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可愛らしい服を着た人間を、扇情的な格好のサキュバスが組み伏せている。
服屋の更衣室にしては広いその空間で起きていたのは、一言で表すならそういう状況だった。
人間の方は線の細い美貌を焦りに引きつらせ、一方のサキュバスは純粋な善意に満ちた笑みを浮かべている。
こういう光景は、人間の女を魔物化させようとするような流れの中でよく見られるものだ。物騒なようにも見えるが、昨今では日常茶飯事である。
しかしながら、ここには一つだけそうした事例との差異があった。
それは、組み伏せられている人間ことルカ・ファルヴァが、れっきとした「男」だということだ。
「ちょ、ちょっと待て、落ち着け! 落ち着けシューラ! 話を聞け!」
叫びながら必死に身体をよじり、ルカはサブミッションからの脱出を試みる。
しかし、上に跨がったままの相手はびくともせず、平然とした様子で首を傾げた。
「? 落ち着いてるよ?」
シューラと呼ばれたサキュバスは、不思議そうに眉を寄せる。
その手には、禍々しく蠢く黒紫の球体があった。靄のようなものを纏うそれは、先程シューラが生み出したばかりのものである。
「さ、さっきから持ってるそれはなんなんだよ! 怖いよ!」
「ん? これはわたしの魔力を固めたものだよ。これをぶつけて男の子の素を全部出しちゃえば、女の子になれるんだよ!」
「はぁ!?」
「あっ、痛くないから安心して。むしろすっごく気持ちいいって話だし――」
恐ろしいことを笑顔で言い放つシューラに、ルカは顔を青くしながら喚いた。
「は!? っていうかお前魔物だろ!? しかもよりによってサキュバスなのにそういう方法っておかしくないか!? せめてなんかもっとこう……あるだろ! うれしはずかしな感じとかドキドキする感じのやつとか! いや例えそれでも嫌だけど!」
「えっ、どうだろ……うーん、ごめん。思い浮かばないからこのまま撃つね!」
「やっ、やめろおおおっ!」
店内に響き渡るほどのルカの声はしかし、更衣室の魔力式吸音壁に吸い込まれて漏れ出すことはなかった。
>1
「シューラ、またお前か……」
休日の朝。
家を出て数秒で、ルカはうんざりした声とともに足を止めた。
その眼の前に立っていたのは、布面積の極めて少ない服――というのも憚られるような格好をした、サキュバスの少女である。
「えへへ、おはよー!」
ぴょんと手を上げ、元気よく挨拶をすると胸がゆさりと揺れる。
乳の下半分、言うならば南半球が露わになっているタイプの服装はこういう時とても破壊的だった。
こんな服装をしているのは種族のせいもあるのだろうが、それにしたってあまりにも無防備で目のやり場に困る。
胸から視線をそらしつつ、ルカはため息混じりに告げた。
「だから、つきまとうなって言ってるだろ。何が目的なのか知らないけどさあ」
「まあまあ、そうおっしゃらずー」
言いながら、シューラはさり気なく距離を縮めてきた。はちみつ色の緩く柔らかな長髪がふわりと靡いて、甘やかな匂いが漂ってくる。
ルカは気づいて離れようとするが、腕を絡められてしまい逃れられない。豊満な双丘が腕に当たっているのにシューラは気づかないのか、それともわざとなのだろうか。
すでに1週間ぐらいはこの調子で、外に出る度にどこからともなく現れてずっと付きまとってくるのだ。
その理由は、今のところ不明である。
最初こそ得体の知れない状況に困惑していたルカだったが、どんな突拍子もない出来事でも一週間続けば慣れてしまうものらしい。
「えへへ、今日もかわいいねえ」
シューラはぴったりとくっついたまま、ルカの服装を見て頬を緩ませる。
今日のルカの格好は、チェックのスカートに糊のきいたシャツとかっちりめなジャケットという女学校の制服を模したトラッドスタイルだった。
棘を感じさせる目つき以外は繊細で儚げな顔の造形も含めて、ルカを見た者はおそらく十中八九が「美少女である」と判定するだろう。
首ぐらいまでの丈の髪だけは若干中性的とも言えるが、少なくともそれだけでは誰も男性だとは思わないはずだ。
「そういう台詞、お前が言われる側なんじゃないのか?」
「えっ、わたし!? わたしは……言われないかな」
「あー……確かに、かわいいってのはちょっと違うかもな」
ルカは改めてシューラを見て、ふさわしい言葉を考える。
蜂蜜を纏ったような長髪、金色に輝く妖しい瞳、すらりと高い背、そして言うまでもない完璧なプロポーションの身体。シューラは、見た目だけで言えばまさに「男を籠絡する手管に長けた妖艶なサキュバス」そのものだった。
しかし、その中身に少し問題があるのだ。少女――というか、むしろ女児と言ったほうが正確なほど、シューラの精神年齢は低かった。
そのせいもあって、もともと持っているポテンシャルを発揮できていないのが実際だった。
見方を変えれば、見た目にそぐわない無邪気な仕草がアンバランスな魅力を生み出している――とも言えなくもないが。
ルカがしっくりくる単語を思いつくより早く、シューラが口を開いた。
「ねえ、今日はどこいくの? お仕事お休みなんでしょ?」
「ん? ああ、そうだ。大事な休日だよ。今日はマジでついてくるなよ、買い物行くんだから」
「えっ、お買い物!? どこどこ? どこに行くの?」
「言わない」
「なんでー! ついてってもいいでしょー?」
「だめ」
「えー! いいじゃんいいじゃん! 邪魔しないからー!」
「もう十分邪魔してるんだが!?」
駄々をこねるシューラに、ルカは口が滑ったことを悔やむがもう遅い。
こうなると聞かないということは、出会ってからの一週間で嫌という程わかっていた。
特に今日だけはついてこられるのを避けたいところだったが、いまさら隠しても仕方がないのも確かだ。
誤魔化してもついてくるだろうし、相手は魔物であるから撒くこともできないだろう。
ため息をついて、観念するようにルカは頷いた。
「……服屋だよ」
「あー! おめかしする気だー!」
シューラは囃し立てるように言うと、ぐいぐいとルカの顔を覗き込んできた。
その度に腕に柔らかいものを感じ、ルカは否が応でも彼女の胸を意識してしまう。
「あれでしょ、好きな人いるんでしょ?」
「……え?」
瞬時、ルカの動きが固まる。
――好きな人。
「好きな人! いるんでしょ?」
きらきらした目をまっすぐ向けられて、ルカは思わず顔を背けた。
「……い、いないし」
「いま考えたでしょ! 怪しい間があったよ!」
(くそっ、変なところだけ鋭い……)
「ま、それはいいや」
冷や汗が出てくるのは、思わず核心を突かれそうになったせいだ。
しかしシューラにそれ以上追求するつもりは無いらしいと見えて、ルカは安堵の息を吐く。
「やっぱり、かわいくするのって好きな人に振り向いてもらいたい的な?」
「いや、それは違うな」
「えっ、違うの?」
「ああ」
意外そうに問い返すシューラに、ルカは大きく頷いてみせた。実際、この服装や髪型は「好きな人」とは全く関係ないのだ。
「こういう服が似合うから着てるってだけだ。ほら、俺の顔ってかわいいだろ?」
理由を言い放ちながらの、渾身のドヤ顔である。
さすがのシューラも気圧されたのか、妙に感心してしまっていた。
「す、すごい自信だ……!」
「当たり前だろ。せっかく生まれつき女みたいな見た目なんだから、無理にカッコつけるより最大限良さを引き出したほうが楽しいしな」
――そう、それがルカの服装や髪型の理由の全てだった。
なぜそういう服を着ているのかと問われれば、「似合うから」。それ以外には訳も目的もないのだ。強いて言うなら、より可愛くなるようなものを着るということぐらいだろうか。
ルカは気を取り直して、本来の目的に向かうことにする。
もちろん、道連れができたことは想定外ではあったが。
「ほら、歩きづらいから少し離れろって」
「あっ、うん。ごめん」
ルカが言うと、これにはシューラは素直に従った。しかし、離れたと思うと今度は自然に手を繋がれてしまう。
一瞬抵抗しようかとも思ったが、ルカは思いとどまる。
振り払って逃げようにも向こうのほうが体力あるし、背中の翼で飛ばれてしまえばおしまいである。
それに何より、これなら歩くのに邪魔になるというわけではない。
……これって、普通にデートしているのと変わらないのではないだろうか。
ルカは一瞬浮かんだそんな考えを振り払い、大股で歩き出した。
>2
「はあ……結局一緒に来てしまった……」
服を選びながら、ルカは本日何度めかのため息をつく。
この日、ルカが選んだのは、魔物が経営しているという噂の洋服店だった。
かなり大きな店構えに違わず店内は非常に広く、品揃えも男女問わず豊富である。黒を基調としたものや、いわゆる「攻めた」デザインが多いのはやはり経営者の意向だろうか。
とはいえ、そんな中でも普段のものと合わせられそうなアイテムもちらほらある。
思わず目を留めてしまった、黒赤チェック柄のスカートなどもその一つだ。
しかし、ルカの今日の目的はこういうものではなかった。
「んー、まような―」
声のするほうを見れば、シューラが服を物色していた。
前かがみのような体勢のせいで、丈の短いスカートからショーツが見えてしまっている。
……いや、あれはショーツなのか?
ルカは目を疑った。履いていないのと大差ないのではないかと思うほど際どいそれは、布というよりは紐である。
他の客から見えないように、ルカはさり気なく自分の身体で隠してやった。
「ねーねー、これとか似合うんじゃない?」
ルカの気遣いなどいざしらず、シューラはなにやら持ってくる。
見れば、それはシューラが履いているのと同じような――「極端に布面積の少ないなにか」だった。
「なんだこれ!? 紐じゃねーか!! お前のパンツじゃないんだぞ!?」
「え? 私の?」
「あ、い、いや、なんでもないなんでもない!」
きょとんと首を傾げるシューラに、ルカは思わず口を滑らせたことに気づいて慌てる。
見ようと思って見たわけじゃないのだから堂々としていればいいのだが、気まずいことに変わりはないのだ。
「し、しかしあれだな、そういうきわどい服ってこういうところに売ってるんだな」
「そういえば、今日はいつもの感じのお店じゃないんだね。こういうのも好きなの?」
「た、たまには気分を変えてだな……」
適当に話を逸らそうとして、ルカはなぜか余計に墓穴を掘っているような気分になってしまう。弁解するようなことではないのだが、ここに来た真意はなるべく隠しておきたかったのである。
シューラは合点したように手を叩き、大きな声で答えを言ってのけた。
「あ、わかった! 勝負服ってやつだ!」
勝負服。
そのキーワードを受けて、ルカはあからさまに動きが固まってしまう。
完全に図星だった。
ルカの表情が引きつったのを見逃さず、シューラは重ねて指摘する。
「あー! 今ギクってしたでしょー!」
「ほんとどうでもいいところ鋭いなお前!」
「ねーねーだれがすきなのー? ねーねー! 誰のための勝負服なのー!?」
正解であると見てか、シューラはここぞとばかりに追求してきた。
物理的にもぐいぐいと迫ってくるせいで、朝と同じように色々なところが当たってしまう。
「小学生かお前は! 別に好きなやつなんかいないし、いたとしても教えないからな!」
「えー! おしえておしえておしえて!」
「教えない教えない教えない!」
「おしえてよー!」
体温や柔らかさ、甘い匂いにきわどい服装というフルコースで感覚器官を多段攻撃されて、ルカは目が回りそうだった。
加えて思い出してしまうのは、図らずも見てしまったシューラの臀部の曲線、そして股間を隠すあの下着である。
そろそろ限界であった。
「だあああもう! 更衣室行ってくる!!」
「きゃっ!?」
ルカは喚きながら手近な服を引っ掴むと、逃げるように更衣室へ飛び込んだ。
店の奥にあるそこは、分厚いカーテンを閉めると薄暗くて店内の音も聞こえない。
広さもそこそこ余裕があり、心を落ち着かせるには意外にもうってつけの空間だった。
「……ったく」
深々と息を吐いて、ルカは鏡に映る自分を見る。
頬どころか耳まで真っ赤な今の表情は、誰が見たって完全に動揺しているのがわかるだろう。
くっつかれた方の腕に、まだ感触が残っているような錯覚があった。
あの遠慮のなさはなんなのだろうか。奔放な魔物も多いとはいえ、それにしたってぐいぐい来すぎではないか。
何にせよ、ひとまず冷静にならなくてはいけない。気を取り直して、とりあえず持ってきた服でも見てみるか。
そう考えて手に持ったハンガーに視線を落としたルカは、思わずそれを二度見してしまう。
紐だ。
慌てて避難したあまり気づかなかったが、よりにもよってシューラが持ってきた――あの紐のような服をそのまま掴んでしまっていたらしい。
「おいおいおい……」
まさか着てみるわけにもいかず、途方に暮れつつタグに目をやるとそこには「トップス」とある。つまりは上半身用の服だというわけだ。
「この紐で隠すの……? 乳首を……? マジかよ……」
まだ裸のほうが恥ずかしくないのではないか、と思わせるような服装である。シューラも大概露出過多気味ではあるが、上には上がいるということなのだろう。
想像の余地を超えた世界に唖然としていると、出し抜けに更衣室のカーテンが開く。
驚いたルカの目に入ってきたのは、シューラの姿だ。
「え!? は!?」
あまりにも唐突なことにルカは思わず後退りするが、一方のシューラは「良いことを思いついた」感に満ちた表情で更衣室に乗り込んでくる。
「ルカ! おめかし手伝ってあげる!」
「い、いや必要ないから! 今出るところだし!」
しかしシューラはルカの言葉を聞かず、じりじりとにじり寄って来た。
シューラが後ろ手にぴたりとカーテンを閉めた瞬間、更衣室の壁の張り紙が目に入る。
そこには、「当店の更衣室は完全防音となっております」とあった。
更衣室を防音にする必要性はルカにはわからなかったが、一つだけ確かなことがある。
このままでは外に助けを求めることができない、ということである。
「大丈夫だよ、痛くしないから! すぐおわるし!」
「おい待てこっち来るな! おい――――」
必死に抗議も虚しく、ルカはたやすく押し倒される。
――それが、ここまでの顛末であった。
>3
そして、現在。
「思い浮かばないからこのまま撃つね!」
「やっ、やめろおおおっ!」
シューラが振りかぶると同時に、球体は一層禍々しいオーラを放ち始める。
ルカの叫び声はおそらく外には全く聞こえていないし、この状況を切り抜けるには自力でなんとかする以外にないだろう。
だが、腹の辺りにのしかかられてしまって逃げ出しようがないのも確かである。
このままでいれば、きっと本当に女の子にされてしまう。
「うわあああああ!」
ルカは一か八か、シューラを止めようと闇雲に手を伸ばした。
――ふにゅっ。
その掌を、唐突に吸い付くような柔らかさが満たす。
「……え?」
見れば、ルカはシューラの露わな下乳を鷲掴みしてしまっていた。
ちょうど手を伸ばした先に胸があった――と言うと言い訳のようにも聞こえるが、そうとしか言いようがない状況だ。
「きゃっ!?」
「あっ!? ご、ごめん……!」
ルカは慌てて手を放すが、驚いたシューラはとっさに後方に飛び退る。
着地した場所は、さっきまでの位置のやや後ろだ。
――つまり。
スカートに隠れた下で大きくなっていた、ルカの男の子的な部分のちょうど真上である。
「ふぇ!?」
シューラは甲高い声とともに股間の辺りを見る。
体重をかけた瞬間、股間に当たる違和感に気づいたのだろう。
「あっ、い、いや、あの……」
ルカは弁解しようとするが、股間に乗る体重が先程の光景を想起させた。
シューラのお尻、そしてあのきわどい下着。あそこに布越しとはいえ自分の性器が密着しているのだと思うと、もはや勃起を抑えるのは不可能に近い。
これ以上血液が股間に集中する前に離れてもらわなくては、多分大変なことになるだろう。
「ひゃああ!? なんか大きくなってる!?」
「わっ、あ、と、とりあえずどいてくれ! 頼むから!」
「わ、わかった!」
ルカの必死の懇願もあってか、シューラも今度は素直に従って床に降りる。
その手からは、いつの間にか禍々しい球体は消滅していた。
起き上がって息を整えるルカに、おずおずとシューラが問いかける。
「い、今のって……」
「……ああ。俺も男だからな、そりゃついてるもんはついてるし興奮すれば勃起もするよ」
答えつつ、ルカは下から押し上げられた状態のスカートを隠すように背を向けた。すでに抑えつけて隠すには大きくなりすぎているし、そもそも抑えつけられるほどの硬度ではない。
シューラは心底意外、という感じで目を丸くした。
「え、男の子が好きなんじゃないの!?」
「ちっ、ちげーよ!」
「だ、だってかわいい服とか着てるし、アルプになりたいんじゃ――」
「これはこれ、それはそれ! かわいくなりたいからって恋愛対象が男ってわけじゃないし女の子になりたいってわけでもねーよ!」
これまでも何度かこのことについては説明したつもりなのだが、未だにシューラは納得していないようだった。
しかし、ルカとしては「かわいい服が似合う」からといって「女の子になりたい」というわけではないのだ。
それに、ルカにはシューラの言うことを明確に否定できる一つの証拠もある。
だがその証拠となる一つの事実については、まだシューラに告げるつもりはなかった。
案の定シューラは訝しげに眉を寄せ、疑うような上目遣いでこちらを見てくる。
「え、本当に……? なんか誤魔化してるんじゃ――」
「誤魔化しで勃起なんかするわけねーだろ!」
「じゃ、じゃあなんでおちんちん大きくなってるの……?」
「そっ、そりゃあ勃つに決まってるだろ! 好きな子のむ、胸触っちゃったんだから!!」「え!?」
「あ」
言ってから、ルカは口が滑ったことに気がついた。
弁解に必死になりすぎて、思わず言う必要のないことまで飛び出してしまったらしい。
冷や汗が吹き出し、ルカは慌てて何か取り繕う言葉を探す。
しかし本当に焦ると何も出てこないようで、ただわたわたと口を開閉するのみである。
結局、先に言葉を発したのはシューラの方だった。
「わ、わ、わたしのこと、好きなの……!?」
こちらもルカに負けず劣らず動揺しているようで、いつもの勢いはない。真っ赤な顔のまま、心底不思議そうに首を傾げていた。
「な、なんで……?」
ルカは深呼吸をして、覚悟を決める。
事がここに至っては、もう隠していてもしょうがないだろう。それに、この辺でしっかりと誤解を解いたほうが良さそうなのも確かだ。
一度躊躇するとまた言えなくなりそうなので、肺に入れた空気とともに一気に吐き出す。
「一目惚れだよ!!」
「へ!?」
告げるつもりがなかった「証拠となる事実」とは、まさにこのことだった。
シューラに一目惚れしていた――つまり、シューラのことを好きだということである。
まさか「まだ言うつもりはない」と考えた直後にぽろっと言ってしまうとは、ルカも自分のことながら想像していなかった。
一度言ってしまえば、もうそこからは止まらなかった。ルカは自棄にも近い勢いで、一息にまくしたてていく。
「最初に俺の所に来たときからすごくかわいいと思ってたし、気づいたらお前のことばっかり考えてて仕事も手につかないし、誰かのことをこんなふうに思っちまうのも初めてだし、どうすりゃいいのかわからないしですげえ困ってんだよ! 今日ここに来たのも、魔物がやってる店だって聞いたからお前に好かれそうな服もあるかなって思ったからだよ! 悪あがきだってわかってんだけどな! だって俺、お前のこと名前とか以外なんも知らないし、そっちから会いに来てくれるけどどこ住んでるかわかんないから俺からは行けないし、っていうかそもそも望みもなさそうだし……だってスタイル抜群の金髪美女だよ!? そんなん俺なんかに見向きもするわけないじゃんか! 絶対あれだよ、背が高くて声が低くて筋肉があって……とにかく、俺とは真逆のタイプが好きなんだろ!? 違うか!?」
そこまで一気呵成に言って、気づけばルカはシューラに詰め寄っていた。
勢いに圧倒されていたシューラは、唐突に向けられた質問を受けて口ごもる。
「い、いやそれは人によるっていうか、なんていうか……」
「じゃあお前はどうなんだよ! 言っとくけど、俺に自信があるのはかわいさだけだからな!」
「え、え、えっと……あぅ……こ、こんなの初めてだからなんて言えばいいのか……」
「は!? 初めて!?」
ルカは驚愕した。耳を疑う言葉である。
困ったように視線を逃がして、シューラはうん、と頷いた。
「初めてだよ。だ、誰かにす……好き、って言われたの」
「な、なんで!? こんなにかわいいのに!?」
「そっ、それはこっちの台詞っていうか……わたし、全然かわいくないし」
シューラは何やら言い返そうするが途中で諦めたようで、拗ねるように口を尖らせる。その仕草が既にかわいいということに気づいていないらしい。
「はー!?!? 全然かわいいですが!? 俺より全然かわいいですがー!?!? 悔しいけど!!」
「そっ、それはないよ! だってルカめちゃめちゃかわいいよ!? 私なんておばかだしドジだしよく道にも迷うし、お姉ちゃんたちみたいにせくしーでもないし!」
「いやいやいや、お前自信なさすぎだぞ!?」
「……お姉ちゃんたちにもよく言われる」
悄然とするシューラを見るに、どうやら姉たちもかなりの美人ぞろいなのだろう。
しかし、自己評価が主観的なものになるのは当たり前だとはいえ、それにしても自信がなさすぎるのではないだろうか。普段の元気さから悩みなどなさそうに見えたが、意外な一面である。
「だから、ルカが自信いっぱいあるのすごいなって思って……それで、お友達になりたいなって思ったんだけど……毎回お話する度にすごく緊張しちゃって」
「お前緊張してたの!? あれで!?」
聞き捨てならない言葉に、ルカは思わず身を乗り出した。誰が緊張した状態で自分から腕を絡めに行くだろうか。
しかし本人としては真実なようで、シューラは胸の前で握りこぶしまで作って真剣に訴える。
「すっごいどきどきだよ!? 昨日も8時間しか寝られなかったし」
「けっこう寝てるじゃねえか! 俺の平均睡眠時間より寝てるよ!」
「ええ!? もっと寝なきゃだめだよ! 寝不足は健康に良くないんだよ!?」
逆に説教されてしまい、ルカはため息と共に座り直す。気を抜いていると、こんな感じで一瞬で話が脱線してしまうから気をつけなくてはいけない。
「まあいいや……てか、それじゃ最近いきなりつきまとうようになったのは、俺と友だちになりたかったからってことなのか」
「……うん」
恥ずかしげに頷くシューラを見た刹那、ルカはあることに気づいてしまった。
「友達」になりたい、ということはつまり――
ルカは自分の懸念が外れることを祈りつつ、恐る恐る問う。
「……ていうかそれ、あれか? 「お友達でお願いします」っていう意味?」
「え?」
「それ以上の関係にはなれないのか、って聞いてるんだよ」
「……それ以上? お友達……以上ってことは、きょうだいとか……?」
「ちっげーよ!! 恋人だよ! 普通友達以上って言ったら次は恋人だろ!? いや友達以上恋人未満とかいうのもあるけどさあ!」
「……? こい……こ……あっ、えっ!? ああああ……!」
シューラはしばらく考えてからルカの言葉の意味を把握したらしく、再び真っ赤になりながら口元を押さえる。
「こっ……!? わ、わたしと!?」
「だから何度もそう言ってるじゃんかよ!! わざとやってるのか!? こちとら恥ずかしくて死にそうだよ!! お前が好きなの! 一目惚れしてんの! さっきも言ったように、お前に気に入ってもらえるような男っぽい服とか探しにここに来たの!」
「あ……! そ、そっか……そうだったね……!」
既視感のあるやり取りをしたというのに、シューラは湯気が立ちそうになりながら「こ、こいびとかあ……」とかぶつぶつ呟いている。この調子だと、こちらの好意が本当に伝わっているのかも疑わしいところだ。
おそらく本人としては意外なことすぎて実感が無いんだろうが、それにしたってぼんやりしすぎだろう。或いは掌の上で遊ばれているのかもしれないとすら思ってしまう。
ここは一旦この場から離れ、冷静になったほうがいいかもしれない。
「あーもう、調子が狂っちまう……ちょっと頭冷やしてくる!」
「ま、待って!」
更衣室を出ようと立ち上がったルカの手を、シューラは咄嗟に引っ張った。
予想外なほど強い力に、ルカのバランスはたやすく崩れる。
「え――うわぁっ!?」
「きゃんっ!?」
ルカが倒れた先は、シューラの上だった。
何かに視界を塞がれているせいで真っ暗だが、柔らかなそれのおかげで痛みはない。
「いたた……だいじょうぶ?」
「……っ!!?」
頭の上から聞こえるシューラの声に、ルカは自分が何に顔を埋めているのかを把握した。豊かで柔らかなそれは、さっきも触れたばかりの――
直後、ようやく落ち着こうとしていたはずのルカの一部が再び力を取り戻す。
「ん……? 何か当たって……あ」
さすがのシューラもそれが何かということに気づいたらしい。胸から顔を上げたルカと目があった時、その顔は紅潮していた。
慌てて離れ、今度は完全に背中を向けてルカは頭を下げる。
「っ! わ、悪い、何度もこんな……!」
「え、あ、い、いいよ! ぜんぜん!」
謝罪とは裏腹に、一度勃起したものはなかなか小さくなる気配がない。
ルカが途方に暮れていると、シューラが躊躇いがちに沈黙を破った。
「その、そういうのって、つまり……私と……そういうことしたい、っていう……」
ルカは答えるか迷うが、結局頷く。いまさら隠しても仕方がない。
「……そうだよ、悪いか。お前いつもべたべたしてきて、反応しないように我慢すんのめちゃめちゃ大変だったんだからな……!」
「ほ、本当……?」
「当たり前だろ! こんな格好しててもいちおう健全な男子ですし!! この一週間だけでも、お前のことなんどもおかずに――」
「えっ」
「あ、いや、なんでもない」
言う必要のないことまで漏れかけて、ルカは慌てて止めた。
しかし、どうやら遅かったらしい。
「なんていうか……かわいい見た目でそんなこと言われると、すごくいけないことしてるような気がする……」
「なっ、なにいってんだバカ!」
思わず振り返りかけて、はたと思いとどまる。勃起は収まってきたが、まだなんとなくシューラの顔は見られなかった。
そうしていると、再びシューラが口を開く。
「……本当に私と……その、こいびと……に、なりたいの……?」
「……何度も言わせんな」
照れ隠しに言い放つと、思ったよりぶっきらぼうな口調になってしまった。
シューラはその後になにも続けず、静寂が更衣室を満たす。
時間にしたら数秒の、あまりにも静かな瞬間。急に不安になって、ルカは恐る恐る振り返った。
「っ!?」
その目に飛び込んできたのは、決壊寸前まで潤んだ瞳を向けるシューラの姿だった。
思わず息を呑んだルカはしかし、何も言えないままにただ次の言葉を待つ。
何度かの慎重そうな呼吸の後、シューラはかすかに口を開いた。
「……う」
「……う?」
「うれしい……!」
胸の奥から溢れ出すような声とともに、シューラが唐突に飛びついてくる。ルカはその勢いを受け止めきれず、二人で床に倒れ込んでしまった。
しかしシューラは構わずに両手を回し、ルカをぎゅうぎゅうと抱きしめる。
「えへへっ、うれしいっ! うれしいよーっ!」
「い、いいの!? え!? いいのか!? 友だちになりたいんじゃないの!?」
思わず抱き返しそうになって、ルカは空中で手を泳がせる。このまま抱きしめ返してもいいものなのだろうか。
一方のシューラはそんな葛藤など知る由もなく、弾んだ声で返した。
「だってずっと友達になりたいって思ってた人が恋人になってくれるんだよ!? 嬉しいに決まってるじゃん!!」
「そ、そういうもんなの!?」
「そういうもんだよー! えへへー!」
そのまま頬ずりしてくるシューラを、ルカも恐る恐る手を回して抱き返す。
密着すると、その身体の重みと柔らかさがぴったりと伝わってきた。
その瞬間、ルカは直感する。これは危険だ。
「ま、待て、あんまりすりすりされるとヤバいって!!」
ここまでの流れでようやく沈静化しそうになっていたごく一部に、再び血流が集まってくるのがわかった。
密着した状態で勃起でもしてしまえば、今度こそ我慢できなくなってしまうかもしれない。
「ん? もっとぎゅーってしたほうがいい?」
「それはもっとヤバい!!!」
しかし恐慌するルカを無視して、シューラは一層密着してきた。
押し付けられる胸に悲鳴を上げるが、どうやらしばらく離れてくれそうにない。
――そして結局、更衣室を出たのは小一時間後となった。
>4
外に出てみれば、まだ日は高い。ちょうど正午を過ぎたあたりだろうか。
ルカは新品のスカートを履いていた。
下ろしたてのせいでまだなんとなくぎこちないが、着てきた上着と合わせても違和感のないデザインである。黒系のキュロットで、丈が短めな以外には文句なくかわいい。これでも、あの店の品揃えの中では比較的落ち着いている方だ。
裾を気にしつつ、ルカは先程までの出来事をなるべく思い出さないように努力していた。
……つまり、あのあと更衣室で起こった一連の行為である。
そのせいでわざわざ新しいスカートを買い、履いてきた方をクリーニングに出さなければならなくなったのだ。
洋服店に併設されていたクリーニング屋は、なんでも「そういう」汚れに強いのだそうで、スカートを見た途端に何が合ったのかを察したようだった。
おそらくだが、あの店の更衣室ではではよくあることなのだろう。
「それじゃ、どうしよっか。どこいく?」
くるりと振り返って、シューラは眩しい笑顔を向けてくる。
いや、前ときっとそんなに変わらない笑顔のはずなのだが、関係性が変わるだけでこんなにも眩しく見えるものなのだろうか。
ルカはいつもの調子で返答しようとするが、思うように言葉が出てこない。
「あ、あれだ。ほら、なんか勢いで告白しちゃったからさ、順序が逆になっちゃうけど、その、まず、お、お互いのことをもっと知らないと。あの、ほら、あれ、これデッ……デート? みたいなあれだし、よ、よかったら……手、とか……」
ほとんどがちがちになりながら、ルカはぎこちなく手を差し出した。
あまりにも固くなりすぎだとルカ自身も思うが、仕方ないことだと内心で言い訳する。自分がいくらかわいくとも、女の子と付き合うのは初めてのことなのだ。
「う、うん!」
差し出された掌の意味に気づいてか、シューラもおずおずと手を伸ばす。
つないだ手の心地を楽しむのもつかの間、ルカは早くも下半身に血液が集まっていこうとするのに気がついた。
心の中で何度も静まるよう念を送るが、性欲は命令を聞く気はなさそうだ。
告白する前とは明らかに違う敏感な反応に、ルカはひょっとして早くも魔力の影響を受けているのではないかと疑った。
「じゃ、じゃあ、まずはどこ行く? あっ、別の洋服屋さんとか?」
「いや、いいや。必要なくなったし……あ、でもシューラがして欲しい格好とかあるならそれにするけど」
「本当に!? そ、それじゃあ――」
「あんまエロいのはだめだぞ」
「ええー!」
どうやら先手を打って正解だったようだ。シューラのことだから、あの紐みたいな服を推してくるとも限らない。
着て欲しいというならやぶさかではないが、他の人には見せたくないし、なにより段階を踏んで欲しいのが本音である。
というよりむしろ――
「……お前が着てくれるならいいけど」
「え? いいよ?」
「そっ、即答だと……」
思考したとは思えないほどの返答速度に驚くが、直後に脳裏へと浮かんだのはシューラがあれを着ている姿だ。
「……!」
「ん? どうしたの?」
「な、なんでも……ない」
妄想のせいでいよいよ勃起しそうになりながら、ルカは思った。
……やっぱり、もう少し更衣室にこもっておけばよかったかもしれない。
服屋の更衣室にしては広いその空間で起きていたのは、一言で表すならそういう状況だった。
人間の方は線の細い美貌を焦りに引きつらせ、一方のサキュバスは純粋な善意に満ちた笑みを浮かべている。
こういう光景は、人間の女を魔物化させようとするような流れの中でよく見られるものだ。物騒なようにも見えるが、昨今では日常茶飯事である。
しかしながら、ここには一つだけそうした事例との差異があった。
それは、組み伏せられている人間ことルカ・ファルヴァが、れっきとした「男」だということだ。
「ちょ、ちょっと待て、落ち着け! 落ち着けシューラ! 話を聞け!」
叫びながら必死に身体をよじり、ルカはサブミッションからの脱出を試みる。
しかし、上に跨がったままの相手はびくともせず、平然とした様子で首を傾げた。
「? 落ち着いてるよ?」
シューラと呼ばれたサキュバスは、不思議そうに眉を寄せる。
その手には、禍々しく蠢く黒紫の球体があった。靄のようなものを纏うそれは、先程シューラが生み出したばかりのものである。
「さ、さっきから持ってるそれはなんなんだよ! 怖いよ!」
「ん? これはわたしの魔力を固めたものだよ。これをぶつけて男の子の素を全部出しちゃえば、女の子になれるんだよ!」
「はぁ!?」
「あっ、痛くないから安心して。むしろすっごく気持ちいいって話だし――」
恐ろしいことを笑顔で言い放つシューラに、ルカは顔を青くしながら喚いた。
「は!? っていうかお前魔物だろ!? しかもよりによってサキュバスなのにそういう方法っておかしくないか!? せめてなんかもっとこう……あるだろ! うれしはずかしな感じとかドキドキする感じのやつとか! いや例えそれでも嫌だけど!」
「えっ、どうだろ……うーん、ごめん。思い浮かばないからこのまま撃つね!」
「やっ、やめろおおおっ!」
店内に響き渡るほどのルカの声はしかし、更衣室の魔力式吸音壁に吸い込まれて漏れ出すことはなかった。
>1
「シューラ、またお前か……」
休日の朝。
家を出て数秒で、ルカはうんざりした声とともに足を止めた。
その眼の前に立っていたのは、布面積の極めて少ない服――というのも憚られるような格好をした、サキュバスの少女である。
「えへへ、おはよー!」
ぴょんと手を上げ、元気よく挨拶をすると胸がゆさりと揺れる。
乳の下半分、言うならば南半球が露わになっているタイプの服装はこういう時とても破壊的だった。
こんな服装をしているのは種族のせいもあるのだろうが、それにしたってあまりにも無防備で目のやり場に困る。
胸から視線をそらしつつ、ルカはため息混じりに告げた。
「だから、つきまとうなって言ってるだろ。何が目的なのか知らないけどさあ」
「まあまあ、そうおっしゃらずー」
言いながら、シューラはさり気なく距離を縮めてきた。はちみつ色の緩く柔らかな長髪がふわりと靡いて、甘やかな匂いが漂ってくる。
ルカは気づいて離れようとするが、腕を絡められてしまい逃れられない。豊満な双丘が腕に当たっているのにシューラは気づかないのか、それともわざとなのだろうか。
すでに1週間ぐらいはこの調子で、外に出る度にどこからともなく現れてずっと付きまとってくるのだ。
その理由は、今のところ不明である。
最初こそ得体の知れない状況に困惑していたルカだったが、どんな突拍子もない出来事でも一週間続けば慣れてしまうものらしい。
「えへへ、今日もかわいいねえ」
シューラはぴったりとくっついたまま、ルカの服装を見て頬を緩ませる。
今日のルカの格好は、チェックのスカートに糊のきいたシャツとかっちりめなジャケットという女学校の制服を模したトラッドスタイルだった。
棘を感じさせる目つき以外は繊細で儚げな顔の造形も含めて、ルカを見た者はおそらく十中八九が「美少女である」と判定するだろう。
首ぐらいまでの丈の髪だけは若干中性的とも言えるが、少なくともそれだけでは誰も男性だとは思わないはずだ。
「そういう台詞、お前が言われる側なんじゃないのか?」
「えっ、わたし!? わたしは……言われないかな」
「あー……確かに、かわいいってのはちょっと違うかもな」
ルカは改めてシューラを見て、ふさわしい言葉を考える。
蜂蜜を纏ったような長髪、金色に輝く妖しい瞳、すらりと高い背、そして言うまでもない完璧なプロポーションの身体。シューラは、見た目だけで言えばまさに「男を籠絡する手管に長けた妖艶なサキュバス」そのものだった。
しかし、その中身に少し問題があるのだ。少女――というか、むしろ女児と言ったほうが正確なほど、シューラの精神年齢は低かった。
そのせいもあって、もともと持っているポテンシャルを発揮できていないのが実際だった。
見方を変えれば、見た目にそぐわない無邪気な仕草がアンバランスな魅力を生み出している――とも言えなくもないが。
ルカがしっくりくる単語を思いつくより早く、シューラが口を開いた。
「ねえ、今日はどこいくの? お仕事お休みなんでしょ?」
「ん? ああ、そうだ。大事な休日だよ。今日はマジでついてくるなよ、買い物行くんだから」
「えっ、お買い物!? どこどこ? どこに行くの?」
「言わない」
「なんでー! ついてってもいいでしょー?」
「だめ」
「えー! いいじゃんいいじゃん! 邪魔しないからー!」
「もう十分邪魔してるんだが!?」
駄々をこねるシューラに、ルカは口が滑ったことを悔やむがもう遅い。
こうなると聞かないということは、出会ってからの一週間で嫌という程わかっていた。
特に今日だけはついてこられるのを避けたいところだったが、いまさら隠しても仕方がないのも確かだ。
誤魔化してもついてくるだろうし、相手は魔物であるから撒くこともできないだろう。
ため息をついて、観念するようにルカは頷いた。
「……服屋だよ」
「あー! おめかしする気だー!」
シューラは囃し立てるように言うと、ぐいぐいとルカの顔を覗き込んできた。
その度に腕に柔らかいものを感じ、ルカは否が応でも彼女の胸を意識してしまう。
「あれでしょ、好きな人いるんでしょ?」
「……え?」
瞬時、ルカの動きが固まる。
――好きな人。
「好きな人! いるんでしょ?」
きらきらした目をまっすぐ向けられて、ルカは思わず顔を背けた。
「……い、いないし」
「いま考えたでしょ! 怪しい間があったよ!」
(くそっ、変なところだけ鋭い……)
「ま、それはいいや」
冷や汗が出てくるのは、思わず核心を突かれそうになったせいだ。
しかしシューラにそれ以上追求するつもりは無いらしいと見えて、ルカは安堵の息を吐く。
「やっぱり、かわいくするのって好きな人に振り向いてもらいたい的な?」
「いや、それは違うな」
「えっ、違うの?」
「ああ」
意外そうに問い返すシューラに、ルカは大きく頷いてみせた。実際、この服装や髪型は「好きな人」とは全く関係ないのだ。
「こういう服が似合うから着てるってだけだ。ほら、俺の顔ってかわいいだろ?」
理由を言い放ちながらの、渾身のドヤ顔である。
さすがのシューラも気圧されたのか、妙に感心してしまっていた。
「す、すごい自信だ……!」
「当たり前だろ。せっかく生まれつき女みたいな見た目なんだから、無理にカッコつけるより最大限良さを引き出したほうが楽しいしな」
――そう、それがルカの服装や髪型の理由の全てだった。
なぜそういう服を着ているのかと問われれば、「似合うから」。それ以外には訳も目的もないのだ。強いて言うなら、より可愛くなるようなものを着るということぐらいだろうか。
ルカは気を取り直して、本来の目的に向かうことにする。
もちろん、道連れができたことは想定外ではあったが。
「ほら、歩きづらいから少し離れろって」
「あっ、うん。ごめん」
ルカが言うと、これにはシューラは素直に従った。しかし、離れたと思うと今度は自然に手を繋がれてしまう。
一瞬抵抗しようかとも思ったが、ルカは思いとどまる。
振り払って逃げようにも向こうのほうが体力あるし、背中の翼で飛ばれてしまえばおしまいである。
それに何より、これなら歩くのに邪魔になるというわけではない。
……これって、普通にデートしているのと変わらないのではないだろうか。
ルカは一瞬浮かんだそんな考えを振り払い、大股で歩き出した。
>2
「はあ……結局一緒に来てしまった……」
服を選びながら、ルカは本日何度めかのため息をつく。
この日、ルカが選んだのは、魔物が経営しているという噂の洋服店だった。
かなり大きな店構えに違わず店内は非常に広く、品揃えも男女問わず豊富である。黒を基調としたものや、いわゆる「攻めた」デザインが多いのはやはり経営者の意向だろうか。
とはいえ、そんな中でも普段のものと合わせられそうなアイテムもちらほらある。
思わず目を留めてしまった、黒赤チェック柄のスカートなどもその一つだ。
しかし、ルカの今日の目的はこういうものではなかった。
「んー、まような―」
声のするほうを見れば、シューラが服を物色していた。
前かがみのような体勢のせいで、丈の短いスカートからショーツが見えてしまっている。
……いや、あれはショーツなのか?
ルカは目を疑った。履いていないのと大差ないのではないかと思うほど際どいそれは、布というよりは紐である。
他の客から見えないように、ルカはさり気なく自分の身体で隠してやった。
「ねーねー、これとか似合うんじゃない?」
ルカの気遣いなどいざしらず、シューラはなにやら持ってくる。
見れば、それはシューラが履いているのと同じような――「極端に布面積の少ないなにか」だった。
「なんだこれ!? 紐じゃねーか!! お前のパンツじゃないんだぞ!?」
「え? 私の?」
「あ、い、いや、なんでもないなんでもない!」
きょとんと首を傾げるシューラに、ルカは思わず口を滑らせたことに気づいて慌てる。
見ようと思って見たわけじゃないのだから堂々としていればいいのだが、気まずいことに変わりはないのだ。
「し、しかしあれだな、そういうきわどい服ってこういうところに売ってるんだな」
「そういえば、今日はいつもの感じのお店じゃないんだね。こういうのも好きなの?」
「た、たまには気分を変えてだな……」
適当に話を逸らそうとして、ルカはなぜか余計に墓穴を掘っているような気分になってしまう。弁解するようなことではないのだが、ここに来た真意はなるべく隠しておきたかったのである。
シューラは合点したように手を叩き、大きな声で答えを言ってのけた。
「あ、わかった! 勝負服ってやつだ!」
勝負服。
そのキーワードを受けて、ルカはあからさまに動きが固まってしまう。
完全に図星だった。
ルカの表情が引きつったのを見逃さず、シューラは重ねて指摘する。
「あー! 今ギクってしたでしょー!」
「ほんとどうでもいいところ鋭いなお前!」
「ねーねーだれがすきなのー? ねーねー! 誰のための勝負服なのー!?」
正解であると見てか、シューラはここぞとばかりに追求してきた。
物理的にもぐいぐいと迫ってくるせいで、朝と同じように色々なところが当たってしまう。
「小学生かお前は! 別に好きなやつなんかいないし、いたとしても教えないからな!」
「えー! おしえておしえておしえて!」
「教えない教えない教えない!」
「おしえてよー!」
体温や柔らかさ、甘い匂いにきわどい服装というフルコースで感覚器官を多段攻撃されて、ルカは目が回りそうだった。
加えて思い出してしまうのは、図らずも見てしまったシューラの臀部の曲線、そして股間を隠すあの下着である。
そろそろ限界であった。
「だあああもう! 更衣室行ってくる!!」
「きゃっ!?」
ルカは喚きながら手近な服を引っ掴むと、逃げるように更衣室へ飛び込んだ。
店の奥にあるそこは、分厚いカーテンを閉めると薄暗くて店内の音も聞こえない。
広さもそこそこ余裕があり、心を落ち着かせるには意外にもうってつけの空間だった。
「……ったく」
深々と息を吐いて、ルカは鏡に映る自分を見る。
頬どころか耳まで真っ赤な今の表情は、誰が見たって完全に動揺しているのがわかるだろう。
くっつかれた方の腕に、まだ感触が残っているような錯覚があった。
あの遠慮のなさはなんなのだろうか。奔放な魔物も多いとはいえ、それにしたってぐいぐい来すぎではないか。
何にせよ、ひとまず冷静にならなくてはいけない。気を取り直して、とりあえず持ってきた服でも見てみるか。
そう考えて手に持ったハンガーに視線を落としたルカは、思わずそれを二度見してしまう。
紐だ。
慌てて避難したあまり気づかなかったが、よりにもよってシューラが持ってきた――あの紐のような服をそのまま掴んでしまっていたらしい。
「おいおいおい……」
まさか着てみるわけにもいかず、途方に暮れつつタグに目をやるとそこには「トップス」とある。つまりは上半身用の服だというわけだ。
「この紐で隠すの……? 乳首を……? マジかよ……」
まだ裸のほうが恥ずかしくないのではないか、と思わせるような服装である。シューラも大概露出過多気味ではあるが、上には上がいるということなのだろう。
想像の余地を超えた世界に唖然としていると、出し抜けに更衣室のカーテンが開く。
驚いたルカの目に入ってきたのは、シューラの姿だ。
「え!? は!?」
あまりにも唐突なことにルカは思わず後退りするが、一方のシューラは「良いことを思いついた」感に満ちた表情で更衣室に乗り込んでくる。
「ルカ! おめかし手伝ってあげる!」
「い、いや必要ないから! 今出るところだし!」
しかしシューラはルカの言葉を聞かず、じりじりとにじり寄って来た。
シューラが後ろ手にぴたりとカーテンを閉めた瞬間、更衣室の壁の張り紙が目に入る。
そこには、「当店の更衣室は完全防音となっております」とあった。
更衣室を防音にする必要性はルカにはわからなかったが、一つだけ確かなことがある。
このままでは外に助けを求めることができない、ということである。
「大丈夫だよ、痛くしないから! すぐおわるし!」
「おい待てこっち来るな! おい――――」
必死に抗議も虚しく、ルカはたやすく押し倒される。
――それが、ここまでの顛末であった。
>3
そして、現在。
「思い浮かばないからこのまま撃つね!」
「やっ、やめろおおおっ!」
シューラが振りかぶると同時に、球体は一層禍々しいオーラを放ち始める。
ルカの叫び声はおそらく外には全く聞こえていないし、この状況を切り抜けるには自力でなんとかする以外にないだろう。
だが、腹の辺りにのしかかられてしまって逃げ出しようがないのも確かである。
このままでいれば、きっと本当に女の子にされてしまう。
「うわあああああ!」
ルカは一か八か、シューラを止めようと闇雲に手を伸ばした。
――ふにゅっ。
その掌を、唐突に吸い付くような柔らかさが満たす。
「……え?」
見れば、ルカはシューラの露わな下乳を鷲掴みしてしまっていた。
ちょうど手を伸ばした先に胸があった――と言うと言い訳のようにも聞こえるが、そうとしか言いようがない状況だ。
「きゃっ!?」
「あっ!? ご、ごめん……!」
ルカは慌てて手を放すが、驚いたシューラはとっさに後方に飛び退る。
着地した場所は、さっきまでの位置のやや後ろだ。
――つまり。
スカートに隠れた下で大きくなっていた、ルカの男の子的な部分のちょうど真上である。
「ふぇ!?」
シューラは甲高い声とともに股間の辺りを見る。
体重をかけた瞬間、股間に当たる違和感に気づいたのだろう。
「あっ、い、いや、あの……」
ルカは弁解しようとするが、股間に乗る体重が先程の光景を想起させた。
シューラのお尻、そしてあのきわどい下着。あそこに布越しとはいえ自分の性器が密着しているのだと思うと、もはや勃起を抑えるのは不可能に近い。
これ以上血液が股間に集中する前に離れてもらわなくては、多分大変なことになるだろう。
「ひゃああ!? なんか大きくなってる!?」
「わっ、あ、と、とりあえずどいてくれ! 頼むから!」
「わ、わかった!」
ルカの必死の懇願もあってか、シューラも今度は素直に従って床に降りる。
その手からは、いつの間にか禍々しい球体は消滅していた。
起き上がって息を整えるルカに、おずおずとシューラが問いかける。
「い、今のって……」
「……ああ。俺も男だからな、そりゃついてるもんはついてるし興奮すれば勃起もするよ」
答えつつ、ルカは下から押し上げられた状態のスカートを隠すように背を向けた。すでに抑えつけて隠すには大きくなりすぎているし、そもそも抑えつけられるほどの硬度ではない。
シューラは心底意外、という感じで目を丸くした。
「え、男の子が好きなんじゃないの!?」
「ちっ、ちげーよ!」
「だ、だってかわいい服とか着てるし、アルプになりたいんじゃ――」
「これはこれ、それはそれ! かわいくなりたいからって恋愛対象が男ってわけじゃないし女の子になりたいってわけでもねーよ!」
これまでも何度かこのことについては説明したつもりなのだが、未だにシューラは納得していないようだった。
しかし、ルカとしては「かわいい服が似合う」からといって「女の子になりたい」というわけではないのだ。
それに、ルカにはシューラの言うことを明確に否定できる一つの証拠もある。
だがその証拠となる一つの事実については、まだシューラに告げるつもりはなかった。
案の定シューラは訝しげに眉を寄せ、疑うような上目遣いでこちらを見てくる。
「え、本当に……? なんか誤魔化してるんじゃ――」
「誤魔化しで勃起なんかするわけねーだろ!」
「じゃ、じゃあなんでおちんちん大きくなってるの……?」
「そっ、そりゃあ勃つに決まってるだろ! 好きな子のむ、胸触っちゃったんだから!!」「え!?」
「あ」
言ってから、ルカは口が滑ったことに気がついた。
弁解に必死になりすぎて、思わず言う必要のないことまで飛び出してしまったらしい。
冷や汗が吹き出し、ルカは慌てて何か取り繕う言葉を探す。
しかし本当に焦ると何も出てこないようで、ただわたわたと口を開閉するのみである。
結局、先に言葉を発したのはシューラの方だった。
「わ、わ、わたしのこと、好きなの……!?」
こちらもルカに負けず劣らず動揺しているようで、いつもの勢いはない。真っ赤な顔のまま、心底不思議そうに首を傾げていた。
「な、なんで……?」
ルカは深呼吸をして、覚悟を決める。
事がここに至っては、もう隠していてもしょうがないだろう。それに、この辺でしっかりと誤解を解いたほうが良さそうなのも確かだ。
一度躊躇するとまた言えなくなりそうなので、肺に入れた空気とともに一気に吐き出す。
「一目惚れだよ!!」
「へ!?」
告げるつもりがなかった「証拠となる事実」とは、まさにこのことだった。
シューラに一目惚れしていた――つまり、シューラのことを好きだということである。
まさか「まだ言うつもりはない」と考えた直後にぽろっと言ってしまうとは、ルカも自分のことながら想像していなかった。
一度言ってしまえば、もうそこからは止まらなかった。ルカは自棄にも近い勢いで、一息にまくしたてていく。
「最初に俺の所に来たときからすごくかわいいと思ってたし、気づいたらお前のことばっかり考えてて仕事も手につかないし、誰かのことをこんなふうに思っちまうのも初めてだし、どうすりゃいいのかわからないしですげえ困ってんだよ! 今日ここに来たのも、魔物がやってる店だって聞いたからお前に好かれそうな服もあるかなって思ったからだよ! 悪あがきだってわかってんだけどな! だって俺、お前のこと名前とか以外なんも知らないし、そっちから会いに来てくれるけどどこ住んでるかわかんないから俺からは行けないし、っていうかそもそも望みもなさそうだし……だってスタイル抜群の金髪美女だよ!? そんなん俺なんかに見向きもするわけないじゃんか! 絶対あれだよ、背が高くて声が低くて筋肉があって……とにかく、俺とは真逆のタイプが好きなんだろ!? 違うか!?」
そこまで一気呵成に言って、気づけばルカはシューラに詰め寄っていた。
勢いに圧倒されていたシューラは、唐突に向けられた質問を受けて口ごもる。
「い、いやそれは人によるっていうか、なんていうか……」
「じゃあお前はどうなんだよ! 言っとくけど、俺に自信があるのはかわいさだけだからな!」
「え、え、えっと……あぅ……こ、こんなの初めてだからなんて言えばいいのか……」
「は!? 初めて!?」
ルカは驚愕した。耳を疑う言葉である。
困ったように視線を逃がして、シューラはうん、と頷いた。
「初めてだよ。だ、誰かにす……好き、って言われたの」
「な、なんで!? こんなにかわいいのに!?」
「そっ、それはこっちの台詞っていうか……わたし、全然かわいくないし」
シューラは何やら言い返そうするが途中で諦めたようで、拗ねるように口を尖らせる。その仕草が既にかわいいということに気づいていないらしい。
「はー!?!? 全然かわいいですが!? 俺より全然かわいいですがー!?!? 悔しいけど!!」
「そっ、それはないよ! だってルカめちゃめちゃかわいいよ!? 私なんておばかだしドジだしよく道にも迷うし、お姉ちゃんたちみたいにせくしーでもないし!」
「いやいやいや、お前自信なさすぎだぞ!?」
「……お姉ちゃんたちにもよく言われる」
悄然とするシューラを見るに、どうやら姉たちもかなりの美人ぞろいなのだろう。
しかし、自己評価が主観的なものになるのは当たり前だとはいえ、それにしても自信がなさすぎるのではないだろうか。普段の元気さから悩みなどなさそうに見えたが、意外な一面である。
「だから、ルカが自信いっぱいあるのすごいなって思って……それで、お友達になりたいなって思ったんだけど……毎回お話する度にすごく緊張しちゃって」
「お前緊張してたの!? あれで!?」
聞き捨てならない言葉に、ルカは思わず身を乗り出した。誰が緊張した状態で自分から腕を絡めに行くだろうか。
しかし本人としては真実なようで、シューラは胸の前で握りこぶしまで作って真剣に訴える。
「すっごいどきどきだよ!? 昨日も8時間しか寝られなかったし」
「けっこう寝てるじゃねえか! 俺の平均睡眠時間より寝てるよ!」
「ええ!? もっと寝なきゃだめだよ! 寝不足は健康に良くないんだよ!?」
逆に説教されてしまい、ルカはため息と共に座り直す。気を抜いていると、こんな感じで一瞬で話が脱線してしまうから気をつけなくてはいけない。
「まあいいや……てか、それじゃ最近いきなりつきまとうようになったのは、俺と友だちになりたかったからってことなのか」
「……うん」
恥ずかしげに頷くシューラを見た刹那、ルカはあることに気づいてしまった。
「友達」になりたい、ということはつまり――
ルカは自分の懸念が外れることを祈りつつ、恐る恐る問う。
「……ていうかそれ、あれか? 「お友達でお願いします」っていう意味?」
「え?」
「それ以上の関係にはなれないのか、って聞いてるんだよ」
「……それ以上? お友達……以上ってことは、きょうだいとか……?」
「ちっげーよ!! 恋人だよ! 普通友達以上って言ったら次は恋人だろ!? いや友達以上恋人未満とかいうのもあるけどさあ!」
「……? こい……こ……あっ、えっ!? ああああ……!」
シューラはしばらく考えてからルカの言葉の意味を把握したらしく、再び真っ赤になりながら口元を押さえる。
「こっ……!? わ、わたしと!?」
「だから何度もそう言ってるじゃんかよ!! わざとやってるのか!? こちとら恥ずかしくて死にそうだよ!! お前が好きなの! 一目惚れしてんの! さっきも言ったように、お前に気に入ってもらえるような男っぽい服とか探しにここに来たの!」
「あ……! そ、そっか……そうだったね……!」
既視感のあるやり取りをしたというのに、シューラは湯気が立ちそうになりながら「こ、こいびとかあ……」とかぶつぶつ呟いている。この調子だと、こちらの好意が本当に伝わっているのかも疑わしいところだ。
おそらく本人としては意外なことすぎて実感が無いんだろうが、それにしたってぼんやりしすぎだろう。或いは掌の上で遊ばれているのかもしれないとすら思ってしまう。
ここは一旦この場から離れ、冷静になったほうがいいかもしれない。
「あーもう、調子が狂っちまう……ちょっと頭冷やしてくる!」
「ま、待って!」
更衣室を出ようと立ち上がったルカの手を、シューラは咄嗟に引っ張った。
予想外なほど強い力に、ルカのバランスはたやすく崩れる。
「え――うわぁっ!?」
「きゃんっ!?」
ルカが倒れた先は、シューラの上だった。
何かに視界を塞がれているせいで真っ暗だが、柔らかなそれのおかげで痛みはない。
「いたた……だいじょうぶ?」
「……っ!!?」
頭の上から聞こえるシューラの声に、ルカは自分が何に顔を埋めているのかを把握した。豊かで柔らかなそれは、さっきも触れたばかりの――
直後、ようやく落ち着こうとしていたはずのルカの一部が再び力を取り戻す。
「ん……? 何か当たって……あ」
さすがのシューラもそれが何かということに気づいたらしい。胸から顔を上げたルカと目があった時、その顔は紅潮していた。
慌てて離れ、今度は完全に背中を向けてルカは頭を下げる。
「っ! わ、悪い、何度もこんな……!」
「え、あ、い、いいよ! ぜんぜん!」
謝罪とは裏腹に、一度勃起したものはなかなか小さくなる気配がない。
ルカが途方に暮れていると、シューラが躊躇いがちに沈黙を破った。
「その、そういうのって、つまり……私と……そういうことしたい、っていう……」
ルカは答えるか迷うが、結局頷く。いまさら隠しても仕方がない。
「……そうだよ、悪いか。お前いつもべたべたしてきて、反応しないように我慢すんのめちゃめちゃ大変だったんだからな……!」
「ほ、本当……?」
「当たり前だろ! こんな格好しててもいちおう健全な男子ですし!! この一週間だけでも、お前のことなんどもおかずに――」
「えっ」
「あ、いや、なんでもない」
言う必要のないことまで漏れかけて、ルカは慌てて止めた。
しかし、どうやら遅かったらしい。
「なんていうか……かわいい見た目でそんなこと言われると、すごくいけないことしてるような気がする……」
「なっ、なにいってんだバカ!」
思わず振り返りかけて、はたと思いとどまる。勃起は収まってきたが、まだなんとなくシューラの顔は見られなかった。
そうしていると、再びシューラが口を開く。
「……本当に私と……その、こいびと……に、なりたいの……?」
「……何度も言わせんな」
照れ隠しに言い放つと、思ったよりぶっきらぼうな口調になってしまった。
シューラはその後になにも続けず、静寂が更衣室を満たす。
時間にしたら数秒の、あまりにも静かな瞬間。急に不安になって、ルカは恐る恐る振り返った。
「っ!?」
その目に飛び込んできたのは、決壊寸前まで潤んだ瞳を向けるシューラの姿だった。
思わず息を呑んだルカはしかし、何も言えないままにただ次の言葉を待つ。
何度かの慎重そうな呼吸の後、シューラはかすかに口を開いた。
「……う」
「……う?」
「うれしい……!」
胸の奥から溢れ出すような声とともに、シューラが唐突に飛びついてくる。ルカはその勢いを受け止めきれず、二人で床に倒れ込んでしまった。
しかしシューラは構わずに両手を回し、ルカをぎゅうぎゅうと抱きしめる。
「えへへっ、うれしいっ! うれしいよーっ!」
「い、いいの!? え!? いいのか!? 友だちになりたいんじゃないの!?」
思わず抱き返しそうになって、ルカは空中で手を泳がせる。このまま抱きしめ返してもいいものなのだろうか。
一方のシューラはそんな葛藤など知る由もなく、弾んだ声で返した。
「だってずっと友達になりたいって思ってた人が恋人になってくれるんだよ!? 嬉しいに決まってるじゃん!!」
「そ、そういうもんなの!?」
「そういうもんだよー! えへへー!」
そのまま頬ずりしてくるシューラを、ルカも恐る恐る手を回して抱き返す。
密着すると、その身体の重みと柔らかさがぴったりと伝わってきた。
その瞬間、ルカは直感する。これは危険だ。
「ま、待て、あんまりすりすりされるとヤバいって!!」
ここまでの流れでようやく沈静化しそうになっていたごく一部に、再び血流が集まってくるのがわかった。
密着した状態で勃起でもしてしまえば、今度こそ我慢できなくなってしまうかもしれない。
「ん? もっとぎゅーってしたほうがいい?」
「それはもっとヤバい!!!」
しかし恐慌するルカを無視して、シューラは一層密着してきた。
押し付けられる胸に悲鳴を上げるが、どうやらしばらく離れてくれそうにない。
――そして結局、更衣室を出たのは小一時間後となった。
>4
外に出てみれば、まだ日は高い。ちょうど正午を過ぎたあたりだろうか。
ルカは新品のスカートを履いていた。
下ろしたてのせいでまだなんとなくぎこちないが、着てきた上着と合わせても違和感のないデザインである。黒系のキュロットで、丈が短めな以外には文句なくかわいい。これでも、あの店の品揃えの中では比較的落ち着いている方だ。
裾を気にしつつ、ルカは先程までの出来事をなるべく思い出さないように努力していた。
……つまり、あのあと更衣室で起こった一連の行為である。
そのせいでわざわざ新しいスカートを買い、履いてきた方をクリーニングに出さなければならなくなったのだ。
洋服店に併設されていたクリーニング屋は、なんでも「そういう」汚れに強いのだそうで、スカートを見た途端に何が合ったのかを察したようだった。
おそらくだが、あの店の更衣室ではではよくあることなのだろう。
「それじゃ、どうしよっか。どこいく?」
くるりと振り返って、シューラは眩しい笑顔を向けてくる。
いや、前ときっとそんなに変わらない笑顔のはずなのだが、関係性が変わるだけでこんなにも眩しく見えるものなのだろうか。
ルカはいつもの調子で返答しようとするが、思うように言葉が出てこない。
「あ、あれだ。ほら、なんか勢いで告白しちゃったからさ、順序が逆になっちゃうけど、その、まず、お、お互いのことをもっと知らないと。あの、ほら、あれ、これデッ……デート? みたいなあれだし、よ、よかったら……手、とか……」
ほとんどがちがちになりながら、ルカはぎこちなく手を差し出した。
あまりにも固くなりすぎだとルカ自身も思うが、仕方ないことだと内心で言い訳する。自分がいくらかわいくとも、女の子と付き合うのは初めてのことなのだ。
「う、うん!」
差し出された掌の意味に気づいてか、シューラもおずおずと手を伸ばす。
つないだ手の心地を楽しむのもつかの間、ルカは早くも下半身に血液が集まっていこうとするのに気がついた。
心の中で何度も静まるよう念を送るが、性欲は命令を聞く気はなさそうだ。
告白する前とは明らかに違う敏感な反応に、ルカはひょっとして早くも魔力の影響を受けているのではないかと疑った。
「じゃ、じゃあ、まずはどこ行く? あっ、別の洋服屋さんとか?」
「いや、いいや。必要なくなったし……あ、でもシューラがして欲しい格好とかあるならそれにするけど」
「本当に!? そ、それじゃあ――」
「あんまエロいのはだめだぞ」
「ええー!」
どうやら先手を打って正解だったようだ。シューラのことだから、あの紐みたいな服を推してくるとも限らない。
着て欲しいというならやぶさかではないが、他の人には見せたくないし、なにより段階を踏んで欲しいのが本音である。
というよりむしろ――
「……お前が着てくれるならいいけど」
「え? いいよ?」
「そっ、即答だと……」
思考したとは思えないほどの返答速度に驚くが、直後に脳裏へと浮かんだのはシューラがあれを着ている姿だ。
「……!」
「ん? どうしたの?」
「な、なんでも……ない」
妄想のせいでいよいよ勃起しそうになりながら、ルカは思った。
……やっぱり、もう少し更衣室にこもっておけばよかったかもしれない。
19/02/16 02:50更新 / 平河