連載小説
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No where 1 side B
「――――最低、だ」
目の前の料理に口をつけつつ、オレはそう呟く。
料理はオーソドックスな、豚の生姜焼き。

その味自体は、実のところ最低というほど劣悪な訳ではない。
親元を離れて暮らす成人男性なら作れるであろう、可もなく不可もない程度の味だ。
けれど、オレはその程度じゃもう満足ができない。もっと美味い生姜焼きを、オレと同じ立場の奴にずっと食わせてもらっていたから。

行儀が悪いのを承知しながら、オレは傍らに置いておいた携帯を手にとって、開く。
何かの表示が変わっている事を期待しながら、メールボックスを表示した。

けれど、その画面は先ほど見た時と何も変わらない。
新着の受信メール欄は、相変わらず0のまま。

何の気はなしに、送信メールボックスも開いて見る。
一番上の欄には、当然だが最後にオレが送ったメールが置かれていた。
「ごめん」の一言が、そっけなく要件に書かれたメール。

そのメールに対する返事は、未だにない。

「――――最低、だよ」

もう一度口にした、その言葉。
一人部屋では、自分の声がやたらに大きく聞こえた。


−−−−

アイツと会ったのは、学生時代だった事は覚えている。
というのも、学生の頃からある夢を追いかけていたオレは、周りへの興味をあまり持っていなかったからだ。
覚えているのは、同じ演劇部に入っていたアイツと何かと顔を合わせるのが多かったという事。

「オレは、プロになる。今はここで下積みだけど、いつか絶対銀幕でライトを浴びるんだ」
「おぉ、すげぇな。お前なら、いつかできそうな気がするよ」

そして、アイツは絶対にオレの夢を笑わなかったという事。
部員の大半がそんなの大言壮語だ、所詮こんなのは部活だと、真面目にとりあいもしなかった中で、だ。
そんな奴らのいうことを、気にしていたわけではない。けれど、オレがそいつと行動をすることは、不思議と増えていた。

一緒に過ごす時間は、確かに心地よかった。
あいつが実はオレとおんなじ夢を持っていた事を後に知った時は、内心嬉しかった。

……オレ以外の実例があったから、自分の夢に反対していた両親を説得する材料になったという事情もある事にはあるが。

ともかく、そんなオレとあいつは学校を卒業後も一緒にいた。
同じ劇団に入って、バイト先の候補を一緒に探して。ただの仲良しこよしで一緒にいた訳じゃない。
お互いに金がなく、同じアパートに同棲せざるを得なかったからだ。そうなると、夢が同じ以上は少しでもお互いに協力をするのが道理だ。
とはいえ、それは決して嫌なわけではなかった。
第一に、アイツの作る豚の生姜焼きはめちゃくちゃうまかったからだ。家事は交代制だったのだが、料理に関してはずっとアイツに作ってもらいたいぐらいだった。

「ふざけんな。俺に専業主夫にでもなれってか」
「キミがオレに味の秘訣を教えてくれるなら、こんな事言わなくても済むんだけどなぁ」
「それは……駄目だ、企業秘密だからな」

そんな冗談にも、いつも楽しそうな笑顔でのってくれた。

もちろん、飯を食い終わったらひたすら二人で演劇の練習をした。
男二人ではあったが、器用な事にアイツは女の声真似が上手だったので役には困らなかった。
というよりも、今思い出してもアイツの女声は上手だったと思う。恋のセリフを呟いた時なんか、迫真の演技も相まって思わずこっちもドキッとさせられるぐらいで……

そんな奴が隣にいたから、オレは負けじと練習に励むことができた。
その成果は、やがて形になる。二人で同じオーディションの最終選考に残る、という大きなもので。
主役ではないが主役の友人、しかもテレビドラマのレギュラーという立派な役だ。
しかし、その役に選ばれるのはたった1人。

負けたくなかった。アイツと正々堂々勝負をして、その結果オレが勝利を勝ち取りたかった。

勝負ができると、その日が来るまでオレは信じていた。

「−−−−っ!−−−−ッ!?」
「……!?う、うあああああっ!?」

車が、目の前に迫っていた。俺達がいる場所は、ただの歩道だったはずなのに。

情けない事に、オレは叫び声を上げるばかりで全く動けなかった。気づいた時点で走っていれば、何も起こらずに済んだかもしれないのに。

後悔せずに、済んだかもしれないのに。

「−−よけ、ろっ!」

聞いたことのない、大きな声だった。腹に鈍い衝撃がして、オレの体はバランスを崩す。
そこからの事は、スローモーションのように見えた。

アイツの、オレを見て安堵する表情。
迫り来る、鈍色の車体。鼓膜を破る大きな音。
アイツの体から流れ出す、濃い色……

「…………え?」

状況を把握できないオレには、マヌケな声を出すのが精一杯で――――

結論から言うと、アイツはそれから無事一命を取り留めた。
車を壁にぶつけた運転手は当然逮捕されて、事件は無事に解決した。なんでも犯人は逃亡中の犯罪者で、パトカーに追跡されている最中に何を思ったか歩道へ逃げようとしたとか。

けれど、そんな事情はどうでも良かった。
アイツの俳優としての人生は、間違いなくその事故で死んでしまったのだから。

事故から回復したあいつは、笑顔を作れなくなってしまっていた。

後遺症により筋肉が麻痺してしまったのだ、と医者は語っていた。役者を目指す人間にとってどれだけ表情が重要かを理解した、悲痛な表情で。

そしてアイツは、二度と男優としてライトを浴びる事はなかった。

−−−−

「ふぅ……」

決してまずくはなかったから、少し時間はくったが全て片付ける事に無事成功した。
自分で作った夜食を消化して、オレはそのまま皿洗いを開始する。
次の人が使う事を、考えて。油が残らないように、丁寧に。

「アイツだって、使うんだしな……って」

ぽつりと自分の口から出てきた言葉に対して、かぶりを振るう。
それだけはもう、絶対にないのだ。そう決めたのは他でもない、自分自身なのだから。

目を落とすと、皿洗い用の水瓶に自分の顔が映っていた。
後悔ばかりの暗い表情に彩られた自分。かつて主演を努めた頃よりも、心なしかやつれている気がする。

あの事故の後、アイツとはどこか気まずい関係だった。何を言ってやればいいのか、わからない。何を言っても、傷つけてしまうかもしれない。そんな思いが、アイツとの会話を自然と減らしてい た。

「ライト何してんだ!!遅れてんぞ、もっと役者の動きにしっかり合わせろ!!」
「……はい!!」

かける言葉を見失っている内に、アイツは照明係の道を歩もうとしていた。
先輩に怒鳴られながらも、威勢の良い声を張り上げて。
その光を、懸命にオレに向けようとしている。

「あぁ、どうしてだ!!どうして僕は、愛する人を前にしてこんなにも無力なのだ……!!」

主役として声を張り上げる、オレを目指して。

アイツがいなくなっても、オレはこの道を進むのをやめなかった。
この道を進む事だけを考えて生きてきたオレは、今更歩む足を止める事などできるわけがない。
そしてオsレはついに、望む場所に立てた。

立てた、筈だった。

疑問は、いくら経っても消えなかった。

どうして、光を浴びているのがオレなんだ?
オレは、何もできなかった。アイツは、誰よりも勇敢な行動をした。何もできなかったオレをその手で、足で、助けてくれた。
なのに、この場においてライトを浴びているのはオレだ。この場の誰よりも目を引き、誰よりも称賛されているのは、オレだ。
勇気を振り絞ったアイツではなく、足がすくんだオレだけが光の中にいるのだ。

なんでだ。なんでアイツは、影の中にいるんだ。
怒声をもらい、唇を噛み締めた表情で、あそこにいなきゃいけないんだ。

いっそ、事故にはアイツじゃなくてオレの方が……

そう、叫んでしまいたいこともあった。
だけれども、オレには演劇(コレ)しかなかったから。
アイツの分も、オレが夢を成し遂げる。そうする事がせめてもの恩返しだと、以前にも増してオレは演劇に打ち込んだ。

その甲斐もあって、オレの初主演は最終的に大成功で幕を閉じた。
鳴り止まない喝采。高揚感と、達成感。
アイツはそれを自分の事のように喜んで、オレを抱きしめて。オレも、なんとかその喜びを言葉にしようとして、アイツと久しぶりに沢山話をした。
その内にアイツの行きつけのバーに寄って、オススメだと言われたカクテルを味わって。酒の気分のまま、最近の気まずさを忘れるぐらいに笑った。アイツは仏頂面のままだったけれど、それでも楽しそうにしている事は伝わってきて。
昔のように楽しい時間が戻ってきた事が、嬉しくてたまらなかった。

そう思えたのは、その数時間だけだった。


−−−−−−


『あの若手俳優に男色の気配!?』
『長年の付き合いとなる男性が−−』

それは、ありがちな週刊誌に書かれたどでかい見出し。
その横に載せられた写真は、オレとアイツ……酔っぱらいに肩を貸しながら歩く青年が、アパートのドアの向こうへと消えていく瞬間。

酔っぱらいのオレは、自分がどれだけ有名人になっていたのかを失念していた。そして、カメラのレンズがあの夜に迫ってきていた事も。

周りの人間には、興味がないんだと思っていた。
関わろうと思わなければ、関わっては来なかったから。
けれど、それは違った。オレはただ……傷つくのが嫌で、夢を言い訳に逃げてきただけだった。

逃げたツケは、容赦なく回ってくる。
自分をこき下ろす週刊誌とその電車の広告、そこからかばう振りをして人を貶めるバラエティ番組。
インターネットを飛び交う、憶測混じりの誹謗中傷。
近所を歩くだけで突き刺さる、白い目線……その対処法を知らないオレの中に、溜まってゆく黒い感情(もの)。

劇団員は、そんなオレを見捨てる事はなかった。アイツだって気を遣って何も言っては来なかったけど、それは優しさだったのだと思う。
けれど、オレは……そんな優しさに、甘えてしまった。

「……キミが、邪魔になった」
「そうかよ」
「ああ、もうここには帰らない」
「……そうかよ 」

その日も彼は、何も言わなかった。相変わらずの仏頂面で、何を考えているのかは読めない。
その顔を見るのが、辛かった。オレがいなければコイツはという思いは、オレの中でどんどん強まってきていて。
ひょっとしたらオレの事を恨んでいるんじゃないかと、そんな考えが鎌首をもたげて……耐えられなかった。
アパートを離れて、久しぶりに1人になって。

なのにオレは、「ごめん」とだけ要件に書いたメールを送った。
二人で住んでいた時は、あれほど離れたくてたまらなかったというのに。

どこまでも女々しい自分が、嫌で嫌でたまらなくなる。
そんなオレが、もう一度立ち上がるきっかけになったの は……ある1人の、「女」だった。

−−−−−−

「――ふぅ。こんなもんかな」

鏡を見てみれば、主演を勝ち取った劇の衣装を着こなす自分が映っていた。
以前は衣装もメイクも全て専門の人間にやってもらっていたから、随分と上達したと思う。

アイツの親戚だという「女」は、ある日突然劇団に転がり込んできた。
とても感情豊かな演技を見せる彼女は、瞬く間に劇団に溶け込んでいった。まるで劇団員全員の事を把握しているかのような、不思議な雰囲気を持つ女だった。
アイツの事、何か知らないか。会うなりそう尋ねた俺に、その女は少し困ったような顔をして知りません、とだけ返した。
けれど、なぜだかその表情は男のアイツに重なって。彼女に近づけば、アイツの事もわかるんじゃないかという不思議な予感があった。
そんな 彼女は今、ある劇のオーディションを迎えようとしているという。

それは、オレが主演の劇だった。あれだけの事があっても、劇団員は俺の席を空けたままにしておいてくれたのだ。

いつまでも落ち込んでる場合じゃないと、そう思った。彼女がオーディションを通過してくるかはわからない。けれど、その先で彼女を迎え入れる事ができたのなら。

オレはもう一度、アイツに向き合えるんじゃないかって。そんな気がしたんだ。

「あの時僕は、打ちひしがれるだけの子供だった。だから僕は、いや――」

練習をしようと口にした台詞にも、力が入る。心を、想いを、その中に込めて。
想いを、放つ。

「――俺は。今度こそ、キミを守りたいんだ」

待っていて。
キミに負けないだけの強さを、オレは手に入れて見せるから。


16/10/29 17:13更新 / たんがん
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■作者メッセージ
はじめましての方ははじめまして、そうでない方は、お久しぶりでございます。
くらげです。
同じ夢を目指した仲間だった彼らの解れた糸。
これが新たな形で結ばれるまでの物語を、しばしの間楽しみにしていただければ幸いです。

今回の物語は、たんがん氏とのリレー形式で作られております。
Aパート、Bパート。それぞれの作者がお互いの視点で語る物語形式。という交換日記のようなやり方です。
どちらがどちらのパートを執筆したかについては、最終話までヒミツ。ということでお願いします(こうして既読の方は既にお気づきだとは思いますが……汗)。

お読みいただき、ありがとうございました!

くらげ

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