三獣拳士(の妹)集結
……かつて天……神である太陽に近づきすぎたがために、その羽を焼かれ地に落とされた天使がいたという……遥か西方から伝わった伝承の如く、ティエンの意識が焼き滅ぼされ壮絶な最期を遂げてから数刻。ライフー改めタオフーと、バイヘイ(白黒)改めヘイラン(黒蘭)、フオジン(火金)改めフオイン(火銀)はとりあえずティエンを仙石楼の一室に寝かせ、密談に興じていた。
「……まさかあやつが女体に弱いとはな わしもわからなんだ」
そう言って胡坐をかくヘイラン。その体にはタオフーの言で仕方なく、いくつかの布を巻きつけていたが、その粗野な風貌であってもなお豊満かつ妖艶なその体を隠すまではいかず、むしろどことなくさらに妖しい雰囲気を纏うようであった。
「なあ!なあ! 見てくれよ俺のこの長い脚! それに手だ!」
さてどうしたものか、悩むタオフーとヘイランとは違い、フオインは無邪気に自身の変化を喜んでいるようであった。そうというのも、たびたびタオフーとヘイランに“鼠の短い手足で武術の何ができる”とバカにされていたからである。当然、その恨みは忘れてないが、突然降ってわいたこの変化は、雄から雌に変わってしまったというちょっとどころではない喪失感以上にフオインにとっては嬉しいもののようであった。
そんなフオインも、慣れぬ衣服というものを何とか羽織っているものの、上半身はともかく下半身は動きづらいと言って紐のようなものを巻いているに過ぎなかった。
「当面の問題は、なぜ我らがこのような姿になってしまったかだ」
タオフーが神妙な顔つきで、問題を述べる。だが、ヘイランもフオインも理由を知るわけなく、三人はそろって口を閉ざすしかなかった。
「……それ以外にも問題はあるぞ あの小僧をどうする やはりさっさと殺してしまった方が」
「ダメだと言ったはずだ、バイヘイ 少なくとも、今はな……元の体に戻った暁には言われずともこの手でケリをつけてくれるわ」
「でもよライフー、どうするんだ こいつ、帰る気はないんだろ?」
隣の部屋で、意識を失っているティエンを六つの瞳が射抜く。ティエンが意識を失って暫く、ヘイランはこの際憂いがあっては不味いのでさっさとティエンを討ち取るべきだと主張していた。だが、タオフーはその度に約定のことを持ち出すと同時に、今の我らで勝てるかはわからんと釘を刺すのであった。実際、あまり体躯の変化がなかったタオフー、むしろでかくなったフオインと違い、ヘイランはかなり小さくなっており、その大きさは大岩のようであった元の体とは違い、ティエンと同じかそれよりもやや小さい程度にまで縮んでしまっていた。
「元の体と言うがな、今の体でも力はそのままよ 捩じ切ろうと思えばこのように」
そう言ってヘイランは、おやつ代わりに拾ってきていた銀竹を易々と握りつぶす。そのままくしゃりと潰された銀竹をバリバリと貪る姿は若い山姥のようであった。確かに、ヘイランの言う通り力にそれほど大きな変化はないようであった。やろうと思えば、ティエンを殺すことはできるだろう。だが、それはやはりタオフーには到底許すことはできなかった。あくまで武人の誇りとして、である。
「……暫くはあやつにばれぬようにして過ごすしかあるまい どちらにせよ無暗に動き回ったところでこの異変の原因はわかりそうにないからな……」
「はぁ〜……となると、一芝居打つことになるわけか……」
「まあ、いいぜ 妹ってことにしとけば良いんだろ?」
全員、揃いも揃ってそれぞれの人の血が入った妹ということでティエンを騙しとおすという方向で一致していた。それも全員、同日に急な用事でいなくなり、それを探しに来たのだという、無理のある言い分で押し通すことにしたのである。
「む!」
(見知らぬ天井……どうやら意識を失っていたようだな)
何か、素晴らしいものを見た。それは太陽のように……
(くっ! 意識が……っ 眩しい! 何を見たか思い出せない……!)
「起きたか」
眉間を抑えるティエンに、タオフーが声をかける。
「! これはタオフー殿! 迷惑をおかけした!」
タオフーの存在に気付いた途端、ティエンは素早く姿勢を正して礼を述べる。
「突然意識を失って、心配いたしましたわ」
嫋やかな声で、タオフーの横からヘイランが顔を出す。いつの間にか、振り乱していた髪は一つ結びのおさげでまとめられ、それを肩から流す姿は淑やかで、とてもではないが先ほどまでの山姥とは思えなかった。
「あ、こ、これは申し訳ない! 貴女は?」
「わたくしは……ヘイランと申します、その……兄であるバイヘイを探しにこちらまで……」
「なんと! 貴女も……」
(誰だこいつ)
(誰だこれ)
流石は老練巧智の古熊猫といわんばかりの変りぶりに、タオフーたちは内心怯む。
「おや、貴女は?」
「あ! お、わた、あたし……」
突然のことに、慌てるフオイン。その様子は年頃の少女の如く、可愛らしいものであった。
(こやつ……鼠のくせになかなかやりおる)
(誰だこいつ)
「彼女はフオジンの妹で、フオインと申します……すみませんねえ あまり男の方と話したことがないようで」
おいで、そう手を引くようにヘイランはフオインをティエンの前に出す。
「あっ お、俺……フオイン よろ、よろしく!」
もじもじと、顔を紅くして声を出すフオイン。その姿は、言葉遣いを除けば一人の少女そのままであった。
(え、これ素なん?)
(誰だこいつ)
「そうか……よろしく、フオイン殿 ……失礼ではあるが……できればその、もう少し衣服を着てもらえると……」
もじもじと、すり合わせられる両ももと、秘すべき場所には紐のような布切れが巻きつけられただけであり、太ももが動くたびに擦れあわされ脱げかけるというひどく煽情的な様相がティエンの眼前に繰り広げられていた。
(くっ! 頭が! 眩しい!)
意識に流れ込む突然の閃光にティエンは再び眉間を抑える。
「だ、大丈夫か!」
突然苦しみだしたティエンを、咄嗟に案ずるようにフオインが駆け寄るも、それによってこすり合わされた紐が緩み見えてはならぬ場所がちらりと、ほぼもろに見える。
(ま、まずい! 紐が! 紐が!)
瞬間、再びティエンの両目と意識は閃光によって焼き切られ、その意識は燃え尽きる。
「お、おい! おいティエン! どうしたんだ!」
(またか……)
(もしかしたら、この体で色仕掛けしたら殺せるんじゃなかろうか)
……それからさらに数刻、太陽が真上に上る頃合いにようやく意識を再度取り戻したティエンは、あの後さらに着込んだ三人を前にようやく落ち着く。仙石楼には、過去に仙人たちが着ていた衣服が多く残されており、少々埃っぽく、古臭いことを除けば着る分には問題なかった。
タオフーは動きやすい武闘着を上下ともに着込んでいた。尤も、その巨大な両腕と両足は入りきらなかったために肩口までばっさりと切り裂き、足も太ももの付け根ギリギリまで破いていていた。それ以外は概ね、すらりとした体形だったこともあり違和感なく収まる。
ヘイランはゆったりとした着物を選んでいたが、やはり肩口まで破り捨て、下半身はすっぽり隠していたものの両脇には深い切れ込みが入れられ、動きやすいように工夫がしてあった。それでも、タオフー、フオインに比べたら十分しっかりと着込んでくれていた。
フオインはほぼ胸元しか隠せていない道着に、下も下手すれば鼠径部まで見えてしまうのではないかというほど切り詰められた下袴を穿いているだけであったが、先ほどの紐の如き布切れに比べたらずっとましであった。
ともかく、ようやくティエンは三人と話をする機会を設けられたのである。
「ライフー殿、バイヘイ殿……それにフオジン殿、三名ともがまさか同時に……恐らくは協力してことに当たっているのだろうが、一体何が起きているのか」
例によって、ティエンは都合よく解釈すると同時に、人の血が入っているという“妹たち”の存在もあっさりと受け入れるのであった。
「まあ、そうだな、兄たちは……協力しているといえば、している」
タオフーが、少しばつの悪そうな顔で返事をする。
(冷静になって考えても よもや、わしらが目の前にいるとは思うまい)
だが、それも無理はないものと言えたかもしれない。実際に突如女体に変じました、と言われても信じられぬほどにタオフーたちは大きな変異を遂げてしまっていた。
「……それで、ティエン様はどうなさいますの」
ティエンの、ちらちらとした視線に気づいたヘイランは、ふと何かを思いつく。
そのまますすすっと、ヘイランはティエンの傍によると、ふうっと囁くように問いかける。その動きはまさかあのバイヘイとは思えぬほど、女性的であった。
「! それは、ライフー殿が戻るまで待つ所存です」
むにっと、柔らかい肉がふれるか触れないか、という距離まで詰めたヘイランに対しティエンはあからさまにドギマギすると顔を紅くして答える。バイヘイとは思っていない、というのもあるのだろうが、ティエンにしては余りにも隙だらけといえた。
(ぐふふ 少し試してみたが、ここまで色仕掛けに弱いとはのう! もう少しやってみるかの!)
「まあ! でも、こんな山奥で一人……大変ではございませんか?」
しっとりと、囁く。むにゅりと豊満な胸を寄せ、ティエンの腕に押し当てる。
(ほうれほうれ)
「!! あ、それは……大丈夫、です! 慣れてます故!」
さらに、ティエンの顔が紅くなる。そっとヘイランの体を払いたくとも、失礼に当たると思っているのかその体はぐっと強張らせ、せめて邪な考えをしまいとするかのように目をつぶるティエン。その様子に、ちろりと舌なめずりするようにヘイランは妖しく微笑む。
(ぐひひ! こりゃあ面白いわい! まさかあのティエンがここまで初心だったとは!)
ヘイラン……バイヘイの知るティエンは、一塊の鉄のような堅く鋭い意志と武を持った人間であった。五百年生き、ここ二百年ほど天崙山の中腹の主として降臨してきたバイヘイに挑もうとするものはライフーやフオジンといった新参者の魔物か、ティエンのような討伐者……身の程知らずの挑戦者……ぐらいしかいなかったが、その中でも脆弱な人の身であそこまでの武を鍛え上げ、そしてなお自身に匹敵しうるところまで成長しようとしていたティエンのことをバイヘイは脅威に思うと同時に、非常に興味深くも感じていた。
そんなティエンが、今自身の手で……武の極みも、秘奥義の一つも駆使せず、このぷよぷよとした肉体一つで手玉に取れるというのはなかなかに新鮮かつ面白いものであった。
(どれどれ、もう一押し……)
「ヘイラン! 何をしている! さっさと離れんか!」
ティエンにとどめを刺そうと、しゅるりと胸をはだけようとした時。タオフーから制止される。
「あらやだ、わたくしったら……うふふ」
(ちっ しかしまあ、これはこれで暫くは楽しめそうじゃな! ……上手くすればもっと良い弱みを聞き出せるかもしれんしのう、げへへ)
「と、ともかく 私は大丈夫です……貴女たちの迷惑になるつもりはございません」
そう言って一つ咳払いをする。ともかく、ティエンとしてはある程度話がまとまったのであれば、そろそろこの見目麗しい魔性のものたちから離れたかったのである。そうというのも、そもそも長いこと武道一筋で生きてきたというのもあるが、あまり女慣れしておらず、特にタオフーたちのような美しい女性と同じ部屋にこれほど長くいたということもまた、初めてのことであった。そんな彼女たちのほぼ裸体同然の姿を見た、というのもまたティエンにとっては気恥ずかしいことであり、なんであれ早いところ心を落ち着けさせる必要があると感じていたのである。
「でもよお、別に一緒に住んだっていいんじゃないの? 部屋だって余ってんだろ、タオフー」
胡坐をかき、後頭部を抑えるように手を組んだフオインが声を出す。
「気安く我が名を呼ぶな、鼠如きが…… 確かに部屋はある あるが……」
(……どうしたものか)
実際のところ、部屋は大いに余っている。仙石楼はもともとが修行のために作られた場所である。寝泊まりはもちろんのこと四人程度であれば炊事洗濯を含めても多すぎるなんて事はない。むしろ少なすぎるぐらいでもある。そのため、別段一つ屋根の下一緒に過ごすというのは問題ない。
タオフーが懸念するのは、内と外という区切りがなくなり近い距離で生活することで
己たちの秘密……実はライフー達であるという……に感づかれはしないかという問題と……
とくん
タオフーの、この胸の奇妙な高鳴りの正体を誤認するのではないかという警戒……もしくは、実際に……ティエンに対しよからぬ考えを抱いてしまっている……恐れがあった。事実、奇妙なまでにタオフーはティエンに対する執着を自覚しつつあった。タオフーは気づいていなかったが、既にその目は一挙一動見逃すまいとティエンを追い始め、ティエンのにおいを嗅ごうと無意識のうちにその息を深く吸い込んでいた。その度に体の芯が熱くなるような奇妙な感覚に襲われているのも、タオフーは気の迷いと思い込んでいた。
(これはこれは……ぐふふ)
そして、そんなタオフーの極めて些細な変化を見逃さぬものが一人、いた。実際、ヘイランはタオフーの態度を見て、かなり“珍しい”ものだと考えていたのである。
「まあまあ、タオフーさんも落ち着いてくださいな でも、フオインさんの言うように部屋が空いているなら、少しの間なのですから住まわしても良いと思いますよ ……一つい屋根の下、といっても“同じ部屋”で寝泊まりするわけじゃないでしょう?」
同じ部屋、というところをやや強調するようにヘイランは喋る。その言葉に、タオフーは耳をピクリと動かし反応する。
(同じ、同じ部屋……)
瞬間、脳裏に浮かぶは閨で絡みつく一組の……
「お気持ちはとてもありがたく思います……しかし、本当によろしいのですか?」
(うっ! ありえん! ありえん!)
ティエンの声ではっとしたように、タオフーは妄想から目覚め軽く頭を振る。それと同時に、ふとした疑問が湧いてくる。
「……まて、お前 なぜそこまで我らを信用できる 我らは魔物だぞ、不意を突かれるとは思わんのか それに、わ、兄上が戻った時も同様だ、お前の不利になるように我らは動くかもしれないのだぞ」
ヘイランも、フオインも、確かになぜそう思えるということを気にするように、興味深げにティエンの方を見る。だが、タオフーの問いかけにティエンは怯むことなくはっきりと答えるのであった。
「そのようなことをする方々ではないと、このティエンは信じております」
何をバカな、そうタオフーは叫ぼうとするも、ティエンは続ける。
「もちろん、信ずる理由はあります タオフー殿、貴女はこのティエンが背を向けた時、攻撃することができたにも拘らず攻撃なさらなかった、それどころか前を向けと叱責なさったほどだ それほど正々堂々とした貴女が不意打ちをするはずがない、私を討つつもりならば真っ直ぐ向き合って告げる タオフー殿、貴女を私はそう信じています ヘイラン殿も、フオイン殿も同じ 私を討つつもりならば意識を失ったときにできたはず、それをしなかった……しようともしなかったのは未熟な自分でもわかります、それが貴女方を信じる理由です そしてもちろん貴女方を見れば兄上方も同じ ……ラオフー殿、バイヘイ殿、フオジン殿、皆立派な武人です 皆、一度たりとて不意を突かず、突ける時があったにも関わらず正々堂々と戦いなさった そんな彼らが、不意を突こうとするはずがない 私は、人ならざる方……白澤に育てられました 故に人も魔物も、そして獣も信じるべきは何かということを、わかっているつもりです……おこがましいとは思いますが……」
その真っ直ぐな眼差しと、言葉。ティエンは何一つ、タオフーたちのことを疑っていなかった。その言葉に、タオフーは言葉を詰まらせる。それと同時に、その言葉の力強さからティエンがどれだけライフーのことを武人として信じているかがわかり、どうしようもなく体が火照る。
「……そうか、そうか わ、わかった」
(ティエン……やはり、決着はこの手で……!)
どくん
心臓の高鳴り。火照る体を抑えるように腕を組みながら、タオフーは心に強く決める。
「それじゃあ、ティエン様も一緒に住むということでいいのかしら?」
「……ああ」
確認するように念を押すヘイランに、少し気難し気に肯定の返事をするタオフー。
「かたじけない ……では、部屋はどこに 狭く、小さな部屋で大丈夫です 何ならぼろ部屋でも」
「……部屋は余っている、東の方に小部屋がいくつもあるから好きな場所を使え 二階は我の部屋があるからな、勝手に近づくなよ」
もちろん、と腕を組んで礼をするティエン。
「そういやタオフー、俺たちの部屋は?」
「……はあ……勝手に選べば良いだろう!」
「言われなくてもそうさせていただきますわ」
各々、連れ立って部屋のある仙石楼の東に向かう。
かくして、奇妙な共生生活が始まろうとしていた。
(まあいい、どうせすぐに終わる ひと時の戯れだと思えばよかろう……)
「……まさかあやつが女体に弱いとはな わしもわからなんだ」
そう言って胡坐をかくヘイラン。その体にはタオフーの言で仕方なく、いくつかの布を巻きつけていたが、その粗野な風貌であってもなお豊満かつ妖艶なその体を隠すまではいかず、むしろどことなくさらに妖しい雰囲気を纏うようであった。
「なあ!なあ! 見てくれよ俺のこの長い脚! それに手だ!」
さてどうしたものか、悩むタオフーとヘイランとは違い、フオインは無邪気に自身の変化を喜んでいるようであった。そうというのも、たびたびタオフーとヘイランに“鼠の短い手足で武術の何ができる”とバカにされていたからである。当然、その恨みは忘れてないが、突然降ってわいたこの変化は、雄から雌に変わってしまったというちょっとどころではない喪失感以上にフオインにとっては嬉しいもののようであった。
そんなフオインも、慣れぬ衣服というものを何とか羽織っているものの、上半身はともかく下半身は動きづらいと言って紐のようなものを巻いているに過ぎなかった。
「当面の問題は、なぜ我らがこのような姿になってしまったかだ」
タオフーが神妙な顔つきで、問題を述べる。だが、ヘイランもフオインも理由を知るわけなく、三人はそろって口を閉ざすしかなかった。
「……それ以外にも問題はあるぞ あの小僧をどうする やはりさっさと殺してしまった方が」
「ダメだと言ったはずだ、バイヘイ 少なくとも、今はな……元の体に戻った暁には言われずともこの手でケリをつけてくれるわ」
「でもよライフー、どうするんだ こいつ、帰る気はないんだろ?」
隣の部屋で、意識を失っているティエンを六つの瞳が射抜く。ティエンが意識を失って暫く、ヘイランはこの際憂いがあっては不味いのでさっさとティエンを討ち取るべきだと主張していた。だが、タオフーはその度に約定のことを持ち出すと同時に、今の我らで勝てるかはわからんと釘を刺すのであった。実際、あまり体躯の変化がなかったタオフー、むしろでかくなったフオインと違い、ヘイランはかなり小さくなっており、その大きさは大岩のようであった元の体とは違い、ティエンと同じかそれよりもやや小さい程度にまで縮んでしまっていた。
「元の体と言うがな、今の体でも力はそのままよ 捩じ切ろうと思えばこのように」
そう言ってヘイランは、おやつ代わりに拾ってきていた銀竹を易々と握りつぶす。そのままくしゃりと潰された銀竹をバリバリと貪る姿は若い山姥のようであった。確かに、ヘイランの言う通り力にそれほど大きな変化はないようであった。やろうと思えば、ティエンを殺すことはできるだろう。だが、それはやはりタオフーには到底許すことはできなかった。あくまで武人の誇りとして、である。
「……暫くはあやつにばれぬようにして過ごすしかあるまい どちらにせよ無暗に動き回ったところでこの異変の原因はわかりそうにないからな……」
「はぁ〜……となると、一芝居打つことになるわけか……」
「まあ、いいぜ 妹ってことにしとけば良いんだろ?」
全員、揃いも揃ってそれぞれの人の血が入った妹ということでティエンを騙しとおすという方向で一致していた。それも全員、同日に急な用事でいなくなり、それを探しに来たのだという、無理のある言い分で押し通すことにしたのである。
「む!」
(見知らぬ天井……どうやら意識を失っていたようだな)
何か、素晴らしいものを見た。それは太陽のように……
(くっ! 意識が……っ 眩しい! 何を見たか思い出せない……!)
「起きたか」
眉間を抑えるティエンに、タオフーが声をかける。
「! これはタオフー殿! 迷惑をおかけした!」
タオフーの存在に気付いた途端、ティエンは素早く姿勢を正して礼を述べる。
「突然意識を失って、心配いたしましたわ」
嫋やかな声で、タオフーの横からヘイランが顔を出す。いつの間にか、振り乱していた髪は一つ結びのおさげでまとめられ、それを肩から流す姿は淑やかで、とてもではないが先ほどまでの山姥とは思えなかった。
「あ、こ、これは申し訳ない! 貴女は?」
「わたくしは……ヘイランと申します、その……兄であるバイヘイを探しにこちらまで……」
「なんと! 貴女も……」
(誰だこいつ)
(誰だこれ)
流石は老練巧智の古熊猫といわんばかりの変りぶりに、タオフーたちは内心怯む。
「おや、貴女は?」
「あ! お、わた、あたし……」
突然のことに、慌てるフオイン。その様子は年頃の少女の如く、可愛らしいものであった。
(こやつ……鼠のくせになかなかやりおる)
(誰だこいつ)
「彼女はフオジンの妹で、フオインと申します……すみませんねえ あまり男の方と話したことがないようで」
おいで、そう手を引くようにヘイランはフオインをティエンの前に出す。
「あっ お、俺……フオイン よろ、よろしく!」
もじもじと、顔を紅くして声を出すフオイン。その姿は、言葉遣いを除けば一人の少女そのままであった。
(え、これ素なん?)
(誰だこいつ)
「そうか……よろしく、フオイン殿 ……失礼ではあるが……できればその、もう少し衣服を着てもらえると……」
もじもじと、すり合わせられる両ももと、秘すべき場所には紐のような布切れが巻きつけられただけであり、太ももが動くたびに擦れあわされ脱げかけるというひどく煽情的な様相がティエンの眼前に繰り広げられていた。
(くっ! 頭が! 眩しい!)
意識に流れ込む突然の閃光にティエンは再び眉間を抑える。
「だ、大丈夫か!」
突然苦しみだしたティエンを、咄嗟に案ずるようにフオインが駆け寄るも、それによってこすり合わされた紐が緩み見えてはならぬ場所がちらりと、ほぼもろに見える。
(ま、まずい! 紐が! 紐が!)
瞬間、再びティエンの両目と意識は閃光によって焼き切られ、その意識は燃え尽きる。
「お、おい! おいティエン! どうしたんだ!」
(またか……)
(もしかしたら、この体で色仕掛けしたら殺せるんじゃなかろうか)
……それからさらに数刻、太陽が真上に上る頃合いにようやく意識を再度取り戻したティエンは、あの後さらに着込んだ三人を前にようやく落ち着く。仙石楼には、過去に仙人たちが着ていた衣服が多く残されており、少々埃っぽく、古臭いことを除けば着る分には問題なかった。
タオフーは動きやすい武闘着を上下ともに着込んでいた。尤も、その巨大な両腕と両足は入りきらなかったために肩口までばっさりと切り裂き、足も太ももの付け根ギリギリまで破いていていた。それ以外は概ね、すらりとした体形だったこともあり違和感なく収まる。
ヘイランはゆったりとした着物を選んでいたが、やはり肩口まで破り捨て、下半身はすっぽり隠していたものの両脇には深い切れ込みが入れられ、動きやすいように工夫がしてあった。それでも、タオフー、フオインに比べたら十分しっかりと着込んでくれていた。
フオインはほぼ胸元しか隠せていない道着に、下も下手すれば鼠径部まで見えてしまうのではないかというほど切り詰められた下袴を穿いているだけであったが、先ほどの紐の如き布切れに比べたらずっとましであった。
ともかく、ようやくティエンは三人と話をする機会を設けられたのである。
「ライフー殿、バイヘイ殿……それにフオジン殿、三名ともがまさか同時に……恐らくは協力してことに当たっているのだろうが、一体何が起きているのか」
例によって、ティエンは都合よく解釈すると同時に、人の血が入っているという“妹たち”の存在もあっさりと受け入れるのであった。
「まあ、そうだな、兄たちは……協力しているといえば、している」
タオフーが、少しばつの悪そうな顔で返事をする。
(冷静になって考えても よもや、わしらが目の前にいるとは思うまい)
だが、それも無理はないものと言えたかもしれない。実際に突如女体に変じました、と言われても信じられぬほどにタオフーたちは大きな変異を遂げてしまっていた。
「……それで、ティエン様はどうなさいますの」
ティエンの、ちらちらとした視線に気づいたヘイランは、ふと何かを思いつく。
そのまますすすっと、ヘイランはティエンの傍によると、ふうっと囁くように問いかける。その動きはまさかあのバイヘイとは思えぬほど、女性的であった。
「! それは、ライフー殿が戻るまで待つ所存です」
むにっと、柔らかい肉がふれるか触れないか、という距離まで詰めたヘイランに対しティエンはあからさまにドギマギすると顔を紅くして答える。バイヘイとは思っていない、というのもあるのだろうが、ティエンにしては余りにも隙だらけといえた。
(ぐふふ 少し試してみたが、ここまで色仕掛けに弱いとはのう! もう少しやってみるかの!)
「まあ! でも、こんな山奥で一人……大変ではございませんか?」
しっとりと、囁く。むにゅりと豊満な胸を寄せ、ティエンの腕に押し当てる。
(ほうれほうれ)
「!! あ、それは……大丈夫、です! 慣れてます故!」
さらに、ティエンの顔が紅くなる。そっとヘイランの体を払いたくとも、失礼に当たると思っているのかその体はぐっと強張らせ、せめて邪な考えをしまいとするかのように目をつぶるティエン。その様子に、ちろりと舌なめずりするようにヘイランは妖しく微笑む。
(ぐひひ! こりゃあ面白いわい! まさかあのティエンがここまで初心だったとは!)
ヘイラン……バイヘイの知るティエンは、一塊の鉄のような堅く鋭い意志と武を持った人間であった。五百年生き、ここ二百年ほど天崙山の中腹の主として降臨してきたバイヘイに挑もうとするものはライフーやフオジンといった新参者の魔物か、ティエンのような討伐者……身の程知らずの挑戦者……ぐらいしかいなかったが、その中でも脆弱な人の身であそこまでの武を鍛え上げ、そしてなお自身に匹敵しうるところまで成長しようとしていたティエンのことをバイヘイは脅威に思うと同時に、非常に興味深くも感じていた。
そんなティエンが、今自身の手で……武の極みも、秘奥義の一つも駆使せず、このぷよぷよとした肉体一つで手玉に取れるというのはなかなかに新鮮かつ面白いものであった。
(どれどれ、もう一押し……)
「ヘイラン! 何をしている! さっさと離れんか!」
ティエンにとどめを刺そうと、しゅるりと胸をはだけようとした時。タオフーから制止される。
「あらやだ、わたくしったら……うふふ」
(ちっ しかしまあ、これはこれで暫くは楽しめそうじゃな! ……上手くすればもっと良い弱みを聞き出せるかもしれんしのう、げへへ)
「と、ともかく 私は大丈夫です……貴女たちの迷惑になるつもりはございません」
そう言って一つ咳払いをする。ともかく、ティエンとしてはある程度話がまとまったのであれば、そろそろこの見目麗しい魔性のものたちから離れたかったのである。そうというのも、そもそも長いこと武道一筋で生きてきたというのもあるが、あまり女慣れしておらず、特にタオフーたちのような美しい女性と同じ部屋にこれほど長くいたということもまた、初めてのことであった。そんな彼女たちのほぼ裸体同然の姿を見た、というのもまたティエンにとっては気恥ずかしいことであり、なんであれ早いところ心を落ち着けさせる必要があると感じていたのである。
「でもよお、別に一緒に住んだっていいんじゃないの? 部屋だって余ってんだろ、タオフー」
胡坐をかき、後頭部を抑えるように手を組んだフオインが声を出す。
「気安く我が名を呼ぶな、鼠如きが…… 確かに部屋はある あるが……」
(……どうしたものか)
実際のところ、部屋は大いに余っている。仙石楼はもともとが修行のために作られた場所である。寝泊まりはもちろんのこと四人程度であれば炊事洗濯を含めても多すぎるなんて事はない。むしろ少なすぎるぐらいでもある。そのため、別段一つ屋根の下一緒に過ごすというのは問題ない。
タオフーが懸念するのは、内と外という区切りがなくなり近い距離で生活することで
己たちの秘密……実はライフー達であるという……に感づかれはしないかという問題と……
とくん
タオフーの、この胸の奇妙な高鳴りの正体を誤認するのではないかという警戒……もしくは、実際に……ティエンに対しよからぬ考えを抱いてしまっている……恐れがあった。事実、奇妙なまでにタオフーはティエンに対する執着を自覚しつつあった。タオフーは気づいていなかったが、既にその目は一挙一動見逃すまいとティエンを追い始め、ティエンのにおいを嗅ごうと無意識のうちにその息を深く吸い込んでいた。その度に体の芯が熱くなるような奇妙な感覚に襲われているのも、タオフーは気の迷いと思い込んでいた。
(これはこれは……ぐふふ)
そして、そんなタオフーの極めて些細な変化を見逃さぬものが一人、いた。実際、ヘイランはタオフーの態度を見て、かなり“珍しい”ものだと考えていたのである。
「まあまあ、タオフーさんも落ち着いてくださいな でも、フオインさんの言うように部屋が空いているなら、少しの間なのですから住まわしても良いと思いますよ ……一つい屋根の下、といっても“同じ部屋”で寝泊まりするわけじゃないでしょう?」
同じ部屋、というところをやや強調するようにヘイランは喋る。その言葉に、タオフーは耳をピクリと動かし反応する。
(同じ、同じ部屋……)
瞬間、脳裏に浮かぶは閨で絡みつく一組の……
「お気持ちはとてもありがたく思います……しかし、本当によろしいのですか?」
(うっ! ありえん! ありえん!)
ティエンの声ではっとしたように、タオフーは妄想から目覚め軽く頭を振る。それと同時に、ふとした疑問が湧いてくる。
「……まて、お前 なぜそこまで我らを信用できる 我らは魔物だぞ、不意を突かれるとは思わんのか それに、わ、兄上が戻った時も同様だ、お前の不利になるように我らは動くかもしれないのだぞ」
ヘイランも、フオインも、確かになぜそう思えるということを気にするように、興味深げにティエンの方を見る。だが、タオフーの問いかけにティエンは怯むことなくはっきりと答えるのであった。
「そのようなことをする方々ではないと、このティエンは信じております」
何をバカな、そうタオフーは叫ぼうとするも、ティエンは続ける。
「もちろん、信ずる理由はあります タオフー殿、貴女はこのティエンが背を向けた時、攻撃することができたにも拘らず攻撃なさらなかった、それどころか前を向けと叱責なさったほどだ それほど正々堂々とした貴女が不意打ちをするはずがない、私を討つつもりならば真っ直ぐ向き合って告げる タオフー殿、貴女を私はそう信じています ヘイラン殿も、フオイン殿も同じ 私を討つつもりならば意識を失ったときにできたはず、それをしなかった……しようともしなかったのは未熟な自分でもわかります、それが貴女方を信じる理由です そしてもちろん貴女方を見れば兄上方も同じ ……ラオフー殿、バイヘイ殿、フオジン殿、皆立派な武人です 皆、一度たりとて不意を突かず、突ける時があったにも関わらず正々堂々と戦いなさった そんな彼らが、不意を突こうとするはずがない 私は、人ならざる方……白澤に育てられました 故に人も魔物も、そして獣も信じるべきは何かということを、わかっているつもりです……おこがましいとは思いますが……」
その真っ直ぐな眼差しと、言葉。ティエンは何一つ、タオフーたちのことを疑っていなかった。その言葉に、タオフーは言葉を詰まらせる。それと同時に、その言葉の力強さからティエンがどれだけライフーのことを武人として信じているかがわかり、どうしようもなく体が火照る。
「……そうか、そうか わ、わかった」
(ティエン……やはり、決着はこの手で……!)
どくん
心臓の高鳴り。火照る体を抑えるように腕を組みながら、タオフーは心に強く決める。
「それじゃあ、ティエン様も一緒に住むということでいいのかしら?」
「……ああ」
確認するように念を押すヘイランに、少し気難し気に肯定の返事をするタオフー。
「かたじけない ……では、部屋はどこに 狭く、小さな部屋で大丈夫です 何ならぼろ部屋でも」
「……部屋は余っている、東の方に小部屋がいくつもあるから好きな場所を使え 二階は我の部屋があるからな、勝手に近づくなよ」
もちろん、と腕を組んで礼をするティエン。
「そういやタオフー、俺たちの部屋は?」
「……はあ……勝手に選べば良いだろう!」
「言われなくてもそうさせていただきますわ」
各々、連れ立って部屋のある仙石楼の東に向かう。
かくして、奇妙な共生生活が始まろうとしていた。
(まあいい、どうせすぐに終わる ひと時の戯れだと思えばよかろう……)
22/07/09 08:20更新 / 御茶梟
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