第二話
暗い洞窟の奥まで届く朝日で目を覚ました。
奴から受け取った首輪を付けて以来、私の周囲での怪異は納まり、私がブレスの火力調節を失敗する事も無くなった。
奴に感謝などはしたくないが、プライドを差し引くならば「ありがとう」と言うべきなのだろう。
しかしその首輪をして以来、魔王の魔力が私の身体を侵食するレベルも強まった気がする。
この数日で胸が膨らみ足元が見えないほどになり、尻も大きくなったせいで激しく動き回ると異和感がある。
更には私には生まれた頃からさほど無かった性欲が急激に肥大している。
一昨日の晩などは身体が疼いて仕方なかった。
はぁ…。
本気で魔王を滅ぼしに行ってやろうか…。
しかし、今の私は全てがどうでもよかった。
私は失ったのだ。
私の誇りだった白く大きなドラゴンの身体。
私の自慢だった楽園と呼ばれた箱庭。
私の愛した餌達。
文字通り、私は全てを失った。
このまま魔王の魔力に呑まれ、下等な魔物同様、獣のように生きるのもいいのかもしれない。
――ぐぅぅぅぅぅ…
悩んでいても腹は減るものだ。
私は重い身体を起こし、餌を獲るためねぐらを後にした。
私の目の前を小振りな鹿が飛び跳ねて行く。
鹿よりは熊の方がよかった。
熊の肉は餌には遠く及ばないが、少しばかりはマシな味がした。
はぁ…。
私はため息を吐きながら鹿の身体に向けて手をかざす。
小さな悲鳴を上げて鹿は倒れ込んだ。
私はその腹に爪を立て、引き裂いて行く。
紐が解けるように皮がはがれる。
私は裸になった鹿の角を持ちあげ、息を吹きかける。
香ばしい匂いがして鹿の丸焼きが出来上がる。
はぁ…。
こんな獣の様な狩りに慣れてきてしまった自分が少し嫌になる。
――くちゃ …ぶちっ
味の薄い、不味い飯だ。
というか、なんだ!?この頬は!
食べ辛い事この上ない!
これでは丸飲みどころか、齧り付く事すらまともに出来んではないか!
餌達はこんな不便な身体で平然と生きているのか?
信じられん…。
それになんだ?この頭の毛は!?
流石に前に垂れてくる分と地面を引きずっていた部分は邪魔だから切り捨てたが、こんな毛本当にいるのか?
まぁ、しかし、この鱗の無い肌は感覚が鋭敏で風を読む時などには便利だな。
後、身体が小さくなったおかげで食う量が減ったのは助かる。
昔は餌のように味がいい物なら少量で済んだが、こんなものだと10頭は食わねば腹が膨れなかったからな。
それが今じゃ1頭で十分だ。
狩る手間が省ける。
そんな事を考えながら私は鹿を食い終え、腹が膨らんだ所で森の中を散歩する事にした。
そうしていると色々と思考が廻る。
この森を捨て、餌達の住む国へ向かおうか?
軍隊の一つや二つなどこの姿のままでも潰してやれるだろう。
しかし、そんな事をすれば以降餌達に近づく事が難しくなる。
それに、仮初めの姿とは言え、自分の姿に似たものを殺すのも微妙な感じだ。
しかし、あの味はもう一度味わいたい。
ああ。
何度となくこんな事を考えている。
そして結局、こんな森の中に留まっている。
私はどうかしてしまったのだろうか?
本当に魔王の魔力に浸食され、その内この姿のように、頭の中まで餌の様になってしまうのだろうか?
ふと、それはそれでいいのかもしれない、なんて思ってしまった。
こんな風に失って悩むくらいなら、生命の頂きに住むよりも、この姿で餌達の中に紛れてしまうのもいいのかもしれない…と。
今の魔王はサキュバス種だと奴は言っていた。
サキュバスは初めから餌達にほど近い姿をしていた。
故に、魔王は今の私の様な事を考え、世界をこの様に造り替えたのかも知れない。
しかしこの世界もいつまで続く事やら…。
この私ですら、世界どころか国一つ程度の大きさの箱庭を持て余したと言うのに。
サキュバス程度に世界全てなどを操れるのだろうか?
きっと、いつか操り損ねる。
そうすれば私はまた元の姿に戻るのだろうか?
そうなれば私は何をすればいいのだろう。
いや、もしかしたらあのバフォメットのように珍妙な姿になってしまうのかも知れない。
どこぞの妖精の国の大使がそんな事を考えていると風のうわさを聞いた事がある。
そうなったら…。考えるだけでもおぞましい。
全く…。
生きると言うのはままならんものだ。
ましてやこんな強大な力を持って生きるなど。
そんな事を考えていた。
気が付くと私は森のだいぶ浅いところまで来てしまっていた。
視界の端に見る魔物や獣は私のねぐらの辺りに居るものと違い、私の姿を見るだけで逃げ出してしまう様な下等なものになっていた。
そろそろ引き返すか。
そう思っていた矢先のことだった。
「きゃぁぁぁぁ!!」
久方ぶりに聞く餌の女の声だった。
私はあわよくば千年ぶりに餌が食えるかもしれぬと、声の方に向かって飛んで行った。
ドレスの裾を木々に破かれながらも走り続けた。
腕に我が子を抱えて。
この子だけは守らなければならない。
後ろから盗賊たちの声が聞こえる。
品の無い地獄の亡者の様な声。
彼等に捕まってしまえばこの子は殺されてしまう。
何としても…。
「きゃっ!」
木の根が張り出していた事に気づかず、私は足を捕られて転んだ。
とっさに我が子を庇う。
盗賊たちは私に追いつき、ぎらぎらとした目で私の周りを取り囲む。
盗賊の一人が手を伸ばす。
太い枝のようにごつごつとした汚れた手。
それが私の服を引き裂いて行く。
「――っ!」
声が、出なかった。
「あぁん?子持ちか?ちっ、男の餓鬼か、使えねぇ。おい、その辺に捨てとけ」
私の子が、盗られる。
やめて!
私はとっさに男の手に噛みつき、その顔を引っ掻いて我が子を取り返す。
「いっっ…。何しやがるこのアマぁ!!」
――ザクっ
背中に熱が走る。
そのまま地面に転がって初めて、私の背中に男の獲物が食い込んでいた事が分かる。
熱い痛い痛い熱い!
痛みで目の前がチカチカと点滅する。
喉の奥から熱いものがこみ上げる。
吐き出すと、それは血だった。
「きゃぁぁぁぁぁ!」
初めて、私の口から悲鳴が出た。
男たちは笑いながらこちらににじり寄ってくる。
ダメだ。
このままではこの子が。
――ザァァ…
その時、一筋の風が吹いた
「美味そうな匂いがする。私の愛する餌の臭いが」
降り立った白銀の天使様は天使らしからぬ笑みを浮かべ、私を見下ろした。
「お前の肉は美味そうだな。私に食わせろ」
動けない私を覗き込みながら言う。
魔物…なのかな?
縦に割れた銀色の瞳。
鏡のように私の瞳が写り込んでる。
きっと人間じゃない。
この人、綺麗すぎる。
でも、
この人なら、きっと…。
震える喉から言葉を絞り出す。
「ゎ…私の事、食べてもいい。…だから…この子を……」
言えた…。
良かった。
餌の女はそう言った。
見れば事切れた後も大事そうに赤子を抱えている。
「良いだろう。お前を食う代わりに、私がその子を守ってやろう」
返事はない。
しかし、その口元は笑っているようだった。
「さて、私は約束してしまった」
薄汚い餌共を見る。
突然の私の登場に動揺しているらしい。
「女、貴様魔物か?」
「見ればわかるだろう」
「ふ…。いい女じゃねぇか。とびっきりの上玉だ」
悪党の分際で格好をつけるな。
全く。
雑魚共め。
ひ、ふぅ…5匹か。
食ってもさしてうまそうには思えぬな。
――ピシュ…パァン!
「っ!?」
「――っ(ビクン)」
私の尾の一撃で2匹の上半身が千切れ飛んだ。
「ひ、ひぃぃ!!?」
「な、何が起こった!?」
今のが見えんのか。
話にならんな。
「失せろ…」
「「ぎゃぁぁぁぁ!!」」
一睨みしてやると3匹のうち2匹は逃げた。
腰抜けめ。
仲間が殺されたと言うのに怒りよりも恐れが上回るか。
ゴミだな。
食う価値も無い。
私はその2匹を放っておいて、残っている1匹を見る。
「どうした?お前は逃げんのか?」
「てめぇ、リザードマンか?」
「ほぉ、貴様には私がトカゲに見えるか?」
「…お前が殺した左側の男、そりゃ、俺の弟だ」
「そうか、それは悪かったな。母ちゃんに言って新しいのを産んでもらうと良い」
「魔物には情も情けもねぇ…かっ!」
――ドン!
爆縁が立ち上った。
下級の魔法だ。
へぇ、バフォメットから買った服、確かにバリアを作っているようだ。
まぁ、そうで無くては困るが。
――ポロ
おっと、そうか。
バリアは肌の表面だけだったな。
その上に身につけていた首輪が衝撃を受けて金具が外れてとれてしまった。
しかし流石に服自体にはバリアが働いているらしい。
「ひゃはは!盗賊が魔法なんか使うのが意外だったか!?これでも俺は…」
煙の中から恐怖におびえる様な高笑いが聞こえてきた。
どうやらこちらの姿が見えてないらしい。
私は息を吹きかけ、煙を飛ばしてやった。
「なっ!?…う…嘘だろ?…何でリザードマンが魔法食らって無傷なんだよ!!」
「魔法?あんなちんけな爆竹が魔法?笑わせるな。魔法と言うのはこういうものだ」
――ズゥン!
私が魔法で餌の後ろの茂みを吹き飛ばしてやる。
「ひ、ひぃぃ!!?」
「わかったか?これが魔法だ、坊や」
「お、おおお前はなんなんだよ!?何でリザードマンがそんな高等な魔法を!?」
「最期に教えといてやろう。私はトカゲではない、ドラゴンだ」
「ド、ドラゴン…だと?」
「さよなら坊や」
「ぎゃぁぁぁぁ!!」
愚かな餌を心臓から焼いてやった。
数十秒もすれば骨も残らず燃え尽きて塵になった。
――おぎゃぁぁ、んぎゃぁぁぁ
ん?
そうか、忘れていた。
そう言う約束だったな。
私は女の腕から泣きわめく赤子を引き取ると、魔法で眠らせてやった。
――すぅ…すぅ…
ふむ。
餌の赤子とはいえ、寝ている姿はなかなかに愛らしい。
さて…。
私は女の身体に向き直った。
すでに死んでしまってはいるが、まだ温かく、新鮮そのものだ。
あの男共から命を掛けて我が子を救った様な勇敢な女の肉だ。
さぞ美味であろう。
どこから食おう?
うむ。
――ぐじゅ
私は柔らかそうな首元にかぶりついた。
「っ!」
美味い。
女の肉は、愛情に溢れ、甘みが強いが、それを整えるかのように苦味と酸味が混ざり合う。
憎しみや恨みと言った雑味が少ないせいか、すっきりとした後味がある。
そしてこの肉の柔らかさ。
今まで食ったどの餌にも引けを取らない味だ。
こんな所で食ってしまうのはもったいない。
持ち帰って新鮮なうちに半分。
残りは夕食に焼いて食おう。
――すぅ…すぅ…
ふと思った。
餌との約束など、守ってやる義理もないが…。
いや、このように美味な女だ。
その味に敬意を払い、約束はきっちりと守ってやるか。
赤子から育て、年老いるまで面倒を見た所で、餌達の寿命など一瞬の事だ。
私は落とさぬように気を付け、絞め殺さぬように力を抜いて尾で赤子を抱き、腕に母親を抱いて、巣へと飛び立った。
甘美な昼飯を終え、日が落ち、夕食に女の肉を焼こうと思ったとき初めて気づいた。
首輪を忘れてきた。
参った…。
しかし、私もドラゴンだ。
あんなものなど無くても…。
…いや、しかしこれ程の肉を炭にしてしまうのは…。
は!そうか、そう言えばバフォメットのガラクタの中に…。
おお、あった。高級肉焼き機Z!
えっと、火加減は…これぐらいか。
――じゅ〜
ぐ…なかなか焼けんな…。
うぅ、美味そうな匂いが…。
――ぐぎゅるるるるるる
腹が泣き出してしまったではないか。
私のブレスならば外と内から一瞬で焼いてしまえるというのに…。
…仕方ない。
明日、あの首輪を拾いに行くとするか。
――上手に焼けました〜♪
―― 一方、魔王城、サバト本部
「バフォメット様!大変です!停電です!」
「何っ!?くそ!あ奴め、儂のたくらみに気づいて首輪を捨ておったのか!?」
「わぁ〜こりゃたいへんだぁ〜。バフォ〜トさん、ここに人力発電用の自転車、置いときますね」
「え!?何!?儂にそれで発電しろってか!?!?」
「わぁ〜すげぇ〜や。自ら部下の為に汗を流そうだなんてぇ〜さっすがバフォりんだぜぇ〜。オレっちにゃ真似できねぇ〜や〜(棒)」
「バフォメット様…流石です(うるうる)」
「なっ!?(えぇ〜儂の逃げ場なしぃ〜??)」
「頑張ってくださいねぇ〜(ぽりぽり)」
10/10/25 21:58更新 / ひつじ
戻る
次へ