第十話 街中にて/姉役のターン
事務課に所属している友達曰く、入隊式当日に新入隊員の除隊手続書を書かされたのは初めての事だったようだ。ついでに、その除隊処分を取り消すように言われたのも今まで一度もなかった事だと言う。
「何事かと思いましたよ。いやまあ、司祭様のお怒り受けちゃったってなら分からなくもなかったのでそこで納得したんですがね。でも既に書類を受理して頂いた時に『この人物をもう一度入隊させる事になった』なんて言われた日には、ハァ? ってなりましたね」
「そりゃねぇ……」
「で、アレが件の新兵ですか?」
書類を書き終えたシャーランを連れて、アタシとハミルは教団領内の事務課に来ていた。中に入り、ひたすら机に向かって書類仕事をしている事務の人々を、シャーランは青ざめた表情で見ていた。こういうの嫌いそうだしね。
「うーん、どこからどう見てもただの女の子にしか見えないんですが。ランピネンさん、本当にあの子がオーガを一人で撃退したんですか?」
信じられないのはアタシも同じだが、事実である。
「ええ。アタシが見てたんだし、証拠も残ってるわ」
「……まあ、ランピネンさんが言うんなら間違いはないんでしょうけどね。見た目に反して結構教養あるみたいですし」
「そうなの?」
そう言うと、シャーランが記入した書類の写しを見せてくれた。非常に整った字で、明らかにあの子がしっかりとした教育を受けていた事が感じられる。
「両親共に死んでるけど、学者の娘? ……そうは見えないけどねぇ」
「履歴を見る限り、両親に先立たれた後は父方のお知り合いの、結構有名な学者さんに育てられてますね。そこで習ったんじゃないですか? その辺り何か聞いてません?」
「いやー、あの子とマトモな会話って、実はまだ一度もしてなくって……」
考えてみれば、あの子との会話の中で、あの子自身の事を聞いた事がない。今朝の自己紹介でも、初めて会った時もそうだ。何故だか自分からは話そうとしないのだ。
あの子は何がしたくて教団に所属したのか。何故命を掛けて魔物を倒そうとするのか。
――極めつけはアレよね……。
オーガと対峙した時の、あの笑み。鬼よりも鬼らしい、鬼気迫る表情。
何も分からないが、少なくともあの子は重い過去を背負っている。そんな気がしてならなかった。
「で、当の本人は何処に? あとアタシの同僚が居た筈だけど」
「ああ、お二人なら奥です。何でも、新兵の子の使用している身体強化魔法が教団基準の物でも一般に出回っている物でもない、全く異なる術式で成り立っているらしくって」
「……へー」
簡単かつ、術式を理解しなくても使用できる魔法しか用いれないアタシは、魔法に関する知識と関心が薄い。なのでどういう事か分からず、いい加減に流そうとした。
すると、奥から何かが叩き潰されたような破砕音が、扉越しに窓口にまで響いてきた。
「わーっ!? な、な、何をするんだ貴様ーっ!」
「す、すいません! ほら、貴女も謝るんですよ!」
「あちゃー、やりすぎたかなー」
「いいから!」
慌ただしい声を聴いて、シャーランが扉の奥で何かとんでもない事をやらかしたというのが分かった。大方、身体強化魔法を使って見せて、何かを壊したとかそんな所だろう。
「あの子じゃ弁償できないだろうし、アタシとハミルで払う事になるんだろうなぁ……」
占い師でもないのに、何故だか自分の財布が悲惨な目に会う未来がハッキリと見えた。
・・・
身体強化魔法を使って見せて欲しいと頼まれたので実際にその場でやって見せた結果、狭い部屋の所為で近くの机を真っ二つに叩き割ってしまったらしい。予想通り。でも何もご褒美が出ない上にマイナスとは。
「あんな狭い所でやらせておいて、事故ったらこっちの所為とか。酷いと思わない?」
「いや、使う前に気付くでしょう普通」
案の定弁償させられ、財布を軽くしてから事務課を後にしていた。教団領内からも出て、市民区画にまで来ている。もちろん菓子の配給は人数分頂いておいた。
「さてさて。これからアタシが街の案内するけど、何処から行きたい?」
「お腹減ったー」
即答である。
「子供ですか……。まあ、そろそろ昼が近いですから無理はないですが」
「だったら近くにいい店あるわよ? 特にシャーランが好きそうな辛い料理を出すトコがね。確か、南方から輸入した『カレー』とかいう料理だったかな?」
「……へぇ」
明らかに事務課に居た時と表情が違う。目を輝かせ、口の端を釣り上げている。
「ではそこで昼食を取りましょうか。私はあまり辛い物が得意ではないのですがね……」
「ああ、前あそこで食べたけど、普通の料理もあったわ」
開店当時に興味本位で入って、刺激的な味に耐えながら見たメニュー表に、通常の料理があったのだ。後から後悔した。
「それは助かりますね。どちらかと言うと私甘党なので」
「そうだ、ハミハミー。魔法使いってだいたい甘党って聞くけど、本当?」
すっかり奇妙なあだ名で呼ばれているハミルを哀れな目で見つつ、奴が苦笑いをしながらその問いに対して答える様を眺める。
「――っと。この店よ」
店全体から漂ってくる、謎の刺激臭。幾つものスパイスを混合させ、それをライスに掛けて食べる茶色の液体が脳裏に過る。
「たのもーっ!」
「――ですから総合的に見れば魔法使いは甘党という事は間違ってはいないと思うんですよね」
「ほら、もう聞いてないわよあの子」
肩を落とすハミルの背中を優しく叩いてあげて、既に店内へ乱入していたシャーランを追うように扉を開ける。鼻に刺さる刺激臭はさらに強さを増し、否が応にもアレを食べた時の辛い記憶が蘇ってきてしまう。
「――これはまた、凄まじい臭いですね」
「でしょ? さーて、あの子は――」
二人揃って周囲を見回し、多分はしゃいでいるであろう少女の背中を探す。
すると、
「いらっしゃい。ご注文は?」
「カレー! 一番辛い奴で!」
その言葉を皮切りに、店内にいた客たちの空気が凍った。シャーランから注文を受けた店主らしき男が出てきて、
「――ほほう、お嬢ちゃん。カレーは初めてかい?」
「そうだけど、それがどうしたの?」
「ウチのカレーはな、一番下の、ランク1の辛さですら『口の中でサラマンダーを飼ってるようだ』と言われる程の辛さなんだよ。今お嬢ちゃんが頼もうとしてるのはその10倍、誰も完食出来た者のいない、通称『魔王も全裸で逃げ出す』っていう想像を絶する辛ささ」
そんな物商品にするな、と言いたくなるが、世の中にはそういう、食べ物とは思えない商品を好む人間が必ず出没するのだ。連中の舌はどうなっているのやら。
「そんなんだから、止めた方がいいぜ。まだ嫁入り前のその身を散らせる訳には――」
「いいから」
「え?」
「いいから作る! 客がお腹空かせて『コレ食べたい!』って言ってるのに、無駄話してるんじゃないわよ! ――まさか、冗談で辛さ設定したんじゃないでしょうね?」
横暴じゃない、その発言。
しかしその発言は挑発的な響きに聞こえたようで、
「――ふ、ふふ、ふふははは! どうなっても知らねぇぞ!」
「望む所よ!」
店主のテンションがうなぎ上りになって、調理が始まった。
「あー、もう。すいませーん、鮭のムニエル一つ」
「あ、僕も同じのでお願いします」
胸躍らせて席に座っているシャーランと同じテーブルに付き、注文を取りに来てくれた別の店員に食べたい物を言う。
そして数分も経たない内に、
「――しゃぁ! 出来たぜ嬢ちゃん! 残したら辛かった時の似顔絵描かせて店の前に貼り付けてやるからな!?」
そんなの貼ったら誰もここのカレー食べなくなるじゃない。
「じゃあコレ食べきったら私たちの代金チャラにしてよ」
「何? ……へっ、いいぜ! 食えるモンならな!」
「――食えるモンなら、って料理人としてどうよ」
「アニーさん。たぶんこの二人は今ノリで喋ってるので何言っても無駄かと」
まあそれもそうか、とシャーランの前に置かれた茶色、いや焦げ茶色の刺激物に視線を合わせる。
「……漂う湯気だけで目がヒリヒリするんだけど」
「いただきまーす!」
想像を絶するであろう辛さに、今、スプーンが入った。
前食べた時は辛さの所為で美味しいかそうでなかったかはいまいち思い出せないが、よくもまあ南方の人々はこんな変わった料理を作る物だ。
――でも、これに使うスパイスって、何処から仕入れてんの?
スパイス、すなわち香辛料。調理の際に使うだけで食材の味を何倍も引き出す不思議な素材。古来より塩や砂糖がそれに該当するが、南方では全く違う、コショウと呼ばれる辛い物以外にも様々な香辛料が栽培されていると言う。私達の居る大陸では、環境の問題で栽培できないので一粒でも凄まじく高価な品物なのだ。
それを、このカレーのように大量に使う。そして一食の値段は若干高めではあるが、手が出せない程ではない。これは明らかに変だ。
まあ、似たような食材を使ってそれっぽく仕上げているのだろう。でなければこの値段はおかしい。
――もしこれが本物だったら何処から……、まあ、私には関係ないか。
そんな事を考えている内に、刺激物を掬い上げたスプーンが持ち上げられ、シャーランの口の中へ、今、
「はむっ」
入った。
「……」
「……ど、どうなんです?」
「……ど、どうなの?」
「ど、どうだい」
「……」
この場の全員が固唾を飲んで少女に注目している。
そして、次の瞬間、
「――美味い!」
太陽のような、満面の笑みが、凍り付いた場を粉々に打ち砕いたのだった。
「いい感じに辛いわ! 南方の人はこんなの食べてるなんて、羨ましい!」
「……ちょっとだけ貰えます?」
興味本位にハミルが子供用のスプーンでカレーを掬って、口に入れて、
「――」
倒れた。あまりの辛さに脳がショックを起こしたのだろう。頭を持ち上げて無理やり水を飲ませておく。
「――負けたぜ、嬢ちゃん」
シャーランの横で事の顛末を見ていた店主が悔しそうに、しかし爽やかな笑みを浮かべて感動していた。
「お前さんの言う通り、代金はチャラだ。たんまり食っていってくれや」
その一言に、口の周りをカレーで汚した少女が喜ぶ。
少女に対して他の客が盛大な拍手を送っている。
「――何これ」
呆れずにはいられない。そんな昼食だった。
・・・
アタシたちが頼んだ料理が来る時にはハミルも目を覚ましており、
「――あれは、夢だったんでしょうか」
などと寝ぼけながらも昼食にありつく事が出来た。
「――今朝のジンジャースープといい、本当に辛い物が好きなのね」
「んー?」
既に二杯目に突入しているシャーランに、ハミルが何気ない質問を投げ掛けた。
「んー、味が濃い物なら大体好きだよ?」
「おや、辛党ではないのですか?」
似たような物ではあるけどねー、と答える。
「私、味覚がかなり死んでてね。こういう、刺激が強い味じゃないと食べてる気がしないのよ」
食べながら放たれた言葉は、とても重い物だった。
「味覚が? それって生まれつき?」
「いんや、強化しすぎ」
アタシもハミルに便乗するように問うてみた所、さらに重い解答が返ってきた。
話している当人は表情を一切変えず、カレーを食べながら淡々と語ってくれた。
「感覚とか神経とか強化しすぎて、もう半分くらい使い物にならなくなってるのよねー。幸い、まだ身体と脳が動いてるから戦えるけど、長くは持たないんじゃないかなー」
ぞっとした。特に重要でない事のように言ってはいるが、それは彼女の命に関わる重大な事だ。
強化、という事はおそらく彼女が用いている身体強化魔法の事だろう。
ハミル曰く、
『彼女の魔法には、本来あるべきリミッター機構が見当たらないんです』
アタシにはよく分からない事だか、要はシャーランが無理に背伸びをして魔物と戦っているという事だろう。
――何で?
何故そこまで自分の命を軽く扱えるのか。あまりにも軽率な判断に怒りを感じてしまう。だが、それ以上にどうしてそこまで戦おうとするのか、その事が気になった。
そして、その事はハミルも同様に疑問に思っていたらしく、
「――今朝から、いや。昨日から聞きたかった事が一つあります」
食べ終わり、使い終わったナイフとフォークを置いて、奴はシャーランに向き直った。
対してシャーランは彼の方に視線を向けただけで、食べる事を止めない。それはつまり、自分の事を聞かれた所で、重要になる話はない、という事だ。
「貴女は、なぜ己の身を削る覚悟をしてまで教団に所属したのですか?」
丁度アタシも聞きたかった質問だった。
入隊式での態度から、主神信仰者という訳ではないだろう。市民を守りたい、という考えならば、戦いの前に浮かべたあの笑顔は何なのか。
答えを待つアタシたちを前に、シャーランは一度スプーンを置き、水を飲んだ後、こう答えた。
「んー、私の書類見た?」
「え? ええ。事務課の方で拝見させていただきましたが、それが何か?」
さっき見たばかりなので、当然私も覚えている。この子が学者の娘で、育ての親からは高い教養を受けていた。そんな、今のこの子とのギャップに満ちた過去を忘れるのは難しい。
「父さんの死因、書いてあったっしょ?」
「貴女の父の? ――ああ、確か」
そこで、ハミルの言葉は止まった。同時にアタシも硬直していた。
――まさか、アンタ……。
もしこれが答えならば、主神信仰者でも、市民の味方になりたい訳でないのに、教団に所属しようとした理由として理解できる。あの笑みにも辻褄が合う。
「――そーよ。二人が今考えてる通り」
何でもない事を話すように、感情の籠っていない言葉が紡がれていく。
「父さんは、魔物に殺された。私を庇ってね」
彼女の父、オリヴァー・レフヴォネン。
その人物は今から十年前、魔物の襲撃を受けて行方不明となった。遺体は発見されていないが、おそらく魔物に食われたと推測される。
彼女自身が書いた書類には、このように記されていた。
「もしかして、貴女が教団に所属した理由とは――」
うん、と小さく頷き、
「私は、父さんの仇を討つ為に、ここに来たのよ」
・・・
シャーランの母、イザベラ・レフヴォネンは、娘の六歳の誕生日に亡くなった。
死因は、当時レフヴォネン一家が赴任していた村で発生していた流行病だった。父、オリヴァーはこの流行病の解決に協力する為に来ていたらしい。
熱心な愛妻家だった彼は、妻の死に深く悲しみ、一時は食事も通らない程であったという。口数は少ないが、実直な性格だった事から村人からは好まれており、彼らの尽力もあってか、数週間後には職場に復帰し、鬼気迫る表情で流行病を解決したのだ。
その後は娘の成育も考え、都会ではなく村で暮らしていた。
だが、妻を失った悲しみは癒えてはいなかった。
娘が眠った頃、悲しむ顔を見せる訳にはいかないと、墓石の前で肩を震わせる父の背中を、シャーランは悲しげに見つめていたと言う。
「それがきっかけで、私は父さんを支えられるような、しっかりした大人になりたい、って思うようになったのよ」
山を走り、野を駆け、書物を読み漁り、考えうる限りの事を続け、彼女の身体は同じ年頃の少女とは比べ物にならない程丈夫になった。
父が泣いても、支えられるように。無理して頑張らなくてもいいように。
それでも、時間という万能薬の働きもあり、次第に墓前で近況などを、笑顔を交えて話せるようになっていた。
だが、運命とはかくも残酷な物だった。
「今度は八歳の誕生日よ。まったく、誕生日に何か起こる、っていう呪いでも掛かってんじゃないかと疑いたくなったわよ」
山から帰ってきた彼女が見た村は、炎に包まれていた。
空には、腕があるべき場所に翼を持つ鳥人、ハーピー。地上にはラミア、オークなどと言った沢山の影。
村が、魔物に襲撃されていたのだ。
「その時の事は結構衝撃的だったみたいで、思い出せない所がいくつかあるのよねー」
一心不乱に走っていたからか、それとも他の何かがあったのかは分からない。
だが、そんな中で今でも鮮明に思い出せる事がある。
「どうにか家に入った私を待っていたのは、武器を持った父さんだった。お互いに無事を確認し、裏口から逃げようって打ち合わせをした直後に、窓から魔物が入って来たのよ」
その魔物が何だったかは思い出せない。しかし、オリヴァーは娘を守る為に武器を握りしめ、立ち向かったのだ。
「で、次に思い出せるのが教団兵に助けられたって事だけ。何度も何度も父さんを助けてあげて、って言ったのに、教団の人間は首を横に振ってばっかりでさー」
今でこそこうやって軽く話しているが、当時のこの子は間違いなく絶望の底に突き落とされていたのだろう。
支えると決めた人物に、最後まで守られたという苦しみ。
唯一の肉親を奪われたという悲しみ。そして、守れなかったという無力感。
「これ以降は履歴書通りね? 父さんの知人の学者さんに引き取られて、今に至る」
「――その、何と言いますか」
ハミルが掛ける言葉に困っている。
聞いてしまって申し訳ない気分になっているのだろうか。もしそうなら、無理もないだろう。
昨日からあんなハチャメチャな行動をして、なおかつ笑っていられるこの少女に、そんな重い過去があるなんて思いもしない。アタシだって、何かあるのでは、とは思ったがここまでの物とは思わなかったのだから。
「ああ、別に同情したり憐れんだりとかはしなくていいよー。されても困るし」
なのに目の前の少女は微塵も気にしている様子はなく、過去は過去と割り切った態度を取っている。
――そうやっている時点で、吹っ切れてないって言ってるようなモンでしょうに。
続けるよ、と言い、話しが再開される。
「育ての親の所でね、随分長い事無気力に生きてたのよ」
やりたかった事もなくなっちゃったからねー、と付け加えるように言った。
「しかも育ての親が、研究に夢中で私に無関心だったから、学校にすら行かなかったのよ」
一日中本を読み、今までの日課であるトレーニングを惰性で続け、夜には寝る。
話をする知人も友人も居らず、いつも一人。
正常な人間ならば、変わらなさすぎる日常に、気をおかしくしている所だろう。
でもね、と話を切り替え、
「ある日、偶然見つけた魔術式のメモを読んでみると、びっくりしたわー。今までどんな魔法の本を読んでもちっとも反応しなかったくせに、それだけは使えたのよ」
そのメモに書かれていた魔法と言うのが、今現在使っている身体強化魔法なのだそうだ。
横を見れば、信じられないような顔でシャーランを見ているハミルが居た。
「――もうこの際入手経路とか、何でメモ書きのまま貴女が手に入れられたのかは聞きませんよ。また信じられないような事なんでしょうから。それで、身体強化魔法を使えるようになってから、どうしたんです?」
「せっかく手に入った力なんだから、って腐らせない使い道を探してたのよ。それで一度家に戻るとさ、父さんの似顔絵入れたスタンドが目に入ってさ」
手を差し伸べられずに見殺しにしてしまった父の姿を見て、こう思った。
きっと、父は悲しんでいた。恨んでいた。
妻が死んで、これ以上辛い事はないような悲しみを背負って、ようやく時間が傷を癒し始めていたはずなのに、せっかく前に進めたかもしれない時に、魔物に殺されてしまった。
食われる前の絶望感はどれほどのものだったのか。
希望なんて持つべきではなかった。あの時死んでいればよかった。
そんな事を思ったのだろうか。今となっては分からない。
けれど、とシャーランは告げた後、
「私は、悲しんだよ。憎んだよ。私から、大事なものを奪って行った魔物を」
だから、
「私は、魔物に復讐する。父さんが味わった痛みと悲しみ、そして私が感じた苦しみを叩き込んで、――殺してやる」
決意を表した少女の顔には、静かな怒りが含まれていた。
その思いは、私のような、特に理由もなく教団に入った者とは訳が違う。
今、この子を突き動かしているのは100%の憎しみ。昨日の笑みも、遠慮なく恨みを晴らせるが故の喜びから出た物。
虚しい。あまりにも虚しい。そして、哀しい。何もなくなってしまったが故に、そして慰めも何も与えられなかったが故に、今もこうして暗い炎を燃やし続ける事しかできない。
「シャーラン……」
しかし、アタシには彼女の憎悪が魔物以外の、何処か別の方向にも向いているように感じた。探ろうとしたがどうしても思いつかず、その所為で、この子が命を削る理由を聞きだす事を忘れてしまっていた。
答えは既に、出ていたというのに。
「何事かと思いましたよ。いやまあ、司祭様のお怒り受けちゃったってなら分からなくもなかったのでそこで納得したんですがね。でも既に書類を受理して頂いた時に『この人物をもう一度入隊させる事になった』なんて言われた日には、ハァ? ってなりましたね」
「そりゃねぇ……」
「で、アレが件の新兵ですか?」
書類を書き終えたシャーランを連れて、アタシとハミルは教団領内の事務課に来ていた。中に入り、ひたすら机に向かって書類仕事をしている事務の人々を、シャーランは青ざめた表情で見ていた。こういうの嫌いそうだしね。
「うーん、どこからどう見てもただの女の子にしか見えないんですが。ランピネンさん、本当にあの子がオーガを一人で撃退したんですか?」
信じられないのはアタシも同じだが、事実である。
「ええ。アタシが見てたんだし、証拠も残ってるわ」
「……まあ、ランピネンさんが言うんなら間違いはないんでしょうけどね。見た目に反して結構教養あるみたいですし」
「そうなの?」
そう言うと、シャーランが記入した書類の写しを見せてくれた。非常に整った字で、明らかにあの子がしっかりとした教育を受けていた事が感じられる。
「両親共に死んでるけど、学者の娘? ……そうは見えないけどねぇ」
「履歴を見る限り、両親に先立たれた後は父方のお知り合いの、結構有名な学者さんに育てられてますね。そこで習ったんじゃないですか? その辺り何か聞いてません?」
「いやー、あの子とマトモな会話って、実はまだ一度もしてなくって……」
考えてみれば、あの子との会話の中で、あの子自身の事を聞いた事がない。今朝の自己紹介でも、初めて会った時もそうだ。何故だか自分からは話そうとしないのだ。
あの子は何がしたくて教団に所属したのか。何故命を掛けて魔物を倒そうとするのか。
――極めつけはアレよね……。
オーガと対峙した時の、あの笑み。鬼よりも鬼らしい、鬼気迫る表情。
何も分からないが、少なくともあの子は重い過去を背負っている。そんな気がしてならなかった。
「で、当の本人は何処に? あとアタシの同僚が居た筈だけど」
「ああ、お二人なら奥です。何でも、新兵の子の使用している身体強化魔法が教団基準の物でも一般に出回っている物でもない、全く異なる術式で成り立っているらしくって」
「……へー」
簡単かつ、術式を理解しなくても使用できる魔法しか用いれないアタシは、魔法に関する知識と関心が薄い。なのでどういう事か分からず、いい加減に流そうとした。
すると、奥から何かが叩き潰されたような破砕音が、扉越しに窓口にまで響いてきた。
「わーっ!? な、な、何をするんだ貴様ーっ!」
「す、すいません! ほら、貴女も謝るんですよ!」
「あちゃー、やりすぎたかなー」
「いいから!」
慌ただしい声を聴いて、シャーランが扉の奥で何かとんでもない事をやらかしたというのが分かった。大方、身体強化魔法を使って見せて、何かを壊したとかそんな所だろう。
「あの子じゃ弁償できないだろうし、アタシとハミルで払う事になるんだろうなぁ……」
占い師でもないのに、何故だか自分の財布が悲惨な目に会う未来がハッキリと見えた。
・・・
身体強化魔法を使って見せて欲しいと頼まれたので実際にその場でやって見せた結果、狭い部屋の所為で近くの机を真っ二つに叩き割ってしまったらしい。予想通り。でも何もご褒美が出ない上にマイナスとは。
「あんな狭い所でやらせておいて、事故ったらこっちの所為とか。酷いと思わない?」
「いや、使う前に気付くでしょう普通」
案の定弁償させられ、財布を軽くしてから事務課を後にしていた。教団領内からも出て、市民区画にまで来ている。もちろん菓子の配給は人数分頂いておいた。
「さてさて。これからアタシが街の案内するけど、何処から行きたい?」
「お腹減ったー」
即答である。
「子供ですか……。まあ、そろそろ昼が近いですから無理はないですが」
「だったら近くにいい店あるわよ? 特にシャーランが好きそうな辛い料理を出すトコがね。確か、南方から輸入した『カレー』とかいう料理だったかな?」
「……へぇ」
明らかに事務課に居た時と表情が違う。目を輝かせ、口の端を釣り上げている。
「ではそこで昼食を取りましょうか。私はあまり辛い物が得意ではないのですがね……」
「ああ、前あそこで食べたけど、普通の料理もあったわ」
開店当時に興味本位で入って、刺激的な味に耐えながら見たメニュー表に、通常の料理があったのだ。後から後悔した。
「それは助かりますね。どちらかと言うと私甘党なので」
「そうだ、ハミハミー。魔法使いってだいたい甘党って聞くけど、本当?」
すっかり奇妙なあだ名で呼ばれているハミルを哀れな目で見つつ、奴が苦笑いをしながらその問いに対して答える様を眺める。
「――っと。この店よ」
店全体から漂ってくる、謎の刺激臭。幾つものスパイスを混合させ、それをライスに掛けて食べる茶色の液体が脳裏に過る。
「たのもーっ!」
「――ですから総合的に見れば魔法使いは甘党という事は間違ってはいないと思うんですよね」
「ほら、もう聞いてないわよあの子」
肩を落とすハミルの背中を優しく叩いてあげて、既に店内へ乱入していたシャーランを追うように扉を開ける。鼻に刺さる刺激臭はさらに強さを増し、否が応にもアレを食べた時の辛い記憶が蘇ってきてしまう。
「――これはまた、凄まじい臭いですね」
「でしょ? さーて、あの子は――」
二人揃って周囲を見回し、多分はしゃいでいるであろう少女の背中を探す。
すると、
「いらっしゃい。ご注文は?」
「カレー! 一番辛い奴で!」
その言葉を皮切りに、店内にいた客たちの空気が凍った。シャーランから注文を受けた店主らしき男が出てきて、
「――ほほう、お嬢ちゃん。カレーは初めてかい?」
「そうだけど、それがどうしたの?」
「ウチのカレーはな、一番下の、ランク1の辛さですら『口の中でサラマンダーを飼ってるようだ』と言われる程の辛さなんだよ。今お嬢ちゃんが頼もうとしてるのはその10倍、誰も完食出来た者のいない、通称『魔王も全裸で逃げ出す』っていう想像を絶する辛ささ」
そんな物商品にするな、と言いたくなるが、世の中にはそういう、食べ物とは思えない商品を好む人間が必ず出没するのだ。連中の舌はどうなっているのやら。
「そんなんだから、止めた方がいいぜ。まだ嫁入り前のその身を散らせる訳には――」
「いいから」
「え?」
「いいから作る! 客がお腹空かせて『コレ食べたい!』って言ってるのに、無駄話してるんじゃないわよ! ――まさか、冗談で辛さ設定したんじゃないでしょうね?」
横暴じゃない、その発言。
しかしその発言は挑発的な響きに聞こえたようで、
「――ふ、ふふ、ふふははは! どうなっても知らねぇぞ!」
「望む所よ!」
店主のテンションがうなぎ上りになって、調理が始まった。
「あー、もう。すいませーん、鮭のムニエル一つ」
「あ、僕も同じのでお願いします」
胸躍らせて席に座っているシャーランと同じテーブルに付き、注文を取りに来てくれた別の店員に食べたい物を言う。
そして数分も経たない内に、
「――しゃぁ! 出来たぜ嬢ちゃん! 残したら辛かった時の似顔絵描かせて店の前に貼り付けてやるからな!?」
そんなの貼ったら誰もここのカレー食べなくなるじゃない。
「じゃあコレ食べきったら私たちの代金チャラにしてよ」
「何? ……へっ、いいぜ! 食えるモンならな!」
「――食えるモンなら、って料理人としてどうよ」
「アニーさん。たぶんこの二人は今ノリで喋ってるので何言っても無駄かと」
まあそれもそうか、とシャーランの前に置かれた茶色、いや焦げ茶色の刺激物に視線を合わせる。
「……漂う湯気だけで目がヒリヒリするんだけど」
「いただきまーす!」
想像を絶するであろう辛さに、今、スプーンが入った。
前食べた時は辛さの所為で美味しいかそうでなかったかはいまいち思い出せないが、よくもまあ南方の人々はこんな変わった料理を作る物だ。
――でも、これに使うスパイスって、何処から仕入れてんの?
スパイス、すなわち香辛料。調理の際に使うだけで食材の味を何倍も引き出す不思議な素材。古来より塩や砂糖がそれに該当するが、南方では全く違う、コショウと呼ばれる辛い物以外にも様々な香辛料が栽培されていると言う。私達の居る大陸では、環境の問題で栽培できないので一粒でも凄まじく高価な品物なのだ。
それを、このカレーのように大量に使う。そして一食の値段は若干高めではあるが、手が出せない程ではない。これは明らかに変だ。
まあ、似たような食材を使ってそれっぽく仕上げているのだろう。でなければこの値段はおかしい。
――もしこれが本物だったら何処から……、まあ、私には関係ないか。
そんな事を考えている内に、刺激物を掬い上げたスプーンが持ち上げられ、シャーランの口の中へ、今、
「はむっ」
入った。
「……」
「……ど、どうなんです?」
「……ど、どうなの?」
「ど、どうだい」
「……」
この場の全員が固唾を飲んで少女に注目している。
そして、次の瞬間、
「――美味い!」
太陽のような、満面の笑みが、凍り付いた場を粉々に打ち砕いたのだった。
「いい感じに辛いわ! 南方の人はこんなの食べてるなんて、羨ましい!」
「……ちょっとだけ貰えます?」
興味本位にハミルが子供用のスプーンでカレーを掬って、口に入れて、
「――」
倒れた。あまりの辛さに脳がショックを起こしたのだろう。頭を持ち上げて無理やり水を飲ませておく。
「――負けたぜ、嬢ちゃん」
シャーランの横で事の顛末を見ていた店主が悔しそうに、しかし爽やかな笑みを浮かべて感動していた。
「お前さんの言う通り、代金はチャラだ。たんまり食っていってくれや」
その一言に、口の周りをカレーで汚した少女が喜ぶ。
少女に対して他の客が盛大な拍手を送っている。
「――何これ」
呆れずにはいられない。そんな昼食だった。
・・・
アタシたちが頼んだ料理が来る時にはハミルも目を覚ましており、
「――あれは、夢だったんでしょうか」
などと寝ぼけながらも昼食にありつく事が出来た。
「――今朝のジンジャースープといい、本当に辛い物が好きなのね」
「んー?」
既に二杯目に突入しているシャーランに、ハミルが何気ない質問を投げ掛けた。
「んー、味が濃い物なら大体好きだよ?」
「おや、辛党ではないのですか?」
似たような物ではあるけどねー、と答える。
「私、味覚がかなり死んでてね。こういう、刺激が強い味じゃないと食べてる気がしないのよ」
食べながら放たれた言葉は、とても重い物だった。
「味覚が? それって生まれつき?」
「いんや、強化しすぎ」
アタシもハミルに便乗するように問うてみた所、さらに重い解答が返ってきた。
話している当人は表情を一切変えず、カレーを食べながら淡々と語ってくれた。
「感覚とか神経とか強化しすぎて、もう半分くらい使い物にならなくなってるのよねー。幸い、まだ身体と脳が動いてるから戦えるけど、長くは持たないんじゃないかなー」
ぞっとした。特に重要でない事のように言ってはいるが、それは彼女の命に関わる重大な事だ。
強化、という事はおそらく彼女が用いている身体強化魔法の事だろう。
ハミル曰く、
『彼女の魔法には、本来あるべきリミッター機構が見当たらないんです』
アタシにはよく分からない事だか、要はシャーランが無理に背伸びをして魔物と戦っているという事だろう。
――何で?
何故そこまで自分の命を軽く扱えるのか。あまりにも軽率な判断に怒りを感じてしまう。だが、それ以上にどうしてそこまで戦おうとするのか、その事が気になった。
そして、その事はハミルも同様に疑問に思っていたらしく、
「――今朝から、いや。昨日から聞きたかった事が一つあります」
食べ終わり、使い終わったナイフとフォークを置いて、奴はシャーランに向き直った。
対してシャーランは彼の方に視線を向けただけで、食べる事を止めない。それはつまり、自分の事を聞かれた所で、重要になる話はない、という事だ。
「貴女は、なぜ己の身を削る覚悟をしてまで教団に所属したのですか?」
丁度アタシも聞きたかった質問だった。
入隊式での態度から、主神信仰者という訳ではないだろう。市民を守りたい、という考えならば、戦いの前に浮かべたあの笑顔は何なのか。
答えを待つアタシたちを前に、シャーランは一度スプーンを置き、水を飲んだ後、こう答えた。
「んー、私の書類見た?」
「え? ええ。事務課の方で拝見させていただきましたが、それが何か?」
さっき見たばかりなので、当然私も覚えている。この子が学者の娘で、育ての親からは高い教養を受けていた。そんな、今のこの子とのギャップに満ちた過去を忘れるのは難しい。
「父さんの死因、書いてあったっしょ?」
「貴女の父の? ――ああ、確か」
そこで、ハミルの言葉は止まった。同時にアタシも硬直していた。
――まさか、アンタ……。
もしこれが答えならば、主神信仰者でも、市民の味方になりたい訳でないのに、教団に所属しようとした理由として理解できる。あの笑みにも辻褄が合う。
「――そーよ。二人が今考えてる通り」
何でもない事を話すように、感情の籠っていない言葉が紡がれていく。
「父さんは、魔物に殺された。私を庇ってね」
彼女の父、オリヴァー・レフヴォネン。
その人物は今から十年前、魔物の襲撃を受けて行方不明となった。遺体は発見されていないが、おそらく魔物に食われたと推測される。
彼女自身が書いた書類には、このように記されていた。
「もしかして、貴女が教団に所属した理由とは――」
うん、と小さく頷き、
「私は、父さんの仇を討つ為に、ここに来たのよ」
・・・
シャーランの母、イザベラ・レフヴォネンは、娘の六歳の誕生日に亡くなった。
死因は、当時レフヴォネン一家が赴任していた村で発生していた流行病だった。父、オリヴァーはこの流行病の解決に協力する為に来ていたらしい。
熱心な愛妻家だった彼は、妻の死に深く悲しみ、一時は食事も通らない程であったという。口数は少ないが、実直な性格だった事から村人からは好まれており、彼らの尽力もあってか、数週間後には職場に復帰し、鬼気迫る表情で流行病を解決したのだ。
その後は娘の成育も考え、都会ではなく村で暮らしていた。
だが、妻を失った悲しみは癒えてはいなかった。
娘が眠った頃、悲しむ顔を見せる訳にはいかないと、墓石の前で肩を震わせる父の背中を、シャーランは悲しげに見つめていたと言う。
「それがきっかけで、私は父さんを支えられるような、しっかりした大人になりたい、って思うようになったのよ」
山を走り、野を駆け、書物を読み漁り、考えうる限りの事を続け、彼女の身体は同じ年頃の少女とは比べ物にならない程丈夫になった。
父が泣いても、支えられるように。無理して頑張らなくてもいいように。
それでも、時間という万能薬の働きもあり、次第に墓前で近況などを、笑顔を交えて話せるようになっていた。
だが、運命とはかくも残酷な物だった。
「今度は八歳の誕生日よ。まったく、誕生日に何か起こる、っていう呪いでも掛かってんじゃないかと疑いたくなったわよ」
山から帰ってきた彼女が見た村は、炎に包まれていた。
空には、腕があるべき場所に翼を持つ鳥人、ハーピー。地上にはラミア、オークなどと言った沢山の影。
村が、魔物に襲撃されていたのだ。
「その時の事は結構衝撃的だったみたいで、思い出せない所がいくつかあるのよねー」
一心不乱に走っていたからか、それとも他の何かがあったのかは分からない。
だが、そんな中で今でも鮮明に思い出せる事がある。
「どうにか家に入った私を待っていたのは、武器を持った父さんだった。お互いに無事を確認し、裏口から逃げようって打ち合わせをした直後に、窓から魔物が入って来たのよ」
その魔物が何だったかは思い出せない。しかし、オリヴァーは娘を守る為に武器を握りしめ、立ち向かったのだ。
「で、次に思い出せるのが教団兵に助けられたって事だけ。何度も何度も父さんを助けてあげて、って言ったのに、教団の人間は首を横に振ってばっかりでさー」
今でこそこうやって軽く話しているが、当時のこの子は間違いなく絶望の底に突き落とされていたのだろう。
支えると決めた人物に、最後まで守られたという苦しみ。
唯一の肉親を奪われたという悲しみ。そして、守れなかったという無力感。
「これ以降は履歴書通りね? 父さんの知人の学者さんに引き取られて、今に至る」
「――その、何と言いますか」
ハミルが掛ける言葉に困っている。
聞いてしまって申し訳ない気分になっているのだろうか。もしそうなら、無理もないだろう。
昨日からあんなハチャメチャな行動をして、なおかつ笑っていられるこの少女に、そんな重い過去があるなんて思いもしない。アタシだって、何かあるのでは、とは思ったがここまでの物とは思わなかったのだから。
「ああ、別に同情したり憐れんだりとかはしなくていいよー。されても困るし」
なのに目の前の少女は微塵も気にしている様子はなく、過去は過去と割り切った態度を取っている。
――そうやっている時点で、吹っ切れてないって言ってるようなモンでしょうに。
続けるよ、と言い、話しが再開される。
「育ての親の所でね、随分長い事無気力に生きてたのよ」
やりたかった事もなくなっちゃったからねー、と付け加えるように言った。
「しかも育ての親が、研究に夢中で私に無関心だったから、学校にすら行かなかったのよ」
一日中本を読み、今までの日課であるトレーニングを惰性で続け、夜には寝る。
話をする知人も友人も居らず、いつも一人。
正常な人間ならば、変わらなさすぎる日常に、気をおかしくしている所だろう。
でもね、と話を切り替え、
「ある日、偶然見つけた魔術式のメモを読んでみると、びっくりしたわー。今までどんな魔法の本を読んでもちっとも反応しなかったくせに、それだけは使えたのよ」
そのメモに書かれていた魔法と言うのが、今現在使っている身体強化魔法なのだそうだ。
横を見れば、信じられないような顔でシャーランを見ているハミルが居た。
「――もうこの際入手経路とか、何でメモ書きのまま貴女が手に入れられたのかは聞きませんよ。また信じられないような事なんでしょうから。それで、身体強化魔法を使えるようになってから、どうしたんです?」
「せっかく手に入った力なんだから、って腐らせない使い道を探してたのよ。それで一度家に戻るとさ、父さんの似顔絵入れたスタンドが目に入ってさ」
手を差し伸べられずに見殺しにしてしまった父の姿を見て、こう思った。
きっと、父は悲しんでいた。恨んでいた。
妻が死んで、これ以上辛い事はないような悲しみを背負って、ようやく時間が傷を癒し始めていたはずなのに、せっかく前に進めたかもしれない時に、魔物に殺されてしまった。
食われる前の絶望感はどれほどのものだったのか。
希望なんて持つべきではなかった。あの時死んでいればよかった。
そんな事を思ったのだろうか。今となっては分からない。
けれど、とシャーランは告げた後、
「私は、悲しんだよ。憎んだよ。私から、大事なものを奪って行った魔物を」
だから、
「私は、魔物に復讐する。父さんが味わった痛みと悲しみ、そして私が感じた苦しみを叩き込んで、――殺してやる」
決意を表した少女の顔には、静かな怒りが含まれていた。
その思いは、私のような、特に理由もなく教団に入った者とは訳が違う。
今、この子を突き動かしているのは100%の憎しみ。昨日の笑みも、遠慮なく恨みを晴らせるが故の喜びから出た物。
虚しい。あまりにも虚しい。そして、哀しい。何もなくなってしまったが故に、そして慰めも何も与えられなかったが故に、今もこうして暗い炎を燃やし続ける事しかできない。
「シャーラン……」
しかし、アタシには彼女の憎悪が魔物以外の、何処か別の方向にも向いているように感じた。探ろうとしたがどうしても思いつかず、その所為で、この子が命を削る理由を聞きだす事を忘れてしまっていた。
答えは既に、出ていたというのに。
13/09/04 22:42更新 / イブシャケ
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