連載小説
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 神城高校二年生の宿木稔(やどりぎみのる)こと俺は高校の帰り道、奇妙な女に遭った。
 そいつは狸のような模様があちこちに描かれた半纏と七分丈のズボンを穿いた変わった風体をしていた。
 何よりおかしかったのが背中に背負うもの。得体のしれないナニカが伸びたり詰まったりしている木籠だった。
 とにかくこの現代日本に似つかわしくない恰好をしている。
 まるで江戸時代からタイムスリップしてきたかのような女だ。
 そして極めつけは語尾に「っす」と付ける変な喋り口調でもあった。そんな口調、中途半端な敬語を使ってる後輩くらいからしか聞いたことがない。
「色々試供品を配って回ってるんっす。良かったらどうぞっす」
 そう言って女に押し売りよろしく小袋を持たせられた。
 正直断りたかったんだけど顔はとても美人だったから断れなかった。うん、俺だって男だし。
 まぁタダなら貰ってもいいかと思っていたけど、これが何かは聞かなくちゃ始まらない。
 だけど、突然の珍客に、狸服の女は慌てたように逃げて行った。
「待て! キサラギ! 今日という今日は逃がさんぞ!」
「いつまで追ってくるんっすかティーちゃん! いい加減しつこいっす!」
「その名で呼ぶな! お前が私に捕まるまでだ!!」
 青髪の際どい軽鎧の女に追われて。
 うーん、目が疲れているのか。それとも近くでコスプレイベントでもあるのか。角らしきようなものも女の頭から見えたような。
「疲れてるんだな。うん、帰ろう」
 漫画の世界よろしく悪魔っ子なんて存在するわけないし。帰って寝て忘れよう。

「種?」
 狸女に貰った小袋の中にはBB弾より一回り大きいくらいの種子が一粒入っていた。緑と濃紫色が混じり合った若干毒々しい見た目の種だ。
「観葉植物でも育てろってか?」
 ガーデニングの趣味はないんだけどなぁ。
 ん。これ、説明書か?
『テンタクルの育て方』
 てんたくる? なんだそれ。手書きだし。
『テンタクルは蔦状植物の一種っす。基本的にアサガオの育て方と同じなのでネットでも何でも見て育ててくださいっす。でも間引きは必要ないっすよ。育つに任せてれば問題ないっす』
 うわー、適当。というか説明ぶん投げてるな。まあ、図もない言葉だけの説明されてもこっちとしてはわからないから、この説明が適切なのかもしれないけど。
 しかし、アサガオか。小学生の頃育てた覚えあるけど正直どうやったか覚えていない。
『一番重要なのは愛情っす。毎日声をかけてあげるとすくすく育つっす。それと自分の部屋で育てるのがイイっす。窓際で太陽の当たる場所かつ布団の近くだともっとイイっす』
 植物に音楽を聞かせると発育がよくなるとか聞いたことはある。左手が鬼の手の先生が出てくる漫画で見た。
 それと室内か。
 俺の部屋はクローゼットに漫画本の棚と勉強机、テレビにゲーム本体一式。そしてカーテンのある出窓の下にベッド。朝日が差し込むのでちょうどいい。まるで狙ったかのような場所だ。いや、狙われたのか?
 出窓部分はかなり広く、少なくとも育ち切る前のアサガオなら置く高さも幅もある。虫が寄ってこないか心配だけど、酷いようなら外に出せばいいか。
『そこそこ育つと透明な蜜を出すから飲んでみるといいっすよ。甘くて美味しいっす』
 へぇ、蜜が飲めるのか。家庭菜園でトマトが採れるとかそんな感じかな。
『あと最後。もしこの植物にシテみたいと思うことがあったら、迷わずするっす。そうしたらもう完璧。テンタクルは君好みのコに育つっす』
 そこで説明は終わっていた。最後だけまるで意味がわからない。
 まぁでも頑張って育てれば、それなりに楽しませてくれるってことかな。
 幸い、部活のノリについていけなくて辞めたばかりだし。うん、現状帰宅部の俺は放課後から寝るまでほぼ暇なのだ。友達は皆部活漬けで忙しいし。
 よし、折角だ。一丁やるとしよう。

 両掌にギリギリ収まる程度の鉢に、軽石を敷いて買ってきた培養土を注ぐ。
 で、指で土に穴を開けて種を置くと。種には前日のうちに外皮に切り込みも入れて、水も浸けてある。アサガオと同じらしいし、これで問題ないだろう。
 それから土が乾かないように水やりを続ける、と。
 外じゃないので水を鉢の底から流しっぱなしというわけにはいかない。バケツで受け止める必要があったけど、まあ必要な労働と思おう。
 あとはとりあえず芽が出るのを待つのみ。間引きとかはしないでいいみたいだけど、どこまでアサガオと同じように育てればいいのやら。
 母さんに聞いても『テンタクル』なんて植物聞いたことも見たこともないって言うし。というか、いきなり植物育てるとか言い始めた俺に頭大丈夫かという目で見られた。放っておいてくれ。
 しかし、小学生の頃にアサガオを育てていたけれど、実際やってみても全くその当時のことを思い出せない。実は先生に任せきりだったんじゃないだろうか、俺。
 だけど今回は正真正銘自分で最初から最後までやりきるとしよう。母さんも手伝う気はないみたいだし。
 まぁとりあえず初日。芽が出るまで早くても五日くらいかかるらしいし、気長に行こう。

「えぇ……」
 朝起きて日の当たる窓に置いたテンタクルの鉢を見て、寝起きのテンションそのまま気の抜けた声を漏らした。
 芽が出てる。緑と濃紫の芽がにゅっと土から伸びてる。いやいやいや、アサガオの芽って五日はかかるんじゃないの? これアサガオじゃないけど!
 植物ってこんな早く育つものなのか?
「まぁ、早く育つならそれに越したことないけど」
 早く育ってどんな花を咲かせるか見てみたいし。アサガオと同じ蔓植物だから似たような花かな。綺麗だといいけど。
「ただ芽の色はちょっと不気味だよなぁ……」
 濃紫のアクセントが効きすぎている感がある。まぁそのうちに慣れるだろうけど。
 しかしこれだけ成長が早いともう支柱を立てておいた方がいいかもな。学校から帰ってくる頃にはもう蔓が生えてたりして。
「なーんて、思ってたんだけど……マジか」
 高校から帰って来て手も洗わず真っ先に鉢の方へ行くと、伸びてた。数センチ程度だけど一本の蔓が伸びてた。
 もしやこのまま俺の背を越すんじゃないかと、心配に思ったがそれは杞憂に終わった。
 蔓が伸び始めてからの成長速度は緩やかになった。一日一センチ程度の伸び。ただ、支柱にも絡ませられるくらいになったので、蔓を手に取って支柱へと巻きつける。
「ん」
 なんだろう。蔓にいま力が籠ったような。
 指を握り返されたようなそんな感触を指先に覚えた。
「うわっ」
 いや、気のせいじゃない。本当に蔓が動いてる。指に巻き付いている。
 力は全然強くないけれどくねりくねりと俺の指先に巻き付いてきた。
「すげぇ……植物って動くもんなのか」
 そういえばハエトリグサとか、虫が中に入ると口が閉じたりするよな。あれと同じ構造なのかな。
「お、俺は食べても美味しくないからな。だからこっちに絡まってくれ」
 ちょっとビビってしまった俺は、意思もない植物に頼みながら蔓を指から外していく。特に抵抗もなく蔓は外れて、支柱の方へと持って行くと勝手に巻き付いてくれた。
「おお。良い子良い子」
 なんだ意外と可愛いぞ。この緑と濃紫も見慣れれば良い色に見えてくる。
 蔓の先の葉が俺の言葉に応えるようにぴくんと動いた、そんな気がした。

 朝「おはよう」と声をかけて、水をやって、「いってきます」と声をかけて、夕方に「ただいま」と声をかけて、水をやって、夜「おやすみ」と言って寝る。
 だいたい、俺の一日はこのテンタクルという植物と一緒になっていた。
 テンタクル。
 ネットや本でも調べてみたけれどそういう名前の植物に関しての情報は何も載っていなかった。
 ただ『テンタクル』という言葉の意味はネットサーフィンしていてわかった。英語で『触手』という意味らしい。まぁ蔓が確かにエロ漫画とかで出てくる触手っぽいし、その名前にも異論はない。
 結局何の植物かわからないままだけれど、なんだかんだ育ていて楽しい。水をあげると喜んだりしているようにも見えてきて可愛く思える。
「美味しいかー?」
 と尋ねれば、葉っぱがゆらゆら揺れて頷いているようにも見えた。きっと水をあげたときの振動のせいだろうけど。
 二週間もすれば三十センチを超える長さに成長していた。蔓の数も増えてきたので鉢を一回り大きくして支柱の数も四本にする。小学生のアサガオを思い出すな。
 ここ数日で一気に伸びた印象だ。蔓をそのまま薄くしたような葉っぱも大きくなり、小さな子供の掌くらいはある。
 一番大きな変化は葉っぱの傍に蕾ができていたことだ。
 濃い緑色をした蔓がそのまま蕾になったようなようで、まるで掌だけはくっつけないように両手を合わせたような、膨らみのある形だった。
 もう少しで花が咲くと思うとどこか逸る気持ちが出てくる。けど根腐れとかしてはいけないので水やりはいつものように。その分、いっぱい声をかけてやった。
「綺麗に咲けよー」
 とか。
「楽しみにしてるからなー」
 とか。
 傍から見たら変な奴だろうが、別に自室なんだから気を遣う必要もない。
 あとはまぁ学校であったこととか独り言をテンタクルに聞かせてやった。返事はもちろん帰ってこないけど、聞いてくれているのかもしれないと思うとついつい話しかけてしまう。
 いよいよ、俺もこの植物を育てるのにハマってしまったってことなのかな。

「ん、なんだ、甘い……?」
 口の中に広がる甘味で俺は目が覚めた。部屋の中はまだ朝日が間接的にしか入って来ていなくて薄暗い。でも俺の頭上にあるソレははっきりと見えた。
 蕾。緑色の蕾の先っぽ。そこが口を開いていた。
 その口の中は影でほとんど見えなかったけど、確かに無数の指のような細長いものがびっしりと詰まっていた。
 まるでゲームとか映画の植物エイリアンが獲物を襲う直前のような、そんな状況。
「うわっ! 痛っ!」
 驚かないわけもなく。俺は跳ね起きてベッドから転げ落ち、盛大に背中を打った。
 痛む背中を擦りながらベッドに肘をつくと、俺の眼前にあのテンタクルがあった。
 窓際に置いたテンタクルの鉢。その支柱から一本蔓が伸びて、蕾がちょうど俺の頭の上まで移動していたのだ。支柱も何も支えなんてないにも関わらず、まるで一本の枝のように。
 そして、その蕾の口からはぽたりぽたりと、透明の液体が滴っていた。いま口の中と、部屋の中を満たしている甘い味と匂い。それがその液体から漂っているのがわかった。
「俺に、飲ませたのか?」
 食虫植物。植物エイリアン。そんな言葉が頭によぎる。まさか毒? と思ったけど特に身体に変調はない。
 まずは落ち着こう。深呼吸。あっ、良い匂い。まさかこれも毒? いやいや、それならもう。まさか遅効性の!?
「落ち着け! 俺!」
 この甘い液体はあの説明書(とは名ばかりのただのメモ書き)に書かれていた蜜だろう。匂いは単なる蜜の香りだ。
 とりあえず、ベッドにいまも垂れている蜜をなんとかしないと。というか蕾をなんとかしないと。
 触っても大丈夫、だよな?
 恐る恐る手を伸ばす。うん、触ってもいつも通り絡みついてこそくるものの、元の支柱に戻ってくれた。蜜は土に垂らしていれば大丈夫だろう。
 特に襲ったりしてくる様子もない。まずは落ち着こう。えっと、ああ、シーツまで濡れてるな。掛け布団とシーツを剥がして洗濯籠に放り込んでと。
「……まさかあんな動きするなんて」
 とりあえず片づけをしたら気分は落ち着いた。
 しかし、なんでまたあんな風に動いたのだろう。それも蜜をピンポイントで俺の口に垂らして飲ませてきた。まるでこの植物に意思があるみたいだ。
 いまは蜜を垂らさなくなっている。常に垂らし続けているわけではないみたいらしい。
 口に残る甘い味。正直驚きはしたものの、味はとても美味しかった。甘露甘露、というやつだ。
「…………試してみるか」
 育て始めてから今日まで、まるでこの植物には意思が備わっているように感じていた。絡みついてついてきたり、声をかければ反応したり、水をあげれば喜んでいるようにも見えたり、そして今日、明らかに普通じゃない行動をしてきた。
「別に間違っていたらそれはそれでいい。でももし本当に意思があるなら……」
 俺は台所から持ってきてガラスコップを、蕾の下に持って行く。しばらく待ってみたけど、蜜を垂らす気配はない。俺は意を決してお願いをしてみた。
「み、蜜を、君のさっきの蜜をくれないか?」
『…………』
 反応はない、かに思えたそのときだった。
 ぽた、ぽた、ぽたぽた。とぷとぷとぷとぷ。
 透明の液体がまるでジュースを注ぐように蕾の口から溢れてきた。少しとろみのある、嵩が増すと青みがかる透明の液体。甘い匂いが鼻腔をくすぐって、生唾を無意識に呑み込んでしまう。
「あ、っと溢れるからもう止めてくれ」
『…………』
 止まった……。
 本当に、この植物には意思がある。それも、人間の言葉を理解する意思がある。
 そんな植物聞いたことも見たこともない。まさに人類史上初の新種の植物だ。
 テンタクル。ネットにも本にも載っていないわけだ。
「……え?」
 蔓が伸びて来て俺の手首に絡みつくと、くいくいと引いた。そうしてコップの方に伸び、こつんこつんと突く。
「飲めって?」
 尋ねるとコップを突くのをやめた。本当にそういうことらしい。
 コップになみなみと注がれた透明の液体。粘性があるせいか注ぐときに巻き込んだ気泡が少し残っている。
 正直、飲むのに抵抗はある。
 得体の知れない植物が出した蜜だ。毒、ではないと思うけど飲んでしまって大丈夫だろうかと心配にはなってしまう
『…………』
 でも、ここで飲まないと終わってしまう気がする。
 この状況は単なる植物とそれを育てている人間から一歩踏み込んだ関係になる境目だ。越えれば意思ある者同士の関係になれる。
 まぁそこまで大仰でも大層なものでもないけれど、少なくとも同居人として後腐れや遠慮のない関係にするには、いま差し出されたこの蜜を飲むのが一番だろう。
 それに、出せと言ったのは俺なのに飲まないというのも失礼な話だ。
 大丈夫。さっき飲まされたときは甘かった。多分大丈夫。
「ごくり……よし、いただきます」
 俺は意を決してコップを傾けて、その粘性のある蜜を一気に煽った。
 我ながら思い切りが良すぎる気もする。意思のある植物に会って混乱していたのかもしれない。
「!」
 俺は目を見開いた。毒だったからではない。
 ただ、ただ甘かった。というか美味しかった。
 水飴を舐めているような、それよりもさっぱりとしていて喉越しもよく、しつこい感じのしない良い塩梅の甘さ。ジュースというのがしっくりくる。本当に何杯でも飲めそうなほど美味しい。
「美味しいよ、うん、美味しい」
 思った感想をきちんと植物に伝えると、テンタクルの蔓がくねくねと踊るように揺れた。喜んでいるというのが言葉はなくてもわかる。
 一本蔓が伸びてきて、俺の小指に絡まる。
『…………♪』
 きゅっきゅっと優しく締め付けて来たり撫でてきたり、何やらじゃれてきているみたいだ。
「くすぐったいって、はは。なんだか可愛いな」
『…………!』
 ちょっとだけ強く締め付けられた全然痛くはないけど、テンタクルが驚いたってのはわかる。
「何、褒められてびっくりした?」
『…………』
 肯定とでも言いたげに葉がぴくんぴくんと跳ねた。本当器用に動くな。というか意思があるってわかった瞬間、いきなりいっぱい動くようになった。
 もしかしたらバレないよう今日まで積極的に動かないようにしていたのかもしれない。下手したら捨てられるかもしれないし。
 でもいまはもうこの植物に敵対心とかないのはわかったし、正直愛着が湧きつつあったので捨てるなんて案は俺には万に一つもない。
「おっとそうだ。朝の水やりしてやらないとな。ちょっと待ってろ」
 俺が言うと絡めていた蔓を外してくれる。もう間違いなく意思があるな。夢でも見ているみたいだ。夢なら覚めないで欲しいくらいだけど。
「よし、持ってきたぞ」
 窓も開けて風通しもよくし、窓の外方向に向けつつじょうろを傾ける。
「ん? 蔓に直接かける感じで?」
 鎌首をもたげた蔓がこくんと頷いた。基本土に水を注ぐのが良いらしいけど、この植物の場合は直接蔓に欲しいらしい。
「じゃ、かけるぞ」
 あまり水撥ねしないようにそっと垂らしてかけていく。シャワーを浴びるようにゆっくりと蔓が踊りながら葉にも蕾にも水がかかっていった。水に差し込んだ太陽の光がプリズムのように乱反射して、光を纏いながら踊る蔓の姿になる。
 その姿がとても綺麗で、まるで一人の裸体の少女を見ているかのような、そんな錯覚さえ覚えた。
 いや、ほんと。錯覚だろう。そうじゃなきゃ、俺がただの変態だ。
「よし、ともういいか?」
『…………』
「もうちょっと? よしよし、たっぷり飲めよ。あっ、でも飲みすぎは根腐れするからな。え? 大丈夫? まぁお前がそう言うんならいいけど」
 なんて会話しながら水のシャワーに踊るテンタクルを見続ける。
 少し早く目が覚めた朝の時間はこうして、テンタクルとのふれあいにたっぷりと使ったのだった。
「じゃあ行ってくるよ。親が来てもじっとしててくれよ。びっくりさせちゃうだろうし」
『…………』
「ええと、そうだ。帰ったら名前つけてやるよ。名前ないよな? もうお前が普通の植物じゃないのは確かだし、呼ぶのにも名前会った方が便利だしな」
『!!』
「うぉ、そんな絡みつけてきて、嬉しい、のか?」
『!!』
 そうか。なら学校の間中、帰るまでに考えるとしよう。
 ペットとか飼ったことないけど、多分そんな心境なんだろうないまの俺。なんというかこのテンタクルと触れ合うのが楽しくてしょうがなかった。

 テンタクルの名前。授業中そればかり考えていた。
 植物に名前をつけるなんてあんまり聞く話じゃないし、いまいちいい案が思い浮かばない。さすがに犬猫みたいなポチとかタマにするわけにもいかないしな。
 そもそも男性女性どっちなのかって疑問もありはしたけど、なんとなくテンタクルは女性のように思えた。別にシャワーで変な妄想したからとかじゃない。蔓の動きの所作がどことなく女性っぽいのだ。ああ、いやこれでも変か。
「楓」とか「紅葉」とか、色々女性っぽい名前をノートに書き出してみるがどうもしっくりこない。植物であるテンタクルに別の植物の名前をつけるのはやっぱりおかしく感じる。
 適当に女性名を探してつけるのも思い入れが出ないし、知り合いと被るのもなんとなく嫌だ。
 友達に名前を書き連ねているところを見られてからかわれたので今度はもっと隠れてしないと。変に突かれるのは勘弁だ。
 テンタクルらしい名前か。
「えっと、蔓が英語で『Vine(ヴァイン)』で蔦が『Ivy(アイヴィー)』ね」
 図書館のパソコンを借りて、テンタクルの身体の蔓や蔦について調べてみることにした。
 以前もテンタクルについて調べる過程でつる植物とか調べてみたこともあった。結局、テンタクルは植物として他とは違いすぎるので何の役にも立たなかったけど。
 和名はなんとなくらしくないので、英語から付けてみようと思う。テンタクルだって英語だし。もしかしたらテンタクルは英語圏の新種の植物なのかもしれない。
「ヴァイン。アイヴィーか」
 そのままつけるのもな。ヴァインは女性っぽくないし、アイヴィーもなんだかきつい感じがする。
 Vine。Ivy。IとVが被ってるな。
 アイ。ヴイ。
 アイヴ。
 イヴ。
「イヴ!」
 目の前が明るく開けるような感覚を覚えた。
 イヴ。イヴだ。イヴいいな、イヴ。
 語感もいいし、女性らしい名前。
「いやー、俺って名付け親の才能あるのかな。我ながら天才的な発想だ、うはは」
 とまぁそのときは調子乗っていたわけだけども。
「……やばい、イヴって本当に良い名前なのか?」
 下校の時間にもなるとそんな疑問がどんどん膨らんでいっていた。
 思いついたときはすごく良い名前だと思えたのに、時間が経てば経つほどそうでもないような気がしてくる。
 なんというか名前思いついたときがちょうどオナニーで射精した瞬間で、いまが賢者タイムな感じ。どんどん冷静になって、この名前に自身がなくなってくる。
「うう、あの娘気に入ってくれるか。そっぽ向かれたらどうしよう」
 なんて不安が頭を過ぎっては消える。
 でもいまさら他に思いつきようもないし、とりあえず提案だけしてみようか。
「ってわけで、えーと、その『イヴ』って名前にしようかと思うんだけど」
 ベッドに正座して、膝に拳を置いて、テンタクルと面と向かって提案してみる。
「ど、どうかな……?」
 とびっきりの媚びついた笑みを浮かべていた。
 まさか名前付けにここまで緊張するとは思わなかった。
 猫や犬と同じと思ってたけど、よくよく考えてみたらこの植物は簡単にだけど意思疎通の取れる植物なのだ。
 結局何を考えているかはよくわからない他の動物とは違う。別に貶めているわけじゃない。
 意思があるってことは嫌だと思うこともあるわけで、気に入ってもらえなかったら正直ショックを受けてしまいそうだ。
『…………』
 テンタクルに動きがない。じっと何かを考えているようにも思える。
「……ええと、気に入らなかったら別なの考えるけ、ど……?」
 ぷるぷると震えた。な、なんだ?
 うわっ、絡みついてきた。
「ちょ、ちょっ? なにすんだ? 動けないって」
 手や腰にしゅるしゅると蔦を絡められて動けなくなってしまった。もう蔓の一部は俺の中指ほど太くなっている箇所もある。けれど多分本気で動いたら千切れてしまうだろうから下手に暴れられない。喰われるなんてことはないとわかってはいるけれど、ちょっと怖い。
「ん? 蕾?」
 蔓の積極性とは反対に、蕾がおずおずと俺の顔の近くまでやってくる。
 その中はびっしりと細長い蔦のような触手のようなもので詰まっている。まるで舌みたい。
 ああ、そういえばこの蕾ってどこか口のようにも見え――。
 ――チュッ。
「……へ?」
 気の抜けた声を漏らしたのは多分俺。
 じゃあその前の音は?
 頬に触れた柔らかい感触は?
 ――チュッ。
 もう一度、俺に何をしたかきちんと知らしめるように、蕾が頬に触れた。
 吸い付くような柔らかい感触。
 それはまるでキスのようだった。
「き、キス」
『…………』
 俺の言葉を肯定するように、蕾はこくんと頷いてもう一度俺の頬に引っ付く。
 いや、キスをしてくる。柔らかくて気持ちいい、蕾の唇で。
「っ……」
 思わず顔を両手で覆ってしまった。とても気恥ずかしかった。こんなのペットの犬に舐められるのと同じだろ思われるかもしれないけれど、いまの感触は俺にとってはまるでとても可愛らしい少女にほっぺにチューされたのと同義だった。
 そもそも、この植物を俺はペットとは思えなかったのだ。この瞬間、俺ははっきりとそう認識してしまった。
 だからとてつもなく恥ずかしい。
「そ、そのさ、イヴって名前、気に入ってくれた、のか?」
 恐る恐る尋ねてみる。指の隙間から蕾を覗いてみると、俺の仕草に戸惑っているのかふらふらとしていたが、俺の問いにははっきりとこくんと頷いた。それから手の甲にさっきと同じように何度もキスをしてくる。
「わか、わか、った。わかったからキスはもういいよ」
 大人しくテンタクルはキスをやめてくれた。助かった。これ以上は本当に頭がどうにかなりそうだ。主に羞恥心で。
 身体に巻き付いていた蔓も支柱へと戻っていく。一本だけは俺の手首と指に絡みついたままだったけど。
 ああ、これもまたまるで恋人つなぎでもしているかのようだ。恥ずかしい。
「えっと、イヴ、でいいんだよな」
『…………!』
「イヴ、これからもよろしくな」
『……! ……!』
 今日、テンタクルという植物に意思がわかって、イヴという名前をつけてあげた。
 人間でないし、動物でもない植物なのに意思があるのだけど、でもペットとも思えない奇妙な彼女に俺はどっぷりと嵌っていくのだった。

「へぇ、中はこうなってるんだな」
 あれから数日。イヴはすくすくと順調に育っている。もう鉢も別の大きなものに変えないと厳しそうだ。
 四本の支柱に絡みつくように幾本もの蔓が伸びる姿はなかなか壮観だ。高さも俺の胸下くらいはある。支柱に絡まってそれだから伸ばしきれば俺の身長を楽々と超すだろう。
 手首までなら包めそうなくらい大きくなった蕾も、奇妙な形状へと変わった葉も、太さにばらつきのある蔓もどれを取ってみても見ていて飽きない。
 蕾も数を増やしていまでは五つある。花が咲くのかと思ったけれど、その様子はない。もしかしたらこれで成長はおしまいなのかもしれない。
 で、いまはその蕾の中を見せてもらっている。夕日が差す中、水浴びをさせてやったあと見せてもらうことになった。
「やっぱりびっしり。一、二、三、ああ、無理数えらんねえ。それぞれ動いているんだな」
 耳を澄ますとくちゅくちゅと蜜が弾ける音がする。なんというか卑猥だ。
 うん、見た目的にも触手のびっしり入った口だし、エロ漫画に出て来そうな蕾だ。さすがに失礼だろうから口にはしないけど。
「よく見たらそれぞれの蕾でちょっと中身が違うんだな」
 蕾の根本を摘まんで覗き見る。イヴは俺が触れることを嫌がらない。むしろ積極的に摘まんでもらったり、触られたりしてくる。触れ合うのが嬉しいみたいだった。
「こっちはちょっと太めだけど、数が少なくて全体に粒々したのがついてて、こっちはなんだろ。毛みたいのが生えてるな。こっちは、うわっ、膜みたいなのがある。あ、開いたり閉じたりするんだソレ」
 別に植物の生態とか興味はないけれど、イヴのことは多少なりとも知っておきたかった。
 そうやって興味を持てたおかげか、葉っぱにも最初に比べて変化が起きていたことに気づけた。
 形的には蟷螂拳の指先みたいな葉っぱ。他にも両手を広げた葉っぱなど色々あるけれど、どれにも日の当たらない葉の裏側にびっしりと小さな突起が生えていた。
 しかもわずかに湿っていて蜜が水滴にならない程度に染み出しているらしい。まるでブラシか何かのようにも見えるが、触ってみると弾力があって柔らかい。なんというか癖になってしまいそうな触り心地だ。
『…………♪』
 イヴも触られて気持ちいいのかくねりくねりと蔓を揺らす。喜んでくれているなら俺も嬉しい。
「ん? あ、蜜くれるのか? ありがとな」
 いつも窓辺にはコップを置いてある。ふとイヴの蜜を飲みたくなったときとかのために。頼まなくてもこうしてイヴが準備してくれたりするときもある。
 そしていつも通りの美味しい味。甘くてすっきりとしている。もう毎朝毎晩、出かける前帰って来た後に必ず飲んでいる気がする。一日四杯は当たり前。それくらい美味しいし、飽きが来ない。
「イヴも何か他に欲しいものがあったら言えよ……って言っても話せないか。ペンは持てるか?」
 ふと思い立ったのでイヴにサインペンを持たせてみる。出窓の縁にノートを広げてそこを指さした。
「何か文字わかるか? 書けるなら書いてみて」
 もしこれで日本語なり書けたら本格的に意思疎通ができる。そうなればイヴのためにできることがもっと増えるかもしれない。
 が、残念ながらそう事は上手く運ばないようだ。
『…………?』
 ミミズが走ったような字とも絵とも呼べないナニカがノートをのたくった。どこぞの異世界文字にも見えない。
「ああ、さすがに無理か」
 もしかしたらとは思ったけどそう都合よくはいかない。
『…………』
「ああ、気にするなよイヴ。別に文字がわからなくたって、こうやってなんとなくだけどわかるし。イヴが大切なのは変わらないからさ」
『…………!』
「はは、そんなひっつくなって、ったく」
 と口にしつつも実は嬉しい俺だった。
「まっ、でも文字を覚えるのはいいかもな。言葉の意味はわかってるんだし、覚えられるだろ。日本語、一緒に勉強しようぜ」
『…………』
 しばしの熟考があったあと、多分、頭的位置にある蕾がこくんと頷いた。
 それからしばらく「あいうえお」を勉強していたのだけど。
「稔ー! いつまでも電話してないで勉強なさいよ」
 といきなり部屋の外から母さんに声をかけられてしまった。
 イヴのことは家族にはまだ話していない。鍵も閉めてるし基本開けられはしないけれど、少し肝が冷えた。
 イヴは傍から見たら異形な生き物だ。もし俺以外の誰かにバレたら何をされるかわからない。もしかしたら研究所に奪われて研究材料やモルモットに、なんて考えたこともある。さすがに考えすぎかもしれないけれど。
「わかってるー!」
 なのでバレないよう努める。母さんには育つの早くないと訝しがられたけど、なんとかごまかせた。一応アサガオではないと伝えてはいるからだ。
「でもそろそろ限界かもなぁ。イヴのことバレたらちょっと面倒だし」
 結構大きくなったからな。これ以上大きくなると部屋にも置いておけない。
『…………』
「ん? イヴ? 蜜はもういいよ。え? 俺のじゃない?」
 イヴはドアの方を何度も蔓の細長い先っぽで指さす。
 指し示しているのはドア、ではなくその向こう側なのだとすぐにわかった。
 そして、それと蜜を繋げると。
「まさか母さんにこれ飲ませて来いって?」
『…………』
 こくんと頷く。どうやら大当たりだったようだ。
 母さんに蜜か。まぁ美味しいのは確かだし、母さんも気に入るだろうけど。独り占めしていたイヴの蜜を誰かにやるってのはちょっとばかり抵抗がなくもない。
「……イヴ?」
 コップを持った手の甲を蔓で擦られる。優しく何度も。何かを伝えるように。
 心配しないで、と言っているように思えたのは気のせいだろうか。
 自分が嫉妬していると気づいてしまったから、そう感じたのだろうか。
「わかったよ。母さんにあげてくる。まっ、それにイヴの蜜がとびっきり美味しいってわかれば、イヴのことがバレても変なことはしたりしないだろうしな。いまのうちにゴマすりしとくか」
 なんて冗談交じりに言って、俺は部屋を出た。
 階下のリビングにいた母さんに飲ませると、俺と同じように好評価だった。ただ俺の感想とはちょっと違った。
 甘いというのは同じだけど、ぽかぽかする感じがあったらしい。もしかしたら蕾によって味だったり効能だったり違う場合があるのだろうか。
 まぁ、より一層どんな植物なのかより訝しがられたけれど、そこはそれ、俺の巧みなごまかし術ではぐらかしておいた。飲みたくなったら俺に声をかけてくれとも言っておいたし、勝手にすることはないだろう。……多分。
 さてと、勉強の続きだ。俺の、じゃなくてイヴの。早く言葉を交わせるようにもなりたいし。イヴの気持ちをもっと知りたい。

 それをもっと早くしていればあのすれ違いは起きなかったのかもしれない。

 きっかけは俺の学校からの帰りが遅くなったことだった。
 たまたま友達が部活休みで、カラオケに行こうと誘われたのだ。放課後に遊びに行くのは結構久しぶりだったし、俺は呑気に行くと答えて遊びに行ってしまった。
 帰ったのは十時前。ご飯も外で食べて来て、全力で歌いまくって疲れてもう眠くなっていた。
 そのときまで俺はイヴのことを放ったらかしにしていた。なまじ意思があるからと、ちょっとくらい大丈夫だろと思っていたのかもしれない。
 むしろ意思があるからこそ、気を付けないといけなかったのに。
「イヴ、ただいま。ふわぁあ……いま水やりするからなー」
 風呂も帰って即、シャワーだけ済ませたあとにイヴに話しかけた。
 だけど反応がない。いつもなら帰ったらすぐに俺の手とかに蔓を絡みつけてくるのに今日はそれがなかった。
「イヴ? どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」
 イヴに手を伸ばそうとして、蔓に触れた瞬間パチンッと弾かれた。
「痛っ!」
 条件反射的に言ってしまったが本当は痛くなかった。叩かれたところも赤くなっていない。
 だけど、いきなり叩かれたことに俺は少しばかり驚いて、そしてむっとなってしまった。何故イヴが怒ってるのか全く理解できなかった。
「なんだよ、イヴ。いきなり叩くなよ!」
 もう一度手を伸ばそうとしてまたパチンッと叩き返された。
 本当に虫の居所が悪いらしい。だけど俺もそうだった。疲れているときにこんな反応返されたら喧嘩腰になってしまう。
「イヴ。文句があるなら言えよ」
 言えるわけないのにわかってたけど言わずにいられなかった。
 当然、返事が返ってくるはずもなく、文字で説明されることもなく威嚇するように幾本もの蔓が揺らめていて、蔓の先っぽを俺に向けてくる。
「そうかよ。わかったよ、勝手にしろっ!」
 下から持ってきた水の入ったバケツをイヴの横に置く。
「勝手に飲んどけ!」
 俺はカーテンを閉めて、イヴを視界からシャットアウトした。
 戸惑いのような蔓の動きが感じられたけど、俺は振り払うように窓の方からも視界を外した。
 イヴと喧嘩をしてしまった。

 俺とイヴは冷戦状態にあった。
 朝のおはようもおやすみもなく、お互い不干渉。ただ唯一、俺がバケツに水を補給するだけ。
 たまに窓を見た拍子に目が合ったような感じがしても。
「……ふん」
『…………!』
 お互いぷいっとそっぽ向く。
 全く。なんだよ、イヴのやつ。一日。たった一日だけだ。数時間家に帰るのが遅くなっただけであんなに怒るなんておかしいだろ。
 別に俺は悪くない。だから俺は謝らないからな。イヴが謝るまで許してやるもんか。
 イヴなんて放っておいてゲームとか勉強しよう。最近、全然やってなかったしいい機会だ。イヴの世話ばかりしてたからな。 
「…………」
 イヴのことを無視してゲームとか勉強とかしているけれど、正直あまり身に入らなかった。
 少しすれば、背後にいるイヴのことが頭によぎってしまう。
 ちらっと視線を寄越せば、しゅっとカーテンの隙間にいた蔓が逃げていくのが見えた。
「……チッ」
 ここじゃあ集中できない。当分勉強とかはリビングでやるか。
 俺はイヴを残して部屋から出た。
 そんな冷戦状態が数日続いた。
 結局は気になるから毎朝だけイヴの様子を見てしまうが、ちょっと元気がなくなった気もする。でも喧嘩中なんだから気にかけてやる必要なんてない。ちょうどいい薬だ。
 本気で命の危険を感じたら蔓なりなんなり使って、伝えようとしてくるだろう。そのとき謝ってくれたらどうにかしてやらないでもない。
「…………」
「ちょっと稔」
「…………」
「稔!」
「ッ!? な、なに母さん」
「あんた、テレビ見るか勉強するか考え事するかどれかにしなさいよ」
 リビングでテレビ点けながら勉強していたのだけど、いつの間にか考え事をしていたみたいだった。
 それもイヴのことを。
「あんた最近、上の空よ? ちょっと前まで気持ち悪いくらいにニヤニヤしてたくせに」
「うるっさいな。別に何でもないよ」
 テレビのチャンネルを弄る。変えるとちょうど洋画か何かのとびっきり濃厚なキスシーンに切り替わった。お茶の間が凍る系の奴だ。
 洋画って変なところあるよな。
 男と女が激しく罵り合って喧嘩していたと思ったら、いきなりディープキスし始めて情熱的に愛し合ったりするし。あれは正直理解できない。というか流れが意味不明だ。
 でも、羨ましい。喧嘩していてもいきなり切り替えて仲直りできるなんてな。俺とイヴも言葉で喧嘩できてたら、思い切り不満吐き出せれたらすぐに仲直りできたのかな。
「っ……」
 いや、何で仲直りしたいって思ってるんだ。あれはイヴが悪いんだからイヴが謝ってこないと始まらない。
 ああもう、イヴのことを考えるな。どうせイヴのことなんてわかるもんか。言葉だって伝わらないんだ。
「稔。そういえば最近あの植物のイヴちゃんとお話していないのね」
「!?」
 にまにまと笑う母さんの顔がキッチンから見えた。
「気づいていないとでも思ったのかしら? ふふふ、名前まで付けちゃってそんなにお気に入りだったのね。やっぱり種から育てると愛着湧くのかしら」
「う、うるさいな……」
 くそっ、考えないようにしてるってのに。ていうかバレてたのかよ。恥ずかしすぎる。
「でもお世話するんなら最後まできちんとしなさいよ」
「…………」
 わかってるけど、イヴがあんな調子だから。
「私はお世話しないからね。あのコにはあんたしかいないんだから放り投げちゃダメよ」
「……あ」
 母さんのその言葉に、俺は鈍器で頭を殴られたかのような、そんな衝撃を覚えた。
 その衝撃は凝り固まっていた俺の思考を粉々に砕いてくれた。
「は、はは」
 乾いた笑い声が漏れてしまう。自分が犯した失態の大きさに。自分がしでかしていた過ちに。
 そのことにまで考えの及ばなかった自分の馬鹿さ加減に、もう笑うしかなかった。
 そうだよな。そうなんだ。そうだったんだ、イヴ。
「ちょっと、見ないならテレビ消しなさ」
「消しといて!」
 俺は適当に言ってリビングから自室へ駆けあがった。
 一刻も早くイヴに言わないといけなかった。
 謝らないといけなかった。
「イヴ!」
 ドアを勢いよく開けて、俺はベッドに乗り上がってカーテンを勢いよく開ける。
 四本の支柱に絡まって縮こまるイヴの姿があった。俺の突然の来訪に蔓たちが慌てふためいたように揺れてから、怒ったようにそっぽ向く。
 仕方ない。怒っても仕方ない。俺が、悪かったんだ。
「ごめん、イヴ!」
 俺はベッドに正座をして頭を下げた。植物に頭を下げる変な図式だけど、そんなこと知るもんか。意思のある、感情を持ってるイヴに悪いことをしてしまったんだ。だから謝らないといけない。
「ごめんな、この前のこと、帰るのが遅くなって」
 イヴがゆっくりと蕾をこちらへと向ける。話を聞いてくれるのだろうか。でもたとえ聞いてくれなくても言わないといけない。聞いてくれるまで何度でも。
「俺が悪かった。独りにして、ごめん。俺が、俺だけなのに。イヴと話してやれるの俺だけだったなのに、放ったらかしにしてごめん」
 そうだ。イヴは寂しかったんだ。
 たった数時間だったとしても、いつもなら帰ってくる時間に俺は来なくて、水ももらえなくて、話だってできなくて日が暮れてからもしばらくはずっと暗い部屋で一人きりだったんだ。
 イヴは産まれてまだ一月も経っていない。小さな子供と変わらない。そんな子供を俺は一人にしていた。寂しがらせていたんだ。
 頼れるのは俺しかいないのに。
「もう絶対何も言わずに帰るの遅くなったりしないから。絶対寂しがらせたりしないから。独りにしないから。だからどうか、許して欲しい。俺、イヴと仲直りしたいんだ。前みたいに笑って話がしたいんだ。だから……っ!」
 しゅるしゅると俺の首に蔓が巻き付いてきた。一瞬締め付けられるのかと慄いたけれど、その蔓の巻き付きは労わるようなとても優しい動きだった。
 そして、イヴのいる鉢の方へと引き寄せられる。
 これは巻き付く、というよりもまるで抱き寄せられているような。首に腕を回されているような、そんな感じだった。
 さっきまであったイヴが纏う怒気はもう鳴りを潜めていて、忙しなく俺の頬や手に蔓が触れてくる。
 イヴの顔色なんてわからない。言葉だってわからない。
 だけど、イヴが何を言いたいかはわかった。わかることができた。
「許してくれる、のか?」
『…………!』
 頬へのキスが返事だった。
「イヴ、ごめんな。仲直りしてくれて、ありがとう」
 ふるふると蕾が左右に揺れる。自分も悪いと言いたいらしい。
「優しいなイヴは」
 蕾を指先で撫でると、イヴは成すがままになってくれる。柔らかい感触。この蕾はいわば、イヴの頭みたいなもので。蕾の先は口みたいなもの。
 先ほど見た、洋画のあるシーンが脳裏に過ぎった。濃厚な、男女のキスシーンが。
「ごく……」
 いや、いやいや、いやいやいや。
 ありえないだろ。植物だぞ。意思はあると言っても、女性っぽくても、イヴって名前をつけたとしても、イヴはテンタクルっていう植物だ。
 俺とは全然別の生き物だ。
 だから、ありえない。ありえないんだけど。
『もしこの植物にあることをシテみたいと思ったら、迷わずするっす』
 あの説明書のそんな言葉が思い出される。
 シテみたいこと。いま、俺がイヴにシテみたいこと。
 イヴとシテみたいこと。
 それは。
「イヴ、い、いやならいいんだけどさ」
 心臓がやばいくらい鼓動を繰り返している。うるさくて自分が何を言っているかわからなくなりそうだ。
「いやだったら叩いてくれ。本当にそれでもいいから」
 イヴが、緑と濃紫の混じり合った花弁の蕾を傾げる。本当に頭みたいだ。
「イヴ、もし良かったら、俺とキス、しないか?」
『…………?』
「頬じゃなくて、その、俺の口とお前の口で本当のキスをさ」
『…………!』
 わかりやすくイヴが動揺するのがわかった。
「あ、ごめっ、変だよな、いや、イヴがいやならいいんだ」
『……。……!!』
「……え、イヴ?」
 おずおずと、蕾の口が俺へと上向きに向けられた。
 少女が恋人のキスを待つような、そんな光景を幻視する。
「いい、のか?」
 蕾に動きはなかった。まるでじっと耐えて待つように。そのときを今か今かと待ち望むように。
 きっとそれは俺の思い込みじゃない。
 蔓が俺の身体を何度も何度も引っ張っていたから。
「イヴ……」
 蕾の根本に両手を添えて、寄せながら俺もイヴの口へと近づく。
 唇が触れ合った。軽いタッチだった。それでも身を震わせるくらい胸が高鳴った。
 柔らかい蕾の唇。ふわりとした甘い香りを漂わせる唇。
 イヴの唇。
「ん、イヴ……」
 愛おしい。イヴが愛おしい。
 唇と唇のソフトタッチを繰り返して、何度も何度も触れ合うキスを繰り返して、でもそれだけじゃあ我慢できなくなって。
 俺はイヴの唇に唇を押し付けた。唇部分だけ包まれるような感触。実際、蕾がその花弁で重ねるように俺の唇を包んでいた。息を吸うと甘い香りが肺を満たして蕩けそうになる。
 そして脳裏に過ぎったあの洋画のキスシーン。舌を絡める濃密なディープキス。
 それをイヴとしてみたい。
「イヴ、イヴ……!」
 唇の隙間から舌を出してみる。柔らかい感触が舌先に触れる。イヴの蕾の中だ。そして、生暖かいものが触れた。
 イヴの口内にあるあの無数の触手だった。
 それはまるで食虫植物のソレのように、触れた瞬間動き始めた。
 蜜を弾く水音を響かせ、俺の舌に無数の細長いそれが絡みついてきたのだ。
 絡みついてきた触手に俺の舌は引っ張られ、唇が大きく開いてしまう。すると間髪いれずにイヴの触手が俺の口の中へ我先にと幾本も侵入してきた。
「あ、イヴュ、くちゅぐちゅあ、んはっ、んちゅじゅう」
 洋画のキスシーンなどと比べ物にならない濃密なキス。甘い蜜で塗れた無数のイヴの触手舌が俺の舌を口内を犯してくる。
 歯を撫でて、頬裏を嫐って、舌に絡みついて、喉の奥にまで行ってその甘い蜜を流し込んでくる。
 ぐちゅぐちゅにゅちゅぶちゅるくちゅっ。
 派手に響く水音がとてもいやらしく、その気持ちよさに頭が真っ白になりそうだった。
「あ、んあっ、れろっちゅっんむっあっ」
 でもただ口内を蹂躙されるのも、成すがままにされるのもつまらない。
 もっと、シタい。
 イヴを愛したい。
「ちゅうううっちゅっ!」
 啜る。口の中の触手舌を、イヴの舌を啜る。舌に絡めてくる触手舌にこっちからも絡めていく。いっぱいある触手舌に絡まってどれがどれかもわからないくらい蠢いていて、舌が蕩けそうなくらいに熱い。
 息ができないのも構わずキスを続けた。手はもう蕾から離れて、両手ともイヴの蔓の手と恋人繋ぎをしている。
 そう。恋人。イヴと俺はいま、恋人なんだ。
「おいひぃよ。イヴ、もっと……」
 イヴの舌から分泌される蜜をたっぷりと飲み下してく。
 身体がイヴの蜜に染まっていくのにこの上ない幸せを感じることができた。
 イヴも幸せかな、俺とキスできて幸せな気持ちになれてるかな?
「好きだ、イヴ、好きだ……」
 言葉になっているかわからないけれど、想いを伝えるとより一層イヴは俺の口の中で激しく舌を蠢かしてくれた。彼女の体液である蜜を塗り込むように。一生取れないように。
 腰砕けになってベッドに仰向けに倒れても、イヴは俺に絡みついたまま激しくキスの雨を降らせ、触手舌を絡みつけてくる。
 もはや捕食にすら見えるこの行為。植物エイリアンが人間を襲う図。
 だけど俺たちにとっては確かに愛の営みだった。
 恋人同士の、甘く蕩けるようなキスだった。

「ぷはぁ……はぁ、はぁはぁはぁ……」
 涎と蜜の透明な橋を引きながら、俺とイヴの唇が離れていく。
 真っ白になっていた頭にようやく現実の色が戻り始めた。覚醒していく視界に、心配そうに俺のことを見下ろすイヴの蕾がある。
「大丈夫、初めてのキスでちょっと疲れただけだから」
 イヴの蕾を寄せて、軽いキスをする。伸ばしてきた一本の細い触手舌に舌を絡ませて、蜜を舐めしゃぶった。すぐに元気が戻ってくる。
「美味しいよ、イヴ。これからはコップからじゃなくてこうやってもらおうかな」
『…………♪』
 嬉しそうだった。冗談のつもりだったけど、本当にそうしてくれるらしい。
「そうだ、まだ水やりやってなかったな。もうバケツから飲んだ?」
 ふるふると蕾を左右に振った。まだ飲んでいないらしい。
 じゃあ、ついでだし新しいのに変えようか。
「ん? どうしたの? え? 水、いらない?」
 俺の手を離さないイヴにまさかと思って尋ねてみると、本当に水がいらないらしい。
「いや、どうやって水分補給するんだ? 水は飲まないとダメだろ?」
 疑問に思っているとイヴが俺の口に触手舌を何本か入れてきた。またキスかと思ったけれど、すぐに引き抜く。
 俺の口と触手舌の間に繋がった唾液の糸。それを別の触手舌が絡めとるように舐めとったのだ。
「え、もしかして、俺の唾液?」
『…………♪』
 どうやら正解だったらしい。水じゃなく、俺の唾液の方が良いそうなのだ。
 量は圧倒的に足りていないはずだけど、問題ないらしい。元々普通の植物じゃないからこういうものなのだろうと俺も納得した。
 それに、俺の唾液でイヴが喜ぶし成長するならちょっと嬉しい。
「これからはちょっと早起きしないとな」
『…………?』
 きょとんとするイヴに笑って言う。
「キスする時間、いっぱい取りたいだろ?」
 喜んだイヴとのキスで俺はたっぷりと唾液をあげたのだった。
18/05/06 20:14更新 / ヤンデレラ
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■作者メッセージ
書いていて我ながらやばい性癖だなと思いました。
魔物娘の娘部分が出てきていませんが、のちほど出てきますのでご安心を。
それまでは触手植物なイヴちゃんとのラブラブっぷりを楽しんでいただけると幸いです。

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