連載小説
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カルテ5
魔物はすべてメス(女性)である。
それは旧魔王時代が終わり、現魔王がサキュバスへと代替わりして以降、不変のことだ。にもかかわらず…
(…なんで…?)
目の前の少年、男の子は魔物へと姿を変えた。金色の瞳も獣毛もさることながら、その胸部には女性特有の膨らみまである。
在り得ないことだ。
(う……)
目が合った。
その瞳は金色の光を湛えてなお、あまりに暗い色をしている。
羽倉が病室で見たものよりも更に深い闇を瞳に宿し、先ほどと同じ人物かと疑いたくなるほどに別の雰囲気を纏っている。
史郎が指をわずかに動かすと、鋼の爪が音もなく長さを増した。
湾曲した5本の爪は彼女に死神の鎌を想わせた。
ザン!
(え?)
気付けばすでに彼女の下腹部には右手の爪が突き立てられており、あまりの速さに目で追うこともできなかった。
不思議と痛みは感じず、死ぬ時とはそういうものかとボンヤリと考える。
意識はすでに混濁し始めていてたが、それでも彼女は必死に最期の想いを伝えようとした。
(ありがとう)
「あ……」
しかし言葉にするよりも早く、意識が急速に遠ざかっていった……。


史郎は片膝をつき、彼女に爪を突き立てたまま動かない。
相変わらず暗い目で相手を見据えている。
動く気配はない。
すると今度は左手を持ち上げて、彼女の首筋に近づけた。
長い爪の備わった手を頬に当て……

静かに押して自分とは反対側を向かせた。
次いで彼女のうなじにかかる栗毛を長い爪で掬い上げると、その下の肌を露わにする。

RP―410

首筋には、女性の肌には不釣り合いな「番号」が記されていた。
史郎は文字を確認すると、首輪に嵌め込まれた水晶に右手をかざし

「番号確認、RP―410…対象はローパー。カルテを終了する」

抑揚のない声で呟くと、水晶の色が赤から元の透明へ戻った。
同時に、
ボンッ
姿を変えた時と同様の破裂音がして、獣部分が黒い霧へと変じ消えていく。
霧が流れた下からは元の病院着と少年の体が現れた。
史郎は爪の消えた手で支えながら、そっと彼女の首を仰向けに戻す。
意識はないようだが胸の上下は規則正しく、呼吸は安定しているようだ。
ようやく史郎に表情が、安堵の色が戻った。
だが。

「かはぁっ!」

彼女とは対照的に、史郎の呼吸は荒れ始める。
がっくりと膝をつき、全身を揺らしながら息をしていた。
(まだ……)
気絶しそうになるのを何とか堪え、震える右手を服の合わせ目に差し込み二枚の紙を取り出す。
<転送符>
青いインクで魔法陣の描かれたそれには、転送の術式が込められている。
あらかじめ任意の転送場所に本来の式に則った魔法陣を敷き、それと接続させておくことで転送符を持つ者を魔法陣の中へと送るものだ。準備にそれなりの手間がかかるものの、符の使用者は複雑な手順を飛ばして転送に入れる。
これも史郎が羽倉から手渡されていた物の一つだ。
一枚を左手に持ち、残りを横たわっているローパーの手に握らせる。

「ふっ!」

渾身の力を符に込めると、符全体が青白く光り始めた。
羽倉のもとにさえ辿り着ければ、あとは任せられる。
(もう少し……)
その思いとは裏腹に、転送は一向に始まらなかった。
(そ…んな……)
残りわずかだった力を消費した史郎はついに意識を失った。

トサッ
史郎の体が地面に伏し、埃を舞いあげる。
二人の握る符の光が消え、その場は静寂に包まれた。
その中を舞い上がった埃が路地の出口へと流れ……
<見えない壁>に阻まれて逆巻いた。
少年も、ローパーも倒れ伏したなかで<結界>だけが張られ続けている。

…数十秒が経っただろうか、

パチ、パチ、パチ、パチ……

間延びした拍手の音が路地に響いた。

「いやいや……実に素晴らしい」

続いて声が響き、路地の途中、離れた場所に一人の男の姿が浮かび上がった。
痩せた長身に白の衣服を身にまとい、磨き上げられた革の靴を鳴らして倒れた二人に近づいていく。

「逃げ出した実験体を回収するため来てみれば、このような場に出くわすとは…おかげで特等席にて鑑賞できました」

三十代半ばだろうか、金髪を後ろになでつけ、堀の深い顔をしている。
一見すると教会の神父のような容姿だが、その口調も表情も軽薄なものだった。
相手が気絶していると知ってか知らずか(おそらくは前者だろうが)男は歩みながら話し続ける。

カツッ
二人の手前にたどり着いたところで男は踵を打ち鳴らして背筋を伸ばし、天を仰ぐ。その表情は感極まった様子だ。

「これもすべては神の御導き!」

宣いつつ、恭しく両手を添え首にかかったペンダントを掲げた。
ペンダントの表面には、いかにも神々しい紋章が刻まれている。
おそらく紋章が表すのは<主神>、そして主神への信仰。
厳密には細かな宗派に分かれるものの、その存在を崇める宗教団体は総じて<教団>と呼ばれていた。
この次元(現代)には広まってはいないが、とある次元では世界の大半を占める教えでもある。
男は信者の一人であり、教団の魔導士でもあった。
結界はローパーではなく、途中から身を隠していた男が密かに張ったものだ。
転送符の術式が発動しきらなかったのも、この男の結界が要因だった。
ひとしきり感謝を捧げたのか、男は目線を地面の二人へと戻す。

「それにしても……魔物というのは近くで見るとますます耐えがたいものですな」

先ほど素晴らしいと口にしておきながら、ローパーに向けられた視線は侮蔑に満ちていた。素晴らしいのはあくまで自身の幸運と主神の導きであり、魔物は神と主神を称える善良な人々の害悪に過ぎない。
神が創りたもうた人の姿を模して人に害なすなど赦されないことだ。

「…これも神の思し召しなれば」

言うと男は顔をしかめつつ、足先でローパーの顔を小突いて横を向けると首筋の数字を確認し、取り出した紙に書き留める。教団、果ては主神から頂いた役目を疎かにはできない。ペンを走らせる間に、ローパーを突いた方の靴を地面に擦りつけているあたり、男の潔癖な性格が伺える。

「…さて。こちらはどうしたものか?」

番号を確認した男は早くもローパーへの関心を失くし、脇に倒れている史郎を見る。
短い間だが、この少年は目の前で魔物としての姿に変わった。しかし今は異国とはいえ人の姿をしている。少年(男性)であり、魔物でもある…そんな話は聞いたこともなく、男の一存では図りかねる存在だった。

「まあ、指示にされた実験体と共に回収すれば司祭もお喜びになろう」

軽い足取りで後退し、呪文を唱えると魔導に使用する杖が現れた。
宙に浮かんでいる杖を掴み、呪文と共に地面を突いて転送用の魔法陣を描き始める。
男は上機嫌だった……が。

コッ、コッ、コッ……

魔法陣を描く男の背後、
誰にも知られるはずのない結界の壁から、
ノックの音が響いた。
16/06/18 23:13更新 / 水底
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■作者メッセージ
なかなか休みが取れず遅筆…。
展開も遅し…。汗

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