5
レスカティエの一角、教団の兵士のための練兵所があった。
そこそこの広さの運動場に、訓練のための器具が豊富に取り揃えてある。
そこでは衛兵や兵士はもちろん、聖騎士を目指す若者たちが日々己を鍛え、魔物との戦いに備えていた。
しかし、いくら心を信仰心で熱くたぎらせてはいても、自身の実力と現実との差に志を折られる者は数多くいた。
そしてその志の差が、訓練の合間に素振りをする者と練兵所の片隅で立ち話をする者とに分け隔てていた。
「なあ、聞いたか?」
練兵所の片隅、聖騎士を志願していた若者の一人が、雑談の合間にそう問いかけた。
「何をだ?」
「また、鉄仮面の聖騎士殿が凱旋したそうだ」
鉄仮面の聖騎士、という単語に数人の訓練兵の身体に緊張が宿るが、すぐにそれは解けた。
聖騎士本人が、ここにいるわけではないからだ。
「今度は、どこかの農場で働かされていた子供をさらった隊商を、検問を通り抜ける直前で鎮圧したそうだ」
「へえ、すごいな」
「え?でも検問所にいたのはアーギュストさんの部隊で、鉄仮面の部隊は検問で抑えた連中を引き取りに来ただけだって聞いたぞ?」
「それは、鉄仮面の部隊の話だ」
話を切り出した訓練兵が、公式とされている噂話を訂正する。
「鉄仮面本人は伝令とともに先に飛び出して、投げ槍で隊商の魔物を仕留めたらしい。そして、アーギュストさんの部下がうっかり取り逃がした子供を、冷静に背後から槍を投げて…」
「…やったのか?」
「らしい」
彼の一言に訓練兵たちは顔を見合わせ、身を震わせた。
「いくらなんでも子供は、ねえ…」
「それに魔物って言っても、検問を通り抜けかけるぐらい人間みたいな外見の連中だろ?俺には無理だ…」
「やっぱり、聖騎士ってやつは普通の人間とはどこか違うのかねえ」
「いや、アーギュストさんの部下によると、さすがにアーギュストさんもドン引きだったらしい」
「つまり、鉄仮面だけが頭おかしいってことか」
「だろうな。あんな鉄仮面いつも付けてる時点で怪しいとは思ってたけどな」
「きっと鉄仮面の下は魔物の顔だぜ。でないとあんなに殺し回る理由なんてないだろ」
「鉄仮面の聖騎士が実は魔物とか、笑えねえよ…」
一同はその決着に苦笑いを浮かべた。
すると、練兵所の入口の方から声が響いた。
「やあみなさん、なかなか精が出ていますね!」
いくらかくぐもったその声に、噂話をしていた訓練はいは身を強張らせ、思わず顔を入り口に向けた。
すると、練兵所の入り口にやたら巨大な人影があるのを認めた。
質素なローブに身を包み、左半身と背中をマントで覆い、フードを被ったやたら肩幅の広い巨躯。
フードの下の顔を覆う鉄仮面こそ、つい最前まで彼らが噂していた鉄仮面の聖騎士、ウィルバーの物だった。
「ウィルバーさん、こんにちは!」
「はい、こんにちは」
入り口近くにいた、訓練の合間だというのに木刀で素振りをしていた、志の高い訓練兵がウィルバーに向けていくらかぎこちない挨拶をすると、鉄仮面の聖騎士は会釈とともにそれに応えた。
「ああ、皆さん。そうかしこまらないでいつも通りで結構です。ちょっと寄ってみただけですので、すぐ退散しますよ」
訓練の手を止める訓練兵に向けて、ウィルバーは構わないようにと告げる。
どうやら本当に、少しだけ立ち寄ってみただけらしい。
「どうか気にせず鍛錬を積み、立派な聖騎士や兵士、衛兵を目指してください」
「それで、ガキを槍で刺し殺すのか…全く、何のために聖騎士になったのやら…」
ウィルバーの言葉に、練兵所の片隅にいた一人が、思わずそう呟いた。
すると、不意にウィルバーがその巨躯の動きを止める。
「…今のは、誰が?」
ほぼ口の中で呟いただけの言葉が聞こえたのか、と訓練兵の一人が身を強張らせると同時に、ウィルバーが鉄仮面の覗き穴を彼の方に向けた。
薄暗い闇の中から放たれた鋭い眼光が、一直線に件の訓練兵を刺し貫く。
「っ!?」
「子供を槍で刺し殺した、と言うふうに聞こえましたが?」
肝どころか全身を凍りつかせた件の訓練兵に、ウィルバーはそう口にしながら距離を詰めた。
「それは、私が子供を殺したということでいいのでしょうか?そこのあなた」
「………」
十歩ほどの距離で動きを止めた巨体を見つめたまま、彼は身体を震わせぱくぱくと口を開閉した。
言葉を紡ごうにも、ウィルバーから滲む微かな怒りの気配が、限界まで引き絞られた弓矢に狙われているかのような錯覚を与えているからだ。
「どなたから、そのような話を聞きましたか?」
「…………う、噂話で、少し…」
震える舌を叱咤激励し、彼はそう言葉を紡いだ。
「なるほど、おそらく先日の件のことが話題になっているようですね。ですが、いくらか事実と異なる点があるようです」
視線の先の訓練兵だけでなく、その場にいる皆に対してウィルバーは語り始めた。
「先日の私の出撃について、どのように聞いていますか?」
「子供を誘拐した隊商を、検問所通過前に襲撃し、混ざっていた魔物を仕留め…逃げようとしていた子供を、その……」
「槍で殺した、と?」
「そ、そうです…」
「なるほど、そのように伝わっていましたか」
震え声でどうにか紡がれた噂話に、鉄仮面がうんうんと上下する。
「残念ながら、先日の一件はそのような勇者めいた武勇伝ではありません。検問所を通り抜けようとしていた隊商をぎりぎりのところで足止めし、抵抗する魔物に大人しくなってもらい、子供を一人逃がしかけたというところです。武勇伝と言うよりはむしろ、危うく子供一人を見失うところだったというところですね」
いくらか軽い調子で、彼は噂話の内容を訂正した。
「主神より賜ったこの身体は、魔物との戦いにおいては大いに助けられてきましたが、何と言うこともない行動に尾ひれがついて噂になるという点が厄介ですね」
「し、しかし…噂では…」
「あなたたち、その噂を鵜呑みにしたのですか?その話を聞いた時点で、私の部下か聖騎士アーギュストの部下に事実を確認しに行くべきでしょう。それとも、私ならそのぐらいやりそうだ、と思ったのですか?そうやって噂を鵜呑みにしていては、魔物がこの街に紛れ込んだ際にいいように操られてしまいますよ」
その場にいる、噂話を聞いたであろう訓練兵たちに向けて、ウィルバーはそう窘めるように語りかけた。
「確かに上官の言葉は絶対ではありますが、情報については常に疑い、確かめるべきです。よろしいですか?」
「は、はい!」
訓練兵は威勢よく、ウィルバーにそう応じた。
すると彼は一通り満足したのか、うんうんと顔を縦に振った。
「結構結構。では、誤解も解けたところで私は退散させてもらいましょう」
くるりと踵を返し、ウィルバーはまっすぐに練兵所の出入り口に向けて歩いて行った。
レスカティエの街を、ウィルバーの巨躯が歩み進んでいる。
その巨躯と鉄仮面に、彼の通りがかった先にいる人々は会話を止め、彼に目を向け、直後目を合わさないように慌てて顔をそむけた。
「デケエなあ…」
「やっぱりあの鉄仮面、魔物なんじゃないの?」
ウィルバーの背後から、ひそひそと交わされるごく低い声が聞こえた。
「槍で魔物どころか、異教徒の子供も突いて回ってるんだって?」
「聞いた話だと、異教徒の砦に火を付けて、慌てて飛び出してきたところを狙い撃ちにしたとか」
「俺が聞いたのは、この間捕まえた魔物の一団を死なない程度に槍で地面に縫い止めて、油をまいて火をつけたらしいぞ」
「人間じゃないのよ、きっと」
老若男女、様々な人の低い声が、ウィルバーの背中に投げかけられる。
皆聞こえるはずがないと思って呟いているようだが、ウィルバーには聞こえてしまう。
最も、彼にとっては人々の小声が聞こえることも、その内容ももはや慣れっこだった。
やがて、ウィルバーは街の入り口近くにたどり着いた。
見張りの衛兵や、行き交う人々が彼の巨体とその異様な風体に目を見開き、直接目を合わせまいと視線をそらす。
彼はそうやって行き交う人々の間に視線を走らせた。
「ええと」
「おお、ウィルバー!こっちじゃ」
道の一角から、ウィルバーに向けてしゃがれた声が投げかけられた。
鉄仮面が声の出元に向けられると、ウィルバーの視界に背の低い、年を取った僧侶が一人映った。
「院長、お久しぶりです」
「久しぶりじゃの、ウィルバー」
人の流れを通り抜け、鉄仮面の聖騎士は老僧侶の下に歩み寄りながら、そう挨拶を交わした。
「ここで立ち話もなんですから、私の部屋までご案内しましょう」
「それは助かる」
聖騎士と老僧侶は、連れ立って歩き出した。
「お変わりなさそうで何よりです」
「こう見えて膝だとかが痛むようになったんじゃがの…まあ、お前さんも変わりなく…いや、少し大きくなったか?」
「ええ、少しだけ、ですけどね」
倍近くも体格が違う二人が、朗らかに談笑しながら足を進めている。
その交わされる言葉内容や、声に宿る感情は、まるで久々に会った家族のようであった。
「それで、ウィルバー。噂話じゃが、なかなかの武勲を建てているらしいじゃないか」
「武勲ですか。まあ、噂話は尾ひれがついてはいますが、それなりに主神のご加護と部下の働きにより、活躍させていただいております」
「そうかそうか。話を聞いた時は、育てそこなったのかと不安になったぞ」
いくらか冗談めかした様子で、老僧侶はそう言った。
「まあ、お前さんの外見もあるし、多少事実が歪められるのは仕方ないかもしれんのう」
「多少任務に没頭しすぎる、と言うところがありますからねえ。それにほら、聞こえませんか?」
ウィルバーが建物の合間の路地を指し示すと、そこから風に乗って子供の声が響いてきた。
鉄仮面が来るよ
鉄仮面が来るよ
槍の聖騎士 鉄仮面が来るよ
魔物を槍で貫いて 旗の代わりに掲げるよ
魔物を槍で貫いて 筆の代わりに絵を描くよ
鉄仮面が来るよ 槍を持ってくるよ
「子供たちの間にはあのような歌まで広まっています」
路地から流れてきた歌声に、ウィルバーはマントに覆われた肩を軽くすくめて見せた。
「鉄仮面の聖騎士殿の歌か!伝説の勇者のようじゃな」
「伝説の勇者ならまだしも、あの歌は『人食い鬼が食いに来る』という歌の替え歌です」
「人食い鬼なぞより鉄仮面の聖騎士が怖ろしい、ということか!そんな聖騎士様がいる限り、レスカティエは安全だな!」
老僧侶はかかか、と笑った。
「ところで、遠くの音が聞こえるって特技は、未だに健在のようじゃな」
「…ええ、まあ。任務中に幾度も助けられました」
一瞬の間を挟んでから、ウィルバーは老僧侶の言葉に応じた。
「ところで院長、今回レスカティエまでいらっしゃったのは?」
「ああ、実は修道院近くに、魔物が住みついてな…近くの村の牛がさらわれたりしとるらしい」
「そんなことが…!?聖騎士の派遣依頼の提出は…」
「しとるよ。『現在聖騎士多忙に付き、後程派遣する』と言う返事が来たがの」
「なんと…」
豪商や貴族、高僧の警護のような任務が多いなか、このような重要度の高い案件が放置されていたことに、ウィルバーは声を漏らした。
「それならば私が…」
「いや、お前さんがうちだけのために動いても、根本的な問題の解決にはならん。もしかしたら、他にもこまっとるところがあるかもしれんだろう?」
老僧侶の言葉に、ウィルバーは己の考えが浅はかだったことを悟った。
「正直なところ、こっちの被害は時折家畜がさらわれるぐらいで大したことは無い。じゃが、悪質な魔物の襲撃があった時、人々が必死に聖騎士にすがろうとした時に、ああいう返事が来たら…」
人々の心のよりどころとして、教団や教会にそのような態度を取られたら。
「…状況を改善するよう、私から進言しておきます」
「うむ、頼むぞ聖騎士殿」
老僧侶と鉄仮面の聖騎士は、言葉を交わしながら歩いて行った。
レスカティエの中央部、教団関連の建物が並ぶ一角に、ウィルバーと老僧侶はいた。
そこは、ウィルバーに書類仕事をするための場所として与えられている一室で、部屋の片隅にはウィルバーの秘書の役目を受けている尼僧がいた。
「それでは、院長の一件の優先度を高め、早急に対処するようにしておきます。また、明日付で聖騎士の出動申請に対する優先度の割り振り改正について、改正案を提出します」
巨大な椅子に腰を下ろしたウィルバーが、事務机を挟んだ向かいに座る老僧侶に向け、書類を示しながらそう告げた。
「院長のご依頼については、明日にでも出発するつもりです」
「ああ、頼む。だが、わしが一番頼みたいのは…」
「ええ、聖騎士団がか弱き信徒の盾として働くよう、体制を是正します」
「頼んだぞ」
老僧侶は腰かけていた椅子から立ち上がった。
「では、今日はこの辺りで帰らせてもらおう」
「修道院までお送りしましょう」
「いや結構。来た時と同じく、乗合馬車で帰らせてもらう。何かあった時に、聖騎士の馬車が足りないとなったら困るだろう?」
「ははは、確かに」
「わしの見送りより、書類の作成を頼んだぞ」
「ええ。ではここで失礼させていただきます」
「うむ。お前さんも達者でな」
「院長もお元気で」
言葉を交わし、握手をしてから老僧侶は部屋の外へ出て行った。
「お疲れ様でした」
ウィルバーの事務机の傍らで、置物のようにじっとしていた尼僧が、そう彼に声を掛けた。
「疲れてなどいませんよ、イスタジア。むしろ元気な姿を見られて、安心したほどです」
尼僧、イスタジアに向けて、彼は鉄仮面に覆われた顔を向けつつ応じた。
「そうですか…ところで、あの方は?」
「ああ、紹介を忘れていましたね。私が幼い頃世話になっていた修道院の院長です」
ウィルバーの言葉に、尼僧は目を丸くした。
「幼い頃って…」
「あなたも噂で聞いたことがあるでしょう。『鉄仮面の聖騎士は生まれが定かじゃない』と。あれは事実です」
昨日の夕食について話すような口調で、彼は淡々と説明する。
「私は生まれて間もないころに捨てられまして。籠に入れられて川を流されているところを、とある川沿いの修道院で拾っていただき、育ててもらったのです」
「そ、そうだったんですか…」
今まで知らなかった上司の過去に、尼僧は身を強張らせていた。
「私を育てるか孤児院に預けるか、それとも再び川に流すかで、しばらくもめたらしいです。ですが、院長の『この子を人として育て上げることが、主神の与えたもうた試練だ』という一言で決着がついたそうです」
「そんなことが…その、すいません…」
親に捨てられた、というウィルバーの過去を掘り起こしてしまったことに、尼僧は思わず謝罪の言葉を口にしていた。
「謝る必要はありません、イスタジア。両親が川に私を流したからこそ、私は院長に拾われ、今ここで聖騎士として活躍できているのです。主神の加護や人々の厚意への感謝こそあれど、悲しみや憎しみはありません」
気まずそうにするイスタジアを、ウィルバーはそうなだめた。
「ですから、私にとって聖騎士の職務は、主神と人々の厚意に報いる天職なのです。ですが、聖騎士の力が正しく振るわれていないということが分かった今、我々がすべきことは一つです」
「聖騎士への任務の重要度付け制度の、改正ですね」
「そうです」
尼僧の言葉に、鉄仮面の聖騎士は頷いた。
「聖騎士は弱き信徒の盾であれ。この言葉が守られるよう、共にがんばりましょう」
「ええ」
イスタジアは、そう応じながら決心した。この聖騎士に付いて行くことを。
「さあ、忙しくなりますよ。私は緊急性の高い任務を、率先して達成します。イスタジア、あなたは公文書館で過去の任務命令書を確認し、どのような依頼と任務の重要度の記録をまとめてください」
「了解しました」
尼僧はそう応じると、一礼とともに部屋を飛び出し、駆けて行った。
そこそこの広さの運動場に、訓練のための器具が豊富に取り揃えてある。
そこでは衛兵や兵士はもちろん、聖騎士を目指す若者たちが日々己を鍛え、魔物との戦いに備えていた。
しかし、いくら心を信仰心で熱くたぎらせてはいても、自身の実力と現実との差に志を折られる者は数多くいた。
そしてその志の差が、訓練の合間に素振りをする者と練兵所の片隅で立ち話をする者とに分け隔てていた。
「なあ、聞いたか?」
練兵所の片隅、聖騎士を志願していた若者の一人が、雑談の合間にそう問いかけた。
「何をだ?」
「また、鉄仮面の聖騎士殿が凱旋したそうだ」
鉄仮面の聖騎士、という単語に数人の訓練兵の身体に緊張が宿るが、すぐにそれは解けた。
聖騎士本人が、ここにいるわけではないからだ。
「今度は、どこかの農場で働かされていた子供をさらった隊商を、検問を通り抜ける直前で鎮圧したそうだ」
「へえ、すごいな」
「え?でも検問所にいたのはアーギュストさんの部隊で、鉄仮面の部隊は検問で抑えた連中を引き取りに来ただけだって聞いたぞ?」
「それは、鉄仮面の部隊の話だ」
話を切り出した訓練兵が、公式とされている噂話を訂正する。
「鉄仮面本人は伝令とともに先に飛び出して、投げ槍で隊商の魔物を仕留めたらしい。そして、アーギュストさんの部下がうっかり取り逃がした子供を、冷静に背後から槍を投げて…」
「…やったのか?」
「らしい」
彼の一言に訓練兵たちは顔を見合わせ、身を震わせた。
「いくらなんでも子供は、ねえ…」
「それに魔物って言っても、検問を通り抜けかけるぐらい人間みたいな外見の連中だろ?俺には無理だ…」
「やっぱり、聖騎士ってやつは普通の人間とはどこか違うのかねえ」
「いや、アーギュストさんの部下によると、さすがにアーギュストさんもドン引きだったらしい」
「つまり、鉄仮面だけが頭おかしいってことか」
「だろうな。あんな鉄仮面いつも付けてる時点で怪しいとは思ってたけどな」
「きっと鉄仮面の下は魔物の顔だぜ。でないとあんなに殺し回る理由なんてないだろ」
「鉄仮面の聖騎士が実は魔物とか、笑えねえよ…」
一同はその決着に苦笑いを浮かべた。
すると、練兵所の入口の方から声が響いた。
「やあみなさん、なかなか精が出ていますね!」
いくらかくぐもったその声に、噂話をしていた訓練はいは身を強張らせ、思わず顔を入り口に向けた。
すると、練兵所の入り口にやたら巨大な人影があるのを認めた。
質素なローブに身を包み、左半身と背中をマントで覆い、フードを被ったやたら肩幅の広い巨躯。
フードの下の顔を覆う鉄仮面こそ、つい最前まで彼らが噂していた鉄仮面の聖騎士、ウィルバーの物だった。
「ウィルバーさん、こんにちは!」
「はい、こんにちは」
入り口近くにいた、訓練の合間だというのに木刀で素振りをしていた、志の高い訓練兵がウィルバーに向けていくらかぎこちない挨拶をすると、鉄仮面の聖騎士は会釈とともにそれに応えた。
「ああ、皆さん。そうかしこまらないでいつも通りで結構です。ちょっと寄ってみただけですので、すぐ退散しますよ」
訓練の手を止める訓練兵に向けて、ウィルバーは構わないようにと告げる。
どうやら本当に、少しだけ立ち寄ってみただけらしい。
「どうか気にせず鍛錬を積み、立派な聖騎士や兵士、衛兵を目指してください」
「それで、ガキを槍で刺し殺すのか…全く、何のために聖騎士になったのやら…」
ウィルバーの言葉に、練兵所の片隅にいた一人が、思わずそう呟いた。
すると、不意にウィルバーがその巨躯の動きを止める。
「…今のは、誰が?」
ほぼ口の中で呟いただけの言葉が聞こえたのか、と訓練兵の一人が身を強張らせると同時に、ウィルバーが鉄仮面の覗き穴を彼の方に向けた。
薄暗い闇の中から放たれた鋭い眼光が、一直線に件の訓練兵を刺し貫く。
「っ!?」
「子供を槍で刺し殺した、と言うふうに聞こえましたが?」
肝どころか全身を凍りつかせた件の訓練兵に、ウィルバーはそう口にしながら距離を詰めた。
「それは、私が子供を殺したということでいいのでしょうか?そこのあなた」
「………」
十歩ほどの距離で動きを止めた巨体を見つめたまま、彼は身体を震わせぱくぱくと口を開閉した。
言葉を紡ごうにも、ウィルバーから滲む微かな怒りの気配が、限界まで引き絞られた弓矢に狙われているかのような錯覚を与えているからだ。
「どなたから、そのような話を聞きましたか?」
「…………う、噂話で、少し…」
震える舌を叱咤激励し、彼はそう言葉を紡いだ。
「なるほど、おそらく先日の件のことが話題になっているようですね。ですが、いくらか事実と異なる点があるようです」
視線の先の訓練兵だけでなく、その場にいる皆に対してウィルバーは語り始めた。
「先日の私の出撃について、どのように聞いていますか?」
「子供を誘拐した隊商を、検問所通過前に襲撃し、混ざっていた魔物を仕留め…逃げようとしていた子供を、その……」
「槍で殺した、と?」
「そ、そうです…」
「なるほど、そのように伝わっていましたか」
震え声でどうにか紡がれた噂話に、鉄仮面がうんうんと上下する。
「残念ながら、先日の一件はそのような勇者めいた武勇伝ではありません。検問所を通り抜けようとしていた隊商をぎりぎりのところで足止めし、抵抗する魔物に大人しくなってもらい、子供を一人逃がしかけたというところです。武勇伝と言うよりはむしろ、危うく子供一人を見失うところだったというところですね」
いくらか軽い調子で、彼は噂話の内容を訂正した。
「主神より賜ったこの身体は、魔物との戦いにおいては大いに助けられてきましたが、何と言うこともない行動に尾ひれがついて噂になるという点が厄介ですね」
「し、しかし…噂では…」
「あなたたち、その噂を鵜呑みにしたのですか?その話を聞いた時点で、私の部下か聖騎士アーギュストの部下に事実を確認しに行くべきでしょう。それとも、私ならそのぐらいやりそうだ、と思ったのですか?そうやって噂を鵜呑みにしていては、魔物がこの街に紛れ込んだ際にいいように操られてしまいますよ」
その場にいる、噂話を聞いたであろう訓練兵たちに向けて、ウィルバーはそう窘めるように語りかけた。
「確かに上官の言葉は絶対ではありますが、情報については常に疑い、確かめるべきです。よろしいですか?」
「は、はい!」
訓練兵は威勢よく、ウィルバーにそう応じた。
すると彼は一通り満足したのか、うんうんと顔を縦に振った。
「結構結構。では、誤解も解けたところで私は退散させてもらいましょう」
くるりと踵を返し、ウィルバーはまっすぐに練兵所の出入り口に向けて歩いて行った。
レスカティエの街を、ウィルバーの巨躯が歩み進んでいる。
その巨躯と鉄仮面に、彼の通りがかった先にいる人々は会話を止め、彼に目を向け、直後目を合わさないように慌てて顔をそむけた。
「デケエなあ…」
「やっぱりあの鉄仮面、魔物なんじゃないの?」
ウィルバーの背後から、ひそひそと交わされるごく低い声が聞こえた。
「槍で魔物どころか、異教徒の子供も突いて回ってるんだって?」
「聞いた話だと、異教徒の砦に火を付けて、慌てて飛び出してきたところを狙い撃ちにしたとか」
「俺が聞いたのは、この間捕まえた魔物の一団を死なない程度に槍で地面に縫い止めて、油をまいて火をつけたらしいぞ」
「人間じゃないのよ、きっと」
老若男女、様々な人の低い声が、ウィルバーの背中に投げかけられる。
皆聞こえるはずがないと思って呟いているようだが、ウィルバーには聞こえてしまう。
最も、彼にとっては人々の小声が聞こえることも、その内容ももはや慣れっこだった。
やがて、ウィルバーは街の入り口近くにたどり着いた。
見張りの衛兵や、行き交う人々が彼の巨体とその異様な風体に目を見開き、直接目を合わせまいと視線をそらす。
彼はそうやって行き交う人々の間に視線を走らせた。
「ええと」
「おお、ウィルバー!こっちじゃ」
道の一角から、ウィルバーに向けてしゃがれた声が投げかけられた。
鉄仮面が声の出元に向けられると、ウィルバーの視界に背の低い、年を取った僧侶が一人映った。
「院長、お久しぶりです」
「久しぶりじゃの、ウィルバー」
人の流れを通り抜け、鉄仮面の聖騎士は老僧侶の下に歩み寄りながら、そう挨拶を交わした。
「ここで立ち話もなんですから、私の部屋までご案内しましょう」
「それは助かる」
聖騎士と老僧侶は、連れ立って歩き出した。
「お変わりなさそうで何よりです」
「こう見えて膝だとかが痛むようになったんじゃがの…まあ、お前さんも変わりなく…いや、少し大きくなったか?」
「ええ、少しだけ、ですけどね」
倍近くも体格が違う二人が、朗らかに談笑しながら足を進めている。
その交わされる言葉内容や、声に宿る感情は、まるで久々に会った家族のようであった。
「それで、ウィルバー。噂話じゃが、なかなかの武勲を建てているらしいじゃないか」
「武勲ですか。まあ、噂話は尾ひれがついてはいますが、それなりに主神のご加護と部下の働きにより、活躍させていただいております」
「そうかそうか。話を聞いた時は、育てそこなったのかと不安になったぞ」
いくらか冗談めかした様子で、老僧侶はそう言った。
「まあ、お前さんの外見もあるし、多少事実が歪められるのは仕方ないかもしれんのう」
「多少任務に没頭しすぎる、と言うところがありますからねえ。それにほら、聞こえませんか?」
ウィルバーが建物の合間の路地を指し示すと、そこから風に乗って子供の声が響いてきた。
鉄仮面が来るよ
鉄仮面が来るよ
槍の聖騎士 鉄仮面が来るよ
魔物を槍で貫いて 旗の代わりに掲げるよ
魔物を槍で貫いて 筆の代わりに絵を描くよ
鉄仮面が来るよ 槍を持ってくるよ
「子供たちの間にはあのような歌まで広まっています」
路地から流れてきた歌声に、ウィルバーはマントに覆われた肩を軽くすくめて見せた。
「鉄仮面の聖騎士殿の歌か!伝説の勇者のようじゃな」
「伝説の勇者ならまだしも、あの歌は『人食い鬼が食いに来る』という歌の替え歌です」
「人食い鬼なぞより鉄仮面の聖騎士が怖ろしい、ということか!そんな聖騎士様がいる限り、レスカティエは安全だな!」
老僧侶はかかか、と笑った。
「ところで、遠くの音が聞こえるって特技は、未だに健在のようじゃな」
「…ええ、まあ。任務中に幾度も助けられました」
一瞬の間を挟んでから、ウィルバーは老僧侶の言葉に応じた。
「ところで院長、今回レスカティエまでいらっしゃったのは?」
「ああ、実は修道院近くに、魔物が住みついてな…近くの村の牛がさらわれたりしとるらしい」
「そんなことが…!?聖騎士の派遣依頼の提出は…」
「しとるよ。『現在聖騎士多忙に付き、後程派遣する』と言う返事が来たがの」
「なんと…」
豪商や貴族、高僧の警護のような任務が多いなか、このような重要度の高い案件が放置されていたことに、ウィルバーは声を漏らした。
「それならば私が…」
「いや、お前さんがうちだけのために動いても、根本的な問題の解決にはならん。もしかしたら、他にもこまっとるところがあるかもしれんだろう?」
老僧侶の言葉に、ウィルバーは己の考えが浅はかだったことを悟った。
「正直なところ、こっちの被害は時折家畜がさらわれるぐらいで大したことは無い。じゃが、悪質な魔物の襲撃があった時、人々が必死に聖騎士にすがろうとした時に、ああいう返事が来たら…」
人々の心のよりどころとして、教団や教会にそのような態度を取られたら。
「…状況を改善するよう、私から進言しておきます」
「うむ、頼むぞ聖騎士殿」
老僧侶と鉄仮面の聖騎士は、言葉を交わしながら歩いて行った。
レスカティエの中央部、教団関連の建物が並ぶ一角に、ウィルバーと老僧侶はいた。
そこは、ウィルバーに書類仕事をするための場所として与えられている一室で、部屋の片隅にはウィルバーの秘書の役目を受けている尼僧がいた。
「それでは、院長の一件の優先度を高め、早急に対処するようにしておきます。また、明日付で聖騎士の出動申請に対する優先度の割り振り改正について、改正案を提出します」
巨大な椅子に腰を下ろしたウィルバーが、事務机を挟んだ向かいに座る老僧侶に向け、書類を示しながらそう告げた。
「院長のご依頼については、明日にでも出発するつもりです」
「ああ、頼む。だが、わしが一番頼みたいのは…」
「ええ、聖騎士団がか弱き信徒の盾として働くよう、体制を是正します」
「頼んだぞ」
老僧侶は腰かけていた椅子から立ち上がった。
「では、今日はこの辺りで帰らせてもらおう」
「修道院までお送りしましょう」
「いや結構。来た時と同じく、乗合馬車で帰らせてもらう。何かあった時に、聖騎士の馬車が足りないとなったら困るだろう?」
「ははは、確かに」
「わしの見送りより、書類の作成を頼んだぞ」
「ええ。ではここで失礼させていただきます」
「うむ。お前さんも達者でな」
「院長もお元気で」
言葉を交わし、握手をしてから老僧侶は部屋の外へ出て行った。
「お疲れ様でした」
ウィルバーの事務机の傍らで、置物のようにじっとしていた尼僧が、そう彼に声を掛けた。
「疲れてなどいませんよ、イスタジア。むしろ元気な姿を見られて、安心したほどです」
尼僧、イスタジアに向けて、彼は鉄仮面に覆われた顔を向けつつ応じた。
「そうですか…ところで、あの方は?」
「ああ、紹介を忘れていましたね。私が幼い頃世話になっていた修道院の院長です」
ウィルバーの言葉に、尼僧は目を丸くした。
「幼い頃って…」
「あなたも噂で聞いたことがあるでしょう。『鉄仮面の聖騎士は生まれが定かじゃない』と。あれは事実です」
昨日の夕食について話すような口調で、彼は淡々と説明する。
「私は生まれて間もないころに捨てられまして。籠に入れられて川を流されているところを、とある川沿いの修道院で拾っていただき、育ててもらったのです」
「そ、そうだったんですか…」
今まで知らなかった上司の過去に、尼僧は身を強張らせていた。
「私を育てるか孤児院に預けるか、それとも再び川に流すかで、しばらくもめたらしいです。ですが、院長の『この子を人として育て上げることが、主神の与えたもうた試練だ』という一言で決着がついたそうです」
「そんなことが…その、すいません…」
親に捨てられた、というウィルバーの過去を掘り起こしてしまったことに、尼僧は思わず謝罪の言葉を口にしていた。
「謝る必要はありません、イスタジア。両親が川に私を流したからこそ、私は院長に拾われ、今ここで聖騎士として活躍できているのです。主神の加護や人々の厚意への感謝こそあれど、悲しみや憎しみはありません」
気まずそうにするイスタジアを、ウィルバーはそうなだめた。
「ですから、私にとって聖騎士の職務は、主神と人々の厚意に報いる天職なのです。ですが、聖騎士の力が正しく振るわれていないということが分かった今、我々がすべきことは一つです」
「聖騎士への任務の重要度付け制度の、改正ですね」
「そうです」
尼僧の言葉に、鉄仮面の聖騎士は頷いた。
「聖騎士は弱き信徒の盾であれ。この言葉が守られるよう、共にがんばりましょう」
「ええ」
イスタジアは、そう応じながら決心した。この聖騎士に付いて行くことを。
「さあ、忙しくなりますよ。私は緊急性の高い任務を、率先して達成します。イスタジア、あなたは公文書館で過去の任務命令書を確認し、どのような依頼と任務の重要度の記録をまとめてください」
「了解しました」
尼僧はそう応じると、一礼とともに部屋を飛び出し、駆けて行った。
12/08/19 18:55更新 / 十二屋月蝕
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