第十一話 日暮れの散策中にて/参謀のターン
重苦しい雰囲気から一転。シャーランさんは何事もなかったかのように『あのカレー』を六杯もおかわりするという暴挙に出たのです。
見ていたアニーさんがついに眩暈を起こし、よろめきながらも私たちの詰め所に戻っていきました。重い話と空気を読まないカレー臭が身体に変調を起こしたのでしょうね。
「あー、何か気を悪くしちゃったならゴメンね。メシの場でする話じゃなかったよね」
それもあったのですが、どちらかというと貴女の話の所為よりも、貴女の追加した昼食によって気を、ではなく胃を重くしたのでしょうが。
ともあれ、妙にシャーランさんに好意的になった店主にお礼を言って、店を出ました。
昼過ぎという事もあって、通りにはまだまだ沢山の人が往来しており、活気に満ちています。
「さて。何だかいろいろぶち壊しになってしまいましたが、何処に案内しましょうか?」
「うーん、酒場」
「……いきなり高難易度の注文が来ましたね。昼から飲酒ですか?」
そんな事をすれば、ただでさえギリギリの立場なのに今度こそ教団を追い出されるでしょう。ああ、責任の処理で隊長の胃に穴が開くのも目に見えるようです。
「いやいや、昨日困ってた私たちを助けてくれた人にお礼しに行かなきゃならなくってさ」
「おや? そんな事があったのですか」
彼女が言うには、僕達の居た現場へすぐに行かなければならないというのに、貸し馬が全て使用できず、立ち往生していたそうです。そんな時、馬を貸してくれたのがその人物だ、という事でした。
「いい酒を贈る、って約束しちゃったからねー。何処かでお酒見繕わないと」
「ではそちらから行きましょうか。――ですが、生憎と僕はお酒飲めないんですよね」
この事実に気付いたのはアルカトラに来てからでした。入隊祝いのワインを飲んで、結果的に全裸で自室に寝かされていたのですから、よほどなのでしょう。
――というより、あの後皆さんから妙な距離感を感じたんですが、本当に僕、何やったんでしょうかね。
以来、酒は絶対に飲まないようにしているのです。
「えー。人生の三分の一は損してるよ、それ」
「自覚はしてるのですが、――って、三分の一? 残りは何なんです?」
「へ? 酒と肉と女が男の人生の楽しみ、って本で読んだけど」
「何処出版ですかそれ。ちょっと文句言いたくなりましたので教えてください」
「官能――エロ小説だけど?」
「何てものを読んでるんですか貴女はっ!」
わざわざ言い直す辺り、そういう事に抵抗がないんでしょうね。
「確か話の内容は、強面の傭兵団の団長が主人公でね。自分が殺した男の妻が復讐に来たから、女の服を引き裂いて腕を縛って、酒場で笑いながら仲間と一緒に――」
「やめなさい! 往来でそんな話するんじゃありませんよ!?」
「えー? その後が面白いのに。『俺たちの楽しみは、食う寝る飲む、そして綺麗な女の絵をかきながらついでにマスもかく事だ!』って言いながら、屈辱に塗れた未亡人の裸婦像をひたすら紙に書くのよ。最終的に団長たちの芸術に対する真摯さに心打たれて、未亡人を傭兵団全体が寝取る結果になって――」
「おねがいしますやめてください」
よく見れば周りの、道行く人が生暖かい笑みを向け『うんうん』と頷いているではないですか。親指上に向けていい笑顔してる中年男とかも居ますし。
――最近の一般市民って、随分と性に寛容なんですね……。
慎みを持たなければいけない教団兵なのに。そういう話を聞くと真っ赤になって怒りだすエミリアさんを見習ってほしいものです。
既に先ほどまでの重苦しい空気は消え失せ、胃にのしかかって来るような精神的疲労感が交代して入場してきました。退場にしたくても出来ない辺りが厄介ですね。
「聞いた私が馬鹿でした。勘弁してほしいので、早くお酒探しに行きましょう」
「いい酒があるといいなー」
悩みがなさそうで羨ましい限りです。
・・・
それから約二時間。いいお酒を探しながら街を散策し、必要なライフラインを一通り教えた頃には、もう日が傾き始めていました。
「――しかし、いい酒とはいえ一樽は多すぎませんか?」
「へーきへーき。その場に居る皆で飲むんだし」
肩に身の丈ほどの樽を担ぎ、それでいて僕と並んで歩いているシャーランさん。
僕より頭一つ小さいというのに、身体の方は僕とは比べ物にならないようです。先ほどから疲れた様子を一切見せません。
「身体の方、大丈夫なんですか? 治したのは僕達ですが、昨日の戦闘の後遺症とか」
「大丈夫。こんなの朝飯前よ」
「時間的には夕食前、ですね」
何気なく返した言葉にきょとんとした後、少女は笑いました。
「さーて、何処の酒場に居るのかなー。ハミハミー、この辺で一番大きい酒場って何処?」
「ああ、それなら――」
人から受けた恩を、しっかりと返す義理堅さ。
凝り固まった常識に囚われない破天荒さ。
そして、今日街を回りながら浮かべていた、あの本当に面白そうな、笑顔。
何処からどう見ても、おてんばでかつ、年頃の田舎娘くらいにしか見えません。
――しかし、こんな子でも内面に物凄い闇を抱えてるんですよね。
昼食の時に話してくれた過去と、戦う理由。それは暗く、重く、哀しいものでした。
復讐は何も生み出しません。ただ、虚しいだけ。まして、父親を殺した者ではない魔物に怒りをぶつけても、何の意味もありません。
――ですが、それしかないんですよね……。
父親を失った後、閉じた場所でずっと一人きりだった、と彼女は言いました。それはつまり、慰めてくれる人も、導いてくれる人も居なかったという事でしょう。
だから彼女はきっと、何もなくなってしまった十年前から、何も変わってはいないのでしょう。ただ身体だけが大きくなっただけで、心は子供のままなのです。
でなければ、これほど純粋な人にはなりません。
――どうするべきなんでしょうか。
自分のような人を作らないように、とか、今度こそ大事な人を守りたい、とか。そういう理由ならば戸惑う事はなかったのでしょう。同志として迎え、持てる力の全てを持って、その目的に力を貸していたでしょう。
彼女の復讐を手助けするべきか。それとも、やめさせるか。
「――ミ? ハミハミー?」
「あ」
気が付けばあだ名を呼び続けていたシャーランさんが、そこに居ました。
「どしたの? 疲れた? 疲れたなら先に帰っていいよー?」
「い、いえ。少々考え事をしてまして」
その場しのぎの嘘で誤魔化し、目的地へ先導します。怪訝な表情を浮かべながらも、後ろから着いてくるシャーランさんからはそれ以上の言葉は出てきません。
――僕一人で考えても、どうしようもないですよね。
今頃は、アニーさんが隊長に彼女の事を話している筈でしょう。彼は気を遣いすぎますが、だからこそ良い人です。今朝のシャーランさんの行動から、年下への新しい接し方を考案しているかもしれません。
そう考え、僕たちは一つ目の酒場に入っていくのでした。
・・・
結論から話しますと、詰め所に戻れたのは日付が変わった辺りでした。
「――」
「……え、えーと」
「……むー」
今、目の前には物凄い怒気を漂わせている隊長が両肘を付き、口元を覆い隠しながら私達二人を無言で睨みつけています。
「あのですね? 昨日、じゃないですねもう一昨日ですね。その時にシャーランさんがお世話になった馬車の業者さんにお礼をしに行ったんですよ」
「……それで?」
「いくつか酒場を回って、見つけた時にはその人が結構酔ってましてね? 『飲まずに帰るなんぞ許さねぇぞ!』といちゃもん付けられて一杯だけ飲んだんですよ」
「……」
「えと。そ、それで気が付いたら店内に居た皆さんは熟睡。シャーランさんはそれでも飲んでたんですが、私は全裸で、酒タルを抱えて床に寝てまして」
隊長の無言と、それに対するシャーランさんの不機嫌そうな態度がこの場をより重いものへと変換しているような気がします。
「――お礼しに行ったのに、何で怒られなきゃならないのよ」
「ちょ、シャーランさん!?」
まだアルコールが残っているのか、それとも元々意志を抑えておけないのか、自分が怒られている事に対する不満がついに口端から漏れ出てしまったようです。
そして、一度出た心は止める方法がなく、
「トントンが居なきゃオーガを撤退させられなかったのよ? お礼をしに行くのは当然じゃない。――教団は、手助けしてくれた一般市民の望みを叶えるよりも模範としての生活の方が大事なの?」
据わった瞳で、隊長を睨み返したのです。
確かに彼女の言う事は最もでした。主神信仰者として正しい人間の見本となる事。それが理想とされる教団ですが、同時に主神様は隣人を愛するように教義しているのです。
愛すべき隣人の心を踏みにじってまで市民の手本になる事に、何の意味があるのでしょうか。きっと、彼女はそう思っているに違いありません。
「――シャーラン。ちょっと来い」
しかし、隊長はその問いに答える事なく、こちらに来るよう手招きをしました。
「何よ」
「いいから来い」
有無を言わさぬ強い口調で言われた為、仕方なくも渋々と隊長が腰掛けているデスクの前まで行きました。
隊長は椅子から立ち上がり、机に置いていたカップを脇にどけてから、
「――この」
ゆっくりと拳を振り上げて、
「馬鹿者がっ!」
「ぴぎゃっ!?」
シャーランさんの脳天に拳骨をお見舞いしたのです。
突然殴られたシャーランさんは目を白黒させたまま、訳が分からないというような表情を浮かべる事しかできませんでした。
「こんな夜遅くまで、連絡も無しに何をやってるのかと思えば、酒を飲んでいただと!? ふざけるのも大概にしろ! 他の教団員に見られたらどうするつもりだったんだ!」
そして説教という追撃。安定のコンボですね。
しかし、それだけに怒られている側が立ち直る暇を与える事にもなり、
「――な、何よ! やっぱりそっちの方が――」
大事なんだろう。そう言おうとした彼女の言葉を遮って、隊長は彼女の肩を掴み、こう言いました。
「心配、掛けさせるんじゃない」
「――ぇ?」
急にそんな事を言われて、シャーランさんは呆然としていました。
おそらく隊長は、オーガとの戦闘でボロボロになっている筈のシャーランさんの身体を案じ、連絡もない事から何処かで動けなくなっているのでは、と心配していたのでしょう。身を案じているのに拳骨とはどうかと思いますが、
――まったく。本当に不器用な人なんですから。
口を半開きにしたまま直立しているシャーランさんが、数十秒の間を置いてやっと再起し、何やらわたわたと慌て始めました。
「あ、え、その」
何でしょうかね、このかわいい生き物。顔を真っ赤にして、さっきまでの強気な表情から一転して困り果てたような弱々しいものになってます。
――それだけ、怒られる事も心配される事も慣れてないんですね。
これをレイブン君にやってあげれば、彼女が物理的手段に頼らなくて済んだんでしょうに。まあ、彼の場合こうやっても反抗していたでしょうし、彼女の場合何もなくても物理的な挨拶はしていたと思いますが。
何か言葉を考えているようですが、突然の予想外の出来事に思考がまとまらないらしく、言葉にならないうめき声が上がるだけでした。
「――他に言う事があるのだろう?」
助け舟のつもりなのでしょう。掛けた言葉は普段通りの冷静な声色で、聞く人に落ち着きを取り戻させます。
それが功を奏したようで、深呼吸を数回してから、しどろもどろになりながらもシャーランさんは、
「ご、ごめん、なさい」
しっかりと、上目遣いではありましたが、隊長の顔を見て謝る事が出来たのです。
謝罪に対し隊長は一呼吸置き、殴った彼女の頭を撫で、ゆっくりと言いました。
「協力してくれた市民に恩を返すだけならば当然の事だ。だが、場を盛り上げて幸せにさせるのはなかなか出来る事ではない。――よくやった」
「――」
よくやった。それだけ告げて、隊長は部屋から出る為にドアの方に向かっていきました。
「ハミル、お前はもう休め。世話役として随分と苦労しただろうからな」
「え? あ、はい」
「だが次は先に連絡をしてくれよ」
どうやら私に対してはそれだけが言いたかったようで、特に注意される事はありませんでした。
「いやー、よかったですね。どうやら追い出されなくて済みそうですよ。一時はどうなる事かと――、……シャーランさん?」
動かない。いやぁ、それはもうピクリとも。今度は完全に意識を失ったようで、まばたきすらしていません。
――怒られる以上に、褒められ慣れてない?
これは復旧するまでに時間がかかりそう、と考え、私も部屋に戻る事にしました。
自室のドアを静かに開け、音を立てないようにそっと中に入ると、
「……? 明かりが」
ベッドの上段が、ロウソクの炎で照らされている事に気が付きました。
「おかえりー。随分遅かったね」
「起きてたんですね」
どうやら同室の女性、アニーさんは本を読んでいたようで、上から見下ろす彼女の顔には眼鏡が掛かっていました。
「――ちょっとアンタ、酒臭いわよ? 風呂入ってきたら?」
「今から沸かすの大変なんですけど……」
水を張って、魔法で沸かした所で結構時間はかかります。その上、一人で入るのも気が引けるというか。
「じゃあ、一緒に酒臭くなってる筈のシャーランにも聞いてみたら? 風呂入らないか、ってさ」
「あ、今彼女は隊長に怒られて心配されて褒められてのコンボ攻撃を受けて立ち往生中ですので、しばらく反応ないと思います」
何それ、と言われますが、これが事実なのですから仕方がないでしょう。
その時唐突に、ウチに居るもう一人の少女が、今朝浮かべていた表情が脳裏に過り、
「そういえば、エミリアさんはどうしました? 今朝からちょっと変でしたが」
「ああ、私が帰ってきてしばらく経ってから帰って来たわ。随分とフラフラだったんだけど、『心配しないでください』の一点張りですぐに部屋に引きこもっちゃった」
やはりそうですか、と答えておきます。
――気にしてるんでしょうね、やっぱり。
推測するに、今日一日中エミリアさんは己の限界を超えて訓練をしていたのでしょう。
――シャーランさんの事を話せば、少しは落ち着きますかね。
そんな事を考えながら、僕はお酒の臭いを消す為に渋々と浴場に向かうのでした。
見ていたアニーさんがついに眩暈を起こし、よろめきながらも私たちの詰め所に戻っていきました。重い話と空気を読まないカレー臭が身体に変調を起こしたのでしょうね。
「あー、何か気を悪くしちゃったならゴメンね。メシの場でする話じゃなかったよね」
それもあったのですが、どちらかというと貴女の話の所為よりも、貴女の追加した昼食によって気を、ではなく胃を重くしたのでしょうが。
ともあれ、妙にシャーランさんに好意的になった店主にお礼を言って、店を出ました。
昼過ぎという事もあって、通りにはまだまだ沢山の人が往来しており、活気に満ちています。
「さて。何だかいろいろぶち壊しになってしまいましたが、何処に案内しましょうか?」
「うーん、酒場」
「……いきなり高難易度の注文が来ましたね。昼から飲酒ですか?」
そんな事をすれば、ただでさえギリギリの立場なのに今度こそ教団を追い出されるでしょう。ああ、責任の処理で隊長の胃に穴が開くのも目に見えるようです。
「いやいや、昨日困ってた私たちを助けてくれた人にお礼しに行かなきゃならなくってさ」
「おや? そんな事があったのですか」
彼女が言うには、僕達の居た現場へすぐに行かなければならないというのに、貸し馬が全て使用できず、立ち往生していたそうです。そんな時、馬を貸してくれたのがその人物だ、という事でした。
「いい酒を贈る、って約束しちゃったからねー。何処かでお酒見繕わないと」
「ではそちらから行きましょうか。――ですが、生憎と僕はお酒飲めないんですよね」
この事実に気付いたのはアルカトラに来てからでした。入隊祝いのワインを飲んで、結果的に全裸で自室に寝かされていたのですから、よほどなのでしょう。
――というより、あの後皆さんから妙な距離感を感じたんですが、本当に僕、何やったんでしょうかね。
以来、酒は絶対に飲まないようにしているのです。
「えー。人生の三分の一は損してるよ、それ」
「自覚はしてるのですが、――って、三分の一? 残りは何なんです?」
「へ? 酒と肉と女が男の人生の楽しみ、って本で読んだけど」
「何処出版ですかそれ。ちょっと文句言いたくなりましたので教えてください」
「官能――エロ小説だけど?」
「何てものを読んでるんですか貴女はっ!」
わざわざ言い直す辺り、そういう事に抵抗がないんでしょうね。
「確か話の内容は、強面の傭兵団の団長が主人公でね。自分が殺した男の妻が復讐に来たから、女の服を引き裂いて腕を縛って、酒場で笑いながら仲間と一緒に――」
「やめなさい! 往来でそんな話するんじゃありませんよ!?」
「えー? その後が面白いのに。『俺たちの楽しみは、食う寝る飲む、そして綺麗な女の絵をかきながらついでにマスもかく事だ!』って言いながら、屈辱に塗れた未亡人の裸婦像をひたすら紙に書くのよ。最終的に団長たちの芸術に対する真摯さに心打たれて、未亡人を傭兵団全体が寝取る結果になって――」
「おねがいしますやめてください」
よく見れば周りの、道行く人が生暖かい笑みを向け『うんうん』と頷いているではないですか。親指上に向けていい笑顔してる中年男とかも居ますし。
――最近の一般市民って、随分と性に寛容なんですね……。
慎みを持たなければいけない教団兵なのに。そういう話を聞くと真っ赤になって怒りだすエミリアさんを見習ってほしいものです。
既に先ほどまでの重苦しい空気は消え失せ、胃にのしかかって来るような精神的疲労感が交代して入場してきました。退場にしたくても出来ない辺りが厄介ですね。
「聞いた私が馬鹿でした。勘弁してほしいので、早くお酒探しに行きましょう」
「いい酒があるといいなー」
悩みがなさそうで羨ましい限りです。
・・・
それから約二時間。いいお酒を探しながら街を散策し、必要なライフラインを一通り教えた頃には、もう日が傾き始めていました。
「――しかし、いい酒とはいえ一樽は多すぎませんか?」
「へーきへーき。その場に居る皆で飲むんだし」
肩に身の丈ほどの樽を担ぎ、それでいて僕と並んで歩いているシャーランさん。
僕より頭一つ小さいというのに、身体の方は僕とは比べ物にならないようです。先ほどから疲れた様子を一切見せません。
「身体の方、大丈夫なんですか? 治したのは僕達ですが、昨日の戦闘の後遺症とか」
「大丈夫。こんなの朝飯前よ」
「時間的には夕食前、ですね」
何気なく返した言葉にきょとんとした後、少女は笑いました。
「さーて、何処の酒場に居るのかなー。ハミハミー、この辺で一番大きい酒場って何処?」
「ああ、それなら――」
人から受けた恩を、しっかりと返す義理堅さ。
凝り固まった常識に囚われない破天荒さ。
そして、今日街を回りながら浮かべていた、あの本当に面白そうな、笑顔。
何処からどう見ても、おてんばでかつ、年頃の田舎娘くらいにしか見えません。
――しかし、こんな子でも内面に物凄い闇を抱えてるんですよね。
昼食の時に話してくれた過去と、戦う理由。それは暗く、重く、哀しいものでした。
復讐は何も生み出しません。ただ、虚しいだけ。まして、父親を殺した者ではない魔物に怒りをぶつけても、何の意味もありません。
――ですが、それしかないんですよね……。
父親を失った後、閉じた場所でずっと一人きりだった、と彼女は言いました。それはつまり、慰めてくれる人も、導いてくれる人も居なかったという事でしょう。
だから彼女はきっと、何もなくなってしまった十年前から、何も変わってはいないのでしょう。ただ身体だけが大きくなっただけで、心は子供のままなのです。
でなければ、これほど純粋な人にはなりません。
――どうするべきなんでしょうか。
自分のような人を作らないように、とか、今度こそ大事な人を守りたい、とか。そういう理由ならば戸惑う事はなかったのでしょう。同志として迎え、持てる力の全てを持って、その目的に力を貸していたでしょう。
彼女の復讐を手助けするべきか。それとも、やめさせるか。
「――ミ? ハミハミー?」
「あ」
気が付けばあだ名を呼び続けていたシャーランさんが、そこに居ました。
「どしたの? 疲れた? 疲れたなら先に帰っていいよー?」
「い、いえ。少々考え事をしてまして」
その場しのぎの嘘で誤魔化し、目的地へ先導します。怪訝な表情を浮かべながらも、後ろから着いてくるシャーランさんからはそれ以上の言葉は出てきません。
――僕一人で考えても、どうしようもないですよね。
今頃は、アニーさんが隊長に彼女の事を話している筈でしょう。彼は気を遣いすぎますが、だからこそ良い人です。今朝のシャーランさんの行動から、年下への新しい接し方を考案しているかもしれません。
そう考え、僕たちは一つ目の酒場に入っていくのでした。
・・・
結論から話しますと、詰め所に戻れたのは日付が変わった辺りでした。
「――」
「……え、えーと」
「……むー」
今、目の前には物凄い怒気を漂わせている隊長が両肘を付き、口元を覆い隠しながら私達二人を無言で睨みつけています。
「あのですね? 昨日、じゃないですねもう一昨日ですね。その時にシャーランさんがお世話になった馬車の業者さんにお礼をしに行ったんですよ」
「……それで?」
「いくつか酒場を回って、見つけた時にはその人が結構酔ってましてね? 『飲まずに帰るなんぞ許さねぇぞ!』といちゃもん付けられて一杯だけ飲んだんですよ」
「……」
「えと。そ、それで気が付いたら店内に居た皆さんは熟睡。シャーランさんはそれでも飲んでたんですが、私は全裸で、酒タルを抱えて床に寝てまして」
隊長の無言と、それに対するシャーランさんの不機嫌そうな態度がこの場をより重いものへと変換しているような気がします。
「――お礼しに行ったのに、何で怒られなきゃならないのよ」
「ちょ、シャーランさん!?」
まだアルコールが残っているのか、それとも元々意志を抑えておけないのか、自分が怒られている事に対する不満がついに口端から漏れ出てしまったようです。
そして、一度出た心は止める方法がなく、
「トントンが居なきゃオーガを撤退させられなかったのよ? お礼をしに行くのは当然じゃない。――教団は、手助けしてくれた一般市民の望みを叶えるよりも模範としての生活の方が大事なの?」
据わった瞳で、隊長を睨み返したのです。
確かに彼女の言う事は最もでした。主神信仰者として正しい人間の見本となる事。それが理想とされる教団ですが、同時に主神様は隣人を愛するように教義しているのです。
愛すべき隣人の心を踏みにじってまで市民の手本になる事に、何の意味があるのでしょうか。きっと、彼女はそう思っているに違いありません。
「――シャーラン。ちょっと来い」
しかし、隊長はその問いに答える事なく、こちらに来るよう手招きをしました。
「何よ」
「いいから来い」
有無を言わさぬ強い口調で言われた為、仕方なくも渋々と隊長が腰掛けているデスクの前まで行きました。
隊長は椅子から立ち上がり、机に置いていたカップを脇にどけてから、
「――この」
ゆっくりと拳を振り上げて、
「馬鹿者がっ!」
「ぴぎゃっ!?」
シャーランさんの脳天に拳骨をお見舞いしたのです。
突然殴られたシャーランさんは目を白黒させたまま、訳が分からないというような表情を浮かべる事しかできませんでした。
「こんな夜遅くまで、連絡も無しに何をやってるのかと思えば、酒を飲んでいただと!? ふざけるのも大概にしろ! 他の教団員に見られたらどうするつもりだったんだ!」
そして説教という追撃。安定のコンボですね。
しかし、それだけに怒られている側が立ち直る暇を与える事にもなり、
「――な、何よ! やっぱりそっちの方が――」
大事なんだろう。そう言おうとした彼女の言葉を遮って、隊長は彼女の肩を掴み、こう言いました。
「心配、掛けさせるんじゃない」
「――ぇ?」
急にそんな事を言われて、シャーランさんは呆然としていました。
おそらく隊長は、オーガとの戦闘でボロボロになっている筈のシャーランさんの身体を案じ、連絡もない事から何処かで動けなくなっているのでは、と心配していたのでしょう。身を案じているのに拳骨とはどうかと思いますが、
――まったく。本当に不器用な人なんですから。
口を半開きにしたまま直立しているシャーランさんが、数十秒の間を置いてやっと再起し、何やらわたわたと慌て始めました。
「あ、え、その」
何でしょうかね、このかわいい生き物。顔を真っ赤にして、さっきまでの強気な表情から一転して困り果てたような弱々しいものになってます。
――それだけ、怒られる事も心配される事も慣れてないんですね。
これをレイブン君にやってあげれば、彼女が物理的手段に頼らなくて済んだんでしょうに。まあ、彼の場合こうやっても反抗していたでしょうし、彼女の場合何もなくても物理的な挨拶はしていたと思いますが。
何か言葉を考えているようですが、突然の予想外の出来事に思考がまとまらないらしく、言葉にならないうめき声が上がるだけでした。
「――他に言う事があるのだろう?」
助け舟のつもりなのでしょう。掛けた言葉は普段通りの冷静な声色で、聞く人に落ち着きを取り戻させます。
それが功を奏したようで、深呼吸を数回してから、しどろもどろになりながらもシャーランさんは、
「ご、ごめん、なさい」
しっかりと、上目遣いではありましたが、隊長の顔を見て謝る事が出来たのです。
謝罪に対し隊長は一呼吸置き、殴った彼女の頭を撫で、ゆっくりと言いました。
「協力してくれた市民に恩を返すだけならば当然の事だ。だが、場を盛り上げて幸せにさせるのはなかなか出来る事ではない。――よくやった」
「――」
よくやった。それだけ告げて、隊長は部屋から出る為にドアの方に向かっていきました。
「ハミル、お前はもう休め。世話役として随分と苦労しただろうからな」
「え? あ、はい」
「だが次は先に連絡をしてくれよ」
どうやら私に対してはそれだけが言いたかったようで、特に注意される事はありませんでした。
「いやー、よかったですね。どうやら追い出されなくて済みそうですよ。一時はどうなる事かと――、……シャーランさん?」
動かない。いやぁ、それはもうピクリとも。今度は完全に意識を失ったようで、まばたきすらしていません。
――怒られる以上に、褒められ慣れてない?
これは復旧するまでに時間がかかりそう、と考え、私も部屋に戻る事にしました。
自室のドアを静かに開け、音を立てないようにそっと中に入ると、
「……? 明かりが」
ベッドの上段が、ロウソクの炎で照らされている事に気が付きました。
「おかえりー。随分遅かったね」
「起きてたんですね」
どうやら同室の女性、アニーさんは本を読んでいたようで、上から見下ろす彼女の顔には眼鏡が掛かっていました。
「――ちょっとアンタ、酒臭いわよ? 風呂入ってきたら?」
「今から沸かすの大変なんですけど……」
水を張って、魔法で沸かした所で結構時間はかかります。その上、一人で入るのも気が引けるというか。
「じゃあ、一緒に酒臭くなってる筈のシャーランにも聞いてみたら? 風呂入らないか、ってさ」
「あ、今彼女は隊長に怒られて心配されて褒められてのコンボ攻撃を受けて立ち往生中ですので、しばらく反応ないと思います」
何それ、と言われますが、これが事実なのですから仕方がないでしょう。
その時唐突に、ウチに居るもう一人の少女が、今朝浮かべていた表情が脳裏に過り、
「そういえば、エミリアさんはどうしました? 今朝からちょっと変でしたが」
「ああ、私が帰ってきてしばらく経ってから帰って来たわ。随分とフラフラだったんだけど、『心配しないでください』の一点張りですぐに部屋に引きこもっちゃった」
やはりそうですか、と答えておきます。
――気にしてるんでしょうね、やっぱり。
推測するに、今日一日中エミリアさんは己の限界を超えて訓練をしていたのでしょう。
――シャーランさんの事を話せば、少しは落ち着きますかね。
そんな事を考えながら、僕はお酒の臭いを消す為に渋々と浴場に向かうのでした。
13/09/04 22:46更新 / イブシャケ
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