第十六話 激戦にて/姉役のターン
とんでもない命令を下した上司に対して、今までアタシは文句こそ言えども、本気でブン殴ろうと思った事はない。無茶苦茶としか言えない仕事でも、アタシたちは所詮分隊だから、最低限生きて帰還すれば任務は達成扱いになる。
だから面倒と思っても、怒りや腹立たしさを感じた事はない。
しかし、今回ばかりは責任者出てきなさい。頭頂にリンゴ置いて魔力付与された矢でブチ抜いてあげるから。泣きながらアタシたちに休暇とボーナス出しなさい。
「な、あ」
動かない。身体が動く事を忘れて、目の前に迫り来る確実な死を、ただ見ている事しかできない。まだ10歩分くらい距離があるにもかかわらず、夏の日差しを何百倍にしたかのような、肌を焼く熱が、近づいてきているのに。
「――くっ!」
視界の隅で、ハミルが不自然な挙動と共に動き始めた。
奴は常日頃から、私にはよく分からない魔術的な実験をしている。昨日も日中にキッチンで怪しげな踊りを踊っていて、
「これじゃない、これじゃないんですよ!」
とか奇声を上げていた事を憶えている。
だが、奴が作る物には何度も助けられた経験もあり、
「こんな事もあろうかと!」
と、普段の落ち着いた雰囲気は何処へやら、妙なテンションで怪しげな魔法や道具を使って事態を回避したりするのだ。おそらく今回も、それに類する何かだろう。
「大気よ! 全てを受け流す鋭き壁となり、我らを護れ!」
ハミルを先頭にしたアタシたちの眼前に、周囲の空気が集まり、形を成した。それと同時に熱が、灼熱の炎が到達し、完成したばかりの障壁の前で二股に分かれたのだ。
「ぐ、お、ああ、ああああっ!」
確かに、盾は平面よりも円形といった中央から外側に掛けて盛り上がる形になっている方が、受ける力を分散出来て便利だ。並の魔法ならば殆ど消費もなく切り抜けられる。
だが、この炎は並どころか、アタシたちの想像を遥かに超えたものだった。受け流している筈のハミルの腕が徐々に焼け始め、奴の袖が燃え始める。苦しげに呻くハミルを、そしてこの部屋に潜む、火を噴く『怪物』に威圧され、ただ見ている事しかできないアタシたちをあざ笑うかのように炎はより一層強さを増したのだ。
「はぁ、は、はぁ、はぁ、は」
だが、それでもハミルは耐えきった。両腕に受けた火傷の所為で皮膚が爛れ、熱気の残るその場に崩れ落ちてしまうが、誰一人死んではいなかった。
「ほほう、あれを防ぎきるとは、やるな人間」
この、数千人が入る教団の大聖堂と同等の広さを持つ空間においてもハッキリと聞こえる、威圧感に満ちた重い声。その持ち主が、件の怪物。こいつの呻き声が廃坑に響き渡り、外を通った人の耳に入ったのだろう。
アタシたちとは存在そのものの位が違う、桁違いの存在感。首は動かないので視線だけ動かし、姿だけでも拝もうとする。
深紅の巨体に、アタシの身体の5倍はありそうな皮膜の翼。体中が鱗に覆われていて、前足、後足のどちらにも重硬で鋭利な爪を備えている。
金色の瞳の中の瞳孔は縦に開いており、口の端を釣り上げる様は笑っているつもりなのか。口の隙間から見える牙が何とも恐ろしげだ。
――ドラゴン、か……。
『地上の王者』と称される、魔物の中でも最上位の存在。伝記や物語によく現れ、強靭な身体は刃を通さず、全てをその燃え盛る吐息で焼き尽くすという、最強の敵として描かれる伝説上の存在。
それが今、アタシたちの目の前にいる。
――アタシの人生もこれで終わりとはね……。短い人生だったわ。
動けない事が幸いとして、諦めてもエリアスに怒られる事はない。強いて言うなら、あの子、シャーランたちが戻って来た時に迎えてあげられない事が心残りと思う。
「――だが、防ぐだけで全力を使ってしまったようだな」
先ほどまでの声色から打って変わり、興味を失った声がアタシたちに降り注いだ。だけど、アタシたちは震えたまま、誰一人として動く事は出来なかった。生物としての本能が、抵抗は無駄、と言っているようで悲しくなる。
「貴様たちも、凡百の兵と同じか……」
ガッカリした声と共に、ドラゴンは周囲の大気を吸い込み始めた。
――今度こそ、アタシたちは丸焼きねぇ。いや、炭も残らないかしら?
もう駄目だ、と思うと案外気が楽になるもので、悲観的になりながらどうでもいい事を考え始める。そんな中で、アタシは再びあの二人の顔を思い出した。
――二人が協力して、この危機を助けに来てくれるとか。……ないわー。
ありえない、というか想像がつかない。堅物乙女と適当女。どう考えても喧嘩ばかりしてるだろう。
だからそんな夢見がちな妄想をしていないで現実を見よう。
そう思った。
けれど、信仰心の薄いアタシでも、どうやら主神様は救ってくれるようだ。
「――っ!?」
「うおぉぉぉぉおおぉおおぉぉおお!」
「はぁあああああぁぁあああああぁ!」
アタシたちの頭上を、二つの雄叫びが飛び越えて行った。
洞窟中に響くような、恐れを知らない、確かな響き。一つは笑みを浮かべた荒々しい声で、もう一つは天上から遣わされた戦女神のように凛々しい声。
その二つが一つとなって、一筋の光のようにドラゴンへ向けて放たれた。
「おぉ、――おお!」
対する竜は、腹の底から嬉しさを押し出すように、感嘆の言葉を持って雄叫びを迎えた。一番背の高いエリアスの三倍はある大きさの前足を、飛んでくる二人に向かって思い切り振り抜いた。
当たれば一瞬で挽肉確定。そんな恐ろしい打撃を前にしてもなお二人の戦意は失われず、
「シャーラン! 前から!」
「見りゃ分かるわよ! 倍数増加、十九倍っ!」
向かってきた前足に自らの足を引っかけ、足場として逆に利用してやったのだ。
「――かぁっ!」
だがドラゴンはすぐさま反応し、二人が飛び込んで来る経路を先読みして、その大きな口を開いたのだ。もし閉じられれば、鉄をも難なく噛み砕いてしまうであろう牙によって齧り切られ、骨すらも残らない。さらに、翼のない二人には、これを回避する術はない。
しかし、二人は恐れず前を向いたまま、
「閃光よ! 矢となりて、魔を穿て!」
凛々しい方が唱えると同時に、その指から目にも留まらぬ速度の光が放たれ、竜の頬を内側から焼き打ったのだ。
本来ならば、竜に傷を与えられるような方法なんか、アタシたちにはない。聖別された伝説の剣や、禁術と呼ばれる危険かつ効果の大きい魔法を用いなければ、倒す事など夢のまた夢。
だが、主神の与えた神の叡智、魔物への特効魔法、勇者だけが用いれる奇跡。すなわち『聖術』ならば、魔物の存在を構成する魔力そのものにダメージを与えられるのだ。そして、アタシたちの仲間には、それを使える人材が一人居る。
結果として、
「がっ、ぐぅぁ!?」
予想外の痛みに対し、竜は思わず顎を閉じてしまう。
それを待っていた、と言わんばかりに鼻先に乗り、一瞬で脳天にまで駆け上がり、
「効くかは知らないけど、これでも食らいなっ!」
「――っ!?」
爆音と聞き間違えるほどの高速で放たれた震脚。これにより竜は己の巨体を震わせ、動きを止めざるを得なくなった。
ドラゴンからすれば、この程度は何の事もないだろう。しかし、どれだけ外面が硬かろうとも、内部、特に脳といったデリケートな部位まで丈夫とは限らない。脳を揺らせば、自然と全身が揺れる。それはいくら格上の存在だとしても変えられないのだ。
「ぬ、かっ、ぬおぁ」
「おまけですっ! 聖火よ、輝ける炎を持って愚かな魔を焼き滅ぼせ!」
ぐらつく巨体は足場として危険と判断したのか、二人はこちらに向かって飛び降り、その間際に聖なる炎によって竜の鼻面を焼き焦がしていった。
「なぁっ!? あぐ、ぐぬぁ!? や、やりゅぬぁ!」
衝撃に揺れる脳により呂律が、肌を焼く炎が邪魔となり、竜は自分の身体から飛び降りた二人を攻撃する事が出来ないのだ。
そして二人がアタシたちの前に立ち、
「隊長! 皆さん! 無事でしたか!?」
「コラー! 動かないとケツに蹴りいれるよーっ!」
エミリアが上、シャーランが下と、肩車状態のまま、大きな声を向けられた。
・・・
突然の乱入と、あの怪物に臆さず翻弄したという事実に理解が及ばなかったアタシたちはすぐには思考を取り戻せなかったが、一拍置いてどっと我に返り、
「い、生きてたんだったらもっと早く来なさいよ!」
真っ先にそんな事を叫んでいた。
「ごめんなさいアニーさん! 遅くなりました!」
「姐さんーっ! ゴーストじゃねぇんだよな!? 本物だよな!?」
「アホか、私はそう簡単に死なないのよ」
「二人とも、無事だったんですね!? よかった……」
「ちょっと無事じゃないですけど、大丈夫ではあります!」
みんなが再会を喜び合い、同時に、心強い味方の到着に頼もしさを感じずにはいられない。自分よりも年下の味方に頼らなければならない事に無力を感じずにはいられないが、
――この子たちのサポートをするのが、大人の仕事よね。
シャーランは言わずもがなだが、今のエミリアはまず間違いなく突撃型だ。どうやって意気投合したのかは分からないが、二人して突っ込んでいく姿が目に見える。
ならば、アタシたちがその補助をすればいい。最も活躍できる二人の裏方に回り、大人としてのプライドを守りつつ二人を助ければいいのだ。
吹っ切った私の横で、エリアスが二人の前に立った。
「……」
自らの危機を救った二人に対し、無言のまま。だが、それがエリアスなりの歓迎だと分かっている二人は背筋を伸ばして、
「勇者候補、エミリア・キルペライン!」
「補充兵、シャーラン・レフヴォネン!」
己の名を高らかに宣言して、
「ただいま帰還いたしました! これより、隊長の指揮下へ戻ります!」
「遅れてゴメンね! その分働くから許してよ!」
迷いのない真っ直ぐな瞳を向けて、帰還を伝えたのだ。
エミリアの顔には思いつめた様子が一切なく、吹っ切ったかのように晴れやか。
シャーランの顔には、あの恐ろしげな笑みではなく、頼もしさを感じる強い笑み。
そんな二人の遅刻者に対しエリアスは一度だけ頷いて、
「――二人とも、よく帰ってきた」
確かな口調で、二人を労った。
「は、はいっ!」
「おーよっ!」
二人は褒められた子供のように嬉しげな表情を浮かべ、答える。
諦めるという言葉を忘れさせる、勇気を与える者。
無理を無理やり押し通させる、強き思いをくれる者。
その二つが、一つになって、アタシたちを導いてくれる。
「――全員! 人の事を言えないが、まずは気合を入れなおせ!」
部隊の頭が目を覚まし、部位となるアタシたちに呼びかける。
「私たちの任務は調査だ! ――だが、この状況で逃げられると思っているのか!?」
否、とアタシたちは答える。
不意を打てたからこそ今の隙が存在するが、本来ならば有象無象がどうにかできる相手ではない。普通に考えれば、ここは早々に逃げ、本部に逃げ帰るのが最良だ。
しかし、相手はドラゴンだ。追って来るならば容赦はしないだろうし、そもそも獲物を逃がすとは思えない。だからせめて、廃坑から逃げられるだけの時間を稼げる確実なダメージを与えなければならない。
「先ほどまでの私達にはそれは出来ぬ話だった。無傷でこの場にたどり着けたとしても、無理だっただろう。――だが! 今なら出来る!」
何故なら、
「ここには勇者と覇者が居る! 人を導き魔を払う者と、魔という魔を滅ぼし尽くす者が手を組み、私たちの前に居る! たとえ伝説の怪物でも、容易く踏み潰せぬと私は信じている! だからこそ、人の身の私たちには二人を助ける義務がある!」
その叫びに二人は笑い、お互いを見る事無く頷き合う。言葉は既に必要なく、お互いがお互いの役目を果たすだけと言うように、前だけを見ている。
――そんなんだから、助けずにはいられないじゃないの。
若い奴は流れに乗りすぎて失敗する。私にだってその経験がある。
いくら強くったって、ミスは必ず付きまとう。
だから大人の、周りの人間のフォローが必要なのだ。
――どんなに強くても、一人じゃ限界があるってね。
魔王と戦う伝記でも、竜を倒した伝説でも、一人で戦った勇者は居ない。
人間は、支え合って生きるものなのだから。
「――行くぞ! 勝って私たちの未来を掴む為に!」
全員の、洞窟中に響き渡る返答と共に、アタシたちは散開した。
竜が立て直し、向かってきたのだ。
・・・
「エミリアとシャーランは叩き落されないよう、出来る限り注意を払ってドラゴンの急所を狙え! アニーは牽制しながら『あの方法』で撃ち続けろ! レイブンはハミルを後退させ、私と共に左側に行くぞ!」
エリアスの指令が回ったと同時にアタシたちは動き出していた。
その光景を見て、赤きドラゴンは、笑った。それも、心の底からの激しい笑み。
「ふふ、はは、ははははは! 楽しい、楽しいぞ! さあ、来い人間共よ! 」
こうなる事を待ち望んでいたような、そんな声で笑い、その巨体を惜しげもなく前方へ投げ出した。
「おわっ!?」
叩き付けられる前足が地面を砕き、足となっているシャーランの身体を襲う。当然、避ける為にあの子は道を外れなければならない。案の定、右に跳んだ。
「おお……っ!」
砕いた反動を感じさせない速度で左前足が持ち上がり、そのまま羽虫を払い落とすような軽い動きで二人が居る位置を薙ぎ払う。
先に地面に足を付いていたシャーランが、着地と共に、
「跳ぶよ!」
「ええ、行ってください!」
真っ白な水蒸気を残像のように残し、跳んだ。
前に。
同時に巨木よりも太い腕が振り抜かれた。
「――何っ!?」
だが、驚いたのはドラゴン一人だった。潰した感触が返って来ず、その代わりに視覚がこう返して来た。
二人は生きていて、気付かぬ間に右の前足の隣に達しているという事を。
実はシャーランは僅かに屈んで飛んでおり、地面と身体を平行にするように、それもギリギリを跳んでいたのだ。故に、地面と竜の剛腕の隙間を通る事が出来、その勢いのまま逆の足の側にまで来る事が出来たのだ。
「右前足、貰いっ!」
「聖雷よ! 速き鋭きを持って、魔の身体を縛れ!」
轟音と共に放たれたシャーランの蹴りが大地を揺らし、激突寸前に唱えられたエミリアの魔法の所為で竜の筋肉が一瞬だが完全に麻痺した。
「ぐぅ……っ!?」
その結果、竜は右前足によって支えていた分の力を入れられなくなり、おまけに側面からの衝撃を受け、崩れ落ちるように前に沈み込んだ。
「当たれっ!」
ただ転んだだけとはいえ、地上の王者が人間を前に二度も手玉に取られ、隙を作っている。アタシはこの機を逃すまいと、弓に矢をつがえ、無数に竜を撃った。
だが、やはり伝説の怪物。僅かに刺さるか、完全に跳ね返されるか程度の効果しか見受けられない。
「効かぬ! その程度の矢など――」
「――だったら、この矢ならどうかしらね……っ!」
弦が指から離れ、矢が放たれる。さっきまで撃っていた矢と、何ら変わりはない様子で飛んで行き、僅かに突き立てられ、
「――ぐおっ!?」
竜の身体を震わせた。
「ランク低いとはいえ、聖別された矢じりよ! どうよ少しは痛い!?」
友人のシスターに格安で聖別してもらったものだ。もしもの時のお守りに、三つだけ手持ちに入れておいたのが役に立った。
「これからランダムにこれを撃ち込んであげるわ! 弾かないとビックリするわよ!?」
あえてここで嘘を叫ぶ事で、ドラゴンは二人から離れた位置のアタシにも注意を向けなければならなくなった。これでアタシの危機は高まってしまったと言えるだろう。
だけど、同時にチャンスでもある。
「アネー、ナイス! ――横面隙だらけっ!」
「はあっ!」
動きを止めた瞬間、ドラゴンに最も近い二人が同時に攻撃を仕掛けた。それにより、竜はさらなる、痒みにも似た痛みに悶え苦しむ事となった。
続けて私は矢を放っていく。先ほどまでの連射ではなく、一発一発確実に、ドラゴンの注意を引くように撃っていく。
「これこそが、人間……っ!」
「分かってんじゃないの化け物!」
シャーランたちを弾き飛ばす為に勢いよく身体を振り回し、巨体が再び持ち上がった。しかし二人は既にドラゴンの身体が届く範囲から退避しており、無傷。
「があっ!」
「うあっ!?」
「こ、こんな狭い場所で……っ!」
突然、ドラゴンが翼を広げ、その場で強く羽ばたき始めたのだ。竜巻のような強風がアタシたちを襲い、飛ばされぬよう堪える為に隙を作らざるを得なくなってしまった。
「今なら矢は撃てまい!」
即座に右腕を振り上げ、目の前の二人を叩き潰すための強大な質量が振り下ろされた。
だが、
「こんなそよ風でどうこう出来ると思ってんじゃないわよ! 身体強化、21倍!」
声と同時にシャーランの身体から蒸気が吹き上がり、そして、動いた。
「なあっ!?」
「――おおぉぉぉ!」
一瞬だけ足から力を抜き、わざと数歩分背後に飛ばされたのだ。そして空けた距離が竜の足の裏よりも長くなった瞬間、地に足を付け、二人の身体は瞬間的なスピードで跳ね上がった。空振りに終わった腕の上に乗り、跳んだ時と同じ速度で身体を登って行ったのだ。
「聖光よ! 我が剣に宿り、魔を切り払え!」
肩を通り過ぎる間際、淡く輝いたエミリアの剣が、浅くではあったが確かに竜の首筋を切り裂いたのだ。
「これはおまけだ、取っとけ!」
さらにシャーランが、靴底を擦り減らしながら片足で進行方向を無理やり変え、エミリアが作った傷口に蹴りを叩き込んだのだ。
「グ、ルアァァァアアアァァァッ!?」
先ほどまでと違い、小さくはあるが流血する程の確実なダメージを受け、竜は怯んだ。
しかし、それがむしろこちらにとって仇となってしまった。
「お、わっ!?」
「あうっ!」
巨体が外敵を追い払おうと大きく動き、足場として安定しなくなってしまったのだ。
激しく揺れるドラゴンはその凶暴な口を開き、叫んだ。
「――我を恐れぬ人間たちよ! その勇猛さ、何処から出た!」
「トカゲ、何かに、教える必要は、っとと、ないよ! ――くっ!」
「きゃあっ!」
ついに耐え切れなくなり、二人は空中に投げ出されてしまう。
「貴様ら二人が、支えなのだろう!? 勇者と覇者のタマゴたちよ!」
振り落とした事を確かめ、竜は歓喜と取れる咆哮を上げた。そして身体を半身だけ、今二人が居る方向とは逆に押し出し、
「ならば、貴様らが倒れればどうなるか! 確かめてみようではないか!」
全体重を乗せ、突き飛ばしに来たのだ。
――マズイ! 助けを……っ!
空中に居る二人が、自分たちで回避行動を取る事は出来ない。先ほど腕に足を掛け、飛び越えられたのは助走があり、その勢いを利用したからだ。今の二人はこの突進に対し、防御以外の対処が取れない。
「エミリア! シャーラン!」
「姐さん!」
ドラゴンの身体を挟んで向こう側に居たエリアスとレイブンが叫ぶが、あの位置からではたとえ策があっても間に合わない。だからアタシは弓に聖別された矢じりの矢をつがえ、
「止まれ!」
放った。
しかし、
「――ここで来ると思っていたぞ!」
「なっ!?」
ドラゴンの片翼が羽ばたき、矢の勢いを完全に殺し切ってしまったのだ。
空気が動いた事で二人は吹き飛ばされる形となったが、それでも竜の突進から逃げられる距離まで届いてはいなかった。
「――逃げて!」
無理だと分かっていても、そう叫ばずにはいられなかった。
衝突した。
・・・
空気を破裂させ、竜の先にある岩壁が破砕した。
土埃が舞い上がり、瓦礫が地面へと転がり落ちていく。
ドラゴンの体重は少なく見積もっても、人間の数千倍。加えて体格差や、筋力なども合わせると、即死を通り越して挽肉化は確定だ。
「あ、ぁ」
突き付けられた事実に、アタシは弓を握る手が緩む。全身から血の気が失せ始め、思考が定まらなくなっていく。
――私のミスじゃない……。
竜にダメージを与えたと同時に追撃を行わなければならなかったのに、それを怠った所為で、主軸の二人を死なせてしまった。
重くのしかかるような重みに、これから起こる蹂躙劇など目にも入っていなかった。
だが、そんな私の意識を一瞬で戻す事が起こった。
「っ!? ガァアアアァァァァァァア!?」
「なっ!? こ、これは、雷!?」
突如として、何本も束になった雷撃がこの空間に広がり、耳をつんざくような音を立ててドラゴンを集中攻撃し始めたのだ。
こんな事が出来るのは、ただ一人。アタシはその人物、奴の顔を探して周囲を見回し、
「どうですかドラゴン! 天の裁きの味は! 人間は日々進化する生き物なんですよ!? 普通、集団戦でこんな広範囲の、生物に甚大な被害を与える魔法使わないんですけどね!」
若干、いやかなりテンション高めに笑いながら雷雨を形成しているハミルの姿を見つけたのだ。
「皆さん! 二人は潰れてませんよ! 潰れてるんだったら、壁に穴なんて開かずにそこら辺に肉片飛び散ってますからね! ――ですから、立ってください!」
魔法使いらしい冷静な状況分析を受け、アタシたちは再び立ち上がる力を得た。
「この魔法、物凄く魔力食うんですよ! 生きてるなら、さっさと出て来てくださいよ!」
その叫びに答える声は無い。
しかし。
だから面倒と思っても、怒りや腹立たしさを感じた事はない。
しかし、今回ばかりは責任者出てきなさい。頭頂にリンゴ置いて魔力付与された矢でブチ抜いてあげるから。泣きながらアタシたちに休暇とボーナス出しなさい。
「な、あ」
動かない。身体が動く事を忘れて、目の前に迫り来る確実な死を、ただ見ている事しかできない。まだ10歩分くらい距離があるにもかかわらず、夏の日差しを何百倍にしたかのような、肌を焼く熱が、近づいてきているのに。
「――くっ!」
視界の隅で、ハミルが不自然な挙動と共に動き始めた。
奴は常日頃から、私にはよく分からない魔術的な実験をしている。昨日も日中にキッチンで怪しげな踊りを踊っていて、
「これじゃない、これじゃないんですよ!」
とか奇声を上げていた事を憶えている。
だが、奴が作る物には何度も助けられた経験もあり、
「こんな事もあろうかと!」
と、普段の落ち着いた雰囲気は何処へやら、妙なテンションで怪しげな魔法や道具を使って事態を回避したりするのだ。おそらく今回も、それに類する何かだろう。
「大気よ! 全てを受け流す鋭き壁となり、我らを護れ!」
ハミルを先頭にしたアタシたちの眼前に、周囲の空気が集まり、形を成した。それと同時に熱が、灼熱の炎が到達し、完成したばかりの障壁の前で二股に分かれたのだ。
「ぐ、お、ああ、ああああっ!」
確かに、盾は平面よりも円形といった中央から外側に掛けて盛り上がる形になっている方が、受ける力を分散出来て便利だ。並の魔法ならば殆ど消費もなく切り抜けられる。
だが、この炎は並どころか、アタシたちの想像を遥かに超えたものだった。受け流している筈のハミルの腕が徐々に焼け始め、奴の袖が燃え始める。苦しげに呻くハミルを、そしてこの部屋に潜む、火を噴く『怪物』に威圧され、ただ見ている事しかできないアタシたちをあざ笑うかのように炎はより一層強さを増したのだ。
「はぁ、は、はぁ、はぁ、は」
だが、それでもハミルは耐えきった。両腕に受けた火傷の所為で皮膚が爛れ、熱気の残るその場に崩れ落ちてしまうが、誰一人死んではいなかった。
「ほほう、あれを防ぎきるとは、やるな人間」
この、数千人が入る教団の大聖堂と同等の広さを持つ空間においてもハッキリと聞こえる、威圧感に満ちた重い声。その持ち主が、件の怪物。こいつの呻き声が廃坑に響き渡り、外を通った人の耳に入ったのだろう。
アタシたちとは存在そのものの位が違う、桁違いの存在感。首は動かないので視線だけ動かし、姿だけでも拝もうとする。
深紅の巨体に、アタシの身体の5倍はありそうな皮膜の翼。体中が鱗に覆われていて、前足、後足のどちらにも重硬で鋭利な爪を備えている。
金色の瞳の中の瞳孔は縦に開いており、口の端を釣り上げる様は笑っているつもりなのか。口の隙間から見える牙が何とも恐ろしげだ。
――ドラゴン、か……。
『地上の王者』と称される、魔物の中でも最上位の存在。伝記や物語によく現れ、強靭な身体は刃を通さず、全てをその燃え盛る吐息で焼き尽くすという、最強の敵として描かれる伝説上の存在。
それが今、アタシたちの目の前にいる。
――アタシの人生もこれで終わりとはね……。短い人生だったわ。
動けない事が幸いとして、諦めてもエリアスに怒られる事はない。強いて言うなら、あの子、シャーランたちが戻って来た時に迎えてあげられない事が心残りと思う。
「――だが、防ぐだけで全力を使ってしまったようだな」
先ほどまでの声色から打って変わり、興味を失った声がアタシたちに降り注いだ。だけど、アタシたちは震えたまま、誰一人として動く事は出来なかった。生物としての本能が、抵抗は無駄、と言っているようで悲しくなる。
「貴様たちも、凡百の兵と同じか……」
ガッカリした声と共に、ドラゴンは周囲の大気を吸い込み始めた。
――今度こそ、アタシたちは丸焼きねぇ。いや、炭も残らないかしら?
もう駄目だ、と思うと案外気が楽になるもので、悲観的になりながらどうでもいい事を考え始める。そんな中で、アタシは再びあの二人の顔を思い出した。
――二人が協力して、この危機を助けに来てくれるとか。……ないわー。
ありえない、というか想像がつかない。堅物乙女と適当女。どう考えても喧嘩ばかりしてるだろう。
だからそんな夢見がちな妄想をしていないで現実を見よう。
そう思った。
けれど、信仰心の薄いアタシでも、どうやら主神様は救ってくれるようだ。
「――っ!?」
「うおぉぉぉぉおおぉおおぉぉおお!」
「はぁあああああぁぁあああああぁ!」
アタシたちの頭上を、二つの雄叫びが飛び越えて行った。
洞窟中に響くような、恐れを知らない、確かな響き。一つは笑みを浮かべた荒々しい声で、もう一つは天上から遣わされた戦女神のように凛々しい声。
その二つが一つとなって、一筋の光のようにドラゴンへ向けて放たれた。
「おぉ、――おお!」
対する竜は、腹の底から嬉しさを押し出すように、感嘆の言葉を持って雄叫びを迎えた。一番背の高いエリアスの三倍はある大きさの前足を、飛んでくる二人に向かって思い切り振り抜いた。
当たれば一瞬で挽肉確定。そんな恐ろしい打撃を前にしてもなお二人の戦意は失われず、
「シャーラン! 前から!」
「見りゃ分かるわよ! 倍数増加、十九倍っ!」
向かってきた前足に自らの足を引っかけ、足場として逆に利用してやったのだ。
「――かぁっ!」
だがドラゴンはすぐさま反応し、二人が飛び込んで来る経路を先読みして、その大きな口を開いたのだ。もし閉じられれば、鉄をも難なく噛み砕いてしまうであろう牙によって齧り切られ、骨すらも残らない。さらに、翼のない二人には、これを回避する術はない。
しかし、二人は恐れず前を向いたまま、
「閃光よ! 矢となりて、魔を穿て!」
凛々しい方が唱えると同時に、その指から目にも留まらぬ速度の光が放たれ、竜の頬を内側から焼き打ったのだ。
本来ならば、竜に傷を与えられるような方法なんか、アタシたちにはない。聖別された伝説の剣や、禁術と呼ばれる危険かつ効果の大きい魔法を用いなければ、倒す事など夢のまた夢。
だが、主神の与えた神の叡智、魔物への特効魔法、勇者だけが用いれる奇跡。すなわち『聖術』ならば、魔物の存在を構成する魔力そのものにダメージを与えられるのだ。そして、アタシたちの仲間には、それを使える人材が一人居る。
結果として、
「がっ、ぐぅぁ!?」
予想外の痛みに対し、竜は思わず顎を閉じてしまう。
それを待っていた、と言わんばかりに鼻先に乗り、一瞬で脳天にまで駆け上がり、
「効くかは知らないけど、これでも食らいなっ!」
「――っ!?」
爆音と聞き間違えるほどの高速で放たれた震脚。これにより竜は己の巨体を震わせ、動きを止めざるを得なくなった。
ドラゴンからすれば、この程度は何の事もないだろう。しかし、どれだけ外面が硬かろうとも、内部、特に脳といったデリケートな部位まで丈夫とは限らない。脳を揺らせば、自然と全身が揺れる。それはいくら格上の存在だとしても変えられないのだ。
「ぬ、かっ、ぬおぁ」
「おまけですっ! 聖火よ、輝ける炎を持って愚かな魔を焼き滅ぼせ!」
ぐらつく巨体は足場として危険と判断したのか、二人はこちらに向かって飛び降り、その間際に聖なる炎によって竜の鼻面を焼き焦がしていった。
「なぁっ!? あぐ、ぐぬぁ!? や、やりゅぬぁ!」
衝撃に揺れる脳により呂律が、肌を焼く炎が邪魔となり、竜は自分の身体から飛び降りた二人を攻撃する事が出来ないのだ。
そして二人がアタシたちの前に立ち、
「隊長! 皆さん! 無事でしたか!?」
「コラー! 動かないとケツに蹴りいれるよーっ!」
エミリアが上、シャーランが下と、肩車状態のまま、大きな声を向けられた。
・・・
突然の乱入と、あの怪物に臆さず翻弄したという事実に理解が及ばなかったアタシたちはすぐには思考を取り戻せなかったが、一拍置いてどっと我に返り、
「い、生きてたんだったらもっと早く来なさいよ!」
真っ先にそんな事を叫んでいた。
「ごめんなさいアニーさん! 遅くなりました!」
「姐さんーっ! ゴーストじゃねぇんだよな!? 本物だよな!?」
「アホか、私はそう簡単に死なないのよ」
「二人とも、無事だったんですね!? よかった……」
「ちょっと無事じゃないですけど、大丈夫ではあります!」
みんなが再会を喜び合い、同時に、心強い味方の到着に頼もしさを感じずにはいられない。自分よりも年下の味方に頼らなければならない事に無力を感じずにはいられないが、
――この子たちのサポートをするのが、大人の仕事よね。
シャーランは言わずもがなだが、今のエミリアはまず間違いなく突撃型だ。どうやって意気投合したのかは分からないが、二人して突っ込んでいく姿が目に見える。
ならば、アタシたちがその補助をすればいい。最も活躍できる二人の裏方に回り、大人としてのプライドを守りつつ二人を助ければいいのだ。
吹っ切った私の横で、エリアスが二人の前に立った。
「……」
自らの危機を救った二人に対し、無言のまま。だが、それがエリアスなりの歓迎だと分かっている二人は背筋を伸ばして、
「勇者候補、エミリア・キルペライン!」
「補充兵、シャーラン・レフヴォネン!」
己の名を高らかに宣言して、
「ただいま帰還いたしました! これより、隊長の指揮下へ戻ります!」
「遅れてゴメンね! その分働くから許してよ!」
迷いのない真っ直ぐな瞳を向けて、帰還を伝えたのだ。
エミリアの顔には思いつめた様子が一切なく、吹っ切ったかのように晴れやか。
シャーランの顔には、あの恐ろしげな笑みではなく、頼もしさを感じる強い笑み。
そんな二人の遅刻者に対しエリアスは一度だけ頷いて、
「――二人とも、よく帰ってきた」
確かな口調で、二人を労った。
「は、はいっ!」
「おーよっ!」
二人は褒められた子供のように嬉しげな表情を浮かべ、答える。
諦めるという言葉を忘れさせる、勇気を与える者。
無理を無理やり押し通させる、強き思いをくれる者。
その二つが、一つになって、アタシたちを導いてくれる。
「――全員! 人の事を言えないが、まずは気合を入れなおせ!」
部隊の頭が目を覚まし、部位となるアタシたちに呼びかける。
「私たちの任務は調査だ! ――だが、この状況で逃げられると思っているのか!?」
否、とアタシたちは答える。
不意を打てたからこそ今の隙が存在するが、本来ならば有象無象がどうにかできる相手ではない。普通に考えれば、ここは早々に逃げ、本部に逃げ帰るのが最良だ。
しかし、相手はドラゴンだ。追って来るならば容赦はしないだろうし、そもそも獲物を逃がすとは思えない。だからせめて、廃坑から逃げられるだけの時間を稼げる確実なダメージを与えなければならない。
「先ほどまでの私達にはそれは出来ぬ話だった。無傷でこの場にたどり着けたとしても、無理だっただろう。――だが! 今なら出来る!」
何故なら、
「ここには勇者と覇者が居る! 人を導き魔を払う者と、魔という魔を滅ぼし尽くす者が手を組み、私たちの前に居る! たとえ伝説の怪物でも、容易く踏み潰せぬと私は信じている! だからこそ、人の身の私たちには二人を助ける義務がある!」
その叫びに二人は笑い、お互いを見る事無く頷き合う。言葉は既に必要なく、お互いがお互いの役目を果たすだけと言うように、前だけを見ている。
――そんなんだから、助けずにはいられないじゃないの。
若い奴は流れに乗りすぎて失敗する。私にだってその経験がある。
いくら強くったって、ミスは必ず付きまとう。
だから大人の、周りの人間のフォローが必要なのだ。
――どんなに強くても、一人じゃ限界があるってね。
魔王と戦う伝記でも、竜を倒した伝説でも、一人で戦った勇者は居ない。
人間は、支え合って生きるものなのだから。
「――行くぞ! 勝って私たちの未来を掴む為に!」
全員の、洞窟中に響き渡る返答と共に、アタシたちは散開した。
竜が立て直し、向かってきたのだ。
・・・
「エミリアとシャーランは叩き落されないよう、出来る限り注意を払ってドラゴンの急所を狙え! アニーは牽制しながら『あの方法』で撃ち続けろ! レイブンはハミルを後退させ、私と共に左側に行くぞ!」
エリアスの指令が回ったと同時にアタシたちは動き出していた。
その光景を見て、赤きドラゴンは、笑った。それも、心の底からの激しい笑み。
「ふふ、はは、ははははは! 楽しい、楽しいぞ! さあ、来い人間共よ! 」
こうなる事を待ち望んでいたような、そんな声で笑い、その巨体を惜しげもなく前方へ投げ出した。
「おわっ!?」
叩き付けられる前足が地面を砕き、足となっているシャーランの身体を襲う。当然、避ける為にあの子は道を外れなければならない。案の定、右に跳んだ。
「おお……っ!」
砕いた反動を感じさせない速度で左前足が持ち上がり、そのまま羽虫を払い落とすような軽い動きで二人が居る位置を薙ぎ払う。
先に地面に足を付いていたシャーランが、着地と共に、
「跳ぶよ!」
「ええ、行ってください!」
真っ白な水蒸気を残像のように残し、跳んだ。
前に。
同時に巨木よりも太い腕が振り抜かれた。
「――何っ!?」
だが、驚いたのはドラゴン一人だった。潰した感触が返って来ず、その代わりに視覚がこう返して来た。
二人は生きていて、気付かぬ間に右の前足の隣に達しているという事を。
実はシャーランは僅かに屈んで飛んでおり、地面と身体を平行にするように、それもギリギリを跳んでいたのだ。故に、地面と竜の剛腕の隙間を通る事が出来、その勢いのまま逆の足の側にまで来る事が出来たのだ。
「右前足、貰いっ!」
「聖雷よ! 速き鋭きを持って、魔の身体を縛れ!」
轟音と共に放たれたシャーランの蹴りが大地を揺らし、激突寸前に唱えられたエミリアの魔法の所為で竜の筋肉が一瞬だが完全に麻痺した。
「ぐぅ……っ!?」
その結果、竜は右前足によって支えていた分の力を入れられなくなり、おまけに側面からの衝撃を受け、崩れ落ちるように前に沈み込んだ。
「当たれっ!」
ただ転んだだけとはいえ、地上の王者が人間を前に二度も手玉に取られ、隙を作っている。アタシはこの機を逃すまいと、弓に矢をつがえ、無数に竜を撃った。
だが、やはり伝説の怪物。僅かに刺さるか、完全に跳ね返されるか程度の効果しか見受けられない。
「効かぬ! その程度の矢など――」
「――だったら、この矢ならどうかしらね……っ!」
弦が指から離れ、矢が放たれる。さっきまで撃っていた矢と、何ら変わりはない様子で飛んで行き、僅かに突き立てられ、
「――ぐおっ!?」
竜の身体を震わせた。
「ランク低いとはいえ、聖別された矢じりよ! どうよ少しは痛い!?」
友人のシスターに格安で聖別してもらったものだ。もしもの時のお守りに、三つだけ手持ちに入れておいたのが役に立った。
「これからランダムにこれを撃ち込んであげるわ! 弾かないとビックリするわよ!?」
あえてここで嘘を叫ぶ事で、ドラゴンは二人から離れた位置のアタシにも注意を向けなければならなくなった。これでアタシの危機は高まってしまったと言えるだろう。
だけど、同時にチャンスでもある。
「アネー、ナイス! ――横面隙だらけっ!」
「はあっ!」
動きを止めた瞬間、ドラゴンに最も近い二人が同時に攻撃を仕掛けた。それにより、竜はさらなる、痒みにも似た痛みに悶え苦しむ事となった。
続けて私は矢を放っていく。先ほどまでの連射ではなく、一発一発確実に、ドラゴンの注意を引くように撃っていく。
「これこそが、人間……っ!」
「分かってんじゃないの化け物!」
シャーランたちを弾き飛ばす為に勢いよく身体を振り回し、巨体が再び持ち上がった。しかし二人は既にドラゴンの身体が届く範囲から退避しており、無傷。
「があっ!」
「うあっ!?」
「こ、こんな狭い場所で……っ!」
突然、ドラゴンが翼を広げ、その場で強く羽ばたき始めたのだ。竜巻のような強風がアタシたちを襲い、飛ばされぬよう堪える為に隙を作らざるを得なくなってしまった。
「今なら矢は撃てまい!」
即座に右腕を振り上げ、目の前の二人を叩き潰すための強大な質量が振り下ろされた。
だが、
「こんなそよ風でどうこう出来ると思ってんじゃないわよ! 身体強化、21倍!」
声と同時にシャーランの身体から蒸気が吹き上がり、そして、動いた。
「なあっ!?」
「――おおぉぉぉ!」
一瞬だけ足から力を抜き、わざと数歩分背後に飛ばされたのだ。そして空けた距離が竜の足の裏よりも長くなった瞬間、地に足を付け、二人の身体は瞬間的なスピードで跳ね上がった。空振りに終わった腕の上に乗り、跳んだ時と同じ速度で身体を登って行ったのだ。
「聖光よ! 我が剣に宿り、魔を切り払え!」
肩を通り過ぎる間際、淡く輝いたエミリアの剣が、浅くではあったが確かに竜の首筋を切り裂いたのだ。
「これはおまけだ、取っとけ!」
さらにシャーランが、靴底を擦り減らしながら片足で進行方向を無理やり変え、エミリアが作った傷口に蹴りを叩き込んだのだ。
「グ、ルアァァァアアアァァァッ!?」
先ほどまでと違い、小さくはあるが流血する程の確実なダメージを受け、竜は怯んだ。
しかし、それがむしろこちらにとって仇となってしまった。
「お、わっ!?」
「あうっ!」
巨体が外敵を追い払おうと大きく動き、足場として安定しなくなってしまったのだ。
激しく揺れるドラゴンはその凶暴な口を開き、叫んだ。
「――我を恐れぬ人間たちよ! その勇猛さ、何処から出た!」
「トカゲ、何かに、教える必要は、っとと、ないよ! ――くっ!」
「きゃあっ!」
ついに耐え切れなくなり、二人は空中に投げ出されてしまう。
「貴様ら二人が、支えなのだろう!? 勇者と覇者のタマゴたちよ!」
振り落とした事を確かめ、竜は歓喜と取れる咆哮を上げた。そして身体を半身だけ、今二人が居る方向とは逆に押し出し、
「ならば、貴様らが倒れればどうなるか! 確かめてみようではないか!」
全体重を乗せ、突き飛ばしに来たのだ。
――マズイ! 助けを……っ!
空中に居る二人が、自分たちで回避行動を取る事は出来ない。先ほど腕に足を掛け、飛び越えられたのは助走があり、その勢いを利用したからだ。今の二人はこの突進に対し、防御以外の対処が取れない。
「エミリア! シャーラン!」
「姐さん!」
ドラゴンの身体を挟んで向こう側に居たエリアスとレイブンが叫ぶが、あの位置からではたとえ策があっても間に合わない。だからアタシは弓に聖別された矢じりの矢をつがえ、
「止まれ!」
放った。
しかし、
「――ここで来ると思っていたぞ!」
「なっ!?」
ドラゴンの片翼が羽ばたき、矢の勢いを完全に殺し切ってしまったのだ。
空気が動いた事で二人は吹き飛ばされる形となったが、それでも竜の突進から逃げられる距離まで届いてはいなかった。
「――逃げて!」
無理だと分かっていても、そう叫ばずにはいられなかった。
衝突した。
・・・
空気を破裂させ、竜の先にある岩壁が破砕した。
土埃が舞い上がり、瓦礫が地面へと転がり落ちていく。
ドラゴンの体重は少なく見積もっても、人間の数千倍。加えて体格差や、筋力なども合わせると、即死を通り越して挽肉化は確定だ。
「あ、ぁ」
突き付けられた事実に、アタシは弓を握る手が緩む。全身から血の気が失せ始め、思考が定まらなくなっていく。
――私のミスじゃない……。
竜にダメージを与えたと同時に追撃を行わなければならなかったのに、それを怠った所為で、主軸の二人を死なせてしまった。
重くのしかかるような重みに、これから起こる蹂躙劇など目にも入っていなかった。
だが、そんな私の意識を一瞬で戻す事が起こった。
「っ!? ガァアアアァァァァァァア!?」
「なっ!? こ、これは、雷!?」
突如として、何本も束になった雷撃がこの空間に広がり、耳をつんざくような音を立ててドラゴンを集中攻撃し始めたのだ。
こんな事が出来るのは、ただ一人。アタシはその人物、奴の顔を探して周囲を見回し、
「どうですかドラゴン! 天の裁きの味は! 人間は日々進化する生き物なんですよ!? 普通、集団戦でこんな広範囲の、生物に甚大な被害を与える魔法使わないんですけどね!」
若干、いやかなりテンション高めに笑いながら雷雨を形成しているハミルの姿を見つけたのだ。
「皆さん! 二人は潰れてませんよ! 潰れてるんだったら、壁に穴なんて開かずにそこら辺に肉片飛び散ってますからね! ――ですから、立ってください!」
魔法使いらしい冷静な状況分析を受け、アタシたちは再び立ち上がる力を得た。
「この魔法、物凄く魔力食うんですよ! 生きてるなら、さっさと出て来てくださいよ!」
その叫びに答える声は無い。
しかし。
13/09/04 23:26更新 / イブシャケ
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