前篇
とある山間の寂れた神社。
宮司や神主が居るはずもなく、氏子達もその存在を忘れ、ただひっそりと時を過ごす。
社も鳥居も朽ちて寂れ、苔がむし、人の手が入らなくなって久しい。
「あ〜あ、今日もツマンネ。参拝客も来ないし、だれも居ないし・・・・ま、来たところで願いかなえる気、皆無ですけど〜・・・(笑)」
そこに、狐が一匹住み着いていることは誰も知らない。
隠行の術で姿を隠し、床にだらしなく寝そべって、油揚げの煮つけをつまみにし、けらけらと笑いながら、徳利ごと酒を煽る。
肩まではだけさせた着物からは、たわわに実った乳を押さえつける胸元のさらしが露わになり、乱れた裾からは太ももがちらほらと除く。
酒を煽るたび、ひょこひょこと揺れる耳、そして、パタパタと揺れる二つの尾。
その尾、その耳、髪の色。その何れも、絹のような漆黒。
だれが分かるであろうか、この気だるそうでやる気皆無な黒狐こそが、一応この神社の祭神、稲荷であると。
「ふん・・・・・」
鼻を鳴らして、酒を一口。
「ん? なんだあいつ・・・・」
そんな時だった。
もうほとんど人も来ないこの神社に、あいつが現れたのは・・・・・
いつものように彼女が酒を食らって寝転がっているところへ、ふらりと、現れたのは一人の青年だった。
黒いシャツに黒いスラックス、靴やニット帽、ジャケットに至るまで黒ずくめ。
キッとつり上がった、狐のように鋭い・・・・・・言ってしまえば人相の悪いキツい顔。
なにをするかと思ったら・・・・・・・もの悲しそうに神社を見つめて、もの悲しげに俯いて。
賽銭入れるでもなく、祈るでもなく帰っって行った。
「ひやかし? っていうかなんなんだろ、あいつ・・・・・」
久々の参拝客(?)だからなのか・・・・・そいつのことが妙に記憶に残った・・・・・
次の日。
「また来たし・・・・」
そいつは、またやって来た。
同じような黒づくめの格好で・・・・・ただ違うのは。
その手にほうきとちりとりを持っていた。
まさかとは思ったけど・・・・そいつはいきなり掃除をし始めた。
あれ放題の境内に散らばった、落ち葉や枯れ枝、木屑やゴミなんかをかき集め・・・・・・
ずっと見てるのも飽きるので、途中で昼寝しちまったんだが・・・・・・
結局、そいつは夕日が射すまで無言無表情でひたすら掃き掃除してやがった・・・・・
やがて、こんもりと落ち葉や枯れ草が山になると、火をつけて、アルミホイルに包まれた芋を取りだして、焼き芋始めたし・・・・・・
あの野郎・・・・最初からそれが目的じゃ・・・・
あ、焼けた芋一個備えてくれた・・・・・ちゃんとたき火も水くんできてかけて始末は完璧だし・・・・・
まぁ、良しとするかな・・・・・・今夜の晩酌のつまみにしよう・・・・
相変わらず無表情で芋をかじりながら、掃除道具を手に帰っていく・・・・そいつの背中を、あたしは見えなくなるまで見送っていた。
次の日。
「また来た・・・・・・」
今日は・・・・・バケツとブラシとモップ、それに雑巾を持ってるみたいだ・・・・・・・
苔がむした鳥居や狛狐、敷石なんかに手水から汲んだ水をかけて、ブラシでゴシゴシ擦って苔落とししてる・・・・
日が落ちて、真っ暗になるまで、ひたすら。
次の日。
社の中、埃まみれの煤まみれな床や廊下に水を撒いて、モップで擦ってまた水で流して、拭き掃除か・・・・
水掛けるられちゃぁかなわん、ちょい避難だね・・・・
今日も真っ暗になるまで・・・・・・
次の日
今日の獲物は・・・・鎌に軍手に熊手にスコップ・・・・・
黙々と一日中、日が暮れるまで延び放題あれ放題の雑草と格闘して、日が落ちるころ、泥だらけになって帰っていった。
文字通り、神社中の雑草を根絶やしにして・・・・・
次の日
あいつが来るようになってから、どんどん神社が綺麗になっていく・・・・・
ごみや落ち葉にまみれた境内はピカピカで、ゴミなんて落ちてないし、コケむしてた鳥居や境内もコケなんて生えてなかったかのよう。
そして、なぜだろう。
いつのまにか、あいつが来るのを楽しみにしているあたしがいる。
お祈りするでもなく、ただ、この忘れられた神社を掃除し続けるあいつ。
何でだろう、あいつが気になって仕方がない・・・・・・
「あ・・・・・来た・・・・」
今日は・・・・・工具箱なんて持ってるね・・・・
どこからか貰ってきたであろう木材まで抱えてる・・・・
神社正面の、穴のあいた賽銭箱と、鳴らなくなった金口(がらがらの鈴)・・・・
そいつを取り外し、賽銭箱をひっくり返して、修理を始めた・・・・・
お礼・・・・・言った方が、良いのかな?
でも、なんでこんな神社にあいつは一生懸命・・・・
ちょっと、顔見せるくらい・・・・・・
「・・・・・・!」
過去の記憶が、フラッシュバックする。
「うわー、けがまっくろなきつねなんて、へんなのー」
「ひぃ、黒狐見ちまうなんて、縁起でもない! くわばらくわばら・・・・・」
「黒狐のくせに稲荷になりたい・・・? ふふっ、いや失敬、身の程知らずだと思ってな・・・・・」
「母親は九尾の白狐、お父上も立派な神主様であるのに・・・・ほんとう、この子は誰に似たのですかね?」
「ちかよるな黒狐! 不幸が移る!」
「不吉な黒狐が稲荷になりたいなど・・・・身の程知らずではないのか?」
「黒いお狐さまですか? かまいませんよ、小さな村ですが、よろしくお願いします」
「今年の飢饉はやっぱり黒狐のせいだ」
「母さんが死んだ、黒い狐のせいだ」
「病気がはやったのは黒狐のせいだ」
「受験に落ちた、黒狐のせいだ」
「おまえのせいだ・・・・」
「おまえのせいだ」
「おまえのせいだ!」
そうだ、な・・・・さっさと顔見せて、嫌われよう。
その方がいい、きっとがっかりさせないですむだろうし。
だからあたしは、そいつの前に姿を現した。
耳も尻尾も隠さずに、黒狐として、黒い稲荷として。
賽銭箱に金槌をふるっているそいつの背に、声をかける。
「ご苦労なことだな、人間。」
「・・・・・・・・・・」
あたしが声をかけると、そいつはちらりとだけこっちをみた。
口に何本か釘を咥えたままなのが、ちょっと可愛い。
「あいにくここの祭神は見ての通り黒狐だ、ご利益など、何も無いぞ」
腕を組んで、タバコを咥えたまま、言い放つ。
「べつに・・・・・御利益目当てじゃないんでな・・・・・・・」
そいつはぶっきらぼうに答えると、また私に背を向けて、賽銭箱の補修に没頭し始めた。
って言うかちっとは驚けよ。
耳だよ?
尻尾だよ?
っていうか一応神様だよ?
なにこいつ、信じてないわけ?
「俺はここが好きだから、好きでやってる・・・・だからお稲荷さんは気にせず好きにしててくれ・・・・」
一応信じてはいるみたいだけど・・・・・リアクション薄くね?
まぁ、友達のジョロウグモとかアカオニとかネコマタの娘たちから、最近は人間社会に溶け込んでる仲間が増えてるって聞いてたけど・・・・
こいつもそういうツテであたし等みたいなのを知ってるってことかね・・・・・
「じゃあ何さ、掃除好きなわけ?」
「・・・・・・いや、そうでも無いかな・・・・」
言って、穴をふさぎ終わった賽銭箱を元に戻し、今度は金口の穴をふさぐ作業に取りかかる。
「御利益なんか無いわよ・・・・・」
「知ってるよ、近所のじーさんたちが言ってた。この神社は御利益が無いことで有名だってさ」
・・・・・悪かったわね。
「じゃ、なんであんたこんな事してんのよ。掃除好きでもないのに日が暮れるまで掃除続けたり、落ち葉集めて芋焼いたり・・・・・」
「芋、うまかったか?」
「あ、うん。甘くてとっても・・・・ってそうじゃなくて!」
「近所のばーちゃんからの、もらいモンだけどな・・・・無くなってたから猫かカラスにでも食われたかと思ったよ」
そういいながらも、そいつは補修の手を休めない。
「芋の話はちょっとおいといて・・・・・ともかく、あんたなんでこんなことしてるのよ? 何、バイト?」
あたしの質問に、そいつはちょっと考え込んで。
「強いて言うなら趣味・・・・かな・・・・・」
変な答えを、口にした。
「・・・・・何あんた、補修マニア?」
「そうとでも思っててくれ。よっ・・・と」
言ってそいつは、修理の終わった金口を取り付けて。
カランカランカラン・・・・・チャリ〜ン♪ スッ・・・スッ・・・パン! パン! スッ・・・・
背筋をまっすぐに伸ばし、綺麗な二礼二泊一礼。
思わず場の空気が引き締まるほどに、洗練された動きだった。
「って言うかバッカみたい・・・・祭ってる稲荷本人が目の前にいるんだから、賽銭も礼もあたしに直接しなさいよ・・・・」
フン、と鼻を鳴らす。
「ま、一応。せっかく直したんだしな・・・・・・・そんじゃ・・・・」
それだけ言って、そいつは工具箱を片づけて帰って行ってしまった。
賽銭箱の中身をみると、5円玉が9枚で45円也。
「始終ご縁がありますように・・・・・か。いまどきこんなこと知ってるなんて、珍しい奴・・・・・」
さ、酒飲んで寝よ寝よ。
見た感じ補修も全部終わってるみたいだし、もう来ないでしょ。
もう来ない・・・・・もうほんとに来ない・・・・かな?
次の日
「・・・・・・・・来てる」
さすがにもう直す処は無いだろうと思ってたら、今度はでっかい板と筆と墨汁持ってきてる・・・・・
「今日は何しに来たのよ?」
もう姿を隠す必要もないと踏んで、堂々と出迎えてやる。
「えーっと、神社の看板・・・っていうか名前かな? もうぼろぼろで読めないからさ・・・・・」
指差す先には、鳥居の柱、神社の名前が書かれた板は風化してすでにぼろぼろで、修復はさすがに無理そうだった。
なんと書かれていたかすら読めやしない。
「ふーん・・・・」
まぁ、無くても困らないけど、あって困るようなもんじゃないし。
適当に社の縁側に腰かけると、そいつは筆に墨汁を含ませて、板を置き・・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
冷や汗流して、見事に固まった。
「あんたひょっとして・・・・・この神社の名前・・・・・」
おずおずと申し出ると、
「忘れた・・・・・なんて書いてあるか全然読めん・・・・」
頭にでっかい水滴上の汗を浮かべて、ばつが悪そうに答えた。
「はぁ・・・・・“黒曜”(こくよう)よ、“黒曜稲荷”・・・・・」
ため息ついて答えてやると、そいつの硬直はすぐ解けた。
「黒曜・・・・稲荷・・・・・・と」
・・・・・見事にミミズが這いつくばって腹筋してるような字だわ。
「そうそう、あたしの名前でもあるから、よろしくね」
ぴく、と、そいつの手が止まった。
「小太郎・・・・・」
「えっ?」
「竜崎小太郎(りゅうざき こたろう)・・・・・俺の名前」
そう言って、再びミミズが這いつくばって腹筋したような書道を続けだす。
「ふぅん・・・・・よろしくね、小太郎」
ほんと、変なやつ。
何の得にもならないのに、ぼろぼろの稲荷神社を妙に気にかけたり、あたしが黒い狐だと知ってもビビらないし。
でもなんか、こいつと一緒だと、楽しい気がする。
「ああ、よろしく、黒曜」
数分後、書きあがった字にダメ出しをして、結局予備の板にあたしが自分で書いた。
小太郎はわりと本気でへこんでOrzしていた。
「よっし・・・・・こんなもんだろ」
鳥居の柱に掛かっていたぼろぼろの板を外し、代わりにあたしが書いた【黒曜稲荷】の板が掛けられる。
「んじゃ、俺帰るわ・・・・・」
言って、小太郎は墨汁と筆を片づけ始める。
「ああ、そう・・・・・・」
もう、小太郎は来ないのかな・・・・・
なんでだろう、そう思うと胸がきゅっと締め付けられるようだ。
いままでこんなこと、一回もなかったのに・・・・
「あのさ小太郎・・・・」
気がついたら、声をかけていた。
「ん?」
小太郎が振りかえる。
「・・・・・・うぅん、なんでもない・・・・・じゃあね」
またきてほしい、どうしてもその一言が言えなくて、飲み込んでしまった。
うつむいて首を横に振る。
これでいいんだ。
あたしは黒狐。
不幸の象徴。
忌み嫌われるもの。
あんまり関わったら、小太郎のためにならないから・・・・・
「あ、そうだ黒曜・・・・・」
あたしの思考を遮るように、今度は小太郎から声が掛かる。
「ん?」
「明日はお供え持ってくるけど・・・・・稲荷寿司と油揚げ、どっちがいい?」
ああ、そうか。
来てくれるんだ、明日も。
嬉しい・・・・・な・・・・・
「・・・・べ、べつにいらないけど、持ってきてくれるならもらってやる・・・・油揚げでお願い!」
思わず、ツンデレ風味で答えてしまった。
追伸・翌日、お供えだと言って、どん○えのきつねうどんの油揚げだけフタに乗せて供えたので蹴りいれてやった。
ちゃんと油揚げの煮物(レトルト)は隠し持ってたくせに・・・・変ないたずらしやがって!
・・・
・・・・・・
「油揚げ・・・・・・か・・・・・・」
小太郎は、山道を抜けて、家に帰るべく歩いていく。
すでに何度も通った道、獣道ではあるものの、日が暮れたくらいで迷いはしない。
「どん○えの油揚げだけ渡してみるか・・・・・まぁ、ちゃんと油揚げの煮つけを後で渡せば良いし・・・」
ケータイのライトで道を照らしながら4、5分も歩けば、街灯のある舗装された道路に出た。
「ふぅ・・・・・」
ケータイをポケットにしまい、代わりにカギを取り出した。
傍らに止めてある黒い自転車の鍵を外し、からからと引いて歩いていく。
乗って帰ればいいのだが、今日はなんだか歩きたい気分だった。
・・・・・・自転車を引いて歩くこと数分。
ちらほらと民家が見え始めたその時、見慣れない少年が街灯に照らされて佇んでいた。
年のころは17、8か。
全身黒づくめの小太郎とは対照的に、服も、靴も、ズボンも白。
唯一色が異なるのは、金髪碧眼であること。
「こんばんわ。あなたは神を信じますか?」
いきなり声をかけられた・・・・・しかも日本語が流暢だった・・・・・・
「いや、特には・・・・・・」
あまり関わりたく無いので、足を止めずに適当にあしらっておく。
「ああ、それは良くないですよ・・・・・これをどうぞ・・・・携帯用の聖書です・・・・ああ。ご安心を無料ですから」
ニコニコと微笑みながら勝手に自転車のかごに聖書を入れてくる。
しかもしつこく、小太郎に歩みを合わせて付いてくる。
「良いですか、日本人が良くないのは基本的に無宗教だからです・・・・まぁ、ブッキョーとかシントーとかいう悪魔の教えに従うよりはまだ、救う
余地があるのですよ。あなたもこれを機に是非! 主神の教えを共に学ぼうでは・・・・・ちょ、どこに行かれるのです、まだ私の話は・・・・・」
あまりにもウザかったので、引き離すべく自転車に乗って加速し始める。
「お待ちなさい! 最後に私の忠告を―――――」
走って追いて来た! マジウゼェ!
「――――――狐とは、縁を切った方が良いですよ―――」
その一言だけが、べったりと耳にこびりつく。
「――――っ!?」
一瞬、止まるかどうか迷うも、結局全力の立ちこぎで引き離した。
そして、数分後・・・・・村の役場前に着いたころには、もうその少年の姿はなかった・・・・・・
「なんだったんだ・・・・あいつ・・・・・」
小太郎のつぶやきだけが、夜の闇に溶けて消えた。
11/05/05 23:53更新 / たつ
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