連載小説
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第八話 旅はしなくともどのみち道連れ


〜〜〜〜〜〜〜〜〜

自分の過ちに気がついたのは、今朝の事。

この杖じゃ……足りない。

杖が魔術師に行う機能は、主に二つ。
荒れ狂う魔力を正しく扱えるようにする『制御』と、少ない魔力でも大きな魔術を出せるようにする『増幅』。
この二つは、杖の中では対極に位置している。

制御に重点を置いた杖では増幅は余り行われないし、その逆もまた然り。

この杖は、前の杖に比べて……増幅が、圧倒的に足りていない。

彼が意図したのかはわからないけれど、これは恐らく入門用に使われる類の杖だ。

貰った時、初めての贈り物に浮かれて気付かなかった自分が情けなくて、恥ずかしくて。
自分は何故、あの男といるだけで何も考えられなくなってしまうのだろう。
あと一ヶ月は、一緒にいないといけないというのに。

……試すしか、ない。

この杖の増幅力が、前の杖にどれだけ近いのかを。

それでもし、予想よりも下回っていたら……?

……考え、たくない。
大丈夫……今まで、大事になったことなんてないもの……

『あれ』がなくても、杖が変わったぐらいなら……

〜〜〜〜〜〜〜〜〜


広大な海が、目の前にあった。
エリーみてぇに小さなガキどころか、俺でさえも容易く飲み込んでしまいそうな海。
青く光る水面、そこに反射する朝焼けの煌めき。

ここはグランデムの隣町であるカティナトの港。
海を睨むようにして……エリーが、杖を握る。

先端に付いた赤い宝石と、棒の部分に巻かれたリボンが特徴的な杖。
それを強く握りしめて、エリーはくるりと杖ごと体を捻った。

「『ふぁいあーすとらいく』!!」

昨日マユちゃんを捕まえるのに使った、炎の名前を叫ぶ。
大きく振られた杖の先から迸るのは、杖のように紅いエリーの炎……!!

ぽんっ。

……だと思っていたら、出てきたのは酷くちっちぇえ炎だった。
手の平よりも小さく見えるそれは、ひゅるひゅると不規則な軌道を描いたかと思うと、海に届くより先に消えてしまっていた。

「あ……」
「おいおい、失敗かぁ?らしくねぇじゃねぇか」

あの魔術馬鹿とでも呼ぶべきエリーが魔術を失敗するなんぞ、たった数日の付き合いと言えどこれで初めてだ。
行く前に練習したいなんぞと言い出すから何でかと思えば……魔女っつーのは杖を変えると調子悪くなるもんなのか?

「え、えっと……うぅん、大丈夫だよ!!今度こそ……!!『ふぁいあーすとらいく』!!」

もう一度、やや焦ったような様子のエリーが海に向けて杖を振るう。
チリチリと焼け付くような熱と共に、今度こそ大きな炎の玉が海へ向かって放たれていった。

「ほらね、できたよお兄ちゃん!!」
「おぉ……調子、悪くねぇならいいんだけどよ。それにしてもそのリボン、取らなくていいのかよ?」

俺はそこで、エリーの杖、その棒の部分に巻かれたリボンを指差す。
元はと言えば、プレゼント用だからと言ってリラちゃんが巻きつけてくれたものだ。
見栄えがいいのは確かだが、ヒラヒラし過ぎても邪魔になるだけじゃねぇか……?

「うん!!お兄ちゃんが、エリーの為にくれたものだもん!!」
「……そうかい」

……まぁ、強制するような事でもねぇか。

「うっし、じゃあそろそろ行くか。気合、入れていけよ?今日の任務は……護衛任務だ」



護衛。
非力な旅人や商人達が自分の身を守る為に雇う、荒事を担当された人間の事。
金の為なら危険な依頼だろうと引き受ける冒険者には当然、この手の任務はよく舞い込んでくる。
ただし、どれだけの危険があるか正確には見積もり辛い上に、達成するには長期間かかる事が多い任務でもある。
そのために、親魔物領グランデムにある冒険者ギルドでは、大抵が二人以上の人間でないとこの依頼を引き受けられないようになっていた。

今回俺がこの任務を受けた理由は二つある。
一つは、俺は今まで誰かと任務をしようとしたことがなかったせいで、護衛任務を引き受けた事がない。
だからこそ、エリーという連れがいる今の内にやってしまいたかったということ。
そして、もう一つにして最大の理由が……こういう任務なら、四六時中エリーといたところでごく自然な展開だと言うことだ。
しかも今回の依頼はかなりの遠くの街まで進む予定なので、グランデムに帰って来る頃には監視期間の一ヶ月は過ぎていることだろう。
大方、俺に同棲を提案したブラウのおっさんは俺とエリーが甘い同居生活でもする様を面白おかしく眺めようっていう魂胆もあったのだろうが……残念だったな、そうはいくかっての。

そんなことを考え、上機嫌になっていた俺がエリーの方を見やると……エリーは、何故か俯いていた。

「……やっぱり……」
「……?エリー?」
「え?あ、う、うん!!エリー、今日は頑張っちゃうよー!!」

沈んでいるように見えたのは、一瞬のこと。
そんな風にして、エリーはいつも通りのテンションに戻ったように感じたから、その時の俺はそこまで気にも留めなかった。

……まさか帽子の下でエリーが深刻な表情を浮かべているなんぞ、考えもしなかったから。



「うわっ、ルベル?何か、ひっさしぶりに見た気がするわ……」
「顔合わせて第一声が『うわっ』かよ……」

カティナトのギルドの受付で、たかだか一週間程度来なかっただけで随分とマスターは大げさに驚いていた。
……まぁ、実は俺もそんな気がしてたんだよな。

「仕方ねぇだろうが。こちとら、何日も病院で寝転んでたんだぞ。来れる訳ねぇだろ」
「いや、それもあるんだけど……何でかね、あんたとはずっと会ってなかった気がするのよ。具体的には、一年と四ヶ月ぐらい……」
「はぁ?何だその具体的な数字は?」

なのに、言われて見ればそんな気がするような……何だこの妙な気分。

「……まぁ、いいわ。その子がエリーちゃん?話は聞いてるわよ」

そこでマスターは、カウンター越しにエリーの姿を覗き込む。

「え、エリーの事知ってるの……?」
「昨日の事までしっかり、ね。私としちゃあ、きちんと働いてくれるなら文句なんて別にないわよ」

事情の全てを把握しても尚、さっぱりとしたマスターの発言。
少しビクビクとしていたエリーだったが、悪意が無いことがわかるとすぐにその頬を緩ませた。

「……うん!!エリー、頑張る!!」
「そう。じゃ、準備は良さそうだし……頑張ってね、お二人さん。依頼人の方、外で待ってるわよ」

ひらひらと、少しにやけた笑みをこぼしながら俺達を追い出すようにマスターは手を振る。
ドライなクセに判断はやたら的確な、カティナトの街のギルドを影から支える受付嬢。
こういうところで、マスターは優秀な人材なのだろうと実感する。
……女らしさはかけらもねぇけどな。

「くだらないこと考えてないでさっさと行きなさい、女たらしのアホ」
「心読んでるんじゃねぇよ……」

最後にどうでもいいやりとりをかわして、俺達はギルドを出る。
マスターの言うとおり、カティナトのギルドを出てすぐの路地に誰かを待っているような人が二人程いた。
正確には、男が一人と魔物が一人。
男の方も魔物の方も、俺とさほど年齢が離れているようには見えない。
食べ物やら毛皮やら、荷物が大量に乗った馬車の前でこちらの方をうかがっているのだから、ほぼ間違いないだろう。
俺達がそこへ近づくと、魔物の方から先に挨拶をしてくれた。

「お、あんた達が引き受けてくれた冒険者さんっすか。今日はよろしく頼むっす」

……ん?
何だ、このデジャブみてぇな感じ……ってゆうか。

「あれ……ミクコ?ねぇねぇ、本屋はどうしたの?」

そうだ、昨日本屋で会った刑部狸のミクコちゃんだ。
本屋のエプロンを着けた昨日の姿はどこへやら、今では完全に旅をするための身軽そうな服に身を包んでいる。

「……あー、なるほど。そういうことっすか」

何かがわかったのか、うんうんと頷く彼女は口調まで完全に一緒だ。

「いやー、本を売るのにも飽きちゃったんすよ。それで、今日からアタシは旅に出て商売を始めようと思ってたんっす。それがまさか、旅の初日から常連さんが護衛とは……こんなに嬉しい話もないっすね」
「えぇ!?ミクコ、本屋もう止めちゃったの!?それホント!?」
「はい、嘘っすよ」
「へ……え?」

嘘を信じ込んで大げさなリアクションで驚くエリーに、しれっとミクコちゃん……もとい、恐らく他人の空似であろう少女は言ってのける。
その隣からは、半ば諦めに近い大きな溜息が聞こえてきた。

「はぁ。ヤエコはまた、人をからかって……」
「いやー、面白そうだったんでつい。すいませんっす、冒険者の方。アタシは未久子じゃなくて、八重子って言うもんっす。未久子はアタシの双子の妹なんっすよ」
「え、じゃあ……騙したの!?酷いよー!!」

ぷんぷんと抗議するエリーだが、俺としてはこんなの騙される方がわりぃと思う。
この街、隣街のカティナトだろうが。昨日グランデムに居た子が、わざわざこっち来てまで依頼申し込む理由ねぇだろ。

「双子って珍しいな。魔物って言うのは、出生率極端に低いって聞いてたけどよ」
「それなんすけどね。アタシ達の母さんはかなりアグレッシブな魔物で、昔に触手の森の最深部まで行ってきちゃったらしいんすよ」
「最深部って……そりゃまたすげぇな」

触手の森っつったら、木の代わりに魔物の精気をいただく触手が大量に生えてる森の事だ。
なんでも、その一番奥にはどんな魔物でも一発で子供を授かれる魔力を宿した、子宝宝樹っつー木が生えてるとかなんとか。
けど並の魔物じゃ、触手の快楽に骨抜きにされちまって大半が最深部に行く前にリタイアするって話だが……

「それは勿論大冒険だった訳で、木の前に辿り着く頃にはへっとへと。疲れた母さんはその分も精をたっぷりいただく為に父さんとひたすらハッスルを繰り返し……その結果、アタシ達双子姉妹が産まれたって訳っすね」
「あぁ……そりゃ、二人も産まれるわな……」

大体の魔物にとって精なんてのは、食べるだけで腹も膨れて疲れも取れる反則級アイテムな訳で。
疲れた魔物の前に旦那がいたら、さぞかし極上の餌だったことだろう。

「ま、そんな話はさておきだ。僕の名前はヒューイ=ボロート。で、こっちが妻のヤエコ=ボロート。しばらくはよろしく頼むよ、冒険者さん達」
「俺はルベルクス=リークだ。で、こっちのちっこいのが……」
「エリーネラ=レンカートだよー!!こっちこそよろしくねー!!」

そこに連れの男ことヒューイが挨拶をして、俺達は順調に互いの自己紹介を終えた。

……これは中々、楽しい旅になりそうじゃねぇか。

この時の俺は、これから先の事も知らずに呑気にそんな事を考えていた。

「あ、そういえば……ねぇねぇ、お兄ちゃん!!」
「「……ん?」」

その返事は、ほぼ同時に出ていた。
俺の口と、ヒューイの口。
二人が同時に話しかけられている訳でもないのだから、当然俺達のどちらかは間違えている。
エリーの手がヒューイの服の裾を掴んでいることから、恐らく間違えているのは俺のようだった。

「あ、今呼んだのはお兄ちゃんの方じゃなくて……!!えと、お兄ちゃんじゃなくて、お兄ちゃん!!お、おに、お兄ちゃ……!!」
「おい、落ち着け!!」
「えぇと……!!あぁう……」

テンパったエリーが訳の分からない事を言い始めたので、暴走を始める前に止める。
俺の言葉で我に返ったのか、あわあわとしていたエリーはうつむいてしまう。

「あ、あのね……いつものお兄ちゃんじゃなくて、こっちのお兄ちゃんに質問があるんだけど……」
「こっちの……って事は僕か。何の用だい?」

全く、紛らわしい言い方しやがって……少しぐらい名前で呼べっつーの。
お兄ちゃんなんて呼ばれるのは、俺一人だけしか……

「…………おい」

そこまで考えて、急に自分の考えている事がどれだけ恐ろしいか気付かされた。
俺……こいつにお兄ちゃんって呼ばれることが、当たり前だと思ってんのか……!?

……いやいや待て待て!!
そうだ、こいつがあんまりにお兄ちゃんお兄ちゃん言いやがるからつい習慣になっちまっただけだ!!

魔女としてコイツの『お兄ちゃん』になりてぇなんぞ、思う訳……!!

そんな風に、頭の中で一人悶絶していたからだろう。
次のエリーの言葉に、対処が遅れたのは。



「ねぇねぇ……どうしてこの馬車、こんなにちっちゃいの?」



……ピシリ。
その時確かに、空気が凍り付く音が聞こえた。



馬車の荷台と言うのは、予想以上に快適なものだった。
揺られはするがそれでもゆったり腰を落ち着けるぐらいはできるし、慣れてくれば楽しむぐらいの余裕は出てくる。
馬車に乗ったのは随分と久しぶりだが、乗り心地は中々いい。
海沿いの道だけあって風は気持ちいいし、快晴を映し出す海からはカモメの鳴き声も聞こえてくる。

俺たちがいるのは、馬車の上。
とはいえ馬を操る人間達が乗る御者台ではなく、その後ろの荷台の方だ。
俺たちが荷物を置いても座れる最低限のスペースを、今回の依頼のために確保させてもらっている。
だから今、この馬車には荷台と御者台に人がいるわけで。
本来想定外の荷物である俺達を含めて、四人もいる大所帯な訳だが…………

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

……気まずさしか、ねぇ。
前の方で馬車に揺られるミクコちゃんは、会ったばかりの頃の弁舌が嘘のよう。
旦那であるヒューイにもたれかかって、馬車を操縦する様をぼんやりと眺めている。
ヒューイの方も言葉はなく、黙々と馬の手綱を操っているだけだ。
二人を、荷台の方から眺めている俺達。
エリーの方はと言えば暇つぶし用の本にひたすら没頭するフリをしながらチラチラと様子を見ている。
……本が逆さになってる時点で、見てねぇのバレバレだと思うんだが。

カティナトの街から北に道に沿って出発して、数時間。
その間、俺達の間には事務的な会話すらほぼなかった。

エリーの失言は、勿論その場でエリー共々頭を下げた。
何が問題なのかわかっていねぇ様子だったエリーの頭を無理矢理ひっ掴んで、だが。

それに対し、ヒューイの返しはなんともありがてぇものだった。
別に気にしなくていい、それぐらい自覚している、と。
ただ、その台詞を額面通り受け取れるような状況ではないことは、尋常ではないヤエコちゃんの頬の膨らませっぷりで嫌と言うほどよくわかった。

それからの状況はまぁ……他に何があるわけでもなく、今に至るわけで。
最初の方こそエリーがいつも通り無邪気にわからない事を尋ねたりしていたのだが、あまりに無愛想な返事が繰り返される内にエリーの心は折れたようだった。
具体的には、こんな感じで。

『ねぇねぇヤエコー、これなぁに?』
『……よくわかんないっす』
『そうなの?じゃあ、これは?』
『……干し肉っすね』
『ほしにく……ねぇねぇ、ほしにくって何に使うの!?』
『……干した肉っす』
『あ、そうなんだ……』
『…………』
『…………』
『えと、ありがとう……』
『…………』

……まぁ、今回に関して言えばよく頑張った方だ。少なくとも、一言も発していない俺よりはマシであろう。

盗賊共がやってくれば体を動かして気分を切り替えるぐれぇはできたのだろうが、今日に限ってこの道はどこまでも平和な状態を保っていた。

とはいえ、それもしょうがねぇことだ。
駆け出し冒険者のエリーと俺の、たった二人でやることが許可されるような依頼なのだ。
いくらなんでも、荒くれ者共がたっぷりいるような道を通過するようなルートの訳がない。

くっそ、せめて依頼に対する姿勢ぐれぇ見せられればまだ挽回のチャンスはあったものを……!!

世の中にはただの護衛依頼と割り切り、ろくに依頼人と会話をしない奴もいるらしいが……俺は、そんな風に割り切りたくはねぇ。
せっかく知り合った関係なのだ、ヤエコちゃんが既婚だろうとそんなこたぁ関係なく仲良くしたい。

ただし、無情にもこの状況をすぐにでも打開できるような策があるわけでもなく……今は、日が暮れる直前。
ようやく地平線の向こうに街が見えてきたというのに、無言のまま馬車はゆっくりと進んでいくのだった……


「それじゃあ、僕達はここで……また明日、午前10時頃にここまで戻ってきてください」
「あぁ、わかった……じゃあ、また明日な」
「…………」

往来に、人が行き交う街の路地の中。
最後にそんな会話だけをヒューイとして、夜の街で俺達は一旦別れる。
ヤエコちゃんの方は終始仏頂面を崩さずに、目すら合わせてはくれなかった。
何かしらの商売を行うのであろう建物に馬車が入り、すぐさまその姿は見えなくなった。

「……っかー」

ヒューイとヤエコちゃんの姿が見えなくなった瞬間、憑き物が落ちたかのように体が軽くなったような気がした。
両手を空に伸ばして、固まった体をほぐす。

……彼等に対して失礼なのはわかってるが、どうしても我慢ができなかった。

「あうぅ……お兄ちゃん、ごめんなさい……」

隣のエリーは沈んだ調子で俺に謝ってくる。

「はっ。そんなん、今更だってーの。何も言うことなんざねぇよ」
「……本当?」
「あぁ。……怒ってはいるけどな?」
「……あぅ」

確かにふざけんな!!という気持ちが今でもねぇこともねぇが、それを今ここでこいつにぶつけたところでしょうがねぇ。
起きてしまった事は、変えられねぇんだ。だったら、今はそれよりも先にすべきことがある。

「ただ、それよか現状を何とかする方が先だ。だからよ、その代わりにてめぇも一緒に考えろ。何とかして、明日中にヤエコちゃんやヒューイともっかい普通に喋れるように……作戦、考えるぞ」

結局、今日一日では二人がかりでも何も思いつかなかった。
だったら、夜を使ってでも考えるしかねぇよな。

「うん、わかった!!つまり、仲直り大作戦って事だよね!!」
「そうゆうこった。幸い街なら、色んなもんが買えるだろうしな。言っておくが……夜だからって、寝かせる気はねぇぞ?」
「うん!!エリーのせいだもん、エリーが頑張らないと!!」
「よし、その意気だ。……何が何でも仲直りすんぞ!!」
「おー!!」

かくして俺とエリーによる、第一回仲直り大作戦が幕を開けたのだった。



「おい、エリー。てめぇ、目ぇ離した隙にどこ行ってやがった……」
「えへへー、秘密!!大丈夫、明日は絶対なんとかなるから!!」
「おい、何言ってんだてめぇ!!いっちょまえに隠してんじゃねぇよ、全く……」

……早くも不安だが、大丈夫だろうか。



翌日。
馬車に揺られる俺達の間には、相変わらず会話らしい会話が存在しない。
そのせいか、昨日は心地よかった海から吹き付けてくる風が、寒々しくすら感じてくる。
昨日までは何もできなかった俺達だが……今日は違ぇ!!
早速、作戦その一から決行だ……頼んだぜ、エリー!!

【作戦その1】

「うわぁっ!!」

エリーの叫び声が、響き渡る。
流石にそれを無視はできなかったのか、前の二人が同時に振り向いた。

しかし、馬車の運転を放棄する訳にもいかないヒューイの方はすぐに前の方へと戻る。
結果的に、ヤエコちゃんだけの注意を引くことになった。

……しかし、良い作戦ではあるだろう。
根が深そうなのは、どう見てもヒューイよりヤエコちゃんの方だ。

二人同時にやろうとするより、一人ずつ解消していった方がいいだろう。

けど、一体なんだ?
あの、持ってる花みてぇな奴……

「……どうしたんすか、それ?」
「これなんだけどね、ちょっと見てて!!」

ヤエコちゃんも意味がわからなかったようで、首を傾げながらも近づいていく。
それを見つめるエリーの表情にはどことなく、自信が籠もってるような気がする。

……こいつがそういう顔したときって、大抵ろくなことにならなかったような……

俺の嫌な予感を余所に、エリーは花弁を手で押さえ込む。

「……っはい!!見て見て、花の色が一瞬で変わったよ!!」

ただの手品かよぉぉぉぉ!!
てめぇ、もっとすげぇ魔術いくらでも使えるだろうがぁぁぁぁ!!

「…………」

ぷいっ、とヤエコちゃんの目が完全にこちらへの興味を失ってしまう。

「な、なんでぇ!?」
「あったりめぇだろうがアホぉ!!ってか何でてめぇはそんな自信満々だったんだよ!?」

荷台に戻ってきたエリーに、叫ばずにはいられなかった。

「だって、昨日エリーがこれ見た時つい足止めちゃうぐらい面白かったんだよ!?同じ手品ができるって言うからこの『手品キット』っていうのも買って、一晩中練習したのに……」
「もっと有益に時間使えやぁぁぁぁ!!」

下手に宿の部屋を分けたのが失敗だったか……何してんだこいつは。

「……まぁ、そんぐれぇはいい。で、次の作戦は?まさかてめぇ、あの手品だけに全てを賭けてたなんてこたぁ……あー、もういい」

……返事を聞かずとも、エリーの青くなった顔が全てを物語っていた。

こうして、エリーの作戦は無惨に失敗。
全ては、俺の作戦に委ねられるのだった。

【作戦その1:失敗】



【作戦その2】

「まぁ、てめぇの着眼点の良さは認めてやるよ。二人いっぺんじゃなく、一人ずつ落としていった方がいいってのはな」
「うぅ……じゃあ、お兄ちゃんはどうするの?」
「聞いて驚くなよ?……こいつだ!!」

荷物の中から取りだしたそれを、エリーに見せつける。

「……トランプ?」

そう、誰もが知っている簡単な遊び、トランプカードだ。
誰もが知っている、だからこそこれは切り札に成り得る。

「あぁ……ヤエコちゃーん、暇だし一緒にトランプでもやろうぜぇ!!」

簡単に楽しめるのだから、当然その良さは知っているはずだ。
勝つとか負けるとかじゃなく、まずは相手を楽しませる所から始めれば……!!

「……あんた、何言ってんすか?そんな事言ってる暇あるなら、護衛の方をちゃんとやって欲しいんすけど」

……びっくりするぐれぇの一刀両断だった。
しかもそれが正論で、思わず手に持ったカードを落としそうになる。

「お、お兄ちゃん……」
「だ、大丈夫だエリー……俺達の作戦は、これからだ……」

ただ、少なくともこの作戦はもう使い物にならない事だけは確定事項のようだった……

【作戦その2:失敗】



【作戦その3】

「ねぇねぇお兄ちゃん、次の作戦っていつなの?あれから、結構時間経っちゃってるけど……」

第二の作戦失敗から、早二時間ほど。
日は一番高い所に到着し、午後が始まったばかりの時間だった。
その間も結局一言も喋らなかったんだから、エリーが焦るのも無理はねぇ。

「あぁ、大丈夫だ。無理して作り出す事だけが、きっかけじゃねぇんだよ」

だから、そう言ってやることにする。
そう、自分から突然話しかけたって警戒されるのは当然なんだ。
だったら、依頼人と護衛という立場から考えて、最も自然なタイミングで声をかけりゃあいい。
そこに、更に俺達を見直すような要素を加えれば……!!

「……ううっ」
「ヒューイ?どうしたんすか?」

……来たか?

「いや……ちょっと、寒いなと思ってね。少し、薄着し過ぎたかな?」

よっしゃ来たぁ!!

海沿いの道は風が強いから、肌も冷えやすいだろう。
こんなこともあろうかと、二人分の毛布を買っておいたかいがあったぜ!!

さぁ出番だぜ毛布、ここで俺が優しくヒューイに差し出してやれば話の起点に……!!

「そんなこと言うだろうと思って、私が昨日の内に買ってきたっす。ほら、一緒にくるまるっす」
「あぁ、ありがとう。それじゃ、お言葉に甘えて……」

……流石形部狸、準備が良すぎる。

「やっぱり、ヤエコの傍はあったかいね。この心地よさ……クセになっちゃいそうだ」
「そのまま私に溺れるがいいっす。私だって……ヒューイがいてくれると、ホッとするんすから」

完全に二人だけの空間形成しちまったしよぉ……

何これ?俺ら、いねぇもんとして扱われてね?むしろ邪魔じゃね?

「お兄ちゃーん、エリー達もあれやろー!!ちょうどここに毛布もあるよ!!」
「気楽でいいなてめぇはよぉ!!」

……だ、大丈夫だ。
何も、毛布だけを買ってきたわけじゃねぇ。
突発的な雨に降られた時の為の傘、いつ怪我をしても大丈夫なように傷薬、小腹が減った時の為の携帯食料……

……空は快晴だから傘は期待できねぇ、携帯食料は持ってたってオチがついて、二つは潰れた。

だが、まだ俺の作戦は、完全に詰んだ訳じゃねぇ……!!

「お兄ちゃんそれ、傷薬?でも……馬車の上って、いつ怪我するの?」

……はい、詰んだ。
あぁ、怪我する余地もねぇすっげぇ快適な乗り心地だよチクショウ……

【作戦その3:失敗】



【作戦その4】

いくらこの道が安全な部類に入る道でも、全く危険がないようだったらそもそも俺達なんぞは雇われる意味がない。
昨日は偶々いなかっただけで、本来ならばいつ襲来されてもおかしくないのだ。
だからこそ、待ってりゃいつか盗賊はやってくるわけで。
依頼人に真摯な態度を見せつける機会としては、格好のものだ。

だから、不謹慎だが盗賊さえ来てくれりゃあどんなに酷くても多少は態度も改善するだろう。

……そう、思っていたのだが。

「……弱ぇ」
「ひっ!!スイマセンスイマセン、もうしません!!」

最初は「げっひゃっひゃ、黙って積み荷を全部よこせぇ!!」だの威勢よくやってきた盗賊達も、即効でこの様だ。
え、何したかって?

1:相手の武器の構え方が素人な事を見抜く
2:振りかぶってきた相手の斧めがけてわざと剣をぶつけてやる
3:おもいっきり斧が明後日の方向に吹っ飛ぶ

……以上。
せめて、もうちょい粘ってくれねぇとやりがいねぇっつーか……

「『こーてぃんぐ』!!」
「んがっ……!?しまっ、ナイフが……!!」
「『ふぁいあーすとらいく』!!」
「うぎゃぁぁぁぁ!!」

向こうでは、リーダーらしき男が敗れたというのに他の奴がまだ未練がましくエリーを狙っていたようだ。
まぁ、心配する必要はねぇなあれ。
どうやら自分の周りに結界を張って相手の攻撃を防いで、隙ができたところに炎をぶち込んだみてぇだ。
『こーてぃんぐ』って……あぁ、周りに張る結界の魔術にも名前付けたのか。
元から冒険者相手に喧嘩売っては勝っていただけはあって、この程度なら一人でも問題なくこなせるようだ。
エリーの方は、これ以上見なくても大丈夫そうだな。

「…………」

……だからこそ、馬車から冷めた目でこっちを眺めてるヤエコちゃんが気になってしょうがねぇ。
苦戦するより全然いいと思ったんだが……適当にやってると思われているのだろうか。

「……気楽そうでいっすね」

ぼそっと、しかし確実に聞こえる程度に呟くヤエコちゃん。

どうやら、本当に思われていたらしいが……聞き捨てならねぇぞ、今のは流石に。

気楽にやってる訳、ねぇだろうが。
さくっと秒殺したのは、少しでも依頼人に危害が及ばねぇようにするためだ。
それを、感謝するでもなく悪態なんざ……くそ。
エリーならともかく、俺まで悪く言う必要ねぇだろうがよ……

その後出てくる盗賊を見て、ヤエコちゃんの考えが変わるはずもなく。
言うまでもなく、この作戦は失敗。



それも……これ以上作戦を続ける気がなくなる、大失敗もいいところだ。



【作戦その4:失敗】



「……それじゃあ、今夜はお願いしますね」
「あぁ。……任せとけ」

自分の表情に、どこまで真剣味があるのか自信がない。
そんな返事でも一応は信頼してくれたのか、ヒューイとヤエコちゃんは二人で早々に寝袋にくるまって荷台に横になった。

現在時刻は、そろそろ日付が変わろうという夜。
道を外れたところにあった、木々が立ち並ぶ森に少し入ったところで俺たちは野宿をすることにした。
野宿をする時、寝ている間の依頼人の護衛をするのも冒険者の仕事だ。
護衛任務に最低二人が必要になるのも、寝ずの番をさせるわけにもいかねぇから交代ができるようにする為の配慮であるというのが理由の一つである。

だからこそ、夜だろうと気を抜いてはいけないのだが……最悪の気分だ。

依頼人に愛想を尽かされるだけじゃなく、俺まで依頼人の事を嫌いになっちまいそうなんてよ……

けど、依頼を託された以上はキャンセルなんぞしたくねぇ。
そりゃあ、次の街で断れば可能ではあるんだろうが……そんなの、責任を放棄しているのもいいとこだ。
だからこそ、可能な限りは最後まで続けるつもりである。
……まだ、少し苛ついているだけだしな。

「じゃあエリー、とりあえずてめぇは寝とけ。後で起こすからよ」
「う、うん……!!エリー、しっかり体休めるね!!」

寝る前だというのに、エリーは杖を手に取りガッチガチだ。
ことごとく作戦が失敗したところで、こいつはまだ純粋に二人を守ろうとしてくれている。
その真っ直ぐな姿は、俺の肩から程よく力を抜いてくれていた。

……本人に、そんな意図はねぇんだろうけどな。

「おい、そんな緊張する必要もねぇぞ?てめぇの出番なんぞせいぜい二時間ぐれぇだし、それも空が明るくなり始めた辺りからだ。これ、何回も言っただろーが」

これはあらかじめ決めていたことだ。
エリーの時間は少なめに設定して負担を下げて、俺がメインで夜の番を行う。
エリー一人で夜の番なんぞ、想像するだけで不安で仕方ねぇからこれでも大分譲歩している方だ。

「う、うん!!でも……お兄ちゃん、そんなに寝なくて大丈夫なの?」
「昨日はたっぷり寝たし、明日の日が暮れる辺りには街に着くんだからそこで休めるからな。それに、俺を舐めてるんじゃねぇぞ。たかが一日二日、遅く寝るのぐれぇじゃ倒れねぇよ」
「そう、だけど……ふぁぁ……エリー、昨日やってみた時、実際大変だって気付いて……ふぁぁ……」

エリーの言葉の節々に、あくびが漏れ始めている。
昨日は遅くまで起きてたってのもあるんだろうが、まぁ元々がガキの体の魔女だしな。

……そういやこいつ、初めて家に泊めた時もすぐに寝てたんだっけか。

「おら、てめぇ限界だろーが。さっさと寝とけ」
「うみゅう……ゴメン、そうするね……お休み……」

言うが早いが、こてんと頭から力が抜け、あっさりとエリーは寝てしまう。

……さて、こっからはしばらく俺一人の仕事だ。
夜はまだなげぇからな。
火が消えねぇか見てねぇといけねぇし、周囲にも注意を向けないといけねぇ。

それも、今寝ている三人を守りながら……だ。
一瞬たりとも気が抜けねぇな、こりゃ。

それにしても……一人、か。
つい一週間ぐれぇ前まで、それが普通だったのにな。

「すー……くー……」

今じゃ、あのガキが隣にいる現状にすっかり慣れちまってるんだから、人間どうなるかわからねぇもんだ。
この任務をやろうがやるまいが、オッサンのせいでどの道こいつとは一緒にいなければならなかった訳ではあるが。
仮に、それがなかったとしたら……俺は……

「……ったく、物思いにふける暇はねぇってか」

昼間は散々休ませてくれたっつーのに、なんでこうもタイミングがわりぃんだかな……盗賊ってのは。

「わりぃけどよ、これはカマかけじゃなくて確信だからな?ほら……さっさと出てこいよ」

後ろの茂みに向かって、話しかける。

……ガサリ。

茂みが揺れ動く音がして、そこにいた奴が姿を現す。

月明かりの中に表す姿は、周囲の闇と一体化してしまいそうな黒色。
人間でいうところの腕と足に生え揃った、空を軽やかに飛ぶための毛……羽毛。

鳥と人間の混じったような見た目を持つ魔物、ハーピー。
確か……その亜種の、ブラックハーピーだったか?

「あれ、気付いてた?もうちょっと、君の横顔眺めていたかったのに……」

くすくすと笑うその笑顔には、大人の魅力とでも言うべきものが滲み出ていた。

「珍しいな。ハーピーっつったら、夜は活動してねぇもんだと思ってたけどよ」

一言で、彼女の顔を見たときの感想を言おう。
……超、デートしてぇ。

と、口に出したい気持ちを必死にこらえて当たり障りのない事を質問する。

多分だけどよ……俺の予想が当たったら、こいつは……

「それ、偏見もいいところじゃない?大方、鳥だからハーピーは鳥目だ、なんて思ってるのかもしれないけどね……少なくとも私達の群れは、そんな事ないよ。まぁ、私はその群れからはぐれたからここにいるんだけどね」
「群れからはぐれた、か……危なくねぇのか、それ?」
「そんな大げさな事じゃないよ。夜が明けたら、すぐにでも戻れるからね。だから、ちょっと休憩してたんだけど……なに、心配してくれたの?」
「ま、そんなとこだ。俺は冒険者やってるんでな、困ってる人や魔物がいたら放っておけねぇんでな」
「へぇ……困ってたら、助けてくれるんだ……」

……その時、俺は見逃さなかった。
目の前のブラックハーピーが、まるで猛禽類が獲物を見つけたときのような目で舌なめずりをした事を。

「じゃあちょっと、聞いて欲しいお願いがあるんだけど……実は……」
「……先に言っておくと、俺と家族になりてぇってのは却下な」
「私ね、今伴侶が……え?」

……やっぱりか。なんとなく、そう来ると思ったぜ。

「だってよぉ、ブラックハーピーの番になるっつーのはこれから先ずっとその巣にいなきゃいけねぇってことだろ?そんなんやだから、わりぃけどパス。あ、でもデートとかなら大歓迎だぜ?」
「君……ふざけてるの?魔物娘とデートだけして、夫にはならないなんて……そんな冗談、通ると思ってるのかな?」
「通らねぇってんなら、わりぃけどデートもするわけにゃいかねぇな。手間かかるだろうけどよ、他あたってくれ」

こういう相手は、ペースに乗せたら負けだ。
だからこそ、余裕を持った態度で挑発して、幻滅してもらうのが手っ取り早ぇ。

……そう、思ってたんだけどな。

「……面白いね、君。そんなこと言われたら……尚更、ものにしたくなっちゃうよ」

さすが、人間大好き魔物娘……そう簡単に、嫌っても諦めてもくれねぇか。
ったくよぉ、俺渾身の口説き文句じゃ落ちもしねぇってのにこういう時だけ……

「いやぁ……困るんだけどな、それ。ほれ、買ってきた食料あっからそれで勘弁してくんねぇ?」
「それはそれで貰うけど、君は君で貰ってくよ。私達、奪ってなんぼの種族だからね」

……そういや、ブラックハーピーって気性は魔物の中でも凶暴なんだったか。
ウシオニやワームみてぇに周りの物をなぎ倒すって程でもねぇみてぇだが、人間を襲っては食料やら金品やら奪って行くとか。
そのついでに、自分の伴侶となる男のことも。

厄介なのに目ぇつけられたな……こうなったら、しょうがねぇ。

「そこまで言ってくれんのは、男冥利に尽きるってもんだけどよ……俺としちゃ、黙ってはいそうですかと言うわけにゃいかねぇんでな?」

腰に付けた剣を、ブラックハーピーちゃんに突きつける。
少しびくりと震えたが、すぐに彼女は冷静さを取り戻した。

「武器って……それ、魔界銀でしょ?魔物相手に使っても、何の効果もない事は知ってる?」
「わりぃな。俺の街だと魔界銀って品薄なせいで割高でよぉ、中々手に入らなくてな。だから、これだって魔界銀なんて一切使ってねぇぞ?」
「…………っ!!」

流石にこれは効いたらしく、その表情が強張った。
グランデムが田舎な方の街で良かったと、初めて思ったぜ……
つっても、本気で使うつもりなんざねぇがな。こんなん、ただの脅しだ。

「なんで……そこまでして、拒む訳?人間の生活が、そんなに大事?」
「…………」

今度は、俺の方が口を閉ざす番だった。
確かに、この子は魔物だけあって相当な美人だ。
彼女と夫婦になって、その一生を巣の中で暮らす。
それだけでも……幸せではあるのだろう。

……けど。それでも。

「……あぁ。俺は、冒険者って職業を結構気に入ってんだ。それを止めてまで、女の子と一緒にいるっつーのはよ……なんか、違ぇ気がするんだ」

ブラックハーピーは、家族を大切にする種族だ。
一緒に寄り添ってくれるのは、男としても理想の妻って言えるんだろうが……裏を返せば、家族としてずっと巣の中にいなきゃいけねぇ。

だから俺は、その手を取らない。
俺の夢は、俺一人だけが幸せになって手に入るもんじゃねぇんだ。

「それによ……理由なら、もう一つあんぜ。あぁ、こっちが本命みてぇなもんなんだけどな?」

そこで俺は、『あいつ』に向かって親指を突きつける。
杖を抱きながら寝ている、赤い服に身を包んだガキの事を。

「あの馬鹿ガキの面倒見ろって、頼まれてんだ。だからよ……あいつ、見捨てるわけにもいかねぇんだよ」

他の魔物がいるという事実。
そして、自分よりも優先するという言葉。
それが導き出すのは……魔物だったら、一つだよな。

「……そう。君、あの子の事が……」

……おし、勘違いしてくれた。
後はこのまま……

「だったら……君の事は、力ずくで奪わせてもらうよ!!」

そう来たかぁぁぁぁ!!

「もう、君の精の匂いは覚えたからね!!群れに戻ったら、すぐにでも……この私、ブラックハーピーのカーヴィラを選ばなかったこの屈辱、晴らしにきてあげるよ!!」
「ちょっ、おい!!待て……!!」

おい!?しかも、話がまずい方向に向かってきてねぇかこれ!?

「覚えといて!!私は必ず……君のところ、戻ってくるからね!!」

しかし、俺の制止も聞かずに彼女は夜の空へと飛び去っていってしまう。
くそっ、夜でも飛べるっつったのはホントだったか!!

追い掛けていったら間に合うかもしんねぇけど……俺の任務はあくまで護衛、ここを離れるわけにはいかねぇ。

「……くそっ!!」

夜の空に向かって、悪態をつく。

嫌な予感しかしねぇぞチクショウ。
この任務……無事終わると、いいんだけどな……



俺の不安を余所に、時間だけはどんどん過ぎていった。
ぼんやりと燃やされる薪を眺めたり、剣の手入れをしている内に、いつの間にか空が白むところまで時間が経ってしまっていた。

そろそろ、交代の時間だな……

「おい、エリー。時間だぞ、さっさと起きろ」
「むみゅう……?」

ゆさゆさとエリーの体を揺らすと、目を擦りながらもエリーが覚醒する。

「ふぁ……あれ、どうしたのお兄ちゃん……まだ外、暗いよ……」
「寝ぼけてんじゃねぇよ……」

訂正、覚醒にはほど遠い状態だったようだ。

「てめぇの番だろうが、さっさと起きろっつーの」
「エリーの番……あっ!!そ、そっか!!」

そこでようやく完全に目が覚めたらしく、がばっとエリーが杖を抱えて体を起こす。

「こ、これからエリーが一人で頑張るんだよね……うん、わかった」
「だから、んな気張らなくてもいいっての。最悪、俺を起こしゃそれでいい話だろーが。特に、ブラックハーピーが来た時はすぐ起こせ」

もしかしたらカーヴィラちゃんが来るかもしれないので、念の為にそう付け加えておいた。

「でも、それじゃあお兄ちゃんが休めないよ……」

なおも心配そうに俺の事を見上げるエリー。ったく、変なとこで心配性なんだよなこいつ。

「アホか。ぐーすか居眠りこいてる内にめぇに何かあったらどうすんだってーの」
「え……!?お兄ちゃん、それって……!!」
「俺がブラウのオッサンに監督不行き届きとか言われて、てめぇの監査用にもらってる前金もチャラだ。この依頼だってキャンセルしなきゃなんねぇし、良いことなんか一つもねぇよ」
「……あー、うん。エリー、そんな気はしてたよ……」
「……あん?……ま、いい。俺は寝るから、後は頼んだぞ」

慣れてるとは言ったものの、寝られるならできるだけ早く横になりたいのだ。
伝える事は全部伝えたし……まぁ、大丈夫だろ。

「う、うん!!任せて!!」

そんな風に気楽に考えていた俺は、エリーの力強い言葉を信じて静かに目蓋を閉じたのだった……



……バサバサ!!

「…………ひぅ!?」

「な、なんだ……鳥が飛んだだけか……」

「あうう……ちょっと明るくなってきたけど、まだ怖いよぉ……」

「お兄ちゃん、今よりもっと暗いのにずっと起きててくれたんだよね……すごいなぁ……」

「うう……どうしたら、怖くなくなるんだろ……」

「……そうだ!!あれなら……!!」



「……………………」



「よし、と……『あらうんでっど』!!」



〜〜〜〜〜〜〜〜〜

最初に彼と会ったときの自分の第一声は、今でも鮮明に思い出せる。

『ちっちゃい馬車っすねぇ。ボロっちいし、埃かぶってるし……これ、あんたの馬車っすか?』
『いきなりやってきて、随分な言いぐさだなぁ……』

アタシの言葉にもめげないで、彼は苦笑いを浮かべる。

あの頃のアタシは、きっと今よりも拗ねていた。
親と始めて喧嘩して飛び出した、その矢先の事だったから。

発端は、一人での旅を止められた事。
商人としての自分の実力を試したかっただけなのに、予想以上に親の反発を受けて。

お前にはまだ早い、一人でなどできるわけがない。

そんなよくあるセリフでも、続けて言われればアタシの逆鱗に触れるには充分で。
勢いのまま家を飛び出た矢先に見つけた、古い馬車と旅立とうとする商売人の青年。

……アタシにとって、彼はただのはけ口でしかなくて。

『まぁ、否定する気はないよ。こんなの、馬買ったらなくなったお金を何とかやりくりして買った安物だしね』
『馬買った程度でなくなるような元手で、よく商売なんか始めようって思ったっすね。あんた、こういうの向いてないんじゃないんすか?』
『……そうかも、しれないね』
『そうっすよね。だったら……』

彼より少し背の低いアタシは、必然的に見下ろされる姿勢になる。
だからその時のアタシはたたみかけようとして、彼を見上げた。

『でも……それが、諦める理由にはならないだろう?』

それが見えたのは、その時だった。
彼の目に宿る、炎のようなものが、はっきりと。
見えてしまったのだ。

『今はちっちゃくても……これは、夢の第一歩だ。僕はいずれ、この馬車を今よりもずっと大きくしてみせる。刑部狸の君にも、負けないぐらいの商才を身に着けてね』
『いつの話っすか、それ?大した計画もないままそんなこと言われても、それはただの夢物語っすよ?いつかあんた、どっかで必ず挫折するっすよ?』
『夢物語の何が悪いんだい?いいじゃないか、挫折ぐらいしたって。一度しかない人生なんだ。やりたいことをやらないままでいるぐらいだったら……いくらでも、挫折ぐらいは経験してやるさ』

どこまで言葉を重ねても、揺るがないその意志。
それがどこまでも本気な事は、彼の目を見ればよくわかった。

それを見て……アタシは、確信する。

『……あんたみたいな無計画な奴、アタシの一族にはいないっす』
『はは……だろうね。そりゃ、形部狸はみんなしっかりものだろう。僕なんかじゃ、到底真似はできないよ』

アタシが親に止められた理由は、これが足りなかったからだと。
彼こそが、アタシに足りなかった物を埋めてくれるに違いないと。

『でも……見てみたくなったっす。この馬車が、大きくなるところ』
『……え?』

そして……この男こそが、アタシの運命の人なのだと。

『アタシも一緒に連れて欲しいっす。どうか……お願いします』

誰かに頭を下げた、初めての日。
アタシ、八重子が彼――――ヒューイ=ボロートと旅をする事を親から許可されたのは、その日の事だった。




……あの日の事を思い出す理由は、わかっている。
自分の事を護衛してくれているあの子に言われた事が、自分の中で尾を引いているからだ。

ヒューイにも、何回も言われていた。
いい加減許してやりなよ、あの子も悪気があった訳じゃないんだから。

アタシだって……それぐらい、わかる。

自分がやった事にきちんと落ち込んで、もう一人の男と一緒にずっと何とかしようと努力してくれたということぐらいは。
……あれだけ荷台で騒いでいたのだから、当たり前だけど。
けれど、心の奥で引っかかったものはいつまで経っても取れなくて。

「あの馬車をけなしていいのは……アタシだけっす」

ヒューイにもそんな風に言って、アタシは結局拗ねた態度を崩さなかった。
会ってからは、もう二日目だというのに。
……いや、そろそろ三日目か。
だって今は、朝なのだから。ほら、こんなに空が青い……

「ん……?」

違和感に、荷馬車の上で目を覚ます。
気のせいだろうか。何か、空に青色以外のものが混じっていたような……

「……なんすか、これ」

寝ぼけ眼で見てみても、それはやっぱり見間違いではなかった。

紫色の、半透明な壁のようなもの。
幾何学的な模様が描かれた、魔術結界。
それが、アタシ達の馬車を護るように周りを覆い尽くしていた。

「まぁ、どう考えても……あの子っすよね」

アタシもヒューイも、魔術はからっきしだ。
使えそうなのと言ったら、魔女のあの子ぐらいのものだろう。
そう思い、何の気は無しにあの子の姿を捜そうとして……気付く。

「え……」

地面に描かれた、その存在に。
アタシの馬車よりも遙かに大きな面積で、結界を支えるようにして存在するそれ。
円の中に、幾何学的な模様にも見えるルーン文字が幾重にも描かれた……巨大な、魔法陣。

「んぅ……?あ……」

その円の端で、静かに外を見守っていた紅い服の女の子が視線をこちらに移す。
勿論、アタシ達が護衛を頼んだあの女の子だ。

「お、おはよう、ヤエコ……」

アタシと視線が合うなり、気まずそうにしながらも挨拶をしてくる。
昨日までのアタシなら、無視していただろう。
ただ……今のアタシには、それができなかった。

「……何で」
「ふぇっ……?」
「何で、わざわざこんなに大きく描いたんすか。この馬車護るだけなら、そんなに大きくしなくても良かったじゃないっすか。もっとちっちゃくても、よかったはずっすよ」

アタシが気になったのは、そこだ。
この結界は、魔法陣の円周に沿うようにして張られている。
とゆうことは、魔法陣の大きさによって結界の大きさが決まっているという事だ。
それなら、馬車を護るだけにしたらこんな大きさの結界をわざわざ張る必要なんかない。

そこに、この子と会った時に聞いた言葉が……嫌な想像を、膨らませていて。
そんな事を言うのは失礼だと、言ってはいけないとわかっていても。
アタシの唇は、止まってはくれなかった。

「……嫌味っすか?本当の馬車は、これぐらいあるとでも?」

感謝の言葉よりも先に憎まれ口を叩くアタシは、どう見えているのだろうか。
ぐっと、私の言葉に魔女の子は口をつぐみ……それでも、言い返した。

「ううん、違うよ。エリーがこうしなきゃいけないって思ったから、こうしたの。馬車護るなら……これぐらいしないとって」

アタシはとても嫌そうな表情をしているのに、その子のアタシを見る目は真剣だ。
それはまるで、あの日のヒューイを見ているようで。
だから、だったのだろうか。

その子の次の言葉に、心を動かされたのは。

「おっきくても、ちっちゃくても……ずっとみんなを運んでくれた、すっごい馬車なのは一緒だから!!」

屈託のない表情に、アタシはついていた頬杖を思わず崩してしまった。
それと同時に、収まりのつかない自分の感情の理由を理解する。
それはきっと、自分の想像以上に子供のような理由。

……アタシはただ、わかってもらいたかったんだ。
馬車を小さいと言ってのけたこの子に……この馬車が、小さくなんてないということを。
それをわかってもらえた事は、土まみれになっていたその子の手が、何よりも教えてくれていた。
この魔法陣を地面に書くために、この子はどれだけの時間をかけたのだろう。

アタシは、溜息を一つつく。

「はぁ……馬鹿っすか、あんた」
「えぇ!?」
「だからってそんなことしても、意味ないじゃないっすか。大きさが違うのは事実なんすから、もっとちっちゃくした方が断然楽っす。わざわざ無駄に疲れるような事して……何がしたいんすか、あんた」
「う、うえぇ……そんなに言わなくたっても……」

ちょっとからかってやっただけで、早くも魔女―――エリーちゃんは、涙目だ。
少し前までは苛立ちしか覚えなかったのに、今ではその表情が可愛らしく感じてしまっていた。

だからアタシは、こう付け加えてあげることにする。

「でも……わかってくれたなら、いいっす」

くすり、と口元が意識しなくても勝手に緩んで。
アタシは、昨日までのつまらない意地を張っていた自分に別れを告げた。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「この二日間、失礼な事をしてすまなかったっす」

それは、朝起きてから真っ先に俺に向けられた言葉。
ぺこり、という音が聞こえそうなぐらい深く、ヤエコちゃんは頭を下げてきた。

どうやら、俺が寝ている間にエリーとヤエコちゃんの間で何かがあったらしい。
それも、ヤエコちゃんが機嫌を直すような、とても良いことが。

それはともかくとして、俺としては元々エリーのせいなのだからヤエコちゃんを責めるつもりもない。
確かに、ヤエコちゃんの態度には少しイラッときたこともあった。
けど、それを謝ってくれたならこの話はそれで終わりだ。

そんなこんなで、この二日間俺を悩ませていた問題は綺麗さっぱり解決したわけだ。
俺の出る幕なんぞなかったわけだが、そんな事はどうでもいい。

「そう言えばヤエコって、ミクコと話し方殆ど一緒だよね。ねぇねぇ、それって何か理由があるの?」
「あぁ、それっすか。いやー、これは尊敬する人……あぁ、人って言っても狸っすけど、の真似なんすよ。アタシ達はヒューイと出会う前には家族で旅してた事もあったんすけど、ある街に寄った時に素敵な先輩狸に出会いましてね。子供心にその商才を見習おうと思って、口調だけでも二人で真似してみたんすよ。気がついたら、それが自然になっちゃったんす」
「へぇ……ヤエコ、ずっと旅してたんだ!!すごーい!!」
「ま、アタシはまだまだっすけどね。さっきの方もそうなんすけど、母にも全然及ばないっすから」

ヤエコちゃんはその弁舌を遠慮無く振るい、エリーはそれにうんうんと感心しながら頷く。
こんな風に、魔物同士が雑談を繰り広げられるだけで俺は万々歳だ。
ヤエコの隣で馬の手綱を握るヒューイも微笑ましそうに二人を横目に見ているので、気持ちとしては俺と一緒だろう。
カラカラと回る木製の車輪の音でさえ、今は心地よかった。

今日は天気も良い。
平坦な道は上り坂になり、海に面した道の隣は砂浜ではなく崖になっていく。
けれど、高所から見る海には同じ高さで見るそれとは違った趣があって。
それを楽しめる余裕のある今、依頼を投げ出さなくてよかったと強く思う。

海から吹き付ける涼しい風に、潮の香り。
見上げてみれば輝く太陽と、雲一つねぇ青い空……

「……ん?」

いや、確かに空に雲はねぇ、けど……何だ、あれ?
黒い、点みてぇな……それも、一個だけじゃなくて沢山……
……空にいる、黒いもの?

「……っ!!おい、ヤエコちゃんかヒューイ!!望遠鏡みてぇなの、持ってねぇか!?」
「うわっ!?ど、どうしたんですか急に……」
「全くっす。大きな声、急に出さないで欲しいっす」

突然叫びだした俺に驚いたり、文句を言ったり。
それでも振り向いてくれた二人に、俺は矢継ぎ早に話しかける。

「持ってたらでいい!!ちょっと空の向こうの黒いあれ、見てくれ!!気のせいか、こっちに向かってる気がするんだよ!!」
「はぁ……一応、双眼鏡なら僕が持ってますけど……っ!!」

渋々、といった感じでヒューイが双眼鏡を覗き込んだ途端、その顔が強張る。

「あれ、ブラックハーピーです……こっちに、群れが迫ってきてます……!!」

やっぱり、ブラックハーピーか……!!

「ヒューイ、俺にも見せてくれねぇか?」
「あ、はい……ルベルさんも、確かめてみてください」

ヒューイから双眼鏡を受け取って、中を覗き込む。
ヒューイの言うとおり、拡大してみるとそれはブラックハーピーの群れだった。

しかも、三匹や四匹なんてもんじゃねぇ。
二十……いや、三十に届くか?
それだけの数を引き連れている、その事実だけで背筋に嫌な汗が流れる。

そして、数を数えようとその群れを見回している途中……見覚えのある顔が、目に入る。

その顔がこちらを見て、笑ったような気がした。

予想はしてたけど、やっぱりカーヴィラちゃんの仕業か……仲間引き連れて、戻ってきやがったな!!

「ブラックハーピーっすか……まずいっすね、こっちまで来たらこの馬車が襲われるかもしれないっす」

ヤエコちゃんはそういうが、実際の状況は「来るかもしれない」なんて生優しいものではない。

あいつは必ず来るといっていた以上、目的である俺を狙いに来る事は明白だ。
そして、あれだけの群れがいればそのついでに荷馬車だって襲いにもくるだろう。

このままだと、あの三十匹を全員相手する羽目になっちまう。
だからといって、空を飛んでる相手に俺ができる事なんぞ何もねぇ。

くそっ……!!ピンチだってのに、何もできねぇなんてむず痒いにも程がある!!

「……あのブラックハーピー、追い払えばいいの?」

いつの間にか俺から双眼鏡を受け取ったエリーがぽつりと漏らしたのは、その時だった。
それはまるで、許可さえもらえれば容易くできると言っているような、そんな言い方。

「あ、あぁ……そりゃ勿論、できたらそれに越したこたぁねぇけど……」
「わかった。じゃあ……ヒューイー、ちょっと馬車止めてくれる?」
「え?どうしたんだい、君まで急に……」
「試してみたい事があるの!!多分……ブラックハーピーも、何とかなると思う!!」
「おい、マジかよそれ!?」

俺としちゃ、魔術結界張ってくれりゃ上々、ぐれぇに思ってたんだが……まさか、こんな事言い出すなんてな。

「ただ、それは結構繊細なコントロールが必要になる魔術だから……できれば、動く荷馬車の上でやりたくないの。ヒューイ、お願い!!」
「そういうことなら、わかりました。エリーさん、お願いします」

ヒューイが手綱を操って馬車を止めると、エリーはそこからぴょんっと地面に降りる。
着地する時には、『旋風舞』の風が鳴る音もセットだ。

「エリー、この馬車の命運は今全てエリーにかかってるっすよ。頑張るっす」
「も、もう!!変なプレッシャーかけないでよぉ!!」

……本当は、その通りなんだよなぁ。
ヤエコちゃんから見れば笑い話なのだろうが、只一人事情を知ってる俺からすればたまったものではないから止めて欲しい。

「気を取り直して……それじゃあ、行くよ!!」

自分を鼓舞するように叫んだエリーが、剣でも握るかのように両手で杖を強く握る。
その目の色が本を読んでいるときのように研ぎ澄まされて、その口は呪文を紡ぎだした。

「『空にあまねく吹きさすぶ風よ
獰猛なる意思に鋼の理性を
紅蓮の想いに更なる熱を
其の身は全て紅蓮が為に捧ぐと知れ』」

ゆらり、ゆらり。
何かを唱え始めたエリーの周りの空気が、陽炎のように揺らぐ。
恐らくは、それだけでけぇ魔力を扱っているのだろう。

「『地の底眠りし猛々しき炎よ
鎖断ち切りし我が命により
其に与えるは飛翔の刻
灯され煌めくは万感の想い』」

そこでエリーが、体をぐるりと一回転させる。
同時に杖は水平に構えて、それはまるで何かを撃ち出すように……!!

「『炎よ……紅く、その身を散らせ』!!」

その言葉と共に、炎が勢いよく杖の先から迸った。

「……あん?」

ポッ。
……手の平ぐれぇの、小さな炎が。

「お、おいエリー!!……失敗か!?」

思い出すのは、出発前の朝の事だ。
大きさで言うなら、今の炎はあん時の炎に少し毛が生えたような大きさしかねぇ。

ただしスピードだけはあるみたいで、こうしている間にもぐんぐんと小さな炎は空の向こうに向かって突き進んで、やがて目には見えなくなる。

「ううん、これで成功だよお兄ちゃん!!今の術は、エリーのサバト流魔術奥義、『灯煌花(とうこうか)』って言ってね……」

エリーの言葉が続いた、その瞬間に。

「……最強の魔術なの♪」



……空の向こうで、大爆発が起こった。



橙色の炎が、一瞬で青い空の一部を染めて大きく広がっていく。
規則性を持ち広がりゆく様は、まるで花が今まさに咲き誇らんとする場面のよう。
黒い点のようだったブラックハーピーちゃん達が、炎に巻かれてあちこちに吹き飛ぶ。
海に落ちて、四方八方から派手に飛沫が上がり……って!!

「おぃぃぃぃ!?いくらなんでもやり過ぎだろうがぁぁぁぁ!!」

追っ払うどころか死んじまってねぇかあれ!?
いくら盗まれそうだからって、過剰防衛だろうが!!

「心配しないで、お兄ちゃん!!多分、ブラックハーピー達は無事な筈だから!!」
「はぁ!?あんなでっけぇ爆発で無事なんて、そんな訳……!!」

こいつ、通り魔事件以降大人しかったがやっぱりまだ加減ってのがわかってねぇんじゃ……!!

俺の心配を余所に、脳天気なエリー。
そんな態度のせいで余計に焦ってしまった俺を冷静にしたのは、ヒューイの声だった。

「いや……本当に大丈夫じゃないですか、あれ?」

それは、手持ちの双眼鏡で遠くを見やった上での言葉だった。

「今、吹き飛んだブラックハーピーの内何人かが海面に顔を出したんですが……見たところ、怪我を負っているようには見えませんよ」
「……は?」
「ね、エリーの言うとおりでしょ!!」

開いた口が塞がらない俺に、エリーは得意げに語りだす。

「『灯煌花』はね、炎と風の複合魔術なんだよ!!簡単に言えばね、風で圧縮した大きな炎を、決められた時間に内側から突風を起こして炸裂させる術なんだけど……その炎の中に、半分ぐらいの割合で風を混ぜたの!!だから、見た目程熱くはなってないはずだよ!!」
「そういうことかよ……先に説明しろっつーの……」

要するに、今回のエリーはちゃんと加減をわきまえた上での魔術が使えていたということだろう。
ホントに……無駄な心配かけやがって……

……とはいえ、自分の目で見てねぇと本当に無事かちょっと気になるな。
双眼鏡は……あぁ、まだヒューイが使ってんな。
自分で直接見に行った方がはえぇか。

「よっ、と」

荷馬車から降りて、崖の傍へと寄る。

さっきこっちの方にも飛んできた奴何人かいるし、そいつらなら目視でも充分見えるだろ。

そんな軽い考えで、俺は崖から顔を出した。























「あっ、ラッキー♪」

「は……!?」

―――そのすぐ下に、ブラックハーピーが待ちかまえているとも知らずに。

肩に硬い感触が伝わってくるのと同時に、体が引っ張られる。
足が地面から離れて……代わりに、眼下の海の景色がどんどん目の前に迫っていた。

「え……お兄ちゃん!?」
「うおぉぉぉぉぉぉ!?」

体を支えるものが何もない、宙を落下する感覚。
それがなくなったのは、海に着水するすれすれの事だった。

ただしそれは、鳥の硬い爪が俺の肩を掴んでいたからのこと。

「さっきはよくもやってくれたねぇ……でも、もう捕まえたよ♪」
「あんたはっ……!!」

見上げれば、昨日のブラックハーピー、カーヴィラちゃんがそこにいた。

「あの爆発喰らって、どうやってここに来やがった……!!」
「確かに、私はあの爆発で吹き飛ばされて目を回したよ。海の魔物達が受け止めてくれなかったら、今頃は気絶してたかもしれないね。でも……吹き飛ばされた方向がちょうど、君達のいる方だったんだよ。だから、急いでこっちに来てみたけど……ちょうど君が、来てくれたからねぇ?」
「くっ……!!」

迂闊だった……!!
エリーの飛ばした奴が安全な魔術だっつーんなら、まだ諦めてねぇことを視野に入れるべきだったか……!!

話している間にも、崖はぐんぐん遠ざかっていく。
エリーやヒューイ達の姿も、どんどん小さくなっていく。

人一人抱えてるっつーのに、なんつー速さだよ……!!

「まだ陸が恋しいみたいだけど、もう諦めなって。翼も持ってない魔物達じゃあ、飛んでる私を追い掛けるなんてできっこないよ。そんなに嫌がらなくても、私の番になったら一生寄り添ってあげるよ?君の理想とする妻に……ちょっと、何がおかしいの?」

あぁ……そういや、そうか。

「いや、あんたのおかげで気付いた事があってよぉ。つい、笑っちまった」
「……気付いた事?」
「あぁ。俺も、実際に見たことがあった訳じゃなかったけどよ……そういや、翼がなくても飛べる奴がいたなって思ってよ」
「翼が無いのに、飛べる?そんな馬鹿な事が……っ!?」

俺を小馬鹿にしながら振り向いた、カーヴィラちゃん。
その顔が、驚きの色で染まる。



「お兄ちゃぁぁぁぁん……!!」



大声を上げながら、こちらへ向かって飛んでくる赤い影。
俺もつい、忘れちまってたけど……てめぇは、俺の家で再会した時から言ってたもんな。

『箒でね、ビュンって空を飛んできたの!!』

あぁ、そうだ。マユちゃんの時は忘れちまってたから、今回はしっかり持ってきたんだったな。
全く、今日はてめぇの見せ場ばっかりじゃねぇか……エリー!!

「お兄ちゃんをぉぉぉぉ……!!」

小さな箒にまたがって、こちらに向かってくるその姿がようやく目に見えるようになってくる。

そのスピードは、目に見えてもなお落ちるどころかぐんぐんと上がっていき……

「離してぇぇぇぇぇ!!」

って、おい。まさか、てめぇ……!!

「やめろ馬鹿ぁぁぁぁぁ!!」
「いやぁぁぁぁぁ!!」

その場にいた全員の口から、ニュアンスの違う叫びが海に木霊して。
猛スピードで接近してきたエリーの姿が近くに見えると同時に、衝撃。
肩を掴む、鳥の足特有の硬い感触が消え失せた。

「うぉぉぉぉぉぉ!?」

再び空中に放り出される、俺の体。
今度は掴んでいる者のいない、正真正銘の落下。
空が、みるみる遠くなってく……!!

「お兄ちゃぁぁぁん!!」

幼い叫びと共に、箒に乗った赤い姿が空の中から手を伸ばしてくる。

余計な事、考えている暇はねぇ……!!

無我夢中になって、伸ばされた小さな手を掴む。
けど、それで完全に落下が終わる訳もねぇ。

二人分の体重を支えきれねぇのか、箒もろとも俺達二人は一緒に海へと少しずつ落ちていく……!!

「うっ……あぁぁぁぁ!!」

エリーの叫びに呼応するように、もう片方の手に握られた杖の赤い宝玉が強く光る。

少しずつ、少しずつ。

落下はゆっくりになっていき……海に俺の足が触れようかというところで、ようやく制止した。

「はぁっ、はぁっ……!!う、腕、痛いよぉ……!!」
「っと、わりぃ!!箒掴んでた方がいいか!?」

こくり、とエリーが頷く。
ガキの細腕じゃあ、男一人支えるには辛すぎるだろう。
エリーがどうにか箒の体勢を立て直して、その内に掴む箇所を棒の部分に直す。
箒にぶら下がる不格好な姿勢になっちまったが、一人用なのかちっちゃな箒に二人分座るスペースなどねぇから仕方ねぇ。

って、そうだ!!
カーヴィラちゃんは、一体どうなって……!!

「いったぁ……!!よくも、こんな事を……!!」

やべぇ、やっぱり怒ってやがる!!
どうする……こんな状況じゃ、俺には何もできねぇぞ……!?

「もう、君なんか知らない!!そんなに私が嫌なら、勝手にそこの魔女とでもいちゃついてればいいじゃん!!勝手にいちゃついて、二度と私の前に現れるな!!ふん、だ!!」

……あん?

バサバサと、羽を羽ばたかせて。
好き勝手まくし立てたカーヴィラちゃんは、そのまま海の向こうへと飛んでいってしまった。

よくわからんが……助かった、らしい。

「……ふぅ」
「ほっ、助かったぁ……」

ぶら下がっているわけだから手から力は抜けないとはいえ、どっと脱力するような気分であった。
気持ちとしては、エリーも似たようなものらしい。

「あ、でも、お兄ちゃん……まだ、力抜かないでね……」
「わかってっけどよぉ……けど、海なんぞ落ちてもどうせ魔物娘ちゃん達が優しく助けてくれるだろ。だったら、ちょっとぐれぇは……」

安心する為に、海の方を覗き込む。
そこにあるのは、人間に対する慈愛に満ちた優しい目……

「…………(ギラッ」
「…………(キラキラ」
「…………(じー」

……ではなく。
ネレイス、スキュラ、マーメイド、etc……
獲物を狙う狩人の目が複数、俺の方を見上げていて。
それらを見て一つだけ、理解した事があった。

ここに落ちたら、二度と陸には帰ってこれないであろうことを。

「エリー……」
「なぁに、お兄ちゃん?」

だから俺は、力強くこう言った。

「……ぜってぇ落ちるなよ!!てめぇ、ここで落としたら一生恨むかんな!!」

陸に足が着くまでの間に、俺の心は安らぐわけもなかった。



それから俺達は、なんとか無事に陸地に戻ってヒューイ達と無事に再会。

「よかったっす、お二人とも。あのまま消えちゃうかと思ったっす」
「あぁ、もう少しでそれが洒落にならねぇところだったよ……」

ヤエコちゃんの冗談も、笑い話で済ませられて本当によかった。

「さ、お二人も戻ってきたところですし、旅を再開しましょう。これから、まだ長いですよ?」
「おう、わかってんぜ!!」

依頼人との仲もなんとかなったし、面倒な相手も退散した。
結果的に言えば、この任務の経過は順調である。

この調子なら、一ヶ月なんざあっという間に過ぎそうだな……!!

「よっしゃ、行くぜエリー!!俺たちの旅は、まだこれからだぜ!!」

この時の俺は、まだそんな風に楽観的に考えていた。







「お兄ちゃん……誰?」








突然、そんな声が聞こえてきたかと思えば。

「……あん?エリー、てめぇ何言って……」

小さな体から、足を支えるだけの力が抜けていき。

……ドサリ。

音を大して立てずに、そのまま……エリーは、地面に倒れ伏した。












「エリー……?おい、エリー!?」






14/05/04 22:11更新 / たんがん
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■作者メッセージ
後書き

どうも、予告通り4月に入ってペースダウンしたたんがんです。
リアルにてんやわんやとしている内に5月を迎え、そんなつもりはなかったのに気がつけば字数だけかさんで25000字越えで過去最大の長さに……どうしてこうなった。

いやー、一話が長すぎてちっとも投稿できないのをなんとかしたいですねー。

さて、次回よりルベルとエリーの物語はいよいよ起承転結の「転」へと突入。
二人が依頼を解決していく物語は終わりを告げ、物語は「彼女」の核心へと向かい始めます。

突然倒れたエリーの安否やいかに?そして、その時ルベルの取る行動とは?

そんな次回を、よければどうぞよろしくお願いします。

それでは、ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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