連載小説
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戯れ、終わらず
 ……はてさて、一人の人間と三体の魔物の共生生活が始まってから三日が経とうとしていた。ティエンは仙石楼の一室、一階の奥に位置する部屋を借りる形で生活をしていた。そして、タオフーは二階の大部屋……元々ライフー自身が寝床として使っていた場所だが……に住み、ヘイランもタオフーの部屋の隣、フオインは一階の一部屋を自身の部屋として使用していた。

 当初こそ様々な波乱が起きるやもと思われた共生生活だったが、存外何の問題もなく回っていた。回りすぎていた。
 そもそもタオフー、ヘイラン、フオインとも最初から野で生まれ野で生活してきた魔物である。そして天崙山自体、基本的に年中霧に覆われているということを除けば春夏秋と実り多く、冬も獣がたくさんいるので果実や野菜の蓄えさえしっかりしておけば食物に関しては何一つ問題がない場所でもあった。ティエンも野宿はお手の物であり、むしろきちんとした炊事をできる仙石楼の厨房が使えるようになったことで食事事情は大分改善されたといってよかった。洗濯も、西の竹林を少し入ったところに清水の川が流れているおかげでさほど苦労せず、おまけになぜか仙石楼の中庭には温泉すらあった。一応、普通の風呂もあったが、もっぱらタオフーたちは温泉でその身を清めていた。
 つまるところ、仙石楼とその周辺の環境は至極快適であり、そこに雨風凌げる場所があり、野外生活に慣れた者たちが住んでいるのだから問題など何一つ起きようがなかったのである。
 そんな仙石楼の昼頃のことである……

 (まずい、まずいぞ……)
 厨房の隣、食堂で食卓に並べられた料理を口に運びながらタオフーは悩んでいた。一見して、料理を口にする速度は変わることなくパクパクと早く、何かしら悩みがあるとは思えなかったがタオフーは悩んでいた。
 (かれこれ、三日 何も手掛かりがない……!)
 そう、ライフー達の身に降りかかったこの変異。その謎を探るものの全くと言って良いほど、何かしらの手がかりすらも見つけられなかったのである。それどころか、どうやらこの変異が天崙山全域を覆っている可能性すら浮かび上がってきてしまっていた。どこに行っても目にするは女体に変じた魔物ばかりで、一部の魔物に至っては己が元々は雄だったことも忘れ積極的に人間の男を襲いに……性的に……行っている有様であった。もちろん、中には最初から雌だった魔物もいたが、それもまた人に近い姿に変じているようであった。
 「ティエン! おかわり!」
 「はい、フオイン殿 どうぞ」
 山菜と野猪の炒め物がフオインの前に置かれる。その芳しい薫りがタオフーの食欲を煽る。既に目の前の料理はほぼほぼ平らげてしまっていた。
 「ティエン! 我にも!」
 「どうぞ、タオフー殿」
 ことりと、小気味よい音とともに山盛りの料理を乗せた青磁の皿がタオフーの前に置かれる。それを再び口に放り込みながらさらに考えを深める。
 (美味い! いや、まずい このままでは……)
 元に戻れるかも怪しい。この体も舌も……すでに三日、ティエンの手によって料理の味を覚えさせられてしまったタオフーたちは今まで口にしていた“野生の味”をすっかり忘れてしまっていた。当初、料理をしていたティエンを見た時は何を無駄なことをしているのかとタオフーはバカにしたが、いざ口にしてみれば今まで己が喰らってきたもののなんと味気ないことかと思い知る有様であった。ヘイランは、実は料理……に近いことはやっていたようだがめんどうだと止めていたようであったが、こんなことならば続けていれば良かったと隅でぼやくほどであった。
 今では朝昼晩、食事の時間が楽しみで仕方がなく、それを充実させるがために野山を駆けずりまわっている有様であった。フオインなど、新しい木の実や山菜、野草の類いを見つけては“これ食えるか? 食えるか?”とティエンに聞いて料理をねだるほどであった。

 つまるところ、誇り高き三獣拳士たちはすっかり餌付けされてしまっていた。

 「ふぅ……満たされた」
 山盛りの料理をすっかり平らげ、満足げに腹をさするタオフーとフオイン。
 「お茶をどうぞ」
 「あら、ありがとう」
 その横でお茶を飲むヘイラン。
 三日、このわずかな間で仙石楼の居住性は大きく改善していた。主にティエンの手で……住まわしてもらうのだからと、ティエンは一人で炊事洗濯の全てを引き受けていたばかりでなく、壊れていたり痛んでいたりしている場所の補修まで行っていた。曰く“すべて修行の一環です”とティエンは文句ひとつなく笑い、そしててきぱきと物事を進めていっていた。そんなティエンのおかげで、仙石楼はかつての栄華を……ほんの僅かではあったが取り戻しつつあった。
 (……まさかこやつ、ここまで役に立つとは……勝った後も、殺さずに飼ってみるか?)
 実際、独り身でここを支配していた時よりもずっと快適であった。元の体に戻り、打ち倒した暁には喰らわずに支配しても良いかもしれんと、タオフーはぼんやりと思い始めていた。
 そんなタオフーたちを横に、自身の食事をさっと済ませたティエンはそのまま食器を片付けると、そのまま汲んできた水に漬け込み洗っていく。なんでも、身の回りのことは全て自分でやっていただけでなく、師である白澤の世話までしていたのだという。それ故、他のだれかを世話することにティエンは全く抵抗がなかった。それに、ティエンも今まで一人旅だったということもあり、短い付き合いになるだろうとはいえ見目麗しい、そしてティエンの世話焼きをありがたく思ってくれている三人の存在は嬉しかったのである。

 そしてまた、小さな繋がりも少しずつ生まれてきてもいた。
 「ティエンー! 今日も頼むぜ!」
 「もちろん! 修練場で待っていてください」
 特に早くティエンと打ち解けたのはフオインであった。この小さな魔物娘は最初こそ恥ずかし気に、少し遠巻きにティエンを眺めるだけに済ましていたが。今ではティエンに一番懐いているといってもよかった。料理に絆された、というのもあるかもしれないが、それ以外にもきっかけがあったのである。
 それはティエンが仙石楼で生活すると決めた日の晩である。仙石楼の西、竹林の脇でフオインは演武を行うティエンを見かけたのである。もちろん、ティエンは見せるために演武をしていたのではなく純粋に修行の一環として、自らの体に異常がないかを調べるために行っていた。だが、その滑らかな体の動き、特にフオインからすればずっと長い手足を駆使した動きの数々にフオインは見惚れたのである。もともと、長い手足にずっと憧れを抱いていた火鼠にとって、ティエンの演武はまさに憧れの武そのものであった。
 いてもたってもいられなくなったフオインは、その場でティエンに近づき演武を教えてほしいと懇願する。それを聞いたティエンは、何一つ迷うことなく快諾したのである。あまりにあっさりとした答えに、フオインは訝しむも、親切に惜しむことなく演武の動きを教えられることで嘘ではないとわかり、それから今日に至るまで暇を見つけてはティエンから演武を教わっていたのである。
 そんなこんなで、ティエンと接する機会が多かったフオインは大分ティエンと打ち解け、傍目は兄と妹のようでもあった。

 そしてまた今日も、フオインはティエンに演武を教わろうと声をかける。それもまた同じく、快諾をするとティエンは己の仕事を急いで済ませようと動きを速める。
 「へへ!」
 そんなティエンを後に、フオインは嬉し気に修練場……仙石楼の庭先にまで走る。出会った日の快晴はどこへやら、ぼんやりとした霧がかかってはいたが演武を教わる分には問題なかった。一つ気になることがあるとすれば、珍しくタオフーがいたということである。
 「楽しそうだな」
 驚く様子のフオインに、ことも何気にタオフーは問いかける。
 「な、なんだよ」
 普段と様子の違うタオフーを前に、フオインは警戒するように答える。
 「……いや、我らの目的を忘れてはいないかと思ってな あくまで今の姿は仮、いずれは元の姿に戻らねばならん 戻った暁には、あやつと決着をつけねばならんのだぞ」
 言外に、しかしはっきりと“仲を深めるな”と告げるタオフー。隙無く静かに佇むその姿は、歴戦の猛虎そのものである。
 「……わかってるよ でもいいだろ、せっかく手足が長くなったんだ 少しぐらい楽しんでも」
 「好きにしろ 奴に懐く妹のようだったのでな、少し心配になった」
 それに、元に戻ればその手足は消えるというのに……口から出そうになったその言葉を、タオフーは飲み込む。そんな話をしているうちに、皿洗いを済ませたティエンがフオインのもとにやってくる。
 「おまたせしましたフオイン殿 それに、タオフー殿も」
 「別に我は待ってない たまたまだ それではな、フオイン」
 ティエンと入れ替わるように、タオフーは仙石楼に戻る。その後ろ姿を神妙な顔つきでフオインは見送る。
 その表情を見てティエンは何かを感じ取るも、特に詮索をしようとは思わなかった。出会ってからまだ日も浅いこともあるが、それ以上に人の話をあれやこれやと聞きかじるのはティエンの趣味ではなかったからだ。
 「それじゃあ、今日も教えてくれよ」
 「もちろん それでは構えてください」
 互いに向かい合って立つと、ティエンが構えをとる。その構えをフオインは見て真似ていく。その動きは少しぎこちなさがあるものの、その流れるような動きはできており、ティエンも顔には出さなかったが舌を巻くほどであった。魔物ということもあり、体の造りや能力も人よりも優れているだろうということもあったが、演武を難なくこなす姿からフオインは武道の心得があることをティエンは見抜く。
 (……流石はフオジン殿の妹君だ 基礎的なものとはいえこの演武もすぐに習得なさるか)
 しかし、フオジンもまた武を志す者としてその技は魔獣の身といえども十分に磨き抜かれ、洗練されたものであった。それならば、そのフオジンの妹であるフオインにもその才能の一端、もしくは兄から少しばかり武道に関して聞きかじっていてもおかしくはないとティエンは考えていた。特に、演武に興味を示したことから元々武の道に関して興味があるようであったのだろうと納得する。

 少しばかりの間、霧の中で一組の男女が演武を行っていく。

 「ふぅー こんなもんか?」
 少しばかり冷たい霧の中で、体を上気させてフオインがティエンに笑いかける。しっとりと湿ったその表情は、からりとした明るさを妖しく艶取り、どきりとするような色気をフオインに与えていた。
 「はい、フオイン殿 流石です」
 もともと、かなりきわどい服を着ていることもあり、ティエンは大分目のやり場に困っていたが失礼にならない程度に、そして邪な考えを抱かないようにフオインを見て返事をする。
 「本当か? やったぜ!」
 軽く跳ねるように喜ぶフオインを見て、ティエンも同じように微笑む。無邪気に喜ぶ様子は、艶事を知らぬ少女そのものであり先ほどの妖しさは何かの間違いだったのだろうかと、思うような様子であった。
 「あっ やべ 今日俺が当番だった……ちょっと行ってくる!」
 そう言って、フオインは慌てた様子で一言礼をティエンに告げると、飛ぶように竹林の中に消えていく。どうやら食料の調達当番であることを忘れていたようであった。その姿を微笑ましく見送ると、ティエンもまた己の仕事をこなそうと仙石楼の中に戻ろうと振り返ったその時であった。

 「あら、ばれちゃいましたかしら?」
 くすくすと、艶っぽく笑うヘイランが少しばかり隠れるように門の脇に立っていた。恐らくはティエンとフオインのやり取りを見ていたのであろう。
 「これはヘイラン殿 何か御用が?」
 軽く礼を行い、ティエンはヘイランを見る。その姿は出会った時の山姥のような姿からだいぶ変わり、今は都の上流……といってもまだまだ武人染みた格好ではあるが、そこにいてもおかしくはないほど嫋やかな装いで立っていた。特に、三つ編みでまとめられた長髪を肩から流す姿は驚くほどに艶やかであった。
 「いいえ、フオインと仲がよろしいのね と……思いまして」
 前から知っていたことを、まるで今知ったかのようにヘイランは話す。その言葉に、ティエンは少し気恥ずかし気に応じる。
 「そうですね ……でも、それはフオイン殿の気風によるところが大きいと思っています 人懐っこいところがありますから」
 「そう? わたくしにはあまり懐いてくださらないのに……ティエン殿だからかしらね?」
 悪戯に、ヘイランは告げる。しかし、実際ヘイランはフオインに対しタオフーと近しい、もしくはそれ以上に懸念を感じていた。当初からフオインは自身の変化を比較的肯定的、好意的に解釈していたからである。それはひとえに、武の道を進むうえで獣の体での限界を悟ったが故の思いであったが、そのためにフオジンは“フオインであること”に対し未練をもってしまってもいた。その思いは本来の自分に戻りたいというタオフー、ヘイランの思惑とは相反する考えである。
 (まったく、あの鼠小僧にも困ったもんじゃ……)
 ヘイランは、心の中でぼやく。戻った暁には、たとえフオインとしてどのような情を結ぼうとも、フオジンとしてティエンと戦わねばならぬというのに。己がつらくなるだけだと、ティエンからすればフオインとフオジンは別物であり、拳を交えるうえで何一つの障害にはならないのだから。
 (……まさかあの小僧……己がフオジンである、ということを忘れつつあるのでは?)
 もともと、獣身であったフオインは、ほぼ生まれ変わったといって良いほどの体の変化があった。それ故に変化した体の影響が強く心にまで及んでいるのではないかと、ヘイランは推測する。
 「? ヘイラン殿 どうされました」
 「へ? あ、あら……少し考え事をしてましてよ おほほ」
 ティエンに声をかけられ、慌てて返事をするヘイラン。少しばかり考え事が過ぎたようであると感じたヘイランは挨拶をするとティエンから離れる。
 (少し、ライフーと話すとするか)
 まったくもって、この奇妙な事態の収束が見えないことに漠然とした不安を感じつつも、ヘイランはタオフーに会うべく仙石楼の中に戻るのであった。



 ……かくして、ティエンが仙石楼を修復すべく鉄鎚の釘を打つ音が鳴り響く中でタオフー、ヘイランの両名は仙石楼の二階……タオフーの私室の一角で密談と相成る。
 とはいえ、話す内容は今までの再確認にとどまるものでしかなかった。原因不明、いつ終わるかも不明、もしかしたら生涯このままかもしれないという気すらしてくるこの変異に対する話題は早々と終わらせヘイランは本題に入る。

 「……というわけで、フオジンのやつは協力したがらないかもしれん 正直、今のままでいいとすら思っている節がある」
 「やはりか……我も何となくそう感じていた だがどうする」
 「ただ、人のままでいたいと言うなら放っておけばよいが……ティエンのやつと仲が良すぎる まるで根っこからおなごになっているかのようにな」
 ぴくりと、タオフーの眉間が動く。
 「どういうことだ? 我らに害すると?」
 「可能性は、ある あの様子のままいったら、くっつくやもしれんとすら思えるほどだ」
 (奴と、ティエンが?)
 脳裏に浮かぶ、二人の睦事。
 ぞわりとした、理解の及ばない不快な感情がじくりと心を刺す。
 「まあ、正直 わしも少々この体に慣れすぎてしまったかもしれんな、あまりにも感覚が自然すぎる……まるで最初からこうであったかのようだ……」
 ヘイランが何気なく呟いた一言。だが、それは言い得て妙であった。紛うことなく、それはタオフーも感じていた、この異変の最も恐ろしい部分だったからだ。
 「……我は我だ、この体など偽りでしかない」
 普通であれば、このような大規模な変異は同時に大きな違和感となって心身を襲う。しかし、違和感があったのは最初の方だけであり、今となっては前からこうであったかのように錯覚してしまうほど馴染んでしまっている。唯一、己が“ライフー”であったと確信が持てるのは記憶の中に存在する己の姿のみ、だがそれすらも長くこの状態が続けばぼんやりとした輪郭に変わっていくだろうことは容易に想像できた。
 「……ともかく、元に戻る方法が見つかった時に考えればよかろう フオジンのやつが拒むというのならばわしらだけ元に戻ればよいだけのことよ そのうえでわしらに逆らうというのならば、今まで通り……武をもって決めればよい」
 「そうか……そうだな」
 ティエンの隣に、フオジン……フオインが立つ。打ち倒すべき敵が一から二に増えただけだというのに、どうしてかそれだけではない不快感がタオフーを襲う。
 (この体になってから、苛立つことが増えた気がする……我は一体どうしたというのだ……)
 何はともあれ、二人の密談はひとまず終わりと相成った。結局のところ、今まで調べ報告し合った内容以上のことは何もわかっていないのである。それに、いくらタオフー、ヘイランそしてフオインの身体能力が優れていても一日で調べられる範囲はそこまで広くなく、仙石楼の周辺にとどまっていた。
 麓まで下りて、里を探せばもう少し情報が得られたかもしれないが、麓まで下りて調べ、そして仙石楼に戻るのはタオフーといえども中々難しいものがある距離であった。ティエンも、この仙石楼までまっすぐ登ったとしても二日三日ほどかかるであろう。常人であれば、天候次第で七日はかかってもおかしくはなかった。
 タオフーは苛立たし気に、外を眺める。雲海に沈んだ深山を、霧が包む幻想的な景色をうっすらと夕焼けが染めている。世界は何一つ変わった様子がないかのように流れているのが、タオフーにとってはひどく腹立たしかった。


22/07/09 08:20更新 / 御茶梟
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