連載小説
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街道をゆっくりと幾台もの馬車が進んでいた。
石畳の凹凸に合わせて車輪が上下に揺れ、馬車全体が小さく震える。
だが、それなりにしっかりとしたつくりの馬車は、その程度の揺れは中まで伝わらなかった。
馬車の中に目を向けると、一台一台に様々な荷物が積まれており、行商の馬車列であることが分かる。
隊列の先頭、御者台に腰掛け手綱を握る男は、街道の先に白い物を見た。
「…検問か…」
男の目に映ったのは、街道を遮るように並んだ数台の馬車と、聖騎士と思しき武装した男女数人と数十人の兵士の姿だった。
「おい、後ろに伝えろ」
馬車の中に向けて御者が声を掛けると、荷台の中から小さな人影が起き上がった。
フードを被ったその姿は子供ほど大きさで、荷物の中の一際大きい木箱によじ登ると、後に続く馬車に向けて手を振った。
あとに続く馬車の御者が、前列からの合図に気が付き、荷台にむけて声を掛ける。
やがて、一行は検問の前に来ると、軽装鎧を纏った男の指示に従い進みを止めた。
「検問です。ご協力ありがとうございます」
並んでいた鎧姿の男女が、馬車の御者の下まで駆けより、そう声を掛けた。
「こちらに所属と積荷をどうぞ」
「はあ…何かあったんですか?」
差し出された書類とペンを受け取りながら、御者はそう尋ねた。
「ええ、実はとある農場から雇われていた農夫が集団失踪すると言う事件がありまして。魔物を見たと言う報告もあるため、こうしてご協力いただいているところです」
「なるほど、お疲れ様です…はい、どうぞ」
男はさらさらと書類を書きあげると、兵士にペンと共に返した。
「ありがとうございます…なるほど、積み荷は衣服類ですか」
にこやかに兵士は書類を読むと、そう尋ねた。
「確認してもよろしいですか?」
「…どうぞ」
かねてから雇い主に言われていたとおり、男は大人しく兵士の言葉に従い、御者台を降りた。
「失礼します」
兵士は御者に一礼すると、荷台に回りよじ登った。そして、積んである大小さまざまな木箱を一つ一つ軽く叩いたり、揺すったりした。
「ん?この子は?」
木箱の合間に身を縮めるようにして座っていた小柄な人物に、兵士が気が付いた。
「荷物の見張り番だ」
「なるほど。お疲れさん、荷台から降りて」
「……」
小柄な人物は兵士の言葉に、どこかビク付いた様子で木箱の間から出て、荷台を降りた。
「木箱を一つ開けても?」
「蓋を壊さなければ、どうぞ」
「ありがとう」
兵士は腰から短剣を抜くと、木箱の蓋の隙間に差し入れ、ぐいとひねった。蓋が持ち上がり、蓋を止めていた釘が抜ける。
「よっ…と」
兵士は蓋の隙間から木箱を覗き込んだ。中に見えるのは、適当に丸められた衣服ばかりだった。兵士は蓋の隙間から木箱に手を突っ込むと、衣類を掻きまわした。
「……問題無いようですね」
兵士は手を引き抜くと、蓋を元に戻した。
「釘が飛び出てしまいましたが、金槌か何かありますか?」
「いや、大丈夫だ。検問で開けられたと言う書類さえくれれば、向こうの客も納得するだろう」
「すみません」
兵士は荷台から降りると、御者とフードの小柄な人影に向けて一礼した。
「ご協力ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」
「ところで、その子は?」
どこかほっとした様子の御者に向けて、兵士は何気ない様子で尋ねた。すると、なぜか男の顔に幾ばくかの緊張が走った。
「…こいつは、二つ前の町で俺たちのボスがうちの隊商に雇ったんだ。両親と死に別れたらしくてね」
「なるほど、それはかわいそうに…教団の孤児院で引き取ることもできますが?」
「いや、その必要はない。こいつはうちの隊商で育てて、立派な行商人にするとボスが言っていた」
「そうですか…ところで、何でフードを被っているのですか?ああいや、恥ずかしがりだからとか先天的に日の光に弱いとか言う体質なら仕方ありません。ですが、ゴブリンなどの小柄な魔物をかくまっている例がありましてね」
にわかに御者の身体が強張り、フードを被った人物が御者の腰に縋りつく。
「フードを外していただけますか?短時間で結構ですので」
「……」
男が傍らの子供に視線を落とすと、つばを飲み込み小さく喉を鳴らした。
「分かりました…」
男はその場に屈みこみ、フードの人影と視線の高さを合わせた。
「フードを下ろすぞ。いいな?」
小柄な人物は御者の言葉に、小さく頷いた。
男はフードに手を掛け、そっと下ろす。すると、フードの下から緩やかにウェーブした短い茶色の髪と、子供の顔が現れた。
幾ばくかの緊張と恐怖の色の浮かんだその顔は、少年のそれだった。
「…失礼」
少年の顔の高さまで屈んだ兵士が、ひょいと彼の股間に触れた。
「わっ!?」
「ごめんよ。確かに男の子ですね。ご協力ありがとうございました」
納得がいったのか、兵士は少年に謝ると、にこやかに立ちあがった。
後方に目を向けると、他の馬車でも一通りのチェックが済んだのか、兵士が御者に何かを話しかけたり、御者が御者台に上っているようだった。
「検問は以上です。良い旅を!」
兵士が馬車から一歩引いて、そう男と子供に向けて敬礼した。
「…さ、乗れ」
子供にフードを被せると、御者は荷台に乗るよう促し、自身も御者台に上った。
そして、男の鞭の一振りに馬がいななき、ゆっくりと馬車が動き出す。
他の馬車もまた、それに倣うようにゆっくりと動き出した。
その時だった。
先頭の馬車の馬の目の前に、突然棒が一本生えた。人のふともも半ばまでの高さはあろうかと言う棒の出現に、馬が驚き前足を振りあげていななく。
「お、おい!」
御者が冷静を失った馬に声を掛けながら、思い切り手綱を引いた。だが馬の興奮は収まらず、目の前に現れた棒から逃れようと身をよじり、足をもつれさせた。そして、半ば馬車に支えられるような姿勢で、馬は転倒した。
「な、なんだ!?」
検問所の兵士達が驚愕する間に、後に続く馬車の側に棒が現れた。
馬の目の前にそそり立ち、あるいは幌を突き破って荷台に突き刺さり、あるいは車輪の前に現れた。
そこでようやく、一同がどこからか投槍が降ってきていることに気が付いた。
「緊急通達!緊急通達!」
馬車列の後ろ、街道の向こうから馬の足音と共に、朗々と響く大きな声が一同の下に届く。
「ブレッケン農場の一件で、いなくなったのは十代前半の男子ばかりだ!」
早馬で駆けて来た兵士の言葉に、検問所の聖騎士と兵士の間ににわかに緊張が走った。
「走れ!」
馬車列の間から、女の声が響き、御者たちが馬をなだめつつ走らせようとする。
だが、先ほど降り注いだ何本もの投槍のせいか、まともに動きだした馬車は数えるほどだった。
「奴らを止めろ!」
検問所の聖騎士が、抜刀しながら兵士達に号令を掛ける。
兵士たちは慌てて馬車を包囲し、動きを止めさせようとした。だが、兵士たちに向けて、馬車から人影がいくつも飛び降りた。
抜刀した男や、弓を手にした耳の長い女、剣を持つ鱗に覆われた尻尾の生えた女に、髪の間から角を覗かせる大女。
「魔物だ!」
「術か何かで人間に化けてやがった!」
兵士が、馬車から現れた異形の姿に、そう叫んだ。
異形の人影が、兵士たちに襲い掛かる。
リザードマンの女はスカートの裾を翻しながら剣の峰で兵士を打ち据え、オーガの女は馬車の荷台から取り出した大木槌を振り回して兵士をけん制する。そして、馬車の荷物の上によじ登った、耳の長い女が弓を番えては兵士たちの肩や足を的確に射抜いて行った。
馬が徐々に落ち着きを取り戻し、車輪の隙間に突き立っていた槍が引き抜かれていく。
このままでは検問所を突破されてしまう。
兵士や聖騎士たちが焦燥感に心を炙られるその瞬間、風切り音が辺りに響いた。
「あっ!え…?」
馬車の荷台に乗っていたエルフが、不意に短い悲鳴を漏らし、遅れて戸惑いの声を紡いだ。
見やると、つい先ほどまで兵士を一人また一人と狙っていた弓が、彼女の手の中から消えているのだ。
「あっ!」
再び風を切る鋭い音が響き、金属音とともにリザードマンの手から剣が弾き飛ばされた。
剣はくるくると回転しながら宙を舞い、少し離れた地面の上に落ちる。
「クソ…!」
リザードマンが謎の衝撃に剣を手放したことに歯噛みし、地面を蹴って転がる剣の下へと跳んだ。
だが、彼女の手が剣の柄に及ぶはるか手前で、三度目の風切り音が響き、彼女の目の前に一本の槍がそそり立った。
「っ!?」
突然現れ、地面に突き刺さる槍にリザードマンは全身を止め、とっさに遠のこうとした。だが、槍はリザードマンの両足の間、スカートの生地を貫いて彼女を地面に縫い止めていたため、身動きが封じられた。
「確保!」
一時的に動きを封じられたリザードマンに兵士が殺到し、組み付き、人数と体重で彼女をその場に組み伏せる。
「どこからだ…!?」
エルフとリザードマンの無力化に、オーガが木槌を振り回しながら辺りを見回した。
だが、検問所の側に身動きの取れる弓兵や、槍を手にした者の姿は無い。すると、彼女の目がある方向で何かを捉えた。
街道の向こう、馬車列がやって来た方向から、馬車が一台向かってきているのだ。
二頭立ての馬車は幌も何もついていない質素な作りだった。だが、荷台に乗っているのは荷物などではなく、大柄な人影だった。
異様に肩幅の広い体躯をプレートアーマーに包み、マントを羽織り、フードを被った何者かが、馬車の荷台から検問所と馬車列を見据えていた。
「あそこからか…?」
こちらに向かってくる荷台の人物の手にした槍に、オーガは思わずそう口にしたが、すぐに打ち消した。
ここからあの馬車までは遠すぎる。弓矢ならまだしも、槍を投げて届くはずがない。
そう彼女が内心で判断すると同時に、馬車の荷台の大柄な人物が、手にした槍を逆手に構えた。
槍を肩まで掲げ、右半身を引き、槍を投擲する構えを取る。直後、彼の全身が弾けるような速度で動き、右手に握っていた槍が『撃ち出さ』れた。
槍が、弓によって射られた矢のような速度で、オーガに向けて飛来してくる。
「!?」
まっすぐに、接近によって見る見るうちにその大きさを増していく槍に、オーガは思わず逡巡した。避けるか、受けるか。
だが、その逡巡が、彼女から数歩移動して槍を避ける間を奪った。
「っそぉっ!」
一か八か。彼女は手にした大木槌を掲げ、飛来する槍に向けて構えた。
そして槍の穂先が木槌に突き刺さり、木材を引き裂く。
「っ!」
まるで岩の塊を殴りつけた時のような重い衝撃が、木槌から彼女の手に加わる。衝撃を堪えきれなければ、木槌と一体となった槍が彼女の身体に激突してしまう。
同時に、木槌もまた木目を引き裂き食い込んでくる金属に必死に耐えていた。槍を受け止めきれなければ、木槌はいくつかの木片に引き裂かれ、オーガの胸に穂先が埋まってしまう。
一瞬の攻防がオーガの時間を延々と引き伸ばし、重い衝撃がオーガに槍を大木槌に突き立てぐいぐいと押し込む見えざる人物の姿を錯覚させる。
そして、木槌の亀裂が止まり、槍から衝撃が消えた。
ついに、槍を受け止めきったのだ。
「やった―」
衝撃が消え去り、槍の重みだけが木槌に取り残された事実にオーガが安堵を覚えようとした瞬間、彼女の腹部を何かが強かに打ち据え、呼吸を断ち切った。
「っ!?」
目に見えない同族に、腹を思い切り殴られたかのような衝撃に、オーガはくの字に身を折りつつ目を見開く。
すると彼女の視界に、荷台の上で石礫を弄ぶ大柄な人物の姿が入った。
石を、鳩尾に叩き込まれたのだ。
想起が付いた時にはすでに遅く、オーガの腹を吐き気と激痛が満たし、その全身から倦怠感と脱力感が力を奪い去っていた。
そして、オーガは手にしていた木槌を取り落し、その場に膝をついた。
「て、鉄仮面だ…!鉄仮面の聖騎士が来たぞ!」
「みんな、もうひと踏ん張りだ!」
あっという間に、リザードマンとエルフとオーガを無力化した事実に、兵士たちが湧きたった。
そして、未だ抵抗を続ける者を取り押さえるべく、兵士たちが駆け出す。
主力であった魔物の陥落に、隊商の面々の戦意はほぼ失われていた。
それから、兵士たちが隊商を制圧するのに、そう時間はかからなかった。



馬車の傍ら、街道の縁に何人もの人や魔物が座らせられていた。
いずれもロープで腕や上半身を縛り上げられ、兵士に囲まれている。
「これで全員だな?」
「……」
隊商のリーダー格だと思われる商人風の男に、兵士の一人が尋ねると、彼は小さく頷いた。
「確かに、ブレッケン農場で行方不明になった子供と同じ人数が、ここに揃っています」
「ご苦労」
「ご苦労様です」
兵士の報告に、二人の聖騎士が頷いた。
一人は検問所で兵士を指揮していた、若い男の聖騎士だった。
そしてもう一人が、先ほど馬車でやってきた、大柄な聖騎士だ。
遠目で見たとおり、その体躯は偉丈夫と呼べるほど発達している。だが、全身を覆う鎧と体の左半分から背中を覆うマントにフード、そして覗き穴が穿たれているだけの鉄製の仮面のお陰で、彼の姿は一部たりとも見えなかった。
「それで、こいつらと子供はどうしましょう?」
「どちらももうすぐ私の部下が引き取りに来ます。お手数かけますが、今しばらく見張っておいてもらえませんか?」
若い聖騎士の問いかけに、大柄な聖騎士は鉄仮面越しに応えた。
「アーギュスト殿。ご協力ありがとうございました」
「いえ、礼を言うのは私の方ですよ、ウィルバー殿」
大柄な聖騎士ウィルバーの言葉に、検問所の聖騎士アーギュストはそう応じた。
「あなたの伝令と助力が無ければ、とうの昔に検問は突破され、子供たちを保護することは出来なかったでしょう」
「私は、私に出来ることをしたまでです。感謝は、この身体を与え、検問突破に間に合わせてくださった主神に捧げてください」
アーギュストの感謝に、ウィルバーはその巨躯を折りながら応じた。
「それでは主神に感謝を」
「私も主神に感謝を」
身に纏ったプレートアーマーも、常人ならば身動き一つ取れなくなるほどの重量のはずだが、ウィルバーは革鎧でも纏っているかのように易々と歩き、会話に身振り手振りを交え、アーギュストに合わせて聖印を切った。
「ではウィルバー殿、あなたの部下が来るまで、すこし向こうでお茶でもいかがでしょうか?」
「それはありがたい」
アーギュストが僅かに先導する形で、二人は歩き出した。
「それで、奴らと子供たちの処遇は?」
足を進めながら、アーギュストは傍らの巨躯にそう問いかけた。
「子供たちについては農園ではなくレスカティエの孤児院に送ることにしました。あの農園では子供を無理やり働かせていたため、所有者が現在取り調べを受けているのですよ」
「なるほど。それならば彼らが子供をさらったのも納得がいきますね」
隊商に対するある種の共感を、アーギュストは覚えた。
「ええ、しかし方法が不味かった。単に子供をあの農場から救出するだけならば、教団などに申し出ればよかったのですよ。悪徳農場主の下からとはいえ、子供の誘拐はいただけません。『汝、盗人からも麦の一粒さえ奪うことなかれ』です」
「相手が悪人だからと言っても、悪行が許される理由にはならないということですね」
ウィルバーの聖典の一節の引用に、アーギュストは頷いた。
以前から、この偉丈夫の聖騎士に対し、アーギュストはある種の恐怖めいたものを抱いていた。
時折見かける度に印象に残るその巨体はもちろん、常に顔を覆う鉄仮面や、異民族を相手に戦い相手を一人残らずその槍で刺し貫いたという噂話。それらの全てが、周囲に近寄りがたい威圧感と微かな恐怖を振りまいていたのだ。
だが、アーギュストは今初めてウィルバーと対話して分かった。彼もまた、ただ敬虔で理性的な神の信徒にすぎないのだ。
「おい、そこのデカブツ」
捕虜たちの前を通り過ぎていくうち、不意に二人の聖騎士に向けて声が掛けられた。
「私のことですか?」
「お前以外にあたしよりデカそうな奴がいるか?」
縄で縛りあげられ、道に腰を下ろすオーガが、ウィルバーに向けて敵意の籠った声でそう応えた。
「このクソ聖騎士が、遠くから攻撃しやがって。サシでの殴り合いなら絶対負けないぞ」
「おお、それは恐ろしいですね。あなたがこうして大人しく座っていらっしゃるのは本当にありがたい」
皮肉でも何でもなく、どこか穏やかな様子で、ウィルバーはオーガの言葉に応じた。
「もっとも、あなたならば縄を引きちぎって暴れ出すことも可能でしょうが、あまりお勧めはしません」
「聖騎士が二人に、部隊が控えているからな」
アーギュストがそうオーガに念押しした。
「そうか…だったら、せいぜい邪魔させてもらうよ…!」
直後、オーガが縄を引きちぎりながら立ち上がり、ウィルバーに掴みかかった。
「ウィルバー!?」
「おら、クソガキ!逃げな!」
アーギュストが驚く傍ら、オーガが隣に座っていた子供に向けて声を掛ける。すると、彼女の隣に座っていた子供が立ちあがり、身を縛るように身体に巻き付けていた縄を捨て、走り出した。
「あ、待て!」
兵士が声を上げて駆け出そうとする。しかし、縄に縛られた御者や商人が、兵士に体当たりして、子供の追跡を阻んだ。
「この!放せ!」
「誰か、あの子供を取り押さえろ!」
逃げていく子供を追おうとする兵士と、拘束されながらもそれを阻む隊商の面々。
離れた場所にいた兵士が駆けだしが、子供の足は早く、兵士が追い付くより先に少し先の盛りに逃げ込まれそうだった。弓兵が矢を弓につがえるが、射放つかどうかアーギュストに目を向けた。
アーギュストの命令ひとつで子供を射抜くことは出来るだろう。だが、そんなことが許されない。
「うぅ…」
指示を下すべきか否か、迷うアーギュストの傍ら、ウィルバーが自身に組み付くオーガに向けて口を開いた。
「ちょっと、大人しくしてくださいね」
彼のマントの下から、小手に包まれた左手が現れる。その左手は、右手より二回り以上は大きく、籠手だけを見れば巨大な彫像か何かの一部分にしか見えないほどであった。
彼は左手をオーガの肩口に乗せると、ぐっと力を込めた。
「あが…!」
オーガの口から低いうめき声が漏れ、その身体がウィルバーから離れる。
見ると、彼女の肩にウィルバーの指が食い込み、強烈な力で肩を握りしめ、押しやっているのが分かる。
「はな…せ…!」
オーガが自身の肩を掴む巨大な左手に手を掛け、懸命に引きはがそうと呻いた。だが、万力のような力で肩を挟み込む五本の指は、オーガの握力をもってしてもびくともしなかった。
「次はあの子ですね」
左手に加わるオーガの力がどうということもないかのような声音で、森へと駆けていく子供にウィルバーが鉄仮面を向けた。
彼の右手がマントの下に消え、一本のごく短い投げ槍を取り出した。鉄仮面の聖騎士は穂先が小指側に来るよう逆手に握り、肩口まで掲げて腕をたわめた。
「ウィルバー殿…!」
「静かに。外してしまいます」
アーギュストの声に低く応じ、一瞬の間をおいてから彼は槍を投擲した。
弓から放たれたかのような勢いで矢が飛び、懸命に走る少年の右脇腹の辺りを刺し貫いた。
「っ!」
少年が転倒し、オーガが、兵士に組み付く虜囚たちが、声にならぬ悲鳴を迸らせた。
「…よしよし」
「ウィルバー!あなたは…!」
まっすぐにのばしていた腕を下ろし、満足げに頷く巨躯に、アーギュストは継承も忘れてその名を呼んだ。
「子供を、槍で…!」
「ああしなければ森に逃げ込まれ、その捜索に多くの時間を費やしてしまいます」
倒れ伏した少年の下に駆けよる兵士を見ながら、彼は続けた。
「それにほら、騒ぎも落ち着いたでしょう?」
兵士に組み付き少年の逃走を助けようとしていた隊商の者たちは、彼の言葉通り静まり返っていた。鉄仮面の聖騎士がどういう人物なのか悟り、次は自分かも知れないと思っているからだろう。
「そこのあなた」
「はい!?」
ウィルバーの呼びかけに、兵士の一人が上ずった声を上げる。
「このオーガをもう一度縛り直してくれませんか?今度は容易に引きちぎられるぬよう、しっかりとお願いします」
「りょ、了解しました!」
兵士はびしりと姿勢を正して応じると、すぐさまロープを取出し、肩の痛みに顔をしかめるオーガに近づいた。
同時に、子供を追っていた兵士たちも、倒れ伏す子供の側にたどり着いた。
「い、生きてます!傷もなく、失神しているだけです!」
横たわる子供を検分した兵士が、アーギュストの方に向けて声を張り上げた。
「無傷…!?」
確かにウィルバーの放った槍は、少年の右脇腹を貫いていた。
「衣服を打ち抜いて転倒させました」
アーギュストに向けて、ウィルバーがそう説明する。
「ゆったりとした衣服を着ていてくれたおかげで、簡単に狙いが定まりましたよ。もっとも、彼が気絶してくれたのは神のご加護とも言うべき偶然ですが」
ウィルバーの説明に、一同の胸中を安堵感が満たしていく。
「そういうことでしたか、聖騎士ウィルバー…てっきり槍で突き殺すかとばかり…」
「ははは、罪もない子供を高々この場から逃げたぐらいで殺めはしません。ですが…」
瞬間ウィルバーの右手が翻り、再び縛り上げられたオーガに向かって突き出された。
彼の手には投げ槍が握られており、その穂先はオーガの顔面、指一本の幅ほどもない距離まで迫っていた。
「次はありません」
突如目の前に現れた投げ槍に、オーガのみならず、周囲にいる兵士や隊商の御者、そして聖騎士アーギュストの肝が冷え、皆同じことを悟った。
この男は、言葉通りに動くと。
「…おお、私の部下が来たようですね」
鉄仮面の向きを変え、街道の向こうに視線を向けたウィルバーが、そう口にした。
そして、彼は投げ槍をおろし、マントの下に戻す。
「……」
ウィルバーの槍裁きや言動に圧倒されつつも、アーギュストは内心、彼はウィルバーに対する認識と噂が正しかったことを痛感した。
聖騎士ウィルバーは化け物である、と。
「聖騎士アーギュスト、虜囚の連行まで協力お願います」
「あ、ああ…分かりました…」
ウィルバーの言葉に、アーギュストは頷いた。
12/08/18 23:40更新 / 十二屋月蝕
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■作者メッセージ
聖騎士ウィルバーの活躍は、魔王の交代前後が主である。
なお、本作品はいずれ出すであろう小説本から、いくつかエピソードを削ったものである。

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