第一章 天を仰ぐ者二人:竜翼通り@
―2―
竜皇国ドラゴニア。
ここは幾重にも連なる巨大な霊峰、その斜面を利用して広がる、巨大な山嶺国家だ。
かつては竜帝国とも呼ばれ絶大な力を誇った国だったらしい。しかし始まりの竜騎士と呼ばれる者たちと彼らと心を通わせあった竜たちの手によって、いまはこうして人と竜がともに手を取り合って暮らす国家として生まれ変わったそうだ。
ここに住む魔物娘の多くはドラゴンやワイバーン、ワーム、リザードマンなどのドラゴン属やそれに近しい種族ばかり。そうでない魔物娘も、ここに漂う竜たちの魔力のせいか竜に似た特徴を持ちやすい傾向にあるようだ。
「ドラゴニア領ってすっごく広いんだね。ここずっと見渡す限りドラゴニア領なんでしょ?」
「そうそう。昔かなり強かった反魔物国家だったらしいし、その領土からそっくりそのままいまのドラゴニアに変わったからな」
そろそろ街に入る頃。呈が山嶺の斜面に広がる景色を見て聞いてきた。
おれたちの目の前に広がる、高原地帯は全て明緑魔界となっている。高低様々な山々に囲まれて点在するその全てがドラゴニア領。背後の女王の住まう霊峰の山頂部とは対照的でとても牧歌的だ。
「ここからじゃ見えないけど、山脈の裏手にはドラゴニア大瀑布もあってやばいよ」
「やばいの?」
「全身身動き取れなくなるくらい」
「どれくらい近づいたのさ……」
「近づいたというか泳いだというか」
「大瀑布って泳ぐものなのッ!?」
とある友人の悪ふざけに付き合わされた結果である。死ぬかと思った。
なんて話をしている間にようやく着いた竜翼通り。女王の居城に続く一本の巨大な坂道を支柱としてまるで広げた竜の翼のように、幾重にも細かく小さな路地道が広がることから「竜翼通り」と呼ばれている。
主要な店はだいたいここに揃っているので、観光客も地元民も買い物をしたければここに来れば間違いがない。
「さっきも通ったけど、やっぱりここ、すごく人でいっぱいだね」
ドラゴン属の魔物娘のみならず、観光で訪れている多種多様な魔物娘たちや、その夫らしき人が竜翼通りを上へ下へと行き交っている。たまに独り身の男性も見かけるけど……あ、やっぱり路地裏に引きずり込まれていった。とまぁこんな感じですぐに他の独り身の魔物娘においしくいただかれる場所だ。
「ねぇ、スワロー。あそこはなんなのかな?」
呈が指差した場所は道路の端、円形の台が幾段にも重なったお立ち台のような場所。周囲には、赤の花弁を広げた花。「竜灯花」が段ごとにお立ち台を囲み、花壇のように彩っている。広さはぎゅうぎゅうに敷き詰めれば人が百人は乗れそうなほど。
「ああ、あれね。ドラゴンたちの発着場だよ」
「発着場?」
「うん、っと。ちょうど来たな」
大きな影がおれたちの頭上を過ぎた。直後おれと呈の視線の先に、緑鱗に覆われた体皮と大きな翼、長大な尾を携えたドラゴンがそのお立ち台にゆっくりと着陸した。
爬虫類のような鋭い顔立ちのドラゴンは、顔をぶるると左右に振り払うと、その姿がゆっくりと小さくなっていき、顔立ちにも変化が訪れる。そして瞬く間に灰褐色のロングヘアの少女となった。服はどこから現れたのか、豊満な胸を隠そうともしない胸開きのブラウスと丈の短いスカートを履いている。
この光景を見て、呈が「わぁ」と関心するように声をあげた。
「竜翼通りは人通りが激しいだろ。ドラゴンが竜の姿になっても安全に発着陸できるように整えられた場所なんだよ」
「じゃあ、あの花はその目印?」
「お、やるね呈。その通り」
「えへへ」
照れたように頬を染める呈。かわいい。
「目印に加えて、ドラゴンが勢いよく発着陸しないためでもあるんだよ。綺麗なものは散らしたくないだろ?」
「あ、ホントだ。さっきの着陸で一枚も花びらが散ってない」
竜状態のドラゴンはなかなかきつい印象を与えてくるけども、中身はあのとおり少女と変わらない。綺麗な花を散らせたいものは誰もいないだろう。
「まぁ、もう一つ理由があるんだけど、それはあとになればわかるから。言わないでおくよ」
「?」
夜になればいやでも察しがつくだろうし、楽しみは取っておいてあげよう。
「それで親の場所はわかる?」
「うん。魔力が感知できる範囲に近づいたみたい」
竜翼通りの「ワームの口づけ像」を過ぎて路地裏に入り少し歩いたところにある「竜の寝床横丁」までおれたちは歩いてきた。
二階以上の建物ばかりに加え、細く入り組んだ路地のため薄暗い。そのうえ竜の魔力が霧になるほど濃く具現しており、外の竜翼通りとは一変した雰囲気を放っていた。
「なんだか竜翼通りと全然違うね」
「ここは竜の寝床横丁だな。寝床という名の通り、そういう店が多いんだよ。おれは来たことないけど」
周囲にあるのは宿屋やら酒場、そして娼館など夜を表すような店ばかり。視界にどれか一つは入るほどの頻度で点在している。
「わ、わわっ、スワロー」
慌てたように声を漏らす呈の視線の先には男と魔物娘が交わっていた。壁を背に立つ男が、宙に浮いたワイバーンに跨られて抑え込まれている。忘我の表情を浮かべて二人とも情事に耽っていた。嬌声がこっちまで響いてくる。
「まぁまぁよくある光景だよ。呈の国じゃ珍しいの?」
魔物娘なのにこうも照れるというのは珍しい。
「ジ、ジパングじゃ、「奥ゆかしく慎ましやかに、しかして夜は艶やかに」という大和撫子が求められるから、こんな人が来るかもしれないところでしたりしないよ……」
「奥ゆかしい? 慎ましやか?」
天の柱に単身登ろうとしておいて? ヤマトナデシコとやらは随分と豪胆な者のことを指す言葉らしい。
「そ、その疑いの目はなんなの。ぼ、ぼくはまだ大和撫子になるための修行中なのっ!」
なるほど、その道はこのドラゴニアの霊峰並に険しそうだ。
「うう……」
この暗がりでもわかるほどに顔が真っ赤だ。怒っているから、ではないみたいだ。ワイバーンと男性の情事がまだ気になるらしい。耳まで赤く染め、てないな。あれ。これ、耳?
情事に気になりすぎて隙だらけな呈のソレに指を伸ばしてみた。絹糸のようなさらりとした銀髪の隙間から伸びる、先の尖った白いモノに。
ギュッ。
「ひゃんッ!?」
甲高い悲鳴。呈の白蛇の尾がぶぅんと振り回され、おれの身体に巻き付く。条件反射レベルの速さ。全く回避動作に移れなかった。
「す、スワロ〜……」
顔真っ赤。涙目。恨めしそうな表情。かわいい。
「ごめんごめん。あまりに白いからなんなんだろうって思って」
おれは手を引っ込める。ギュッギュッとなにか確かめるようにおれの身体を幾度か締め付けたあと、呈はおれの身体をその蛇の尾から開放してくれた。
おれが握った呈のソレ。耳らしき部位が白かった。銀髪に紛れて一瞬区別がつかなくなるほどに。色白な肌よりもさらに真っ白だ。
「ああ、耳のこと? ぼくの耳、生まれつきこうなんだ……変じゃない?」
「別に変じゃないよ」
ということは他の白蛇はそうでもないのか。まぁドラゴン、ワイバーンのみならず全身青肌のデーモンなどもいるこの国で、耳が白いくらいで違和感を覚えたりはしない。
「……良かったぁ」
だからそんなに気にしなくてもいいのにな。
「お」
路地の突き当たり。ちょうど宿屋があるところの入口目の前に、隣にいる呈と同じ髪色をしたロングヘアの女性がいた。それに呈のとよく似た白を基調とした和装を着ている。下半身は呈と同じ白蛇。隣にはその夫らしき黒髪の男性もいた。
「呈、あれ?」
「あ、お父さん、お母さん!」
駆ける呈。駆けるといっても下半身は蛇だから這い駆けるというべきかな。
無事、呈と両親を合流させることができたようだ。
軽い自己紹介と事情だけ説明して、おれはそろそろと退散するつもりだった。午後の予定は全部、天の柱を登る予定だったから失敗したいま暇なのだけれど、それならそれでやることはたくさんあったからだ。
が。どうも変な話になってきたぞ。
「と、いうわけで私たちがドラゴニアに滞在する数日間、娘をお願いできないでしょうか?」
もじもじとしながら俯く呈の横で、彼女の両親がにこにこ顔でそう頼み込んでくる。
いやいやいや。家族旅行でしょ。なんでそうなるんだ。部外者のおれが、しかも出会って数時間のおれが一人娘を預かるなんて。
「スワローくんはこの国にとても詳しいようですし、年頃の近いあなたとなら呈もきっとよく楽しめると思うんです。それに呈もあなたのこと気に入っているみたいですし」
「ガイドさんが必要なら観光案内所がありますけど」
「あら? ガイドじゃなくてあなたが必要なんですよ」
呈をそのまま大きく、さらに水のような澄んだ雰囲気を纏わせた呈の母は、微笑みながら言う。が、目は獰猛な獲物を狙う蛇の瞳そのもの。
「……あー」
ガイドは何度か装備品購入のためにやったことあるけど、全部既婚者に限定していたんだよなぁ。
ていうか、この人たちガイドつけてないよね。あれか。この人らもしかして自分たちがくんずほぐれず二人っきりで愉しみたいだけか。
「きちんとお礼はしますよ。そうですねぇ、何がよろしいかしら」
視線を呈の母は彷徨わせ、ゆっくりと呈の方へと向ける。そして、にたりと笑んで意味ありげな視線をおれに送ってきた。
「っ、よ、用事あるんでおれはこれで失礼します」
これ以上ここにいたらまずい。そう思って、踵を返したときだ。
「駄目じゃないか、男たるものが女に背を向け、逃げ出すなど」
汗がどっと吹き出る。
竜の寝床横丁は薄暗い。陽の光はほとんど入らず、魔力や店看板の仄かな明かりのみ。
そして目の前の長身の女性は艶のある豪奢な外套に身を包んでいる。しかし、彼女は赤く猛ていた。
紅い竜。王冠のような黒い角と側頭部と首下を覆う紅緋の龍鱗。目の下には猛る炎の紋様が刻まれ、勇ましい笑みを浮かべている。外套の下には彼女の豊満な身体を覆うように、炎のドレスと身を包み、周囲の光を紅く塗りつぶすほどに煌々と照っている。外套の下に覗ける竜の腕と脚。翼がないのはおそらく外套を着るために部分変化しているのだろう。
翼を隠し、外套で身を包んでいるものの、誰だか丸分かり。ドラゴニア国民でわからないものなど誰ひとりとしていないお方だ。
なにやってんすか、デオノーラさま。
外套下に紙袋隠してなにやってんすか。
レッドドラゴン・赤竜女王・デオノーラ。竜皇国ドラゴニア、その女王さまである。
「男たるもの女に背を向けるのは守るときのみと知れ」
威圧感をびしびしと放ってくるんだけども、なんなのこの状況。
「貴様も男だろう。ならば、勇猛と立ち向かえ」
「ええっと、デオノ――」
「回れぇ右ッ!」
一際外套下の炎が大きく盛り、怒号が響いた。おれの身体はあまりの圧に強制的に言葉通りに振り返ってしまう。目の前には、もじもじと俯いたままの呈がいた。
「そして、東国より来た盟友龍泉に連なる子の巫女よ。そなたも他者に頼るのではなく、己が力で気持ちを伝えろ。ジパングに住まうヤマトナデシコたちのようになりたければな」
女王の言葉に、呈の身体がぴたりと止まる。そして、ゆっくりと顔をあげた。
繊細で儚げだった少女の白麗のような顔立ちに、ゆっくりと芯の強さが加わっていく。胸元で組む手にぎゅっと力が加えられた。
唇の端がぐっと締まって、しかしゆっくりと開いて、言葉が紡がれた。
「スワロー。ぼくと一緒にドラゴニアをまわって欲しい。ぼくは君と一緒にいたい」
「……」
前門の蛇。後門の竜。逃げ場などなく。
しかし、こうやって全力で求めてきてくれている呈を前に、逃げ出すという選択肢がもはや浮かぶはずもなく。
「おれでよろしければ。ヤマトナデシコ・呈」
おれは、呈の胸元で握られた手をゆっくりとほぐし、その手の甲にキスを落とした。
うん、かっこつけた。気障すぎた。
呈の顔……真っ赤でふらふらしてる。まぁ間違いではなかったみたいだ。
「娘を後押しするお言葉ありがとうございました。ただならぬ魔力……とても高名な方とお見受けします。よろしければお名前を伺っても」
「なに。単なるお節介焼きなだけだ、名乗る程でもない」
「いや誰って、デオノ――」
「ではさらばだッ!」
まるで脱兎のごとく。踵を返したデオノーラさまは路地裏へと消え去ってしまった。
本当に何の用があってここに来ていたんだろう。紙袋からトリコロミールの包みが見えたような。
いや気のせいだな。ありえない。一国の女王がまさかお忍びで城下町に降りるなんてまさかまさかそんなそんな。ましてやトリコロミールに行くなんてまさかまさかそんなそんな。
「スワロー」
デオノーラさまの消えた方を見ていたおれの頭を、呈が鷲掴みにして、自分の方へと向ける。こつんとおれの額に自分の額を当ててきて、唇が触れそうになるくらい接近した。
その瞬間、おれの頭はデオノーラさまのことなどどうでもよくなる。
「今日からよろしくね」
「あ、ああ。よろしく、呈」
こうしておれと呈はしばらくの間、行動を共にする運びとなった。
まぁ「しばらくの間」という言葉はしばらくすれば外れるだろうけど。
おれだって、そこまで鈍感じゃない。
魔物娘たちの住まう国で暮らしているのだから察しはつく。
でも、いましか楽しめないその「しばらく」を、呈と楽しもう。
16/12/18 21:17更新 / ヤンデレラ
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