連載小説
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白の師
男は自身の結界内という安心があったからか、背後からした音に対してすぐには反応できなかった。一拍子遅れて振り返った男の顔には明らかな動揺が浮かんでいる。
(……なんだ?!)
自信家の男にとって己の結界が発見されるなど予想だにしなかった事態だ。
その上、わざわざ見つけた結界を壊すでもなく律儀にノックするなど理解できない。
そもそも先ほどの音は本当にノックなのだろうか?
ともかくも杖を構え音のした方へと視線を巡らせるが、眼前に何の異常も見い出せない。
気のせいかと思い、倒れた二人へと向き直ると

「うおっ!」

男は思わず悲鳴を上げた。
振り返った先に音も気配もないまま、白衣を纏った長身の女性が立っていたからだ。
男に背中を向けたまま倒れた二人を見下ろしていた女性が、男の声を聞いてか振り返る。
白衣、茶色がかった髪、銀のフレーム眼鏡……その女性は

「お初にお目にかかる、私は羽倉美鈴という。以後お見知りおきを」

道化師よろしく芝居ががった名乗りを上げた。
おどけた言葉遣いとは裏腹に直立不動で、眼鏡の奥から投げかける視線は冷たく鋭い。

「お…お……」

男は衝撃から立ち直れないのか、言葉が出ない。
その様子を見て羽倉が大仰な仕草と表情で首を傾げつつ

「おや…まさか私がここに来たのに気づかれなかったのかな?」

さらにどこかとぼけたような抑揚をつけて羽倉は口上を述べる。

「転送符の発動を感じて来てみたら、魔力を防ぎきれてない粗悪な結界を見つけて、入る前にノックと挨拶をしてから足を入れ真っすぐに路地を歩き、貴殿の横を通り抜けて二人の前に立ったというのに、まさかお気付きにならないとは……いやはやこれは、とんだ失礼を致しました」

薄い笑いを浮かべながら肩をすくめつ羽倉は一気にまくしたてる。
それは、あからさまな挑発だった。
姿を潜める術は史郎も、魔導士である男も使用していた。だが、リッチである羽倉の用いた術は破格に高度なものだ。それこそ、声をかけても横をすり抜けても気付けないほどに。
そこまでの術を使用しながら、わざわざノックに<気付かせた>のは男への挑戦に他ならなず、そしてそれは羽倉の技量を証明する形で終わった。

矢継ぎ早な羽倉の言葉に理解が追いつくにつれ、動揺に青くなっていた顔が血の気を取り戻し、今度は怒りのあまり赤く染まっていく。

「きっ…貴様は何だ!」

男は怒りに任せて誰何する。

「名なら先ほど名乗ったが?…ああ、職業は医師をしている」

羽倉はわざと見当外れな答えを返し、火に油を注ぐが如く男の怒りを煽った。
男の表情がさらに険しさを増し、それとみて羽倉は指先で何かを描く動作をした。視野の狭まった男はそれに気付かない。

「どこまでも私を愚弄するか!」

羽倉の顔を睨みつけ、男が手にした杖を振りかざした。
その先端から三十センチほどの火球が生まれ、羽倉の頭部を目がけて撃ち出される。

「っ!」

仰け反るようにして躱した羽倉の眼前を僅かな間を隔てて火球が通り過ぎる。
髪先が熱で縮れて嫌な臭いがした。
羽倉が目を細めて向き直るが、攻撃を躱されてなお男の顔には笑みが張り付いている。
ボゴンッ!
直後、背後でした爆発音に羽倉は自らの足元を振り返った。
直進するかと思われた火球は羽倉の前を通り過ぎた直後に降下し、地面に横たわる少年を直撃していた。周囲の景色が歪むほどの炎と熱が少年の小さな体を覆い尽していく。

「はははっ!見たところ貴様はその子どもの仲間だろう!愚かにも主神に仕える者の怒りを……!?」

己を侮辱した者への報復を果たした男の高笑いはすぐに止み、その表情が強張る。
急速にしぼみ始めた火炎の下から、やけど一つない少年の姿が現れたからだ。
少年の周囲に張られた結界に阻まれ、男の火炎魔法は空しく消えていく。

「おのれぇ!」

目の前の相手は己の能力のことごとくを上回っている。その事実を振り切るようにして男は標的を羽倉に戻した。
次は躱す暇すら与えぬよう、背後を振り返ったままの頭部に杖を突き付ける。

パキパキパキッ
羽倉の髪に触れた途端、あろうことか杖の先端が凍り付き始めた。

「うぉ!」

瞬く間に柄の大半が氷に包まれ、その尋常ではない冷気に思わず杖を手放してしまう。
放り出された杖は地面に落ちた途端、粉々に砕け散った。
男は杖の残骸を呆然と見つめる。

「下劣……」

羽倉は吐き捨てるように呟いた。
先ほどまでの羽倉は、挑発的な発言を繰り返しながらも冷静そのものだった。
男を挑発したのは自分に敵意を集中させるための戦略だ。
隙を見て無防備な二人の周囲に結界を張る目的もあった。
だがそれはあくまで戦闘に発展した後、巻き添えになることを想定しての対策であった。
この男の卑劣さは羽倉の想定範囲と、許容(許せる限度)を越えるものだ。
羽倉の胸の内を抑えきれない感情が渦巻く。
まるでそれが具現化するかのように、男の目の前で羽倉の容姿が変貌を始めた。
髪は灰色、あるいは銀色に変じ、瞳からは淡い紫の光が放たれる。
肌は生者としての色を失い、反対に死を孕んだ美しさを湛えていった。

「ま、魔物だと……」

男の表情が恐怖に引きつる。今まで安全な状況で魔物を目にしたことはあっても、敵として対峙した経験など一度もない。その上、己と魔物との実力差は今しがた証明されてばかりだ。
思わず数歩、たたらを踏むように後ずさりをした男だが

「ハハ…知ってますよ。魔物は恐ろしい存在として広く知られているが、その実、人を傷つけることは好まないという……魔物である貴様は…私を傷つけることなどできない!」

引きつった顔に無理やり笑みを浮かべ、なけなしの知識で脅迫とも哀願ともつかぬことを叫んだ。
羽倉はしばし虚勢を張る男の様子を呆れたように眺めていたが、やがて大きなため息と共に

「……確かに、私たち魔物は相手がどんな人間であれ、傷つけることを好まない」

男の発言を肯定した。
羽倉は男から視線を外すと背後の二人を振り返る。その白い指先がわずかな動きを見せているが、束の間の緊張が解けて額の汗を拭う男はそれに気づかない。
コォ……
男がようやく異変に気付いたのは、自身の足元が青白く光り始めたあとだった。羽倉がローパーの手中にあった転送符を操って男の衣服に飛ばし、術式を発動させている。依然、背を向けたままで。
「おっ……」
男が何かを言いかけたが、その声は男の姿と共に光に飲まれ掻き消えていった。

それを気にした様子もなく、羽倉は白衣をマントの如く打ち鳴らして倒れた二人の治療に取り掛かる。その姿は医師というより、白衣を着た魔導師だった。

16/06/23 00:53更新 / 水底
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■作者メッセージ
ちょこちょこな更新で申し訳なく。
コメントの返信すらままならず申し訳もなく。
いつも励みにして筆が進んでおります。

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