前編《這い寄る》
―1―
「よっと……」
落とし穴の罠を浮遊魔法でかわす。
「ふぅ、これで五回目だな。芸がない」
俺はため息をついて地面に着地した。光魔法で照らした周りを見渡す。縦に広がった一本道。取りあえず、これ以上の罠はないようだ。
俺はとある砂漠地帯の遺跡に来ていた。地上からはそれほど大きくはないピラミッドに見えたが、中はかなり深く広い。ただ単なる建造物ではなく、魔術的な作用も施しているのであろう。見た目以上に広かった。
俺がこの遺跡に来たのは教団の命であった。
『勇者カーター・ランドよ。貴方には今回、遺跡の調査を行ってもらいます。西にある砂漠の中央。そこに立つピラミッド内に復活したファラオを抹殺、及び浄化をするのです』
そう。砂漠の王ファラオの調査および抹殺依頼である。
それに勇者である俺が派遣されたのだ。単身でである。一人でである。お供もなにもない。
まあ、このような遺跡には魔物化を促す罠もあるし、一人が堕ちれば続けてそいつが仲間を襲うこともある。一人の方が安全といえば安全であった。
それに遺跡として難易度はさほど高くはない。何度か魔物と対峙したが、今のところ全戦全勝。全て撃退できている。
怖いくらいに順調だった。
「しかし、いつになれば着くことやら」
砂漠まで五日、砂漠から遺跡まで二日。遺跡に侵入してからは三時間。いまだなお最深部へはたどり着けない。水やら食料やらは途中で補給し、十分に持ってきているが、これでは調査が明日にまで差し掛かるかもしれない。
幸いなのは魔物の襲撃がなりを潜めていることか。もう一時間はなにもしてこない。嵐の前の静けさといった不気味さもあったけれど、徹底的に実力差を見せての撃退だから下手なことはしてこないだろう。
魔物とは言え、生き物に変わりはない。無駄な殺生はしたくないのだ。
それは教団の教えに背くことではあるが、俺には俺の信条がある。例え悪でも全く更生の機会も与えずに殺してしまうのは、それも悪ではないかと俺は思うのだ。いや、教団が悪と言いたいわけではない。ただ、殺してしまえばいいという簡単な道に走ってしまうのは、よくない
と言いたいだけだ。
なのであまり魔物の襲撃は勘弁願いたい。余裕がなくなれば、手加減できなくなる。生かすことができなくなる。だから出てきてくれるな。
「ファラオも、降伏してくれればいいんだけどな」
人間を傷つけないと誓ってくれれば、こちらも武力に訴えなくて済む。平和的に解決できるのなら、それに越したことはない。砂漠の王が話のわかるやつであることを切に願う。
罠はなおも続いた。火攻め水攻め刃物攻め落とし穴。などなど。魔物の襲撃こそないものの、罠の頻度や巧妙さは明らかに上がっており、奥深くへとかなり来ていることがわかる。
それに遺跡の造りが明らかに変わってきていた。
最初は粗雑な石造りの壁であったが、今はツルツルのよく磨かれた壁へと変わってきている。それに広場的なものも多くなってきており、小部屋がいくつもあった。驚いたのはそこには生活臭があったこと。魔物たちはここで生活をしているのだ。
俺は恐らく居住区であろうその区域を抜ける。すると内装は明らかに変わった。
土埃は一切ない。壁や床、天井にいたるまで清掃が行き渡っており、光の反射が眩しかった。顔を近づければそれに映るほどだ。しかも、豪奢な装飾が至るところになされている。
王の間が近いのかもしれない。
巨人も歩けそうな道を進む。そして突き当たりにあったのは巨大な扉だった。
重々しい鋼鉄の、きらびやかな金銀と宝石で装飾された扉。そして、その扉から漏れ出す濃い魔力の混じった空気。
間違いない。ここに砂漠の王ファラオがいる。
俺は扉の前に立つ。扉を開けようと手を伸ばすが、扉は俺が触れる前に独りでに内へ開いた。
ゴゴゴと重々しい音ともに眼前に広がるのは暗黒。真っ暗闇の世界。
俺は光魔法で足元を照らしながら、一歩踏み出す。
その瞬間だった。
「ようこそ、僕の王国へ」
よく通る女の声。
同時に、暗黒の世界に光が灯った。あらゆる場所に設置されていたランプに火とよりも強い光を放つものが灯り、全てを照らし出したのである。
そこは玉座であった。
入り口から赤絨毯が伸び、向こうの階段を経て玉座まである。天井は巨人も軽々立てそうなほどに高く、壁や天井を支える支柱には色々な細工が施され、玉座として相応しいと言える内装であった。目が眩むほど。
しかし、俺の目をもっとも眩ましたのは玉座に座っているその人。
女。見目麗しい絶世の美女。思わず跪きたくなるほど、名状しがたい妖艶な女。
変わったうねりのある王冠を被り、金と青の斑模様の髪留めをつけている。髪は腰ほどまでの長い黒髪で、前髪はまっすぐに切り揃えられ、赤い瞳が妖しく光っていた。金と青の斑模様の首飾りとネクタイに、黒の水着のような下着を着て、褐色の肌を大きく晒している。腕にはコブラが巻き付いた腕輪があり手には杖が握られていた。足は太股あたりから包帯を巻き付け、くるぶし辺りで装飾で留められている。
これが王。絶対の王。全ての頂点に立つ女王だった。
「あ、くっ」
俺は動けなかった。女王を見て、見たまま動けなかった。
あまりに美しく、そして風格あるその雰囲気に俺は飲み込まれ、動けなかった。これ以上前に進めば、俺が俺でなくなる。そんなことが頭によぎった。
女王は俺を認めると、口の端を軽く引いて笑う。
「どうしたんだい。そんなところで突っ立てないでこっちに来るといい。ほら、《こっちに来なよ》」
その言葉を聞いた瞬間、俺は女王の前に行かなければならないという衝動に駆られた。
それを撥ね付けることができなかった。
俺は玉座前の階段手前まで行く。
女王は満足げに微笑んだ。
「やあ、よく来たね。《楽にするといいよ》」
女王の声に身体に入っていた無理な力が抜けて楽になる。思わず倒れそうになるのを足に力を入れて立ち直した。
「ふふ、艱難辛苦、あらゆる罠を潜り抜けここにたどり着いた君を、僕は歓迎するよ。僕はナイア。この遺跡の王ファラオのナイア・ルアトだ。ナイアと呼んでおくれ。さて、君の名前はなんていうのかな」
「っ……」
喉が詰まる。全身に汗が吹き出る。威圧感のあるしゃべり方じゃない。すごく親しげな、砕けた感じなのに。なのに軽々しく話すのが躊躇われた。
「ああ、そんな固くならないでくれよ。君は客分だ。いや、侵入者か。でも侵略者ではない。君は僕の兵士たちを必要以上に傷つけなかったからね。だから君は客分さ。愛すべき隣人だ」
「……」
「だからね、僕は君を歓迎するのさ。ここまで人がたどり着けるのさえ稀だというのに、しかも誰一人傷つけずにここにたどり着いた。君はすごいよ。誇ってもいい。ゆえに僕の――となる資格がある」
「……えっ?」
「いやいやなんでもないよ。それで、君の名前はなんていうのかな?僕に教えてくれないかい」
何を言ったのか気にはなったが、聞き直す余裕はない。
ファラオ。ナイ、アさま……ないある、らと、……ナイア。ナイアの質問に答えるので精一杯だった。
「カーター。カーター・ランドだ」
「カーターか。ふふ良い名だ。勇者に相応しい名だよ。それに何故か僕とも相性が良さそうだ」
「…………」
聞き逃せない、重要なことをナイアは言った気がする。なのに、このときの俺は気づけなかった。いや、今後気づくことはなく、意識の奥底で疑問がくすぶり続けるだけだなのだろう。
「さて。カーター」
ナイアは艶かしい脚を組んで、杖でトントンと絨毯を叩く。
「君は客分だが、同時に侵入者でもある。僕としては精一杯君をもてなすのもやぶさかではないが、それも君の目的次第なんだ。君がここへ来たのはなにが目的なのかな」
「っ」
威圧などない。ナイアはなにもしていない。ただ俺が勝手に圧倒されているだけだ。彼女の持ち合わせる風格に。
俺の目的を伝えなくてはいけないことを恐れているのだ。
そんな俺に気づいてか、ナイアは少し困ったように微笑む。
「ああ、心配ないでおくれよ。別に君を取って食おうってわけじゃないさ。どんな目的があってもね。ただ君が実行に移すかが問題なだけだよ」
「……俺はあんたの抹殺する命を受けてここにきた」
「ふぅん」
ファラオは顎に手を当てる。笑みは崩れていなかった。
「なるほどね。僕の抹殺依頼か。うんうん、それはたまげたね。びっくりだ」
さしてびっくりしていないようにも見えるが。
「そっかぁ。じゃあ、君はその腰にかけた剣で僕を切り捨てるのかな。袈裟に切るのかな。それとも首を落とすのかな。ああ、心臓を一突きかもしれないねぇ」
「……」
何故笑っていられる。殺されるかもしれないとわかっていながら、何故笑っていられる。
「それで君はどうするんだい。僕を今ここで殺すのかな」
「……いや、俺は殺す気はない」
「おや、そうなのかい?教団の命なんだろう?それに逆らうのかい」
「無闇に生きている者を殺したくはないんだ。人だろうと魔物だろうと同じだ」
「へー、いやはやご立派。ご立派だよ、カーター。君は自分の意思を持っている。ただ操られているかのように、命令に従うやつらとは違うんだね。僕は君に好感を抱くよ」
そう言われて、何故か俺は胸がギュッと締め付けられるような感覚を覚えた。どうしてか『嬉しい』と思ってしまったのだ。理由はわからない。それに、その感覚も風が吹き抜けるがごとく一瞬のことだった。
「……だが、人を食らうお前たちを放っておくわけにもいかない。お前たちが人に危害を加えないと約束するのなら、俺はこのまま大人しく帰るとしよう」
「人を食らう?」
「ん?」
ナイアが目をぱちくりとさせ、小首を傾げる。
「それは性的な意味でかい?」
「せい、えっ?せいてき?意味がわからないが。……とにかくお前たちは人間の肉を食らうのだろう。俺はお前たちに人を襲ってほしくないから、ここに来た。強大な力を持つお前と話をつけるためにな」
「…………」
ナイアが押し黙る。何故だ。俺は変なことを言っただろうか。
「……あは」
堰を切ったように、口から声が漏れると、
「アハハハハハハハハハハッ!アハハハ、アハアハハハハ!ひぃひぃ、ふふふ、ひひ、アハハハッ!」
腹を抱えて、杖を落として、膝掛けをバンバン叩いて、ナイアは笑う。爆笑する。豪快に、この部屋全体に響き渡るほどに。
俺は変なことを言っただろうか。わからない。
「ハハハ、ハハハハハハ、あー、笑った笑った。アハハハ、面白かった。うん、眠りから目覚めてから一番の面白いことだったよ。ふふふ。そうかそうか。そうだね、教団はそう教えているんだったね」
「なにを言っている」
「僕たちが人を食べるってことさ」
「食べないのか?」
「ある方面からは食べるかな」
「やはり食べるのか」
「カーターが想像しているのとは違うのは間違いないね」
「じゃあ、なんだって言うんだ」
「口で言うよりも直接見てもらった方が良いかもしれないね」
ナイアはパンっと手を叩き立ち上がると、落とした杖を拾い、玉座を下りた。
ナイアが俺の前まで来る。背は頭半分ほど低い。
だから。
跪かないと。ナイア様を見下ろしてはいけない。彼女は俺の王なのだから。俺の上に立つ愛おしい女王なのだから。
「っ!?」
なんだ?いま俺はなにを考えた。王?俺の王?なんだ、わけがわからない。なにを考えていたんだ俺は。
「さあ、行こうか。君に僕の王国を見てもらうとしよう」
――そして、僕をね。
俺の心を知ってか知らずか、ナイアは艶かしく笑う。優雅に、腕と腰に繋がった紫色の薄地の布を翻す。虚ろになりつつある俺を翻弄するように。
―2―
ナイアに連れて行かれたのは先程の居住区と思われたところだった。天井が高くいくつも部屋がある場所。しかし、先程訪れたときとは丸っきり様相を異にしていた。光に照らされていたのだ。まるで太陽の下にあるかのように。
そして、
「さっきは誰もいなかったはずだ」
そう。人がいたのだ。そう。人。魔物も人もどちらもいたのだ。
人。マミー。人。ギルタブリル。人。スフィンクス。人。アヌビス。などなど。
数など数えきれない。ただ、一つの町くらいの数はいる。間違いない。それくらいの人数がここで生活している。
「君が通りすぎるまでは隠れてもらっていたのさ。彼らは単なる民衆。兵士ではないからね」
「アヌビスたちもか」
スフィンクスやアヌビスは遺跡を警護していると聞いたことがあるが、違うのか。
「ふふ、そうだよ。国政に携わってはいるが兵士ではないんだ。ここにいる皆はね」
さて行こうか、とナイアは居住区の中へと入っていく。
さすがは王様ということなのだろう。人々とすれ違う度に頭を下げられていた。だけど、俺の思っているような王と民衆の接し方と異なっていた。
「ファラオ様ー、今日やっと子供ができたんですよー」
「そうなのかい!?それはめでたいね。よし、あとでお祝いしようっ!」
「王様。旦那がやっとインキュバスになりましたにゃ!」
「あはは、三日間跨がり続けた甲斐あったね。腰は大丈夫かい?」
「マミさんと一緒に包帯グルグル巻きプレイ、四日目突入しました」
「肌触れ合いまくりだから、マミさんイキまくってるじゃないか。白目に舌だしのアへ顔。はしたないなぁ……いいよ!もっとやりたまえ!」
「ナイア様、夫が呪いで罰を与えても、なかなか言う通りに動いてくれません」
「それはあれだね。呪いかけられるのが好きになっちゃったんだよ。いっそのこと呪いかけての放置プレイっていうのはどうだい?……って、君が我慢できそうにないね」
などなどなどなど。
王であるナイアに対して、軽く、まるで友人にでも接するかのようにしてここのものたちは話しかけていた。そして、ファラオもそう接していた。
なにより、驚いたのはその中に魔物だけではなく人間も混じっていたことだ。魔物は人間を食い殺す存在のはず。ならば何故、ここにいる人たちはこんなにも魔物に対して恐れを抱いていないのだ。
居住区の真ん中辺り。広場のような場所へ到着した。この町はほとんど人間の町と変わらない。人家だけでなく物を売り買いする店もあるようなのだ。
広場の真ん中。水が噴き出てアーチを作っている、噴水のところまで行く。その噴水の縁に、ナイアは腰掛けた。
ポンポンとナイアは隣を手で叩く。座れ、という意味だろう。
しかし、良いのか。王と対等の位置へ座って。ナイア。ナイア様の隣に座ってしまって。無礼ではないのか。
っ。……俺はナイアから少し離れた位置で座った。
ズイッ。
距離を詰められた。肩が、太股が触れあうくらいに。
離れることはできなかった。そうすることは無礼なように思えたのだ。
「さて、カーター。町を少し回ってみたわけだけど。どうかな、なにかわかったかい?」
「平和な場所、ということはわかった。人間も魔物も対等に暮らせている」
「そうだね。そうだ。対等だよ、人と魔物娘は」
「だが、なにか違和感を感じるんだ。彼らの関係がよくわからない」
「鈍ちんだなぁ、カーターは」
あはは、と笑うナイア。
「彼らはね。あらゆる意味で対等なのさ。種族にしても力にしても。そして、夫婦としても、ね」
「夫婦?どういうことだ」
「やっぱり気づいてないんだね。そのままの意味さ。彼らは皆夫婦なのさ」
夫婦?夫と妻。男と女。人と魔物娘。その夫婦?
「魔物に人間の夫だと?」
そんなことありえるのか。
「教団は嘘を教えているのさ。魔物娘は人間を襲う、食らう、殺す、辱しめる、なんて言ってね。まあ、確かに襲うことはあるけども。魔物娘は人間を殺したりは絶対にしないよ」
「教団が嘘を、そんな馬鹿な……何故そんなことが言い切れる」
「だからここが証拠さ。僕のこの国がね。それでも嘘だと思うのなら、教団から危険視されている町に行くといい。たいていそこは親魔物領だから、人と魔物娘が仲良く暮らしているはずだよ」
「……………………」
嘘を言っている風ではなかった。王の威厳そのまま自信がたっぷりだった。
それに俺には王を、ナイア様を疑う権利を持たない。ナイア様は絶対。ナイア様は俺の全てなのだから。
……俺は今なにを考えていた。なにかがおかしい。少し、頭がクラクラする。疲れはじめてきたか。
「だが、何故、魔物は人間と仲良くする。いや、夫にする必要があるのか?」
「ふふ、あるさ。だって魔物娘は人の男なしでは生きていけないからね」
「?」
艶やかに、息を若干荒くして、ナイアは俺の耳元で囁く。
「魔物娘はね。人の男の精を食べるのさ」
「っ…………精とは」
「そのままだよ。精液。精子。ザーメン。オチンポ汁。白濁汁。孕ませ子種汁。ふふ、どういう言い方が興奮するかな?」
「っ!?」
なんだ、この感覚は。背筋がゾクゾクする。言い様のない興奮が訪れる。
「魔物娘はね。男の精液なしでは生きていけないんだよ。そして、男のことが大好きなんだ。食事の意味としてじゃない。存在そのものが好きで好きで堪らなくて、愛してるのさ。その中でさらに気に入った人を、みんな夫にしているんだよ」
「じゃあ、食らうというのは」
「性的に。精液を食らうという意味だね」
……………………。
「はは、顔真っ赤にしちゃって。カーターはウブだなぁ。なんだいなんだい、セックスはしたことないのかい?このこのう」
ぐいぐいと肘で俺をついてくるナイア。
やることは王らしくない。
……でも、何故だ。こうされることが心地いい。
「……そんなはしたないこと」
「はしたないことかい?君も生まれてこれたのはご両親のセックスがあってのことだよ。ごくごく自然の営みさ」
だけれども、恥ずかしいのだ。そんな、セックスだとか精液だとか、卑猥な。
俺はナイアから顔を逸らす。彼女を見るのが恥ずかしかった。いや、恥ずかしいだけじゃない。ナイアを見ているとなんだかおかしくなるのだ。俺が、俺じゃなくなるような。俺じゃないなにかが大きくなっていくかのような。
「なんだいなんだい。そっぽ向いちゃってさ。僕は寂しいぞぅ」
ギュッ。
「っ!?」
ナイアがいきなり俺の腕に抱きついてくる。む、むむむ、胸が胸に胸の、腕が胸に挟まってててっ!
「っ、っ、っ、っ、っ、っ!」
引き離そうと俺は立ち上がろうとするが、ナイアの力は見かけによらず強いらしい。無理矢理引っ張られて、俺の身体のバランスが崩れた。
「く!」
「あっは、押し倒されちゃった」
ナイアの顔が、褐色に蕩けたナイアの顔が目の前に広がる。
……ナイアを、ナイア様を押し倒してしまった。なんてことだ。我らが王を押し倒してしまうなんて、なんて失礼なことを。しかし、なんだ。興奮、してしまう。こんなに、唇と唇が触れあう距離にいることが何故こうも気持ちいいのだろう。ああ、ナイア様ナイア様ナイア様。俺はナイア様の奴隷だ。ナイア様の下僕だ。ああ、ナイア様。ナイ、
「っ!?す、すまないっ」
俺は慌ててナイアから離れる。
一歩二歩と引いて、俺は頭を抱えた。なんだ、俺は今なにを考えていた。なにを考えていたんだ。くっ、思い出せない。なにか、妙なことを考えて。
「あーあ、別にこのままでもよかったのになぁ」
「……ナイア。君は王だろう。俺みたいなやつと触れあうべきでない」
「そう卑下するもんじゃないよ、カーター。言っただろう?僕は君に好感を持っているのさ。だからね、裸の付き合いをするのもやぶさかじゃないよ。鎧越しは気持ちよくないしね」
………………!?
「はだ、裸!?ななななっ!」
「ははっ、真っ赤っかに慌てちゃって。君と話すのは愉しいねぇ。愉快愉快。しかし、されとて。そろそろ戻ろないとね。ビスタがうるさいから」
そう言ってナイアは、俺の煩悶を無視して王宮へと歩いていく。
言い様のない気持ちを抱えて、俺は彼女の後をついていった。
「よっと……」
落とし穴の罠を浮遊魔法でかわす。
「ふぅ、これで五回目だな。芸がない」
俺はため息をついて地面に着地した。光魔法で照らした周りを見渡す。縦に広がった一本道。取りあえず、これ以上の罠はないようだ。
俺はとある砂漠地帯の遺跡に来ていた。地上からはそれほど大きくはないピラミッドに見えたが、中はかなり深く広い。ただ単なる建造物ではなく、魔術的な作用も施しているのであろう。見た目以上に広かった。
俺がこの遺跡に来たのは教団の命であった。
『勇者カーター・ランドよ。貴方には今回、遺跡の調査を行ってもらいます。西にある砂漠の中央。そこに立つピラミッド内に復活したファラオを抹殺、及び浄化をするのです』
そう。砂漠の王ファラオの調査および抹殺依頼である。
それに勇者である俺が派遣されたのだ。単身でである。一人でである。お供もなにもない。
まあ、このような遺跡には魔物化を促す罠もあるし、一人が堕ちれば続けてそいつが仲間を襲うこともある。一人の方が安全といえば安全であった。
それに遺跡として難易度はさほど高くはない。何度か魔物と対峙したが、今のところ全戦全勝。全て撃退できている。
怖いくらいに順調だった。
「しかし、いつになれば着くことやら」
砂漠まで五日、砂漠から遺跡まで二日。遺跡に侵入してからは三時間。いまだなお最深部へはたどり着けない。水やら食料やらは途中で補給し、十分に持ってきているが、これでは調査が明日にまで差し掛かるかもしれない。
幸いなのは魔物の襲撃がなりを潜めていることか。もう一時間はなにもしてこない。嵐の前の静けさといった不気味さもあったけれど、徹底的に実力差を見せての撃退だから下手なことはしてこないだろう。
魔物とは言え、生き物に変わりはない。無駄な殺生はしたくないのだ。
それは教団の教えに背くことではあるが、俺には俺の信条がある。例え悪でも全く更生の機会も与えずに殺してしまうのは、それも悪ではないかと俺は思うのだ。いや、教団が悪と言いたいわけではない。ただ、殺してしまえばいいという簡単な道に走ってしまうのは、よくない
と言いたいだけだ。
なのであまり魔物の襲撃は勘弁願いたい。余裕がなくなれば、手加減できなくなる。生かすことができなくなる。だから出てきてくれるな。
「ファラオも、降伏してくれればいいんだけどな」
人間を傷つけないと誓ってくれれば、こちらも武力に訴えなくて済む。平和的に解決できるのなら、それに越したことはない。砂漠の王が話のわかるやつであることを切に願う。
罠はなおも続いた。火攻め水攻め刃物攻め落とし穴。などなど。魔物の襲撃こそないものの、罠の頻度や巧妙さは明らかに上がっており、奥深くへとかなり来ていることがわかる。
それに遺跡の造りが明らかに変わってきていた。
最初は粗雑な石造りの壁であったが、今はツルツルのよく磨かれた壁へと変わってきている。それに広場的なものも多くなってきており、小部屋がいくつもあった。驚いたのはそこには生活臭があったこと。魔物たちはここで生活をしているのだ。
俺は恐らく居住区であろうその区域を抜ける。すると内装は明らかに変わった。
土埃は一切ない。壁や床、天井にいたるまで清掃が行き渡っており、光の反射が眩しかった。顔を近づければそれに映るほどだ。しかも、豪奢な装飾が至るところになされている。
王の間が近いのかもしれない。
巨人も歩けそうな道を進む。そして突き当たりにあったのは巨大な扉だった。
重々しい鋼鉄の、きらびやかな金銀と宝石で装飾された扉。そして、その扉から漏れ出す濃い魔力の混じった空気。
間違いない。ここに砂漠の王ファラオがいる。
俺は扉の前に立つ。扉を開けようと手を伸ばすが、扉は俺が触れる前に独りでに内へ開いた。
ゴゴゴと重々しい音ともに眼前に広がるのは暗黒。真っ暗闇の世界。
俺は光魔法で足元を照らしながら、一歩踏み出す。
その瞬間だった。
「ようこそ、僕の王国へ」
よく通る女の声。
同時に、暗黒の世界に光が灯った。あらゆる場所に設置されていたランプに火とよりも強い光を放つものが灯り、全てを照らし出したのである。
そこは玉座であった。
入り口から赤絨毯が伸び、向こうの階段を経て玉座まである。天井は巨人も軽々立てそうなほどに高く、壁や天井を支える支柱には色々な細工が施され、玉座として相応しいと言える内装であった。目が眩むほど。
しかし、俺の目をもっとも眩ましたのは玉座に座っているその人。
女。見目麗しい絶世の美女。思わず跪きたくなるほど、名状しがたい妖艶な女。
変わったうねりのある王冠を被り、金と青の斑模様の髪留めをつけている。髪は腰ほどまでの長い黒髪で、前髪はまっすぐに切り揃えられ、赤い瞳が妖しく光っていた。金と青の斑模様の首飾りとネクタイに、黒の水着のような下着を着て、褐色の肌を大きく晒している。腕にはコブラが巻き付いた腕輪があり手には杖が握られていた。足は太股あたりから包帯を巻き付け、くるぶし辺りで装飾で留められている。
これが王。絶対の王。全ての頂点に立つ女王だった。
「あ、くっ」
俺は動けなかった。女王を見て、見たまま動けなかった。
あまりに美しく、そして風格あるその雰囲気に俺は飲み込まれ、動けなかった。これ以上前に進めば、俺が俺でなくなる。そんなことが頭によぎった。
女王は俺を認めると、口の端を軽く引いて笑う。
「どうしたんだい。そんなところで突っ立てないでこっちに来るといい。ほら、《こっちに来なよ》」
その言葉を聞いた瞬間、俺は女王の前に行かなければならないという衝動に駆られた。
それを撥ね付けることができなかった。
俺は玉座前の階段手前まで行く。
女王は満足げに微笑んだ。
「やあ、よく来たね。《楽にするといいよ》」
女王の声に身体に入っていた無理な力が抜けて楽になる。思わず倒れそうになるのを足に力を入れて立ち直した。
「ふふ、艱難辛苦、あらゆる罠を潜り抜けここにたどり着いた君を、僕は歓迎するよ。僕はナイア。この遺跡の王ファラオのナイア・ルアトだ。ナイアと呼んでおくれ。さて、君の名前はなんていうのかな」
「っ……」
喉が詰まる。全身に汗が吹き出る。威圧感のあるしゃべり方じゃない。すごく親しげな、砕けた感じなのに。なのに軽々しく話すのが躊躇われた。
「ああ、そんな固くならないでくれよ。君は客分だ。いや、侵入者か。でも侵略者ではない。君は僕の兵士たちを必要以上に傷つけなかったからね。だから君は客分さ。愛すべき隣人だ」
「……」
「だからね、僕は君を歓迎するのさ。ここまで人がたどり着けるのさえ稀だというのに、しかも誰一人傷つけずにここにたどり着いた。君はすごいよ。誇ってもいい。ゆえに僕の――となる資格がある」
「……えっ?」
「いやいやなんでもないよ。それで、君の名前はなんていうのかな?僕に教えてくれないかい」
何を言ったのか気にはなったが、聞き直す余裕はない。
ファラオ。ナイ、アさま……ないある、らと、……ナイア。ナイアの質問に答えるので精一杯だった。
「カーター。カーター・ランドだ」
「カーターか。ふふ良い名だ。勇者に相応しい名だよ。それに何故か僕とも相性が良さそうだ」
「…………」
聞き逃せない、重要なことをナイアは言った気がする。なのに、このときの俺は気づけなかった。いや、今後気づくことはなく、意識の奥底で疑問がくすぶり続けるだけだなのだろう。
「さて。カーター」
ナイアは艶かしい脚を組んで、杖でトントンと絨毯を叩く。
「君は客分だが、同時に侵入者でもある。僕としては精一杯君をもてなすのもやぶさかではないが、それも君の目的次第なんだ。君がここへ来たのはなにが目的なのかな」
「っ」
威圧などない。ナイアはなにもしていない。ただ俺が勝手に圧倒されているだけだ。彼女の持ち合わせる風格に。
俺の目的を伝えなくてはいけないことを恐れているのだ。
そんな俺に気づいてか、ナイアは少し困ったように微笑む。
「ああ、心配ないでおくれよ。別に君を取って食おうってわけじゃないさ。どんな目的があってもね。ただ君が実行に移すかが問題なだけだよ」
「……俺はあんたの抹殺する命を受けてここにきた」
「ふぅん」
ファラオは顎に手を当てる。笑みは崩れていなかった。
「なるほどね。僕の抹殺依頼か。うんうん、それはたまげたね。びっくりだ」
さしてびっくりしていないようにも見えるが。
「そっかぁ。じゃあ、君はその腰にかけた剣で僕を切り捨てるのかな。袈裟に切るのかな。それとも首を落とすのかな。ああ、心臓を一突きかもしれないねぇ」
「……」
何故笑っていられる。殺されるかもしれないとわかっていながら、何故笑っていられる。
「それで君はどうするんだい。僕を今ここで殺すのかな」
「……いや、俺は殺す気はない」
「おや、そうなのかい?教団の命なんだろう?それに逆らうのかい」
「無闇に生きている者を殺したくはないんだ。人だろうと魔物だろうと同じだ」
「へー、いやはやご立派。ご立派だよ、カーター。君は自分の意思を持っている。ただ操られているかのように、命令に従うやつらとは違うんだね。僕は君に好感を抱くよ」
そう言われて、何故か俺は胸がギュッと締め付けられるような感覚を覚えた。どうしてか『嬉しい』と思ってしまったのだ。理由はわからない。それに、その感覚も風が吹き抜けるがごとく一瞬のことだった。
「……だが、人を食らうお前たちを放っておくわけにもいかない。お前たちが人に危害を加えないと約束するのなら、俺はこのまま大人しく帰るとしよう」
「人を食らう?」
「ん?」
ナイアが目をぱちくりとさせ、小首を傾げる。
「それは性的な意味でかい?」
「せい、えっ?せいてき?意味がわからないが。……とにかくお前たちは人間の肉を食らうのだろう。俺はお前たちに人を襲ってほしくないから、ここに来た。強大な力を持つお前と話をつけるためにな」
「…………」
ナイアが押し黙る。何故だ。俺は変なことを言っただろうか。
「……あは」
堰を切ったように、口から声が漏れると、
「アハハハハハハハハハハッ!アハハハ、アハアハハハハ!ひぃひぃ、ふふふ、ひひ、アハハハッ!」
腹を抱えて、杖を落として、膝掛けをバンバン叩いて、ナイアは笑う。爆笑する。豪快に、この部屋全体に響き渡るほどに。
俺は変なことを言っただろうか。わからない。
「ハハハ、ハハハハハハ、あー、笑った笑った。アハハハ、面白かった。うん、眠りから目覚めてから一番の面白いことだったよ。ふふふ。そうかそうか。そうだね、教団はそう教えているんだったね」
「なにを言っている」
「僕たちが人を食べるってことさ」
「食べないのか?」
「ある方面からは食べるかな」
「やはり食べるのか」
「カーターが想像しているのとは違うのは間違いないね」
「じゃあ、なんだって言うんだ」
「口で言うよりも直接見てもらった方が良いかもしれないね」
ナイアはパンっと手を叩き立ち上がると、落とした杖を拾い、玉座を下りた。
ナイアが俺の前まで来る。背は頭半分ほど低い。
だから。
跪かないと。ナイア様を見下ろしてはいけない。彼女は俺の王なのだから。俺の上に立つ愛おしい女王なのだから。
「っ!?」
なんだ?いま俺はなにを考えた。王?俺の王?なんだ、わけがわからない。なにを考えていたんだ俺は。
「さあ、行こうか。君に僕の王国を見てもらうとしよう」
――そして、僕をね。
俺の心を知ってか知らずか、ナイアは艶かしく笑う。優雅に、腕と腰に繋がった紫色の薄地の布を翻す。虚ろになりつつある俺を翻弄するように。
―2―
ナイアに連れて行かれたのは先程の居住区と思われたところだった。天井が高くいくつも部屋がある場所。しかし、先程訪れたときとは丸っきり様相を異にしていた。光に照らされていたのだ。まるで太陽の下にあるかのように。
そして、
「さっきは誰もいなかったはずだ」
そう。人がいたのだ。そう。人。魔物も人もどちらもいたのだ。
人。マミー。人。ギルタブリル。人。スフィンクス。人。アヌビス。などなど。
数など数えきれない。ただ、一つの町くらいの数はいる。間違いない。それくらいの人数がここで生活している。
「君が通りすぎるまでは隠れてもらっていたのさ。彼らは単なる民衆。兵士ではないからね」
「アヌビスたちもか」
スフィンクスやアヌビスは遺跡を警護していると聞いたことがあるが、違うのか。
「ふふ、そうだよ。国政に携わってはいるが兵士ではないんだ。ここにいる皆はね」
さて行こうか、とナイアは居住区の中へと入っていく。
さすがは王様ということなのだろう。人々とすれ違う度に頭を下げられていた。だけど、俺の思っているような王と民衆の接し方と異なっていた。
「ファラオ様ー、今日やっと子供ができたんですよー」
「そうなのかい!?それはめでたいね。よし、あとでお祝いしようっ!」
「王様。旦那がやっとインキュバスになりましたにゃ!」
「あはは、三日間跨がり続けた甲斐あったね。腰は大丈夫かい?」
「マミさんと一緒に包帯グルグル巻きプレイ、四日目突入しました」
「肌触れ合いまくりだから、マミさんイキまくってるじゃないか。白目に舌だしのアへ顔。はしたないなぁ……いいよ!もっとやりたまえ!」
「ナイア様、夫が呪いで罰を与えても、なかなか言う通りに動いてくれません」
「それはあれだね。呪いかけられるのが好きになっちゃったんだよ。いっそのこと呪いかけての放置プレイっていうのはどうだい?……って、君が我慢できそうにないね」
などなどなどなど。
王であるナイアに対して、軽く、まるで友人にでも接するかのようにしてここのものたちは話しかけていた。そして、ファラオもそう接していた。
なにより、驚いたのはその中に魔物だけではなく人間も混じっていたことだ。魔物は人間を食い殺す存在のはず。ならば何故、ここにいる人たちはこんなにも魔物に対して恐れを抱いていないのだ。
居住区の真ん中辺り。広場のような場所へ到着した。この町はほとんど人間の町と変わらない。人家だけでなく物を売り買いする店もあるようなのだ。
広場の真ん中。水が噴き出てアーチを作っている、噴水のところまで行く。その噴水の縁に、ナイアは腰掛けた。
ポンポンとナイアは隣を手で叩く。座れ、という意味だろう。
しかし、良いのか。王と対等の位置へ座って。ナイア。ナイア様の隣に座ってしまって。無礼ではないのか。
っ。……俺はナイアから少し離れた位置で座った。
ズイッ。
距離を詰められた。肩が、太股が触れあうくらいに。
離れることはできなかった。そうすることは無礼なように思えたのだ。
「さて、カーター。町を少し回ってみたわけだけど。どうかな、なにかわかったかい?」
「平和な場所、ということはわかった。人間も魔物も対等に暮らせている」
「そうだね。そうだ。対等だよ、人と魔物娘は」
「だが、なにか違和感を感じるんだ。彼らの関係がよくわからない」
「鈍ちんだなぁ、カーターは」
あはは、と笑うナイア。
「彼らはね。あらゆる意味で対等なのさ。種族にしても力にしても。そして、夫婦としても、ね」
「夫婦?どういうことだ」
「やっぱり気づいてないんだね。そのままの意味さ。彼らは皆夫婦なのさ」
夫婦?夫と妻。男と女。人と魔物娘。その夫婦?
「魔物に人間の夫だと?」
そんなことありえるのか。
「教団は嘘を教えているのさ。魔物娘は人間を襲う、食らう、殺す、辱しめる、なんて言ってね。まあ、確かに襲うことはあるけども。魔物娘は人間を殺したりは絶対にしないよ」
「教団が嘘を、そんな馬鹿な……何故そんなことが言い切れる」
「だからここが証拠さ。僕のこの国がね。それでも嘘だと思うのなら、教団から危険視されている町に行くといい。たいていそこは親魔物領だから、人と魔物娘が仲良く暮らしているはずだよ」
「……………………」
嘘を言っている風ではなかった。王の威厳そのまま自信がたっぷりだった。
それに俺には王を、ナイア様を疑う権利を持たない。ナイア様は絶対。ナイア様は俺の全てなのだから。
……俺は今なにを考えていた。なにかがおかしい。少し、頭がクラクラする。疲れはじめてきたか。
「だが、何故、魔物は人間と仲良くする。いや、夫にする必要があるのか?」
「ふふ、あるさ。だって魔物娘は人の男なしでは生きていけないからね」
「?」
艶やかに、息を若干荒くして、ナイアは俺の耳元で囁く。
「魔物娘はね。人の男の精を食べるのさ」
「っ…………精とは」
「そのままだよ。精液。精子。ザーメン。オチンポ汁。白濁汁。孕ませ子種汁。ふふ、どういう言い方が興奮するかな?」
「っ!?」
なんだ、この感覚は。背筋がゾクゾクする。言い様のない興奮が訪れる。
「魔物娘はね。男の精液なしでは生きていけないんだよ。そして、男のことが大好きなんだ。食事の意味としてじゃない。存在そのものが好きで好きで堪らなくて、愛してるのさ。その中でさらに気に入った人を、みんな夫にしているんだよ」
「じゃあ、食らうというのは」
「性的に。精液を食らうという意味だね」
……………………。
「はは、顔真っ赤にしちゃって。カーターはウブだなぁ。なんだいなんだい、セックスはしたことないのかい?このこのう」
ぐいぐいと肘で俺をついてくるナイア。
やることは王らしくない。
……でも、何故だ。こうされることが心地いい。
「……そんなはしたないこと」
「はしたないことかい?君も生まれてこれたのはご両親のセックスがあってのことだよ。ごくごく自然の営みさ」
だけれども、恥ずかしいのだ。そんな、セックスだとか精液だとか、卑猥な。
俺はナイアから顔を逸らす。彼女を見るのが恥ずかしかった。いや、恥ずかしいだけじゃない。ナイアを見ているとなんだかおかしくなるのだ。俺が、俺じゃなくなるような。俺じゃないなにかが大きくなっていくかのような。
「なんだいなんだい。そっぽ向いちゃってさ。僕は寂しいぞぅ」
ギュッ。
「っ!?」
ナイアがいきなり俺の腕に抱きついてくる。む、むむむ、胸が胸に胸の、腕が胸に挟まってててっ!
「っ、っ、っ、っ、っ、っ!」
引き離そうと俺は立ち上がろうとするが、ナイアの力は見かけによらず強いらしい。無理矢理引っ張られて、俺の身体のバランスが崩れた。
「く!」
「あっは、押し倒されちゃった」
ナイアの顔が、褐色に蕩けたナイアの顔が目の前に広がる。
……ナイアを、ナイア様を押し倒してしまった。なんてことだ。我らが王を押し倒してしまうなんて、なんて失礼なことを。しかし、なんだ。興奮、してしまう。こんなに、唇と唇が触れあう距離にいることが何故こうも気持ちいいのだろう。ああ、ナイア様ナイア様ナイア様。俺はナイア様の奴隷だ。ナイア様の下僕だ。ああ、ナイア様。ナイ、
「っ!?す、すまないっ」
俺は慌ててナイアから離れる。
一歩二歩と引いて、俺は頭を抱えた。なんだ、俺は今なにを考えていた。なにを考えていたんだ。くっ、思い出せない。なにか、妙なことを考えて。
「あーあ、別にこのままでもよかったのになぁ」
「……ナイア。君は王だろう。俺みたいなやつと触れあうべきでない」
「そう卑下するもんじゃないよ、カーター。言っただろう?僕は君に好感を持っているのさ。だからね、裸の付き合いをするのもやぶさかじゃないよ。鎧越しは気持ちよくないしね」
………………!?
「はだ、裸!?ななななっ!」
「ははっ、真っ赤っかに慌てちゃって。君と話すのは愉しいねぇ。愉快愉快。しかし、されとて。そろそろ戻ろないとね。ビスタがうるさいから」
そう言ってナイアは、俺の煩悶を無視して王宮へと歩いていく。
言い様のない気持ちを抱えて、俺は彼女の後をついていった。
13/04/04 19:23更新 / ヤンデレラ
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