第五章 交わらぬ二人:ドラゴニア大瀑布地下水路
―3―
スワローと一緒に来たかったな。
下に広がる雄大な景色に圧倒されながらも、ぼくはそうひとりごちた。
空気に弾かれ、白い水しぶきをあげながら落ちていく大量の水。さんさんと降り注ぐ太陽の光を浴びて、しぶきは七色の橋を架けている。触ってもいないのにここまで濃密な『水』を感じられる場所はそうない。
ここはドラゴニア大瀑布。大量の山水を一身に飲み込んで、ドラゴニアに水という恵みを届けている場所。
ぼくは滝の脇に建てられた小高い塔からドラゴニア大瀑布を、恵みを降らせる滝を見下ろしていた。しばらく景色に見とれてからぼくは塔を降りていく。人工的な構造はすぐに終わり、岩屋戸があった。さっきいた場所よりも一層水の気配を強く感じられる。そして全身に響くような轟音。
その理由はすぐにわかった。
魔界鉱石などでほのかに光る洞窟の左側。まるで大きな竜の爪でえぐられてかのように開けていた。そこにあったのは絶え間なく揺れているけど全身を映せるほどの水鏡。
ここはちょうどあの滝の裏側なんだ。すごい。ガイドさんがびっくりしますよ、って言ってたのはこのことだったんだ。……ホント、スワローと来たかったな。
そうして着いたのは滝の真反対に続く道。滝の轟音に混じって機械的な音を響かせる、人工的な造りをした地下水路。その名の通り、道に沿って澄んだ水が流れていた。外の雄々しい滝とは対照的に、一定の落ち着いた流れが。
ここがぼくの目的地。キサラギさんに指定された場所。
――ドラゴニア大瀑布。その地下水路だ。
「んー、天の柱登るための装備っすか。いや用意できなくもないっすけど」
昨日のこと。キサラギさんにぼくは天の柱を登るための装備を用意できないかとお願いしていた。だけどどうにも歯切れが悪い。
「テーちゃん、お金いくら持ってるっすか?」
「え、あ」
そのときは勢いで言っていたのでお金のことを完全に失念していた。そうして手持ちのお金を見せると、キサラギさんは渋い笑みを作った。
「もちろん、装備にもピンからキリまであるっすけどね。テーちゃんの手持ちじゃあ、底辺装備すら買うのは厳しい。それに質の悪い物で天の柱を登るのは正直無謀っす」
「お、お金はいつか必ず、何年何十年かかってでも払います。だから」
「そんな若いうちから借金するつもりっすか? 将来夫になる相手以外には借金させないのがうちのポリシーなんすよね」
「っ……」
ふりふりと手を振られた。取り付く島もない。
スワローについていくためにはキサラギさんにお願いするのが一番だと思ったのに。でも無理は言えない。ろくにお金もないのに物を買おうだなんて甘いんだ。せめてぼくが大人ならどこかでお金を融通してもらえるかもしれないのに。
お父さんとお母さんにお願いしてみる? ううん、ダメ。このことでお母さんたちに頼りたくない。いつもお母さんたちに頼ってばっかりだったもの。スワローのことだけはぼくが。
振り出しに戻ったけどどうにか別の方法を考えてみよう。
「テーちゃん、蛇の割には諦めが早いっすね」
「え?」
ぼくの心まで見透かすような、にやにやとした笑みを浮かべるキサラギさん。
「確かにお金を貸すつもりは毛頭ないっすけど、物を売らないと言った覚えはないっすよ?」
「で、でも、ぼくには買うためのお金なんて」
「まぁそれはおいおい。まずは誠意を見せるのが筋ってもんっす」
「誠意?」
誠意。ぼくが見せることができる誠意なんて。
尻尾を巻きながら僕は腰を床に下ろす。カウンター越しに座っているキサラギさんの視線よりも低い位置に。掌を整えて床につけて、頭を下げようとしたところで、
「わぁ、待った待った! 待つっすよ! いきなり何やろうとしてるんっすか!?」
カウンターを乗り出して慌てふためくキサラギさんにぼくは思わず床から手を離してのけぞってしまった。ぼく間違ったの?
「え、ええ? だって誠意。ぼく、誠意の見せ方なんて、これしか」
「だからって土下座はないっすよ! 蛇のそれは土下座かはわからないけど、でもそれはないっす!」
「え、じゃあ何を……。あ、だ、ダメですよ。ぼくの身体はスワローだけのものだから。いくら装備のためでも、この身体を他の人の慰み物にさせるなんて」
「この国でそんなことしたらうちの首が飛ぶっすよー!? ちょっとテーちゃんは落ち着くっす!」
キサラギさんの方が落ち着いたほうがいいと思うけど口には出さないでおこう。
「テーちゃん、人の話聞かないとか、思い込みが激しいとか言われたことないっすか?」
頭を傾げる。どうだろう。最近、スワローにそんなことを言われたようなないような。
「はぁ、まぁいいっす。回りくどいのはやめにしましょうか」
カウンターに両肘を置いて身を乗り上げたままだったキサラギさんが、どかっと後ろの背もたれのある椅子に身体を預けた。半纏の中で大きな胸がぶるんと揺れた。むぅ。
「理由。どうして装備を欲しいと思ったかその理由を話すっす。それがまず最初にうちに見せるべき誠意、ってやつじゃないっすか? 何も言わず、何も説明せず、何も理解してもらおうとせずに、物事が成り立つはずがないっすよ。この世界は、対話によって成り立ってるんっすから。大なり小なりね」
「……ごめんなさい」
「謝る必要はないっす。そういうのを経て、一歩一歩成長していくもんっすから。誰だって最初から一人前なわけないすよ」
「うん」
そうしてぼくは事情を簡単に説明した。スワローが消えてしまうかもしれないと思っていること。離したくないこと。一緒に行きたいこと。きっと上手な説明にはなってなかったけど、キサラギさんは笑みを浮かべながらも真剣に頷いて聞いてくれていた。
「よぉくわかったっす。テーちゃんがスワっちのこととっても大好きってことは。まぁ最初から知ってたっすけど。だけども! ならばこの不肖キサラギ。スワっち大好きテーちゃんのために一肌脱がせてもらうっす!」
立ち上がってキサラギさんは拳を力強く握り掲げた。
「じゃ、じゃあ」
「が、うちは只働きは死んでもごめんっす」
ぼくの期待を打ち砕くかのように、握り拳をぱっと崩して掌をぼくに向けてくる。気の抜けた表情に、ぼくも危うくずっこけかけた。
「一肌脱いでくれるんじゃないんですか!?」
その大きいおっぱいぶるんぶるんさせて!
「まあ落ち着くっす。実を言うとスワっちも全部が全部お金で装備を揃えたわけじゃないんすよ?」
「ど、どういうことですか?」
「お金とは別のある程度の対価を払ってもらったってことっす」
対価……まさか……。
「いや、違うっすよ? スワっちまだ精通してないっすからね? そんな怖い顔でうちのこと睨まないでくださいっす」
そういえばそうだった。ぼくとしたことが早とちり。
「思い込みが激しいのはラミア種の特権っすかねぇ……おっと。で、対価っていうのはまぁおつかいみたいなもんっす。そこそこ価値あったり、入手しづらい場所にあるものを採ってきてもらったりなどっす。あとはマジックアイテムの実験だ――あ、いやなんでもないっす。やばいやばい、これリムさんたちにバレたらまずい内容だったっす」
いまだけは聞かなかったことにしよう。我慢。スワローが何されたか気になるけど我慢。
「ええっと、つまりキサラギさんの欲しいものをお金代わりにして装備と交換しよう、ってことですか?」
「そういうことっす!」
ごまかすように親指立てて、清々しい笑みを浮かべるキサラギさん。事が終わったら絶対リムさんに言おう。
でもいまはキサラギさんだけがぼくの頼みの綱だ。
「わかりました。お願いします。ぼくにできることなら何でも、あ、身体で支払う以外でなんでもします! キサラギさん、ぼくに力を貸してください!」
深呼吸。そして、今度こそ掌を床に付け、額も床につかんばかりに頭を下げた。
キサラギさんも最初とは違って無理に止めようとはしなかった。顔を上げると、初めて見る柔和な笑みをキサラギさんは浮かべていた。
でもそれも一瞬、すぐにキサラギさんは刑部狸な商売人らしい笑みを浮かべて、カウンター下から取り出した帳簿らしいノートをパラパラとめくっていく。
「そうっすねー、まず最初に何をしてもらうっすかねー。あ、ちなみに一つや二つじゃ装備は買い揃えられないんで悪しからず」
「はい!」
「良い返事っす。じゃあ、まずはこれにするっすかねー。スラドラゼリー。これを手に入れてくるっす」
「すらどらぜりー?」
「ドラゴニアのとある場所で手に入る珍味で中毒になるほどの美味しさらしいっす。キャッチフレーズは『やめられないとまらないスラドラゼリー♪』」
「それ以上はいけないと思います」
理由は特にないけど何故かそんな気がした。
「そのスラドラゼリーはどうやって入手したらいいんですか?」
「それはテーちゃんが自分で考えるんすよ」
「え……?」
そ、そんなに有名なものなら入手方法はわかっているはずじゃあ。ていうか間違いなく知っている。そんな顔をしている。
「まぁまぁ観光も兼ねて探すと良いっすよ。装備はオーダーメイドなんでどうあがいても準備に時間がかかるっすから。でもまぁさすがにこの広いドラゴニア領でノーヒントは厳しいから、入手場所だけ教えておくっす。ドラゴニア大瀑布の滝裏にある地下水路。そこでスラドラゼリーは手に入るっすよ」
そこは確かスワローが泳いだという場所だったかな。話を聞いていてちょっぴり気になっていたしちょうどよかったかもしれない。
よし、頑張ろう。スワローとぼくの将来のために!
「あ、意気込んでいるところ悪いっすけど、そろそろ暗くなるから今日はもう帰って明日にした方がいっすよ」
「え、でも」
「急いては事を仕損じる、っすよ。今日は装備の採寸だけ測って、帰ってゆっくり寝て明日に備えるっす。雇い主命令っすよ」
ぼくキサラギさんに雇われていたのか。
あ、でもこれってもしかしてぼくの初めてのお仕事? なんだか思ってたのと違うけど、そうかもしれない。
だとしたら雇い主さんのキサラギさんの指示には従わないと。うん、確かに急がば回れというし、明日確実にスラドラゼリーを手に入れられるよう体調を整えよう。よし。
「頑張るぞ」
「その意気っす!」
そうして翌朝、ぼくはドラゴニア大瀑布地下水路へとやってきた。
荷物は懐に忍ばせたガマ口のお財布と、肩から紐で吊るす小さな鞄。鞄にはゼリーを入れるための木箱と濡れたときのためのタオルを入れてある。
魔宝石の仄かな灯りが照らす薄暗い空間は、飛沫をあげる外の大瀑布よりもさらに濃度の濃い水の魔力で立ち込めている。息を吸えば、胸の中に澄んだ水の魔力が染み込んでいく。
なんだか不思議な気分。体調がいつもより良いや。竜泉郷の温泉に入っていたときみたい。あのときも腰まで浸かっているだけなのに全身を水で包み込んでいるかのような心地よさがあった。
しばらく道なりに進んでみる。道自体はとても整備されていて小石ひとつ落ちてない。ツルツルとした地面や壁、澄んだ水が流れる水路はどう見たって人工物。竜さんたちが作ったのかな。でもどうしてこんな滝の中に作ったんだろう。
そんなことを考えながら、適当に複数の分かれ道を選んで進んでいく。
「おはようございます〜」
「あ、お、おはようございます」
すれ違った給仕さんっぽい姿をしたスライムさんにちょっと言葉を詰まらせながらも挨拶を返して、どんどん奥へ。人気はないけど妖怪……いや魔物の人たちはいっぱいいるみたい。水路もよく見れば誰かが泳ぐ影が幾つもあった。
ぼくも泳いでみたいな。でも服が濡れちゃうし、目的はスラドラゼリーだし。むむむ。
「……が、我慢! 早く見つけられたら泳ごう!」
いつもより多く尻尾をくねらせて進軍進軍! いざスラドラゼリーの元へ。進め進めいざ進め!
「……………………」
いや、待ってよ。そもそもスラドラゼリーの入手方法なんて知らないじゃないかぼく。ここにあるのを知ってるってだけで!
前後右左上下斜めを見回してみる。すごく代わり映えのしない石の壁と道が続いているばかりでどちらが出口でどちらが奥へと続いているのかさっぱりわからない。
ついつい勢いで進みすぎて帰り道もわからなくなっちゃった。
進むも戻るもできずに迷っておろおろしていると、突然バシャッという音が右側の水路から響く。勢いよく水路から飛び出してきた影が、ぼくの前から少しの距離のところに着地した。ぼくは当然ながら肩を揺らして大げさに驚いてしまった。悲鳴をあげなかったのが不幸中の幸い。
現れたのは蒼い鱗と水かきのついた手足が特徴的な姿をした魔物サハギンさんだった。撥水性のよさそうな肩の露出した変わった服を着ている。
うう、なんだか不機嫌そうな目でこっち見てる。目つき怖いし。
「……」
「……こ、こんにちは……?」
「……」
返事がない。どうしようどうしよう、ぼく何か悪いことしちゃった!?
こんなとき人見知りな自分が憎らしい。リムさんたちと初めて会ったときだってまともに喋られなかった。カチコチに緊張しっぱなしだった。
別にぼくが人見知りなのは理由があるわけじゃない。昔何かあったとかそんなわけじゃない。でもどうしても知らない人が相手だと喉がつっかえる。緊張しちゃう。
お母さんはどんな人とだって上手にお話できるのに。スワローと初めてお話したときみたいな勇気を出せない。
「……」
「……」
沈黙がすごく重いよ。な、何か喋ったほうがいいのかな。でも初対面で話すことなんて思いつかないし。
「……」
ヒタ、と一歩ぼくの方へ距離を縮めてくるサハギンさん。よく見たら身の丈半分位のモリを持ってる。モリの先が鈍い輝きを放った。
も、もしかしてここの番人さん? ぼく立ち入り禁止のところに入っちゃった?
ヒタヒタ。歩みを止めない。不機嫌にも見える無表情でぼくに迫ってくる。怖い。
に、逃げようにも身体が震えて動いちゃくれない。ぼくの尻尾のバカッ!
ああ、もうダメ、逃げられない!
「ご、ごめんなさい! ぼ、ぼく、その、スラドラゼリーが欲しかっただけで立ち入り禁止のところに入る気はなかったんですっ!」
頭を抱えて目を瞑ってサハギンさんに必死に弁明した。
サハギンさんがすぐ前で動く気配。
怒られる! そう思った瞬間、ぼくの手は引っ張られた。
「ひぇ、え、ええ!?」
グイグイグイグイとサハギンさんに手を引っ張られて、水路に沿って奥へ奥へ。
「あ、あの」
返事してくれない。有無を言わせない感じでぼくのことをどんどん奥へと連れて行っていく。
「……?」
なんだろう。この音。音? 振動? 地鳴り? ゴロゴロというかガラガラというか。そんな音が響いてぼくの身体を震わせている。
その音はサハギンさんに引っ張られて奥へと進むごとに大きなものになっていった。
そしてその正体が判明する。ぼくはきっと無意識のうちに口をぽかんと開けて、ソレを見上げていたんだと思う。
「……ぁあ」
歯車。大小、それこそドラゴンの大きさからフェアリーの小ささまで、数え切れないほどの無数の歯車が、水路の壁と天井で重厚な音を響かせて駆動していた。幾重にも重なり合っている歯車は精密さと大胆さを兼ね備えていて、誰がどうしてという疑問よりもただただ驚きがぼくの頭の中を埋め尽くす。
通路の最奥からは大きな滝。しかしそれよりも目を見張るのが巨大な黄金色の金塊。滝の上部前方に設置されたそれは、竜の魔力を感じさせる魔界鉱石のようだった。
その竜の魔力と水の気配が混じり合い、ここは大瀑布のどこよりも濃密な魔力の気配が感じられる場所だった。つまり、ここが一番の中心地なんだと思う。
本当にすごい。もうすごすぎて、すごいって感想しか出てこない。
「……」
ぼくが思わず我を忘れて水路を見渡していると、ツンツンと肩をつつかれた。振り返ると、もう元の場所へ歩き始めていたサハギンさんがぼくにふりふりと手を振っていた。
「あ……」
もしかして、道に迷っていたぼくを心配してくれて水路から飛び出てくれた? ここに案内して、くれた?
サハギンさんの真意はわからない。でもきっとそうなんだと確信した。
だからぼくは、きちんとサハギンさんに向き直って、深く頭を下げる。
「ありがとうございました!」
頭をあげる。水路の中から頭を出したサハギンさんが水かきの手をふりふりと振ったのを最後に、彼女は水の中へと潜っていた。
その最後だけ、ちょっとだけ、笑っていたように見えた。
ありがとう、サハギンさん。
「……でもここでどうやってスラドラゼリーを手に入れたらいいんだろ?」
ぽつんと水路の行き止まりで一人ぼっち。歯車の駆動音と滝の水音が単調に流れているだけで、ちょっぴり寂しい。もしかしてこの水路の中にスラドラゼリーが落ちてたりするのかな。そもそもスラドラゼリーって?
珍味って言ってたし食べ物なのは間違いない。名前的にも多分ゼリーなんだと思う。すらどらぜりー。スライムゼリーの一種かな。ぬれおなごさんのゼリーなら食べたことがあるけど。でも、すらどら、どら。ドラゴン? スライムさんかドラゴンさんのゼリー? それとも一緒に作ったとかかな?
うーん、考えても埒があかないや。サハギンさんがここに連れてきてくれたってことはここにスラドラゼリーに繋がる何かがあるのは間違いないはず。そしてここで行けそうなのは水路の中くらい。よし、泳ごう。
と、ぼくが上着から脱ぎ、足元に畳んで置いたときだ。
「なんだ貴様は?」
突然声をかけられた。滝前の巨大魔界鉱石の真下の水路から。
そっちに顔を向けると水路の水が山みたいにこんもりと膨らんでいた。いや、違う。よく見れば水路の水と似た色の何かが顔を出していた。
角張っているけどぷるぷるとゼリーのように震えている双角。それを頭から生やした、端正な顔立ちの女性がゆっくりと水路から現れた。
水がそのまま形を成したように顔から首、胸下さらには背中の翼や尻尾、下半身に至るまで全身ぷるぷるとしたゼリーでかたどられていく。
ドラゴンさん? でも全身がスライムさんみたい。
「何をジロジロと見ている」
「あ、ご、ごめんなさい。ぼくスライムさんみたいなドラゴンさんを見たことがなかったから」
「いや、我はスライムさんみたいなドラゴンさんではない。ドラゴンさんみたいなスライムさんだ」
「ドラゴンさんみたいなスライムさんなんですか? スライムさんなのに?」
「うむ、ドラゴンさんの役割を担うスライムさんだ。種族はクイーンスライムさんで我はその分体の一つであるスライムさんだ。まぁ我は我だが。……む、貴様の変な言い方が伝染ってしまったではないか」
「ご、ごめんなさい」
水路の水の上で腕組みして立つクイーンスライムさんの分体のドラゴンさんの役割を持ったスライムさんは、本当のドラゴンさんみたいに威風堂々とした風格を漂わせていた。
たださん付けやりとりがちょっと面白くって、初対面なのに不思議と大丈夫そう。
「して、ここで何をしている?」
ぎろりと鋭い視線がぼくを射抜く。
前言撤回。やっぱり怖い。サハギンさんで慣れたと思ったのは気のせいでした。
「え、えぇと、ぼく、その」
「歯切れが悪いな。はっきりと物を言え。まさか狼藉を働こうとしていたのではあるまいな?」
ち、違う! 違うのに言葉が出ない。口がぱくぱくと喉からひゅうひゅうと空気が漏れて、言葉を紡げない。
どうして出せないの。ぼく。一言言うだけなのに。目的を、ここに来た理由を言うだけなのに。どうして言葉にできないの。
怖い。何が怖いの。きっと怖くなんてない。サハギンさんみたいにきっと怒っているわけじゃなくて、理由を話せば聞いてくれるのに。
知らない人の前だとどうしてこうも、ぼくの喉は震えちゃうの。
「我はお前のことは知らん。だがこれだけは言っておく。我はただ俯いて待っているだけの者に手を差し伸べる気はない」
ぼくはいつの間にか地面と向き合っていた。
待っているだけ。キサラギさんのときもそうだった。ただ言いたいことだけ言って、一方的に求めただけ。
いまだって。怖いから待っている。察してくれるのを待っている。狡い。ぼくは狡い。
『この世界は、対話によって成り立ってるんっすから』
キサラギさんの言葉。
『テーちゃんが自分で考えるんすよ』
この意味。きっとそうだ。ここに来るだけで手に入るなら、キサラギさんがぼくなんかに頼む必要はない。もっと言えば、入手方法を隠す必要なんてない。
キサラギさんはぼくに考える機会を、自力で成長するチャンスをくれているんだ。
思い出せ、ぼく。ここにいるのはなんのためだ。スワローと一緒にいるため。ずっと、ずっとずっと一緒にいるためなんだ。そのための勇気を出せないでどうして一緒になれる。
ぼくはスワローを支えられる大和撫子になりたい。これはその一歩目なんだ!
顔をあげると、ドラゴンさんなスライムさんがぼくをまっすぐに見据えていた。本物のドラゴンさんを思わせる鋭い眼光。獲物を射竦める狩人の瞳。
でも、ぼくだって。ドラゴンさんじゃないけど、龍たる水神様に使える巫女の一人。
水神さまの魔力が、大和撫子のお母さんの血が流れているんだ。
ドラゴンさんなスライムさんをしっかりと見据える。その眼光を受け止めて、言った。
「スラドラゼリーを探してぼくはここまで来たんです。教えてください! どこにそれはありますか?」
「ここにあるぞ」
質問とほぼ同時。彼女は尻尾からにゅるんと身体を一部を切り出し、それを掌に乗せてぼくに見せた。
まん丸おめめににっこり笑ったお口が愛らしい、掌サイズのスライムゼリー。デフォルメしたような翼が生えていて、小さいドラゴンさんなスライムさんみたいだった。
「……」
「……」
……あれー?
「しかし珍しいな。わざわざこんな奥まで来てスラドラゼリー目当てとは。道中すれ違ったスライムにでも言えば、ここまで来ずとも手に入れられたろうに」
そういえばすれ違ったあのスライムさん。もしかしたらクイーンスライムさんの分体だったのかもしれない。
「なんだ、これが欲しかったんじゃないのか。受け取らないのか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
あまりにもな展開だったからちょっとついていけなくて驚いちゃったけど、目的の物がすぐ手に入るならそれに越したことはないや。
手にとって触れると、シュワシュワというかパチパチというか弾けるような感触が触れた部分から伝わって気持ちいい。ぬれおなごさんのもっちりしたゼリーとはかなり別物みたいだった。
ぼくはそれを鞄から出した木箱に納めて(あの可愛いのを閉じ込めるみたいで気が引けるけど)、鞄にしっかりと仕舞う。これでキサラギさんのお仕事の一つ目は終了だ。
「ありがとうございました。あの、その、お幾らですか?」
受け取る前に聞いておくべきだったと今更思うけど。ちなみに費用はあとでキサラギさんから頂けることになっている。経費で落ちる、というやつらしい。
「いや、金銭は必要ない」
首を横に振る。ありがたい話だけど、本当にいいのかな?
「ところで自己紹介がまだだったな。我はクイーンスライムのドラゴンの役割を担う分体、名はリゼラと名乗っている」
「わ、私はジパングから来ました白蛇の呈と言います」
「ほう。それは遠路はるばるよくぞ来たな。まぁ何もないところだがゆっくりして行ってくれ」
リゼラさんがもこもこと盛り上がった水の上に玉座のようにして座る。クイーンスライムの分体ということだけど、女王というよりなんだか王者の風格を持っているような。
「何もないなんてことないですよ。すごい気持ちのいい水の魔力で満ちているし、この歯車とあの大きな魔界鉱石なんてすごくてすごくて」
「ああ。このドラゴニウムか。確かにこれほどの大きさはドラゴニア全土を探しても見つかるまい。これを見るためだけにわざわざやってくる物好きも多くいるほどだ。それどころかこれを肴にイチャつき始めおって、見せつけおって、ぐぬぬ……っ! こほん。そ、そうこの歯車たちは昔の帝国とやらが自然管理するとかで作り出した代物らしいな」
色々あったらしい。リゼラさんが座っている水の玉座にこぶしを打ち付けていた。慌てて取り繕ってたけど。何も言わない方が良さそうだ。
昔の。確かドラゲイとか言ったかな? エリューさんの夫ヴェルメリオさんの歌にも出てきてた。そういえば、ドラゲイ王のお話について考えてきてって言われていたけどどう考えたら良いのだろう。一応、お酒で酔いながらもきちんと覚えていられたけど。
「いまは奥の水車を含め水竜たちが管理している。おかげでドラゴニア全土に充分な水が行き届いているそうだが、まぁ我にはどうでもいいことだ」
「すごい。この歯車きちんと理由があって動いているんですね」
ジパングでも水田に水を引く際に水車が使われているけど、ここまで大規模なものは見たことがない。とても緻密で繊細な仕掛けと、それを扱う知識がここには揃っているんだろう。ただただ驚くばかりだ。
「我がここへ来る以前の話だからな。詳しくは知らん。しかし……ふむ、水の魔力が気持ちいいか」
「え、あ、はい。ぼくは白蛇ですから。水場にいると心地よく感じるんです」
「ならばこちらへ来て入るといい」
「え?」
「そうだな。ちょうどいい。お前には我から受け取ったものもある。返してもらうのにも都合がいいだろう」
「え?」
「受け取った、だろう?」
ずいっと顔を近づけてくるリゼラさん。威圧感がすごい。けどしてやったりな笑みを浮かべている。
受け取った。何を、なんて問うまでもなくスラドラゼリーしかない。
あれ。あれあれ? もしかしてぼく、騙された?
「受け取った以上、その礼は返すというのが理であろう」
「ちょっ、待っ」
制止する間もなく、ぼくはリゼラさんに手を掴まれ、そのまま水路に引きずり込まれてしまった。
尻尾での抵抗は意味をなさない。彼女の身体は水と変わりないから。周囲に巻きつけるものもなかった。
視界が一瞬で薄暗い闇色から青白い世界の色に変化する。全身を水が包み込んだ。
突然のことだったから、ぼくは当然もがく。尻尾を揺らす。腕をじたばたさせて水の上の空気を求める。だけど。
「落ち着け。落ち着いて息を吸ってみろ」
「っ……あれ」
こぽぽ、と口元から息が抜けていき、ぼくは自分が水の中でも息を吸えていることに気づく。おまけに水上のときと変わらないように喋れている。
暴れたことで視界を覆った泡沫が晴れると、リゼラさんの顔がすぐ前に現れた。
「まったく。驚きすぎだ」
「い、いきなり水の中に引きずり込まれたら誰だって驚きますって」
「我は驚かん」
きっぱりと言ってのけるリゼラさん。そりゃあスライムさんですもん。
水路の水とほぼ同化しているけど、よく見たら腰に手を当てて胸を張っていた。むぅ。
「でもなんで息が?」
「魔法だ。水路の水に魔法をかけて、誰でも水中で息ができて話せるようにした」
「ぼ、ぼくにじゃなくて、水路にですか」
「ふん、我にとってすれば造作もないことだ」
ドラゴンさんなスライムさんだけど、まるでドラゴンさんみたいにすごい魔法が使えるスライムさんなんだ。ここにいるとリゼラさんの水の魔力そのものに包み込まれているかのような錯覚さえ覚えちゃう。
「で、でもお礼って何を?」
何をさせる気なんだろう。お礼って。お金以外で思いつくことなんて。そもそもスラドラゼリーが魔物の身体の一部なんて聞かされていなかったから物々交換の準備なんてしていなかった。
「案ずるな。我が欲しいのは貴様の魔力だ」
「魔力?」
「うむ。スラドラゼリーは我の余剰分の身体を切り取って精製するものでな。その再生には魔力や精が必要となる。が、我らは未だ王となる伴侶がおらぬ。いや、女王が懇意にしている相手はおるのだがな。如何せん、奥手で。……それはさておき、故に自身で時間をかけて魔力を作り出して余剰分を取り戻す必要があるのだが、ここ最近スラドラゼリーの需要が高まってな」
「ぼくみたいなのがいっぱいいるんですね」
「普段は女王や姉妹たちを通して手渡すから、こうして直接取引相手に会う機会もなくてな。取引内容を我が決めることは滅多にないのだ。いや、まぁ別に繋がっているのだから言伝しておけばいい話なのだが、我は他人任せは好かん。いや、他人でもないのだがな?」
な、なんだか雲行きが怪しくなってきたような。いや、もうこんな状態に陥っている時点で怪しいもなにもないけども。
「一応の謝礼は頂いてはいるが、どうせならば我が望むものが欲しい」
「その欲しいというのが」
「うむ、貴様の魔力だ。貴様と我の魔力は親和性があると見た。幾らか頂ければすぐに失われた部位は再生できるだろう」
「そのー、魔力を注ぐということに関してはぼくは別に構わないんですけど」
魔法も使うこともないし、ぼくはあまり自身の魔力を使う機会はないから大丈夫。
だけどもだ。
「ぼくを水の中に引きずり込む必要って……?」
ぼくの質問に、リゼラさんは悪竜染みた悪女の笑みを浮かべた。
「無論、貴様の全身、ありとあらゆる部位から魔力をいただくために決まっているだろう」
嫌な予感的中だよ。
「安心しろ。痛くはしないし、大事な場所を穿つこともしない。ただ全身を我が身体で包み込む――否、撫で舐らせてもらうだけだ」
「ぼ、ぼくの身体はスワローのものだから他の人に」
「案ずるな。我の行為はマッサージとでも思えば良い。魔力を全身から吸うことで魔力の巡りを良くする効果もあるらしいからな。全身から効率良く魔力が出せるようになれば、貴様の意中の相手にも自身の魔力を多分に注ぎ込めるようになるぞ」
それはとっても魅力的。魅力的だけども!
「ひゃんっ!? あふっ」
尻尾とかお腹とか、そんなエッチに撫で回さないでぇぇぇぇ!?
あうっ! シュワシュワとパチパチが肌に妙に心地よくて、声が出ちゃう!
「ふふ、我慢することはない。好きなだけ声を出せ。なんならその逞しい尾で我の秘部を穿っても良いぞ?」
ぼくの尾に一際リゼラさんの身体がまとわりつく。鱗に一枚一枚その隙間に張り込むように塗りこむようにゼリーが這っていく。這うのはぼくの専売特許なのに! きゅうきゅうと尾先が絞られて、その上しゅわしゅわで刺激されちゃって、変な気分になっちゃう!
「これは、ふふ、いいな。将来の我らの王のイチモツを締め付けシゴき、満足させる練習になりそうだ」
「ぼ、ぼくは女だからぁあああああああああああ!!」
絡み合って粘り合って溶け合って。
全身まさぐられ、全身まさぐらさせられたぼくは、その心地よさに抵抗するため、魔力を吸わせて一刻も早くこの行為を終わらせるため、ただただ蒼い炎を放ち続けた。
ぼくが開放されたのはもうすぐで昼に差し掛かる頃だった。
「ひ、ひどい目にあった」
「お疲れ様っす。どうだった――って聞くまでもない感じっすね。直接、分体ドラゴンに頼んだんすね」
「頼んだらこうなるって知ってたんですか〜?」
キサラギさんの店にほうほうの体で(蛇だからいつものことだけど)帰ってきたぼくは、事情を察したらしいキサラギさんを、気力を振り絞り恨みを込めて睨みつけた。
けれどキサラギさんはどこ吹く風。にやにや、というか計画通りとでも言わんばかりに笑っていた。
「分体ドラゴンは気難しいのと性に奔放で有名っすからね。まぁまさか直で交渉するとまでは思わなかったっすけど。お、それがスラドラゼリーっすね。ではご拝見」
手渡した木箱の中身を確認して、満足そうにキサラギさんは頷き、カウンターの奥へと入っていった。しばらくしてガラスのお椀に早速ゼリーを入れて戻ってきた。それとゼリーが入っていた木箱も。
「これ、スワっちにあげるっす。呈ちゃんの分は――」
「いいです。当分、見たくない……」
「でっすっよねぇー」
あっはっは、と笑うキサラギさん。もう睨みつける気力もないや。
散々嫐られたあとに開放されたぼくは、スライム種の特殊スキルなのかリゼラさんに濡れた服の水分を全部吸って乾かしてもらい、水路に沿って帰ってきた。
それと、街に戻ってきた帰り道、リゼラさん率いるスライムさんの大群が行進していたのを見かけた。いつの間に来ていたんだろう。それに「もう逃がさないぞ我らが王よ。ふふ、貴様にとって我らが唯一の従者であり、他のメストカゲなど必要ないことをその身体に教えてやる」とか言っていたのを耳にした。あれが懇意にしていた男性なのかな?
スライムの襲撃だーとか、スライム津波だーとか、正気失ってんぞこのスライムー、なんて悲鳴も聞こえたけど、もう疲れきっていたぼくには何がどう一大事なのかよくわからなかった。
「さて、次のお仕事が待ってるっすけど。今日はもう帰るっすか?」
「……ううん、やります。帰りません」
疲れた。確かに疲れた。けど、それは肉体的なものではなく精神的なもの。
なら、スワローのことを思い出せば幾らでも奮い立たせられる。ぼくにやれることが残っているなら、休んでなどいられない。
「良い顔っす。じゃあ次はドラスコグラスを手に入れてきてもらうっす」
「ドラスコグラス?」
「蔦で出来た木製グラスっす。しかし侮るなかれ! これに注がれた飲み物全ては芳醇なお酒に早変わりする素晴らしい魔法の盃っす! 『カシドラーが、お好きでしょ? ドラスコーで、お飲みましょう』」
「ダメです!」
色々とダメだし、間違っている気がする!
「あっはっは。じゃあお願いするっす。入手場所は『グランマ』のお膝元、グランドワームの巣! ここから行けるっすよ〜。いや〜楽しみっす、今日は酒っ盛り〜。ん〜スラドラゼリーも最高っす〜」
ぼくに地図を手渡したキサラギさんは、スプーンで掬ってドラゴンさんなスライムゼリーを口に運ぶ。よっぽど美味しいんだろう。頬に手を当てて目尻が蕩けさせていた。ぼくとしてはもうたっぷり水路で味わったから見たくもなかったけど。
「ふぅ……よし!」
さぁ行こう。次はドラスコグラス。酒のなる蔦だ。
17/08/27 21:54更新 / ヤンデレラ
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