第八話 一人用の寝室にて/少年兵のターン
「起きろー。朝ごはんだぞー」
二度、ドアが叩かれる。
「……」
反応を返す気も起きないので、無視する。
「起きろー。起きないとずっとノックし続けるぞー」
「……」
うっせーな、と呟く。
この声はおそらく、昨日オーガと殴り合っていた新兵の女だ。大方、自分の方が年上だからという下らない理由で俺の世話を買って出たのだろう。
――バケモンだから常識ハズレな思考持ってると思えば、ただの目立ちたがり屋か?
これもまた無視する事に。
「起きろー。起きないと気合入れてノックするぞー」
クソが。先輩風吹かせるんじゃねぇよ。
確かに俺の方が年下だが、俺の方がこの部隊では先輩だ。昨日来たばかりの新人がデカいツラしてるんじゃねぇよ。
「起きろー。ハイ、って返事しないとドアぶち破るぞー」
何か、とんでもない事が聞こえた気がする。
どうせ嘘だろう、と思ったが、急にノックが止まり、扉の向こうから嫌な予感が伝わってくる。慌てて扉に駆け寄り、ドアノブに手を掛けた。
「オイ、待」
「はいドーンッ!」
扉が爆発した。
いや、実際はそうじゃなくて、留め金がもぎ取れるくらいの勢いで爆発したんじゃないかと思わんばかりに押し出され、俺を押し潰したんだが。
「ぐおぉぉっ!?」
扉だった板は俺の正面部分全てを打撃しただけでは勢いが消えず、俺を貼り付けたままほぼ水平に吹き飛び、奥の壁に叩き付けられた。
「――あれ、起きてた? おじゃましまーす」
部屋を空けて第一声がコレである。
「ふっ、ふ、ふ」
「朝から含み笑いなんて、ご機嫌ねー。いい夢でも見た?」
脳筋が馬鹿な事を聞いてきたと同時に、俺を潰していた扉だった板が、前に傾き倒れていく。鼻からはがれた瞬間、喉の奥から辛いものがこみ上げ、鼻血があふれ出た。
「――ふざけんなっ! いきなり何をしやがる!」
「あれー? 第一声が『おはようございます』じゃないよー? まだ夢の中かなー?」
「なっ!?」
扉だった板が床に倒れたと同時に、馬鹿は一瞬で入り口から俺の眼前にまで接近しており、胸倉を掴んできた。
「起きろよー朝だぞー」
「へぶっ!?」
スナップの効いた、目にも留まらぬ速度のビンタが右頬に、左頬、右、左と何度も往復して喰らわされる。
「あははは、アンタ寝ぼすけねー。ほぅら優しく起こしてあげるぞー? なんせ素のままで目覚ましビンタしてるんだからー」
「あばっ、ひでっ、ぐえぁ!」
両頬が真っ赤になり、腫れが酷くなり、一撃一撃の重さに脳が揺れる。
「――おま、いい加減にしろ、この馬鹿女!」
必死に腕を振り上げ、右頬に打ち込もうとしていた左腕を抑える事に成功した。
「さっきから明らかに俺が起きてるの分かってやってたろ! 何考えてやがる!?」
「『おはようございます』って言わないと朝ご飯の代わりに左フックご馳走よー?」
「おはようございますから話聞けこのアマァァァァ!」
腹の底から叫ぶ。叫ばずには居られない。
「よーしよし。おはよー。今日の朝ご飯は私が作ったのよ! と言う訳でアンタ最後だろうから皿洗いよろしく」
「はぁ!?」
「最後の奴が片付けするのは当然でしょ? もう皆ご飯済ませちゃったんだから」
「何で俺がそんな事しなきゃ――、おい、ちょっと待て」
馬鹿が首を傾げた。大人しくしていれば普通に女っぽく見えるのに。
「飯、全員で食ったのか?」
「ええ、もちろんタイチョー達と一緒に食べたよ?」
全員食べた。一緒に。そして、俺を起こしに来た。
あの男が俺の事情を知って、俺の扱いに困っていたのは知っている。だからきっと、この女にも俺の事情を話しているだろう。俺が大将軍の孫で、なのに無能だという事を、この女は知っているのだろう。
それはつまり、だ。
「――お前、俺を嗤いに来たんだろ?」
昨日の記憶は殆ど無い。何かする前に潰されて、意識を失ったのだから。
戦いにすらならなかった俺を見て、活躍したコイツは、きっとこう思っただろう。
『何て情けない奴なんだ』
さらに隊長から俺の生い立ちを聞かされているならば、俺が社会的にも見放されている人間だという事が分かる筈だ。
――だから先輩風吹かせて、俺を顎で使おうってのか?
吐き気がした。もしそれが真実なら、コイツは本物のゲスだ。
「昨日の俺の戦いぶりを見て、『大将軍の孫の癖に弱ぇな』とか、嗤いに来たんだろ!?」
弱いのは自覚している。才能がないのはもっと前から自覚していた。
だが、それでも俺のちっぽけな自尊心が、女に嗤われる事だけは許せない、と叫んでいるのが分かった。
「だがな! お前がいくら強くっても、ここでは俺の方が先輩だ!」
本当に情けない。ただ長く居ただけで、部隊の連中と連携も取れていないと言うのに。
それなのに、止まらなかった。まるで、こうしないと俺という人格を保てない、と言っているかのように。
「だから、お前が俺に意見なんか――」
刹那、俺は目にした。
言葉を遮って、馬鹿が拳を握った瞬間を。そしてそれで、
「――てい」
「あぐぉ!?」
殴られた。グーでだ。
「な、何だよ!」
「アンタの事情は確かに聞いたけど、そんなの私には知ったこっちゃないわ。だって私、アンタじゃないんだし」
本当にどうでもいい、という表情で、馬鹿は言った。
「私は嗤いに来た訳でも、アンタの言う、先輩風とやらを吹かせに来た訳でもない」
ただ一言、
「――下に行って、ご飯食べなさい。以上」
「……」
訳が分からなかった。俺が思っていた事の内どれかをするのではなく、ただ、それだけを伝えに来た、と言うのだ。信じられない。
言いたい事は言ったのか、馬鹿は背中を向け、
「返事!」
「――お、おう!」
よしよし、と二回頷いて、俺の部屋を出て行ってしまった。
後には、呆然とその場に立ち尽くす俺が残された。
「何なんだ、あの女」
今まで見た事も無いタイプの人間だ。
まず、人の話を聞かない。実際、聞こうともしなかった。
そして、自分の意見を無理矢理押し付けてくる。事情も何もかも無視して、だ。
これだけなら、俺が今まで見てきたクソな大人と同じだ。
だが、何か違う。そんな気がした。
あの大人共は絶対に俺の領域に入らず、遠くから陰口を叩くようにしか物を言わない。だけどあの女は、そんなの知った事じゃないと言わんばかりに人の領域にズカズカと踏み込んでくる。
あの大人共は俺に対してではなく、俺の立場に対して勝手に期待を押し付けていた。だけどあの女は、それが何、と言わんばかりに俺に対して理不尽を働いてきた。
身勝手で、理不尽で、乱暴。
しかし、あの女の瞳には、俺が映っていた。『大将軍の孫』ではなく、この俺を、レイブン・ケスキトロを見ていた。そんな気がしてならない。
――……変な女だな。
そう思うより他はなかった。
二度、ドアが叩かれる。
「……」
反応を返す気も起きないので、無視する。
「起きろー。起きないとずっとノックし続けるぞー」
「……」
うっせーな、と呟く。
この声はおそらく、昨日オーガと殴り合っていた新兵の女だ。大方、自分の方が年上だからという下らない理由で俺の世話を買って出たのだろう。
――バケモンだから常識ハズレな思考持ってると思えば、ただの目立ちたがり屋か?
これもまた無視する事に。
「起きろー。起きないと気合入れてノックするぞー」
クソが。先輩風吹かせるんじゃねぇよ。
確かに俺の方が年下だが、俺の方がこの部隊では先輩だ。昨日来たばかりの新人がデカいツラしてるんじゃねぇよ。
「起きろー。ハイ、って返事しないとドアぶち破るぞー」
何か、とんでもない事が聞こえた気がする。
どうせ嘘だろう、と思ったが、急にノックが止まり、扉の向こうから嫌な予感が伝わってくる。慌てて扉に駆け寄り、ドアノブに手を掛けた。
「オイ、待」
「はいドーンッ!」
扉が爆発した。
いや、実際はそうじゃなくて、留め金がもぎ取れるくらいの勢いで爆発したんじゃないかと思わんばかりに押し出され、俺を押し潰したんだが。
「ぐおぉぉっ!?」
扉だった板は俺の正面部分全てを打撃しただけでは勢いが消えず、俺を貼り付けたままほぼ水平に吹き飛び、奥の壁に叩き付けられた。
「――あれ、起きてた? おじゃましまーす」
部屋を空けて第一声がコレである。
「ふっ、ふ、ふ」
「朝から含み笑いなんて、ご機嫌ねー。いい夢でも見た?」
脳筋が馬鹿な事を聞いてきたと同時に、俺を潰していた扉だった板が、前に傾き倒れていく。鼻からはがれた瞬間、喉の奥から辛いものがこみ上げ、鼻血があふれ出た。
「――ふざけんなっ! いきなり何をしやがる!」
「あれー? 第一声が『おはようございます』じゃないよー? まだ夢の中かなー?」
「なっ!?」
扉だった板が床に倒れたと同時に、馬鹿は一瞬で入り口から俺の眼前にまで接近しており、胸倉を掴んできた。
「起きろよー朝だぞー」
「へぶっ!?」
スナップの効いた、目にも留まらぬ速度のビンタが右頬に、左頬、右、左と何度も往復して喰らわされる。
「あははは、アンタ寝ぼすけねー。ほぅら優しく起こしてあげるぞー? なんせ素のままで目覚ましビンタしてるんだからー」
「あばっ、ひでっ、ぐえぁ!」
両頬が真っ赤になり、腫れが酷くなり、一撃一撃の重さに脳が揺れる。
「――おま、いい加減にしろ、この馬鹿女!」
必死に腕を振り上げ、右頬に打ち込もうとしていた左腕を抑える事に成功した。
「さっきから明らかに俺が起きてるの分かってやってたろ! 何考えてやがる!?」
「『おはようございます』って言わないと朝ご飯の代わりに左フックご馳走よー?」
「おはようございますから話聞けこのアマァァァァ!」
腹の底から叫ぶ。叫ばずには居られない。
「よーしよし。おはよー。今日の朝ご飯は私が作ったのよ! と言う訳でアンタ最後だろうから皿洗いよろしく」
「はぁ!?」
「最後の奴が片付けするのは当然でしょ? もう皆ご飯済ませちゃったんだから」
「何で俺がそんな事しなきゃ――、おい、ちょっと待て」
馬鹿が首を傾げた。大人しくしていれば普通に女っぽく見えるのに。
「飯、全員で食ったのか?」
「ええ、もちろんタイチョー達と一緒に食べたよ?」
全員食べた。一緒に。そして、俺を起こしに来た。
あの男が俺の事情を知って、俺の扱いに困っていたのは知っている。だからきっと、この女にも俺の事情を話しているだろう。俺が大将軍の孫で、なのに無能だという事を、この女は知っているのだろう。
それはつまり、だ。
「――お前、俺を嗤いに来たんだろ?」
昨日の記憶は殆ど無い。何かする前に潰されて、意識を失ったのだから。
戦いにすらならなかった俺を見て、活躍したコイツは、きっとこう思っただろう。
『何て情けない奴なんだ』
さらに隊長から俺の生い立ちを聞かされているならば、俺が社会的にも見放されている人間だという事が分かる筈だ。
――だから先輩風吹かせて、俺を顎で使おうってのか?
吐き気がした。もしそれが真実なら、コイツは本物のゲスだ。
「昨日の俺の戦いぶりを見て、『大将軍の孫の癖に弱ぇな』とか、嗤いに来たんだろ!?」
弱いのは自覚している。才能がないのはもっと前から自覚していた。
だが、それでも俺のちっぽけな自尊心が、女に嗤われる事だけは許せない、と叫んでいるのが分かった。
「だがな! お前がいくら強くっても、ここでは俺の方が先輩だ!」
本当に情けない。ただ長く居ただけで、部隊の連中と連携も取れていないと言うのに。
それなのに、止まらなかった。まるで、こうしないと俺という人格を保てない、と言っているかのように。
「だから、お前が俺に意見なんか――」
刹那、俺は目にした。
言葉を遮って、馬鹿が拳を握った瞬間を。そしてそれで、
「――てい」
「あぐぉ!?」
殴られた。グーでだ。
「な、何だよ!」
「アンタの事情は確かに聞いたけど、そんなの私には知ったこっちゃないわ。だって私、アンタじゃないんだし」
本当にどうでもいい、という表情で、馬鹿は言った。
「私は嗤いに来た訳でも、アンタの言う、先輩風とやらを吹かせに来た訳でもない」
ただ一言、
「――下に行って、ご飯食べなさい。以上」
「……」
訳が分からなかった。俺が思っていた事の内どれかをするのではなく、ただ、それだけを伝えに来た、と言うのだ。信じられない。
言いたい事は言ったのか、馬鹿は背中を向け、
「返事!」
「――お、おう!」
よしよし、と二回頷いて、俺の部屋を出て行ってしまった。
後には、呆然とその場に立ち尽くす俺が残された。
「何なんだ、あの女」
今まで見た事も無いタイプの人間だ。
まず、人の話を聞かない。実際、聞こうともしなかった。
そして、自分の意見を無理矢理押し付けてくる。事情も何もかも無視して、だ。
これだけなら、俺が今まで見てきたクソな大人と同じだ。
だが、何か違う。そんな気がした。
あの大人共は絶対に俺の領域に入らず、遠くから陰口を叩くようにしか物を言わない。だけどあの女は、そんなの知った事じゃないと言わんばかりに人の領域にズカズカと踏み込んでくる。
あの大人共は俺に対してではなく、俺の立場に対して勝手に期待を押し付けていた。だけどあの女は、それが何、と言わんばかりに俺に対して理不尽を働いてきた。
身勝手で、理不尽で、乱暴。
しかし、あの女の瞳には、俺が映っていた。『大将軍の孫』ではなく、この俺を、レイブン・ケスキトロを見ていた。そんな気がしてならない。
――……変な女だな。
そう思うより他はなかった。
13/09/04 22:32更新 / イブシャケ
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