後編《見詰愛》
僕の名前は小野塚裕太。神城中学に通う一年生だ。
最近、僕の人生ってなんなんだろう、と僕はよく考える。人に見向きもされない人生に価値ってあるのかな。ないのだとしたら、僕の人生ってどうしようもなく、無価値なものなんじゃないのかな。
そう、僕は独りだ。誰にも見向きもされない人間だ。家では両親がいなくて独り。学校では皆に無視されて独り。
起きて、学校行って、勉強して、帰って、ご飯食べて、塾に行って、帰って、寝る。それ繰り返す。ただ繰り返す。山も谷もなく、波もない。平坦な道をひたすら歩くだけの人生。
誰も僕を見ない。両親は共働きでほとんど家に帰ってこない。たまに帰ってきても、成績を気にするだけ。それだけ。
学校で僕が無視されたのはいつからだったっけ。小学六年生の頃だったかな。そうなったのは下らない理由だったと思う。無視される子を庇ったら、今度は無視される対象が僕に変わったというだけだ。それが中学生になっても続いている。だから僕は独り。それだけ。
僕は誰にも見てもらえない。
たった一人世界に取り残されて、寂しい人生をただ歩いているだけ。
だからよく考える。僕の人生に意味はあるのかって。誰にも関わらない人生に意味はあるのかって。僕はいなくなるべき存在じゃないのかって、よく考える。
「…………っ!」
だけど、いやなんだ。僕は本当は独りはいやなんだ。寂しいんだ。僕を見てほしいんだ。独りにしないでほしいんだ。夜は悲しい。寒くて暗い部屋に独りで眠る。それが怖い。このまま本当にいなくなってしまいそうで怖くなるんだ。いやだよ、独りにしないで。誰か、僕を見てよ。もう独りはいやだよ。寂しいよ。
「私がユウくんの傍にいるよ」
そんなときだった。僕が絶対に吐き出さない言葉を、心の中で叫んでいるときだった。僕を見つめる視線に気づいたのは。
それは、電車を乗り継いで通う塾の帰り道だった。
視線は神城駅の三つ前から感じていた。その視線の人は女性。スーツを着た大人の女性だ。最初は気のせいだも思ったけど、それが塾の日にずっと続き、僕と同じ駅で降りると気のせいじゃないとわかった。そのお姉さんは僕をずっと見ていた。家の近くまで僕の少し後ろを追いかけてきている。
最初は危ない人だと思った。怖くも思った。でもお姉さんはなにもしてこなかった。ただ僕を見て、僕の後ろを着いてくる。それだけ。
いつしか、僕はそのお姉さんに見られるのが楽しみになってきていた。今まで僕は誰にも見向きされなかった。そんな僕が見られている。ずっと見られている。それがどうしてだろう。とても嬉しかったのだ。
だから僕は、わざと気づかないように明後日の方へ向いて、隙を作ったりした。そうすれば視線をいっぱい感じられた。とても心地よかった。
時には、電車の中でその視線に気づいたふりをしてお姉さんを見た。そうするとそのお姉さんは私から視線を必ず逸らす。その間は、僕がお姉さんを見つめた。黒髪のきれいな人だ。顔がちょっと赤くなっている気がした。どうしてだろう?
お姉さんは、どうして僕を見るのだろうと想像して楽しむこともあった。でもどうしてかは全然わからなかった。だからいっそのこと話しかけてみようかとも思った。でも出来なかった。この関係を壊したくなかったんだ。もし僕が、お姉さんが見ていることに気づいていると知られたら、もう見てもらえないんじゃないかと思った。
それは僕の人生の終わりだと思った。
僕の人生は、あの女の人に見られることがすべてになっていたんだ。
夢なら醒めないで、と僕は願った。幸せな夢をずっと僕はもっと味わいたかったのだ。今までの分までもっと。
でも。
夢は醒める。必ず醒めてしまう。
だけど。
夢から醒めた現実は、夢より幸せな現実だった。
それは僕は神城中学の三年の先輩に絡まれたときのこと。金を出せと脅された。そんなことされたのは初めてで、僕はなにもできなかった。ただ怖かったのだ。
そして、胸ぐらを掴まれたそのときだった。あの人が颯爽と現れたのだ。
「汚い手で触らないで」
お姉さんは三年の先輩たちをたちまち倒してしまった。ナイフを出した先輩も一瞬で倒してしまった。凄かった。かっこよかった。
「お家に案内してくれるかしら?連れてってあげるわ」
あの憧れのお姉さんが、今僕の目の前にいる。僕を見てくれている。笑顔で僕を見つめてくれている。
僕の現実は幸せな色に変わっていった。
公園のベンチに座って色々お話しした。コーラを買ってもらったけど、緊張して味なんてしなかった。憧れのお姉さんと僕は話をしているんだと思い、天にも昇ってしまいそうな気分だった。
お姉さんの名前は手塚浩子っていうらしい。でもお姉さんはお姉さんだ。僕はお姉さんと呼ぶ。
お姉さんが見ていることに気づいていたと言うと、お姉さんは慌てたようにしてもう僕に関わらないと言い始めた。それは僕には地獄に突き落とすかのような言葉に思えた。だから、精一杯引き留めた。そしたら、お姉さんは嬉しそうな顔をしてくれた。その顔を見ると僕も嬉しくなった。お姉さんも僕とお話ししたいんだと思うと幸せな気分になった。
そして、もっと僕は幸せになる。
僕の一番の苦しい孤独をお姉さんに話した。するとお姉さんは僕に言った。
僕を独りにしないと。
僕の傍にずっといると。
僕は嬉しかった。男なのに泣いてしまった。嬉しいのに泣くことなんてあるんだと、僕はこのとき初めて知った。
僕はお姉さんの胸の中でただ泣いた。
それから二週間。僕はこれまでの人生で最高の日々を送った。
お姉さんとの日々だ。
お姉さんが家に遊びに来る。お姉さんの家に遊びに行く。お姉さんが学校に突然来る。お姉さんの手料理はとても美味しくて、それ以外食べたくなくなるくらい。
どれも楽しかった。でも一番楽しかったのは遊園地に行ったことだ。観覧車からお化け屋敷まで色々回った。一番良かったのはお化け屋敷。びびった振りしてお姉さんに抱きつくことができた。お姉さんの柔らかい身体が、甘い匂いがいっぱい感じられて、幸せになれた。
手が滑った振りしてお姉さんの柔らかいおっぱいを触ったりもした。エッチだなぁとか言いながらもお姉さんはなんだか嬉しそうに笑ってくれる。お返しと言わんばかりに、お姉さんにオチンチンをズボン越しに触られる。なんでだろう。お姉さんにオチンチンを触られると変な気分になる。もっと触ってほしいと思う。僕は変なのだろうか。
色々あったけど、僕は間違いなく幸せだった。
幸せだったのだ。
でも知らなかった。
幸せは終わってしまうこともあるということを。
―∞―
二週間の幸せな日々を送ったある日の塾の帰り道。その日はいつもと違った。電車の中で会うはずのお姉さんがいつまで経っても来なかったんだ。電車を降りてもお姉さんが降りてくる気配はない。乗る電車の時間はいつもと同じだから、会わないはずないのに。駅で何本かの電車を見送ったけど、お姉さんは駅を降りてこなかった。暗い夜道を歩いても見られる気配はなくて、誰もいなくて、お姉さんはいない。
風邪でも引いたのかなと僕は心配になり、そのままお姉さんの住むアパートに行く。でも、何度インターホンを押してもお姉さんは出てこない。部屋は真っ暗で人がいる気配がなかった。もしかしたら、残業なのかなと僕はそのとき考えた。でも二日、三日とそれが続いて、全くお姉さんと会えなくなると、僕のいやな不安と想像がどんどん現実味を帯びていく。
お姉さんは本当にいなくなったんじゃないか。
いやそれどころか、お姉さんは最初からいなくて、あれはおかしくなった僕が見た幻だったんじゃないか。
その考えが頭をよぎると、僕はどうしようもなく怖くなって、なにも手につかなくなった。勉強もせず、ご飯もほとんど食べず、ただいやな想像をするばかりだった。
そして、あるときの塾の帰り道。お姉さんとお話した、ずっと傍にいてあげると僕に行ってくれた公園を通ったときだった。
「ユウくん……」
声。この声。お姉さんの声だ!
「お姉さん!?お姉さんだよね?どこ、どこなの?」
お姉さんの声だけが僕の耳に届く。だけど姿は見えない。周りは木や茂みがいっぱいあってざわめき音を吸収しあい、お姉さんがどこにいるかわからない。
「お姉さん、どこなの?隠れてないででてきてよ。今までどこにいってたの?」
「ごめんなさい。私、ユウくんに会う勇気がなかった」
「どうして……出てきてよお姉さん」
声を聞けたのは嬉しい。でも姿を現さないことはそれ以上に僕を不安にさせた。そして、それは現実のものとなる。
「もう、お姉さんはユウくんに会えないの」
「……えっ?」
「もう、ユウくんに会えないのよ」
「どう、して?」
どうして、お姉さんは、そんなこと言うの?
「お姉さんはもうユウくんの傍にいる資格がないの。もう、ダメなの」
「どうして?……ずっと僕の傍にいてくれるって、言ったじゃないか」
「……………………」
「独りにしないって言ったじゃないか」
「……………………」
「僕のことが嫌いになったの?邪魔になったの?だからいなくなるの?」
「違うよ、ユウくん。私はユウくんを嫌いになったりなんかしないよ。今でもこれからもずっとずっと大好きだよ」
お姉さんの必死な声。嘘には全然聞こえない。すごく安心する。でも、
「だったら、僕の傍にいてよぉ」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。私はユウくんの傍にもういられないの。穢れたから。私と一緒にいたらユウくんも穢れちゃう。だから」
――さようなら。
「お姉さん!」
ガサガサと後ろの茂みで音がする。僕はすぐに走った。でも、そこには誰もいなかった。なにか、ドロドロとしたもので濡れているだけだった。
ポツ、ポツポツポツ。
頭にかかる水滴。雨だ。雨が降ってきた。家に、帰らないと。濡れちゃう。もう家はすぐそこだ。走ればほとんど濡れずに帰れる。早く、早く帰ろう。
「……………………っ!」
僕は走り出した。
家に?
違う。お姉さんのところに。
もう独りはいやだ。寂しいのはいやだ。僕はお姉さんと離れたくない。もう、僕はお姉さんなしでは生きていけない。
僕はお姉さんが好きだ。大好きだ。死ぬほど大好きだ。頭がおかしくなっちゃうくらい愛してる。
でも僕はまだそれを伝えていない。お姉さんになにも伝えていない。僕を救ってくれたお礼さえ言ってない。
だから伝えるんだ。僕の気持ちを。お姉さんがすごく大好きで、お姉さんがいないと生きていけないということを。
「お姉さん!」
僕は雨の中を走る。公園を、駅を、道をお姉さんの家を、ありとあらゆる場所を走り回ってお姉さんを捜す。
脚が重くなり始めた頃には時間は12時をまわり、雨は一層激しさを増した。
お姉さんの姿を捜す。お姉さんを呼び掛ける。お姉さんを想う。
けれども、お姉さんはどこにもいない。姿を見せてくれない。もうお姉さんは見つからないんじゃないかと不安になってくる。
だけど、
「諦めるもんか!」
そうだ。諦めない。絶対に僕は諦めない。好きなんだ、お姉さんが。大好きなんだお姉さんが!
だから諦めない。僕のこの気持ちを伝えるまで、僕は身体が動かなくなっても、ここで死んでしまっても、お姉さんを捜し続ける。
僕は!
……あれ?
雨に打たれ続けた僕。その中を走り続けた僕。それは不意に訪れた。
膝からぐにゃりと力が抜け、僕はその場に倒れ伏した。
あれ?どうしたんだろう、僕の身体。
動かないや。手も足も、ガクガク震えて、力が入らないや。
「あ、あぅ……お、ねぇ、さ」
声も出ない。どうして?
寒い。身体中が寒い。雪山にいきなり放り込まれたみたい。身体が震えて止まらないよ。
雨粒が目に入る。痛いのに、目も閉じられない。僕の身体、いったいどうしちゃったのかなぁ。
もうなんだか頭がぼんやりしてきた。
そっかあ、僕、死んじゃうのかぁ。
身体が動かないのは死んじゃうからなんだ。
そっかぁ、そうなんだぁ。……ぐすっ。
お姉さん、お姉さん、お姉さん。
会いたいよ、お姉さん。
お姉さんともう一度お話したいよ。
伝えたいよ、僕の気持ちを。
お姉さん、お姉さん、お姉さん。
優しい笑顔。暖かい言葉。安らぐ匂い。
お姉さんの全てが僕の頭を駆け巡る。
お姉さん、大好きです。前からも、これからも。ずっとずっと。
お姉さん。
僕は、お姉さんの傍にいられて、幸せでした。
13/02/24 15:25更新 / ヤンデレラ
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