、ルカも満足だろう。
そう思いつつ禁書の受け渡しを眺めていたのだが、受け取った途端にルカの表情が曇った。
「なによ、これ…」
「どうしたの、ルカ?」
「これ、以前アタシが処分したヤツより帯びている魔力が多いの。一体どういうこと…?」
怪訝そうな顔持ちで思案しているようだが、結局のところ何もわからなかったらしい。
今までの苦労を吐き出すようなため息とともに、禁書を床に置いた。
「…これから処分するものについて考察したって意味ないわね。じゃ、準備するわ」
「準備?」
「ええ。禁書は普通の本じゃないから、火の中に投げ込んだってダメなのよ。だから、専用の魔法で一気に消滅させるわけ」
魔法陣を展開していくルカの脇で、説明を聞いた私はふと思いつき、左手に魔力を集中する。
「こんな魔法では駄目かしら?」
左手に集中させた魔力で作り出した黒い球体をルカに見せると、ルカは慌てたようにその場から飛び退いた。
「ちょっとあんた!なに物騒なもん作り出してんのよ!?」
「ミリア様、さすがにそれは…」
ルカはもちろん、シャーロットまでもが戸惑ったような顔で球体へと視線を向ける。
「そんなに驚かなくてもいいんじゃないかしら」
「そういう問題じゃないわよ!大体、その魔法はなによ!?」
「まだ実験中の魔法ね。だから試作段階なのだけど」
姉があれこれと考察していたことをある日突然思い出し、考え付くままに開発してみたのがこの魔法だ。
よって、まだ未完成なのだが、友二人を驚かせるには十分だったらしい。
「試作ということは、これで未完成ですか…」
「実はあんたが禁書の書き手なんじゃないでしょうね!?」
シャーロットの呆れたような言い方はともかく、ルカの発言は笑えない冗談だ。
「とにかく、禁書はアタシが処分するから、あんたはその危ない魔法を消しなさいよ!」
「はいはい」
言われるがままに球体を霧散させると、ルカはしゃがんで展開した魔法陣へと手を触れる。
「さて、こっちの危ない本もこれで終わりよ!」
魔法陣へと注がれた魔力が紅蓮の炎となって吹き出し、禁書を業火が包む。
禁書を消滅させるためだけに特化した炎は燃え上がり、その奥で静かに消滅していく禁書が見えた。
禁書を完全に焼失させると、炎は魔法陣とともに消えていく。
「ふう。これでお終いね」
「お疲れさま。気はすんだかしら?」
「労いの言葉は早いわ。まだ一冊残ってるし、複製された禁書に関しても、なにか対策しておかないとまずいし」
残りは一冊だけになったというのに、それを喜ぶでもなく、ルカは講義でもするように人差し指を立てる。
そんな彼女に返事を返したのは、今まで成り行きを見守っていたシャーロットだった。
「複製に関しては、心配には及びません。私が付与した複製魔法によって精製されたものは、元が消滅すれば、それに伴って対消滅するようになっていますから」
「そうなの?」
「はい。ですから、お二人がお持ちなっていたものも消滅したはずです」
説明を受けてルカが複製された禁書を虚空から取り出そうとするも、無かったらしい。「ほんとだ」と、小さく漏らしていた。
「これで一つ懸念が消えたわね」
「ま、そうなるわね。じゃ、することしたし、アタシは帰るわ」
自分の目的は果たしたから帰る。
いかにもルカらしい言い分だが、目的を果たしたならパーティーを楽しんでもいいのではないだろうか。
だから言ってみた。
「あなたをご所望する人への、夜のお相手は?」
「するわけないでしょ!!」
さっきまでの清々しい笑顔はどこへやら、顔を赤くしてルカは叫ぶ。
「ふふっ、仲が良いんですね。私もミリア様とは親しいつもりですが、なんだか見せつけられてる気がして、少し妬けてしまいますね」
「なっ!」
「あら、見せつけてるのよ」
ますます顔を赤くするルカには構わず、冗談に冗談を返してくすくすと笑い合う。
「さて、ルカも帰りたいみたいだから、今日はこのへんでお暇させてもらうわ」
「そうですか。では、お見送りいたします」
来た時と同様、シャーロットに先導されながら玄関に到着すると、彼女は優雅に一礼した。
「それでは、またの機会にお会いできることを楽しみにしています」
「ええ。その時は、ルカも連れてきていいのでしょう?」
「連れてきていただかなくとも結構ですよ。次回からはルカ様にも招待状をお送りしますから」
「ちょ、ちょっと待って。なんでアタシまで招待されんのよ!?」
「あら、私の屋敷で社交会にデビューしたのですから、お呼びするのは当然ですよ。そうでなくとも、ミリア様の友人ですし」
にこにこと満面の笑みを浮かべるシャーロットを見て、ルカはなにを言っても無駄だと悟ったらしい。がっくりとうなだれた。
「さて、話もまとまったみたいだし、帰りましょうか」
「あ、お待ちくださいミリア様。これを」
シャーロットはどこからともなく小さな小箱を取り出すと、それを開けて見せた。
そこに入っていたのはお揃いの首飾り。
「これは?」
「月と太陽をイメージして作られたものだそうです。だから、先端に埋め込まれているのも、絆を意味する結晶ですね。月と太陽のように、お互いを支え合う夫婦のために作られたとお聞きしました」
言われてみれば、確かに先端は三日月と太陽という感じにも見える。
硬貨の一部分を繰り抜き、そこに結晶をはめ込んだとでも言えば、分かりやすいかもしれない。
「なぜこれを私に?」
「ミリア様とルカ様にはご迷惑をおかけしましたから、そのお詫びです」
「じゃあ、これ、一つはアタシにってこと?」
困惑顔のルカに、シャーロットは微笑んだ。
「はい。夫婦用に作られたとはいえ、浅からぬ絆を持つのは、なにも夫婦だけではないはずですから」
「いや、受け取れないわよ。あんたが自分の夫と一緒につければいいでしょ」
ルカが固辞するなか、私は首飾りに手を伸ばした。
「じゃあ、遠慮なく貰うわね」
「ちょっと!ここは、あんたも揃って断るとこでしょ!?」
「そうしたいのだけど、シャーロットはこう見えて意外と頑固なとこがあるのよ。だから、受け取るまで差し出されるわ」
「さすがミリア様。よく分かっていますね」
「当然よ。友達だもの」
二人してくすぐったそうに笑うなか、ルカだけはため息だ。
「はあ…。わかったわよ、貰えばいいんでしょ」
やけ気味に手を伸ばし、首飾りを手にすると、これでいい?とでも言いたげな目をシャーロットへと向ける。
「ありがとうございます。では、また」
「ええ」
貴族らしく、綺麗な会釈をするシャーロットと短い挨拶を交わし、私達は屋敷を後にした。
門をくぐって屋敷を離れ、月夜が照らす道をルカと並んで歩くも、会話はない。
それが嫌というわけではないが、せっかく二人でいるのになにも話さないというのもつまらない。
だからなにか話題を振ろうとして、その横顔が僅かに赤いことに気づいた。
不思議に思い、ルカが赤面するようなことがあっただろうかと今までのことを振り返ってみる。
だが、わざわざ記憶を巡るようなことをせずとも、すぐに一つの答えに辿り着いた。そしてそれは、間違いではないはずだ。
「この首飾り、二人の絆の証みたいね」
「……」
無言。
でもいいのだ。
その反応だけで、私の辿り着いた答えが仮定から確信へと変わるのだから。
「それにお揃いね。なんだか嬉しいわ」
「……」
ルカは変わらず言葉を発しない。
なにか反応をすれば負けだとでもいうように。
そんなルカの意地を突き崩すことが楽しくて、つい笑ってしまう。
そして、ルカが耐えられないだろう一言を言ってあげた。
「ルカも嬉しいんでしょ?」
「ッ!!」
図星を言い当てられ、体がびくりと反応してしまったルカは、腹立たしさと恥ずかしさとがごちゃ混ぜになったような顔で睨んでくる。
「な、なに勝手なこと言ってんのよ。付き合ってらんない!アタシは帰るから!」
裏返った声で早口にまくし立て、ルカは足早に逃げていく。
「お疲れさま」
空を見上げれば、満月が光り輝いている。その光が照らす夜道は静かだ。
だからこそ、私が漏らした呟きは静寂の中へと消えていったのだった。
12/08/28 22:08更新 / エンプティ
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