No where 1 side A
「最悪だ」
そんな言葉が、口をつく。
手元に置いたカクテルを流し込んでため息を一つ。
普段だったら既に酔いつぶれる程の量にもかかわらず、俺は未だに酔えずに居た。
「……悪い酒ね」
「自分の金で飲んでいるんだ。文句は無いだろ う」
「店の雰囲気にも配慮して欲しいものね」
「……悪かった。少し控えるよ」
やれやれ、と首を振るマスターの言葉に相槌を打ちつつ、手元の携帯電話を開く。
メールボックスのなかには、未読のメールがひとつ。
要件には一言だけ
『ごめん』
と書かれたのみのものだった。
「最悪だ」
俺は再び、その言葉を口にする。
マスターのため息がやけに大きく耳朶を叩いた。
−−−−
俺と、あいつとの付き合いは、学生時代にまでさかのぼる。
偶々その年度に演劇部に入った男が、俺とあいつの二人だけだったのが始まりだった。
女性だらけの中、唯一の男同士というコトで随分ペアにされて、大道具の運搬などの力仕事なんかはほぼ二人だけで作業をした。
「……なあ、俺、今度オーディション受けようかと思ってる」
「はは、じゃあライバルだなオレら」
「俺が受かったら、何か奢ってやるよ。脇役になったお前にな」
「む、なら脇役になったキミを……」
−−そして、同じ夢を追いかけていた。
プロの役者になって、銀幕に映りたい。そんな大それた夢。
全国レベルにも満たない、遊びみたいな部活、親を含めた周囲の人々に若干引かれていた中でも俺達は本気だった。
随分反対されたことまでもが一緒で、思わず二人で笑いあったりもした。
卒業してからは、劇団に所属してバイトと二束のわらじを履いた。家賃も足りないので二人で同じアパート暮らし。
飯も交替で作った。
特に俺が作る豚の生姜焼きはあいつに好評だった。事前に肉を蜂蜜につけてやわらかくするひと手間が大切な1品。
ちなみに、味の秘訣である蜂蜜については企業秘密だ。
「キミは、いい嫁になれるね」
「ぬかせ。最近のイケメンは料理も万能なんだよ」
狭い部屋の中には台本と原作に溢れて、床が悲鳴を上げるほど。
練習をすれば隣の部屋のヤツに壁をぶったたかれた。
ある時なんぞ俺が女役として声をつくったもんだから、「女連れ込んでんじゃねえ!」と叫び声すら聞こえたっけ。
男としては問題があるかもしれないけれど、演技派としてはある意味光栄なことだ。
そうして、二人で高めあって。
あるオーディションの最終選考に俺達ふたりはのこるほどになっていた。
主演とはいえないけれど、主演の友人役。テレビドラマのレギュラーである。
役作りのために、高校時代の制服を持ち出して学生ごっこなんてイタイ真似もしたかいがあったものだ。
ライバルとして、絶対に役を取る。
あいつが努力した分、俺だって努力した。
だから、どちらが選ばれても−−くいは残らない。
次の機会で、逆転だって出来る。
その、筈だった。
「−−おいっ!前見ろ−−ッ!?」
「う、うあああああっ!?」
どちらかが選ばれるあの日。
会場に向かう俺達に暴走した車が、突っ込んできたのだ。
逃げた犯罪者がパトカーと追いかけっこをして、歩道へ逃げようとした結果。
そんなことを当時の俺は知らない。
「−−よけ、ろっ!」
ただ、俺は思わずあいつをつきとばしていた。
視界一杯に映る、乗用車のボンネット。ガラス越しで叫ぶ男の姿。
轟音、顔面に感じる灼熱感と痛み。
−−後日、医者に見せられた鏡を見て、俺は役者になる道が絶たれた事を知った。
−−−−−
「ふう……」
部屋に戻って一息をつく。
ため息に混じった酒臭さに、思わず俺は目を細める。
あの後、さらに酔えないからとカクテルを飲んだ結果だ。
店を出る時のマスターの顔を思い出す。
出費も含め、もうしばらくあの店には寄れないだろう。
「あいつの、飯。作っておくか」
そんな言葉を呟いてから、自嘲気味に首を振る。
そんなもの、作る意味がないじゃないか。
あいつは、もうここに帰ってこないほうがいいのだから。
酔い覚ましになるかと顔を洗うために洗面所による。
何度かぱしゃぱしゃやると、顔に当たる水の感触がアルコールでほてった身体に心地良かった。
「……ち」
洗面所の鏡に映ったのは、表情の浮かばない仮面のような仏頂面。
いつもの、自分の姿だ。
形成外科の先生の頑張りで顔は殆ど元に戻った。唯一つ、その表情を除いて。
事故の後遺症で、顔の筋肉が麻痺してしまった。そう医師から伝えられた時も、そのかんばせはピクリとも動かせなかった。。
表情の作れない人間。
演技力が売りだったというのがこれでは、役者としては欠陥品に過ぎない。
世の中にはそういう人を『感動の〜』として売り出す人種も居るだろうが、俺はサル山のサルになるつもりはない。あくまでも、一人の『役者』であり続けたかった。
今の、あいつみたいな−−。
何度か首を振って。その考えを追い出す。
あいつは、あいつ。
俺は俺。
今の俺には、関係のない話だ。
「……早いとこ、台本にチェック入れないとな」
欠陥品となってなお、この業界にしがみつづけた俺は、劇団の照明係になっていた。
スポットライト一つで、役者を生かすことも殺すことも出来る。役者と同じくらい、大切な仕事。
あいつを生かすために、随分と工夫したことを思い出す。
床の しるし、タイミング。やることは、本当にたくさんあった。
今まで知りもしなかった技術もあって、あいつにも随分伝えたりした。
役者になったら、応用できる。そう思えることも一杯あった。
いつか復帰したときのために。
そう考えて作ったノートは瞬く間に一杯になった。
「−−ほら、初主演なんだろ。ばっちり当ててやるよ」
「うん、キミなら出来るよ……けど」
「けど、じゃねえ。結果は結果だ。−−受け入れてるさ」
リハーサルの打ち合わせ。
テレビドラマで結果を出し。舞台の初主演になったあいつにスポットを当てる。
−−本当は、心の底まで受け入れてなんか居ない。
あいつが、かわりにって思ったことは何度もある。
けど、それを言うのは、あいつにとっても、俺にとっても良くないことだ。
幸い、俺の表情が浮かぶことはない。
このどろりとした感情が、あいつに伝わる心配はない。
ただ、一心にあいつを照らす力になれる。
そう言い聞かせながら、俺は舞台の中心に立つあいつを、見つめ続けていた。
あいつ初の主役は、随分と上手くいった。
俺のスポットライトがきっちり決まったのもあるだろうが、何よりもあいつの努力の結果だろう。
千秋楽を過ぎ、ロングラン決定。
ふたりで飲みにいって、マスターのつくった「特別なカクテル」に舌鼓を打ち。
「俺のおごりだ」なんて不用意に言ったら値段で現実に引き戻され。
それでもバカみたいに笑うあいつを小突いてみたりして。
演技じゃない、あいつの本当の笑顔を久々に見て。
表情は作れなかったけど、あいつに自分の心が伝わったのが久々にわかって。それが嬉しかった。
俺達は、浮かれていた。
久々に友人が戻った気分になって、有名人が注意すべきことを−−怠っていた。
帰り道。
暗い夜道を歩く俺達は、気がついていなかった。
−−冷たいカメラのレンズが向いていたことを。
−−−−−−
『あの若手俳優に男色の気配!?』
『長年の付き合いとなる男性が−−』
棚においてあった週刊誌に、目をやる。
それは、力任せに表紙をたたいたせいで、ボロボロになっていた。
ーーあいつと、俺が肩を組んでいる写真が表紙だった。
俺には、黒い目線が入れられていた。
背景に映っていたのは、ラブホテルだ。
勿論、寄るために歩いていたわけじゃない。ただ単に前を通っただけ。
けれど、それは写真を見るものを誤解させるのには充分すぎるほどのものだった。
実際には酔ったあいつを支えているだけの写真だと言うのに。
隣に付けられた知りもしない「知人」の言葉が、誤解を強くしていた。
「お、おい。大丈夫か」
「……大丈夫」
あのときのあいつは、随分と憔悴していた。
うわごとのように大丈夫と口にしていたけれど、本当に大丈夫なんてわけはない。
役は降ろされなかったが、ネットの掲示板には誹謗中傷が溢れた。
数少ない擁護の意見は、あっという間に塗りつぶされ、ひしゃげて消えた。
時折、的外れな擁護が出て。それが心をさらに砕いていく。
そうして、役者としてやっていけないほどにやつれかけたあいつは。
「……キミが、邪魔になった」
「そうかよ」
「ああ、もうここには帰らない」
「……そうかよ」
俺のところから、離れていった。
別れを告げたその日のうちに荷物を片付けて、あいつはこのアパートを離れた。
事前にほかのマンションへの転居届けなども、出していたのだそうだ。
後日俺に送ったメール一つを、残して。
未だに開かれないメールの題は−−『ごめん』
ただ、そう書かれていた。
それを読む気は、起きなかった。
あいつが、謝ることじゃなかったからだ。
役者を支えるべき裏方の俺が、ちゃんとしていなかったから。
俺が男だったから、あいつに迷惑をかけたのだろうか。
俺が女だったら、こうならずにすんだのだろうか。
『熱愛発覚』とか書かれて。
それを否定しないで見せて。ファンの子からはかみそりとか送られるかもしれないけれど。
二人で、過ごせたのだろうか。
そんなありえない妄想が、走馬灯のように過る。
俺にとって、あいつは。
あいつにとって、俺は。
何だったのだろうか。
首をがしがしと振りながら、布団の上に横になる。
バイトを掛け持ちする自分には、なによりも体力が大切だからだ。
寝付けないまま、俺は何度も寝返りをうった。
−−−
−−変な夢を見た。
それは夢だと分かる、明晰夢だった。
「あなたの欲望、叶えてあげましょうか」
本当に、変な夢だった。
女優並に美しい銀髪の女性がそんなことを聞いてきている。
その身に纏うのは、露出度の高いひらひらとした衣装。舞台の上でしか着ないようなそれを、彼女は見事に着こなしていた。
記憶の再現だと言う夢の中に出てきた知らない女性の姿に、俺はアルコールの影響で脳がいかれたのかそんなことをぼんやりと考えていた。
「欲望だって?」
「ええ、あなたが望む。本当の姿に変えてあげる−−可愛い女の子の姿に」
「……何、言ってんだよ」
否定の言葉を口にしながら、思わず一歩、距離を取る。
何を、言っているんだ。
俺が女の子に、可愛い女の子に、なりたいだって……?
そんな、馬鹿な願望なんて……。
「言葉のとおりよ。あなたはね、女の子になりたがってるの。大好きなあの人とまた一緒に過ごしたくて。手を繋いでほしくて、キスして、欲しい。そんなアニマ−−女の子の心があなたの中には眠っているのよ」
「……違……っ」
否定の言葉は、最後までいいきることが出来なかった。
全身を貫く快感。
急に昇って行って、すぐに冷めていく男の快楽とは違う。
持続的で、終わりの見え難い快感が、身体の芯を襲ったからだ。
「ふふ、可愛い……ほんの少しだけ。あなたがこれから味わう快楽を与えてあげただけなのに」
それは、本来であれば女性が味わう感覚。
女性の、いや−−当時の俺が知らなかった、『魔物娘』としての絶頂。
快楽に戸惑う俺を笑いながら、彼女は俺に顔を近づける。
病的なまでに整った顔。
まるで、魔物みたいだ−−快楽に喘ぐ頭にそんな感想が浮かんで、消える。
「目覚めなさい、『貴女』の本質に」
「−−っ」
直後、柔らかいものが唇に触れる。
それが女の唇の感触、キスされたのだと気付居たときには、何か、生暖かいものが口の中に送り込まれていた。
食道を抜け、胃の腑に送り込まれたそれが唾液だと気付くころには、全身を違和感が走り抜けていた。
作りかえられるような、圧倒的な違和感。なのに、それが気持ちいい。
ふわふわと、浮かぶような感覚。
体の奥がじんじんと疼く感触。
快楽が、強くなる。止まらない、降りられない絶頂の渦の中、思考がどろどろと溶かされていく。
ぜえぜえと荒い息をつくと、涎がぽたりと地面に落ちる。
「『貴女』の−−望む姿に、なってごらんなさい?」
「あ……あ……」
「まずは、手」
毎日重たい荷物を持ち続けてタコのできた手が、ほっそりとした傷一つない白い手へと。
「次に、足」
男らしくなるべく密かに鍛えていた、筋肉質な足が。やわらかさとはりを兼ね備えた足に。
「−−お腹から、胴体まで」
腹筋がゆっくりと後退し、くびれが出来て。
肩幅が狭くなって、いつの間にか背が低くなった自分に気付いて。
鏡がないのに、自分がどうなっているのか。何故かわかってしまう。
「おっぱい。大事よね。ほら−−大きくなっていく。とっても気持ちよくなれる。素敵な場所。好きな人に揉まれたら、きっとイッちゃうくらい。そんな感度の高いおっぱい」
「……っ!?」
胸の先端、桃色になった乳首をかりっとつままれて。声にならない叫びが漏れる。
見れば、すでに男とはいえないくらいの、やわらかな曲線が、胸に描かれていた。
「お顔も−−変えてあげるね」
変わっていく。
基本の顔つきは変わらないけれど、どんどん女の子になっていく。
「……そして、最後は……ここ」
「だ、ダメ……」
彼女の手が、俺の男に。
俺が男であったことを証明する最後の証に触れる。
思わず手を掴む俺に、彼女は少しだけ不機嫌そうに頬を膨らませてみせる。
「ここ、変えたくないの?」
「……」
「女の子になったら、もっと気持ちよくなれるのに。敏感なここに−−大切な人の精子を沢山受け入れて、快楽の中で最高の幸せを味わえるのに……素直に、なれないの?」
彼女の言葉に、俺はそっぽを向く。
虚勢だと、だれからも分かる表情だった。
けれど、今までの人生。
男として生きてきた経験が、薄いけれど強い、最後の理性となってそれを阻んでいた。
「あの人に、抱きしめてもらいたくないの?」
「……それ、は……」
あいつの姿が、頭を過る。
関係ないはずの、あいつの姿。
なのに。
それを思い浮かべた瞬間。俺は−−
「あ−−」
「ふふ……素直に、なれたね」
彼女の指を、受け入れてしまっていた。
優しく、竿をしごき、玉をなぞられる。
襲い掛かってくる、男の快楽。
漏れ出した白濁が勢いよく空間に飛び散る。
けれど、それはさっきまでの快感より弱くて。
体が勝手にあの絶頂を求めてしまう。
物欲しげに、うめくとぐじゅりという水音がそれに応える。
「さあ−−変わりましょう。『貴女』の望む姿に」
「あ。あ……っ!!?」
意識が明滅するほど、降りられない絶頂が終わらない。
白い閃光が視界の中でちかちかとする。
そして−−快感が爆発する。
夢は、そこで終わっていた。
不意に、俺はぱちりと目を開ける。
変わらない、ボロい天井。二人で過ごした部屋。変わらない景色。
ただ、その中心。
布団の上に寝転がっていた俺が−−。
夢の中と同じ、少女の姿に変わっていた。
「……夢じゃ、ない……っ!?」
少女は、『驚愕の表情』を、その顔に浮かべていた。
−−−−−
「よし、これで大丈夫」
鏡の前でスキンケアと化粧の確認をした俺は、ほっそりそした白い手をぎゅっと握った。
女の身体に慣れるのには、しばらくの時間が必要となった。
出来ていた力仕事ができなかったり、 トイレだったり、下着だったり。
一番大変だと思っていた市役所とかの戸籍についてはいつの間にか全部変わっていて(女の職員さんは意味深な目でこちらを見ていたが)、そこは安心だったけれど、それでも大変なものは大変だった。
いままでの仕事場には、親戚だと誤魔化したら、なんとか置いてもらえた。
むしろ今の方が回りの人が気を使ってくれて楽なくらいである。
周囲の人間が俺を見る目を見る限り、女の子。それも美少女(自分で言うのも非常に恥ずかしいけれど)ともなると、色々と得だということが分かった。
とにかく、やることはたくさんあった。
「今度は、ヒロイン役のオーディションがんばらないと」
化粧台の鏡に映る少女は、色んな表情が出来た。
事故にあってから出来なかった笑い顔も、難なくこなせる。
元から練習は続けていた役者稼業の道が、いつのまにかひらけていた。
今、俺が受けているのはある劇のヒロイン役。
あいつが、主演の作品だ。
台本は読み込んである。『再会』をテーマにした本当にべったべたのラブストーリー。
別の作品でも良かったのに、俺は何故かその作品を選んでいた。
「……好き、だよ」
「大好き」
何度も、何度も台詞の練習をする。
俺の売りは、演技なのだ。
だから、練習するのは不思議なことじゃない。
「ずっと前から。君の事が−−」
台本を読み返す俺の股は。
何故か、しっとりとし始めていた。
そんな言葉が、口をつく。
手元に置いたカクテルを流し込んでため息を一つ。
普段だったら既に酔いつぶれる程の量にもかかわらず、俺は未だに酔えずに居た。
「……悪い酒ね」
「自分の金で飲んでいるんだ。文句は無いだろ う」
「店の雰囲気にも配慮して欲しいものね」
「……悪かった。少し控えるよ」
やれやれ、と首を振るマスターの言葉に相槌を打ちつつ、手元の携帯電話を開く。
メールボックスのなかには、未読のメールがひとつ。
要件には一言だけ
『ごめん』
と書かれたのみのものだった。
「最悪だ」
俺は再び、その言葉を口にする。
マスターのため息がやけに大きく耳朶を叩いた。
−−−−
俺と、あいつとの付き合いは、学生時代にまでさかのぼる。
偶々その年度に演劇部に入った男が、俺とあいつの二人だけだったのが始まりだった。
女性だらけの中、唯一の男同士というコトで随分ペアにされて、大道具の運搬などの力仕事なんかはほぼ二人だけで作業をした。
「……なあ、俺、今度オーディション受けようかと思ってる」
「はは、じゃあライバルだなオレら」
「俺が受かったら、何か奢ってやるよ。脇役になったお前にな」
「む、なら脇役になったキミを……」
−−そして、同じ夢を追いかけていた。
プロの役者になって、銀幕に映りたい。そんな大それた夢。
全国レベルにも満たない、遊びみたいな部活、親を含めた周囲の人々に若干引かれていた中でも俺達は本気だった。
随分反対されたことまでもが一緒で、思わず二人で笑いあったりもした。
卒業してからは、劇団に所属してバイトと二束のわらじを履いた。家賃も足りないので二人で同じアパート暮らし。
飯も交替で作った。
特に俺が作る豚の生姜焼きはあいつに好評だった。事前に肉を蜂蜜につけてやわらかくするひと手間が大切な1品。
ちなみに、味の秘訣である蜂蜜については企業秘密だ。
「キミは、いい嫁になれるね」
「ぬかせ。最近のイケメンは料理も万能なんだよ」
狭い部屋の中には台本と原作に溢れて、床が悲鳴を上げるほど。
練習をすれば隣の部屋のヤツに壁をぶったたかれた。
ある時なんぞ俺が女役として声をつくったもんだから、「女連れ込んでんじゃねえ!」と叫び声すら聞こえたっけ。
男としては問題があるかもしれないけれど、演技派としてはある意味光栄なことだ。
そうして、二人で高めあって。
あるオーディションの最終選考に俺達ふたりはのこるほどになっていた。
主演とはいえないけれど、主演の友人役。テレビドラマのレギュラーである。
役作りのために、高校時代の制服を持ち出して学生ごっこなんてイタイ真似もしたかいがあったものだ。
ライバルとして、絶対に役を取る。
あいつが努力した分、俺だって努力した。
だから、どちらが選ばれても−−くいは残らない。
次の機会で、逆転だって出来る。
その、筈だった。
「−−おいっ!前見ろ−−ッ!?」
「う、うあああああっ!?」
どちらかが選ばれるあの日。
会場に向かう俺達に暴走した車が、突っ込んできたのだ。
逃げた犯罪者がパトカーと追いかけっこをして、歩道へ逃げようとした結果。
そんなことを当時の俺は知らない。
「−−よけ、ろっ!」
ただ、俺は思わずあいつをつきとばしていた。
視界一杯に映る、乗用車のボンネット。ガラス越しで叫ぶ男の姿。
轟音、顔面に感じる灼熱感と痛み。
−−後日、医者に見せられた鏡を見て、俺は役者になる道が絶たれた事を知った。
−−−−−
「ふう……」
部屋に戻って一息をつく。
ため息に混じった酒臭さに、思わず俺は目を細める。
あの後、さらに酔えないからとカクテルを飲んだ結果だ。
店を出る時のマスターの顔を思い出す。
出費も含め、もうしばらくあの店には寄れないだろう。
「あいつの、飯。作っておくか」
そんな言葉を呟いてから、自嘲気味に首を振る。
そんなもの、作る意味がないじゃないか。
あいつは、もうここに帰ってこないほうがいいのだから。
酔い覚ましになるかと顔を洗うために洗面所による。
何度かぱしゃぱしゃやると、顔に当たる水の感触がアルコールでほてった身体に心地良かった。
「……ち」
洗面所の鏡に映ったのは、表情の浮かばない仮面のような仏頂面。
いつもの、自分の姿だ。
形成外科の先生の頑張りで顔は殆ど元に戻った。唯一つ、その表情を除いて。
事故の後遺症で、顔の筋肉が麻痺してしまった。そう医師から伝えられた時も、そのかんばせはピクリとも動かせなかった。。
表情の作れない人間。
演技力が売りだったというのがこれでは、役者としては欠陥品に過ぎない。
世の中にはそういう人を『感動の〜』として売り出す人種も居るだろうが、俺はサル山のサルになるつもりはない。あくまでも、一人の『役者』であり続けたかった。
今の、あいつみたいな−−。
何度か首を振って。その考えを追い出す。
あいつは、あいつ。
俺は俺。
今の俺には、関係のない話だ。
「……早いとこ、台本にチェック入れないとな」
欠陥品となってなお、この業界にしがみつづけた俺は、劇団の照明係になっていた。
スポットライト一つで、役者を生かすことも殺すことも出来る。役者と同じくらい、大切な仕事。
あいつを生かすために、随分と工夫したことを思い出す。
床の しるし、タイミング。やることは、本当にたくさんあった。
今まで知りもしなかった技術もあって、あいつにも随分伝えたりした。
役者になったら、応用できる。そう思えることも一杯あった。
いつか復帰したときのために。
そう考えて作ったノートは瞬く間に一杯になった。
「−−ほら、初主演なんだろ。ばっちり当ててやるよ」
「うん、キミなら出来るよ……けど」
「けど、じゃねえ。結果は結果だ。−−受け入れてるさ」
リハーサルの打ち合わせ。
テレビドラマで結果を出し。舞台の初主演になったあいつにスポットを当てる。
−−本当は、心の底まで受け入れてなんか居ない。
あいつが、かわりにって思ったことは何度もある。
けど、それを言うのは、あいつにとっても、俺にとっても良くないことだ。
幸い、俺の表情が浮かぶことはない。
このどろりとした感情が、あいつに伝わる心配はない。
ただ、一心にあいつを照らす力になれる。
そう言い聞かせながら、俺は舞台の中心に立つあいつを、見つめ続けていた。
あいつ初の主役は、随分と上手くいった。
俺のスポットライトがきっちり決まったのもあるだろうが、何よりもあいつの努力の結果だろう。
千秋楽を過ぎ、ロングラン決定。
ふたりで飲みにいって、マスターのつくった「特別なカクテル」に舌鼓を打ち。
「俺のおごりだ」なんて不用意に言ったら値段で現実に引き戻され。
それでもバカみたいに笑うあいつを小突いてみたりして。
演技じゃない、あいつの本当の笑顔を久々に見て。
表情は作れなかったけど、あいつに自分の心が伝わったのが久々にわかって。それが嬉しかった。
俺達は、浮かれていた。
久々に友人が戻った気分になって、有名人が注意すべきことを−−怠っていた。
帰り道。
暗い夜道を歩く俺達は、気がついていなかった。
−−冷たいカメラのレンズが向いていたことを。
−−−−−−
『あの若手俳優に男色の気配!?』
『長年の付き合いとなる男性が−−』
棚においてあった週刊誌に、目をやる。
それは、力任せに表紙をたたいたせいで、ボロボロになっていた。
ーーあいつと、俺が肩を組んでいる写真が表紙だった。
俺には、黒い目線が入れられていた。
背景に映っていたのは、ラブホテルだ。
勿論、寄るために歩いていたわけじゃない。ただ単に前を通っただけ。
けれど、それは写真を見るものを誤解させるのには充分すぎるほどのものだった。
実際には酔ったあいつを支えているだけの写真だと言うのに。
隣に付けられた知りもしない「知人」の言葉が、誤解を強くしていた。
「お、おい。大丈夫か」
「……大丈夫」
あのときのあいつは、随分と憔悴していた。
うわごとのように大丈夫と口にしていたけれど、本当に大丈夫なんてわけはない。
役は降ろされなかったが、ネットの掲示板には誹謗中傷が溢れた。
数少ない擁護の意見は、あっという間に塗りつぶされ、ひしゃげて消えた。
時折、的外れな擁護が出て。それが心をさらに砕いていく。
そうして、役者としてやっていけないほどにやつれかけたあいつは。
「……キミが、邪魔になった」
「そうかよ」
「ああ、もうここには帰らない」
「……そうかよ」
俺のところから、離れていった。
別れを告げたその日のうちに荷物を片付けて、あいつはこのアパートを離れた。
事前にほかのマンションへの転居届けなども、出していたのだそうだ。
後日俺に送ったメール一つを、残して。
未だに開かれないメールの題は−−『ごめん』
ただ、そう書かれていた。
それを読む気は、起きなかった。
あいつが、謝ることじゃなかったからだ。
役者を支えるべき裏方の俺が、ちゃんとしていなかったから。
俺が男だったから、あいつに迷惑をかけたのだろうか。
俺が女だったら、こうならずにすんだのだろうか。
『熱愛発覚』とか書かれて。
それを否定しないで見せて。ファンの子からはかみそりとか送られるかもしれないけれど。
二人で、過ごせたのだろうか。
そんなありえない妄想が、走馬灯のように過る。
俺にとって、あいつは。
あいつにとって、俺は。
何だったのだろうか。
首をがしがしと振りながら、布団の上に横になる。
バイトを掛け持ちする自分には、なによりも体力が大切だからだ。
寝付けないまま、俺は何度も寝返りをうった。
−−−
−−変な夢を見た。
それは夢だと分かる、明晰夢だった。
「あなたの欲望、叶えてあげましょうか」
本当に、変な夢だった。
女優並に美しい銀髪の女性がそんなことを聞いてきている。
その身に纏うのは、露出度の高いひらひらとした衣装。舞台の上でしか着ないようなそれを、彼女は見事に着こなしていた。
記憶の再現だと言う夢の中に出てきた知らない女性の姿に、俺はアルコールの影響で脳がいかれたのかそんなことをぼんやりと考えていた。
「欲望だって?」
「ええ、あなたが望む。本当の姿に変えてあげる−−可愛い女の子の姿に」
「……何、言ってんだよ」
否定の言葉を口にしながら、思わず一歩、距離を取る。
何を、言っているんだ。
俺が女の子に、可愛い女の子に、なりたいだって……?
そんな、馬鹿な願望なんて……。
「言葉のとおりよ。あなたはね、女の子になりたがってるの。大好きなあの人とまた一緒に過ごしたくて。手を繋いでほしくて、キスして、欲しい。そんなアニマ−−女の子の心があなたの中には眠っているのよ」
「……違……っ」
否定の言葉は、最後までいいきることが出来なかった。
全身を貫く快感。
急に昇って行って、すぐに冷めていく男の快楽とは違う。
持続的で、終わりの見え難い快感が、身体の芯を襲ったからだ。
「ふふ、可愛い……ほんの少しだけ。あなたがこれから味わう快楽を与えてあげただけなのに」
それは、本来であれば女性が味わう感覚。
女性の、いや−−当時の俺が知らなかった、『魔物娘』としての絶頂。
快楽に戸惑う俺を笑いながら、彼女は俺に顔を近づける。
病的なまでに整った顔。
まるで、魔物みたいだ−−快楽に喘ぐ頭にそんな感想が浮かんで、消える。
「目覚めなさい、『貴女』の本質に」
「−−っ」
直後、柔らかいものが唇に触れる。
それが女の唇の感触、キスされたのだと気付居たときには、何か、生暖かいものが口の中に送り込まれていた。
食道を抜け、胃の腑に送り込まれたそれが唾液だと気付くころには、全身を違和感が走り抜けていた。
作りかえられるような、圧倒的な違和感。なのに、それが気持ちいい。
ふわふわと、浮かぶような感覚。
体の奥がじんじんと疼く感触。
快楽が、強くなる。止まらない、降りられない絶頂の渦の中、思考がどろどろと溶かされていく。
ぜえぜえと荒い息をつくと、涎がぽたりと地面に落ちる。
「『貴女』の−−望む姿に、なってごらんなさい?」
「あ……あ……」
「まずは、手」
毎日重たい荷物を持ち続けてタコのできた手が、ほっそりとした傷一つない白い手へと。
「次に、足」
男らしくなるべく密かに鍛えていた、筋肉質な足が。やわらかさとはりを兼ね備えた足に。
「−−お腹から、胴体まで」
腹筋がゆっくりと後退し、くびれが出来て。
肩幅が狭くなって、いつの間にか背が低くなった自分に気付いて。
鏡がないのに、自分がどうなっているのか。何故かわかってしまう。
「おっぱい。大事よね。ほら−−大きくなっていく。とっても気持ちよくなれる。素敵な場所。好きな人に揉まれたら、きっとイッちゃうくらい。そんな感度の高いおっぱい」
「……っ!?」
胸の先端、桃色になった乳首をかりっとつままれて。声にならない叫びが漏れる。
見れば、すでに男とはいえないくらいの、やわらかな曲線が、胸に描かれていた。
「お顔も−−変えてあげるね」
変わっていく。
基本の顔つきは変わらないけれど、どんどん女の子になっていく。
「……そして、最後は……ここ」
「だ、ダメ……」
彼女の手が、俺の男に。
俺が男であったことを証明する最後の証に触れる。
思わず手を掴む俺に、彼女は少しだけ不機嫌そうに頬を膨らませてみせる。
「ここ、変えたくないの?」
「……」
「女の子になったら、もっと気持ちよくなれるのに。敏感なここに−−大切な人の精子を沢山受け入れて、快楽の中で最高の幸せを味わえるのに……素直に、なれないの?」
彼女の言葉に、俺はそっぽを向く。
虚勢だと、だれからも分かる表情だった。
けれど、今までの人生。
男として生きてきた経験が、薄いけれど強い、最後の理性となってそれを阻んでいた。
「あの人に、抱きしめてもらいたくないの?」
「……それ、は……」
あいつの姿が、頭を過る。
関係ないはずの、あいつの姿。
なのに。
それを思い浮かべた瞬間。俺は−−
「あ−−」
「ふふ……素直に、なれたね」
彼女の指を、受け入れてしまっていた。
優しく、竿をしごき、玉をなぞられる。
襲い掛かってくる、男の快楽。
漏れ出した白濁が勢いよく空間に飛び散る。
けれど、それはさっきまでの快感より弱くて。
体が勝手にあの絶頂を求めてしまう。
物欲しげに、うめくとぐじゅりという水音がそれに応える。
「さあ−−変わりましょう。『貴女』の望む姿に」
「あ。あ……っ!!?」
意識が明滅するほど、降りられない絶頂が終わらない。
白い閃光が視界の中でちかちかとする。
そして−−快感が爆発する。
夢は、そこで終わっていた。
不意に、俺はぱちりと目を開ける。
変わらない、ボロい天井。二人で過ごした部屋。変わらない景色。
ただ、その中心。
布団の上に寝転がっていた俺が−−。
夢の中と同じ、少女の姿に変わっていた。
「……夢じゃ、ない……っ!?」
少女は、『驚愕の表情』を、その顔に浮かべていた。
−−−−−
「よし、これで大丈夫」
鏡の前でスキンケアと化粧の確認をした俺は、ほっそりそした白い手をぎゅっと握った。
女の身体に慣れるのには、しばらくの時間が必要となった。
出来ていた力仕事ができなかったり、 トイレだったり、下着だったり。
一番大変だと思っていた市役所とかの戸籍についてはいつの間にか全部変わっていて(女の職員さんは意味深な目でこちらを見ていたが)、そこは安心だったけれど、それでも大変なものは大変だった。
いままでの仕事場には、親戚だと誤魔化したら、なんとか置いてもらえた。
むしろ今の方が回りの人が気を使ってくれて楽なくらいである。
周囲の人間が俺を見る目を見る限り、女の子。それも美少女(自分で言うのも非常に恥ずかしいけれど)ともなると、色々と得だということが分かった。
とにかく、やることはたくさんあった。
「今度は、ヒロイン役のオーディションがんばらないと」
化粧台の鏡に映る少女は、色んな表情が出来た。
事故にあってから出来なかった笑い顔も、難なくこなせる。
元から練習は続けていた役者稼業の道が、いつのまにかひらけていた。
今、俺が受けているのはある劇のヒロイン役。
あいつが、主演の作品だ。
台本は読み込んである。『再会』をテーマにした本当にべったべたのラブストーリー。
別の作品でも良かったのに、俺は何故かその作品を選んでいた。
「……好き、だよ」
「大好き」
何度も、何度も台詞の練習をする。
俺の売りは、演技なのだ。
だから、練習するのは不思議なことじゃない。
「ずっと前から。君の事が−−」
台本を読み返す俺の股は。
何故か、しっとりとし始めていた。
16/11/12 18:13更新 / たんがん
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