第五話
バフォメットの奴が帰り、ねぐらの中が静かになった。
ふむ。
しかし参った。
よもや私の身体にこんな異変が起きてしまおうとは…。
「むにゃ…すぅ…」
眠っているゴーストの娘を見る。
その隣では可愛らしい寝息を立てて赤子が寝ている。
「ふふ。まるで天使のようだな」
……っΣ!?
あれ?まて、何かおかしい…。
私は餌の赤子などを見て「天使のようだ」等とほほ笑む様なキャラだったか!?
う…しかしかわいい…。
この子になら私の母乳をあげるくらい…。
ハッ!
「ななななな、何を馬鹿な。誇り高いドラゴンの私が赤子とは言え、餌なぞに…」
しかし、不思議と悪い気はしない…。
――ぅ…んぎゃぁぁぁ
「な!?お、起きてしまったのか?え、えと、どうすれば…おっぱいか?」
私は手に持っていた首輪を適当な岩の上に置き、急いで赤子を抱きあげる。
布地の少ない服をずらして乳を与えようとするが、赤子は私の乳首を咥えようとはしない。
「違うのか? なら何だと言うのだ?赤子が飯以外に泣く理由などあるのか?な、なんだ?分かるように言ってみよ」
『ふぇ?あら、泣き出しちゃったんですか?貸してみてください』
「あ、ああ。頼む」
私はそう言って娘に赤子を預けようとする。
しかし
――する
『あれ〜?』
――するり
『あれ〜?掴めない?』
娘の腕は赤子の身体をすり抜けてしまう。
「なに?何故だ?」
『分かりません。でも、早くしないと』
「そ、そんな事言われても私ではどうすればいいのか分からん」
『たぶんおむつですよ〜。ほら、そこにおむつがありますから新しいのを一つ取ってきてください。それと湿らせた布も』
「わ、分かった」
私は泣きじゃくる赤子をベビーベッドに戻すと、急いで養育セットの中から使い捨ておむつと、「赤ちゃん用濡れティッシュ」と書かれた筒を持ってきた。
「布がなかったが、どうやらこれが使えるらしい」
『へぇ〜。使い捨てのタオル?ですかねぇ』
「こ、これをどうすればいい?」
『まずは開いてみてください』
「お、おう」
『で、向きをそろえて赤ちゃんの横に』
「こ、こうか?」
『逆さまですよ』
「お、おう。こうか?」
『はい。それで、赤ちゃんの穿いているおむつを外して〜』
「こ、こうか?うわっ!?臭い!」
『当り前ですよ〜』
「こ、こんな汚い物を私に処理しろと言うのか!?」
『そうです。赤ちゃんの為ですよ〜』
「ぐぅ…」
強烈な排泄物の臭いでたじろぐが、赤子が苦しそうな顔をしているのを見ると、何故か「なんとかしてやらねば」という気持ちが湧きあがってくる。
『ほら、赤ちゃんの両足を持って、軽く持ち上げて、その間に汚れたおむつをどける』
「う、うむ…」
『そのまま新しいのを穿かせちゃうと新しいおむつも汚れちゃうので、お尻とおちんちんを綺麗に拭いてあげてください』
「うむ…」
赤子の股間には私にはない物が付いていた。
これがおそらく餌達の生殖器なのだろう。
流石にドラゴンの雄の物と比べると大きさも形も随分と違う。
などと思っていると…。
――ぴゅ〜〜
「うひゃぁぁぁ!?」
『あ〜涼しくなって気持ちよくなっちゃったの?元気だね〜』
「あやしてる場合か?こやつめ、私に小便を!」
『ほら、ダメですよ。赤ちゃん何だから仕方ないんですから〜』
「くぅ…」
昨日までの私なら間違いなくそのまま赤子を壁に叩きつけていただろう。
しかし、不思議と嫌悪感はなかった。
『はい、きれいになりましたね〜』
――だ〜だ〜
『ほぉら、赤ちゃんも嬉しそうですよ〜』
「う、うむ」
か、かわいい…。
『はい、後はそのまま新しいおむつに取り換えてあげてください』
「うむ。で、出来たぞ!」
『はい。じゃあ、汚れちゃったベッドとシーツも綺麗にしちゃいましょう』
「う、うむ」
『換えのシーツは…たしか、そっちのセットの中にありました』
「お、おう」
『はい、それです。とり変えたおむつは地面に埋めれば土に還るそうなので、臭くならない様に丸めちゃいましょう』
「こ、こうか?と言うかすごいな、こんな布が土に還るのか…」
『そうですね〜。人間の国じゃこんなすごいおむつ無かったです』
「流石はサバト…か」
『はい。じゃあ赤ちゃんを抱っこして、シーツを換えちゃいましょう』
「うむ…う…。かわいい」
『そ〜ですよ〜。これからは貴方のおっぱいで育っていくあなたの赤ちゃんなんですから。可愛いのは当然です』
「これが、私の子か…」
私のような強い身体など持っていない。
その気になれば片手でひねりつぶせるような弱い身体。
しかし、何と愛らしいのだろう。
これが、私の子なのか…。
これからはこの子を私が守らなくては…。
『はい、シーツを摂り変えられたら優しくおろしてあげてください』
「も、もう少しこうしていても良いか?」
『ふふ。い〜ですよ〜』
「温かいな」
『はい』
「こんなにちっぽけなのに、ちゃんと呼吸をしておるぞ」
『当り前ですよ』
「わ、私の腕の鱗は痛くないか?」
『大丈夫です。ティアさんが愛情をこめて抱っこすれば』
「う、うむ」
そう言われて、腕の中で不思議そうな顔をして私を見上げている赤子の事を想う。
――むずむず
「ん?」
『え!?ティアさん、手が…』
「あ…」
私の腕は、まるで餌の手の様な柔らかなものになった、
僅かに指先だけがその原型を残し、まるで猫の手の様に爪が伸び縮みする。
「おお、これなら大丈夫だな」
『え?ティアさん、良いんですか?』
「何がだ?ちゃんと爪は使える。大丈夫だ、問題ない」
『ティアさん…』
娘が柔らかにほほ笑んだ。
私も微笑んだ。
私もこの娘のようにこの子を育てる事が出来るのだろうか。
「ふふ、こいつめ、生意気に私の指を握っておるぞ」
『ふふ。赤ちゃんはそうやってお母さんにすがるんですよ』
「お母さん…。そうか、私が母親でもいいのか?」
――だ〜あ〜
か、かわいい…
『ティアさんの顔、まるでほんとのお母さんみたい』
「ふふ。何を言っている。私はこの子の母親だろう?お前と2人、この子を育てる母親であろう」
『ティアさん…』
「お、そう言えば、私はまだお前の名前を知らなかったな」
『私はアイラです』
「うむ。よろしくな。アイラ」
『はい。やらしくおねがいします』
「やらし…え?」
『あれ?おかしいな?』
「まったく…赤子の前だと言うのに…」
『おかしいなぁ?』
赤子が眠り、アイラも赤子に寄り添ってふわふわと眠りについた。
静かになると、私は2人の傍に腰かけた。
私は本当におかしくなったのかもしれない。
昨日までの私ならこんな感情を抱く事は無かった。
私は人間を餌としか思っていなかった。
奴等は私に食われる立場で、私は奴等を食う立場だ。
そんな餌達に情が移るなど…。
しかし、あの赤子をあやし、抱きしめている時、私はこれまでにない程心が満たされた。
赤子が私の指を小さな手で握ってくれた時、言い知れぬ温かさを感じた。
これらがあの娘に身体を作り変えられたせいで出来たニセモノの感情だとはとても思えない。
例えニセモノだとしても…。
こんなに心地いいのなら騙されても構わないとすら思える。
アイラはあの子の事を「あなたの赤ちゃん」だと言ってくれた。
私はあの子の母親になりたいと思った。
だから、私の身体が自らの意思で変わった時も、むしろ嬉しかった。
この感情が私の姿形が変わってしまったせいなのか、アイラに憑かれているせいなのか、アイラに身体を作り変えられたせいなのか分からない。
でも、そのどれだとしても、私はそれに感謝しようと思う。
そう思うほどに、この感情は心地好いのだ。
心地…好いのだ。
「すぅ…すぅ…」
10/10/28 19:02更新 / ひつじ
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