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第十三話 実家にて/勇者候補のターン
 朝起きて、目が覚めて、すぐさま身体をベッドから投げ出します。いつもならもっとゆっくり這い出るのですが、そんな悠長な事はしてられません。
 髪が邪魔にならないように後ろで縛り、準備もそこそこに私の装備を身に付け、外に出て行きます。まだ薄暗い町並みはひっそりと静まり返っており、私の足音がやけに響いているように感じました。
 主神教団アルカトラ支部、その領内でも特別広い訓練場に立ち、私はウォーミングアップの為に身体を動かし始めました。柔軟体操、ランニングなどをこなし、腰に下げていた剣を抜き放ちました。

「――せっ!」

 上段からの振り下ろし。戻し、振り下ろし、また戻す。いわゆる素振りと言われる、訓練に置いて基本中の基本。それを軽く100回5セット行います。

 ――私は、強くならなければ駄目なんです!

 一昨日、私達の危機に颯爽と現れた、新兵の少女。彼女は私達全員を手玉に取るほどの怪物を、たった一人で撃退してしまいました。
 それだけでなく、常人ならば再起不能となる筈の負傷だったにも関わらず、次の日には元気そうに朝ご飯を作っていたのです。

 ――私が勇者に、皆の希望となるんですから!

 本来ならばその役は私がやらなければならないのです。全ての人間の、勇気と希望の象徴である勇者を志している私が前に立ち、皆を助けなければなりませんでした。
 なのに、私は誰も救えず、代わりに入隊したばかりの彼女が皆を救った。
それはまるで、

『お前は弱いのだから、引っ込んでいろ』

 こう言われているようで、私は悔しくなったのです。
 実際に彼女に言われた訳ではありません。私自身の勝手な思い込みなのです。しかしそれでも、一度得てしまった感情は中々吹っ切れません。

「97、98、99、――ひゃ、く!」

 1セット目を終え、剣を一度鞘に戻します。続けて魔力を練り、聖術を使う訓練を行います。集中力を高め、主神様により与えられる力を集め、起こす奇跡を想定します。

 ――私は皆を、私の大事な人たちを助けるんですから!

 私の憧れの勇者、カトリーナ様のように、大事な人たちを悲しませないために戦う。この思いだけは、嘘偽りのない、心から出た物なのです。だから、私に迷いなんてある筈が、

『――ハッキリしやがれ』
「……」

 オーガが逃げる際に投げ掛けた捨て台詞が、心に妙なしこりを残していました。
 大切な人々に傷付いてほしくないから、強くなって勇者になる。これだけハッキリしているのに、どうしてか私の剣には迷いがあるようなのです。私自身、それが何についての物なのか分かっておらず、そもそも本当に迷いなんてあるのかすら疑わしいのです。

 ――魔物の言葉なのだから、真面目に取り合う事はないのでしょうけどね。

 深く沈みそうな思考を振り払うために、次の訓練に移ろうとしました。

「――ここに来ていたのか」
「え? ――え、エリアス隊長!?」

 声に振り向くと、そこには隊長が無表情のまま腕を組み、立っていました。
 何でここに、と言おうとしますが、

「朝から訓練とは、結構な事だ。しかし昨日もクタクタになるまでやっていたのだろう?あまり根を詰めすぎると身体を壊すぞ」

 厳しげな声色ですが、今この場所に居る事が、私の事を気遣っているのだと教えてくれています。そう考えると、何故か体温が上がっていく気がするのです。

「も、もも申し訳ありません!」
「いや、別に怒っている訳ではないぞ」

 だから挙動不審に謝罪するんじゃない、と言われてしまいました。
 迷い、とは関係ないとは思うのですが、昨日から、唐突におかしな気分になってしまう事がありました。
 隊長と顔を合わせたり、話をしようとしたりするだけで胸の鼓動が早まり、果ては彼の事を考えるだけで顔から火が出るように真っ赤になるようになってしまっていたのです。
 今まで彼から剣を教わっていた時はそんな事なかったのですが、昨日の朝、あの少女と話している隊長を見てから、この不思議な現象が起こるようになったのです。

「まあ、一人で訓練するだけでは限界があるだろう。よければだが、久しぶりに稽古をつけるが」
「は、はいぃ! よよよよろしくお願いします!」
「??? ……何やら昨日から変だが、大丈夫か?」
「だ大丈夫です!」

 もはや言語能力すらあやふやになっている中、私は剣を鞘から抜きます。

 ――落ち着きなさい、私!

 乱れきった精神状態で挑むのは、隊長にとって失礼。ですので、心静かに、剣を正眼に構え、

「はぁっ!」

 一歩、確かに前に踏み込みました。
 応じるように隊長は刃を傾け、振り下ろされた剣を受け止めます。
 金属音が無音の広場に響き、続けて前足を軸にして身体を横回転させ、向かって右から斬撃を繰り出します。
 隊長は一歩後ろへ跳び、私の攻撃を回避しました。防御ならば五分の状況となりますが、回避されれば向こうが有利です。その上、今の私は回転により続けて動作をする事が難しいので、悪手だったかもしれません。
 剣閃が通り過ぎた直後、地面を蹴って隊長が接近してきます。余計な動作を伴わず、柄を握る両手を腰に当てた体勢。非常にコンパクトかつ無駄のない突きでした。

「――っ!」

 攻撃を回避する為に軸足を無理やり捩じり、左に飛び退ります。地面を転がり、続けて来るであろう攻撃を払う為に、剣を振りながら身体を起こしました。

「――隙だらけだ!」
「っ!?」

 しかし、隊長は私の剣が届く範囲にはおらず、タイミングをわざとずらして、振って無防備になった所に上段の振り下ろしを確実に当ててきたのです。
 左肩に叩き付けられた訓練用の木刀が放った威力は私の骨まで届き、脱臼こそしませんでしたが剣を握っていた手を痺れさせ、取り落とさせました。

「や、やっぱり、お強いですね……」

 片膝をついたまま、感触がある右手で汗を拭いました。ほんの数手の打ち合いではありましたが、私の欠点を浮き彫りにする良い訓練だったと思いました。
 ですが、どうやら彼はそう思っていないようで、

「――あのオーガの言った通りだな。……エミリア」

 苦悩が見られる声で呼ばれ、私は顔を上げました。

「お前の剣をそこまで鈍らせているのは、何だ? お前はこんな、勝負を焦って致命的なミスをする剣士ではなかっただろう」
「っ!」
「二手目の勢いを付けすぎた横回転、三手目の相手を見ずに追撃潰し。どちらも初歩的なミスではないか。戦い方を覚えたばかりの新兵のような戦いをするなど、お前らしくない」

 指摘を受け、寒気を感じた。

 ――そこまで、みっともない戦いを……?

 折角心配してくれた隊長に対し、情けない醜態を晒して、それなのに自分では『次に活かせる』なんて事を考えていたのです。顔が赤くなるどころか、真っ青になるのも当然と言えるでしょう。

「――ぁ」

 身体が震え、眩暈が私の視界を乱しました。

「話せるのなら話してくれ。一体、何について――、っ!?」
「――申し訳ありませんっ!」

 気付いた時には既に身体を起こしていて、差し伸べてくれていた隊長の手を払っていました。

 ――あ、やだ、私……っ!

 彼の好意を跳ね除けてしまった。私の事を本気で心配してくれている彼の心を、踏みにじってしまった。
 こちらを見つめる彼の顔が、呆然としたものから悲しげなものに変わる前に、

「――申し訳ありません!」
「あ、エミリア!」

 立ち去らなければならない。彼から離れなければならない。逃げなければならない。
 もうこれ以上、彼を悲しませたくないから。

 ・・・

 無意識の内にキルペラインの屋敷。その門の前に立っていました。

「お、お嬢様!? こんな朝早くにいかがなされました!」
「――ぐすっ、えぐっ」

 朝でよかった、と心から思っていました。でなければ、今の私の顔など、誰にも見せられた物ではないからです。
 小さな頃から慣れ親しんだ門番の兵士が困り果て、先に周囲を見回した後、私の手を取って敷地内に入れてくれました。

「と、とにかく中へお連れしましょう。歩けますね?」
「うん……」

 門番が門から離れるなど、雇用主に怒られて当然だというのに、そんな事すら気に留めず彼は私を屋敷の中に連れていってくれたのです。

「誰か! 誰かいらっしゃいませんか!? エミリアお嬢様がお帰りになられました!」

 彼が玄関で声を張り上げると、呼応するように使用人たちが次々と現れ、そして、

「――エミリア? エミリアなのね!? まあまあまあ、一体どうしたの?」
「うぐゅ、お母さぁん……」

 私のお母さん、フランソワーズ・キルペラインが二階の踊り場から顔を見せました。

「治ったかと思ったけど、やっぱり泣き虫さんね。ほら、こっちにいらっしゃいな」

 お母さんの優しげな声と手招きにより、私は一瞬の内に階段を駆け上がり、その胸に飛び込んでいました。

「うっ、うぅ……」
「よしよし、18の女の子が子供みたいに泣いて、どうしたの?」

 勇者候補としてのプライドも尊厳もあった物ではない今の私を叱る事も呆れる事もせず、昔から何も変わらない温かい態度で、肩を震わせる私の頭を撫でてくれました。

 ――本当なら、逆の立場で居なければならないのに。

 きっと母は、いや、父も同じように接してくれるでしょう。訓練校へ下宿する前に、

『辛くなったら、いつでも泣きにくるんだよ?』

 そう言ってくれたのだから、今の私の有様を見て驚きこそすれど、悲しむ事はないでしょう。そんな優しい人たちだからこそ、私は強くなって、悲しい事から守りたいと思ったのです。
 だというのに、私の剣は何かに迷っていて、大事な人を守るどころか自分すら守れない。

「――分からないんです。自分自身が、何を困ってるのかって事が」
「???」

 情けなさが目からとめどなく溢れていき、お母さんの服を濡らしてしまいました。
 あれだけ固く決意したと言うのに、自分でも分からない些細な事が邪魔していて、考えれば考えるほどドツボに嵌っていく。泥沼に沈んでいく感触が、怖くて仕方がなかったのです。

「んー……、エミリア?」
「は、はい?」
「まずは朝ご飯を食べましょうか」

 この一言に、私は呆然とし、そして安堵した。

 ――お母さんは、相変わらずマイペースですね。

 いつもおっとりしていて、それでいて茶目っ気に富んだ女性。どんなに辛い時でも自分のペースを崩さない。それが私のお母さんなのですから。

「ご飯を食べてお腹いっぱいになって、それから考えても遅くはないと思うわよ?」
「……はい」
「うんうん。それじゃ、久しぶりに一緒に食べましょう?」

 そのままお母さんに連れられ、私は数年ぶりに実家で朝食を口にするのでした。

 ・・・

 出来立てで味も量も申し分ないという充実した朝の時間を過ごした後、私とお母さんはバルコニーに備え付けられていた椅子に座り、テーブルを挟んで向かい合っていました。

「それで、エミリアは自分が何について困っているか分からない事を困っているのね?」
「はい。お恥ずかしながら、私自身何が原因か検討も……」

 昔なじみの使用人が入れてくれた紅茶を飲みながら、真剣な表情で一緒に悩んでくれているお母さんにそう返しました。

「うーん、何時頃から、って言うのも分からないのよね。……自分の中で、こう、『分からないよーっ!』っていう感じの思いを感じた事とか、ないかな?」

 それだけ明確になっていれば、苦労なんてしていません。

「何でもいいのよ。お母さんに答えられる事ってあんまりないけど、それでもヒントになれるかもしれないんだからね?」
「……」

 考えると、分からない事の方が多い気がしてきます。
 一昨日、私達の前に現れ、ピンチを救った同年代の少女。私よりも強くて、豪放で悩みがなさそうな、あの子。
 あの子が一体どんな理由で教団に来たのか。
 どうして私でも倒せなかったオーガと戦えるくらい強いのか。
 彼女に関して、私は何も知らないのでした。ただ一方的にライバル視して、負けたくないと思って必死に自分を鍛えだしたのです。話をする暇なんてありませんでした。

 ――そういえば。

 考えても見れば、彼女が来てからおかしくなった事が一つありました。

「お母さん」

 心当たりとも呼べないような出来事ですが、これは少なくとも、今抱えている中で理解が出来ない感情なのです。

「先日、私の部隊に新しい兵士が来ました」

 教団とは何の関係もないお母さんにも分かりやすいよう、かいつまんで話します。
 その兵士は私と同じ年頃の女性で。
 元々は市民だった筈なのに、私よりも全然強くて。
 説明している最中、お母さんは一言も発する事なく静かに頷いていました。

「それで昨日の朝、その人がエリアス隊長、私の剣のお師匠様です。その人と話している所を見て、こう、胸がですね、キュッと苦しくなったんです」

 なかなか距離を縮められず、今のような関係になるまで私は二年という時間を費やしました。それなのに、彼女は出会って僅か一日で、笑顔で話せるようになっていたのです。
 モヤモヤした、暗く重い気持ちになりました。
 ですが、それは長く続きませんでした。隊長が、普段とは様子が違う私の顔を除いた瞬間、胸中に渦巻いていたもやが一瞬にして消し飛ぶほどの衝撃を受けたのです。
 隊長の顔を、声を、匂いを感じる度に血液が熱を持ち、前を見ていられなくなって、その場から逃げ出してしまいました。こんな事、今までなかったというのに。

「この気持ちって、何だと思いますか?」
「――」

 助けを求めるように。いや、本当に私は助けを求めていたのでしょう。彼の顔が見ていられない。直視できない。想像する事すら、難しい。これは何かの病気なのでしょうか。
 私の真剣な思いを受け取ったらしく、お母さんも今までにない真面目な表情で、

「――ぷっ」

 吹き出しました。

「あはははははは!」
「な、何故笑うんです!? 私は真面目に聞いてるんですよ!?」
「ふふふ、ご、ゴメンなさいね。ちょっと安心しちゃったのよ。気を悪くしたようだったら謝るわ」

 抱えていたお腹から手を離し、しばらくの間呼吸を整えてから、

「大丈夫。それは病気でも呪いでも何でもないから。貴女くらいの女の子なら、誰だってありうる事よ?」
「えっ?」

 誰だってある、という事から、月に一度来るアレかと思ったのですが、『違う違う』と言われたので余計に悩む事になってしまいました。
 いい? と、前置きをして、

「貴女はね? 新人の子にやきもちを焼いたのよ」

 やきもちを、焼く。

 ――……えーっと。

 一体どういう意味か理解しかねました。

「早い話、明るい新人ちゃんに嫉妬したのよ。貴女は」

 嫉妬。
 しっと。
 ジェラシー。

 ――は?

 自分と異なるものが、自分より優れていると思い、快く思わない感情。それを、勇者候補の私が抱えている。
 まるで状況が呑み込めませんでした。

「私が……嫉妬? 何故ですか?」

 そんなの決まってるじゃない。笑みを浮かべて、私の母はこう告げたのです。

「貴女が、お師匠様に恋をしてるからよ」

 ・・・

 私が、隊長に、恋をしている。
 それはつまり私は隊長の事が好きで、告白して、抱き合って、く、口吸いをして、結婚して、家庭を持って、いろいろ諸々、

 ――……ぅぁ。

 考えるだけで体温が跳ね上がり、脳が燃えてしまいそうでした。

「ほら、顔が真っ赤になったじゃないの。そういう事よ」
「そそそそそそんな事ある訳ないですよ! 私が異性を好きになるなんて――」
「だったらどうして目も合わせられないのかしら?」

 図星を突かれ、それ以上言葉が紡げなくなってしまいました。

「生真面目で大人しいままなのか思っていたけど、順調に育ってるようで安心したわ。誰かを想って顔を赤らめられるのは女の子として成長した証だもの」
「で、ですが私は!」

 万に一つもあり得ない事ですが、もし本当に、隊長に恋をしているとしましょう。
 それでも私は、絶対にこの気持ちを認める訳にはいきませんでした。

 ――だって、『勇者』になるんですから。

 勇者とは、人々の希望の象徴となり、神聖にて不可侵な存在であらなければなりません。万人に心を配り、その身を人々の為に捧げる必要があります。
 それなのに、一人の人間に執着し、その人物を他よりも優先するような事があっては、勇者という存在そのものに背く結果となってしまいます。
 故に、私は私自身に、『隊長に抱いている想いは、尊敬の念』と言い聞かせる必要があるでしょう。勇者となるならば、抱いてはいけない思いなのですから。
 しかし、

「駄目」
「――え?」
「今、諦めようとしたでしょ?」

 じっとこちらを見つめてくる母の瞳には、一切の遊びがなく、真剣そのものでした。

「確かに、貴女には貴女が思う通りに生きて欲しい。だから勇者になりたい、って言った時も止めなかったわ」

 けれど、

「けれども覚えていて。私は、ううん。私も、お父さんも、貴女のお姉ちゃんもお兄ちゃんも、みーんな貴女には幸せになって欲しいの。後悔のない、胸を張って笑えるようになって欲しいのよ」
「……」

 隊長に、自分の好意を伝える。好きです、と言葉にする。
 それは、どうなのだろうか。
 エリアス隊長に対する思いは、確かにアニーさんやハミルさんに向けている好意とは違う事は分かります。
 彼は年若く、人見知りの激しい私に対して、厳しくも優しく、一人の人間として扱っていただきました。自分もあまり人づきあいが得意ではないのに、不器用なりに歩み寄る努力をして、私を一介の剣士に育て上げてくれたのです。
 彼に対する恩義や、想いは、確かにとても強く、そう簡単に消せる物ではありません。しかし、恋なんかした事のない私には、この想いが恋心なのかどうか判別できないのです。
 そんなあやふやな物、伝えた所で迷惑にしかならないでしょう。
 なら、いっその事、

「駄ー目」
「むぐっ」
「――勇者になるから駄目、なんて、伝える前から諦めないで」
「っ……」

 そんな事言われると、余計に困ってしまうではありませんか。

「それに、そこまで想うようになっちゃったら、絶対に想いを押し殺す事は出来ないわよ?」
「そ、そんな……」

 勇者になる事は、私の夢であり、誓い。
 しかし、この胸中に宿った想いは、お母さんの言う通りそう簡単になくなる事はないでしょう。

 ――私は、どうすれば。

 悩みの正体が分かっても、より苦悩は深まるばかりでした。

 ・・・

 お母さんにお礼を言って、とぼとぼと詰め所に戻って来ました。
 もう起床の時間を過ぎてるのでは、と思いましたが、考えてみれば今日は非番だった事を思い出しました。朝ご飯を作る人物以外はまだ眠っている筈でしょう。

「――おーきろーっ!」
「ごへぁっ!? ちょ、待て! もう起きてる! 起きてるから!」
「おーはーよーうー」
「ぬぁあっ! アンタ寝ぼけてるな!? 絶対そうだろ! ちょ、あっ!?」

 二階から激しい音が聞こえて、騒がしく、賑やかな朝を告げています。
 私には、出来ない事です。

 ――エリアス隊長は、明るい子の方が、好きですよね。

 考えても無意味だと分かっているのに、自信のない考えが浮かんでは消え、また浮かび上がってきます。
 私が彼の事を好いていたとしても、きっと彼はそうではない。
 歳が10以上離れていて、人間性にも問題あり。好きになってもらえる訳がない。
 そう分かってるはずなのに、酷く切ない。

「……戻りました」

 ぐるぐるとループする悩みを意識の脇にどけて、見慣れた玄関に入ります。
 そこには寝ぼけ眼を擦りながら部屋から出てきたアニーさんが居ました。

「おー。おはよ、エミリア。今日も早朝訓練?」
「え、ええ。そんな所です」
「やー、朝から上でドタバタしてるからさ。思わず起きちゃったわよ。普段はまだ寝てるのにさー。まったく」
「……今日はアニーさんが朝食当番では?」
「……あ」

 いっけないわ、と慌ててリビングに向かって行ったアニーさんを見送り、顔を正面へ向けました。
 そこには、

「――戻ったか」
「あ」

 隊長。ただそれだけ、一言だけを返そうと思いました。
 ですが、

「――あっ」

 彼を前にすると、口が、顔が、身体が思うように動いてはくれないのです。
 そんな、戸惑いを隠せない様子の私を見て、彼は神妙な面持ちになり、こう言いました。

「……すぐに話せなくてもいい。だが、一人で抱え込むなよ」

 不器用な彼の精一杯の優しさ。それを受けて、心臓が跳ね上がる感触が私を襲いました。
 これは間違いなく、師に対する思いではありません。もしそうならば、こんなに強く揺さぶられるような感覚はない筈です。
 自覚する事によって、私の中の動揺は、完全に抑えが利かない物となっていました。
 それでも、言わなければならない。そう思い、必死に口を動かし、

「さ、先ほどは、その、申し訳ありませんでした」

 一度背中が止まり、ああ、と短い返事をした後、隊長はリビングへと消えて行きました。
 残された私は、崩れるように壁に寄りかかり、誰にも聞こえないように、小さなため息を吐きました。

 ――私は、私は……っ!

 勇者という理想と、人間としての心。狭間でせめぎ合う私の心は、緑の魔物が言ったように迷いを抱いていました。
 このまま私は、どうなってしまうのでしょうか。
 底のない思考に絡め取られ、動けなくなっていくのでしょうか。
13/09/04 22:56更新 / イブシャケ
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■作者メッセージ
折り返しです。
この物語は26話構成なので、ここから先は下巻扱いですね。
そろそろ事態が変わり始めて、この世界らしくなっていくんじゃないでしょうか。
そんな事になっているとは露も知らず、恋心と夢の狭間でうろうろ。
人間のルールとはかくも面倒なものなんでしょうね。

という訳でエミリアの紹介ですよ。
真面目で視野が狭いっていう、典型的な勉強が出来る子です。
上に兄と姉が居て、なおかつ年も離れてる事から家族全体で甘やかされてますなこりゃ。だから泣き虫なんですよ。
前にも書きましたが、いかんせん基礎スペックが高いので正面から馬鹿に出来ないっていうのが厄介。友人として付き合うにはいろいろ重そうな感じが。
まあ、絶対裏切らないしちゃんと対応すればそれを返してくれるので、信頼できるいい子ではあるんですがね。

シャーランの紹介は次ではやりません。何となくですが。
あ、エミリアかーちゃんには裏設定とかないですよ? 出番ここだけですし。
ではでは。

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