連載小説
[TOP][目次]
第十一話 迷える長と剣士の怒り

〜〜〜〜〜〜

『彼女』は、私にとっての恩人だった。
あの狭い世界から私を引っ張り出して、私を魔女にしてくれた。
魔術のやり方も、サバトでの暮らし方も、何もかもを教えてくれた。
何もかもが彼女のおかげで、彼女に対しては感謝しかなくて……だから私も、彼女の事を信頼していた。

信頼して、『いた』のだ。

「……!?ゲホッ、ゲホゲホッ!!はぁっ、はぁっ……」

―――――――なのに。

「エリーに何したの!?……っ!?」
(私に何したのよ!?……っ!?)

それは本当に、突然だった。
突然で、訳がわからなかった。

「おぉ、無事に成功したみたいじゃのぉ」
「成功って……何の事なの!?エリーよくわかんないよ!!」
(成功って……何の事よ!?ちゃんと私に説明しなさいよ!!)
「やれやれ……いちいち説明しなくともわかるじゃろう?儂はただ、お主をみんなのような喋り方をできるようにしてやっただけじゃ」
「っ……!!」

彼女は、嫌がる私を見てもその表情を崩さない。
見た目相応の子供が浮かべる、無邪気に悪戯をしようと考えてる顔……けれど、どうして。

こんなの……悪ふざけの域、超えてる……!!

「こんなの嫌だよ!!早く元に戻してよ!!」
(こんなの嫌よ!!早く元に戻しなさい!!)
「そんなに戻りたいかのう?そっちの方が、他の魔女とも馴染めると思ったんじゃがのぅ……じゃが、安心せい。ある条件を満たせばその魔術は簡単に解けるようになっておるのじゃ」
「あ、ある条件……?」

そう言われた時の私は、まだ彼女を信じようと思った。
その条件は本当に簡単で、悪ふざけでやっていただけなのだと希望を持ったのだ。
だから、もう一度信じようと思った。

思った、のに。

「おぉそうじゃ。お主がその言葉遣いで喋りたいと心の底から思えばいいだけじゃ。なぁに、こんなの簡単じゃろう?」
「そ、そんな……」

つまり、口調を元に戻す為には……心から口調を元に戻したくないと、願わなければならないという事。

――――その条件は、酷く矛盾したもので。

「それではの、エリー。魔女としての生活、これからも楽しむんじゃぞ」

呆然とする私を尻目に、楽しそうに笑って去っていく彼女の後ろ姿。

追えなかった。
彼女が何を考えているのか、わからなくて。

何より……自分が彼女をどう思えばいいのか、わからなくなって――――

〜〜〜〜〜〜


小さな赤いバフォメット、ユーミア=ソーヴェング。
俺が訪れる事になったサバトの長にして、エリーの事を誰よりもよく知る人物。

どうも小心者のようで、会ってからというものの声も体もブルブル震えてる。けれど……それでも彼女は、俺へと向けて語り出す。

「ま、まず……エリーの体に、刻まれた陣、から話すのじゃ。お、お主、も……それが一番、聞きたい事、じゃろ?」
「あぁ……頼む」

震えるユーミアの声に、俺はそっと頷く。
結局、エリーの中で一番疑問なのがそこなのだ。何の前触れもなく寝てしまい、それから数日は目を覚まさない……こんなの、魔物娘だろうが普通は起こる事じゃねぇ。

「さ、先に言っておくと、の……の、喉元の物と、お腹の物は、別物じゃ。それぞれ、違う効果が、あっての……喉元のはく、口調を矯正する物、らしいのじゃ……」
「口調の矯正?」

魔術って、そんな事もできんのか……

「……どんな風に変えてるんだ?」
「それはお、お主も、ずっと耳にしている、筈じゃ。よ、『幼女の喋り方』……ほとんどの魔女と一緒のしゃ、喋り方に、する……そうじゃ……」

あいつの口調、無理矢理に矯正されてたのか。
確かに、80年生きてる割に喋り方が子供っぽすぎるとは思っていた。俺はてっきり、魔女だからそういう喋り方をするもんだと思ってたが……そういう事情があったんだな。

……ん、待てよ。

「なぁ。その術式、直すのは口調だけか?例えば、男はお兄ちゃんとしか呼べねぇとか……」
「む……た、確かにそ、そうだと聞いて、おるが……」

……なるほどな。ヒューイの護衛任務を始めた時、エリーは俺の事もあいつの事も『お兄ちゃん』って呼んでいた。
やけにパニックになっていたから、妙だとは思ったが……そういう事だったとすれば納得がいく。

誰が仕掛けた、とか。何のために仕掛けた、とか。気にならない訳じゃねぇが……

「まぁ、それはもういい。つーこたぁ、重要なのは腹の方の陣って事なんだろ」
「お、おぉ……その通り、じゃ」

どことなく、声音に緊張を混じらせて……ユーミアは、先を告げる。

「あ、あれは……儂の母上のけ、研究成果じゃ。魔力を……精以外から生み出す、研究の……」
「なるほどな、魔力を精以外から生み出す―――――





――――――は?」

ちょっと、待て。
今、こいつ……とんでもねぇ事、口走ってなかったか?魔力が、何だって……?

「そ、その通り、じゃ。あ、あれは、魔物娘の、生体機能を、反転させ……エネルギーからま、魔力を生み出す、もので……」
「ちょ、ちょっと待て!!」

ダァン!!と机に振り下ろした俺の手が鈍い音を立てる。
ほとんど、反射的な行動だった。頭が、与えられた情報に追いつかなかったから。

「聞いた事ねぇぞそんな技術!?生体機能の反転ってなんだ!?エネルギーから魔力を生み出すって、どういう……!!」

そこまで大声でまくし立てて、ようやく俺は冷静になった。

「ひ、ひぅ……!!」

ガタガタと、目に涙を溜めて震え出すユーミア。
頭に集まっていた熱が、一気に冷えていくのを感じて。

……やべ、今度こそ泣きそうだコイツ。

「あっ……わ、わりぃ……」
「い、いや……だ、大丈夫、じゃ。お、お主が、慌てるの、も、無理はな、ないのじゃ……そ、それだ、け……秘匿されてた技術、なのじゃから……」

道理で、医者のユニコーンちゃんが見てもわからないはずだ。
頭に溜まった熱が冷えていくと、改めて気付かされる。想像を遥かに超えた規模のものが、彼女にはあった事に。

「は、話を戻す、のじゃ。え、エリーのあ、あの陣は……その。魔力ので、出所を……は、母上が、別のものでだ、代用……できない、かと……」

……たどたどしい説明は、終わるまでに数十分を要する長いもので。それを要約すると、こうだ。

あの魔法陣を考案したのは、ユーミアの母親である先代サバト長、レーミエという名前のバフォメットらしい。彼女はなんでも旧魔王時代、すなわち魔物が人を食らう時代から生きている強大なバフォメットなのだそうだ。
そして、エリーの腹にあるあの陣の効果は魔物娘の体内のメカニズム――精を吸収して魔力へと変換し、その魔力を用いて魔術を行使する、という流れを反転させる効力を持っている。すなわち、体内に存在する魔術のようなエネルギー体から魔力を作りだす事ができるのだ。
レーミエは魔力を作り出す際のエネルギーとして、人間が体を動かす時に脳内から発する電気信号に目を付けた。微弱だが人が生きている限り出し続ける事ができる脳の電気信号を魔力へと変換する事ができれば、理論上補給する事なく魔術を行使できるのではないか。
そういう考えの元、生み出された理論だったのだそうだ。

……正直、こうして説明を思い返してみても。自分では半分も、理解できている気がしない。
だから話が終わると同時に、俺は率直に質問をぶつけた。

「けど、人間が体を動かす時に脳から電気信号を送る……だったか?俺はそういう事は詳しくないけどよ、それは人間の体の話じゃねぇのか?魔物娘でも通用すんのかよ?」

例えば、スライムなんかが例としてはわかりやすいだろう。
全身液体で構成された体の種族。人間のように思考し喋るからと言って、脳がある訳でも血が流れている訳でもない。
人間に似た容姿と言えど、彼女達はあくまで人間ではないのだから。

「じゃ、じゃから『魔女』、なのじゃ。魔女はひ、比較的、人間に体の構造がち、近く、ての……人間と同じ理論がつ、通用すると、思ったのだ、そうじゃ……」
「そういうこと、か……」

実際、エリーの見た目は目が極端に赤いぐらいで魔物らしい特徴なんかほとんどないからな。そう言われれば納得は行く。

「けど、それにしたって魔女だったら誰でも良いんだな。んじゃあ、エリーの他にも誰かやってる奴はいんの、か……?」

言葉が尻切れすぼみになったのは、ユーミアの表情が急に神妙なものになったから。
なんだ……俺、そんなに間違ったことを言ったか……?

「お、お主、は……わ、魔物娘(わしら)、が、喜ぶと、思うのか?伴侶がじ、自分以外からま、魔力……すなわち精を、補給するの、を……」

……っと、そういう事か。

魔物娘(かのじょ)らの考えからすれば、精を夫から補給する事は当然だ。なぜならそれは、夫が自分に示す最大限の愛の形だからだ。仮に夫がいなくとも、魔物娘達はいずれ自分の身に愛する者から精をいただく日を待ち望む。

そんな彼女らに、魔力を旦那以外から補給する手段など本来は不要の存在なのだ。

「けどよぉ、精以外の方法で魔力を補給する事を嫌がるって言ってもそれはあくまで『必要がない』ってだけの話だろ?興味がないにしたって、未婚の魔女だったら1人や2人ぐれぇなら頼み込めば実験に協力ぐれぇはしてくれそうな気がするんだが……」

そう。それは確かに愉快なものではないのだろうが、毛嫌いする程のものでもないはずだ。そんな、軽い思いから飛び出た質問だった。



その程度の、つもりだった。



「に、妊娠が……できなくなると、言ってもか?」

「なっ……!?」

そこに、付け加えられたユーミアの言葉。それは、俺の認識が甘かったのだと容赦なく叩きつけてくる。

「せ、正確に、は……可能性の話、じゃ。じゃがま、魔物娘の、体内のしくみ、を……い、一時的とはいえ、反転させるのじゃ。せ、精を、正常にう、受け取れなく、なったり……最悪に、妊娠に支障をき、きたす可能性だって、十分に……」
「ま、待て!!そんな危険があったとしても、陣をすぐに消しちまえばいい話じゃねぇのか!?そうすりゃ効力なんてなくなるだろ!?」

俺は魔術は素人だが、魔法陣なんてものは大抵消してしまえば効果がなくなる事ぐらいはわかる。
しかし、事はそう単純ではないのは何よりも、ユーミアの表情が物語っていた。

「け、消せないのじゃ、あれは……あの陣はか、体に『描いて』、いるのではなく……魔術でき、『刻んで』、おるのじゃよ……た、体内構造、そのものをい、いじくる、精密なもの、じゃから……それぐらいの事が、必要だったそうじゃ……」
「な、何だよそれ……!!じゃああいつ、何でそんなの体に……!!」
「……自分から志願した、と母上からは聞いておる。な、何でかまでは、儂も……」

申し訳なさそうに、ユーミアは縮みこまる。俺の方はと言えば、こんな時にエリーの言葉を思い出していた。

『エリーはね、お兄ちゃんのお嫁さんになりにきたの!!』

あいつ……そう言ってたじゃねぇかよ。それなのに何で、わざわざ妊娠できなくなる可能性のあるような事してんだ。未来の夫の事よりも、魔術の方が大事だってのか……?

「すぅ……すぅ……」

そんな俺の疑問もいざ知らず、当の本人はぐっすりと眠りこけている。

……そうだ。まだ、最大の疑問が残ってる。

「……そこまでは、わかった。じゃあ、コイツが眠っちまってる原因は何だ?今までの話とこれが、どう繋がるんだよ?」
「それはす、ストッパー、じゃ。え、エネルギーを生み出す為、に……の、脳を、無理矢理使う、からの。つ、使いすぎないように……母上が、つけたもの、じゃ……」
「……ストッパー?」

それは、最初の想定ではまず使われないだろうと思われていたものだった。
脳からエネルギーを取り出す都合上、魔術を使用し過ぎれば過負荷がかかってしまう可能性はある。そうなってしまった際に重大な症状を出さない為に仕掛けられたのが、ワーシープの魔力だ。過負荷がかかった際、術者を眠らせる事で酷使してしまった脳を素早く回復させるように設定された……言うなれば、安全装置のようなもの。

「重大な後遺症……?」
「身体がま、麻痺したりき、記憶に異常が、出たり……する、そうじゃ。ほとんどを忘れてで、できる問題が、できなくなったり……酷い時はみ、身近な人すら、忘れたり……」
「……っ!!そうか、それであいつ……!!」

『お兄ちゃん……誰?』

あの時、倒れる直前にエリーが苦しそうにつぶやいた言葉。あれは、魔術の使いすぎで脳に過負荷がかかったという事だったのだろう。

「でっけぇ火を起こすような魔術使ったり、箒で空飛んだりしてたからな……それでか、納得だぜ」
「………………」
「……ん?どうした……?」

俺が1人うなづいていると、ユーミアの表情が暗くなる。
口を動かそうとして顔を少し上げて、けれど口を閉ざしてまた下を向く……それは何か、言いづらい事を言おうとしているように見えて。

「……ち、違うの、じゃ」

それでも、ユーミアは口を開く。赤い山羊の手を突き出して、おずおずと指を差す。
その先にあったのは……俺がこいつに渡した、リボンの巻かれたままの杖。

「そ、その杖、が。お、お主の、プレゼント、が……今のエリーにはふ、負担だった、のじゃ……」



――――――それは、ユーミアの母親でも計算外の事態だった。

魔物娘の体内構造を一時的に反転させ、魔力を脳の放出するエネルギーから得る。
その理論自体に間違いはなく、エリーは体内に溜められた魔力に頼る事なく魔術を行使する事に成功した。

しかし、安全装置は実験中、当初の想定よりも遙かに早く作動した。

脳から発されたエネルギーを変換してできた魔力は、とても小さいものでしかなかったのだ。
一時的とはいえ、体内構造を無理矢理反転させようとするのだ。それは、流れる川を逆向きにしようと手で押し戻すようなもの。川の向きが逆になったところで、その流れる速さまで等しくする事は無理に等しい。

メリットとリスク、その二つの差は結果を見れば後者が明らかに大きく……その実験は、失敗と結論づけられた。

「え、エリーは、普段……特注の杖をつ、使っておる。つ、杖には、魔力の『制御』とぞ、『増幅』の二つの役目がある、のじゃが……あ、あやつの杖は、増幅に特化、しておる。制御を捨てて、少ない魔力を何倍にもぞ、増幅させる事、で……何とか、普通の魔術をつ、使えている、状態じゃ……」
「制御を、捨てる……」
「か、仮に、そういう杖がう、売ってたとして、も……まず、誰も買わないじゃろう。あやつ……エリー、じゃから。魔力の扱いにはと、飛び抜けて、長けた奴、じゃから……何とかなっていた、だけじゃ……それだけのものをつ、使わないと。い、いけないのじゃ、あやつは……」

そこまで聞く頃には、握った拳から力が抜けていて。

「それじゃあ、あいつ……なんで……」

そこから先は、口が開いても言葉が続かなかった。

マユちゃんに、そんな大事な杖を渡したんだ。
何も言わずに、俺が渡した杖を使っていたんだ……使い続けたらこうなると、知っていながら。

ユーミアは、俺の言わんとしている事を察したのだろう。
静かに、優しい表情で、告げる。

「……それだけ、嬉しかったのじゃろう。誰かの役に、立てると言うことが……お主の傍に、いられるという事が……大事な杖を手放す事さえ、いとわぬ程に……」

その表情は、とても優しく――――――とても、悲しげで。

「わ、儂に、は……そこまでの事は、できんかった……儂は、あやつの事を何も知らん……母上から聞いた事と、お主から聞いた事が儂の知るエリーの全てじゃ……サバトの長であるというのに、エリーの事を何もわかってやれなかったのじゃ……」

その言葉は、詰まってばかりの口から淀みなくこぼれ落ちていた。
それは、誰に向けるでもない自分への思いだったからだろう。

「じゃから、あやつは思い詰めてしまったのじゃろう……勘違いで、人を襲うような事もしてしまったのじゃろう……儂が、何もわかってやれなかったから……」



もしくは――――――その言葉は、涙と一緒に流れ出しているからか。



「儂がサバトを継いだ時も、そうじゃ……母上は、サバトにいたら魔術の研究ばっかりだったから……儂は、魔術よりも恋愛を優先にするようにサバトを変えた……未婚の魔物娘がまだいる事は、知っておったのに……儂は、恋愛する事を押しつけた……」

ぽろぽろと、小さな山羊は涙をこぼす。
ビビリの癖に、俺の怒鳴り声にも必死で泣くまいと耐えていた彼女が……エリーの事には、堪え切れずに。

「あやつがどれだけ魔術を気に入っているかも、知らずに……あやつの気持ちなど、考えずに……ひ、酷い事、を……言って……うぅ……!!」

こいつは何も悪くなんてない、エリーがやった事はエリーの責任だ。けれど……自分の事のように、悲しい顔でユーミアは泣いてくれている。

「儂のせいじゃ……儂のせいで、エリーは……!!」
「……ユーミア」
「……ぅ、ぁ……?」

俺は立ち上がって、そっとその頭に手を置いた。エリーの為に泣いてくれたこの小さくも立派な長に、何かしてあげたかったから。

「ありがとよ。おかげでエリーの事、大体理解できた気がするぜ。他の誰でもねぇ、ユーミアのおかげだ」
「う、うぅっ……!!」
「あー、泣くんじゃねぇって……」
「ぅぅ、っ……!?ぁ……ふにゅう……」

見上げた顔が余計に涙を流していたので、せめてもの抵抗にくしゃりと頭を撫でてやる。
……しおれた耳と赤い髪の感触が妙に心地よかった。そこは、小さくても魔物娘だ。

何往復か繰り返すと、心地よさそうな表情になってくれた。
そこで、俺はそっと小さな山羊に耳打ちする。

「……なぁ。ここは俺に、任せてくれねぇか」
「……はっ!?っと、え……?」
「起きるまでの面倒は俺が見てやるよ。だから、てめぇは職務に戻ってな」
「そ、その必要は、ないのじゃ!!こ、今度はあとす、数時間も経てば、目覚めるじゃろうし……きゃ、客人にご迷惑を、かける訳には……!!」
「わりぃな、そういう事じゃねぇんだ」

ビクッと、俺を見るユーミアの体が一瞬震えた。

「る……ルベ、ル……?」
「……言いたい事ができた。だから、二人っきりで話をさせてくれ」

できるだけ、平静を装って話したつもりだったのだが。
ユーミアの目に俺は、どのように見えていたのだろう。







〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

その眠りから覚めた直後は、いつだって空虚な気持ちになる。

強制的に眠らされた時の私は、夢というものを一切見ないからだ。だから目が覚めた時にはいつも、眠る前よりすごく時間が経っていて。それはまるで、私だけ世界に取り残されたかのようで……何度かの経験があっても、慣れるものではない。

夢と言うのは、脳が記憶を整理する為の、脳の活動時間だ。しかし、脳に極端に負担がかかった時、ワーシープの魔力は脳を休ませる為に脳の活動そのものを休止させる。
私が魔術を行使する時、下手をすればそれだけの必要がある程の負担をかけてしまっているのだ。だからこそ、私の体にこの陣が刻まれてからというものの、私は自分に負担をかけないよう細心の注意を払っていた。いた、のだけれど……あの日、杖を失ってからというものの負担がかかる一方だった。
数日は寝て休んだから大丈夫だろう、と高をくくってサバトに戻ってきてこの様だ。
手に熱を集める魔術を一回使っただけで、倒れてしまうなんて……最も、杖さえあれば『ふぁいあーすとらいく』ぐらいは放てる魔力を使ったのだけれど。

ともかく、脳の疲れを和らげる薬を回収してさっさと引き上げるという当初のもくろみは完全に失敗したと言っていいのだろう。

開けたばかりの瞳に、彼が私を見下ろしている姿が映る。
この時、一目見て私は直感で悟った。



……ばれてしまったのだ、と。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「お、にいちゃ……」

ユーミアの言うとおり、エリーはあれから一、二時間といったところで目を覚ました。
今度も、エリーの記憶に問題はないようだ。勿論、その為に眠らせるという措置をとっているんだろうが。

ゆっくりと上半身を起こして、辺りを確認するエリー。

「エリーの……お部屋……?」
「あぁ。またてめぇぶっ倒れたからな、ユーミアと二人で運ばせてもらった」
「……そう、なんだ」

寝起きで意識がはっきりしてないというのもあるだろう。だが、それにしたってどことなく返事が暗い。
……薄々、感づいているのかもしれない。ユーミアから、エリーの話を聞いた事を。
このまま、何も言わないでいた方がいいかもしれないと思った。言いたくないなら聞かない、と言っておきながら無断で人の秘密に踏み込んだのだから。

けれども……黙っている事の方が、耐えられない気がして。

「……わりぃ。お前の倒れた理由、寝てる間にユーミアから全部聞かせてもらった。ついでにお前が魔力を自力で生成出来る事とか、口調の事とか……妊娠できねぇ可能性がある、とか」
「……そっか」

酷い言葉をぶつけられるかもしれない。そう、覚悟しての告白だったのに……返された言葉は、とても素っ気なくて。

「……怒らねぇ、のか?」
「うん。何かね、そんな気がしてたの。お兄ちゃんなら……きっと、聞いちゃうかなぁって」

あはは、と乾いた笑いを見せて。
エリーは、諦めが混じった溜息を一つ吐き出す。

「お兄ちゃんこそ……がっかりした、かな?お嫁さんになるなんて言ってたのに、エリーがこんな……魔物娘なのに、妊娠ができないかもしれない欠陥品だったなんて」

ハラリ、と身に纏われている上着をまくり上げて。
幾重にも絡む陣が刻まれた腹を、エリーは見せつけてきた。

複雑で精巧で、何が描かれているかなど相変わらず俺にはさっぱりわからない。
けれど、何重にも描かれたラインが。埋め尽くすようにあちこちに刻まれた文字が。
最初は禍々しい、と思えたそれが……今ではなぜだか、悪いものには見えなくて。

「……がっかりなんて、する訳ねぇだろ」

だから、俺はそう言ってやる事にした。

「てめぇはそれを望んで腹に刻んだんだろ?だったら、それは俺が今どうこう言った所で変わるもんじゃねぇ。そりゃ驚きはしたけどよ、それはてめぇの問題であって俺の問題じゃねぇ。色々てめぇには驚かされてきたんだ、今更こんなんで一々印象が変わったりなんかしねぇよ」

俺はそう言いながら椅子から立ち上がった。
エリーの事を見下ろす姿勢になって、何故か立ち上がった俺を不思議がるエリーの表情が分かって。

「――けどなぁ。ユーミアはよぉ……そんなてめぇの事を心配して、泣いてたぞ」

……そう。『魔法陣の事について』は、がっかりしていない。

「エリーが通り魔になった原因は自分にもある、って言って……何の責任もない癖に、てめぇの事を心配してたぞ!!」

ベッドに自分の手を、叩きつける。
かがむ形になった俺の顔と、エリーの顔が間近になって。
それでも、エリーは動じなかった。だから……俺は、躊躇わなかった。

「あいつがどれだけてめぇの事を考えてるのか、分からない訳じゃねぇだろ!?なのに、あいつがちょっと自分の意にそぐわないからって毛嫌いか!?魔術の勉強ってのは、サバトの長の気持ちよりも大事なもんだってのか!?何様のつもりなんだ、てめぇは……!!」

自分の感情を、思いっきり乗せて叫ぶ。相手の事など考えない、八つ当たりに近い行為だ。
それでも俺は、コイツに対する怒りだけはどうしても抑えられなかった。

冒険者として、誰かの為に役立つ事を喜んでいたコイツが。人の笑顔を見て、自分も笑顔を浮かべていたコイツが。
自分を想って行動してくれる事を知りながら、そいつを傷つける……そんな姿など、信じたくはなかったから。

「そりゃ、あいつは話しててイライラすんのは否定しねぇよ!!けどなぁ、だからってあそこまで……!!」
「……ごめん」

小さく聞こえてきたのは謝罪の言葉、……では、ない。それは、冷たい拒絶の言葉。
エリーを見れば、それがすぐに分かった。俺が怒鳴りだしても、手を叩きつけても……コイツは無表情のままで。一切動じる気配が、なかったのだから。

「お兄ちゃんの言うこと、わかるよ。エリーはユーミアに酷い事してるし、それは悪い事なんだと思う。けど……ごめんね。どうしても、あいつの事だけは嫌いなの。あいつの事……どうしても、許せないの……」

淡々とした言葉。だけれども、それだけに重みが感じられて。
俺にはどうしようもない事がわかって、熱が収まっていく。

「……何か、あったのか。てめぇが魔女になる前……てめぇが、人間だった頃」

冷えた頭で一つだけ、確信できた事があった。

「さっきも言ったけどよ、てめぇは人の気持ちがわからない訳じゃねぇ。わかった上で、それでも許せねぇ……そんな、何かが。魔術に執着するような何かが、あったからじゃねぇのか」
「………………」

その無言は、きっと肯定の意味だったのだろう。少なくとも、俺にはそう思えた。

思えたから、俺はもう一歩踏み込んだ。

「何があった。お前が魔女になるまでの、数十年間に……」

「………………」

そこからの時間は、長く感じられた。

エリーがもう一度だけ、溜息をついて……その返事を、口にするまで。

「…………うん。わかった。全部、話すよ。エリーの半生……人間だった頃の事、ぜーんぶ」
「……いいのか?」

不思議と、自分の言葉にはサバトに連れていってもらえた時のような驚きはこもっていなかった。もしかしたら、俺はユーミアから話を聞いてからずっとこのつもりだったのかもしれない。

――――自分が納得できるまで、何度でもエリーを問いただすと。

「うん。この陣の事もばれちゃったから、もういいかなって……それにね。お兄ちゃんになら、いいかなって思ったの。エリーの全部、見せても……」

この先は、レーミエだって知らないんだよ。
エリーはそう微笑んで、語り出す。

「じゃあ、始めるよ。

これはね、反魔物領のある貴族のお話なんだけどね―――」

16/06/26 22:58更新 / たんがん
戻る 次へ

■作者メッセージ

【レーミエ=ソーヴェング】
ユーミアの母親にして、「メタサバト」先代の長。
魔王代替わり世代から生きている長寿な魔物で、属性にこだわらず様々な魔術を使いこなすエキスパート。離れた空間同士を繋ぎ合わせる「空間魔術」を得意分野としている。

なお、娘と比べると性格は遥かに自由奔放。好奇心だけで反魔物領に単身忍びこんだ経験もある。

【後書き】

どうも、お久しぶりにならずに済んだたんがんです。

ユーミアさんのキャラクター像はこのお話を書き始めた頃から考えていた設定だったので、ようやくお披露目できて嬉しい限りです。
ほとんど説明するだけの回というのは初めてだったのですが、いかがだったのでしょうか。個人的にはなんか長期連載っぽくてやれてよかったとは思っているのですが。

次回は、もう一歩エリーへと踏み込む物語。エリーが語る過去を、ルベルは果たして抱える事ができるのか。

次回のお話も、大体一週間程度で更新予定です。

それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33