連載小説
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チャプター3
真っ暗な画面に


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「魔物との戦闘及び対抗処置実施、それに伴う魔力供給量安定確保等における研究課題」
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と題された黄緑色の電子文字が浮かび上がり、それに続いて所狭しと数字とアルファベットを振られた項目が表示されていく。


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「男性のインキュバス化による身体機能向上の原理解析と利用法の分析」
「神の加護を伴わない人工的能力上昇の発現及び、発現状態維持の探索」
「男性人体の精力増産と体外魔力発生術式、発生器具、量産方法の開発」
「魔力浸透防止結界による使用者のインキュバス化防護処置術式の実験」
「非インキュバス化の維持と並行可能な魔力戦闘術式の発動方法の実現」
「各項目の開発と実用化に向けての魔力供給源の確保と増産体制の確立」
etc
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やがて画面を埋め尽くしたそれらはおそらく、男が検討していた研究課題の羅列。


数秒後に文字が消え、再び黒い画面に新たな文字列が表示され始める。

今度の内容は、研究に対しての考察の記述。


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魔物という存在に対抗するため、薬物や魔法、訓練など、あらゆる手段を用いての肉体の強化、精神の安定を試みてきた。
それらが一定の効果を示して定着すると、実験内容、研究の段階は「魔法施術」へと移行していった。
生物としての枠を越えて魔物に近づき、尚且つ、人間としての肉体を失わないための実験。
魔物と戦う<教団>に所属している以上、魔物を上回る戦闘能力を持つ<人間>であることは必然となる。
現時点ではその代表となるのが、神の加護に護られた勇者と呼ばれる存在だ。
しかし、神の加護は誰しもにあるものではなく、また、勇者となってからも尋常ならざる鍛錬を求められるため、結果、人類は圧倒的な戦力不足に常に悩まされている。

そこで魔物との戦闘で優位を保つ人間を人工的に創り出す研究を始めた。

これらの研究が確立できれば、神の加護を得た勇者という、限られた存在に依存することなく、安定的に強力な戦力を生み出すことができる。

同時に、大規模な魔法を単独で発動できる魔術師の確保や、兵士の魔法武器の強化、増産、補充に必要となる、膨大な魔法エネルギー(その源となる精)を生み出し供給できる魔法力増産機の如き人間を創り出すことも可能となるだろう。
精力を多量に保有する人間の運用は補給のみならず、魔物を作戦領域まで誘引する囮として配置するなど、戦略の幅を広げるためにも役立つはずだ。

ただ、この研究は秘密裏に行う必要がある。
人工的な勇者の創出、家畜の如き精力増産用の人間の創出は、教団の信仰に限らず、一般的な倫理観でも批判され、否定される可能性が高い。
また、膨大な研究データを得るためには多様な人間を被検体にしての実験が必要であり、その実験の多くは望む結果に終わることなく<終了>することは避けられない。
だが、偉大な発見に犠牲は付き物だ。
秘密裏に、非合法な手段で、一般的な倫理に反する行為だとしても、今回の研究の成功は、人類対魔物の戦力比を大きく傾けるだけの将来性を秘めており、世界の理想を実現に導くものであると確信している。
etc
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長い。

気が遠くなるような長文が、常人には読み飛ばしているようにしか思えない速度で画面上を流れては消えていく。
それを羽倉は瞬時に読み、理解していった。

知に特化したリッチならではの芸当といえよう。

読み進める中、
綴られる内容は次第に研究に対する苦悩へと変わり始める。


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これまで実験に用いた被験体は一般人の男性にはじまり、高位の力を宿した騎士、魔術師など多様だ。

教団に所属していて情報が得やすいにしても、彼らを非合法、秘密裏に捕獲することは骨が折れた。

だが、そのように苦心して集めた被検体へ施した実験内容のいずれもが完成することなく、成果とも呼べないような結末を迎えていた。

身体機能や精神機能が一般的な人間の基準を著しく上回っている人種を潤沢に用いたにも関わらず、これらの実験は開始直後こそ、ある程度の効果を発揮するものの、すぐにその優位性を失ってしまった。

具体的に記せば、
インキュバス化を防ぐために魔力を<纏う>形での戦闘術式の発動に成功しても、魔力の源となる精力が急速に枯渇してしまい術式を維持できず、結果、戦闘術式を発動直後に魔物化を防止するための術式が崩壊し、実験体がインキュバス化してしまうのだ。教団に従事するべき、あくまでも人間の兵士を創出することを目的とする以上、この時点で実験は失敗である。

あるいは、精を元として体外に発生させた魔力を防ぐ術式を維持できたとしても、その魔力を戦闘に利用するだけの余力がなく棒立ちになってしまう者もいた。そのまま観察を続けたが、結局は数時間後に体力と魔力の限界に達し結界が崩壊、前述と同様の失敗に終わった。
この事例では戦闘の前段階である、結界の維持のみに総力を注いだにも関わらず、維持できた時間が短すぎるという不本意な結果を残した。

これらの失敗の主な要因は、術式の発動後、術式を維持するだけの精力の生産と供給が間に合わないことだ。
術式の発動前に潤沢な魔力を有していても、消費する精力の量に対して、回復する精力の量が圧倒的に少なければ戦闘はおろか、術式の維持すらままならない。

試行錯誤を重ね、幾度も繰り返した実験のことごとくが「理論上は可能だった」という、なんとも陳腐な結論に終始した。

理想に届く遥か手前で実験に失敗した<被験体>に関しては、研究に用いる精の供給源として再利用できたことは幸いだった。
だが、3日間の休息をおいての「供給開始」時における生産量は、一般人から生産される平均値を大きく上回るものの、すぐに精が枯渇してしまうために数分で供給量の値が急速に低下する。
よって生産される総量は少なく、研究に用いる装置の動力量にさえ遠く及ばない。

頓挫し続ける実験により浪費される資源と時間は膨大なものだ。
本来の研究はおろか、教団本部へ表向きに伝えていた研究内容に対してすら成果を一向に示すことができず、具申していた研究費、研究材料の供給も大幅な削減となり、一時は研究の凍結寸前まで追いやられた。
etc
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そして、始まった。

羽倉にとって、最も見たくない記述。

羽倉が決して、目を背けてはならない事実の開示。


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頭を抱えていた時、まさに天啓ともいうべき閃きがあった。

「魔術のことなら、魔物に聞けばいい」と。

そして、その天啓に導かれるが如く入手した<とある書物>により、膨大な現魔王の魔力の影響下における魔術の知識を得ると同時に、自身の重大な欠点に気付かされた。

自分に最も不足していたのは知識でも素材でもない。

発想だと。

身体機能や精神機能が一般的な人間の基準を著しく上回るまで「成長した個体」を選ぶのではなく、
身体機能や精神機能が一般的な人間の基準を著しく上回るまで「成長させ」ればいいのだ。

人類のうち、精の生産、運用において最も優れた成果を示す能力と成長力を秘めた者。

すなわち、

少年。


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その文字が消えた直後、

今度は突然<映像>が画面に浮かび上がった。

高い位置から撮影した映像を中心に、対象の表情や手先の動きまでわかるよう、別角度から撮影した子細な映像も画面端に表示されている。

現代で言うところの監視カメラの映像に近いものだ。

白色の人工的な光に照らし出された、灰色の部屋。
床に赤黒い塗料で描かれた魔法陣。
その中心に立つ薄い水色の病院着を着た少年。
画面の端に表示された枠の中に映る、不安げな表情。


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カチリ……


映し出された光景はしかし、縦に並ぶ二本の棒が映像の上に浮かべたまま動きを止めた。
羽倉の指がマウスを操作し、一時停止をしたためだ。

「……」

映像を止めた羽倉は無言でパソコンから目線を逸らし、両手で自身の肩を掴む。交差した両腕に豊満な胸が挟まれて息が詰まった。

「……」

触れた肩は素肌がむき出しで、ひどく冷たい。

その段になってようやく、異界での戦闘が原因で服が燃え、自身が衣類を何も身に付けていないことを思い出した。

羽倉の視線がパソコンの画面から逸れ、部屋の隅に備え付けられているクローゼットに移る。
が、
結局、視線を戻し、立ち上がることのないままに椅子の上で術式の呪文を呟くと、淡い光と共に羽倉の身がスーツと白衣に纏われた。
自室のなかには魔力の回復を早める術式も仕込んであるため、戦闘で失った魔力も徐々に回復しつつある。

だからいって僅か数歩の距離にあるクローゼットに向かう労力を惜しんで魔力を消費するのはあまりに非合理な行い。
しかし、

(一度、この画面の前から逃げてしまうと、戻ってこられない)

それが羽倉の、本音だった。

「……」

衣類に包まれてもまるで温まらない体から引き剥がすように腕を伸ばし、マウスを握り、深く、長く、息を吐いた。

………………カチリ……

静かな音と共に再び動画が動き出す。

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少年は困惑していた。そして怖かった。

見た事もない獣に襲われ、目の前で姉を喰われた。
同時に両親ともに失い、その原因は自分があの獣を傷つけた事が原因だと知らされた。
自分が先に喰われていれば、自分が余計な事をしなければ、姉も両親も死なずに済んだのではないか。
自分が、かわりに、死んでいればよかったのではないのだろうか。

自らを苛み続ける後悔、日常の要が欠落したことによる不安、様々な負の感情とまとまらない思考のなかで、少年はすがる思いでここに来た。

学校に行けば、友達もいる。
先生も、近所の人たちだって、きっと気遣って優しくしてくれるだろう。

それでも、少年にとって一番かけがえのない人たちは、もういないのだ。

その
大切な家族がいないままに進んでいく日常に戻る事が、
誰もいない家に帰る事が、
毎日毎日、二度と戻ってこない家族のことを思い出す事が、
あまりに怖くて、仕方がなかった。

できることなら全てが夢であってほしい。
すべて忘れてしまいたい。
そう願った―――



―――「そうか」

嗚咽を漏らしながら今の心情を話した少年にかけられた言葉は、その一言。

少年に今の気持ちを話すよう促し、にもかかわらず素っ気ない返事をした声の主は判然としない。
おそらくは病院で少年を訪ね、ここまで連れてきた男のものなのだろうが、聞こえてきた声は部屋の天井の隅に取り付けられたスピーカーから発せられていた。

加えて部屋の至るところにカメラらしきものが設置されており、軽く見渡しただけでも8個以上ある。
そのせいもあってか少年は視線を落ち着きなく動かしている。

「ならば丁度良かった」

「?……っ!」

続いて聞こえた男の不可解な言葉、それを耳にして目線を再度スピーカーに向けた少年の体が硬直し、天井を振り仰いだ。
顔を上向けて震えている少年は知るべくもないが、床に赤黒い塗料で描かれた魔法陣が薄く紫色に光っている。
そこから現れた同色の細い電光が、少年の体を這い上るように伸びていき
バチンッ
頭部に至ると小さな破裂音と共に弾け消滅した。

途端、少年の体が弛緩し、顔を俯け床に座り込んでしまう。

数十秒、誰の声も聞こえず、室内を照らす蛍光灯が明滅する度に立てる、羽虫のような微かな音だけがやけに大きく響いている。

そして、音もなく、ゆっくりと少年の顔が持ち上がり……
カメラが捉えた表情は、虚ろそのもの。
大きくこぼれそうだった瞳も半眼になり、焦点が合っていない。

その段になってようやく男の声が聞こえた。

「君、名前は?」

おかしな質問だ。
自分から少年のもとを訪ね、ここまで連れてきておいて今さら聞く事ではない。

しかし、

「……わかならい」

少年の返答も異様なものだった。

返答の呂律が回っておらず聞き取りずらかったが、誰よりも知っているはずの自身の名前を答えられずにいる。

「ここがどこかは?」

「……わからぁない」

舌足らずなまま、返答の内容はやはり同じ。

「なぜここにいるかは?」

「……わからない」

発音が徐々に安定してきた。

「家の住所は?」

「……わから……ない」

安定してきた言葉と共に、少年の目の色に理性が戻り始める。

「仲の良い友達の名前は?」

「……」

「答えは?」

「……わからない」

少年の目線と、声が震える。

「では」

あらかじめ仕込んであったのだろう、部屋の壁に術式でいくつかの映像が浮かび上がる。
十枚の家族写真。
映っているのはいずれも別々の家族らしいが、父親と母親、子どもは姉弟らしき家族構成であることが共通している。
そして弟にあたる子どもの背格好は、この部屋にいる少年と近しく、
顔は黒く塗り潰されていた。
やけに手が込んでいる。

「この中に、君の家族はいるか?」

「え?」

問われ、視線をなぞるように動かす。
たかが十枚、自分の家族を見つけるくらい簡単なはずだ。
にもかかわらず、少年の視線は写真の上を何往復もし、ついには這うように顔を近づけて一枚、また一枚と見入り、そして、十枚目で止まった。
それと見て、男は先ほどと変わらない平坦な声で問う。

「君の家族はいるか?」

「……」

答えがない。

「君の、家族の名前は?」

男の声が一瞬、詰まったように思えたが、口調は沈黙を許さない意思を含んでいる。

「…………わからない…………」

口調も、理性も戻った様子の少年の口から
溜め息のように、諦めたように、答えが漏れ、
大きな瞳からはぼろぼろと涙が零れだした。

「そうか、今日はもう休みなさい」

淡々とした声と同時に壁面に映し出されていた写真が消え、ブツリと、スピーカーからマイクの電源が落ちた事を示す音が響いた。

声も音もなくなった部屋で、もはや何も映っていない壁に向けられていた少年の頭がゆっくりと項垂れいく様を映して映像も途切れる、
その間際、

「くっ……成功だ」

マイクから離れた位置で口にしたらしい、男の呟きが聞こえてきた。

短く不鮮明だが、

先ほどから心底湧き上がる喜悦を隠していたが、

どうにも堪えきれずに、口から漏らした。

そんな呟きだった。

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途切れた映像の後に現れた、砂嵐の画像とノイズ音。

それを羽倉は、身じろぎもせずに黙って見続ける。

何も言わず、動かず、その身の内で荒れ狂う激流のような感情に耐えながら、

次の映像が始まる時をひたすらに待った。

20/01/30 02:25更新 / 水底
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