第四話
―11―
泣きまくったその日の夜中、もう皆が寝静まった頃、アタシは火照った身体を冷やすために外に出ていた。眩い月明りを浴びて頭が落ち着いてくると、ふと前のルーリアがどんなだったのか気になりだした。
アタシは考えるのが苦手だ。身体を動かす方が性に合ってる。だから、森の中に入った。シャルの母親から聞いていた、ルーリアの墓がある山に向かうためだ。
詳しい場所は知らないけど、おおよその位置はわかる。シャルの家が見える山の端っこは限られているからな。散歩コースって言ってたし、それほど遠くもないはずだ。
幾度となく通られ、根や葉、土が踏み抜かれて形成された道を歩く。何度かシャルと通ったこともある散歩道。だけどいつもは途中で引き返して山までは行かなかった。多分、その先にルーリアの墓があるからだろう。
そうして、山の麓までやって来たときだ。
「見つけたぞ」
アタシにとっての絶望がその姿を見せた。
脇の森の中からあの女勇者がゆっくりと現れたのだ。
月にその青い髪を反射させ、深い闇を切り裂きながら。しかし、冷徹な瞳をアタシに向けて。
「……やはりこの感じ。ルーリア、だったか。お前が魔物だったのだな」
「っ……ディカスティーナ」
女勇者ディカスティーナ。村を襲っていたアタシを瀕死にまで追い込んだ勇者だ。
「名前を憶えてもらっていて光栄だが、すぐに忘れてもらおう。闇に還ることでな」
女勇者が腰の長剣抜く。月光を鈍く反射する銀色の輝きが、アタシに腹を貫かれた日を思い起こさせた。
またあの痛みを。自分がいなくなる感覚を。独りですらなくなるあの絶望を。
アタシはまた味わう……?
「ッ!」
アタシは脱兎の如く逃げていた。無意識に、山の方へ。この状況をシャルたちに見られたくなかったという意識が働いたからかもしれない。
「逃がさんぞっ!」
当然、ディカスティーナは追ってくる。足場の悪いこの森の中、人間とは思えない速度で魔物のアタシに追い付いてきている。
「フッ!」
「ぐぁっ!」
背中を剣閃が掠める。浅く斬られたところがまるで火傷したかのように熱い。ただ斬られるのとは違う、気力を奪うような痛みだ。
「顕現した身体を浄化され、闇に還れ! 地獄から来た魔犬よ!」
浄化。勇者。主神とやらの加護とかそんなのか! 通りで腹を貫かれただけで死にそうになったわけだ。魔物のアタシがその程度で死にかけるはずないのに。
「はぁはぁッ!」
山の急斜面を木々を伝い登りながら、アタシは女勇者から逃げる。
「随分と臆病ではないか! 私と初めて対峙したときのお前はまさしく悪魔の如き気迫だったぞっ!」
「アタシは、悪魔なんかじゃない……」
呟く。小さく声を漏らす。
いまのアタシは悪魔じゃない。凶悪な魔物でもない。アタシはアタシは。
「ふぅふぅ……」
アタシは深く木が入り組んだところに隠れる。息を殺し、口を塞いで震えて待った。アタシにとっての悪魔が去るのを。
「私はお前を逃さん。無辜の民を傷つけ、悪逆非道を行った貴様を。お前を逃せば、また誰かが傷つく。私は、もう誰もお前に傷つけさせはせん!」
もうやらねぇよ。誰も傷つけねぇよ。わかってるよ、自分のやってきた行いが悪いことなんだって。もうしないから。償いならなんでもするから……!
「あの少年はどうした? 喰らったのか? あの父親は? 貴様の隠れ蓑としているのか?」
「するわけねぇだろうが!」
アタシは飛び出していた。やっちまった。自分から居場所をばらすなんて。
だけど、シャルたちをアタシは大事に思っているのに、こんなことを言われて黙っていられなかった。
「そこにいたか」
アタシの答えに女勇者は何も応えない。無情で冷徹な視線をアタシに向けると、地面を破裂させるように蹴って、一気に距離を詰めてきた。
「うぐっ!」
「どうした! 何故反撃してこない!」
滝を登るような斬り上げに咄嗟に防御した腕が斬られる。素早く身を翻して連撃を繰り出してくるディカスティーナ。アタシの身体から鮮血が迸り木々を濡らす。
怒りで頭に血が昇りそうになるのを堪える。シャルの笑顔を思い浮かべると、怒りなんてすぐに消えた。笑ってくれてるシャルの顔が、凶暴な魔物のアタシを優しい魔物に変えてくれる。シャルの飼い犬に変えてくれる。
「くぅ、ん、ああ……」
「本当に理解できないな、お前は。手負いの獣ならば苛烈に抵抗するだろう。その身体ではもう私から逃げることなどできんというのに」
知るかよ。勇者のお前に理解なんてされるか。最初から人間だったお前なんかにッ!
「まだ逃げようとするか」
アタシは逃げる。どこへだ? もうシャルの家には戻れない。勇者にアタシの正体がバレた以上、もうこの地にアタシの居場所は残されていない。
シャルと離れ離れになる。ああ、そうだ、女勇者をここで殺しちまえば……できるわけないよなぁ。アタシは人は殺さない。これは生まれた瞬間からアタシという存在に定められたことだ。例え、アタシが死ぬ瞬間だって、きっと。
まぁ、もうアタシの手は血に汚れてるんだけどな……。
「はぁはぁ……はぁ、ああ、やだよ……」
シャルともう二度と会えなくなるなんて。やっと、やっと独りじゃなくなったのに。
「あぅ、ううっ、はぁはぁ」
アタシを追い詰めるようにゆっくりと距離を詰めてくる女勇者から、おぼつかない足取りで逃げる。山を覆う木々が晴れた。
広がるのは満天の夜空。こんなときに、どうしてか綺麗だと思ってしまう。
夜空って黒いだけじゃないんだな。黒にも色々あるみたいだ。アタシの毛並みみたいに。
「……くぅ、はぁはぁ……?」
なんだ、あれ?
開けた場所の向こう側。崖が広がっているけどその上に、何かある。
少し土が盛られてその上に、石? 岩? アタシの頭くらいの大きさの岩があった。少しでこぼこした変わった形だ。
どうしてか、吸い寄せられるようにアタシはそこへ向かう。飾り気もない岩だけど、岩の尖った部分に外れないように、見覚えのある物が引っ掛けられていた。
「これ、そうか……ここか」
アタシの首につけられている白い首輪。それと同じものが引っ掛けられていた。
風雨に晒されて、アタシのよりもだいぶボロボロで色も変色しているけど、確かにアタシの首輪と同じだ。
きっとここが、ルーリアの墓なんだろう。
「なんだよ、最期にここに連れて来てくれたのか? お前が?」
笑みが漏れる。
「諦めたか?」
そうだな。諦めついた、かもな。嫌だけど、もう仕方ない。報い、ってやつなんだろう。アタシがしてきたことへの。
「お前の存在は人々を不幸にする。あの優しい少年や男性も同様に」
アタシは墓の横に倒れ込み、女勇者へと向き直った。
憐れみを抱いた瞳で、勇者は剣を振り上げる。
なんだ、いままで散々迷いなくアタシを斬ってたくせに。トドメは躊躇うってか。だからアタシを最初取り逃がしたのか? この分だと、魔物とやり合うのも初めてなんだろうな。
いいよ、そんな優しい瞳を見ながら殺されるなら。ルーリアの傍で死ねるならいい。
「なぁ、頼むからさ、アタシを殺したらここに埋めてくれよ。ここにゃあ、アタシと同じ名前の奴が眠ってるんだ」
「……いいだろう」
剣は最大の高さまで振り上げられ、そして。
「あれは、なんだ?」
腕に力が込められ剣が振り下ろされる直前、切っ先は止まった。
女勇者はアタシを見ていなかった。その瞳が、何か、赤いものを映し出していた。
這いずってディカスティーナの視線の先を崖から見下ろす。
遠く、森を越えた先に、赤い何かが見えた。湖の傍。森を抜けたところ。そこが赤かった。
燃えていた。
何が?
家。
シャルの、家。
「はぁ?」
燃えているシャルの家が。
アタシは地面を蹴っていた。
「お前!?」
背後でディカスティーナの声がするが知ったことか。空に身を放り投げたアタシは、身を翻し、数秒の滞空時間の後、地面へと落着する。足裏に嫌な音が響き、斬りつけられた身体から血が噴き出す。激痛が全身を襲うが知ったことか。
なんだありゃ。なんなんだありゃあ! ディカスティーナの仕業? 違う。あいつも驚いていた。なんで、なんであんなことに!
「……ッ! ふぅー」
息を整える。全神経を研ぎ澄ます。強く、鋭く。体内に巡る魔力を最大火力で燃やし、全身、特に脚を覆うほどに発露させる。
アタシはこれまで全力を出したことがない。必要に迫られなかったからだ。最初のディカスティーナとの戦いのときは一瞬だった。さっきはそもそも戦う気が起きなかった。
知っていた。アタシが全力を出せば、人を簡単に殺めてしまうことを。だから全力を尽くしたことがなかった。
だが、今日アタシは、人を簡単に殺めるほどの力をシャルの元へ行くために使う。
魔力の炎は周囲を一際明るく照らした。
アタシの足元の大地が破裂した。
瞬間、視界が目まぐるしく変化する。森の木が帯を引いて一瞬で消えていく。大地を踏み蹴る音が遅れて耳に届く。
風がアタシの身体から噴き出る血を吹き飛ばしていく。
自身の身も厭わぬ全速前身に山から家までの距離など無いに等しい。
そして、森を駆け抜け、アタシはシャルの家の傍に躍り出た。
轟轟と燃える家の傍に、人が数人いた。お父さんとお母さん、そして見慣れない男たちが四、いや五人。
「お父さん、お母さん!」
暴れているお母さんを必死に止めようとしているお父さん。お母さんは何かを叫んで家の方に手を伸ばしていた。
「る、ルーリア!? なんで、家の中にいたんじゃ」
「ああ? その声あの糞生意気な女か。なんだ、一緒に燃えたんじゃねぇのか?」
一人の男がアタシを見る。その男は祭りの日、薬草を毒草だと言いがかりをつけてきた男だった。
「ったく大人しく燃えてりゃ、って、ひぃっ、なんで魔物がこんなとこにぃっ!?」
男はすぐにアタシの顔を見て慄く。いまのアタシは魔物の姿だからだろう。
それよりもだ。
シャルはどこだ?
まさか。
「うそ、だよな?」
さっきお母さんが家に手を伸ばしてたのってまさか。
「ルーリア、シャルが、シャルがまだ……!」
家は燃えていた。
「ううぅ、うああああああああああああああああああああああッ!!」
アタシは叫んでいた。
叫んで、男たちを押しのけて燃え盛る業火を灯す家の中へと突撃する。
「ッ!」
赤い世界が広がっていた。炎が広がる世界はいままさに家を崩さんと天井にも床にも広がっていた。黒煙がうねりをあげ天井を這う。熱波がアタシを押し返すように吹き付けてくる。
この程度の炎どうってことはない……いつもなら。
いまアタシは怪我をしていた。加護を受けた勇者の剣に全身を斬りつけられていた。熱波はそんなアタシの体力を容赦なく奪っていく。
「チッ、シャル、どこだ!?」
真昼間より明るいってのに煙のせいで視界が悪い。鼻も利かない。だけど、シャルの匂いだけはわかる。感じる。
「シャルッ!」
アタシは崩れた燃えるドアを蹴破ると、床に倒れるシャルの姿があった。意識はなくぐったりしている。でも生きてはいる。
直後、轟音が響いた。シャルの天井の梁が嫌な音を響かせたのだ。
「くそったれッ!」
すぐさまシャルと天井の間にアタシは身体を滑り込ませる。押しつぶされないように、腕に力を込めて。
猪の比じゃない激痛と重みがアタシの全身に降り注いだ。
「……ぅ」
声も出ないほどの激痛。裂傷から内部へと剣の形をした痛みを刺し込まれているようだった。
一瞬、気が遠のきそうになる。だけど意識のないシャルの顔を見て、アタシは切れかかった緊張の糸を決して手放さなかった。
ここでアタシが倒れればシャルは確実に死ぬ。アタシが、アタシがシャルを守る。
傷つけることしかできないアタシの力。それをいま、シャルを守るために使うんだ。シャルを守るんだッ!
「ぅぅうううぅううああああ、がぁああああああああああああああああッ!!」
押しつぶそうとする天井の梁を弾き、身軽になった瞬間シャルを抱きかかえ、アタシはいままさに崩れ落ちようとする家から脱出を試みた。
全身が痛む。だが、アタシが死んでもシャルだけは。
アタシは燃えさかる壁を背中から突き破り、火の粉を撒き散らせながら地面にそのままダイブする。
直後、崩れ落ちる轟音がアタシたちのいた場所から響いた。
「はぁはぁはぁ、シャルッ! おい、シャル!」
目を覚ませ、シャル!
「シャル!」
お父さんたちもすぐに駆けてくる。シャルを地面に寝かせ、二人に診せる。
「シャ、シャルは!?」
「息は、息はしてるのっ!?」
「なんで……」
シャルを診るお父さんが息を漏らす。驚いている。嘘だろ、まさか。
「火傷がない。息もしてる」
「……なに?」
アタシもシャルのことをよく見る。だけど、お父さんが言ったように本当に火傷一つ負っていなかった。あれだけ炎に包まれた家の中にいて全く。
しかも息はとても一定。というか寝息だこれ!
全身から力が一気に抜けてアタシは倒れ込むようにへたり込んだ。
何故かわからないけど、とにかくシャルは無事。安堵のせいか身体に力が入らねぇ。
「良かった……本当に良かった」
お父さんとお母さんがシャルを抱き寄せてむせび泣く。ああ、本当良かった。間に合ってよかった。
「こ、こいつら! 魔物とつるんでやがった!」
だけど、そんな喜びを掻き消す声が、いまだ燃え続ける家の傍で響いた。
男がアタシたちを指さして、怒りと恐怖が混ざったような視線をアタシたちに向けている。それはアタシが何度となく向けられた視線。しかし、いまはシャルたちにも向けられていた。
「こ、ここは主神様を信仰する神聖な土地だぞ! なのに、こいつら魔物と手を結んで! し、死罪だ! これは許されないことだ!」
男たちはその言葉に煽られたように、同じような顔をして刃物を持ちだした。包丁のようなもの、ナイフのようなもの、短刀まで、色々だ
「こ、これは裁きだ。俺たちは裁かないといけない! 主神様に仇なす魔物と組む人間を裁かないといけない!」
じりじりと男たちは詰め寄ってくる。なんだこいつら、狂ってる。人間だぞ、シャルたちはお前たちと同じ人間なんだぞ。なのに、殺す? おかしいだろ。
それに、いくら大怪我を負ってたってそんな刃物でアタシは殺せない。だけどわかっていない。目が完全に据わってやがる。正気を失ってんだ、こいつら。
「はははっ、そうだ、こいつらを殺せば俺たちの行いは正しいものになる。浄化だ! 浄化するんだ! 火でこいつらの悪しき魂を浄化するんだ! 殺して燃やせばいい!」
「お前ら……!」
アタシはシャル達を背中に庇うが、男たちは円を組んでアタシたちに迫ってくる。蹴散らすのは簡単だ。この怪我じゃあ加減は難しいが殺しちまうなんてことはない。
だけど。
森の方から躍り出た一つの影。女勇者ディカスティーナが現れた。
こいつがいて、シャルたちを守り切るのは難しい。
勇者は魔物を許さない。魔物であるアタシを隠していたシャルたちもそうだろう。
どうする。どうすればいい。どうしたらシャルたちを守れる。全力を出しても、いまのアタシがあの女勇者に敵うはずがない。
「お、おお! もしやあなたは勇者様では!?」
「勇者様が来てくださった!」
「主神様のお導きだ! こいつらを罰せよと仰せだ!」
「お前ら! 恐れるものはもうねぇ! 魔物ともどもこいつらを焼き払っちまえ!」
「焼き払え! 浄化せよ!」
「浄化せよ! 焼き払え!」
「浄化せよ!」
「浄化せよ!」
「浄化せよ!」
狂気に孕んだ声は一層膨らみ、アタシたちを呑み込もうとする。
女勇者は姿勢を低くし、駆け跳ぶ仕草を見せたあと、一気に地面を破裂させて消えた。
「ぐッ!」
やられる。どうか。どうか誰か。魔物でも人間でも、悪魔でも天使でも、魔王でも神でもいい。誰かこいつらを、アタシを優しい魔物にしてくれたこいつらを守ってくれ!
どうか!
「ぐほっ!」
「ぐあ!」
悲鳴が漏れた。
アタシのじゃない。
それは男の下品な悲鳴だった。
「え?」
ディカスティーナが、男二人の腹に拳をめり込ませたのだ。
驚いたのはアタシだけじゃない。勇者を味方だと思っていた他の男たちもだ。
「勇者様なんでひぃぃっ!?」
剣を抜いたディカスティーナが、周りの男たちを煽った男の首元に剣を突き付ける。
なんでこんな状況に? 勇者はこいつらの味方なんじゃ。
「貴様らのような外道が主神様を騙るな」
アタシに放っていた言葉よりも険しい、研ぎ澄まされた刃のような鋭い言葉を放つ。
「悪しき魂だと? 裁きだと? 浄化だと? ならば私がいますべきことは、いまここで貴様らの首を刎ねることだ」
「な、なんでぇ! お、俺たちは主神様の」
「貴様らの行いはただの私刑だ。それに話は聞いていたぞ。お前たちはここに来るまで魔物がいるとは知らなかっただろう」
男たちは返答に窮する。汗をだらだらと流して目があらゆる方向に泳いでいた。
「私刑。放火。同胞が魔物に誑かされている可能性すら考えず、己が行いを正当化するため主神様の名を利用する行い。万死に値する!」
「ひぃいいいい!」
振り上げた剣に、ついに男は恐怖に負けその場に崩れた。嫌な臭いが男の股間から漂ってくる。
「……失せろ。誰も命を落としていないことに免じ、今回だけは見逃してやる。だが、次に人道にもとる行いをしたときは、覚悟しろ。この私が直々に裁きを下す」
「は、はひぃいいいいい!」
男たちは倒れたやつらを抱えて逃げ去っていった。
アタシたちは呆ける。魔物であるアタシを、そしてアタシと一緒に暮らしていた父さんたちを庇ってくれた勇者に困惑しかできなかった。
だけど、ただ守るために来たわけじゃないのは確かなようだ。
「さて、魔物。次はお前だ」
「っ」
「わかるだろう。これがお前の存在だ」
ディカスティーナは手を広げて、この惨状をアタシに突き付ける。
「お前の存在はお前の意思に関わらず、周りの者を不幸にする。その結果がこれだ」
「そ、それは違います! あの男たちからルーリアは私たちを守って」
「悪は悪を呼ぶ」
お父さんが弁明してくれたけど、ディカスティーナはそれを遮って言葉を紡ぐ。
「原因は他にあれど、魔物の存在は必ずこの地で不幸を呼ぶ。人と魔物は相容れない」
ディカスティーナは切っ先をアタシに突き付けた。
「お前がこの善良な人たちに悪意を抱いていないのはわかった。だがそれでも、お前はここにいてはいけない。もし、魔物であるお前に彼らと同じ善良な心が僅かでも芽生えているのならば、私に討たれろ」
「そ、そんな。そんなこと駄目です! ルーリア、駄目だからな」
「そうよ、ルーリアは私たちの家族なんです! 家族を犠牲にするなんてそんなこと」
ああ、嬉しい。こんなにもアタシを想ってくれてる。アタシは想われている。独りじゃない。
もうそれだけでいいや。アタシを大事に想ってくれている人がいる、それだけ覚えていればこれから独りになってもアタシは大丈夫。自分すら失ってもきっと、大丈夫。
だからアタシはシャルたちの傍から離れ、一歩、また一歩とディカスティーナの前に踏み出した。
「ルーリア」
「来んな!」
地面を踏み鳴らし、こちらに来ようとするお父さんを慄かせる。ごめんね、お父さん。
でも、アタシはやっぱり魔物で、凶悪で、人と一緒にいちゃいけないんだ。だから、ごめん。
「お前ぇ、優しいな」
「お前には負ける」
勇者と短い言葉を交わす。あれほど怖かったのに、いまはもうディカスティーナのことが怖くなかった。なんでだろうな。
「一思いにやってくれよ。もう痛いのはごめんだ」
横を向いて、斬りやすいようにしゃがみ、首を差し出す。
いい。これでいい。シャルが不幸になるのだけは、アタシは絶対にごめんだ。たとえアタシが死んだのだとしても。シャルがこれから生きて、幸せになってくれるのなら、アタシはそれで満足だから。
「お前が人として生まれてくれればと、いまさら思うよ」
「いや、魔物として生まれてよかったよ。そうじゃなきゃ、シャルと会えなかったからな」
アタシを生んだ何かに感謝して、アタシは目を閉じた。
剣が振り上げられる音がする。止まる。
そして。
「ルーリアぁー!!」
シャルの声が暗闇の目の前に、眩しい光を一粒だけ灯した。
横から来た衝撃にアタシは押し倒される。
「ルーリア! ルーリア! だめだよルーリア!」
シャルがあたしのことを押し倒して、大粒の涙でアタシの胸を濡らしていた。
「しゃ、シャルっ! 離せ!」
「やだ! やだよ、ルーリア! また死ぬなんてやだぁ!」
「聞き分けろ少年。その女は魔物だ。君が一緒にいていい存在じゃない」
「違う! ルーリアはルーリアだもん! だから離すもんか! もう二度と離れるもんか!」
アタシの身体に抱き付いて離れないシャルの襟の後ろを掴む。子供は子供。アタシに力に勝てるわけもない。
「あうっ」
アタシはシャルを身体から引っぺがし、宙擦りにした。シャルと目が合う。泣き腫らした目、澄んだ瞳に優しい光が灯っている。アタシはこいつを守りたい。
だからもういいよな。
「悪いなシャル。この勇者の言う通り、アタシはルーリアじゃない。魔物なんだ。ヘルハウンドっつう凶暴な魔物なんだ」
牙を剥く。瞳から魔力の炎を最大に迸らせる。
そして、告白する。
アタシの全部をぶちまける。お前が思っているようなアタシじゃない。ルーリアじゃない。人を襲って、食いもん盗んで生きてきた卑怯な魔物だってことを包み隠さず伝える。
「悪いな、いままで騙してきて。アタシはルーリアの生まれ変わりなんかじゃない。凶悪な魔物テラスだ。だからいいんだ。アタシのことは忘れろ」
言っちまった。でもこれでいい。これでシャルが無事暮らせるならアタシは。
「知ってたよ」
だけど、シャルは笑う。
「知ってるよ、全部知ってるよ!」
烈火の如くシャルは叫ぶ。アタシの手から逃れて、お腹に力強く抱きついてくる。
知っていた? アタシが魔物だって、シャルは知っていた?
「え、え? なんで、どうして」
「ルーリアがお父さんたちにずっと家にいて欲しいって言ってたの聞いてたもん。ルーリアはいてくれるって言ってたもん!」
あの日からすでにシャルはアタシのことを知っていた? 知っててずっとルーリアとして扱ってくれたのか?
「な、んで」
声が震える。涙が零れる。アタシが卑怯な魔物だって知っていて、それでもなおアタシを受け入れてくれていたっていうのか、シャルは! もうずっとずっと前から!
「ぼくが悲しいときずっとルーリアは一緒にいてくれたもん! 魔物なんて関係ないよ、ルーリアはルーリアだよ! ぼくたちの家族なんだ!」
やめろ、やめてくれよ。そんなこと言われたら、アタシは、アタシの決心が鈍るじゃないか。
死にたくないって思っちゃうじゃないか!
「やめろ、シャル! アタシから離れろ!」
「嫌だ! 夢で見たみたいになりたくない! ルーリアともう二度と離れ離れになりたくない! やだよっ! ルーリアが死ぬんだったら、ぼくだって、ぼくも一緒に死ぬからっ!」
鬼気迫る表情でシャルがアタシを見上げる。その瞳に宿るのは覚悟を決めた光だった。
「ふ、ふざけるなッ! お前が死ぬ必要なんて」
「ルーリアが死ぬ必要だってない! いままで悪いことしてたとしても、いまは良い子だもん! ぼくの頭撫でてくれて、抱きしめてくれて、幸せな気持ちにしてくれる良い子だもん! ルーリアがいなくなったらぼくは不幸になるもんっ!!」
「シャルっ!」
くそ、くそくそくそっ、なんでこんなことに!
「そうか」
背後でディカスティーナの感情のこもらない冷たい声がする。
何が「そうか」なんだ。おい、待て、まさか!?
「ならばお前の望みを叶えてやる」
やめろ、アタシはこんなの望んじゃいない。シャルを死なせるなんてそんなこと!
「やめっ」
剣が空を切り裂いた。
剣は振り返ったアタシの眼前で止まった。シャルを胸の内で庇い、顔を差し出したがアタシの顔が切り裂かれることはなかった。
「……」
汗が額から伝い、顎先からシャルの顔に落ちる。
心臓が破裂しそうなほどに脈動を繰り返していた。この剣のような鋭い視線をアタシに向けていた勇者が口を開く。
「お前たちはいまここで死んだ」
「え?」
「魔物ヘルハウンドと、その魔物を庇い隠していたシャルとその両親は、私、勇者ディカスティーナによって裁きが下された」
言葉の意味が理解できなかった。
ディカスティーナは剣を鞘に納め、アタシたちに背を向ける。
「死んだ者がどこへ消えようと、それは天の意思だ。もはや私が介入すべき事柄ではない」
そして、ここでようやくアタシはディカスティーナの真意を理解できた。
「見逃してくれる、のか?」
「……無辜の民を守るのが私の使命だ。ならば、私の手で不幸にすることなどできやしないさ」
――幸せになってくれ、私のためにもな。
それだけ言い残すとディカスティーナは森の闇にその姿を消した。
助かった? いや、助けられたのか。シャルに。また、シャルに命を救われた。
抱きしめていたシャルの顔を、アタシは恐る恐る見下ろす。心配そうに眉根を下げて、シャルはアタシを見上げてくれている。
「もう死ぬなんて、言わない?」
「……」
「もう離れ離れにならない?」
「……っ」
決壊した。感情の奔流を抑えることなんてできやしなかった。
助かったという安堵以上に、これからもシャルと一緒にいられること、いてもいいこと、それをシャル本人に認められたことの嬉しさがあった。
それがアタシの感情全てを塗りつぶした。
「ずっと、ずっとずっと一緒だ! シャルっ!」
「うん! うんうん! ルーリアぁ!」
アタシはシャルを抱き締めた。シャルが願うように、二度と離れ離れにならないように。
アタシはもう化物のテラスじゃない。
アタシの名前は、ルーリアだ。
泣きまくったその日の夜中、もう皆が寝静まった頃、アタシは火照った身体を冷やすために外に出ていた。眩い月明りを浴びて頭が落ち着いてくると、ふと前のルーリアがどんなだったのか気になりだした。
アタシは考えるのが苦手だ。身体を動かす方が性に合ってる。だから、森の中に入った。シャルの母親から聞いていた、ルーリアの墓がある山に向かうためだ。
詳しい場所は知らないけど、おおよその位置はわかる。シャルの家が見える山の端っこは限られているからな。散歩コースって言ってたし、それほど遠くもないはずだ。
幾度となく通られ、根や葉、土が踏み抜かれて形成された道を歩く。何度かシャルと通ったこともある散歩道。だけどいつもは途中で引き返して山までは行かなかった。多分、その先にルーリアの墓があるからだろう。
そうして、山の麓までやって来たときだ。
「見つけたぞ」
アタシにとっての絶望がその姿を見せた。
脇の森の中からあの女勇者がゆっくりと現れたのだ。
月にその青い髪を反射させ、深い闇を切り裂きながら。しかし、冷徹な瞳をアタシに向けて。
「……やはりこの感じ。ルーリア、だったか。お前が魔物だったのだな」
「っ……ディカスティーナ」
女勇者ディカスティーナ。村を襲っていたアタシを瀕死にまで追い込んだ勇者だ。
「名前を憶えてもらっていて光栄だが、すぐに忘れてもらおう。闇に還ることでな」
女勇者が腰の長剣抜く。月光を鈍く反射する銀色の輝きが、アタシに腹を貫かれた日を思い起こさせた。
またあの痛みを。自分がいなくなる感覚を。独りですらなくなるあの絶望を。
アタシはまた味わう……?
「ッ!」
アタシは脱兎の如く逃げていた。無意識に、山の方へ。この状況をシャルたちに見られたくなかったという意識が働いたからかもしれない。
「逃がさんぞっ!」
当然、ディカスティーナは追ってくる。足場の悪いこの森の中、人間とは思えない速度で魔物のアタシに追い付いてきている。
「フッ!」
「ぐぁっ!」
背中を剣閃が掠める。浅く斬られたところがまるで火傷したかのように熱い。ただ斬られるのとは違う、気力を奪うような痛みだ。
「顕現した身体を浄化され、闇に還れ! 地獄から来た魔犬よ!」
浄化。勇者。主神とやらの加護とかそんなのか! 通りで腹を貫かれただけで死にそうになったわけだ。魔物のアタシがその程度で死にかけるはずないのに。
「はぁはぁッ!」
山の急斜面を木々を伝い登りながら、アタシは女勇者から逃げる。
「随分と臆病ではないか! 私と初めて対峙したときのお前はまさしく悪魔の如き気迫だったぞっ!」
「アタシは、悪魔なんかじゃない……」
呟く。小さく声を漏らす。
いまのアタシは悪魔じゃない。凶悪な魔物でもない。アタシはアタシは。
「ふぅふぅ……」
アタシは深く木が入り組んだところに隠れる。息を殺し、口を塞いで震えて待った。アタシにとっての悪魔が去るのを。
「私はお前を逃さん。無辜の民を傷つけ、悪逆非道を行った貴様を。お前を逃せば、また誰かが傷つく。私は、もう誰もお前に傷つけさせはせん!」
もうやらねぇよ。誰も傷つけねぇよ。わかってるよ、自分のやってきた行いが悪いことなんだって。もうしないから。償いならなんでもするから……!
「あの少年はどうした? 喰らったのか? あの父親は? 貴様の隠れ蓑としているのか?」
「するわけねぇだろうが!」
アタシは飛び出していた。やっちまった。自分から居場所をばらすなんて。
だけど、シャルたちをアタシは大事に思っているのに、こんなことを言われて黙っていられなかった。
「そこにいたか」
アタシの答えに女勇者は何も応えない。無情で冷徹な視線をアタシに向けると、地面を破裂させるように蹴って、一気に距離を詰めてきた。
「うぐっ!」
「どうした! 何故反撃してこない!」
滝を登るような斬り上げに咄嗟に防御した腕が斬られる。素早く身を翻して連撃を繰り出してくるディカスティーナ。アタシの身体から鮮血が迸り木々を濡らす。
怒りで頭に血が昇りそうになるのを堪える。シャルの笑顔を思い浮かべると、怒りなんてすぐに消えた。笑ってくれてるシャルの顔が、凶暴な魔物のアタシを優しい魔物に変えてくれる。シャルの飼い犬に変えてくれる。
「くぅ、ん、ああ……」
「本当に理解できないな、お前は。手負いの獣ならば苛烈に抵抗するだろう。その身体ではもう私から逃げることなどできんというのに」
知るかよ。勇者のお前に理解なんてされるか。最初から人間だったお前なんかにッ!
「まだ逃げようとするか」
アタシは逃げる。どこへだ? もうシャルの家には戻れない。勇者にアタシの正体がバレた以上、もうこの地にアタシの居場所は残されていない。
シャルと離れ離れになる。ああ、そうだ、女勇者をここで殺しちまえば……できるわけないよなぁ。アタシは人は殺さない。これは生まれた瞬間からアタシという存在に定められたことだ。例え、アタシが死ぬ瞬間だって、きっと。
まぁ、もうアタシの手は血に汚れてるんだけどな……。
「はぁはぁ……はぁ、ああ、やだよ……」
シャルともう二度と会えなくなるなんて。やっと、やっと独りじゃなくなったのに。
「あぅ、ううっ、はぁはぁ」
アタシを追い詰めるようにゆっくりと距離を詰めてくる女勇者から、おぼつかない足取りで逃げる。山を覆う木々が晴れた。
広がるのは満天の夜空。こんなときに、どうしてか綺麗だと思ってしまう。
夜空って黒いだけじゃないんだな。黒にも色々あるみたいだ。アタシの毛並みみたいに。
「……くぅ、はぁはぁ……?」
なんだ、あれ?
開けた場所の向こう側。崖が広がっているけどその上に、何かある。
少し土が盛られてその上に、石? 岩? アタシの頭くらいの大きさの岩があった。少しでこぼこした変わった形だ。
どうしてか、吸い寄せられるようにアタシはそこへ向かう。飾り気もない岩だけど、岩の尖った部分に外れないように、見覚えのある物が引っ掛けられていた。
「これ、そうか……ここか」
アタシの首につけられている白い首輪。それと同じものが引っ掛けられていた。
風雨に晒されて、アタシのよりもだいぶボロボロで色も変色しているけど、確かにアタシの首輪と同じだ。
きっとここが、ルーリアの墓なんだろう。
「なんだよ、最期にここに連れて来てくれたのか? お前が?」
笑みが漏れる。
「諦めたか?」
そうだな。諦めついた、かもな。嫌だけど、もう仕方ない。報い、ってやつなんだろう。アタシがしてきたことへの。
「お前の存在は人々を不幸にする。あの優しい少年や男性も同様に」
アタシは墓の横に倒れ込み、女勇者へと向き直った。
憐れみを抱いた瞳で、勇者は剣を振り上げる。
なんだ、いままで散々迷いなくアタシを斬ってたくせに。トドメは躊躇うってか。だからアタシを最初取り逃がしたのか? この分だと、魔物とやり合うのも初めてなんだろうな。
いいよ、そんな優しい瞳を見ながら殺されるなら。ルーリアの傍で死ねるならいい。
「なぁ、頼むからさ、アタシを殺したらここに埋めてくれよ。ここにゃあ、アタシと同じ名前の奴が眠ってるんだ」
「……いいだろう」
剣は最大の高さまで振り上げられ、そして。
「あれは、なんだ?」
腕に力が込められ剣が振り下ろされる直前、切っ先は止まった。
女勇者はアタシを見ていなかった。その瞳が、何か、赤いものを映し出していた。
這いずってディカスティーナの視線の先を崖から見下ろす。
遠く、森を越えた先に、赤い何かが見えた。湖の傍。森を抜けたところ。そこが赤かった。
燃えていた。
何が?
家。
シャルの、家。
「はぁ?」
燃えているシャルの家が。
アタシは地面を蹴っていた。
「お前!?」
背後でディカスティーナの声がするが知ったことか。空に身を放り投げたアタシは、身を翻し、数秒の滞空時間の後、地面へと落着する。足裏に嫌な音が響き、斬りつけられた身体から血が噴き出す。激痛が全身を襲うが知ったことか。
なんだありゃ。なんなんだありゃあ! ディカスティーナの仕業? 違う。あいつも驚いていた。なんで、なんであんなことに!
「……ッ! ふぅー」
息を整える。全神経を研ぎ澄ます。強く、鋭く。体内に巡る魔力を最大火力で燃やし、全身、特に脚を覆うほどに発露させる。
アタシはこれまで全力を出したことがない。必要に迫られなかったからだ。最初のディカスティーナとの戦いのときは一瞬だった。さっきはそもそも戦う気が起きなかった。
知っていた。アタシが全力を出せば、人を簡単に殺めてしまうことを。だから全力を尽くしたことがなかった。
だが、今日アタシは、人を簡単に殺めるほどの力をシャルの元へ行くために使う。
魔力の炎は周囲を一際明るく照らした。
アタシの足元の大地が破裂した。
瞬間、視界が目まぐるしく変化する。森の木が帯を引いて一瞬で消えていく。大地を踏み蹴る音が遅れて耳に届く。
風がアタシの身体から噴き出る血を吹き飛ばしていく。
自身の身も厭わぬ全速前身に山から家までの距離など無いに等しい。
そして、森を駆け抜け、アタシはシャルの家の傍に躍り出た。
轟轟と燃える家の傍に、人が数人いた。お父さんとお母さん、そして見慣れない男たちが四、いや五人。
「お父さん、お母さん!」
暴れているお母さんを必死に止めようとしているお父さん。お母さんは何かを叫んで家の方に手を伸ばしていた。
「る、ルーリア!? なんで、家の中にいたんじゃ」
「ああ? その声あの糞生意気な女か。なんだ、一緒に燃えたんじゃねぇのか?」
一人の男がアタシを見る。その男は祭りの日、薬草を毒草だと言いがかりをつけてきた男だった。
「ったく大人しく燃えてりゃ、って、ひぃっ、なんで魔物がこんなとこにぃっ!?」
男はすぐにアタシの顔を見て慄く。いまのアタシは魔物の姿だからだろう。
それよりもだ。
シャルはどこだ?
まさか。
「うそ、だよな?」
さっきお母さんが家に手を伸ばしてたのってまさか。
「ルーリア、シャルが、シャルがまだ……!」
家は燃えていた。
「ううぅ、うああああああああああああああああああああああッ!!」
アタシは叫んでいた。
叫んで、男たちを押しのけて燃え盛る業火を灯す家の中へと突撃する。
「ッ!」
赤い世界が広がっていた。炎が広がる世界はいままさに家を崩さんと天井にも床にも広がっていた。黒煙がうねりをあげ天井を這う。熱波がアタシを押し返すように吹き付けてくる。
この程度の炎どうってことはない……いつもなら。
いまアタシは怪我をしていた。加護を受けた勇者の剣に全身を斬りつけられていた。熱波はそんなアタシの体力を容赦なく奪っていく。
「チッ、シャル、どこだ!?」
真昼間より明るいってのに煙のせいで視界が悪い。鼻も利かない。だけど、シャルの匂いだけはわかる。感じる。
「シャルッ!」
アタシは崩れた燃えるドアを蹴破ると、床に倒れるシャルの姿があった。意識はなくぐったりしている。でも生きてはいる。
直後、轟音が響いた。シャルの天井の梁が嫌な音を響かせたのだ。
「くそったれッ!」
すぐさまシャルと天井の間にアタシは身体を滑り込ませる。押しつぶされないように、腕に力を込めて。
猪の比じゃない激痛と重みがアタシの全身に降り注いだ。
「……ぅ」
声も出ないほどの激痛。裂傷から内部へと剣の形をした痛みを刺し込まれているようだった。
一瞬、気が遠のきそうになる。だけど意識のないシャルの顔を見て、アタシは切れかかった緊張の糸を決して手放さなかった。
ここでアタシが倒れればシャルは確実に死ぬ。アタシが、アタシがシャルを守る。
傷つけることしかできないアタシの力。それをいま、シャルを守るために使うんだ。シャルを守るんだッ!
「ぅぅうううぅううああああ、がぁああああああああああああああああッ!!」
押しつぶそうとする天井の梁を弾き、身軽になった瞬間シャルを抱きかかえ、アタシはいままさに崩れ落ちようとする家から脱出を試みた。
全身が痛む。だが、アタシが死んでもシャルだけは。
アタシは燃えさかる壁を背中から突き破り、火の粉を撒き散らせながら地面にそのままダイブする。
直後、崩れ落ちる轟音がアタシたちのいた場所から響いた。
「はぁはぁはぁ、シャルッ! おい、シャル!」
目を覚ませ、シャル!
「シャル!」
お父さんたちもすぐに駆けてくる。シャルを地面に寝かせ、二人に診せる。
「シャ、シャルは!?」
「息は、息はしてるのっ!?」
「なんで……」
シャルを診るお父さんが息を漏らす。驚いている。嘘だろ、まさか。
「火傷がない。息もしてる」
「……なに?」
アタシもシャルのことをよく見る。だけど、お父さんが言ったように本当に火傷一つ負っていなかった。あれだけ炎に包まれた家の中にいて全く。
しかも息はとても一定。というか寝息だこれ!
全身から力が一気に抜けてアタシは倒れ込むようにへたり込んだ。
何故かわからないけど、とにかくシャルは無事。安堵のせいか身体に力が入らねぇ。
「良かった……本当に良かった」
お父さんとお母さんがシャルを抱き寄せてむせび泣く。ああ、本当良かった。間に合ってよかった。
「こ、こいつら! 魔物とつるんでやがった!」
だけど、そんな喜びを掻き消す声が、いまだ燃え続ける家の傍で響いた。
男がアタシたちを指さして、怒りと恐怖が混ざったような視線をアタシたちに向けている。それはアタシが何度となく向けられた視線。しかし、いまはシャルたちにも向けられていた。
「こ、ここは主神様を信仰する神聖な土地だぞ! なのに、こいつら魔物と手を結んで! し、死罪だ! これは許されないことだ!」
男たちはその言葉に煽られたように、同じような顔をして刃物を持ちだした。包丁のようなもの、ナイフのようなもの、短刀まで、色々だ
「こ、これは裁きだ。俺たちは裁かないといけない! 主神様に仇なす魔物と組む人間を裁かないといけない!」
じりじりと男たちは詰め寄ってくる。なんだこいつら、狂ってる。人間だぞ、シャルたちはお前たちと同じ人間なんだぞ。なのに、殺す? おかしいだろ。
それに、いくら大怪我を負ってたってそんな刃物でアタシは殺せない。だけどわかっていない。目が完全に据わってやがる。正気を失ってんだ、こいつら。
「はははっ、そうだ、こいつらを殺せば俺たちの行いは正しいものになる。浄化だ! 浄化するんだ! 火でこいつらの悪しき魂を浄化するんだ! 殺して燃やせばいい!」
「お前ら……!」
アタシはシャル達を背中に庇うが、男たちは円を組んでアタシたちに迫ってくる。蹴散らすのは簡単だ。この怪我じゃあ加減は難しいが殺しちまうなんてことはない。
だけど。
森の方から躍り出た一つの影。女勇者ディカスティーナが現れた。
こいつがいて、シャルたちを守り切るのは難しい。
勇者は魔物を許さない。魔物であるアタシを隠していたシャルたちもそうだろう。
どうする。どうすればいい。どうしたらシャルたちを守れる。全力を出しても、いまのアタシがあの女勇者に敵うはずがない。
「お、おお! もしやあなたは勇者様では!?」
「勇者様が来てくださった!」
「主神様のお導きだ! こいつらを罰せよと仰せだ!」
「お前ら! 恐れるものはもうねぇ! 魔物ともどもこいつらを焼き払っちまえ!」
「焼き払え! 浄化せよ!」
「浄化せよ! 焼き払え!」
「浄化せよ!」
「浄化せよ!」
「浄化せよ!」
狂気に孕んだ声は一層膨らみ、アタシたちを呑み込もうとする。
女勇者は姿勢を低くし、駆け跳ぶ仕草を見せたあと、一気に地面を破裂させて消えた。
「ぐッ!」
やられる。どうか。どうか誰か。魔物でも人間でも、悪魔でも天使でも、魔王でも神でもいい。誰かこいつらを、アタシを優しい魔物にしてくれたこいつらを守ってくれ!
どうか!
「ぐほっ!」
「ぐあ!」
悲鳴が漏れた。
アタシのじゃない。
それは男の下品な悲鳴だった。
「え?」
ディカスティーナが、男二人の腹に拳をめり込ませたのだ。
驚いたのはアタシだけじゃない。勇者を味方だと思っていた他の男たちもだ。
「勇者様なんでひぃぃっ!?」
剣を抜いたディカスティーナが、周りの男たちを煽った男の首元に剣を突き付ける。
なんでこんな状況に? 勇者はこいつらの味方なんじゃ。
「貴様らのような外道が主神様を騙るな」
アタシに放っていた言葉よりも険しい、研ぎ澄まされた刃のような鋭い言葉を放つ。
「悪しき魂だと? 裁きだと? 浄化だと? ならば私がいますべきことは、いまここで貴様らの首を刎ねることだ」
「な、なんでぇ! お、俺たちは主神様の」
「貴様らの行いはただの私刑だ。それに話は聞いていたぞ。お前たちはここに来るまで魔物がいるとは知らなかっただろう」
男たちは返答に窮する。汗をだらだらと流して目があらゆる方向に泳いでいた。
「私刑。放火。同胞が魔物に誑かされている可能性すら考えず、己が行いを正当化するため主神様の名を利用する行い。万死に値する!」
「ひぃいいいい!」
振り上げた剣に、ついに男は恐怖に負けその場に崩れた。嫌な臭いが男の股間から漂ってくる。
「……失せろ。誰も命を落としていないことに免じ、今回だけは見逃してやる。だが、次に人道にもとる行いをしたときは、覚悟しろ。この私が直々に裁きを下す」
「は、はひぃいいいいい!」
男たちは倒れたやつらを抱えて逃げ去っていった。
アタシたちは呆ける。魔物であるアタシを、そしてアタシと一緒に暮らしていた父さんたちを庇ってくれた勇者に困惑しかできなかった。
だけど、ただ守るために来たわけじゃないのは確かなようだ。
「さて、魔物。次はお前だ」
「っ」
「わかるだろう。これがお前の存在だ」
ディカスティーナは手を広げて、この惨状をアタシに突き付ける。
「お前の存在はお前の意思に関わらず、周りの者を不幸にする。その結果がこれだ」
「そ、それは違います! あの男たちからルーリアは私たちを守って」
「悪は悪を呼ぶ」
お父さんが弁明してくれたけど、ディカスティーナはそれを遮って言葉を紡ぐ。
「原因は他にあれど、魔物の存在は必ずこの地で不幸を呼ぶ。人と魔物は相容れない」
ディカスティーナは切っ先をアタシに突き付けた。
「お前がこの善良な人たちに悪意を抱いていないのはわかった。だがそれでも、お前はここにいてはいけない。もし、魔物であるお前に彼らと同じ善良な心が僅かでも芽生えているのならば、私に討たれろ」
「そ、そんな。そんなこと駄目です! ルーリア、駄目だからな」
「そうよ、ルーリアは私たちの家族なんです! 家族を犠牲にするなんてそんなこと」
ああ、嬉しい。こんなにもアタシを想ってくれてる。アタシは想われている。独りじゃない。
もうそれだけでいいや。アタシを大事に想ってくれている人がいる、それだけ覚えていればこれから独りになってもアタシは大丈夫。自分すら失ってもきっと、大丈夫。
だからアタシはシャルたちの傍から離れ、一歩、また一歩とディカスティーナの前に踏み出した。
「ルーリア」
「来んな!」
地面を踏み鳴らし、こちらに来ようとするお父さんを慄かせる。ごめんね、お父さん。
でも、アタシはやっぱり魔物で、凶悪で、人と一緒にいちゃいけないんだ。だから、ごめん。
「お前ぇ、優しいな」
「お前には負ける」
勇者と短い言葉を交わす。あれほど怖かったのに、いまはもうディカスティーナのことが怖くなかった。なんでだろうな。
「一思いにやってくれよ。もう痛いのはごめんだ」
横を向いて、斬りやすいようにしゃがみ、首を差し出す。
いい。これでいい。シャルが不幸になるのだけは、アタシは絶対にごめんだ。たとえアタシが死んだのだとしても。シャルがこれから生きて、幸せになってくれるのなら、アタシはそれで満足だから。
「お前が人として生まれてくれればと、いまさら思うよ」
「いや、魔物として生まれてよかったよ。そうじゃなきゃ、シャルと会えなかったからな」
アタシを生んだ何かに感謝して、アタシは目を閉じた。
剣が振り上げられる音がする。止まる。
そして。
「ルーリアぁー!!」
シャルの声が暗闇の目の前に、眩しい光を一粒だけ灯した。
横から来た衝撃にアタシは押し倒される。
「ルーリア! ルーリア! だめだよルーリア!」
シャルがあたしのことを押し倒して、大粒の涙でアタシの胸を濡らしていた。
「しゃ、シャルっ! 離せ!」
「やだ! やだよ、ルーリア! また死ぬなんてやだぁ!」
「聞き分けろ少年。その女は魔物だ。君が一緒にいていい存在じゃない」
「違う! ルーリアはルーリアだもん! だから離すもんか! もう二度と離れるもんか!」
アタシの身体に抱き付いて離れないシャルの襟の後ろを掴む。子供は子供。アタシに力に勝てるわけもない。
「あうっ」
アタシはシャルを身体から引っぺがし、宙擦りにした。シャルと目が合う。泣き腫らした目、澄んだ瞳に優しい光が灯っている。アタシはこいつを守りたい。
だからもういいよな。
「悪いなシャル。この勇者の言う通り、アタシはルーリアじゃない。魔物なんだ。ヘルハウンドっつう凶暴な魔物なんだ」
牙を剥く。瞳から魔力の炎を最大に迸らせる。
そして、告白する。
アタシの全部をぶちまける。お前が思っているようなアタシじゃない。ルーリアじゃない。人を襲って、食いもん盗んで生きてきた卑怯な魔物だってことを包み隠さず伝える。
「悪いな、いままで騙してきて。アタシはルーリアの生まれ変わりなんかじゃない。凶悪な魔物テラスだ。だからいいんだ。アタシのことは忘れろ」
言っちまった。でもこれでいい。これでシャルが無事暮らせるならアタシは。
「知ってたよ」
だけど、シャルは笑う。
「知ってるよ、全部知ってるよ!」
烈火の如くシャルは叫ぶ。アタシの手から逃れて、お腹に力強く抱きついてくる。
知っていた? アタシが魔物だって、シャルは知っていた?
「え、え? なんで、どうして」
「ルーリアがお父さんたちにずっと家にいて欲しいって言ってたの聞いてたもん。ルーリアはいてくれるって言ってたもん!」
あの日からすでにシャルはアタシのことを知っていた? 知っててずっとルーリアとして扱ってくれたのか?
「な、んで」
声が震える。涙が零れる。アタシが卑怯な魔物だって知っていて、それでもなおアタシを受け入れてくれていたっていうのか、シャルは! もうずっとずっと前から!
「ぼくが悲しいときずっとルーリアは一緒にいてくれたもん! 魔物なんて関係ないよ、ルーリアはルーリアだよ! ぼくたちの家族なんだ!」
やめろ、やめてくれよ。そんなこと言われたら、アタシは、アタシの決心が鈍るじゃないか。
死にたくないって思っちゃうじゃないか!
「やめろ、シャル! アタシから離れろ!」
「嫌だ! 夢で見たみたいになりたくない! ルーリアともう二度と離れ離れになりたくない! やだよっ! ルーリアが死ぬんだったら、ぼくだって、ぼくも一緒に死ぬからっ!」
鬼気迫る表情でシャルがアタシを見上げる。その瞳に宿るのは覚悟を決めた光だった。
「ふ、ふざけるなッ! お前が死ぬ必要なんて」
「ルーリアが死ぬ必要だってない! いままで悪いことしてたとしても、いまは良い子だもん! ぼくの頭撫でてくれて、抱きしめてくれて、幸せな気持ちにしてくれる良い子だもん! ルーリアがいなくなったらぼくは不幸になるもんっ!!」
「シャルっ!」
くそ、くそくそくそっ、なんでこんなことに!
「そうか」
背後でディカスティーナの感情のこもらない冷たい声がする。
何が「そうか」なんだ。おい、待て、まさか!?
「ならばお前の望みを叶えてやる」
やめろ、アタシはこんなの望んじゃいない。シャルを死なせるなんてそんなこと!
「やめっ」
剣が空を切り裂いた。
剣は振り返ったアタシの眼前で止まった。シャルを胸の内で庇い、顔を差し出したがアタシの顔が切り裂かれることはなかった。
「……」
汗が額から伝い、顎先からシャルの顔に落ちる。
心臓が破裂しそうなほどに脈動を繰り返していた。この剣のような鋭い視線をアタシに向けていた勇者が口を開く。
「お前たちはいまここで死んだ」
「え?」
「魔物ヘルハウンドと、その魔物を庇い隠していたシャルとその両親は、私、勇者ディカスティーナによって裁きが下された」
言葉の意味が理解できなかった。
ディカスティーナは剣を鞘に納め、アタシたちに背を向ける。
「死んだ者がどこへ消えようと、それは天の意思だ。もはや私が介入すべき事柄ではない」
そして、ここでようやくアタシはディカスティーナの真意を理解できた。
「見逃してくれる、のか?」
「……無辜の民を守るのが私の使命だ。ならば、私の手で不幸にすることなどできやしないさ」
――幸せになってくれ、私のためにもな。
それだけ言い残すとディカスティーナは森の闇にその姿を消した。
助かった? いや、助けられたのか。シャルに。また、シャルに命を救われた。
抱きしめていたシャルの顔を、アタシは恐る恐る見下ろす。心配そうに眉根を下げて、シャルはアタシを見上げてくれている。
「もう死ぬなんて、言わない?」
「……」
「もう離れ離れにならない?」
「……っ」
決壊した。感情の奔流を抑えることなんてできやしなかった。
助かったという安堵以上に、これからもシャルと一緒にいられること、いてもいいこと、それをシャル本人に認められたことの嬉しさがあった。
それがアタシの感情全てを塗りつぶした。
「ずっと、ずっとずっと一緒だ! シャルっ!」
「うん! うんうん! ルーリアぁ!」
アタシはシャルを抱き締めた。シャルが願うように、二度と離れ離れにならないように。
アタシはもう化物のテラスじゃない。
アタシの名前は、ルーリアだ。
18/01/28 18:17更新 / ヤンデレラ
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