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第十五話 崖下にて/勇者候補のターン
 沈んでいた意識を殴りつけるような痛みが、私の目を覚ましました。

「っ! ――ん、ぁ……」

 一体何がどうなっているのか。前も左右も真っ暗で、標となるものは何一つ見えません。ひとまず自分が置かれている状況を把握する為に、私は魔力を練り上げ、荒い息と辛い物が込み上げてくるのを堪えながら、

「聖、光よ。光球、と、なりて、闇を、照らせ」

 一字一句、絞り出すように言い放ち、やっとの事で詠唱を終えた瞬間、私の手のひらから光が溢れ出ました。初歩的な照明魔法なので明るさはさほどではありませんが、僅かな魔力で発動でき、なおかつ継続して使用してもそこまで負担にならないという点がこの、訳の分からない状況に置いてありがたいと言えるでしょう。

「くっ、がっ、……はぁ、はぁ」

 身体のいたる所が悲鳴を上げていて、動かす度に警告のように激痛が走っています。まるで、それ以上動かすな、と言っているようなその痛みから目を背け、何とか上半身を上げる事に成功しました。

「――ぬぐぅ……」
「っ!? だ、誰!?」

 聞こえた声にはっとなり、周囲を見回しました。しかし、明かりに照らされた範囲には人影はなく、声の出所を知る事が出来ません。

「重、いから、さっさ、と、――どけーっ!」
「え? ……えぇっ!?」

 二度目の発声により、それが私の真下から聞こえてくる事に気付いた私は、首を下に向け、思わず目を見張りました。
 そこには教団から支給された軽鎧を着た人物の背中があり、私はその人を下敷きにしていたのです。慌てて腕と腰の力だけで身体をどかし、半分以上岩盤に埋まっている人物を引っ張り上げました。
 大丈夫ですか。そう声を掛けようとした瞬間、

「――貴女」
「ぐぬぬ、流石に高所から落下と下敷きは死ぬかと思ったわ……」

 のそり、と緩慢な動作で起き上がったその人物は、三日前に私たちの部隊に配属された新兵、シャーランでした。両手を力なくぶら下げながら大きく息を吐き、首を鳴らしています。

「うっわー、上見えない。よく死んでないわ、ホント。生きててよかったわー。ところでアンタ、怪我ない?」

 こんな状況においても普段通りの呑気な口調は一切変わる様子がありません。私は、そんな彼女に対して、

「――何故ですか」
「へっ?」
「何故、私を助けたんですか!?」

 助けてくれた事を感謝するよりも先に、叫んでいたのです。

「貴女がこちらに来てしまった所為で、本来なら五人で任務を進められる所を、隊長たちは四人でこなさなければならないんですよ!? しかも貴女は前衛の人間ではないですか! 前が居なければ後衛はそれだけ苦労します!」
「いや、ちょっと、待って」

 突然捲し立てられ、シャーランは戸惑いを隠せないようでした。

 ――違う! 私が言いたいのは、こんな事じゃ……っ!

 その様子を目にする度に、私の心は少しずつ削り取られていくような感触を得ていくというのに、意志に反して私の口は彼女への不満を並べていきました。

「理解できません! そもそも私は貴女に助けられなくても落下への対策は持っていました! ハミルさんが直前に言っていたではありませんか!」

 それは違います。突然の咆哮、足場の崩壊と、唐突な出来事に私の頭はついて行っておらず、よしんば現状を理解できたとしても落下中という事態に混乱し、魔法を唱える為に冷静になる事など出来なかったでしょう。
 だから、身を挺して私を救ってくれたこの人にお礼を言わなければなりません。だというのに、何かに憑かれたかのように私はシャーランへ怒りの言葉をぶつけていくのです。
 しまいには、

「私を助けて、隊長に取り入るつもりですか!? ――そんなに私を、部隊から追い出したいんですか!?」

 心の奥底に抱えていた、負の感情までもが飛び出してきたのです。

 ――あ……。

 肩を大きく上下に震わせ、ようやく言葉が出せなくなった時には、もう、

「……」

 シャーランは、閉口したまま首を竦めていました。

「その、ええと……。ご、ごめん」
「――っ」

 彼女の口から放たれた謝罪の言葉が、私に罪悪感を与えます。

「余計な事、だったよね。謝るよ」

 レイブンにはあんなに理不尽に関わっていたというのに、今の彼女はまるで怒られた子供のように大人しくなってしまっていました。
 それが見ていられなくて、私はその場から立ち上がり、彼女に背を向け、

「……くあっ!?」

 右足に走った衝撃によって、その場に膝をついてしまいました。

「――ちょっと! 大丈夫!?」

 我に返ったシャーランが顔を上げ、私の様子を窺っています。

「たいした事は、ありま、せ――、あぐぅ!」

 痛みが走った部分に注目すると、

 ――足が、逆側に!?

 膝下の辺りで直角に折れている足を見た瞬間、思わず泣きそうになりました。そして自覚した瞬間から、意識を保っていられないくらいの激痛が走り、私の顔を冷や汗で濡らしていきます。

「アンタ、足が! ちょっと待って、すぐに治療を――」

 なのに、

「――私に、構わないで下さいっ!」

 差し伸べられた手を、私は払ってしまっていました。

「あ……」

 手を宙に泳がせ、呆けた表情のシャーランを見て、私の脳裏に、ある人物が浮かべた表情が過りました。

 ――私は、昨日も、隊長にこうやって……、あぁっ!?

 心配されたというのに、その手を拒んでしまった。損得勘定なしに、善意で差し伸べられたのにも関わらず、下らない事で悲しませてしまった。
 その事が、突き付けられるように私の胸に刺さり、途方もなく心を抉っていくのです。

「――っ!」
「あ、ちょっと!」

 その場に居る事が居た堪れなくなった私は、足の痛みも忘れ、フラフラと体勢を崩しそうになりながらも走り出していました。
 余計な嫉妬心で、言いたい事が言えない。
 無意味なプライドの所為で、善意を善意と受け取れない。
 そんな自分が嫌で、嫌で、恥ずかしくなって、逃げ出していました。
 ですがその時、

「――はぁい、こんにちは。いえ、こんばんは、かしら?」
「――え?」

 私の目の前に、何かが現れました。道を塞ぐように立っているそれは、悠然とした口調で、舌なめずりをしながら、

「まあ、どっちでもよくなるようにしちゃうんだけどね♪」

 蜘蛛のような異形の足を、明かりの下に晒しました。

「危ないっ!」

 背後から叫び声が放たれると同時に、岩が砕かれる音がしました。
 しかしそれよりも先に、目の前の蜘蛛の異形、アラクネが腹を見せ、小さな穴をこちらに向けます。もう後数秒も経たない内に、その穴から糸が吐かれ、隙だらけの私の身体は絡め取られてしまうでしょう。

「――さ、せるかっ!」
「!?」

 シャーランの声が聞こえたと同時に、私の右肩に、踏みつけるような重みが加わりました。それにより、私の身体は右側に大きく傾き、

「あら?」

 放たれた糸の当たる部分を、身体全体から左手だけに変更する事が出来ました。

「ぁらあっ!」
「きゃあーっ!?」

 傾いていく視界の中、シャーランがアラクネの胴に跳び蹴りを直撃させ、大きく吹き飛ばした事を確認しました。
 私は即座に右手を地面に着き、体勢を立て直し、周囲に敵が居ないか目を凝らして、

「え」

 思いがけず、そんな情けない声を上げていたのです。

「踏んでゴメン! でもああするしか――、どうしたの?」
「ま、魔物が、こんなに?」

 小さな明かりの先に、群がるように次々と、様々な魔物が近寄ってきているのでした。

「囲まれてる!? 何時の間に!」
「あ、あ……」

 右足の負傷で満足に動けず、加えて足場も悪い。武器はあるものの、体力が回復していない。さらに隣の人物とは連携が取れておらず、頼れる人も居ない。
 ありとあらゆる点において、絶望的と言える状況に、私の心は折れかかっていました。

「久しぶりの人間だね♪」
「人間だ♪」
「人間だー♪」
「呼ばなきゃ♪」
「呼ぼうよ♪」
「きっといい子にしてくれる♪」

 四方から聞こえる無邪気な声が、まるで悪魔の囁きのように耳に響き、恐怖を募らせ戦意を削り取っていき、果ては剣を抜く事すら忘れさせます。

「ははっ! 望む所よ!」

 そんな私とは打って変わり、目の前の少女は不敵な笑みを浮かべて魔物たちを見返していました。彼女に恐れはないのか、そう思わずにはいられません。

「――あ」

 しかし、前に踏み出されようとした彼女の足が、急に止まりました。

「……くそっ。こんなの相手にしてる場合じゃない、か」

 表情を一変させ、今度は悔しげな顔になって私の方に向き直り、こう言いました。

「魔物に背を向けて逃げるなんて絶対嫌だけどさ、タイチョーたち待たせてるんだし、ここでモタモタしてらんないわよね」

 だから、

「――逃げるよ。文句はあると思うけど、死にたくなかったら見逃してよ!?」
「え? ――きゃっ!?」

 彼女の意図に気付く前に、私の身体は軽々と持ち上げられてしまいました。私を抱えた彼女は魔物の群れに背中を向け、高速で直進し始めたのです。
 岩肌がむき出しの、断崖絶壁に向かって。

「待って、そっち、行き止まりで――」

 身体強化魔法を用いているのか、馬よりも早く動いている私たちは、あと二秒も経たない内に壁へ激突してしまうでしょう。

 ――血迷って自殺を!?

 そう思わずにはいられない行動ではありました。
 しかし、この時の私は知らなかったのです。無茶苦茶でも、彼女の行動には彼女なりの理由がある事を。

「身体強化、腰、足、爪先限定! 倍率15倍、三歩ごとに追加!」

 叫び、壁に靴の先を押し付け、

「――行、けぇ……っ!」
「きゃああぁぁぁああぁぁぁ!?」

 助走で付けた勢いをそのまま殺さないまま、私達の身体は重力を振り切りました。爪先のみを壁に引っかけ、腱を最大まで伸ばし、身体を岩壁に近づけながら、凄まじい速度で登り始めたのです。

「えぇっ!? ちょっと、何アレ! 人間なのに飛んでる!」
「ありえないよーっ!?」
「ま、待ちなさーいっ!」

 下の魔物たちも動揺が隠せないようで、統率の取れていない有象無象の行動をしています。それもすぐに遠ざかり、聞こえなくなっていきました。どうやら、飛行可能な種族はあの場所には居なかったらしく、私達と同じく壁を上がってくる影は見当たりません。

「ぐぅ……、あぐ……っ!」

 身体が落ちるよりも先に足を上に掛ける事で重心を持ち上げる。教団の兵士でも、いや、運動神経に秀でた人間でも出来る事ではあります。
 ですが、それは小さな段差や、自分より僅かに大きな壁を登るくらいのものです。このような、果てが見えない壁を登り続けるなど、常識では考えられません。

「はぁ……っ! んんっ……!」

 顔を上げ、加速し続けるシャーランの顔を見て、この行動がどれだけ彼女に負担を与えているかが一目でわかりました。
 瞬きする体力も足に回さなければ、と言わんばかりに見開かれ、血走った眼。
 苦痛交じりの呻き声以外絞り出せないような、きつく閉じられたむき出しの歯。
 そして、徐々に運動により発生した余剰熱を帯び、赤く、熱くなり始める彼女の肌。
 にもかかわらず、この人は速度を緩めようとしないのです。

 ――諦める、って事を知らないんですか!?

 そう思った瞬間、閉じられていた彼女の口から漏れ出たかのような、弱々しい声が聞こえました。

「も、むり、どっか、よ、あな、さがし」
「よ、横穴!?」

 子供のように要領を得ない言葉から、彼女が今、休むための場所を探しているのだ、と知り、我知らずの内に私は照明魔法に魔力をつぎ込んで辺りを見回しました。

「あそこ! 右上! 6秒後!」
「――るぅぉぉおおおぉぉぉ!」

 腹から響くような声は、最後の力を振り絞っているのでしょうか。今まで以上に速度が上がり、霧のような水蒸気を落としながら右上に身体を傾け、ついに、

「――っ!」
「わきゃっ!?」

 ガクン、と身体の位置が突然ずれ、空中に放り投げられてしまいました。シャーランの踏み込んだ足が壁ではなく、空を切った為、加速していた方向へのエネルギーと含めて横穴へつんのめってしまったのでしょう。

「空気よ柔らかな壁になり我を守――はぐぅっ!」

 即座に衝撃緩衝魔法を早口で唱え、激突する直前に発動させました。しかし、本当にギリギリだったようで完全に衝撃を殺し切る事は出来ません。

 ――そ、それより、あの人は!?

 痛みを堪え、すぐさま目を見開くと、

「――ひゅーっ、ひゅーっ……、し、死ぬかと、思った」

 土埃まみれで、うつ伏せのまま荒い呼吸を繰り返しているシャーランが、目の前に居ました。呼吸以外動く様子がなく、本当に余力が残っていない事が見て取れました。

「……無茶苦茶です」
「そ、それでも、た、たすかった、んだから、いい、じゃないの」
「下手したら失速して落下し、地面に叩き付けられていたかもしれないんですよ!?」

 叫んだ瞬間、場が凍り付いてしまいました。

 ――また……っ!

 危険を回避した途端、悪態をつき始める自分が本当に嫌になってしまいます。
 彼女に助けられた事は明らかなのです。それに、先ほど助けを拒んだはずの私を見捨てず救ってくれた事から、彼女がただの乱暴者でない事も明らかでした。
 それなのに、どうして彼女相手には意地を張ってしまうのでしょうか。
 私よりも強いから、という理由ではなく、無茶苦茶な事をするから、という訳でもなく、何かもっと、単純な事のような気がするのです。嫉妬とか怒りとか、そういう人間が持っている高度な感情ではないような気が、

「えーっと、とりあえずさ」
「っ!? な、何でしょう」

 思考を遮る、気まずそうな彼女の声に耳を傾けて、

「焚火、しよっか」

 懐から取り出されていた、火起こしの符を手渡されたのです。

 ・・・

 明かりならば先ほどから私が使っている照明魔法でいいのでは、と思ったのですが、いくら消費が少ないとはいえ、使用中は徐々に魔力が減っていくのです。
 加えて、一部の魔物は火を恐れる性質を持っており、焚火を行う事で存在を知られる可能性があるとしても、火を使うメリットは大きいのです。
 それらを踏まえて私は大人しく符を受け取り、火を起こす事にしました。
 火種はこれでいいとして、薪はそこら中に散らばっていた枕木を使います。 おそらくはここが鉱山として栄えていた時代に、運搬用のトロッコを動かす為に使われていたのでしょう。洞窟内は乾燥しており、木の状態も悪くありません。

「これで準備はいいですね。さて、符で火を――」

 そこまで来て、私は微かな違和感を覚えました。

 ――この、赤黒い点は何かしら……。

 符の端に少量張り付いていた数個の点が視界に入ったのです。その色は確か、

「まだー? 早くしてよー」
「少しは待ちなさい。――赤炎よ、火球となりて暖かな光を灯せ」

 急かされ、意識を前に戻して符に魔力を込めました。符は熱を帯び始め、並べた薪の中央に置いた瞬間勢いよく燃え始めました。
 その光景を見て、シャーランは安堵のため息を付き、目を細めたのです。

「やー、やっぱ小さい火が燃える所を見るのはなごむねー」
「……それについては悔しいですが同意します。それより、符に何か付いていましたよ? しっかり管理しておきなさい」

 あはは、と悪びれる様子もなく笑うシャーランから一度目を逸らし、先ほど目にした液体が何だったのか、それを思い出そうとして、

「……え?」

 思い至った瞬間、背筋が凍りました。

「あの。一つ聞きたいのですが」
「んー? 聞かれても困る事聞かないでよ?」
「先ほど付いていたもの、あれは血だったんじゃないですか?」

 今も私の足から流れ出ている、むしろ体中を巡回しているもの。さっき足を見た時に目にしたばかりの色。
 何故考えなかったのでしょうか。落下時に彼女が負傷している可能性を。もし怪我をしているのなら、

「……あー、えーっと、その、ね? あれよ、あれ」
「どうして曖昧な返事をするんですか! 見せてみなさい!」
「やーだーっ!」

 彼女に近づくと、珍しく慌てた態度で壁側に転がっていきます。しかし、壁にぶつかってしまい、仰向けのままそこから動けなくなっていました。

「わーっ! 待って! 脱がさないでーっ!」
「ふざけてるんじゃありませんっ! ほら、まず手を――」

 取って、その感触に思わず血が引いてしまいました。

「あ、あはは、は」
「――何ですか、これ」

 結論から言えば、彼女の右手は、直後に気付きましたが左手も、私の右足より凄惨な状態でした。
 手のひらの皮が剥がれ、肉を突き破って骨が見えており、爪も半ばで割れていたり完全に剥がれていたりで、とにかく致命的な有様だったのです。

「何故こんな傷を受けていると、一言も言わなかったんですか!? 一体何処で――」

 問うまでもなく、彼女が怪我を負うタイミングなど一つしかありません。

「――貴女、まさか、落ちる時に」

 空中に投げ出された私を救おうとした時に負った。そうとしか考えられません。

「……私に、落下の衝撃をどうにかできるような魔法なんて使える訳ないじゃない」

 なのに、私達は潰れた肉片になっていなかった。私は衝撃緩衝魔法を使わなかったのだから、彼女が何とかしたのです。それも、身を挺して。
 怪我の様子から察するに、高速で通り過ぎていく岩肌に手をついて、千切れそうな痛みに耐えながら、両手で勢いを殺した。おそらく、先ほど魔物を前にして一度止まったのは、拳が使えない事を思いだしたからなのでしょう。

「最後の最後で足に挟んでたアンタを落っことしちゃって。アンタの足、その時の怪我よ」

 そんな、想像も絶する事をやっていたにもかかわらず、彼女は一切表情には出さなかったのです。その事に憤慨する事にはしたのですが、怪我を負ってしまったとはいえ、やはり彼女にはお礼を、そして謝罪をしなければならないでしょう。
 しかし、私の口は簡単に心からの言葉を伝えてはくれず、先に浮上していた疑問を口にしました。

「どうして、私を助けたんですか」
「そんなの、同じ敵を持った味方だからに決まってるじゃない。一人でも多い方がいいよ」
「同じ、敵? 魔物ですか?」

 そうそう、と頷き、

「私は、魔物に復讐する為に教団に入ったから」

 初めて耳にした、彼女の真剣な言葉。迷いが微塵もなく、前しか見えていない者のだけが発せられるもの。多くは語らないものの、彼女がその思いを抱く事になった、辛い過去がそれからは伝わってきました。

「――」

 それなのに、私にはそれが、酷く空虚なものに感じられたのです。まるで、子供が話す夢物語のような、そんな、葛藤のないものに聞こえたのです。

「復讐なんて、そんな事――」

 心の片隅から漏れ出したような一言。
 ですが、それは彼女の中の何かを刺激してしまったようでした。

「――アンタに何が分かるのよ」

 彼女が来てから今まで聞いた事もない、冷酷かつ、淡々とした底冷えするような声が私に襲い掛かって来たのです。

「え?」
「私の事を知らないアンタが何を復讐『なんて』って、馬鹿にしたような事言ってるのよ」
「ち、違っ! そんな事は!」

 だったら、と彼女は告げ、

「アンタは?」
「え?」
「アンタは、何で戦ってるのよ。私の理由を一笑に伏すんだから、それだけの価値はあるんでしょ?」

 言葉の内容はとても皮肉なのに、彼女の表情は真剣そのもので、彼女が心から私の戦う理由を聞きたがっている事が分かりました。
 しかし逆に質問される形となっており、私は戸惑っていました。

 ――あれ?

 次の瞬間、戸惑っている事に戸惑いを感じたのです。
 私は元々、カトリーナ様のような素晴らしい勇者になって皆を守りたい、と思っていました。だから、彼女から投げ掛けられた質問も、こう答えれば良いはずなのです。
 それなのに今、私はそう言えなくなっていました。

「わ、私は――」

 本当に勇者になる為だけに戦っているのなら、迷う訳がありません。脳裏に特別な人の顔が映るなど、ありえません。
 そう強く思って、思い込んでいるというのに、

 ――っ!

 彼の、エリアス隊長の顔が浮かんでくるのです。消そうとしても、忘れようとしても、彼の不器用な優しさが、心から心配してくれる父性が、真剣に向き合っているからこその怒りが、私の心を幾度となく騒がせるのです。
 答えられない。そう思い、情けないと思いつつもシャーランの方に向き直りました。すると驚く事に、答えを出せなかった私に対して侮蔑の視線を向けてはおらず、代わりに耳を疑う発言をしたのです。

「――あのさ。ひょっとして、好きな人居るの?」
「っ!?!?!? な、ななななな」
「何かの本で、勇者は特定の人に心を傾けてはいけない、って書いてあったの思い出してさ。まあ、人間全ての象徴となる以上、誰かの物になっちゃ駄目だよね」

 それは知ってたよー、と言って、

「で、勇者候補のアンタが、戦う理由を答えられないだけじゃなく、何かに迷っているような顔をしてた。普通なら、『勇者になって〜』とかそういう発言をさらっとするのに、出てこない。って事は、勇者には許されない事で悩んでいる。これら二つから、アンタには好きな人が居て、その人を取るか夢を取るかで悩んでいるのが分かったのよ。ついでにアンタがその人に気持ちを言えないで居る事も御見通しよ!」
「ななな、何を言っているんですか! 一体何を根拠に!?」
「その挙動不審が根拠よ! どーみても怪しいじゃないの!」

 見抜かれ、たじろいでしまいました。

 ――まさか、まさかこの鈍そうで、人の気も知らずに失礼な事を言う人に、一番最初に気付かれるなんて……っ!

 ですが、まだ誰が好き、という事までは知られていません。実は許嫁が居まして、とかそういう誤魔化し方をすれば、

「それで、好きなのはタイチョーかな?」
「うぐぐっ!?」

 誤魔化せなくなってしまいました。こんなにハッキリと反応してしまえば、間違いなく図星を突いたと確信を得られるでしょう。

「……やっぱりかー。アンタも、タイチョーの事好きだったのね……。まあ、ここんトコのタイチョーに対する視線から怪しいとは思ってたけど」

 先に言っておきますが、別に彼がカッコいいから惚れた訳ではないのです。いえ、十分彼は男らしい外見でカッコいいとは思うのですが、私が惚れたのはあくまで彼の内面であって、あれ。

「――『も』?」
「うん。『も』」

 言葉の意味が理解できませんでした。
 いえ、きっと理解したくなかったのでしょう。それを理解してしまえば、恐ろしい事になってしまう、と本能が、私の女としての本能が囁いたのでしょう。

「私もタイチョーの事、好きだよ?」

 にもかかわらず現実を押し付けられてしまい、私は眩暈を覚えました。

 ・・・

「な、な」

 言葉にならない私の声をあえて無視するかのように、彼女は仰向けのまま、

「最初は口うるさい奴だなー、って思ってたけどさ。あれが私たちの事思ってやってくれてる、って思うと、不思議と嫌に感じなくなってくるのよね」

 いやまあ、私も彼と出会った当初は今の彼女と同じ事を考えたものですが、

「人付き合い得意そうじゃないってのに人がいいからこっちの事気にしててさ。本当に、バカだよね」
「――」

 ですが、彼を侮辱する事までは許しません。
 私に道を示してくれて、私の背中を押してくれて、何時だって見守ってくれた彼を馬鹿にする権利なんか、誰にもないのですから。

「――そんな所を、好きになっちゃったんだけどさ」
「……え?」
「いや、まあ。……父さんに怒られてる時のような、そんな安心感があるのよ」

 私は彼女の事を一切知りません。つい先日まで一般人で、戦う側の人間ではなかった筈なのに、私よりも強い。それだけしか情報としては持っていないのです。
 だから彼女かそう言った意味も分からなくて、

「れ、恋愛を肉親への好意と捉えるなんて、お子様ですか貴女!?」
「はぁ!? のような、って言ったのに何でそっちに向くのよ!」
「理由に父親や母親という単語を使っている時点でもうファザコンマザコン確定じゃないですか! 文句があるなら反論してみなさい!」
「何おぅ!? だったらアンタは何でタイチョーに惚れたのよ! それを答えたら私だって大人っぽい理由を教えてあげるわよ!」
「ぶ、不器用に優しい所とか」
「難しい言葉使えば大人っぽい理由になると思ってんじゃないわよ!」
「に、入隊した時から憧れていました!」
「それ興味持った切っ掛けじゃないのよーっ!」
「おおお男らしい外見で独身なのに内面は子持ちのお父さんみたいな」
「私と何ら変わんないじゃないの却下ーっ!」

 ぐぬぬ、と超至近距離でにらみ合い、

「私は貴女より隊長と長くお付き合いしてますっ!」
「私なんか出会った日から怒られたもんねーっ!」
「訓練に何度も付き合ってもらって、触れてもらった事だってあります!」
「ざーんねーん! 拳骨貰った時に頭撫でられてるわよっ!」
「き、昨日は早朝訓練に付き合ってもらいました!」
「くぅ、わ、私なんか市民に貢献して褒められたのよ!」

 ぬぐぐぐ、と鼻が潰れるほどに顔をぶつけ合い、子供のような言い合いをして、

 ――あ。

 私が彼女に対して正直になれない理由を、見つける事が出来ました。
それは難しい事ではなくて、もっともっと、根源的な、生物的なもの。
例えるなら、獲物を目の前で奪われてしまう時のような。
 そこまで考えて、私は昨日、お母さんから言われた事を改めて自覚しました。

 ――この人に、エリアス隊長を取られたくないから?

 昨日諭された事により、私が隊長に好意を抱いている事に気付きました。だから彼の前で平静を装えなくなったり、鼓動が早くなっていたのでしょう。
 私の母は、私が彼女に嫉妬している、と言っていました。
 嫉妬しているからこそ、彼女が隊長と話している時に胸が苦しくなる。
 嫉妬しているからこそ、彼女を認められない。
 そして嫉妬に気付いているからこそ、彼女と向き合えない。
 だから、思った事を言葉にできないのでしょう。

 ――どうやら私は、これほどまでにエリアス隊長の事が好きなんですね……。

 彼女ではなく、私を、私だけを見ていて欲しい。
 彼女に向けている心配を、私だけに向けて欲しい。
 そしてその上で、彼をこんなにも欲している私を、必要として欲しい。
 だからこそ彼女が認められない。
 そう自覚した時、

「――ぐ!? ごふっ、がはっ!」
「え、なっ!?」

 突如、目の前でシャーランが苦しげな表情を浮かべたと思ったら、次の瞬間、非常に苦しそうに腹部を抱え、むせ始めたのです。

 ――ち、血が!?

 咳き込んだ彼女の口から、凝固した血液が飛び散り、その口端からも赤黒い液体がこぼれ始めたのです。

「ど、どうしたんですか!?」
「ぐ、ご、……は、はぁ、はぁ」

 私の問いに答える余裕もないのか、必死に呼吸を整えている彼女に対し私は、

「と、とにかく治療を――」
「待って! う、えげっ」

 治療の為に手をかざそうとした私の手を、ズタボロになった彼女の手が止めに入ったのです。何故、と問うより先に、苦しげに身体を震わす彼女は、

「これから、先で、魔法使うのに、ごほっ、む、無駄な魔力、使えないでしょ? 治療、符、あるから、だいじょう、ぶ」

 そう言って彼女は懐に手を入れ、治療用の魔法が付与された符を胸元に張り付けました。

「しかし、この状態は尋常ではありません! 腕以外ほとんど怪我がないのに、何故!?」

 どう見てもこれは、体内に異常がある時の反応です。落ちてきた際にそんな素振りはありませんでしたし、魔物に負わされたという訳でもない筈です。
 何処で負ったのか、と考える私に対しシャーランは、

「――ここまで、上がってきた、ツケ、よ」

 ・・・

 ツケ。要するに、代償という意味の言葉。

「知らなかったようだから、教えてあげるわ」

 彼女は崖を登る際に、こう唱えていました。

 ――確か、15倍で、逐次強化、と……っ!?

 それはつまり、己の身体に対し、通常の15倍の負荷をかけたという事で、

「私は、強化しないと、アンタより全然、弱いのよ?」
「な――」

 発せられた言葉を聞いた瞬間、私の頭は真っ白になってしまいました。
 彼女は私より強かったのではなく、ただ、無理をしていた、という事実に呆然とする事しか出来なかったのです。
 失望、ではありません。幻滅、でもありません。
 我に返った私の中で生まれた感情は、

「何を馬鹿な事をしているんですか!?」
「まあ、そう思うわよね、普通。でも私この魔法以外使えなくってさー」

 だから、そんな欠陥品を扱っているのか、と思った時、さらに私の怒りは燃え上がり、

「そこまでして、自分の身体を壊してまで、貴女は復讐をしたいのですか!?」
「……」

 馬鹿げている。そう思わずにはいられませんでした。
 復讐、という以上、おそらくは彼女の大切な物が魔物によって失われたのでしょう。その事に対して無念を感じ、復讐に走る事も否定はできません。
 しかし、だからといって自身の身体を壊していい理由にはなりません。
 失われてしまった人は、自分の恨みを晴らして欲しいと思っているかもしれませんが、彼女に死んで欲しいとは思わない筈です。
 彼女の行っている事は、死んでしまった大切な人への侮辱と言えるのです。

「――助けられなかったんだー」
「え?」

 それまで口を噤んでいたシャーランが、私の問いに答えるかのように話し始めました。
 顔から喜怒哀楽の一切をなくし、語る言葉に何一つ思いを載せてはいませんでした。

「絶対に助ける、って思っていたのに、逆に助けられちゃってさ。情けなかったよ」
「……」
「助けられた先で、こう思ったんだー。私はどうやっても強くなんかなれない、って」

 彼女が浮かべている無表情からは、無念と後悔と、枯れてしまった涙の跡が見えていて、それら全てが行き過ぎて消えてしまったような、空虚さが感じられました。

「普通の人だったら、次は守れるようにと頑張るんだろうけどね? 私は、そうはいかなかった。私はそれから、必要とされなかったのよ」
「必要と、されなかった?」

 彼女が己の過去を正しく話さないのでどういった事情かまでは分かりませんでしたが、少なくとも、彼女が思いをぶつける先がなかった事が窺えました。

「――だから、死のうと?」
「私なんかどうでもいい。いなくなっても、もう誰も悲しまない。だったら最後に、父さんの無念を晴らして、一緒の所に行くのも悪くないかな、って」

 これが、彼女の本音。自壊も厭わない、自虐的な、戦う理由。
 語り終え、何も映されていない瞳を見て、私は思いました。
 そんな事、誰も喜びはしません。まだ未来があるというのに、世界の何処かで誰かが必要としてくれるかもしれないのに、自ら決めつけて終わりにするなど、私には絶対に許せません。
 だから、

「――と、思ってたんだけどね?」
「ふぇ?」

 突如として、驚きの感情を込めた彼女の顔が、言葉と共に私の方へ向いたのです。

「ここに来て、私に怒って、そして心配してくれる人が居たのよ」

 その顔は嬉しそうで、楽しそうで、

「その人に怒られて、心配されて、褒められて、こう思った。私はまだ、完全にどうでもいい人間じゃなかった、って」

 涙が枯れていなければ嬉し涙を流していそうなくらいに、輝いていたのです。

「だから私は、生きる。今更無理かもしれないし、魔物が憎いって気持ちが消えた訳じゃないから相変わらずコレ使って戦わなきゃならないけど、それでも、無意味に自分を殺したりしない」
「……」

 気が付けば私は、ほっと安堵のため息をついていました。

 ――恋敵が潰れれば、私に有利に働くというのに何を考えてるんでしょうね。

 彼女への劣等感がなくなったからでしょうか。自分でも現金だと思うのですが、既に私の中で彼女は『手の届かない存在』ではなくなっていたのです。

「だから私は、これが終わったらタイチョーに告白するよ。……死にかけの、こんな小娘が何を言ってるんだ、っていう態度されるとしても、私は構わない」

 今度は虚ろな表情ではなく、しっかりと芯のある表情で、

「――父さんみたいに、私の事を気にしてくれた人に、想いを伝えたいんだ」

 温かく、微笑んだのです。

「……そう、ですか」

 いつもヘラヘラしていた彼女が浮かべているその微笑の意味は、彼女の心からの思いなのでしょう。私と同様に彼女も、己の存在価値を認めてくれた隊長に対して確かな想いを抱いているのです。
 同じ人を愛しているからこそ、分かってしまう。そう考えると、初めて彼女との共通点が見つかった気がしました。

「だから子供っぽくなんかないでしょ?」
「まだ引っ張りますかその事!? そうやってムキになってる時点で子供じゃないですか!」
「私と殆ど同じ理由で惚れてる時点でアンタも子供って事じゃないのよーっ!」

 うぬぬぬぬ、と鼻が潰れるくらいの零距離で睨み合い、

「だったら二人同時に告白して、どっちが正しいか決めようじゃないの!」
「でしたら二人同時に告白して、どちらが正しいか決めようじゃありませんか!」

 一瞬のずれもなく、どちらともそう叫んでいたのです。
 今まで反発しあっていたというのに、こんな所で言葉が重なってしまい、私達は呆気に取られました。そして、

「……うん」
「……ええ」

 密着していた顔を離し、視線を合わせ、頷きあい、

「協力、しよっか」
「手を組むのは、今回だけですよ?」

 互いに不敵な笑みを浮かべて、

「お互い、告白する相手が居なくなっちゃったら嫌だもんね」
「もちろん、彼の為に皆さんを守りますよ?」

 既に私たちの間にあった敵対心や負の感情はそこにはなく、対極にして対等の人物を前にした、適度な緊張感と信頼だけが残されていました。
 利害関係が一致していて、その上でお互いに相手が裏切るような人物でない事を理解しており、正々堂々と戦う事をよしとする。
 好敵手、ライバルと、言うべき関係が、そこにはありました。

 ・・・

「足に治療符巻いときなよ。で、私が肩車するけど落ちないようにロープで結ぶからね」
「それはいいですけど、ここからさらに上に行く時に体力持つんですか?」
「どれだけ体力残るか分かんないけど、登って、皆と合流してから考えるよ」

 彼女の言葉によって、最後に残っていた懸念が消えていったのが分かります。
 まだ何もしていないのだから、考えても仕方ない。それは私にも言える事で、

 ――勇者になる事も、彼を愛する事も、何一つ分かってないんですよね。

 これから先、勇者になれるか分かりません。彼に想いを伝えたとしても、受け入れられるかだって分からないのです。行動しなければ、何事も結論が出せない。だから、やる前から考えていても意味がないのです。
 だから、私はけじめを付けに行きます。
 彼にこの想いを伝え、それから考えます。
 私は勇者候補。まだ、勇者ではないのですから。

「じゃ、行こっか」
「……ええ!」

 正反対の、もう一人の自分とも呼べる彼女の声と共に、私たちは動き始めたのです。
13/09/04 23:18更新 / イブシャケ
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■作者メッセージ
水と油が団結して、マヨネーズになりました。
結構回りくどい表現多めだと思ってますが、シャーランが復讐以外に生きる目的を見つけた事や、エミリアが悩みを吹っ切った事などが伝わればいいなぁ。

さて、ここから反撃タイムです。
迷ってただけで元々のスペックは半端なく高いエミリアと、執念というエネルギーによって常識外れの性能を発揮するシャーランが、どこまで出来るか。その辺は次回以降で。

前回さりげなくコメント要求した甲斐あってか、コメ返しコーナー復活です。
>アキオさん
「何だかよく分からないけど、この人の側に居るとドキドキする」とかっていうシチュ、私も好きです。あと気付いた時の無敵さも見ててニヤニヤします。
ええ、エムブレムです。弓矢コワイ。

>C-Quintetさん
味方の偽物は襲ってきません。大丈夫です。
その代わり魔物が襲ってきますが。

洞窟のボスと戦ったら、クライマックスに突入ですわ。さー、誰と誰がくっついて、誰がどんな魔物になるのやら(他人事)。

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