中編・影は舞い降りた
〇月夜に仕掛ける
静かな夜。
生き物が皆おだやかに寝静まる夜。
サバト本拠地である城の中を、影たちが音もなく駆けていた。
滑るように走る影が扉の前で止まる。
扉に耳をあて、しばし。
他の影たちに頷くと、ハンドサインでカウントダウンを始める。
―3、2、1・・・―
音もなく扉が開き、影のひとりが部屋の中へ滑り込む。
やがて部屋から影がもどると、他の影たちに指で丸をつくって見せた。
他の影はそれに小さく頷いて返すと、また音もなく滑るように走り出す。
影たちの去った後にはただ、少女達のおだやかな寝息が聞こえるだけであった。
* * *
* *
* * *
「ルドルフ隊より伝達、
“鼻は2度輝いた”」
「了解、ダンサー隊はこれよりダッシャー隊と合流。2層へと向かい、これの援護に務めます」
通信を聞いた影達は次の行動へと移るべく移動を開始する。
しかし移動する途中、次の目標地点の手前で、別の影たちが廊下の曲がり角で立ち止まっていた。何があったか聞くより先に影たちがこちらに気付き、廊下の先を指さす。
指さす先を見ると、一人のパジャマ姿の魔女がトボトボと廊下を歩いている。
「トイレかな?」
「おそらくは」
「どうする? 首トンするか?」
「主席に鉄拳制裁されたいなら止めないぞ」
影たちは微かな声で言い交わす。
夜はまだ始まったばかりだ。
* * *
「こちらキューピッド隊。支援要請了解。ダンサー隊・ダッシャー隊はそのまま待機されたし」
屋根の上で待機していた影たちに通信が入る。
「さて出番だ。マーレイ、行けるか?」
「HO、HO、HO、愚問じゃよ。準備は万端、プランはA。では行ってくるわい」
マーレイと呼ばれた影はいたずらっぽくウィンクで答えると、そりの手綱を引いた。
「それ行け、走れ、キューピッド! ダンサー・ダッシャーをお助けだ!」
弓から放たれる矢のように、そりは空へと飛び出していった。
* * *
少女は一人、窓の外をながめていた。
いつもは夜でも騒がしいサバトだが、今日は穏やかな静かさに包まれている。
彼女がベッドから抜け出たのは今日のパーティでブドウジュースを飲みすぎたせいだったが、用を足した後もこうして静まり返った廊下を散策しているのは、この夜独特の、静謐な空気に誘われたからだった。
皆が寝静まり、まるで自分ひとりだけがここに取り残されたような、かといって夏の肝試しのような不気味な暗黒がそこかしこで這いまわる雰囲気とは違う、どこか安らかな、そしてなにか不思議なことが起こりそうな。
けして神秘趣味ではない彼女も、この夜ばかりはそんな気分に浸っていた。
(ん?)
そんな彼女がふと何かに気付き、耳をすませる。どこか遠くから、小さな鈴の音が聞こえてくる。そして、彼女はそれを見た。
夜空の中、サバトの尖塔よりも高いところを何かが飛んでいる。
(そんな、まさか)
信じられないものを見る目で、彼女はそれに釘付けになる。彼女は知識としてはそれを知っていた。しかし、サバトの皆のように心からそれを信じていたかというと、正直なところ半信半疑というところだった。
(本当に、空を走ってる・・・)
彼女の視線の先で、トナカイらしき生き物に引かれたそりが空を渡っていく。
『ホーッホッホー、それ急げ、やれ急げ。最初は町へ、お次は城へ。良い子にゃ素敵なプレゼント、悪い子は黒いサンタの石つぶて。子供たちが夢ん中、わしらの事を待っている。それ dash away,dash away,dash away all!』
遠ざかる声を聞いて彼女はハッとした。もうすぐここにサンタがやって来る!
もしサンタさんにこの真夜中に起きて出歩いているところを見られたら・・・“悪い子”認定される可能性が大だ! そしたらプレゼントどころかもっと酷いことになるかもしれない。
少女は身をひるがえすと、足早に部屋へと戻っていった。
(明日の朝起きたらみんなになんて言おう。空飛ぶサンタをこの目で見たって、信じてくれるかな)
* * *
―ダンサーよりキューピッドへ、目標は移動を開始。ミッションは成功した―
「ホッホッホー・・・、よし上手くいったようだな。マーレイより本部、これより帰還する。指向性スピーカーも上手く機能しているようだ」
『本部了解。戻る際は地上の裏門を使え。ご苦労だった』
「マーレイ了解。よし、あそこに降りるか」
男はサバトから離れた森の近くの街道にそりを着陸させ、トナカイモドキをなでる。
そしてサバトへとそりを向けたとき、彼は気付いた。
(ん? これは・・・)
足元にうすく積もる雪。その上に残る、大量の足跡に。足跡は街道を横切って森の中へ入っていく。
その向かう先は森を突っ切り、一直線にサバトへと向かっていた。
* * *
* *
* * *
夜の森の中、月に照らされ木々が影を長くのばす中で、その影よりも暗い影法師の集団が居た。
「野郎ども! お前たちの望みはなんだ!」
「爆ぜろ! 爆ぜろ! 爆ぜろ!」
「女達はお前らを愛してくれたか!?」
「爆ぜろ! 爆ぜろ! 爆ぜろ!」
「貴様らは教団を愛しているか! 神にすべてを捧げるか!」
「生涯信仰! 純潔かけて! 信仰! 信仰! 信仰!」
目に憎しみをたぎらせ、口泡を飛ばしながら叫ぶ男たちの前で、彼らよりひと回り大きな筋肉をまとった大男が檄をとばしている。厳めしいその顔は大小の傷に覆われ、その大きな体と相まってさながら旧時代のオーガを思わせた。
大男の合図で男たちは前進を始める。
後方には数人がかりで運ぶ大きな荷物が続き、布で覆われたそれは担いだ男たちの歩調に合わせて揺れるたび、静かに不気味な音を響かせていた。
森を抜け、サバトの城が見えたとき、傷だらけの大男はニタリと顔をゆがめた。
「鍵を開けとくれ子ヤギちゃん。“Knecht Ruprecht”(黒いサンタ)のおでましだ」
月に照らされた男たちは、みな一様に白いふちどりのついた黒いサンタ服に身を包んでいた。
* * *
* *
* * *
「待て」
部屋に入ろうとした男の肩を別の男が掴む。
不思議そうに見返した男に、後ろの男は顎で部屋の中を示す。
「・・・?」
部屋の中は先ほど散布した“ザントマンの砂”が舞い、うっすらともやがかかって見える。そのもやの中に、かすかに浮かぶ光の線が見えた。
「あれは・・・?」
「光をスイッチにしたセンサーだ。あれに触れると仕掛けが作動するようになっている。去年のワイヤートラップから進化してやがる」
よく見れば光の線は1本ではなく、部屋中に縦横に張り巡らされている。
仕掛け・・・恐らくは警報や捕獲用の罠のたぐいだろうか。しかしこの蜘蛛の巣のような光線の中を進むのは、人の身にはどう考えても不可能だ。
「ここは“プロ”に任せよう。頼む」
「承知」
集団の後方からひとつの影がぬうっと前に出た。
「行けるか?」
「是非もない・・・」
影が丸々とした衣装を脱ぐと中から細身の体が現われた。
そして影は部屋の中へ踏み出していった。
「すごい・・・」
男は思わずつぶやいた。
部屋に踏み込んだ影は、縦横に張られた光の線を、身をかがめ、身をよじり、時には大胆に跳躍し、まるで踊るように少女達の枕元へと難なく進んでいく。
「タケシはダンスやってるからな」
後ろの男はさも当然だと言わんばかりにうなずいた。
「ふっ、他愛ない」
そして最後の少女の枕元にプレゼントの包みを置いた時だった。
カチリ
「えっ」
♪Kidnap the Satan−Cross! lock him up real taight!♪
突如大音量の音楽が鳴り響き、赤い警報灯が部屋を照らし出した。
「緊急警報!起きろ小娘共!教団のクソ野郎共の襲撃だ!」
寝ぼけたまま跳ね起きて杖とローブに手を伸ばす魔女。
「・・・じゃなかった、そうだサンタさんだ」
そして正気を取り戻し当初の目的を思い出した瞬間
ブシュウウウウウッ
あたり一面が真っ白に覆われた。
「“ザントマンの砂”残量ゼロ!」
「やったか!?」
部屋の入り口ではガスマスクをつけた男たちが大きな袋を構え、気を張り詰めていた。
「これでダメだったら・・・」
「シッ」
白いもやが晴れ彼らの目に映ったのは、白目をむいて鼻ちょうちんを膨らませる少女と、巻き添えを食った男がベッドの脇に崩れ落ちている姿であった。
『どうした、なにか問題か?』
異変を聞きつけた仲間から通信が入る。
「いや、大丈夫だ。問題はすでに解消した。タケシを回収した後、次の部屋へ移る」
『了解。回収した脱落者はこちらで預かる。あと少しだ、最後まで気を抜くな』
「ああ」
* * *
「三層の大部屋はここが最後です」
「よし」
廊下の最奥の扉、その前に男たちが立つ。
「ここは・・・ファミリア達の部屋ですよね」
男はそう言ってゴクリと唾を飲み込んだ。
いたずら好きのファミリア達の被害にあわない者はこのサバト内で一人もいないと言われるほどの小悪魔たち。この扉の先にはどれほどの障害が待ち受けているのだろうか。
これまで以上の苦戦が予想されるその扉の先に、緊張が走る。
「そうだな。じゃあ行って来る」
しかし担当の男は無造作にガチャリと扉を開け入っていく。
「えっ」
慌てて思わずとめようとする男に、担当はシーッと指を立て
「・・・策はある」
そう言い残して部屋へと入った。
部屋の中にはベッドが並び、ファミリア達が静かに眠っていた。
『HO、HO、HO。良い子、良い子、皆ちゃんと眠っておるわい』
「!?」
部屋に入った男が突然、低く、伸びのある声で喋りだし、外の男はギョッとする。
今すぐ部屋に入り彼を止めようという思いが湧き上がるが、それより早く部屋の男が振りかえり外の男を制止する。
どうやら今の言葉も彼の言う『策』であるらしい。
『♪良い子にゃ素敵なプレゼント、悪い子は真っ黒サンタの石つぶて。この子は良い子か悪い子か。サンタはちゃあんと知っている♪』
中の男は歌を口ずさみながら部屋の中を歩いていき、やがて一人のファミリアのベッドにたどり着いた。
『えー、この子は・・・ファミリアのリルちゃんじゃな。お兄さん達からの手紙にも、いつもお手伝いしてくれると書いてあったのう。HOHOHO、良い子にはちゃあんとプレゼント』
寝ているファミリアの枕元に「リルちゃんへ」と書かれた袋をそっと置く。
当のファミリアは微動だにせず、死んだように静かに眠っている。
何か妙だ。
外の男は、部屋の中が異常なまでに静まり返っていることに気がついた。
寝返りの衣擦れの音、それに寝息のひとつも聞こえないばかりか、ピンと張り詰めたような、ピリピリとした空気が部屋の外まで伝わってくる。
この部屋でいま、いったい何が起こっているんだ?
『さてさてお次は・・・この子じゃな』
次の子の枕元に立つ。その子は布団を頭までかぶって丸くなっており、どんな様子なのかはわからない。
『ふむふむ、ほう・・・サンタ調書によると、だいぶ元気な子のようじゃのう・・・』
その時、ベッドの布団ダンゴがビクリ、と動いた。
『ふーむふむ、なんと・・・』
読み進める声に、布団ダンゴがガタガタと小刻みにふるえる。
『“でも叱られたらちゃんと謝れる良い子”と。なるほどのう。HO、HO、HO、よしよし』
男はベッドの上、本来まくらがあったであろう場所に包みを置き、
『良い子は朝まで、ぐっすりお休み』
『さあて、あとはこの子じゃのう』
男は最後のベッドの前に立つ。
ベッドの上の少女は目をつぶりながら顔中に脂汗を浮かべている。
『さてさてこの子は・・・ふむぅ』
パラリ、とノートを開く音がして、少女の体がギクリと揺れる。
『んー、ううむ、ふむ・・・』
時おり額を押さえながら調書を読み進める男。
『むむ!? “友人の魔女がお兄さんと寝ているところに爆竹を投げ込む”!? と、とんでもない子じゃな!』
男のギョッとした声に、少女の体はガタガタと震え歯の根がガチガチと音を立てる。
「ゴメンナサイゴメンナサイ チョットウラヤマシカッタダケナンデスモウシマセン」
『おやおや? そういえばこの子、さっきから寝息のひとつも聞こえないが、もしや・・・起きているのではないかのう?』
ビクン、と寝たままの姿勢で少女は跳ねた。
『まさかとは思うが、狸寝入りでもしているのではないかのう?』
「ぐ、グーッ!グーッ!」
とたんに大きな声でいびきをかき始める少女。同時に
「すぴー、すぴー」
「くー、すぴくるるすー!」
「ぐごー! ラズズギリギリギリぐがごー!」
周りの少女達からも盛大な寝息が響き始める。
『ホッホ、ちゃんと眠っておったわい、良かった良かった。もしこの子がわしの顔を見ていたら、大変じゃものなあ?』
「ぐ? ぐーっぐーっ!」
少女は目をギュッとつむり、冬だというのに脂汗がポタポタと枕に落ちる。
『さてさて、おや? その魔女のお兄さんからの手紙もあるのう。どれどれ・・・
“ちょっといたずらが行き過ぎなところもある彼女ですが、妹とはなんだかんだとても仲良くやっているようです。特に妹は引っ込み思案なところがあり、彼女のちょっかいもどこかそれを心配してのことのように思えます。実際妹は以前より少し明るくなったようです。出来れば妹とはこれからも仲良くしてもらいたいと思っています。・・・いたずらはもう少し控えてほしいですけどね”
・・・ホッホッそうかそうか。なるほどのう。友達思いの良い子じゃな』
影は少女の頭をポンポンと優しくなで、
『おやずいぶんすごい汗じゃ』
そのミトンのような手で汗を拭うと自分の帽子をヒョイと脱ぎ、彼女の頭にスッポリと被せた。
『良い子はゆっくり、朝までおやすみ』
枕元に吊るされた大きなくつ下に包みを入れると、影は落ち着いた足取りで部屋を後にした。
「す、すごいですね! あのファミリアたちが大人しく寝ているなんて、いったいどんな仕掛けを使ったんです?」
「別に難しいことじゃない。ただ『サンタクロースの顔を見た子供には、サンタはもう二度とやってこない』という噂をファミリアたちに流しただけだ」
「え? それだけですか? ・・・だったらさっきの魔女達にも同じ噂流しとけばあんな苦労しなくても良かったんじゃ」
若干責めるような口調のもう一人に対し、男は力なく首を振って、
「やったさ去年。あの子らはそれを知った上であの罠を仕掛けてるんだ。サンタが今後来なくなることよりも、サンタの正体を暴くという好奇心の方が勝ったみたいだな」
「ええ・・・じゃあ来年もあの調子ですか」
「ああ、それももっと厄介な仕掛けに進化してな」
男たちはがっくりと肩を落としながらも、他の仲間と合流するため廊下を素早く駆けていった。
* * *
* *
* * *
月の下を進む黒いサンタ達の前に、赤いサンタ服を着た集団が現われる。
「来たか、背信者どもめ!」
『狂信者よりはマシだ。貴様らに妹たちの眠りは邪魔させん!』
赤いサンタの一人が老人のような声で答える。
時はクリスマス・イヴ、場所はサバト本拠地の城門前。赤い丸々としたサンタ達と、黒いサンタ服に身を包んだいかつい男達が、月下の雪原で激突した。
静かな夜。
生き物が皆おだやかに寝静まる夜。
サバト本拠地である城の中を、影たちが音もなく駆けていた。
滑るように走る影が扉の前で止まる。
扉に耳をあて、しばし。
他の影たちに頷くと、ハンドサインでカウントダウンを始める。
―3、2、1・・・―
音もなく扉が開き、影のひとりが部屋の中へ滑り込む。
やがて部屋から影がもどると、他の影たちに指で丸をつくって見せた。
他の影はそれに小さく頷いて返すと、また音もなく滑るように走り出す。
影たちの去った後にはただ、少女達のおだやかな寝息が聞こえるだけであった。
* * *
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「ルドルフ隊より伝達、
“鼻は2度輝いた”」
「了解、ダンサー隊はこれよりダッシャー隊と合流。2層へと向かい、これの援護に務めます」
通信を聞いた影達は次の行動へと移るべく移動を開始する。
しかし移動する途中、次の目標地点の手前で、別の影たちが廊下の曲がり角で立ち止まっていた。何があったか聞くより先に影たちがこちらに気付き、廊下の先を指さす。
指さす先を見ると、一人のパジャマ姿の魔女がトボトボと廊下を歩いている。
「トイレかな?」
「おそらくは」
「どうする? 首トンするか?」
「主席に鉄拳制裁されたいなら止めないぞ」
影たちは微かな声で言い交わす。
夜はまだ始まったばかりだ。
* * *
「こちらキューピッド隊。支援要請了解。ダンサー隊・ダッシャー隊はそのまま待機されたし」
屋根の上で待機していた影たちに通信が入る。
「さて出番だ。マーレイ、行けるか?」
「HO、HO、HO、愚問じゃよ。準備は万端、プランはA。では行ってくるわい」
マーレイと呼ばれた影はいたずらっぽくウィンクで答えると、そりの手綱を引いた。
「それ行け、走れ、キューピッド! ダンサー・ダッシャーをお助けだ!」
弓から放たれる矢のように、そりは空へと飛び出していった。
* * *
少女は一人、窓の外をながめていた。
いつもは夜でも騒がしいサバトだが、今日は穏やかな静かさに包まれている。
彼女がベッドから抜け出たのは今日のパーティでブドウジュースを飲みすぎたせいだったが、用を足した後もこうして静まり返った廊下を散策しているのは、この夜独特の、静謐な空気に誘われたからだった。
皆が寝静まり、まるで自分ひとりだけがここに取り残されたような、かといって夏の肝試しのような不気味な暗黒がそこかしこで這いまわる雰囲気とは違う、どこか安らかな、そしてなにか不思議なことが起こりそうな。
けして神秘趣味ではない彼女も、この夜ばかりはそんな気分に浸っていた。
(ん?)
そんな彼女がふと何かに気付き、耳をすませる。どこか遠くから、小さな鈴の音が聞こえてくる。そして、彼女はそれを見た。
夜空の中、サバトの尖塔よりも高いところを何かが飛んでいる。
(そんな、まさか)
信じられないものを見る目で、彼女はそれに釘付けになる。彼女は知識としてはそれを知っていた。しかし、サバトの皆のように心からそれを信じていたかというと、正直なところ半信半疑というところだった。
(本当に、空を走ってる・・・)
彼女の視線の先で、トナカイらしき生き物に引かれたそりが空を渡っていく。
『ホーッホッホー、それ急げ、やれ急げ。最初は町へ、お次は城へ。良い子にゃ素敵なプレゼント、悪い子は黒いサンタの石つぶて。子供たちが夢ん中、わしらの事を待っている。それ dash away,dash away,dash away all!』
遠ざかる声を聞いて彼女はハッとした。もうすぐここにサンタがやって来る!
もしサンタさんにこの真夜中に起きて出歩いているところを見られたら・・・“悪い子”認定される可能性が大だ! そしたらプレゼントどころかもっと酷いことになるかもしれない。
少女は身をひるがえすと、足早に部屋へと戻っていった。
(明日の朝起きたらみんなになんて言おう。空飛ぶサンタをこの目で見たって、信じてくれるかな)
* * *
―ダンサーよりキューピッドへ、目標は移動を開始。ミッションは成功した―
「ホッホッホー・・・、よし上手くいったようだな。マーレイより本部、これより帰還する。指向性スピーカーも上手く機能しているようだ」
『本部了解。戻る際は地上の裏門を使え。ご苦労だった』
「マーレイ了解。よし、あそこに降りるか」
男はサバトから離れた森の近くの街道にそりを着陸させ、トナカイモドキをなでる。
そしてサバトへとそりを向けたとき、彼は気付いた。
(ん? これは・・・)
足元にうすく積もる雪。その上に残る、大量の足跡に。足跡は街道を横切って森の中へ入っていく。
その向かう先は森を突っ切り、一直線にサバトへと向かっていた。
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夜の森の中、月に照らされ木々が影を長くのばす中で、その影よりも暗い影法師の集団が居た。
「野郎ども! お前たちの望みはなんだ!」
「爆ぜろ! 爆ぜろ! 爆ぜろ!」
「女達はお前らを愛してくれたか!?」
「爆ぜろ! 爆ぜろ! 爆ぜろ!」
「貴様らは教団を愛しているか! 神にすべてを捧げるか!」
「生涯信仰! 純潔かけて! 信仰! 信仰! 信仰!」
目に憎しみをたぎらせ、口泡を飛ばしながら叫ぶ男たちの前で、彼らよりひと回り大きな筋肉をまとった大男が檄をとばしている。厳めしいその顔は大小の傷に覆われ、その大きな体と相まってさながら旧時代のオーガを思わせた。
大男の合図で男たちは前進を始める。
後方には数人がかりで運ぶ大きな荷物が続き、布で覆われたそれは担いだ男たちの歩調に合わせて揺れるたび、静かに不気味な音を響かせていた。
森を抜け、サバトの城が見えたとき、傷だらけの大男はニタリと顔をゆがめた。
「鍵を開けとくれ子ヤギちゃん。“Knecht Ruprecht”(黒いサンタ)のおでましだ」
月に照らされた男たちは、みな一様に白いふちどりのついた黒いサンタ服に身を包んでいた。
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「待て」
部屋に入ろうとした男の肩を別の男が掴む。
不思議そうに見返した男に、後ろの男は顎で部屋の中を示す。
「・・・?」
部屋の中は先ほど散布した“ザントマンの砂”が舞い、うっすらともやがかかって見える。そのもやの中に、かすかに浮かぶ光の線が見えた。
「あれは・・・?」
「光をスイッチにしたセンサーだ。あれに触れると仕掛けが作動するようになっている。去年のワイヤートラップから進化してやがる」
よく見れば光の線は1本ではなく、部屋中に縦横に張り巡らされている。
仕掛け・・・恐らくは警報や捕獲用の罠のたぐいだろうか。しかしこの蜘蛛の巣のような光線の中を進むのは、人の身にはどう考えても不可能だ。
「ここは“プロ”に任せよう。頼む」
「承知」
集団の後方からひとつの影がぬうっと前に出た。
「行けるか?」
「是非もない・・・」
影が丸々とした衣装を脱ぐと中から細身の体が現われた。
そして影は部屋の中へ踏み出していった。
「すごい・・・」
男は思わずつぶやいた。
部屋に踏み込んだ影は、縦横に張られた光の線を、身をかがめ、身をよじり、時には大胆に跳躍し、まるで踊るように少女達の枕元へと難なく進んでいく。
「タケシはダンスやってるからな」
後ろの男はさも当然だと言わんばかりにうなずいた。
「ふっ、他愛ない」
そして最後の少女の枕元にプレゼントの包みを置いた時だった。
カチリ
「えっ」
♪Kidnap the Satan−Cross! lock him up real taight!♪
突如大音量の音楽が鳴り響き、赤い警報灯が部屋を照らし出した。
「緊急警報!起きろ小娘共!教団のクソ野郎共の襲撃だ!」
寝ぼけたまま跳ね起きて杖とローブに手を伸ばす魔女。
「・・・じゃなかった、そうだサンタさんだ」
そして正気を取り戻し当初の目的を思い出した瞬間
ブシュウウウウウッ
あたり一面が真っ白に覆われた。
「“ザントマンの砂”残量ゼロ!」
「やったか!?」
部屋の入り口ではガスマスクをつけた男たちが大きな袋を構え、気を張り詰めていた。
「これでダメだったら・・・」
「シッ」
白いもやが晴れ彼らの目に映ったのは、白目をむいて鼻ちょうちんを膨らませる少女と、巻き添えを食った男がベッドの脇に崩れ落ちている姿であった。
『どうした、なにか問題か?』
異変を聞きつけた仲間から通信が入る。
「いや、大丈夫だ。問題はすでに解消した。タケシを回収した後、次の部屋へ移る」
『了解。回収した脱落者はこちらで預かる。あと少しだ、最後まで気を抜くな』
「ああ」
* * *
「三層の大部屋はここが最後です」
「よし」
廊下の最奥の扉、その前に男たちが立つ。
「ここは・・・ファミリア達の部屋ですよね」
男はそう言ってゴクリと唾を飲み込んだ。
いたずら好きのファミリア達の被害にあわない者はこのサバト内で一人もいないと言われるほどの小悪魔たち。この扉の先にはどれほどの障害が待ち受けているのだろうか。
これまで以上の苦戦が予想されるその扉の先に、緊張が走る。
「そうだな。じゃあ行って来る」
しかし担当の男は無造作にガチャリと扉を開け入っていく。
「えっ」
慌てて思わずとめようとする男に、担当はシーッと指を立て
「・・・策はある」
そう言い残して部屋へと入った。
部屋の中にはベッドが並び、ファミリア達が静かに眠っていた。
『HO、HO、HO。良い子、良い子、皆ちゃんと眠っておるわい』
「!?」
部屋に入った男が突然、低く、伸びのある声で喋りだし、外の男はギョッとする。
今すぐ部屋に入り彼を止めようという思いが湧き上がるが、それより早く部屋の男が振りかえり外の男を制止する。
どうやら今の言葉も彼の言う『策』であるらしい。
『♪良い子にゃ素敵なプレゼント、悪い子は真っ黒サンタの石つぶて。この子は良い子か悪い子か。サンタはちゃあんと知っている♪』
中の男は歌を口ずさみながら部屋の中を歩いていき、やがて一人のファミリアのベッドにたどり着いた。
『えー、この子は・・・ファミリアのリルちゃんじゃな。お兄さん達からの手紙にも、いつもお手伝いしてくれると書いてあったのう。HOHOHO、良い子にはちゃあんとプレゼント』
寝ているファミリアの枕元に「リルちゃんへ」と書かれた袋をそっと置く。
当のファミリアは微動だにせず、死んだように静かに眠っている。
何か妙だ。
外の男は、部屋の中が異常なまでに静まり返っていることに気がついた。
寝返りの衣擦れの音、それに寝息のひとつも聞こえないばかりか、ピンと張り詰めたような、ピリピリとした空気が部屋の外まで伝わってくる。
この部屋でいま、いったい何が起こっているんだ?
『さてさてお次は・・・この子じゃな』
次の子の枕元に立つ。その子は布団を頭までかぶって丸くなっており、どんな様子なのかはわからない。
『ふむふむ、ほう・・・サンタ調書によると、だいぶ元気な子のようじゃのう・・・』
その時、ベッドの布団ダンゴがビクリ、と動いた。
『ふーむふむ、なんと・・・』
読み進める声に、布団ダンゴがガタガタと小刻みにふるえる。
『“でも叱られたらちゃんと謝れる良い子”と。なるほどのう。HO、HO、HO、よしよし』
男はベッドの上、本来まくらがあったであろう場所に包みを置き、
『良い子は朝まで、ぐっすりお休み』
『さあて、あとはこの子じゃのう』
男は最後のベッドの前に立つ。
ベッドの上の少女は目をつぶりながら顔中に脂汗を浮かべている。
『さてさてこの子は・・・ふむぅ』
パラリ、とノートを開く音がして、少女の体がギクリと揺れる。
『んー、ううむ、ふむ・・・』
時おり額を押さえながら調書を読み進める男。
『むむ!? “友人の魔女がお兄さんと寝ているところに爆竹を投げ込む”!? と、とんでもない子じゃな!』
男のギョッとした声に、少女の体はガタガタと震え歯の根がガチガチと音を立てる。
「ゴメンナサイゴメンナサイ チョットウラヤマシカッタダケナンデスモウシマセン」
『おやおや? そういえばこの子、さっきから寝息のひとつも聞こえないが、もしや・・・起きているのではないかのう?』
ビクン、と寝たままの姿勢で少女は跳ねた。
『まさかとは思うが、狸寝入りでもしているのではないかのう?』
「ぐ、グーッ!グーッ!」
とたんに大きな声でいびきをかき始める少女。同時に
「すぴー、すぴー」
「くー、すぴくるるすー!」
「ぐごー! ラズズギリギリギリぐがごー!」
周りの少女達からも盛大な寝息が響き始める。
『ホッホ、ちゃんと眠っておったわい、良かった良かった。もしこの子がわしの顔を見ていたら、大変じゃものなあ?』
「ぐ? ぐーっぐーっ!」
少女は目をギュッとつむり、冬だというのに脂汗がポタポタと枕に落ちる。
『さてさて、おや? その魔女のお兄さんからの手紙もあるのう。どれどれ・・・
“ちょっといたずらが行き過ぎなところもある彼女ですが、妹とはなんだかんだとても仲良くやっているようです。特に妹は引っ込み思案なところがあり、彼女のちょっかいもどこかそれを心配してのことのように思えます。実際妹は以前より少し明るくなったようです。出来れば妹とはこれからも仲良くしてもらいたいと思っています。・・・いたずらはもう少し控えてほしいですけどね”
・・・ホッホッそうかそうか。なるほどのう。友達思いの良い子じゃな』
影は少女の頭をポンポンと優しくなで、
『おやずいぶんすごい汗じゃ』
そのミトンのような手で汗を拭うと自分の帽子をヒョイと脱ぎ、彼女の頭にスッポリと被せた。
『良い子はゆっくり、朝までおやすみ』
枕元に吊るされた大きなくつ下に包みを入れると、影は落ち着いた足取りで部屋を後にした。
「す、すごいですね! あのファミリアたちが大人しく寝ているなんて、いったいどんな仕掛けを使ったんです?」
「別に難しいことじゃない。ただ『サンタクロースの顔を見た子供には、サンタはもう二度とやってこない』という噂をファミリアたちに流しただけだ」
「え? それだけですか? ・・・だったらさっきの魔女達にも同じ噂流しとけばあんな苦労しなくても良かったんじゃ」
若干責めるような口調のもう一人に対し、男は力なく首を振って、
「やったさ去年。あの子らはそれを知った上であの罠を仕掛けてるんだ。サンタが今後来なくなることよりも、サンタの正体を暴くという好奇心の方が勝ったみたいだな」
「ええ・・・じゃあ来年もあの調子ですか」
「ああ、それももっと厄介な仕掛けに進化してな」
男たちはがっくりと肩を落としながらも、他の仲間と合流するため廊下を素早く駆けていった。
* * *
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月の下を進む黒いサンタ達の前に、赤いサンタ服を着た集団が現われる。
「来たか、背信者どもめ!」
『狂信者よりはマシだ。貴様らに妹たちの眠りは邪魔させん!』
赤いサンタの一人が老人のような声で答える。
時はクリスマス・イヴ、場所はサバト本拠地の城門前。赤い丸々としたサンタ達と、黒いサンタ服に身を包んだいかつい男達が、月下の雪原で激突した。
19/12/31 22:33更新 / なげっぱなしヘルマン
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