連載小説
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第マイナス 二話 霜月椿
目の前にいるのは、何だ?
闇が。
夜の闇のような魔力が。
夜空の全てを。
夜の空に漂う大気全てを相手にしているような、感覚。
こんな。
こんなはずはない。
だって、ボクはシェルクだ。
シェルクは完璧だ。
シェルクは誰より強くて、優しくて。
ボクなんかと違って、
あれ?
ボクはシェルクじゃない?
じゃあいったい。
ボクは…。
誰だ?


―…けて

え?

―助…て

だれ?

―助けて

キミは…誰?

気づいたら、目の前は真っ白な世界。

ここは…どこ?

―助けて。

目の前には小さな女の子が、泣いていた。

キミは…どうしたの?

女の子が、振り返って。

―助けて。誰か!

ボクに手を伸ばす。
ボクはその手を受け止めようと咄嗟に手を伸ばした。
でも

――すぅ

その手はボクの手をすり抜けて
女の子は僕の身体をすり抜けて、消えてしまった。

そして
気づいた。
手を伸ばして
涙を流して
助けを呼んでいたのは


ボクだった。








ボクが生まれた時、母さんはとても喜んでくれた。
でも、その後ろで父さんは難しい顔をしていた。
その理由を知ったのは、3つの時。
うちにはボク以外に子供はいなかった。
そして、ボクは女だった。
武家に産まれて、朔夜紫電流を継ぐべき跡取りはいない。
養子を貰おうにも下級武士のうちには他の武家から来てくれる子供はいなかった。
そして、もともと身体の弱かった母さんはボクを産んでから、床に伏せるようになっていた。
父さんは仕方なくボクを女でありながら跡取りにしようとボクに剣を教えた。
父さんはとても厳しかったけど、ボクはそれを必死で覚えた。
女の身体で、男として過ごすのは辛い事もあった。
でも、父さんは剣を教える時だけはボクに向き合ってくれた。
それが嬉しくてボクは一心不乱に剣に打ち込んだ。
嬉しい事に、ボクには才があったらしく、剣術の試合では負けたことがなかった。

『あれで男であれば』
『惜しい事だ』
『異国の娘など貰うから御子に恵まれんのだ』
『霜月殿は…』

時折聞こえる陰口。
でも、剣の試合に勝つと、父さんは嬉しそうにして、ボクの頭を撫でてくれた。
母さんもボクを抱きしめてくれた。
だから、ボクは、
剣術以外にも、いろいろな兵法を勉強して、霜月の名前に泥を塗らないように、必死になった。
その為に、心の中に仮面を被った。
能面のように固く、そして美しい仮面を。
ボクは人前では常に仮面を被り、父の言う“強く、気高く、美しい人間”になろうとした。
女ではあるが、男よりも強く。
真剣の様に気高く。
その切っ先のように美しく。
そんなボクの事は周囲で少しずつ話題になって行った。
ある時、そんなボクの話を聞いて、大きな国の殿様がボクと父さんを城に呼んだ。
ボクは父さんと二人で大喜びした。
ボクは、女に産まれてしまったけれど、それでも、こうしてちゃんと武士をしていける。
侍として生きていける。
そうすれば、そうすれば父さんと母さんはもっと喜んでくれる。
お城に着いたとき、父さんは珍しく緊張しているみたいだった。
ボクはそれが可笑しく思ったけれど、それでも殿様に笑顔なんて見せられないから、仮面を被った。
殿様は言った。

『そちが霜月の娘か』
「はっ!霜月椿と申します!」
『ふむ。確かに見目麗しい娘だ』

殿様の言葉に少し違和感を覚えた。

『そちの妻は大陸より参った大層美しい女であると聞いたが』
『はっ。もったいなきお言葉でございます。あれは身体が弱く、家事もろくに…』
『よいよい。謙遜せずとも、その娘を見れば分かる』
『あ、在り難きお言葉でございます』
『して、娘よ。お主は女でありながら剣を使うそうじゃのう』
「はい。朔夜紫電流と申します」
『うむ。わしはそれを見てみたい。なに。木刀を用いた試合じゃ。恐れることはない』

胸が高鳴った。
殿様の前で試合ができる。
ここでいい姿を見せられれば霜月家はお城に仕えることができる。
ボクは試合を快諾した。
相手は、お城でも随一の腕前だという剣士。
手ごわい相手だった。
隙の無い構え。
素早い切込みは姿勢を崩すこともない。
でも、朔夜紫電流ならば。
ボクは気を足に集中し、縮地法で間合いを詰めて打ち込んだ。
勝負はついた。
殿様はいたく感激してくれた。
でも、父さんの表情は良くなかった。

『椿!人前で朔夜紫電流の影の技を使うなど、何事だ!』
「も、申し訳ありません。しかしあの剣士、相当な腕前で…」
『朔夜紫電流の影は闇に隠してこその物。先祖代々よりの習わしだ。二度と人前で影は見せるな。良いな?』
「は、はい!父上」

朔夜紫電流には影の一面があった。
それは暗殺術であり、乱破にも近しい物。
それ故に朔夜紫電流は影で汚い仕事も受けていた。
だからこそ、それを知られてはいけない。
そんな事がばれてしまったら、霜月の家は二度と真っ当な武士として生きる道を失ってしまう。
ボクもそれは理解しているつもりだった。
でも、そうしなければ勝てなかったかもしれない。
殿様も喜んでくれたんだし、いいじゃないか。
ボクはそう思っていた。
でも、ボクは何もわかっていなかった。



それからしばらくして、再びボクと父さんはお城に呼ばれた。

『霜月椿、そちの腕、儂のために振るってくれぬか?』

感激で、膝が震えた。
ボクの剣が、朔夜紫電流が認められた。

「は、はっ!謹んでその大役、お受けいたします!」

唇が震えて声が震えてしまった。
でも、隣で父さんも涙を流して喜んでくれた。

でも
そんな感激は、あの日、後悔に変わってしまった。


お城に仕えるようになって1年程が過ぎた。
この頃ボクの身にはある異変が起きていた。
これまですっと厳しい鍛錬の日々で太ることもなかったはずなのに、最近胸や尻がやたらと大きくなってしまっていた。
屋敷の中の女中たちは『椿さんも成長期なんですよ』『ほら、椿さんのお母様って外国の方なんでしょ?だったら、大きくなっても当然ですよ』なんて言ってたけど。
それでも、ボクはこの身体の変化に疑問を覚えていた。
身体に起きた変化はそれだけじゃない。
夜中、風呂から上がって床に入ると、いつまでたっても熱が引かない。
それどころか、乳首やあそこがジンジンして着物に擦れると変な気分になってくる。
どうにか雑念を振り払って眠るが、その所為で眠れない日もあったほどだった。
そんな日々を過ごし、ある日、屋敷の中でお館様に呼ばれた。
城の皆は稽古の最中で屋敷の中には人気はなかった。
怪しいと思うべきだったんだ。

「や、やめてくださいませ。お館様…」
『そう硬くなるな。悪い様にはせぬ』

ボクは着物を脱がされ、その肌をお館様に見られる。
舐めるように見まわされ、顔と耳が熱くなるのを感じる。

『愛い愛い。その恥じらう顔、普段の男勝りとの落差が溜まらんのう』
「お、お戯れを…」

お館様はボクの胸を鷲掴み、首筋を舐め回す。
その気持ち悪さに声も出なかった。
そして、

『そう嫌そうな顔をするな。ほれ、身体は正直ぞ?』

――くちゅ

え?嘘…。

嫌なはずなのに、
こんな事、知らないはずなのに…。
ボクの其処は濡れてしまっていた。
ボクは、そのショックで身体の力が抜けてしまった。


それからどれぐらい時間が経っただろうか。

『ほれ、お主も楽しめ。お主が前はどうしても嫌じゃと言うから、こうして後ろで我慢してやっておるのじゃ』

喉がカラカラになっていた。
心はズタズタだった。
ボクはお尻に汚いものを突っ込まれ、おなかの中を掻き回されていた。
なのに、変だ。
それが気持ちよくて仕方がない。
ボクは、女みたいな声を出して善がってしまっていた。

『ほっほ。お主の食事に混ぜておった薬は効いているようじゃな』
「え!?」

薬?
ボクは耳を疑った。

『山中の薬師が作るという秘薬じゃ。ほぅれ、この大きな胸に尻。不思議に思わなんだか?毎日あれだけ稽古をしておるお主の身体がなぜこうも熟れていくのか。それに、初めてで尻に突っ込んでおるというのにそなたの尻穴は“ほと”と変わらぬ仕上がり具合じゃ。これもその秘薬の塗り薬の賜物じゃ。まこと大した薬じゃ』
「そんな…お館様…」

確かに不自然だった。
自分でも触ったことがないのに、その薬を塗り込まれるうちに、お尻の穴の感覚はどんどん気持ち良くなってしまって。
最後にはお館様のモノを呑み込んでしまった。

『何を驚くか。初めからお主も分かっておったのであろう?女の身でありながら、剣の腕も立ち、そしてこの美しさじゃ。良い拾い物をした』
「そんな…あんまりです…」
『良いではないか。おかげで主は儂に仕え、霜月の家も安泰じゃ。それに、尻ならば子を孕む筈もなかろう』

余りにあまりな言葉だった。
ボクは剣の腕を認められて取り立てられたと思っていた。
なのに、ボクの身体が目当てだったなんて…。
あんまりだった。
ボクの仮面は泥のついた足で踏みにじられ、
身体も心も汚されてしまった。



気づいた時には、痛みで豚の様な悲鳴を上げるお館様が足元に転がっていた。
ボクの指先には汚い血が付いていて、
お館様の腕が変な方向に曲がっていた。



ボクは謹慎を言い渡され、沙汰が下るのを待った。
父さんはそんな僕をひどく叱りつけた。
身体を汚されようと、心を踏みにじられようと、家名のためを思うなら、と。

そして、顛末としては、最悪だった。
何処からか朔夜紫電流の“影”を調べられ、それを理由に霜月の家は取り潰され、ボク等は家を追われた。
ボクの命が助かったのはお館様の情けだと、お城の偉い人は言っていた。
その言葉に酷く腹が立った。
そして、家の無くなったボク等の身に待っていたのは緩やかな破滅だった。
もともと身体の弱い母さんは、最初の冬を越える事もなく、病でこの世を去った。
ボクの目の前で冷たくなった母さんの身体を抱きしめながら、父さんは泣き続けた。
そして、それ以来父さんはボクと口も利かなくなった。
長屋の部屋で、朝から晩まで酒を喰らい。
ボクは酒代を稼ぐために内職をした。
そして、あの日がやって来た。

ある晩、眠っていたボクの頭を蹴飛ばしたのは父さんだった。

『椿。もう、終わりにしよう』

その土気色の顔に表情はなく、
その節穴の様な目には光の一つも通っていなかった。

ボクは父さんの手に握られていた小刀を見て、思った。
これを受けよう。
これは罰だ。
自分の安い誇りのために家族を、霜月の家を壊してしまった自分への、罰だ。

振り下ろされる父さんの腕、
ボクは目をつむって、その瞬間を待った。







気が付くと、ボクは血に濡れていた。
ボクの手には、父さんの持っていたはずの小刀が。
何が起こったのか、分からなかった。
ボクは膝をついて、辺りを見回した。
そして、おかしなことに気付いた。
父さんは布団に入ったまま息絶えていた。
その喉を一突きにされて。
その時、気づいてしまった。
あの時ボクを殺そうとしたのは父さんじゃない。
ボクが父さんを殺そうとして、殺してしまったのだ。
もう。ボクには、現実と夢の区別もつかなくなっていた。


ボクは叫んでいた。
頭が割れそうだった。
何もかもがおかしくなっていた。
何もかもが壊れてしまっていた。
そして、
何もかもを壊してしまったのはボクだった。
その時、
音がした。

――ブツン

張りつめた糸が切れるような音。
そして、

『あれ?ここはどこ?“私”は…どうしてこんなところに?』

ボクはボクの意識の中にいた。

『ああ。そっか。父上と母上が旅に出て。私も旅に…」

ボクはボクの言葉をボクの中で聞き、
ボクの行動をボクの中から見つめていた。
そう。
あの日作って、被り続けた仮面が、独りでに動き始めていた。
ボクは、その仮面に名前を上げることにした。
“シェルク”
異国人の母さんがボクに付けてくれたもう一つのボクの名前だった。
シェルクは何もかもを忘れていた。
自分の身に起こった事、自分の犯してしまった罪。
ボクの忘れたかった事をすべて忘れて、汚い事はぜんぶ綺麗な記憶に変わっていた。
そして、その姿は美しかった。
何も知らない、穢れの無いシェルク。
シェルクは完璧だった。
何もかも弱いボクとは違う。
強くて、誇り高くて。
そして、優しくて。
ボクは、シェルクの中からシェルクの見る世界を見ていた。
シェルクは旅をして、人を助けた。
きっと本人は何のために始めた旅かも、そして、何故旅立ったかも知らないんだろう。
そして、その陰でボクは、願い始めた。
シェルクは、何も知らないまま。生きてほしい。
ボクの事を知らないまま、正しく生きて。
そして、ボクができなかったことを、
正しい人の道を、生きて。

14/04/20 00:41更新 / ひつじ
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■作者メッセージ
ツバキの過去編に入りました。
−2話です。
ただでさえプロローグ長くてなかなか1話にすら入らなかった本作なのに、とうとうマイナスです。
でも、実は無事にラストまで書き終えました。
と、言うわけで、今回は一気にアップです。
でも、最後まではいきませんw

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