第二章 観光orデート?:茶釜商店「キサラギ」〜竜見崖
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完食。
綺麗さっぱり料理を食べ終えたおれたちは逆鱗亭をあとにする。坂に沿って上方から吹き降りてくる風が、料理で火照ったおれの身体を心地よく凪いでいった。
さて次はどこに行こうかな。太陽はてっぺんを超えて傾き始める頃合だ。山岳地帯のここは太陽が眠るのも早い。夜になったからどうこうというわけではないけど、さすがに呈を町の外の山道やダンジョンを夜道に歩き回すのは望ましくないしな。そっち方面は明日以降の案内にするとして、今日は竜翼通りで済ませられるものにしよう。
「そういえば、呈はいつまでドラゴニアに滞在する予定なの?」
観光案内で真っ先に聞いておくべきことを忘れていた。何日滞在するかで案内行程や取捨選択が変わってくる。
「んー。特に決まってないかな。ジパングの自宅はご近所さんに任せてあるから問題ないし。気の向くまま好きなだけなんだ」
「なるほど。ならそれほど慌てて案内する必要もないね」
おれは内心ホッとしていた、と思う。何に安堵したのか自分でもよくわからない。
「うん。だからスワローの好きなようにして欲しいな」
「なんか違う意味に聞こえるんだけど」
「うふふ……」
意味ありげな笑み。食事の前とあとで纏う雰囲気が変わったような気がする。それともおれが呈を見る目が変わったのかな。
さてゆっくりと観光できるとは言え、今日は日が落ちるまでそう時間もないし、先にお土産でも見てもらうとするか。
行き交うイチャつくカップルたちや騎竜に跨り見回りもといデートをしている竜騎士とすれ違いながら、おれたちは竜翼通りを上っていく。しばらくして竜翼通りを逸れて小道に入ったところにある小さな店の前についた。
「茶釜商店……キサラギ?」
「ドラゴニアのものから他の国のものまで雑多に扱ってる雑貨店だよ。おれもよくお世話になってる。主人がジパングの魔物娘だし、呈でも近寄りやすいと思ってね」
「……」
ドアについた来客を知らせるベルがチリリンと鳴る。店内は薄暗く、魔石灯がほのかにオレンジ色に店内を照らしている。棚は横広の長方形沿いと、縦に棚が三つ。奥にカウンターと自宅に続くカーテンがあり、カーテンの隙間からのっそりと見知った人物が顔を覗かせた。
張り付いたようなニヤケ笑いにクマのある胡乱げな目つき。ジパングの衣服であるらしいハンテンと七分丈のズボンを来た魔物娘。ぴこりと茶色の丸耳が震える。彼女は刑部狸。魔物娘らしく相貌は良いけど、怪しさマックスのこの風貌のせいで完全に相殺されている。
「おー、スワっちじゃないっすか。お久しぶりっす」
のっそりとナマケモノのようにゆっくりとカーテンの奥から這い出て、カウンターの椅子に腰掛ける。
「はいはい三日ぶり三日ぶり」
「巻き取り機の調子はどうだったっすか」
「珍しくいい仕事したと言っておくよ」
「あっはっはー、相変わらず生意気っすねー。んでそちらさんは?」
呈がびくっと肩を震わす。刑部狸はジパングの魔物だから大丈夫だと思ったけど、さすがに無理だったか。変な雰囲気だし。
「おれがドラゴニアの観光案内してる、呈って言うんだ」
「は、初めまして。呈です」
「どもども、茶釜商店店主の如月(キサラギ)っす。キーちゃん、キーさん、キーちゃんさん、キサっちでもなんでもお呼びくださいっす。うちはテーちゃんって呼ぶっすから」
にへらと笑うが目つきのせいでアンバランスな表情となっている。呈が苦笑いして曖昧な返事を返すのも無理はない。
「しっかし、スワっちについに彼女さんができたんすかぁ。うちは嬉しいっすよぉ」
「はいはい。新しく入ってきたものある?」
「色々あるっすよー。適当に並べてるんで勝手に選んで勝手に持ってきてくださいっす」
本当にいつものことながら、刑部狸の癖に商売しようという気が欠片も見当たらないやつだなぁ。馴れ馴れしさもあるが、おれよりも何歳も年上なのに敬語を使う気にもなれないのはこのせいだ。
おれと呈は並んで棚に陳列されたものを見ていく。茶釜商店もとい雑貨店の名のとおり色々ある。ワーシープの毛が入れられた枕だったり、女性を象ったガラス小瓶に入れられた黄金色のアルラウネの蜜だったり、魔力遮断のショーケースに入れられた魔宝石の原石だったりとドラゴニアに関係のないものが多々ある。
あ、テンタクル・ブレインの苗木がなくなってる。売れたのか。おれが来るときは客なんて一人も見たことないけど、来ることは来ているらしい。
他にもドラゴンキラーと銘打たれた禍々しい剣や、とある魔物娘(ウシオニと書かれてある)の血であるらしい赤い液体が入った小瓶に並べていたり、竜の生き血と書かれた小瓶もあったりする。
竜の生き血とはこのドラゴニア産の魔界葡萄の果実水のこと。本物の竜の血では決してない。けどこれ、絶対狙ってやってるよなぁ。というかドラゴンキラーってドラゴニアにあっていいものなのか? まぁどちらかというと使用者の方が危なそうな禍々しさを放ってるけど。
そうやって色々見て回っていたけど、呈はずっと黙っておれに添うだけだった。呈の顔を見てみると、何やら眉をひそめて俯いている。ここは楽しくなかったか? もっとパーッとしたところに行くべきだったかな。
「呈?」
おれが名前を呼ぶと、びくんと身体を揺らしながら顔をあげる。その瞬間にはにこやかな表情に戻っていた。でもどこか瞳に陰りが差している。
「気分悪いなら外行くか?」
「ううん、違うの。ねぇ、スワロー。スワローはよくここに来るんだよね?」
頷く。天の柱に登るために必要なものは大概ここで揃えている。ハズレを持ってくることも多いキサラギだけど、こと天の柱で使うものに関してはハズレを持ってきた試しがない。そこは信頼できる。
「そっか。うん、そうだよね。でも」
何やらぶつぶつ呟いたかと思うと、呈がいままでより一層身を寄せてきた。巻きついてこそ来ないものの、尻尾がおれの呈のいない側にぴたりと寄り添っている。身体の両方を呈で挟まれたような感じだ。
歩きにくいってわけじゃないけど、なんでまた急にこんなことを。わけがわからないけれど、さっきまでの陰りはナリを潜め、安堵した表情に変わっている。ここを出たいというわけでもないようだし、このままにしておいた。
「スワロー、これはなんなのかな?」
呈が指差したのは無色透明の水晶のようなもの。形状は特殊で、球体の水晶にドラゴンの身体と爪が掴みかかるような意匠の土台が施されている。
「お目が高い。ドラゴンオーブっていう魔宝石を使ったオブジェだよ。ドラゴニアの名産品。これはまだ魔力が蓄えられてないやつだな。ここに魔力が蓄えられると……あんな感じになる」
あたりを見渡して、棚のやや高い位置にあった似たようなドラゴンオーブを指差す。あっちはドラゴンではなくワイバーンが球体を包んでいたけど、あれもドラゴンオーブだ。それは翡翠と紺碧の魔力光がゆっくりと渦を巻いたり波打つように流動し、周囲を淡く照らしている。
「えっと、確かドラゴニアでは魔力入りのは既婚を、無色は未婚を表しているんだったけな」
「それは家先に吊るしてある場合っすよー。まー、無色のなんて見たことないっすけど」
キサラギからツッコミが入った。ご指摘ドーモ。おれにだって知らないことはある。
「魔力なしの方が安いんだね」
「魔力なしを男が所持してると独り身のドラゴンに襲われるらしいからなー。絶対狙って安くしてると思うよ」
「……じゃあ」
呈が無色のドラゴンオーブを手に取り、胸元で抱えた。目が細められ、誘うように笑い、
「ぼくがこれを持ってたら、スワローに襲われちゃうのかな」
そんなことを言ってのける。
さすがに言葉に詰まって、おれは咄嗟の返事ができない。唾を飲む音がやけに大きく聞こえ、呈にまで届いたんじゃないかと思えてさらに気恥ずかしくなる。
乞うような、求めるような、しかしともすれば自身を捧げているかのような呈の表情に、おれは思わず手を伸ばしそうになって。
その指先が肩に触れようとしたところで、するりと呈が俺の前をすり抜けていった。ドラゴンオーブを棚に置き、隣にあったブレスレット状のドラゴンオーブの着け心地を試したりしながら、おれから離れていく。尻尾の尾先がゆらゆらと誘うように揺れて、おれは猫ではないけどそれに引き寄せられるように呈を追いかける。
遊ばれてるのかね、おれ。悪い気はしないけど、もやもやするような。
「無色の魔宝石なのに、ぼくが触っても魔力が宿らないんだね。魔宝石って、ふとしたことで魔力が溜まるはずなんだけどな」
ブレスレットのドラゴンオーブをどこか名残惜しそうに棚に置きながら、呈が尋ねてくる。
「……なんでだっけ?」
キサラギ、ヘールプミー。
仕方ないなぁとドヤ顔でほくそ笑むキサラギ。商魂たくましいと言えないくせに商品に関する知識は多いという、なんともアンバランスな店主キサラギだった。
「テーちゃん、スワっちこっちに来るっす」
ちょいちょいと手招きするキサラギの元へ。離れた呈も、キサラギのところまで行った途端、おれにぴったりとくっついてきた。キサラギに警戒心を顕にしているような気もする。確かに怪しいけどさ。
意に介してないキサラギは、カウンター下から取り出した手のひら大のショーケース、というかガラス箱を二つテーブルに置く。
その両方の中には、飴玉サイズの小さな無色の魔宝石が一つずつ、木の土台の窪みにはめられていた。どうやら観賞用の魔宝石らしい。ただガラス箱に魔力遮断の魔法がかけられているようだ。
「テーちゃん、この箱から魔宝石取り出して握ってみるっす」
「は、はい」
恐る恐る、呈がガラス箱の蓋を開け、両方の魔宝石を両手それぞれ握った。
「おぉ」
「さすがっす」
しばらくして開いた呈の右手の中には淡く澄んだ水色の輝きを放つ魔宝石があった。吸い込まれそうなほどに綺麗で、大空もしくは大海を覗き込んでいるように見える。流動することはなく普通の魔宝石だった。
この澄んだ水色が、呈の持つ魔力らしい。この色は千差万別。一人として同じ色はないそうだ。個人を識別することもできるとのこと。おれにはよくわからないけど。
対して左の魔宝石に変化はなく、呈が握っても変化はない。
「どうして?」
「ふっふーん、テーちゃん、よーく感じるっす。うちの見立てだと、テーちゃんはかなりすごい魔力を持ってるっす。それに幼い割に魔力の扱いにも長けている……なんて親から言われたことないっすか? だから落ち着いて感じてみるっす」
その言葉に呈は魔宝石を握ったまま瞼を閉じる。すぐさま呈が纏う雰囲気が変わった。
キサラギへの警戒心が消え、明鏡止水のごとく空気を纏っているかのよう。ただ一心に手に握る魔宝石へと意識を向けられている。まるで呈の澄んだ水色の魔力の色のように。
「……こっち、魔法がかけられているんですね」
無色の魔宝石を指して、呈がゆっくりと目を開きながら言った。
「それに、根本的に魔宝石としての質が右のとは違う。こっちの魔宝石は異質に感じます。……もしかしてこれ、ドラゴニアで採れた魔宝石ですか?」
「……さすがっす。いやむしろ驚いた。どこ産までわかるとは。ここで雇いたいくらいの目利きっすよ」
キサラギが珍しくまぶたを大きく見開きながら、呈の持っていた魔宝石を預かり、ガラス箱に直す。
「ご推察の通り、色に染まらなかったこっちのはドラゴニアで採れた良質な魔宝石。ドラゴンオーブに使われる魔宝石っす。高魔力の者の魔力を宿すには、同等の質の魔宝石が必須っすけど、この魔宝石はそれと似たような感じで質の良い特殊な魔力じゃないと宿さないようになってるっす。ドラゴンみたいに気位の高い魔宝石なんでしょうねぇ」
まん丸耳がピクピク震え、腕を組んで、一人納得したように頷く。
「さらにそこから、魔法をかけてるっす。それがドラゴンオーブの輝き方の正体、流動の魔法。蓄えた魔力を明滅させたり流動したりさせる魔法っす」
「特殊な魔力っていうのはどういうことなの?」
おれの質問に、キサラギは得意げに鼻を鳴らす。
「その理由はドラゴンオーブの別名にあるっす。ずばり『夜伽石』と呼ばれるっす」
夜伽石、ああ、そういえばそんな名前耳にしたことはある。だけど夜伽って。つまり?
「その名の通り、単なる高い魔力ではなく、高質高純度高濃度の魔力。つまり、雄と雌がセックスしてオチンポとオマンコをグチュグチュにしたときに放出させる二匹の魔力と精のみが、夜伽石の魔宝石の中に魔力を蓄えさせることができるんっす」
「……」
「……」
突然の発言におれたちは困惑するしかない。この街じゃあよく聞く言葉だけどさ。真面目っぽい話してた途端にこうも変えられるとさすがに困惑するから。
「ちなみにスワっちの家がある洞窟とかで魔宝石が光ってるのは、そこでしっぽりヤリまくった魔物夫婦がいたから……どうしたっすか? 二人とも顔紅いっすよ」
「いやなんでも」
「心配しなくとも、二人とももうじきセックスしまくれる身体になるっすよ。スワっちは半インキュバスだし、テーちゃんも雄認定した相手がいればじきに雌の身体になれるっす。どうせヤル気が抑えられなくなるから、気にしなくてもいいっすよ!」
何言ってんだこいつは!?
呈が魂抜け出しそうに口を開いて呆けてるじゃないか。
「あ、でも白蛇は種族的に貞淑っすからねぇ。夫の方からリードする必要があるっすよ! まぁ二人ともお似合いだから、大丈夫だと思うっすけどね!」
返す言葉もない。散々口走るキサラギを止めることなんてできるわけがない。
ここで「違うから!」とはどうも言えない雰囲気だし、言いたくないんだよな。呈の魂抜け落ちながらも笑顔な表情を見ていると。
しかし、この様子だともう買い物どころじゃないなぁ。お土産はまた今度にするか。
「呈がこんなだし、また来るよ」
「了解っす。また天の柱登るのに便利そうなの仕入れておくっすよ」
「助かるよ」
簡単なやり取りをして呈を先に店の外に出したとき、ぐいっとキサラギに腕を引き寄せられる。そして、手に何かを握らされた。簡素な紙の包みだった。そこまで重くない。なんだろう。
「スワっちはもっと女心を学ぶ勉強をしたほうがいいっすよ。気づいてたんなら、こっそりなんなり買っておかないと」
その言葉におれの視線は棚のある場所に吸い寄せられる。さっき呈が名残惜しそうに置いていたドラゴンオーブのブレスレットがなくなっていた。
よく見てるなぁ。
「お代は?」
「もうもらってるっす」
「覚えがないんだけど」
「気にしたら負けっすよ。ほらとっとと行く。女を待たせちゃダメっすよ」
背中を押されて、おれは店外に。いま渡そうかと迷ったけど、胸ポケットに包みをしまった。どうせなら、だ。
意外と気が利く彼女に心の中で感謝の言葉を述べつつ、ふらり調子の呈の元へ駆け寄った。
さて、そろそろ日が暮れる頃。今日の観光の最後はあそこにしようか。女心とやらはわからんけど、これを渡すならあそこが一番だろう。
そう思い、おれは意を決して呈の手を握った。柔らかく暖かい手は小さくて華奢なもの。だけど、触れていると不思議と安心できる。
驚いた表情を浮かべる呈。おれ自身もおれの行動に驚いている。キサラギの言葉に感化されたのは疑いようもない。
「行こう、呈。案内したい場所があるんだ」
「……うん、スワロー。どこまでも君についていくよ」
おれの硬い手を握り返してくれた呈に、不思議と気持ちは高揚して、そこへ行くまでの足取りは軽かった。
この気持ちがなんなのか、おれは意識し始めていた。
一人身の淫乱雌狸はゲスな笑顔を浮かべていた。キサラギである。
スワローは商魂逞しくないと思っているようだが、それは違うとキサラギはほくそ笑む。
取捨選択をしているだけなのだ。誰に対してどう対応したら最大の結果が得られるか。そう判断し、行動しているだけ。
ナマケモノ風にスワローへと対応するのは、一番儲けを得られるのだとキサラギは認識していたからである。スワローは齢十歳ほどのくせに、種々の経験をしているかのような警戒心の持ち主の少年だ。だから、商売を積極的にしようとはしない。彼の望むままの商品を手に入れることだけに終始し、こちらからは売り込まないのである。事実それで子供でありながらそれなりの稼ぎをこちらに運んできてくれてはいる。まぁ、こっちもそれなりのモノを売っているから互いに得をしているが。
だから、ブレスレットのお代をもらっているという言葉、あれは事実である。そう、もらっている。お代はすでに、呈からもらっているのである。
魔宝石へ、呈に注入してもらった高濃度の白蛇の魔力。
スワローと近い歳でありながら大人顔負けの魔力。それに加え、龍泉に連なる龍にとても似通った水の魔力ともなれば、かなりの高値で売れる。無魔力のドラゴンオーブのゆうに十数倍はくだらない値がつく。あんなブレスレットの一つや二つ幾らでもくれてやるっす、とキサラギは再びほくそ笑んだ。
そう。キサラギは商魂逞しい……というよりは金に意地汚いゲス狸であった。
「さーてさて、うちの愛しい白蛇印の魔宝石ちゃん、誰に売れるっすかねー」
とそんなゲス狸が、その魔宝石の入ったガラス箱を見た瞬間、硬直する。
白蛇・呈の魔力が注入された、澄んだ水色の魔宝石――だったもの。
それは粉々に砕けていた。元が球体だったと思わせないほどに砕け、飛び散り、ガラス箱の一部にヒビを入れていた。
「あ……あ、ああ……」
キサラギの口から声にならない声が漏れる。
砕けた理由は単純明快。呈の魔力に魔宝石が耐え切れなかったのである。ただ限界値ギリギリだったためかすぐに壊れなかったのが、彼女にとっての不幸だったのだろう。
そしてもう一つは、成長期の呈の魔力を見誤ったことか。
なんにせよ、ここに残る真実は一つ。
「ブレスレット一つ、損したぁ……!」
ゲスなことを企んだ狸がちょっと損しただけであった。
―3―
どこかでゲス狸の叫び声が聞こえた気がしたけどそんなことはなかった。
「キサラギさん、いい人だね」
「いやー、まぁ悪い奴じゃないけど。いい奴かと言われるとな」
まぁ胸ポケットにあるものを考えると酷くは言えないけど、実用的な面で色々ハズレを掴まされたりもしているから素直に頷けない。
例えば完全耐寒効果付与、ただし装備者が子供であろうとも雌竜を引き寄せる効果持ちジャケットとか。天の柱を登るどころか、そこに辿り着くことすらできなくなるから。
「最初敵だと思ったんだけどぼくの気のせいで良かったよ……危うくやるところだった」
何かぼそぼそと呟いているけど、物騒なことじゃなかったらいいなぁ。どうしてか暗い笑みを湛えているけど、どこか様になってて可愛いというより綺麗と思えてしまうのはおれがおかしいのか。
「それで、どこに連れて行ってくれるの?」
「内緒。でも期待しても損しないと思うよ」
もう日暮れに差し掛かり、山に太陽が隠れたためもう辺りは暗い。竜翼通りには密集していた街並みはもうまばらになり、不均等に家がぽつりぽつりとあるのみ。家先に吊るされているドラゴンオーブや魔宝石の街灯が、斜面と垂直にある整備された道を淡く照らしてくれている。
おれたちは竜翼通りを中心としたドラゴニア城の城下町からは離れている。標高的には、ドラゴニア城と城下町のデル・ロウ像の間。前者なら見上げる位置。後者なら見下ろす位置だ。
途中、呈に目をつぶるようにお願いして、彼女の手を引き、ゆっくりと歩く。力強く握り返してくれてる上にギュッと目を瞑って、露ほどもおれのことを疑ってない呈に、素直だなと思いながら整備された道をさらに進む。
無言。靴が地面を打つ音と蛇の尾が地面を這う音だけがおれたちをふわりと包んでいる。不思議といやな空気じゃなく、心地いい。呈もそう思っていてくれていると嬉しい。
ただ、その二人だけの時間も目的地の傍まで行くと別の音が入り込んでくる。男女の交わりによる嬌声だ。
「ど、どこに行っているの?」
不安な声が呈の口から漏れるけど、それでも目を開こうとはしない。
「大丈夫。名所のひとつだから人がいるんだよ。まぁもう時間が時間だし、交わる人も多いんだ。今日は思ってたより多いみたいだけど」
斜面の草むらで裸になって交わる人影がいくつか見受けられた。見られようとも気にしないのはさすが魔物娘とその夫。
そしてようやく目的地。斜面に備わった崖を綺麗に改修して広場にした場所。転落防止のための柵が設けられ、少し離れた位置には竜たちの発着場もある。崖の向かいには別の山々と斜面が広がっているけどもう日も沈みほとんどなにも見えない。そして右側。特に人が集まって見ている方角。そこにあるのはドラゴニアの城下町。
おれは呈を柵にもたれかからせて、同じように隣で柵にもたれかかる。おれは若干身長が足りてないので、足を柵の間に引っ掛けて高さを稼いだ。蛇の尾は身長調整できるから便利だなぁ。
「よし、着いた。呈、ゆっくり目開けて」
「うん…………わぁ」
向こうの明かりに照らされた呈の顔が、驚きに輝いた。
おれたちが見ているドラゴニア城下町。そこは夜空の星々すらも塗りつぶさんほどの数多の光粒子で溢れていた。光の正体は街灯や家先に吊るされた魔宝石やドラゴンオーブなど。色は様々。無い色を挙げる方が難しいくらいに色彩豊かに光を解き放っている。
「……もしかして、ドラゴン?」
「お、気づいたな」
その無限の光はあるものを象っていた。角のあり、角ばった鱗のある猛々しい存在。顎を大きく開いたドラゴンを、色々な光で描いている。
竜見崖。ここは城下町に描かれたドラゴンを眺めることのできる名所の一つ。
そのため、観光客やカップルも多い。当然、この景色を楽しみながらエッチなことを愉しむ人も多い。
「あそこ、あの口の辺りの赤いの。あれ、ドラゴンの発着場だよ」
「あ、もしかして、ドラゴンのブレスを?」
「そうそう。あれは竜灯花って言ってな。夜になるとああやって真っ赤に光るんだ。だから夜ドラゴンが飛行しても着陸地点を間違わないんだよ」
「前に言ってた、もう一つの理由はこれだったんだね」
「うん。実はこの風景を見れるポイントは他にも幾つかあって、別のところだと他のドラゴン属に見えたり、魔力の粒子が光を滲ませてピンク色の竜灯花に見えて、ジャバウォックブレスになったりだとか」
なんて解説をしていたけど、ふと呈の顔を見ると、うっとりとその風景に目を奪われていて、どうやらおれの言葉は届いていないらしかった。まぁここまで来たら野暮というものか。それに、ここまで喜んでくれたら案内した価値もあったというものだ。
しばらく風景に視線を預けながら、身をよじると胸でがさりと紙の擦れる音がした。そうだった、これを渡さないと。
「……」
あれ、なんだこれ。緊張するんだけど。さっきまでどうとも思ってなかったはずなのに。いざ直面した瞬間変わった。いや、普通に渡すだけ。ただ渡すだけ。変な意味はないし。
心の中で深呼吸。さりげなくでいい。簡単に。
「ん」
おれは、あのブレスレットが入った紙袋を呈の目の前に出した。
「スワロー?」
「ん」
ずいっとやって無理矢理受け取らせる。ほら渡せた。簡単じゃないか。何を緊張しているおれは。
きょとんとしている呈が紙袋を開いて、中の物を取り出す。途端、その顔がドラゴニア城下町を見下ろしたとき以上の驚愕の表情に変わった。
それがどっちの意味なのか、聞くのが怖い。
「い、いや、なんかキサラギの店で気になってたみたいだし。キサラギが気を利かせて持たせてくれて、お、おれはそういうのよくわからんし」
言い訳にキサラギを出汁にしていることは重々承知。気恥かしさが先行して他に言葉が思いつかなかった。
「……つけていい?」
おれの言い訳を優しく遮って、呈がそう呟くように尋ねてくる。表情が見えないけど、おれは頷いた。
その小さな手に、呈はブレスレットを通す。白と緑と青の三本の糸が螺旋に折り重なりあった紐に、飴玉サイズの透明なドラゴンオーブを一つ通してある。さらにそれより小さく正十二立方体にカットされた二つの魔界銀でオーブの左右を挟んだ、シンプルなデザインのブレスレット。
どこか愛おしげに撫でてくれた気がして、そしてそれが勘違いではないことが直後にわかる。
「スワロー、似合う、かな?」
ブレスレットつけた手首を顔の横に添え、呈が水面に咲く花のように、優美に微笑んだ。
言葉にできない。どう表現したらいいのかわからないけど、でもただ一言。
「に、似合ってる……すごい」
それ以上は直視できなくて。おれは城下町へと視線を泳がせた。
隣で呈が微笑んだような気がした。
「ありがと、スワロー。大事にするね」
「ん……」
呈が身体をおれに寄せてくる。白蛇の尾が足元からおれの身体を支えるように密着した。
そしておれの肩にこつんと、呈が頭を預けてくる。
周囲の嬌声の喧騒はもう聞こえなくて。
おれたちはただいつまでも、夜町を彩る竜の灯火を眺め続けていた。
16/12/26 19:37更新 / ヤンデレラ
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