チャプター2
「……あ……だ……」
ノイズの中に話声らしきものが混じり、映像に色が戻った。
映り込んでいる背景から見て、どこかの病院の一室らしい。
病室のベッドの上には憔悴しきった顔の少年、史郎が半身を起こしている。
「あんな事があった後にすぐに話をしてくれて……ありがとう」
映像には映っていないが、その声は史郎の家が襲撃された夜に突入した部隊の隊長ものだ。
(それにしては……)
先の記録映像と違ってカメラの画像は荒く、隊長の動きに合わせて焦点も大きくブレている。
(これは隠し撮りか……位置から見て、バッジか階級章のようなものに知らぬうちにカメラを仕込まれたようだな)
羽倉はそう推察した。
隊長自身が隠しカメラを用いて撮影している可能性もあるが、もしそうなら、幼い史郎に気取られることなく精度の高い映像を収めるくらい造作もないだろう。
しかし、彼女の挙動はカメラの存在を意識しているようには思えず、声から感じられる気遣いにも嘘はないようだ。
(と、すれば、一連の情報を記録していた人物はやはり現世にも深く通じていることになるな……)
「それで…な……まだ君に伝えておかねばならない事があって……」
(…?)
それまで傷心の少年に配慮しながらも明朗に話をしていた隊長が急に言い淀んだことで、羽倉の意識は再び映像に集中する。
「たしか…君のご両親は建築設計の仕事で各地を周っているのだったね……」
すでに調べは付いているはずの事柄にしては、やけに歯切れの悪い問いかけ。
「うん」
問われた史郎は困惑を浮かべる様子もなしに頷く。
両親は仕事が忙しく、普段からなかなか家に帰ってこないのが常だった。
今回もまた、すぐにはここに来られないという知らせだろう、という予想は
「実は……昨日、君のご両親が事故に巻き込まれて亡くなったそうだ」
最悪の形で裏切られた。
「えっ?!」
少年は半ば反射で顔を上げ悲報を告げた相手を見返したが、隊長は、つい、と顎を引き手元の資料を見下ろしてしまう。
結果、少年の視線は誰にも受け止められることなく彷徨うことになった。
「うそ……」
「昨日、他県のトンネル内で複数台の車両が絡む事故があって……その中にご両親の車両が含まれていたそうだ」」
隊長は資料の内容を抑揚のない声で冷静に読み上げる。
だが、彼女の心情は真逆で、ともすれば手に持った資料を破り捨てて部屋の外へ逃げ出してしまいたいほどの激情に満ちていた。
少年の身に余る理不尽な運命に対する怒りを、魔物娘と伴侶たちの幸せを守る者としての矜持によって辛うじて押さえつけている。
「ナンバーによって車両の特定はできたが、損傷が激しい上に全焼していたため遺体の確認については……いや、すまない……」
ただ、自身の内情に気を取られていた彼女は、当初は言わぬつもりであった部分までを読み上げてしまう。
ようやくに資料から視線を引きはがして正面を見たが
「うぅ……ぅっ……」
彼女の視界に少年の姿はなく、ベッドの上で丸まり微かに震える白い掛布団が見えるだった。
その下から漏れ出てくる小さな嗚咽が、喋る者のいなくなった部屋の中にはよく響いた。
「……すまない」
布団に包まったままの史郎に再度、隊長が詫びる。
それと同時にカメラの位置が高くなった。
泣き声をこらえ続ける少年に配慮してか、あるいは自身が居たたまれなくなったためか、隊長は席を立ち、部屋を出た。
映し出された廊下には一人の女性警官が立っており、
「宮笠…来ていたのか」
彼女、宮笠志保(みやかさしほ)は
「城木隊長……すみません、辛い役をおまかせしてしまって……」
呼びかけた相手、隊長こと城木千砂(しろきちさ)の姿を見るや頭を下げた。
史郎の家に突入した部隊の中で、結界の形成と転送魔法を担当していた隊員だった。
実のところ、現場で保護され、ほどなく意識を取り戻した少年から事件当初の様子の聞き取ったのも、その両親が事故で亡くなったという知らせを受けたのも彼女だった。
本来ならそのまま彼女が続く聞き取りを行い、両親の訃報を知らせるのが順当な流れなのだが…
隊長の許へ途中報告を行った際のこと。
「……この報告書では不十分だな」
報告を受けた隊長が、唐突にそう言い出した。
「…は?」
珍しい事だった。
隊長である彼女は問題点を的確に指摘して改善する性格で、不十分、などという曖昧な表現を使うことなどついぞなかったからだ。
「再度の聞き取りは私が行う。その際に両親のことも伝えておこう」
「…!」
ようやく隊長の意図するところに気付いた。
幼い少年に悲報を伝えるという辛い任を隊長自らが引き受けようとしていることに。
「…ですが、それは……」
部下の言葉を聞くよりも先に彼女は椅子から立ち上がり、とっとと部屋を出ていってしまった…
かくして部下である彼女が廊下で待機し、隊長自らが少年に悲報を知らせる役を担った。
「本来でしたら自分が……」
「気にする事はない……私から言い出したことだ」
宮原の謝罪に応えながら、隊長は廊下に背を預けて深い息を吐いた。
部下に嫌な役目を負わせずに済んだ。
だがお世辞にも、自身の方が部下より上手くやれたとは思えない。
(肝心な時に……励ましの言葉をかけることはおろか、目線すら合わせられないとは……情けない)
そんな彼女の自責を追い立てるように
「うぁわああああ!」
部屋の中から堰が切れたような少年の泣き声が響いてきた。
「…隊長、今日はここまでにして、また後日に…」
「あぁ、そうだな…」
二人が脇に抱えていた帽子を目深に被り直し、廊下を歩きだしたところで映像は途切れた。
再び砂嵐に覆われた画面を羽倉が無表情に見つめる。
数秒置いて、羽倉の眉間にしわが寄った。
(そうか……史郎の両親までもが……)
史郎は自身の両親について、羽倉を含めた身近な人全員に、出張が多く滅多に帰ってはこない、という説明をしていた。
おそらくは過ぎてしまったことで無用な心配をかけたくないと配慮したのだろう。
(水臭いなどという資格は、私にはないか……)
沈痛な思いから意識を引き剥がすように顔を天井に向け、深いため息を吐いて思考を再開させる。
「黒い獣……」
口をついて出たのは史郎からも聞いていた、彼の人生を歪めた異形の存在。
「魔物とも思えないが、何らかの魔力を帯びた存在であることは確かだな…
」
画面に映り込んでいた、隊長が手にしていた報告書。
それによれば、史郎の自宅内はかなりの威力と衝撃で破壊されていたにも関わらず、同じ獣からの攻撃を受けた少年の腹部に目立った外傷は無く、精のみを奪われたらしいという分析が記されていた。
その点からすれば魔力自体は現代魔王の影響を受けているようだが、容姿にしろ凶暴性にしろ、それ以外の要素はまるで旧魔王時代の魔物そのものだ。
ザァ
「ぅぁぁぁ……」
思慮に耽る羽倉の前で、画面の砂嵐が途切れ、再び映像と音声の再生が始まった。
「…?」
しかし、そこに映し出されているのは先ほどの病院の廊下であり、音声も部屋の外に響く史郎の泣き声だ。
右下に表示されている日付と時刻に目を移せば、先ほどの映像とほぼ同時刻を示している。
おそらくは、先の二人が立ち去った直後を見計らい、別の何者かが撮影を開始したらしい。映像の揺れからしてやはり盗撮だろうと解るが、映像は先のものよりはるかに鮮明で安定している。
(タイミングからして隊長に隠しカメラを仕掛けたのと同一人物だろう)
その撮影者は迷いのない歩調で廊下を進み、史郎の病室の前に立つと、少年の泣き声が響くなか扉を無遠慮に開け放った。
「失礼」
開けると同時に放たれた、事務的な声。
「…!」
その声を聞いた羽倉が怒りとも嫌悪ともつかぬ表情を浮かべた。
男にしては少し高く、抑揚の乏しい声色。
この声は教会で戦った女性騎士、メアリに施された暗示を解く際にも耳にした。
彼女に指令と暗示を与えた男と同一の声だ。
そして
羽倉のもとから一冊の本を盗み出し、史郎と羽倉が戦いに身を投じる原因となった男の声でもある。
「ひぅ!」
誰もいなくなった部屋で布団に包まり泣き叫んでいた少年は、突然、無遠慮に入室してきた何者かの声に怯み、悲鳴を飲み込んだ。
来訪者の男は布団に包まったまま少年を意に介した風もなく喋り始める。
「僕は……そうだな、怪物退治をしている者、とでも言えばわかってもらえるかな。だから君の身に起きたことをみんな知ってる……君を襲った獣を退治する方法も」
「……!」
男の言葉を受けて布団が小さく跳ねた。
「話によれば君はあの獣に傷を負わせて追い払ったそうだね。今までにない珍しい事例だ」
男は一旦、話を切る。
反応を伺っているらしい男の前で布団から少年が顔をのぞかせた。
泣き腫らして真っ赤になった目が、訝し気な視線をこちらに向けているのを確認したらしい男は再び話を再開した。
「かの存在と初めて接触し、生還した貴重な者として君を招待したい」
招待したい。という男の意図するところが解らず少年は訝し気な目線を返す。
「端的に言えば、私と一緒に来て研究に協力してもらいたい。その代わりに化け物を殺すための力を君にあげよう」
「え?!」
「私の研究はそれを可能にする段階まで来ている。まあ、すぐにとはいかないだろうが、君ほどの素養があれば申し分ない」
(僕が、アレと?……っ!)
途端、少年の小さな体がベッドの上で跳ね上がった。
赤い目、黒い巨躯、獰猛な声。
愛する者を眼前で食い殺された衝撃。
あの獣ともう一度自分が対峙すると考えた瞬間、これから一生忘れることができないだろう光景が蘇り、凄まじい恐怖となって全身を走り抜けた。あの獣と自分が戦うこと、ましてや殺すところなど想像すらできない。
「……」
体を丸めて震える少年の様子を伺っているのだろうか、男はしばらく無言だったが、一つため息を吐くと再び話し始めた。
「せっかくだ。こちらが掴んでいる獣の情報も教えてあげよう。今まであの獣が襲ったのは決まって……幼い少年だった」
震えていた少年の耳にその言葉が届いて数秒、
「……ぇ」
下を向いたままの少年の口から声ともいえない掠れた音が漏れる。
その声色には、戸惑いと同時に、予感めいた恐れが宿っていた。
自分が狙われていたことへの戸惑い、
そして今、自分だけが生きている理由を知る事への恐れが。
(この男っ……!!)
画像を黙って見ていた羽倉の内に激烈な怒りが湧き上がる。
そこに映っている、男の、顔。
カメラの正面、少年のベッドの向こうには窓があった。
時刻は日没、窓は光の加減でまるで鏡のように室内の様子を反射しており、そこには不鮮明ながらも男の姿が映り込んでいる。
少年の掠れた息を聞き届けた時、おそらくは少年の恐れを感じ取ったのだろう男の口元が僅かに歪んだ。
笑みの形。
嗤っている。
窓に映った姿は不鮮明だが、それだけは断言できた。
画面の中では羽倉の怒りに関係なく男の言葉は続いていく。
「そう。獣の狙いは君だった」
(僕……?)
「ところがお姉さんに邪魔され、君は部屋に閉じこもってしまった。そこでまずは君のお姉さんを排除したらしい」
(僕が……逃げたせいでお姉ちゃんが……)
「ちなみに君から反撃を受けた獣が次に襲った相手は君の両親だ。警察は君に伝えなかったようだが、事故車両には明らかに獣の攻撃でつけられただろう爪痕と魔力の痕跡が残っていた」
「……僕の……せいで……」
少年の体が小刻みに震え出した。
男の言葉は氷水の冷たさをもって浴びせられ、幼い体と心を容赦なく凍えさせていく。
「君の予想外の反撃を受けて逃げ帰った後、どういう訳で君の両親を襲ったのかは定かではないが……手負いの獣らしく獰猛になっているところで君と似通った臭いのする存在に遭遇したからか……」
男はひとしきり思案にふけった後、ふむ、と誰にでもなく頷くと
「さて、ではどうする?」
小さな体を更に丸めて震える少年に問いかける。
「家族の仇討ちでも、次の被害者を無くすためでも、理由はなんでもいい……私と共に来て戦うか……あるいは」
仇討ち、正義、戦い、そのどれも理解できない。頭の中で感情がぐるぐると渦を巻いて一向にまとまらない。
それでも。
「あるいは……もう誰も帰ってこない家に独りで戻るか」
ひとり。
じぶんは、ひとりぼっちになった。
そのことだけは理解できた。
真っ暗な家に、自分だけが、ポツリといる光景が脳裏に広がる。
孤独になった実感のみが黒い水のように湧き上がり、心がその中に沈んだ時、少年は丸めていた体を広げ、男の顔を見上げた。
すでに夕日は沈み、蛍光灯に照らされた室内で、その顔は異様に白く映り、充血した目と涙の跡だけが痛々しいほどに赤い。
数秒して血の気のない唇がかすかに動く。
「ぼくを……つれていって」
自棄、諦観。
それら幼い心には不釣り合いなほどの暗い感情が、言葉になって滲みだした。
もう、どこでもいい。
せめて、ひとりにならないところに。
「では、行こうか」
即座に応えた男の声は沈痛な響きを含んでいる。
おそらくは少年が向き直る前に先ほどの嗤いを引っ込め、それらしい声と顔を取り繕ったのだろう。
病室の壁に手を押し当てると転送式の魔方陣が展開し、青白い光に照らされながら少年を手招いて先へ行くよう促した。
「ぅっ」
その青白い光と文様とは、姉を喰らった獣が消えていく時を思い出させたが、少年は硬く軋んだ体を無理やりに動かして光の中へと進ませる。
全身が光に飲み込まれる寸前、少年は振り返った。
その目には、今までの事が全て嘘であってほしいと、振り返ればそこに、いつもの日常が戻っているのではないか、という淡い期待が宿っている。
だが、眼前にあるのは、
頼りになる父も、優しい母も、大好きな姉も、誰一人いない真っ白な病室。
わかっていた、そんなわけはない、と。
白い病室を見る目から期待という光が消え、暗く虚ろになった。
小さな背中を男の手に押されて少年の姿が消えていき、後に続いたカメラの映像も青く染まって途絶えた。
ザー……
砂嵐に覆われ雑音を流すだけになった画面を、羽倉は身じろぎもせずに見つめ続ける。
(……これで終わりではない)
なぜかわからないが、そんな確信めいたものが羽倉の胸の内に湧き上がった。
もしそれの直感が当たっているのなら
(次の映像こそが、私が犯した罪の証明に違いない……)
ならば、今の自身に出来る事はひとつ。
目を逸らさない事だけだ。
自らの生み出した罪がどれほど醜悪な様を映し出すとしても。
18/11/27 23:58更新 / 水底
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