連載小説
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 まあ、そんな訳で彼女の事情が伝わって、俺が勝手に考えてた勘違いとかそんな感じのも解消されて、さてそれからどうなったかというと。

「お帰りなさいませ、ご主人様!」

 先週よりも早足に俺は『ロミ・ケーキ』を訪れ、フィネアの実際奥ゆかしい御辞儀と可憐な微笑みに出迎えられていた。

「お荷物お預かりします。今週もお仕事お疲れ様でした」

 うん、もう何というか疲れたというか、よく生きてたなぁ、と思わずにはいられないよ。こんなに身体を酷使する職場って他にないよね。
 しかし何故だかよく分からないが、やたら気が重かった先週に比べて非常に心が軽かった。
 それもこれも、きっと今目の前で笑ってくれているフィネアのおかげだろう。

『――メールアドレスですか!? 喜んで!』

 前回の来店時、勇気と気合と根性とその他諸々を振り絞って携帯電話のアドレスを聞いた所、こんな感じの回答が返ってきた。
 『ma-kiki-kai-mora94@ririmuru.co.jp』という、まるで聞いた事のないキャリアだったので設定が少し厄介だったが、無事にデジタル文通が出来るようになった。SNS? 公務員にSNSはあんまりよろしくないんです。機密漏洩とか危ないんです。自分まだ懲戒免職される訳にいかないんです。
 で、平日にも心のお世話をしてもらえるようになってから俺の心は安寧に満ち始めた。

『今日もお仕事おつかれ様でした』
『閉店後、向かいの愛花園芸店におすまいの美也さんがいらしたので、店の皆でお茶会をひらきました』

 ハハハ、フィネアよ。コレ、確かにお茶会の写真だけど真ん中に写ってるのただの白いネコじゃないかな。尻尾2本あるように見えるけど角度の所為だよね? ああ、なるほど。美也って名前のネコか。

『ももも申し訳ありません! おくる写真を鳥違えて姉妹ました!』

 今度は綺麗な白髪の少女が、口元に一杯クッキーの食べカスを付けて笑っている写真が送られてきた。
 そんな感じで、ちょっと機械に弱い所が非常にかわいい。慌てて誤字連発してるよー。
 できる事ならこう、直接会って携帯電話の使い方とかの話をしたい所ではある。が、それは叶わない話だ。何せ、寮暮らしの公務員ですから。
 まあ、仕事柄週2しか会えないのは仕方ない。そこは我慢だ、我慢。

「……どうされましたか?」

 何でもないよー。今日が待ち遠しかっただけだよ。

「……っ♪」

 ほらほら、見なよ。この嬉しそうな顔。これが俺だけに向けられてるっていうんだから、ねぇ。
 灰色間違いなかった筈の人生の分岐点。でも最近、一瞬かもしれないけど、初めて色が付いた気がしていた。
 まあ、何はともあれ。今日は精一杯ご奉仕されようじゃないか。

 ・・・

「――少なくとも、世の中の女性の半数以上はご主人様に対して敵意を感じては居ないと思いますよ?」

 どうにもあの、汚物を見るような目が怖くて怖くて。公共交通機関で四方を囲まれると泣きたくなるんだよねー。

「ですが、どんな事故が起こるか分かりません。大事を取って、地下鉄などで女性の近くに立つ事は控えた方がよろしいかもしれません。わかりましたか?」

 ああうん、そうするよ。そんなに真剣な目で、人差し指を立てて忠言してくれてるんだから聞かないと駄目だよね。

「さて、それでは昼食をお持ちします。少々お待ちくださいね」

 はぁーい。
 とまあこんな感じで、俺とフィネアは先週と同じく、対面で雑談をしていた。
 流石に仕事の話はあまり出来ないので、普段の事とか班の連中についてとか、そんな他愛のない事を話す。それに対し、彼女もまた、この店で起こった事や、最近の事を話してくれる。
 二週間前ならまずあり得ない、女性との面と向かった会話。これまでの経験上、話す内容も会話の流れも噛み合わなかった所為で、女性と会話するのは苦痛でしかなかった。しかし今、初めて女性と会話をして『楽しい』と感じている。
 おそらくは、いや間違いなくフィネアのおかげだろう。だが同時に、彼女以外と話していてこんな気分になる事はないのだろうな、と考える事もある。相変わらず、ここに来る道中の公共交通機関ですれ違った女を見ても嫌悪感と恐怖心しか沸いてこないし。
 つまりは、俺は別に女性に慣れた訳ではなく、フィネアに慣れたのだ。自分で言っていてよく分からんが、まあたぶんそういう事だ。

「――お待たせしました。本日の昼食は『魔界風ボロネーゼ』でございます」

 相変わらずな単語もこれで三回目。いちいち反応する事無く受け取り、漂う挽肉とトマトの香りに心を躍らせる。
 あ。いつもの『あーん』はちょっと待って。味をちゃんと確かめたいから最初の一口は自分で食べさせて。アレ、凄いドキドキするんだけどその分味覚がお留守になっちゃうから。
 という訳でいただきまーす。

「はいっ♪ 温かい内にどうぞ♪」

 フォークで巻き取って、口に運ぶ。うん、今日も美味い。
 最近、どうにも舌が肥え始めたらしく、寮の食堂で何を食べても全く美味しく感じなくなってきた。どうやればこんなに美味く作れるんだか。

「それでは、食事をお手伝いさせていただきますっ♪」

 俺の手からフォークを受け取り、パスタを一口分、少しでも熱を冷ます為に息を吹きかけてから、音を立てない見事な動作で巻き取って差し出してくれる。
 しかも、具が零れて床や俺の服に付かないようにしっかりとフォークの下に手を置いている。個人的には熱々の具がこの、白くて綺麗な手に落ちて赤くなるのはあまり見たくない。なので、一口でいただいた。
 うむ。暑い。いや、パスタがじゃなくてさ。パスタも熱いけどさ。こう、頭が茹で上がるような、そんな感じ。

「っ♪」

 訂正。顔から火が出る感じで。
 俺の口から『美味しい』などの単語が出た時に見せるフィネアの笑顔。それを見ていると、動悸がマッハで心臓がヤバい。人間の一生の鼓動回数は決まっているらしいが、これでは俺は早死確定だ。
 しかしまあ、こんな甲斐甲斐しく、しかも親身に世話してくれるなんて、今時新婚夫婦でもあり得ないよなぁ。

「し、新婚っ!?」

 おっと、思考が漏れたか。

「そ、そんな……♪ ま、まだ早……、あ、あぁ……、だ、ダメです……っ♪ そんなぁ……♪」

 おや? どうしたんだーいフィネアー? 顔を真っ赤にしてブツブツ何を言ってるんだーい?

「……正直アレは『私達』にとっては不意打ちよね……」
「ええ……。特にフィネアの場合、スイッチ入りやすいから……」
「近い内にあの方……」 

 おおぅ? 周囲のメイドさんがざわざわし始めてますよぅ? おーい、フィネアさーん。ちょっとー。
 彼女の肩を叩こうとして、身を乗り出した。
 その時、肘がテーブル上のグラスに引っかかった。
 あ、と言うよりも先に、破砕音が店内に響き渡る。

「――え?」

 その音のおかげでフィネアは我に返ったが、俺はすぐには何が起こったのか理解出来なかった。
 数秒、何をしてしまったのか解析に時間を費やし、そして。
 うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああぁぁぁぁっぁっ!? 見るからに高価そうなグラスを降下させて破壊しちまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃぃ弁償します! 何年ローンになるか分からないけど絶対支払いますぅぅぅっ!!!

「ご主人様! お怪我はありませんか!? ――その場を動かないでください! 今片付けますから!」

 慌てた様子ではあるものの、俺に怪我がない事を確認すると残像も残さない速度でスタッフルームらしき場所へ消え、箒とちりとりを持って再登場。目にも留まらぬ早業で破片を回収してしまった。

「お怪我がなくて何よりでした。……申し訳ありません、私の不注意の所為で……」

 いやいやいや、フィネアは悪くないって。悪いのは不注意だった俺だって。普通気付くだろうよう俺。

「ですが、私が――」

 ああもう。気が利きすぎる、ってのも問題だな。メイドってそういう生き物なんだろうけどさ。
 そもそも君がしっかりしていても、テーブルの反対側にあったグラスを落ちる前に掴み取るなんて無理だろう? ここは男の責任の取り方として、謝罪&弁償のコンボを完走させてくれ。
 で、これおいくらですか? お高いんでしょう? 安月給に払えますか?

「確か……、1980円です」

 ホァイ? 透明度具合から見てお高いと思ってたけど、案外お手頃価格じゃないですか。

「といいますか、この店舗の備品は全て系列店で製作されていますので、殆ど費用はかかっていないのです。ですからお気になさる必要はありません」

 メイド喫茶の系列店て。おいおい、いつから日本の企業は冒険するようになったんですかねぇ。
 流石日本。クール通り越してもはやフールだよ。だがそこがいい。
 しかし、いくらタダみたいな物だとしても不注意は不注意。何とかして謝らせて欲しいのだが。アレですか。主人に頭を下げさせるなどメイドの名折れとか?

「そ、それでしたら、あ、明日――」

 お? 交換条件? いいよいいよー。ちょっとは融通利いたよー。俺でよければ何でも言う事聞いちゃうよー。

「――系列店へ、他の備品も一緒に受け取りに行くのですが、それに同行していただけないでしょうか?」

 おお、荷物持ちね。フフフ、俺の本職みたいなものじゃないか。つーか実際に職場で似たような事やってるしなぁ。
 是非もなく首を縦に振る。すると、ぱぁぁ、という明るいSEと一緒に笑顔の花が咲いた。美しい……はっ!?
 それじゃ、何時に行く? 行き先何処? 明日はここに来ればいい?

「お店はここから二駅離れた場所にあります。お手数を掛ける訳にはいきませんので、駅を降りたすぐ先の『荒巻鮭の石像』前で10時に待ち合わせでいかがでしょうか」

 了解ー。つーかそんな石像あるのか。鮭が特産物な街なの? まあ、なんでもいいけど。

「ありがとうございます! ……えへへ♪」

 え? 備品は取りに行くのそんなに楽しみ?
 ……いや、ちょっと待った俺。少し落ち着いて冷静に考えるんだ。
 コレ、デートじゃね? 人生初の、異性と二人っきりの。
 あれ? 俺、何気にピンチ?

 ・・・

「おっ、二次元のヤリチンが帰ってきたぞ」
「最近帰りが遅いなー。ネカフェで何発抜いてきたんだ?」

 最近はネカフェに行ってないんだが、説明が面倒なんでそういう事にしておく。
 あと俺は一発抜いたらすぐ収まり、しかも発射も早くて効率的というお手ごろ仕様です。一生使う予定なかったからこれでいいんです。
 ちなみに何で抜いてるかって? いつも通りエロゲですとも。エロゲは趣味だから。大学に入った辺りで純愛モノじゃ抜けなくなったから、触手陵辱モノとか悪堕ちモノとかでエクスタシーしてますとも。
 リアルはリアルで、二次元は二次元だから。決して浮気とか二股じゃないよー?

「……お前、今日も『ロミ・ケーキ』に行ったのか?」

 最初にあの店で個人席に座った同僚が、こっそりと話しかけてきた。別に説明が面倒なだけで俺としては周りにバレてもいいから普通に話せよ、とは思うが、まあいい。
 確かに今日も行ったさ。しかも明日専属メイドさんと一緒にデートする約束までしてなぁ。

「はぁ!?」

 でも俺、今までの人生において異性と1vs1で外を歩くなんてした事ないんだがね。マジ不安。
 例え仕事だけで、その後何もないとしても、『勇気』が足りない。あとガッツも。くっ。

「くそっ! どうやってそんなきっかけ作りやがった!? コップ割った!? 何だよそれ! 俺もやろう!」

 二番煎じはワザとやったって見られるぞー。せめて紅茶を服に零すとかさ。
 そういうお前は専属メイドさんとどんな感じだよ。店で見ただけだから分からんけど、お前らかなりいい雰囲気じゃないか。

「いやいや、お前とフィネアさんには負けるって。気付いてないだろうけど、お前ら相当距離感無いぞ?」

 は? そんなに?

「おう。入店当初とは比べ物にならないくらい、何つーか、自然に会話してるしな。飯食べる時もさ、手伝ってもらって食ってるってのにお前、顔が平然としてたしな」

 いやまあ、当初に比べて羞恥心は結構減った気がするのは確かだ。『こうしてもらうのが普通』という、なんだかよく分からない、慣れのようなものが出来てきたようだ。いや、人としてどうかとは思うけど。

「くっそー! ココに来た当初は『自分は印刷物の女の子にしか欲情しない変態です』とか言ってたくせに、……何なんだよー!」

 全くなぁ。自分でもそう思うわ。人生ってのは分からんものだ。

・・・

「さて、いいか〜? お前らなぁ〜? 何かあったらすぐに電話するんだぞ〜?」

 班長から外出証を受け取り、上げ上げテンション状態になった同僚達を押しのけ、俺は明日の準備をしつつ最速で外出しようと必死になっていた。
 仕事について行くだけとはいえ、今までフィネアと関わってから思い通りになった事がない。いい意味でだからいいんですけどね。
 まあ要するに、何が起こるか分からないから出来る事はやっておこうという魂胆だ。

「じゃあ先に行ってくるぜー!」
「酔って帰ったら班長に怒られるなぁ」
「でも折角の可愛い子達との席だぜ!? 飲まずにいられねぇだろ」
「メシ美味かったし、あのメイドさんのマジック面白かったし、おまけに友達と一緒に飲みに行きましょうだなんてな。あの店行って正解だったぜ」

 同室の連中はそんな会話を先ほどしていたが、今は既に外出していた。
 話の空気からして、どうやら今夜は飲んでくるようだ。門限までに帰ってくるのだろうかあいつ等。
 それはともかく、月曜の準備終了! さあ外出だ!

「――おぅ、まだ出てなかったのか? 丁度いい。ちょっと付き合え」

 あのー班長? 俺これから人生初のデートのようなものに挑むんですけど?

「おぅ、ダメだ。お前、先週の体力測定でまた酷い結果出したろ。走りに行くぞ」

 おぅ、ダメですかそうですか。
 時間までに間に合う……かなぁ。間に合うといいなぁ……。

・・・

 奇跡だ。待ち合わせ時刻にギリギリ間に合った。
 正直言って絶対遅刻する、と思っていたのにありとあらゆる運気が俺の方に向いていたようで信号機とか電車とかが丁度いいタイミングで来てくれたおかげで、今俺は鮭の石像の前に立っている。

「あっ! ご主人様ーっ!」

 街中でその呼び方はちょっと控えてくれませんかねぇ。周囲の目がアレなんですが。
 しかしまあ、一目で彼女だと分かった。何せ、周囲の人間の頭部は黒、ないしたまに茶色だというのにそこに居る人物の頭部だけやたらと目立って桃色なのだ。何で通る人々は奇異の目で見ないんですかね。日本だからですかね。
 とりあえず、えーと。ゴメンね、待った?

「いえ。……恥ずかしながら、私も1分前に到着したばかりです」

 あれ? 君の事だから10分前くらいに到着してそうなものだけど。

「そ、その……。今日が楽しみでして」

 え、何それ。楽しみで、って事は楽しみで眠れず、寝坊したって事?
 そんなバカな。遠足を前にした小学生じゃあるまいし。
 ちなみに俺はむしろ遠足が嫌で眠れなかったなぁ。運が無くて嫌いな奴と同じ班だった時なんてモロにそんな感じだった。やー懐かしい。
 それはさておき、フィネアの様子は?
 ……え、この子。顔を真っ赤にしてうなづいちゃいましたけど。備品取りに行くだけじゃないんですか?

「えっ!?」

 えっ。

「……あ。そ、そう、ですよね……。申し訳ありません……」

 ……ひょっとして選択肢ミスった? いやいや、落ち込まないで欲しいんだけど。
 えーとえと、エロゲだとこういう時は何て言ってたっけ。あ、そうそう。
 今日行く店ってさ、ここからどれくらいの距離?

「え? ええと……、ここからバスで2、30分ほどです」

 ああ、案外近いんだね。何ていうお店?

「『ドワフォート工芸店』と言います。略して『ドワォ』」

 そうか……そうだったのか……。
 しかし2、30分の距離か。……昨日、ネットで調べておいて正解だったなぁ。

「いかがなされました?」

 あー、うん。その、ね?
 もし備品受け取って暇だったらさ。近くの喫茶店でお茶しない?

「………………え?」

 もちろん、嫌だったらキッパリと断っ、

「ーーっ! は、はいっ! 喜んで!」

 おおぅ、この反応。さっきの『終わったらダイレクトゴーホーム』発言直後の落ち込みとは真逆だねぇ。無理にやってるような雰囲気には見えない。つーかこの子がそういう、打算的な思考で動く女性じゃないって先週の時点で分かっている。
 何はともあれ、こんな笑顔が見れるなら昨日の消灯時間過ぎた後にスマホフル活用して、この周辺の喫茶店を全部把握していてよかった。『も、もしかして、お茶に誘われるかも!? でも向こうから申し出受けるなんて、男が廃るよなぁ』とかいう童貞の妄想もバカに出来ないなぁ。

「???」

 何でもないよー。さ、行こうか。

「はいっ! こちらです!」

 本当にもう、眩しいなぁ。
 店内で見るメイド姿は非常にこう、当てはまっている感じだが、今の服装も似合っている。
 普段は帽子に隠されていたであろう桃色のロングヘアーには、シンプルな茶色のヘアバンドがアクセントとして乗っている。
 派手過ぎず、しかし卑屈には見えない程の控えめなデザインの白いブラウスに、質素なネイビーのロングスカート。加えて普段履にしても違和感のないブーツ。どれを取っても実に彼女らしい、まさしく『休日のメイド』という服装だと言えよう。
 何が言いたいかというとだね、その。
 その格好、似合っとりゅよ?

「……あ、ありがとうございますっ!」

 噛んだ。慣れない事は言うものじゃねぇなー。
 ほら、フィネアも顔背けて肩フルフルしてるじゃないか。やっべぇ恥ずかしい。

「に、似合ってるって……、か、可愛いだなんて……ふふっ♪」

 ……あれ? 何か曲解してませんかねフィネアさん。可愛い、とまでは言ってないよー? 確かに可愛いけど。
 ほ、ほら。早く行こうよ。何だか分からんけど、周りの野次馬共がこっち見てるよ。顔からヘルファイアが発動しそうだよ。

「はっ!? も、申し訳ありません!」

 昨日もそうだったけど、この子もしかして、結構妄想癖があるんじゃないだろうか?
 ……まあ、いいか。今の所悪影響ないし。

・・・

 店名の略称に反して、店の内装はやたらとレトロで、優しい木の香りがする空間が広がっていた。
 ほほう、こういう店は嫌いじゃないね。嫌いじゃないね。むしろ好きな分類だ。商品一つとっても、繊細に作り込まれてるのが一目で分かるし、色使いが鮮やかで見ていて気持ちがいい。
 何となく近くにあった、空色に透き通った、花の中に包まれている女性が彫られた綺麗な花瓶を手に取ってみる。

『39800』

 俺は何も言わないでそっと棚に戻した。

「美枝さーん、文恵ですー。昨日頼んでいたグラスを取りに来ましたー」

 文恵? ああ、本名か。やっぱりそれ源氏名だったの?

「え? あ……っ。こ、これには訳がありまして、その」

 文恵(ふみえ)からフィネアねー。まあ、どっちでも可愛いと思うけど。でもどっちで呼んだらいいか分からんなぁ。

「ええと……。ご説明すると長くなってしまうので今は割愛させていただきますが、『フィネア』という名前の方が本名です。文恵というのは世間一般において、私たちが魔……メイドであるという事を隠す為に用いる仮の名前です」

 え? そうなの? つーかメイドって秘匿されなきゃならない存在なの? その割りには衆人環視の中で堂々と俺の事ご主人様呼びしたよね?

「は、はい……。…………そ、その、信じてはいただけない、と思いますが、わ、私たちは――」
「――はいはーい、お待たせ。悪いねー、工房に入ってて、声じゃ気付かなかったよ」

 フィネアの言葉を遮って、レジ側から陽気な女性の声がした。通路に下がっていたすだれを手でよけ、声の主がその姿を表した。
 ……その、何というか。

「ん? 何だい坊主。アタシの顔をじっと見ちゃってさ」

 ちんまい。ただその一言に尽きる。
 え? 小学生?

「んー、よく見りゃただ頭を坊主にしてるだけで結構色男じゃないか。チャラついてロン毛にしてるのに比べりゃ断然いいじゃないの」

 どう見ても小学校低学年、いや、むしろ幼稚園児。
 だってのに何だこの幼女(驚愕)。雰囲気、喋り方、態度、服装その他諸々と、やたらと貫禄を感じるんだけど。何か、肝っ玉カーチャンみたいな豪快な幼女だ。

「あはははは! カーチャンと来たか! なかなか挑戦的なオトコを連れて来たモンじゃないか文恵!? ……どれ、ヒマだったらこれからモノづくりの手伝いでもしてみないかい? 楽しいぞ〜?」

 あ、その申し出は面白そうで嬉しいんですが、俺には先約あるんで。

「だ、ダメです! か、彼は、わ、私を連れてこれから……!」

 え、ちょっと待ってフィネアさん。これから、で止めないでくれませんか? これから俺ら喫茶店でお茶するだけですよね?

「おーおー、ピンクメイドが随分と澄まし顔してると思ったら。やっぱりそういう魂胆かい。せいぜい本性見せ過ぎて引かれないようにしなよー?」
「余計なお世話ですっ!」

 こういう、女性同士の会話って野郎は入れませんよねー。あ、俺すみっこで商品見てるんで、お二人で好きなだけお話してくださっていいですよー。
 あ、この爬虫類っぽい外見の女の子を象ったガラス人形カッコいいですね。実にファンタジーですね。

「……コホン。それで、お願いしていたグラスとティーポットは何処ですか?」
「はいはい。こいつだよ」

 あ、やっと話が終わった。
 しかしティーポットかー。『ロミ・ケーキ』でも何度か見たけど、見るからに高価そうな奴使うんだよなぁ。しかもそれで淹れてもらった紅茶が美味い事なんの。
 紅茶より緑茶、さらに言えばコーヒー派だから紅茶に関してまるで理解がなかったんだけど、もう午後茶とかリプトムとか飲めたものじゃない。味の透き通りっぷりが半端ないんだよ。

「全く。『キキーモラ』が妄想にふけっててグラスが落ちるのを見過ごすなんて、笑い話だねぇ」
「……返す言葉もございません」

 いやいやちょっと待ってくれよ肝っ玉幼女さん。落としたの俺だって。フィネアは悪くないって。あんまりからかってやらないでい。
 というか、さっきから何なの? キキ、マラ?

「『キキーモラ』です。私達の役職名、と思っていただければ結構です」
「ウチの系列会社ってそれぞれの役職にちょっと変わった名前が付くのよ。アタシだったら『ドワーフ』だし」

 ああ、だからドワォなんて物騒な略称の店なんですね。

「……いや、略称に関してはウチの社長がOVA見た直後のノリで決めたんだけどさ」

 何考えてんだそっちの社長。ちなみに真ですか新ですかネオですかどれですか。
 あ、話に入れないフィネアがそそくさと備品入ったダンボールを抱え上げようとしてるじゃないか。待て待て、重材運搬は男の仕事だよ。

「ご心配なさらずとも、殆ど重量はありませんよ?」

 それでもさ、女の子に荷物持たせるのは個人的に情けないんだよ。こんなナヨ男でも、一応男の子。気になる女の子の前ではカッコつけたがるモノなんだよ。

「ですが、ご主人様のお手を煩わせるのは……」

 というか、君が従者精神溢れた職業メイドなのは分かるんだけど、あんまり君に頼り過ぎてたらただのヒモになってしまう。
 俺が自分を好きになれるよう手伝ってくれる、って言うならさ。君が俺のメイドで居る間くらい、ダメ男返上の為の努力をさせてくれないか?

「……わかりました」

 そこまで言うと渋々、といった感じでダンボールを手渡してくれた。へい、任されましたよっと。
 うぉわ、重っ。コレ本当にガラス製品? 鉄製の何かが入ってるんじゃないの? こんなのあの細腕に持たせられんよなぁ、俺!

「――ですが、これだけは言わせてください。……ご主人様は、ダメ男などではありませんからっ」

 ううむ、正面切って言われると照れるというかなんというか。まあ、『そんな訳ねぇ! 俺みたいなクズ、君に励ましてもらう価値なんてないんだよ!』とか真っ先に考えなくなったあたり、一歩前進というべきだろうか。
 あ、幼女さん。何風鈴出してるんですか。

「熱いねぇ〜、見せつけるねぇ〜?」

 待てい、何を言っているんだ。
 別にイチャイチャしてる訳じゃないんだけど?

「ま、そういう事にしとこうじゃないかい。――それじゃ、アタシはここで失礼させてもらうよ。まだまだ仕事が残ってるんでね」
「ありがとうございました。またよろしくお願いします」

 さあ、次の目的地である喫茶店に行こう。そう思いながらフィネアを伴い、店を後にしようとした矢先、

「――さて、アンタは『私達』を理解できる人間?」

 そんな、期待と他、俺には得体の知れない感情が込められた問いが投げかけられた。
 ……達? 理解? どゆ事?

「ま、今は分かんなくてもいいさ。今は、ね」

 何その含みありまくりな発言!? 今は、って!?
 そう聞き返そうとしたが、すでに奥の工房に行ってしまったのか小柄な店員はそこには居なかった。

・・・

 工芸店から徒歩約6分の所にある、安価でそこそこのコーヒーが飲める喫茶店を目指して俺達は前進していた。

「――そうでしたか……。今週は走り込みばかりで、特に右足膝が……」

 そうなんだよねー。関節の痛みって治りにくいし結構仕事に支障出るから面倒だわー。かといって、いちいち痛いって言ってたら仕事にならないし、難しいよねー。

「そうですね。私達従者として働く者も変わりません。いついかなる時も主の要望に応える所存ではありますが、職務に支障が出る程の体調不良の時は主にご迷惑をかける事を避ける為休みます。しかし、そうでない場合はどんな事があろうと従者としての責務を果たすようにしています」

 一切迷いのないその表情に対し、純粋に凄いと思う。俺なんて何度痛みに負けて課業を怠けようとした事か。

「いえ、楽な方向に向かおうとするのは生物として当然の事です。大事なのは、負けそうになった時に自分を鼓舞して、そのまま引きずられないようにする事だと、私は思います」

 難しいなぁ。
 ちなみに、そう言うフィネアは自分に負けそうになる事ってあるの? 見るからにメイド職を好きでやってるようなイメージあるからその光景が想像出来ないんだけど。

「えっ? そ、それは……」

 ありゃ、あっさりとした返答が来ると思ってたけど以外と複雑な模様。そうだよねー。やっぱりフィネアも生物だもんねー。でも何でそこで頬を赤らめてるの? そんなに怠けたいと思っちゃう自分が恥ずかしい?
 返答を聞くよりも先に、店が見えてきた。街中でよく見かける、アルファベット6文字中5文字目だけ黄色に着色された看板に向かって歩く。
 しかしまあ、この店舗に来た事ないけど随分と寂れてるなぁ。お昼時なのに誰も見かけないし、車も停っていない。
 ……え、客が居なさすぎるんだけど。コレ、凄く嫌な予感がする。

「――ご主人様、こちらに」

 残念そうな表情のフィネアに案内されて店の自動ドア前に来て、ようやく俺は気付いた。

『本日をもって、こちらの店舗を閉店させていただく事になりました。長らくのご愛顧、誠にありがとうございました。』

 何てこった……、このタイミングで店がなくなっていたとは……。つーか日付見るに、店仕舞いしたの昨日じゃねぇか……。あと一日我慢してくれよ……。
 まあ、仕方ねぇ。他にお店を探せばいいか。
 そんな風に考えつつフィネアの顔を見る。

「……あっ」

 偶然同じタイミングで振り返った事により、視線が合った。
 その時彼女は何かを迷っているようだった。考えを言いたい。けれど言っていいのか。そんな感じで、困っているように見えた。
 だから俺は、彼女の発言を促すよう、軽く頷いてみた。すると、彼女の表情から迷いが薄れ、代わりに決心と呼べる感情が現れた。

「……ご主人様、よろしいでしょうか?」

 ん? いいよー。どうしたの?

「この近くに、私が知る限り最高級の珈琲を挽く事の出来、さらには整体マッサージも行える喫茶店があるのですが、……如何でしょうか?」

 えっ、そんな店あるの!?
 しかしなぁ……、ここで紹介された所にそのままホイホイ行く、ってのも男としてどうかと……。でも……。うーん……。……よし。
 案内、してくれないかな?

「……はい、かしこまりましたっ♪」

 頼られたからか、それとも別の理由があるか分からないけど、自然な微笑みが零れる。
 いやまあ、ここでグダグダ考えたり調べたりして待たせるよりは、そっちに案内された方がいいんじゃないかな。そう思ったまでだよ。決して他にどうしようか考えるのが面倒だった訳じゃないからな?
 工芸店側に少し戻り、そこから駅側に2、3分歩くと、十数階以上はありそうな、綺麗なマンションが見えてきた。

「こちらです、ご主人様」

 部屋を使って経営して居るのか、と思いながらポストを見る。いや、それっぽいのはないなぁ。知り合いの家にでも上がり込むのかな?
 エレベーターに乗ると同時に、フィネアが『Kiki』と書かれたボタンを押す。わかりやすい電子音と共に扉が閉じ、俺達を包む鋼鉄の箱が動き出した。そうしてすぐに、指定された階層に辿り着く。
 奥まで廊下があって、ズラーっと扉が並んでいるという、マンションあるある的な光景を通り抜けて、フィネアが止まった扉に向き直った。

「ここが、私が紹介したかったお店です」

 その扉の横、よくネームプレートが張られている位置には、

『Phinea(フィネア)』

 と、そう書かれていた。
 美味しい珈琲を挽けて、マッサージも出来る。なるほど、確かにここならば出来るとは思う。店員も、当然用意してるから案内したんだろうし。
 でもさぁ、ここって。

「――私の家へ、ようこそいらっしゃいました。ご主人様っ♪」
14/10/04 22:17更新 / イブシャケ
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■作者メッセージ
こうして空回りしつつも頑張る童貞は、不注意にも女の城に装備なしで足を踏み入れたのだった……!
とまあ、そんな感じで。
どうも、イブシャケです。最近教わったんですが、サーモンって厳密にはシャケではなく、マスに当たる英語なんですね。軽くショックでした。
それはさておき。

今週はどうにか無事に書き上げられましたが、来週からマジで忙しくなるらしいんで、次の更新は遅れそうです。つーか次はエロが入るんでより遅れます。読んで下さってる方はすいません。

気付けばこの、現実逃避の達人兼プロの童貞である自分の妄想を形にした作品が30voteですよ。どうなってるんですか一体。本当にありがとうございます。自分は完全に勢いをなくした作家だ、と前作の時に思ってた反動もあって、感激雨あられといった状態です。
これからも読者さんを楽しませられるよう、時間を見つけて書いていきたいと思っとります。

とまあ、そんな感じで。
ではでは。

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33