異邦の獣武者
「んんーっ……よく寝たあ……」
伸びをして、カーテンを開き朝日を迎える。異界に来るのは初めてだからいつも夜みたいな暗い場所なのかなという先入観を抱いていたけれど、ほんの少しだけずらして太陽も月も外と同じようになんて芸当もできるみたいだ。魔物の世界ってすごいなあ。
生まれ変わった私……いや、"僕"にとって初めての朝を噛み締める。今のソラウは山羊の背徳の力を譲り受けた魔女。魔法を扱う技量は飛び抜けて高くなり、身体能力も元の"私"と比べ物にならない。
身体が肉体自体を失ってしまったかと錯覚する程軽いのだ。こんなにもいい気分になれるだなんて"僕"は幸せ者だな。
見習い魔導師改め、見習い魔女ソラウ。今日からサバトで活動を始めます。
「朝飯も終わったところで、みんなも気づいているけど新顔を紹介させてもらう。当サバトで最初の種族としての魔女、ソラウだ」
朝食の片付けを終えると、バフォメットのレイリに手招きをされた。誘われるままに壇上に登る。計八つ、4人の目がこちらをじっと見つめてきた。
みんなが小さな女の子の姿で獣の耳と尻尾を持っている。もしかして、渡された制服が獣の付け耳と付け尻尾の異国の衣、獣の四肢を模した手袋と靴下兼ブーツなことに関係あるのだろうか。
「わた……いえ、僕はソラウといいます。昨日まで人間として魔導学校に通っていましたが、レイリに助けていただきその姿に感銘を受けたので魔女になりました。至らない点が沢山あると思いますがどうかよろしくお願いします!」
とつとつと自己紹介の言葉を述べる。ちゃんと言えただろうか? 駄目なところとかなかったかな? 不安を浮かべるだけ無駄だった。テーブルに座っていた4人が一斉に立ち上がって階段を駆け上り、興味津々に取り囲んできたのだ。
「おおー! めちゃくちゃ可愛い魔女じゃん! やるねえレイリ」
「ソラウちゃん、もっと肩の力抜いていいよ〜。ここは気難しく考えないで好きにやったもん勝ちさ。ねー、お姉ちゃん」
「お前は好きにやりすぎだ。あ、妹のことはお気になさらず。俺もよろしくできると嬉しいな」
「……よろしく頼む」
えーと……口ぶりからして妹さんだと思われる方はワーキャットだよね……。お姉さんはなんだろう。黒い犬、かな。一番目に駆けつけてくれた青い髪の方も犬っぽく見えるけど、その隣の黄色と黒の縞模様の方と合わせて知らない動物の獣人だった。
「おいおい、新人をビビらすなよ〜。ソラウが名乗ったんだからお前らも自分の名前くらい教えてやれって」
「じゃあおいらから! おいらはみつって名前なんだ! 種族は雷獣。みっちゃんて呼んでくれよな!」
「……人虎。リー・タウという。みつは相方だ」
「ボクはスフィンクスのイフィでーす! こっちは、お姉ちゃんの」
「カクラだ。アヌビスで、妹と共に砂漠の国からこちらへ来た。レイリ、あと一人はどうする」
「じゃあオレが言うか。サバトの方針で修行の旅に出ているやつがひとりいてな。レンシュンマオのアイルっていうんだ」
ミツさんに、リーさん。カクラさんとイフィさん。砂漠に国があるとは知らなかったけど、アヌビスとスフィンクス。こんな種族がいるんだ。旅人たちの集うこの街では色んな魔物も見かけるのに、ライジュウやジンコは今初めて出会った。レンシュンマオの名前も初めてだ。よっぽど遠くから来たんだろうな。
「そして改めて自己紹介。バフォメットのレイリだ! まだ黒ミサを開ける規模ではないが、これをもって生贄の儀、歓談の儀とする。サバト一同、新しい仲間を全力で歓迎させていただくぜ! 」
レイリの宣言とともに拍手が巻き起こった。ぱちぱち、と、ぽふぽふ。人間と同じ手をしているみっちゃん(お言葉に甘えてそう呼ばせていただこう)以外はみんなぽふぽふの拍手だ。
獣人種がほとんどだけど、ワーウルフやワーキャットが魔法を使ったという記録は読んだことがない。武道を修めるサバトだから?
「うーん……」
「よっ、昨日まで人間だったからって気後れしなくていいんだぞ。なにしろみんなが元々人間の娘だった訳だし、オレの母さんも元人間のバフォメットだからな」
「そうではなく……って、バフォメットって人間にもなれるんですか!?」
「まあ素質とかそういうのはあるが、機会さえあればなれるな。オレの身の上は聞きたいってなら幾らでも語って聞かせてやる。でも、そろそろ本活動の時間だから後でな」
「はい!」
連れられるままに建物の中を移動する。両開きの扉を開けると中は広い空間になっていた。奥に3分の1位の大きさで四角に線が引かれている。四隅にはまたそれぞれ扉があった。何も考えないで移動したら絶対迷子になるな、気をつけよう。
「リー、カクラ。どんなことをするのかざっと手本を見せてくれ!」
「わかった」
「了解しました」
リーさんとカクラさんが前に出て枠線の中で向かい合った。普通の獣がそうするように手を着き姿勢を低くして威嚇するような姿勢をとる。
続いてレイリが少し引きながら真ん中の位置に立って、向かって右の腕を上げた。
「準備はいいな。──始め!!」
上げた手を勢いよく下ろすと同時に両者とも床を蹴る。
最初に出たのはカクラさんだった。右手を爪を立ててリーさんに対し大振りに振り下ろす。右手と爪に魔力が集中したのだ。恐らく胴に当たるだろう。でもリーさんは身をよじってぎりぎりで躱した。
攻撃を避けられたカクラさんも瞬時に体勢を立て直す。
再び向き合うものの、それもほんの僅かな時間だった。
次に飛び出たのもまたカクラさん。リーさんは今度は避けずに自身も掌で受け止め、そして空いた手で手首の真ん中を突いた。
「ぐっ……!」
カクラさんの表情が少しだけ歪む。身体を下にしながら手を着きバネのように跳ね上がる。そのまま回転の勢いごと右足を蹴り出した。彼女の動きを捉えたリーさんも軽く後ろに飛び、瞬時に足同士がぶつかり合う地点へと蹴り込む。回し蹴りどうしの勝負だ。固唾を呑んで凝視することを止められない。
互いの魔力が反応し爆発が巻き起こる。物理的な威力は持たないと理解しつつ身体がふるえた。
ぶつかってすぐに端へと退いたのは両者変わらないだろう。けれど、カクラさんがよろめいた。
「──勝負やめ! この勝者、人虎のリー!」
高らかな宣言が緊張を解いた。肉弾戦なんて魔導の道を進んでいると中々見れないものだ。ましてや人間を越えた魔物同士の、それも恐らく本気ではないというのにこの迫力で……!
試合を終えたふたりが右手を差し出し固く握った。
「やはり、リーは強いですね。俺にはとてもじゃないが及ばない」
「……いや、貴殿も、中々である。以前より痛みに動じなくなり、積極的に仕掛けて来るようになった」
「ははっ。貴女にそう言われて光栄だ。イフィの案を元にメニューを作り、こなした甲斐があった」
──僕も、いつかはあの中に入りたい!
リーさんも、カクラさんも。鬼気迫るあの光景の中ではまるで歴戦の勇者と違えるくらいに勇ましかった。そして今のふたりはこの上なく美しい。
羨ましい! ふつふつと沸き起こる激しい感情はあっという間に心全体を飲み込んでいった。
あんなふうに強くなりたい! あんなふうに自分を綺麗に魅せたい! そうしたら、誰が素敵なお兄さんが僕を見初めてくれるだろうに!
「どうだ? 凄かっただろ」
「ええ……とても……!」
「だろ! オレ自ら鍛えた弟子だ、凄いと思ってもらわなきゃ困る」
レイリはふふんと得意げになった。小さいながらも堂々とした姿に、ああ僕はとんでもない師匠を持ってしまったのだなあと今更ながら感じた。
街で度々見かけた魔物の方々はみんなが魅力的だった。
短すぎる一生を捧げたところで人には到達できないような、美しさだけではない、もっと内面から滲み出て発露する魅力だ。多分、命は大事なものだけれどそれを手放したところで対価にはなり得ないのだろう。
まだたったの数時間接しただけだけれど、サバトの全員がこれが自分の邁進する道だと信じて疑わない、その姿に答えがあるんじゃなかろうか。
「さて、魔導師見習いだったソラウに質問だ。今の試合で気づいたところはなかったか?」
「魔力が流れるように身体を移動していましたね。全てを強化するのではなく、適切な時に適切な部位にだけ魔力を回す。あれだけ素早く判断して流動させる術は魔導師ではなく、むしろ勇者の極めるところかと」
ほう、と関心の声が上がった。
「そこまで見てるなんて中々素質がある。だが、お前の指摘したとおり"適切な時に適切な部位にだけ"は実は勇者でも難しいかなりの高等技術だ。戦いの最中だってのに逐一考えていたら他が疎かになるだろうな」
「では……どうすればいいんですか?」
獣人種の魔物は魔法を使わないと聞く。隠していたとしても記録のひとつもないのはおかしい。だから、高位の魔物バフォメットであるレイリを除いて歴戦の勇者並の魔力の扱いができる獣人が、恐らく4人もいるとは考えにくい。
かと言ってそんな魔法体系は僕の知識の及ぶところではないし……うーん……。
「逆だ。"考える必要は無い"。それが獣魔法と呼ばれる魔法体系の最大の特徴なんだ」
「獣……魔法……?」
「獣としての野生の本能が赴くままに魔力を繰る、魔導の獣ことロプロット様が開祖である魔法だな。現に今ふたりが使っていたのが『ビースト・ブースト』。一見一握りの者しか使えないような高等技術に見えるが、その実己の中の本能を自覚すれば誰でも使えるようになるのさ」
──普通の魔法は理性の叡智。だから一つの学問として成立し研鑽には学びを伴う。獣魔法は本能の叡智。学ぶことがあるとするならそれは獣としての振る舞いだけ。
「と、まあこれがオレのサバトの方針第二。ロプロット様のとこじゃ本当に獣として生活することが活動になってるしオレもそうしてたけど、オレは別の方向からアプローチしたいからゆるーく生きてるだけでいいぜ」
「ゆるーく」
「そうそう。ゆるーく。自然体で」
ありのままに、ゆるーく、自然体に。
緊張することなく、ただ息を吸って、吐いて。
うん、なんだか行けそうな気がする。
「よーし、じゃあ基本的な身体の動きから始めるか! 焦らずに付いてこいよ。それも修行のひとつだ!」
18/08/27 07:28更新 / へびねおじむ
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