連載小説
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惰眠暁を覚えず
岩が砂に変わっていく。
生命のない乾いた風はこの部屋のあらゆるものの命を吸い取っていく。
あたかも己の中に足りないものを他から奪い取っていくかのように。
奪われたものは皆崩れ落ちていく。
壁に描かれた神族の絵、壁画が崩れ剥き出しとなった岩肌、そしてこの部屋を閉ざす結界。
いずれも平等に無情に無慈悲に、奪い取られ、吸い上げられ、枯れ果てる。
どれだけの間眠っていただろうか。
ワシが主の腕ごと斬り飛ばされ、神族によって封印されたのは一体何時の事なのだろうか。
ワシに目などありはしないが、宿主の目を通して幾多の時代を見ていた。
ワシに耳などありはしないが、宿主の耳を通して幾多の言葉を聞いた。
ワシに心などありはしないが、宿主の体を通して幾多の思いを抱いた。
じゃが、それでも尚、ワシが自らの主と定めた者は一人しかいなかった。
主の目の前ではワシの擬態など通じはしなかった。
主の耳の前ではワシの囁きなど届きはしなかった。
主の魂の前ではワシの呪いなど伝わりはしなかった。
主に恐れはなかった。
主に躊躇いはなかった。
主に悪意はなかった。
主に正義はなかった。
あるのは唯、純粋な闘争心。
戦いこそは糧であり、師であり、遊び場であった。
戦いこそは勝負であり、生死であり、殺戮であった。
戦いこそは心情であり、生涯であり、言葉であった。
呪いによって生まれ、呪い続けることで生き、呪い抜くことで奪ってきたワシがその心を奪われた。
存在そのものが呪いたるワシの目にその女はただ一つの純粋な願いに見えた。
彼女は楽しんでいた。
彼女は喜んでいた。
彼女は嘆いていた。
その身に降りかかる全ての戦いを。
情も、駆け引きも、あらゆる術もその力の前には通じはしない。
視界に入ったものは問答無用に殺し尽くす。
剣で切り、剣が折れれば拳で殴り、拳が通じねば絞め殺した。
最早それは戦闘ではない。
最早それは暴力ではない。
最早それは戦争ではない。
人は、剣は、戦場はその生殺与奪の全てを彼女の手に奪われる。
彼女が通る場所の全てが殺戮の舞台。
そんな彼女をワシは当時の宿主の目を通して見ておった。
見惚れておった。
その宿主の体は弱くない。弱いどころか強くさえあった。
しかし彼女の前では強いどころか弱くさえもなかった。
ただひたすらに平等に、強いも弱いも彼女の前では押し並べて平たく、獲物でしかなかった。
だからワシはそうした。
存在も忘れてそうした。
ただ、ひたすらに、思いの丈を込めて、情熱的に、感情的に、冷静に。
『俺を使ってくれ』
宿主の身体を、彼女を覆うほどに大きなその身体を、小さく縮こめ、屈ませ、跪かせてそう乞うた。
その掌に刀身を乗せ、頭を低く低く。
目を合わせればその腕を上げることもできない程の重圧に耐えながら。
この身を、刀身を捧げた。
「折れても知らんぞ」
思案もなく、感動もなく、疑念も恐れもない言葉。
思わず見上げ宿主の目を通じて見たその暴虐の主の姿は、言葉も出ないほど美しかった。
陽光を吸い上げるほどに黒い髪は、凍る様に輝くその真紅の瞳は、月光石の様に澄んだ、白いと言うより青白い肌は、紅玉の様に艶やかなその唇は、流々たる血に濡れるその痩身長駆は、黒黒とした凶気を纏い、黒曜石の剣の様に鋭利で儚く美しかった。
初めて抱かれるその手は細く、繊細で、とても暴力の権化のものとは思えなかった。
初めて振られたその剣閃は疾く、真っ直ぐで、荒々しく、技術などは微塵もなかった。
重心も、刃の向きも、太刀筋も、何も考えてはいない。
それでも、並み居る剣豪も避けることも受け止めることもできない速さと強さで全てを断ち切った。
「悪くない」
良いとも悪いとも取れないその言葉は、最上の褒め言葉だった。
最早それだけで呪われた体が、魂が、存在が、報われた気がした。
その日からワシは彼女を主と定めた。
彼女だけを主と定めた。
呪いの剣でありながら主を呪うことはできなかった。
主の殺意はワシより強く、主の闘争心はワシよりも強く、主の魂は呪いよりも強かった。
主は絶対で、無敵で、孤独で、孤高だった。
魔物として産まれながらも、魔法の一切は使えず、しかしながらその身体能力は魔法の一切よりも強かった。
雷より疾く、水より硬く、炎よりも強い。
百の魔法も主の純粋な力の前には敵いはしなかった。
そんな主が、ただの一度、十全に、純粋に、敗れた。
それは王だった。
後の世で暴君と呼ばれ、災厄と呼ばれ、そして魔王と呼ばれた男だった。
その時代のその世の頂点だった。
力ならば主が優っていた。速さならば主が圧倒していた。だが強さは魔王が上だった。
魔王の身体に左肩から右脇腹まで走る大きな傷をつけた。
傷つけただけだった。
倒すことなどできなかった。
圧倒的な魔力の前に初めて主は膝をついた。
全身傷だらけになり、息も絶え、気を失った。
最後の力で腕をつき、倒れることだけは避けた。
皮肉にもその姿は、まるで、魔王に跪いているようだった。
主は魔王のものとなった。
魔王こそを自らの王と認めた。
魔王は強大な力を誇った。
かつてない領土を人間から奪った。
そして、終に神に勝負を挑んだ。
魔王は野望があった。
魔王は自由が欲しかった。
神の手にない自由が欲しかった。
まるで子供のような男だった。
まるで馬鹿のようなやつだった。
しかし、王の中の王だった。
そんな魔王に人間は、魔物は、神族は、かつてない恐怖を覚えた。
こうして人間の世にも、魔物の世にも、そして神の世にも歴史が残ることはない大戦争が開かれた。
王の中の王は敗れ、魔物たちは強欲な愚か者だと言った。
人間たちは災厄の魔王だと言った。
そして、神は歴史に暴君と残した。
歴史書には結果のみが淡々と記される。
暴君は強大な力で世界を滅ぼそうとしたと、魔物はその多くを失ったと。
こうして我が主が王と認めた男の自由を賭けた戦いは終わり、その戦の中でワシは主を失った。
時の流れは速く、ワシの風化も目前まで迫っているようだ。
ワシはただただ待ち続ける。
もはや崩れ落ちたタリスマンにはワシを封じるだけの力はない。
しかしまた、流れ落ちた月日は主の想い出と共にワシの魔力も食い尽くす。
そんな中でも主が再びこの封印の部屋の扉を開いてワシを手にしてくれる事を夢に見ない日はなかった。


「ちっ!あらかた盗り尽くされてやがるぜ。もうゴミしか残ってねぇ」
「まぁ良いじゃねぇか。さっきの強盗でそれなりの儲けは期待できる」
「お頭。奪った奴隷どもはどうしやすか?」
「北方人の男はそこの個室にふんじばって放り込んどけ。だが、絶対に骨折ったりするんじゃねぇぞ。デカイし頑丈で強い。正直そっちの田舎くせぇ女共よりも高値がつくかも知れねぇ」
「このガキはどうしますか?」
「あぁ〜?そいつぁ売れるかわからん。何ならオメェらで回しても構わん」
「ハハッ。良かったじゃねぇか」
「あぁん?俺は別にガキ専門ってわけじゃねぇよ。俺にも好みがある。そんな芋臭ぇのはタイプじゃねぇぜ」
「じゃあ要らねぇのか?」
「要らねぇとは言ってねぇ」
「ギャハハハハハっ」



耳障りな男共の声が壁に反響する。
どうやら今や遺跡となったこの洞窟に何者かが入ってきたらしい。
最早影も形も失われた封印は阿呆共すらも追い払えぬと見える。
風にのって漂う魔力からしてどうやら人間のようだ。
これまでも時折部屋の外に人の気配が入ったことはあった。
しかし、ワシが封印されたこの部屋はこの洞窟の中で一番強い封印がかけられていたためにそれらがここまで入ってくることはなかった。
しかし、このように外の声が聞こえてくるということは、いよいよ持ってこの部屋の封印も失われているのかもしれない。
まぁ、どちらにしても、宿主のないワシにはどうしようもない。
ワシにもう少し力が残っておれば、魔力を流し馬鹿な人間どもをおびき寄せることもできたかもしれんが、今やワシにはそんな力すらも残されてはいない。
主が女だったが故に今更男に握られるのも気が引けるが、このまま朽ちるよりはいいかもしれん。
どうやら盗賊か何かであるらしいし、この部屋にたどり着く可能性もある。
ワシは少しばかりの期待と大部分の諦めを抱き、待つことにした。

数時間が経っただろうか。
先程までは男の声だけではなく、女の泣き叫ぶような声も聞こえていたが、どうやらそれも鎮まり、部屋には久方ぶりの静寂が響いていた。
しかしながら扉の奥からは未だに人間の臭いと気配を感じる。
何より、この臭いは…。
はぁ…。人間というのはやはり猿と変わらんのか。
そんなことを愚痴っていると、

「おい。そのガキ邪魔だ。狭ぇんだから使い終わったなら奥にでも捨ててこいよ」

そんな男の声がしたかと思うと、少し重そうな男の足音がこちらへと近づいてくる。

「おら、起きろっ!ちっ。まだ無反応かよ、つまらねぇ。まぁいい。こん中入っておとなしく寝てろ」

突如部屋の扉が開けられ、飛び込むように人間の子供が転がり込んできた。
そしてその背後、扉の前には粗暴な格好の人間の男が立っていた。

「ん?」

人間の男はこちらに気づいてワシの姿を凝視する。
男の体格は戦士というよりはチンピラといったところで、戦うために鍛えられた肉体とは呼べない。
ワシの宿主としては不合格だが、ワシをここから運び出すなら一度だけ触れることを許してやっても良いか…。

「なんだ?なまくらか?」

ワシを見てなまくらとは…こやつの目は腐っておる…。
前言撤回じゃ。死んでも触れさせるものか。

「どれ、少しは金に…いつっ!?」

男が触れる直前、ワシは残った少ない魔力で男の手を思いっきり弾いてやった。

「ちっ!なんだ。トラップか?このゴミがっ!」

ぬあっ!?
クソ人間め!!
あろうことかこのワシを蹴飛ばしおった!?
ぬがぁぁぁぁぁああ!!
殺す!
ワシが新たな宿主を見つけたら絶対殺してやる!!
生きたまま指先からスライスして最高に苦しめて殺してやる!!

「んあ?どうした?ガキに噛みつかれたのか?」
「ちげぇよ。ゴミにやられたみてぇだ」
「ギャハハハっ。バーカ」
「っち。おめぇ等さっさと寝ろ」


ワシが怒りに身体を熱くしていると、男は部屋から出て行ったようだった。
ちっ。覚えておれよ…。

「…ん……」

その呻きとも声ともつかぬ音はワシの封印されておった台座と言うには風化の進んだ岩の前から聞こえた。
見ればそれは人間の女の子供のようだ。
服は無残に破かれ、体中のあちこちに青いアザが浮いている。
何より酷いのは顔だ。
相当な力で殴られたのか、左瞼は腫れ上がり満足に開けられそうもなく、頬や唇も腫れや切り傷が浮いている。
口の周りは鼻血だろうか、乾いた血の跡で茶色く汚れている。
もしかしたら歯も何本か折れているかもしれない。
ここからでは見えないが、性器も恐らくは無残な状態になっているだろう。
そんな光景を目にして、ワシは怒りが収まり、そして冷静に人間への軽蔑の心が大きくなっているのを感じる。
同族同士で何故この様な無意味な暴力を振るうのか。
主がいればどうしただろうか。
いや、主ならば奴らがこの洞窟に入るや否や問答無用で皆殺しにしていたであろうか。
と、そんな主の姿を妄想していると、足元、もとい台座元の子供が虚ろな濁った瞳でこちらを見上げていた。

「…きれい……」

部屋の隙間風にさえかき消されそうな小さな声。
しかし、確かにワシには聞こえた。
だから、どうということはない。
ワシが、剣であるワシが人間に同情など抱くはずもない。
かつては世界一強い女に使われたこの私がこんな餓鬼に興味を抱くはずもない。
きっとこれは気まぐれだ。

“生きたいか?”

否定を口にすればすぐさまその生命を吸い尽くしてやろう。
そうすればあの男たちを一度だけ引き寄せるぐらいの魔力は稼げるだろう。

小娘は小さく口を開け、音にならない息を吐く。
しかしその声とも呼べぬ音はワシの元まで届かない。

”生きたいのか、と聞いている”

「…ぁ…ぃ…」

かすれた声が、

「…まぁ、いっか

そう音を紡いだ。

ゾクリ。

ワシの中で一瞬、興奮が訪れる。
予想していたどれとも違う答え。
面白い。

“手を伸ばせ、ワシを取れ”

ゆっくりと、力の入らない腕を全身で押して、小娘は這った。
そして、ワシに渾身の力で右腕を伸ばす。
震える手が、力なくワシの刃に触れる。

「…っ!?」

小娘の指先から血が垂れ、ワシの刃に吸い込まれる。
ワシは小娘からありったけの命を、精を吸い取った、そしてその代わりに生成した魔力を小娘の指先から傷を通じて流しこむ。

「っ!……っ!!」

小娘は大きく目を見開き、その身体を何度か痙攣させる。
その姿はまるで陸に打ち上げられた魚か、生まれ落ちて初めに立ち上がろうともがく獣のようでもあった。

「…っぁ!……ぁっっ!」

声も出せないほどにもがく娘の身体は砂埃の積もる床を転げ、声にもならない苦しみを訴える。

「…んっ。あぁ!?…んっ…あ…くぅ……」

徐々にその声音に変化が生まれる。
体中に浮かんだ青いアザや傷が少しずつ薄くなり、消えていく。
腫れ上がった顔も元に戻っていく。

「…んふ…んあっ……ああ……」

そしてはっきりとした声を取り戻していくが、最早その声は苦しみの声ではない。
恍惚に湿った声を娘は流しながら、仰向けになり、腰をのけぞらせる。
アザの消えた白い肌は桃色に染まり、興奮していることがひと目で分かる状態だった。

なんじゃ?これは…。

「…ふぅ〜…んぁっっ……」

ワシが目の前の光景に戸惑っている中、娘はぬらりと身体を起こし、這う様にこちらに近づく。

「…もっとぉ」

そして、小娘はワシの柄を強く握り、台座から引き抜いた。
握られた柄から小娘の身体で増幅した魔力がワシの中へと流れこむ。
瞬間、

っひ!?…。

ワシの中に強い刺激が走り、奇妙な感覚が芽生える。

「…あぁ…。がまんできな…」

そして、小娘はワシの刀身を振り上げ、その薄い胸板へ突き立てた。

16/07/10 18:00更新 / ひつじ
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■作者メッセージ
お久しぶりすぎて辛い。
ああ、どうも。
殆どの人は初めましてですよね。うん。
特に書かないくせに作者検索でやたら上の方にあってすみません。ひつじです。
社会人になるといろいろと諦め癖が悪化するものでして、はい。すみません。
ほとんど投げっぱなしですね。
ああ、今回は書き終わってからアップしてるので大丈夫だと思われます。はい。
それにそれほど長くなりません。はい。
なのに連載形式にしたのは番外編とか書きたいなという思惑があるのでです。
あ、書かなかったらすみません。
つまりまぁ、あまり気にしないで待っててくれってことなんだよな。

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