6章 暁
一同は触手の森をただひたすら走り抜ける。帰るべきところへ帰るのにはこの触手の森が最後の正念場である。先頭にソフィアが走り道を切り開き、最後尾にはグレイで追っ手が来ないか見張りながらという配置で出口を探していた。
(・・・やはりあれは右手が痛むな。当分剣は握れないか・・・)
「グレイッ!前方に何か見えるわ!?」
先頭のソフィアが何かを見つけ指を差すその先には、巨木がそびえ立っているようだった。
「ソフィア!そのまま前進で突っ切ってくれ!」
一同が近づくにつれ、その全貌が明らかになる。ソフィアが先に巨木にたどり着くと急にピタリと足を止め、追いついた一同も足を止める。いや、とめざるを得なかった。
そこには、巨木を中心に取り囲むように大きな広場が出来ている。先ほどまで皆を苦しめてきた触手はどこにも見当たらず、またあったような痕跡さえ見当たらない。代わりにあるのは、色彩豊かで地上にも普通にありそうな草花であり、まるでカーペットのように広場一面に広がっていた。
「な・・・こ、ここは・・・一体・・・?」
魔界とは到底考えられないような光景に一同は困惑する。魔界に入ってから今の今まで本当にこのような光景は見たことが無かったので驚くのも無理が無い。
兵士達は自分の頬をつねったり、自分で自分を殴ったりしている者がいるがどうやら夢ではないらしい。グレイも兵士達と同じくやってみるが、普通にいつも通り痛みを感じた。
「来るときはこんな所なかったわよ・・・」
「ナイトメアの仕業ではないらしいな・・・本当にここは魔界の一部か?」
「・・・わたしも信じたくないけど、まだここは魔界みたいだね。ほら、向こうを見て!」
ソフィアが指を差す先には今まで嫌々と見てきた触手が立派に蠢いている・・・が、とても動きが不自然なように見えた。なぜか今グレイたちが居るここの広場を上手く避けるようにして蠢いているのだ。
(・・・?何か結界の類でも張らされているのか?)
グレイは不思議な不安を感じたがさほど気には掛けなかった。
「ねぇねぇ、何か臭わない?いや、良い匂いと言った方がいいかな?」
「ん・・・たしかに何か匂うな。・・・・・・!この匂いは!?」
グレイとソフィアや兵士達にもこれは匂っているらしく一同は自分の鼻を疑った。その匂いは一面に生えている花からしているが、それは明らかに花の香りではないことに気がつく。
「食べ物の匂い・・・?」
朝一番の商店街に出る焼きたてのパンのこんがりとした香り。
肉を焼くときの油が滴るかのようなジューシーな香り。
果物を口いっぱいに頬張ったときのあの水々しさとフルーティーな香り。
デザートのあの甘ったるい香り。
はたまた一仕事終えた休日の午後の紅茶やコーヒーの香り。
それらが一斉に鼻から入り込み脳まで伝わる香りはこの世の元とは思えぬほど良い香りで、一同は腹が満腹になったと空想した。彼らの目は焦点が合ってなく、ただひたすら臭いを嗅いでいるだけであった。
「はい、グレイあ〜ん♪」
「ぁむ・・・んん。やっぱソフィアのりょうりはさいこうにうまいな。じゃあこんどはおれのばんだ!あ〜ん♪」
「あん・・・おいしっ♪」
そんな様変わりした一同を冷ややかな目で見る人影が一つ。
「グレイさん!ミラ!皆!クソッ!どうしたってんだよ・・・」
スノウは一人一人肩を揺さぶり大声で呼びかけるが、彼の耳に返事は返って来ずただよだれをたらし虚ろな目が返ってくるだけである。
相手の虚ろな目に自分の姿が移り込むのを見てスノウはハッと突如思い出す。
(待てよ・・・俺はこんな光景を図鑑で見た記憶がある・・・落ち着け、思い出すんだ・・・)
(・・・!!そうだ!これは『ヴェルゼブキャッチャー』の仕業だ!)
『ヴェルゼブキャッチャー:第二種災害不回避魔生物』
魔界にだけ生息する食人植物の一種である。主な生息地は、触手の森の最深部であるが、その危険性故情報が少なく、今だ分かっていない生態が多い。地上に生息している食虫植物同様、獲物の捕らえ方は変わりなく獲物が好む特有の香りを出し誘い込むというものである。
だが、魔界特有だけあって効果は一際強力でその臭いを嗅いだものには強い幻覚作用が現れ、餌場から逃げることができなくなる。そして頃合いを見て口とも思われる特徴的な葉で獲物を捕らえるのだ。
食事方法は、口で獲物を挟み込むと口の中から特殊な樹液が染み出てくる。樹液には媚薬成分が含まれており、樹液に浸った獲物は肌から成分が浸透して何もしなくてもたちまち絶頂してしまうのだという。そして絶頂に至った獲物から精を吸い取るというのである。
対処方法は簡単で本体である茎に一度強い打撃を与えると幻覚作用が取れる。が、実際は『ヴェルゼブキャッチャー』出会ったころには全員が幻覚にかかっていることが多いので何も出来ないというケースがほとんどである。
なお、一度口の中に入れられてしまうと、枝を切り落としても口は開かないので脱出は不可能になってしまう。脱出したいのならば、精が搾り取られると自然に吐き出されるので、それを狙うといい。しかし、それまでは永久に絶頂し続けるので体力や精神は持たないだろう。また吐き出されるのも、次の日か何十年も先かは分からないので覚悟しておくべし。
魔界でも非常に貴重な植物であるが、その特徴的な容姿から『魔界のハエトリグサ』と呼ばれることがある。
(この幻覚症状・・・間違いない、図鑑と同じだ。俺が動けてなかったら全滅だったってことか・・・)
なぜスノウが無事なのかというと、話は森に入る直前までさかのぼる―――
*********************************
「スノウ、ちょっとじっとしててね」
「なんだいミラ?・・・っておお!?」
「・・・これで完了っと。万が一の為にあなたにだけ強力な結界を張ったわ。」
「何で俺なんだい?自分に張ればよかったじゃないか?」
「あたしはもう魔力があんまり残ってないし、体術もそんなにたしなんでないから万が一動けるような状況になっても意味が無いのよね。それならあたしよりもスノウの方が助かる確率はぐんと高いってわけよ〜」
「さらに何で俺?グレイさんとかソフィアさんとかもっと強くて頼れる人がいるじゃないか。」
「この魔法はね・・・自分か術者が一番信頼している人にしか使えないの。
・・・頼りにしてるよ♪」
「頼りにされました♪・・・こんな俺でも君は信頼してくれているのかい?」
「?何言ってんのよ。恋人を信頼しないカップルなんているの?」
「・・・ありがとう、ミラ。俺は必ず君を、皆を守り通すよ!」
「あなたはやるときゃやる男ってのはあたしが一番わかってるのよ〜♪」
*********************************
(ミラが託してくれたこの想い、無駄にはしない!)
スノウは剣を握り締めヴェルゼブキャッチャーの茎を探す。それらしきものをバサバサと切りつけていくが皆には何も変化がおきない所を見ると、本物ではないようだ。
広場の半分を捜索しても本体の茎は見つからなかった。
(クソッ!!なかなか見つからないな・・・早くしないと・・・)
すると後ろの方でガサガサと音が鳴った。スノウはハッと振り返るとそこには、巨大なまつ毛のような葉が二枚で一人の兵士を挟み込む形で捕らえていた。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!」
スノウは必死に枝に切りかかり、枝と葉で分離させる事に成功した。が、時既に遅し、その兵士はとても強力な力で挟み込まれており救出する事は出来なかった。
葉を切ろうとしたが、枝とは違いとても硬く傷一つ付けられなかった。
スノウ一人では到底足りる訳がなかったのだ。
(嘘・・・だろ・・・?畜生ぉ!!!!茎、茎はどこだ・・・)
スノウは必死で探すがもうそれらしき物は一通り切りつけており、広場にあるのは臭いを出している花と巨木のみ。スノウの疲労もピークに達しているようだった。
彼は万策尽きた様子で巨木に寄りかかる。顔には諦めの色が出ており、今までの記憶が走馬灯のように浮かび上がってきた。と同時に彼の鼻にかすかにあの良い匂いが香りだす。
「もうすぐ結界の効果も切れるってことか・・・」
彼の意識もまたぼんやりとしてきて視界が霞んできた。その間にも一人一人と仲間が捕らえられてゆく。どうやら力の弱いものから捕食するようで、既にほとんどの兵士や魔術師はもう捕まってしまっていた。全員が捕まるのもそう遠くはない。
(あら、あなたってそんなに諦めの良い男だった?あたしに何度も告白して何度もフラれたけどあなたは決して諦めなかったじゃない。あたしはあなたのそーいうとこに魅かれたんだよ。だからもうちょっと頑張―――)
「!?」
それは聞き覚えのある声。毎日聞いている声。彼の脳直接話しかける声はいつもどおりの変わらない彼女の声だった。
「ミラ!?意識はあるのかい!?」
ミラージュを見つめるスノウ。だが返事は返ってこなかったが、彼女の顔はかすかに笑みを浮かべている。
「・・・そうだ。俺はこんなとこで諦めるわけにはいかない・・・皆の為にも諦めるわけにはいかないんだ!」
スノウは勢いよく立ち上がり大声で雄たけびを上げ森の中で木霊するのが聞こえた。意識がなくなるのを防ぐためと、彼なりの気合の入れ方である。
(さっきまでは急がなければいけないという焦燥感に駆られたけれども、よくよく落ち着いてみろ・・・見えたっ!!!)
スノウの目線には先ほどまで寄りかかっていた巨木。よく目を凝らしてみて見ると所々の木目が虫の様にわさわさと蠢いている。本当に小さなもなので集中でもしないとまず見つからないであろう大きさであった。
「まさかこの巨木がヴェルゼブキャッチャーの本体だったとは・・・茎っていうより幹だろ・・・」
そう言うと剣を構え狙いを定める。今までの苦労をすべてこの一撃に込めるように力強く構える。
ドスッ、と彼の一撃がピンポイントに当たり剣は巨木に刺さりこんだ。剣が刺さった場所は蠢きが激しくなりまるで波のように巨木全体に伝わる。彼が巨木から剣を抜くと今まで綺麗だった広場の草花はたちどころに枯れ腐り、景色は魔界のそれに戻った。またあの良い匂いはひどい悪臭に変わり、皆の幻覚も晴れたようだった。
「む・・・なんだかとても良い夢を見てたような・・・」
「わ、わたしもっ(夢にもグレイが出てきたなんて言えない////)」
各自少しずつ目を覚ましていき、意識もだいぶはっきりして来る。幻覚によって夢を見せさせられていたようで、まだ頭がぼんやりしている人も少なからずいて、一部の兵士はまだ余韻に浸っているようである。
その隙をヴェルゼブキャッチャーは見逃すはずがない。幻覚を晴らされた怒りと、獲物を逃がすまいという思いで大量の葉を広げる。
「皆さん!説明は後です!逃げてください!」
スノウがそう叫ぶと同時に葉が一同に襲い掛かる。剣を取り出す者、逃げ出す者、まだ意識がはっきりしていない者とがいる中に、突如先頭に一人の女性が踊り出た。
彼女は杖を片手に巨大な光の壁を作る。葉は光の壁に衝突し跳ね返されるが、懲りずに何度も突進して来る。
「ここはあたしが食い止めます!どうか皆さんは先に行っててください!」
ミラージュはわずかに残された魔力をすべて使い切り、皆を守る。だが、次第に光の壁は攻撃されどんどん薄くなっていくのが目に見えてわかり、壁がなくなるのも時間の問題であった。
「ミラ!君の体力じゃもう無理だ!早くこっちへ!」
逃げ始める兵士達の中、スノウは立ち止まりミラージュへ呼びかけるが、彼女から返事は返ってこない。スノウはさらに何度も続けざまに呼びかけ、ぼそりと彼女は返事をした。
「・・・今あたしが魔法を解いたら皆襲われる。あたしがこのまま残ったら襲われるのはあたしだけ。どっちが大事かなんて考えなくてもわかるでしょ・・・?」
「それは騎士団員としてだろ?俺は・・・俺は一個人として君が何よりも一番大切なんだ!!!!!!・・・だから・・・もう・・・」
腰を落として呆然と立ち膝になっているスノウの元にグレイが歩み寄る。彼はふぅと一息つくとミラージュにも聞こえるようにわざと大きめな声で言う。
「スノウ・・・もう諦めろ・・・彼女の考えは正しい。彼女は相当の決意であそこにいる。お前も男なら彼女の頼みくらい聞いたらどうだ?
お前のさっきの発言は騎士団員としてタブーだが、まぁ今回だけは大目に見てやろう。
だがな、これだけは守ってくれ。『後ろを振り向くな』」
グレイは心を鬼にしてかみ締めていた。彼も助けれるものなら助けたいと思っていたが、今の彼は聞き手の右手を酷い火傷に覆われていてとても剣を握れる状態ではない。守れるものを守れないということは彼の心も激しく傷つけた。
「俺達は先に行く。・・・付いてくるかここに残るかはお前の好きにしろ。」
そう言うと、騎士団一行は森の奥へと進んでいった。
スノウはミラージュに歩み寄る。
「スノウ!!団長の話を聞いてなかったの!?早くここから―――」
彼女の言葉をさえぎるようにスノウの唇が彼女の口を覆いかぶさる。とても熱く濃厚で気を抜いたら結界が弾け飛びそうだった。
唇を離し銀色の糸が二人の間を伝い、スノウはつぶやく。
「ごめんミラ・・・俺は行くよ。でも・・・このキスはさよならじゃない。またいつか出会ったら・・・これの続きをしよう。」
「・・・・・・・・・うん。あたしも待つよ。あなたが迎えに来るまで、この魔界でずっとずっと・・・」
スノウ何かを思いつき腰の剣を抜き取ると、地面に突き刺す。
「ミラ・・・俺はこの剣を置いていく。この剣が再開の合図だ。俺を見つけたらこの剣を振ってくれ。」
「わかったよ。・・・ねぇスノウ、ゆびきりげんまんしよっ!」
スノウは何で今頃と不思議に思いながらも、必ず再開できますようにと強く指を切る。彼はなぜか懐かしい感じがした。
光の壁にはところどころにひびが入っており、いつ崩れてもおかしくない状況であった。
「ありがとっ♪・・・そろそろあたしも限界みたいね・・・」
「・・・俺はもう行くよ。大丈夫、もう気持ちは変わらない『後ろを振り向くな』さ。」
「・・・スノウ・・・また・・・会えるよね?」
ミラージュの問いかけにスノウは迷うことなく答えれた。
「必ず。」
そう言うと彼はミラージュを背に騎士団を追うように走った。途中で後ろから大きな物音がしたが、彼は決して振り返らず走った。泣き叫びながらひたすら走った。
彼女は彼が走ってしばらくすると自分で魔法を解く。これ以上続けても疲れるだけだろうと悟ったのだ。
魔法を解除すると同時にたちまち葉が彼女を襲い掛かり、彼女は抵抗する力もなくなすがままされるがままに体を差し出す。だが、今の彼女に恐れは皆無に等しかった。皆を守れたことと、彼と再開の約束が出来たことで彼女の心は非常に満たされていたのだ。
「・・・ありがとう・・・あたしは今幸せだよ・・・」
薄れゆく意識の中で彼女は最後に二つのものを見た。
一つは走り去っていく彼の背中。
もう一つは―――
----------------------------------------
『あなたほんっとにこりないわねぇ!これで何回目よ!?』
『今日で丁度10回目となります。してお返事の方は・・・』
『・・・わかったわよ。あなたのその諦めの悪さ気に入ったわ♪・・・今日からよろしくね♪』
『い・・・いやったあああああああぁぁぁぁ!!やっと念願のミラージュさんと付き合えたぞ!』
『あたしのことはミラって呼んでね!・・・実を言うと・・・あたしも最初っから好きだったんだよね////
・・・なかなか素直になれなくて・・・』
『な、なんということだ・・・俺は今猛烈に幸せだ!そうだ!ゆびきりげんまんをしよう!』
『なによぅかしこまっちゃって〜照れるじゃない////・・・はいっ小指』
『「今日からこの剣は貴方をお守りすると誓います。」っと・・・』
『ふふ・・・ありがとっ♪』
(・・・やはりあれは右手が痛むな。当分剣は握れないか・・・)
「グレイッ!前方に何か見えるわ!?」
先頭のソフィアが何かを見つけ指を差すその先には、巨木がそびえ立っているようだった。
「ソフィア!そのまま前進で突っ切ってくれ!」
一同が近づくにつれ、その全貌が明らかになる。ソフィアが先に巨木にたどり着くと急にピタリと足を止め、追いついた一同も足を止める。いや、とめざるを得なかった。
そこには、巨木を中心に取り囲むように大きな広場が出来ている。先ほどまで皆を苦しめてきた触手はどこにも見当たらず、またあったような痕跡さえ見当たらない。代わりにあるのは、色彩豊かで地上にも普通にありそうな草花であり、まるでカーペットのように広場一面に広がっていた。
「な・・・こ、ここは・・・一体・・・?」
魔界とは到底考えられないような光景に一同は困惑する。魔界に入ってから今の今まで本当にこのような光景は見たことが無かったので驚くのも無理が無い。
兵士達は自分の頬をつねったり、自分で自分を殴ったりしている者がいるがどうやら夢ではないらしい。グレイも兵士達と同じくやってみるが、普通にいつも通り痛みを感じた。
「来るときはこんな所なかったわよ・・・」
「ナイトメアの仕業ではないらしいな・・・本当にここは魔界の一部か?」
「・・・わたしも信じたくないけど、まだここは魔界みたいだね。ほら、向こうを見て!」
ソフィアが指を差す先には今まで嫌々と見てきた触手が立派に蠢いている・・・が、とても動きが不自然なように見えた。なぜか今グレイたちが居るここの広場を上手く避けるようにして蠢いているのだ。
(・・・?何か結界の類でも張らされているのか?)
グレイは不思議な不安を感じたがさほど気には掛けなかった。
「ねぇねぇ、何か臭わない?いや、良い匂いと言った方がいいかな?」
「ん・・・たしかに何か匂うな。・・・・・・!この匂いは!?」
グレイとソフィアや兵士達にもこれは匂っているらしく一同は自分の鼻を疑った。その匂いは一面に生えている花からしているが、それは明らかに花の香りではないことに気がつく。
「食べ物の匂い・・・?」
朝一番の商店街に出る焼きたてのパンのこんがりとした香り。
肉を焼くときの油が滴るかのようなジューシーな香り。
果物を口いっぱいに頬張ったときのあの水々しさとフルーティーな香り。
デザートのあの甘ったるい香り。
はたまた一仕事終えた休日の午後の紅茶やコーヒーの香り。
それらが一斉に鼻から入り込み脳まで伝わる香りはこの世の元とは思えぬほど良い香りで、一同は腹が満腹になったと空想した。彼らの目は焦点が合ってなく、ただひたすら臭いを嗅いでいるだけであった。
「はい、グレイあ〜ん♪」
「ぁむ・・・んん。やっぱソフィアのりょうりはさいこうにうまいな。じゃあこんどはおれのばんだ!あ〜ん♪」
「あん・・・おいしっ♪」
そんな様変わりした一同を冷ややかな目で見る人影が一つ。
「グレイさん!ミラ!皆!クソッ!どうしたってんだよ・・・」
スノウは一人一人肩を揺さぶり大声で呼びかけるが、彼の耳に返事は返って来ずただよだれをたらし虚ろな目が返ってくるだけである。
相手の虚ろな目に自分の姿が移り込むのを見てスノウはハッと突如思い出す。
(待てよ・・・俺はこんな光景を図鑑で見た記憶がある・・・落ち着け、思い出すんだ・・・)
(・・・!!そうだ!これは『ヴェルゼブキャッチャー』の仕業だ!)
『ヴェルゼブキャッチャー:第二種災害不回避魔生物』
魔界にだけ生息する食人植物の一種である。主な生息地は、触手の森の最深部であるが、その危険性故情報が少なく、今だ分かっていない生態が多い。地上に生息している食虫植物同様、獲物の捕らえ方は変わりなく獲物が好む特有の香りを出し誘い込むというものである。
だが、魔界特有だけあって効果は一際強力でその臭いを嗅いだものには強い幻覚作用が現れ、餌場から逃げることができなくなる。そして頃合いを見て口とも思われる特徴的な葉で獲物を捕らえるのだ。
食事方法は、口で獲物を挟み込むと口の中から特殊な樹液が染み出てくる。樹液には媚薬成分が含まれており、樹液に浸った獲物は肌から成分が浸透して何もしなくてもたちまち絶頂してしまうのだという。そして絶頂に至った獲物から精を吸い取るというのである。
対処方法は簡単で本体である茎に一度強い打撃を与えると幻覚作用が取れる。が、実際は『ヴェルゼブキャッチャー』出会ったころには全員が幻覚にかかっていることが多いので何も出来ないというケースがほとんどである。
なお、一度口の中に入れられてしまうと、枝を切り落としても口は開かないので脱出は不可能になってしまう。脱出したいのならば、精が搾り取られると自然に吐き出されるので、それを狙うといい。しかし、それまでは永久に絶頂し続けるので体力や精神は持たないだろう。また吐き出されるのも、次の日か何十年も先かは分からないので覚悟しておくべし。
魔界でも非常に貴重な植物であるが、その特徴的な容姿から『魔界のハエトリグサ』と呼ばれることがある。
(この幻覚症状・・・間違いない、図鑑と同じだ。俺が動けてなかったら全滅だったってことか・・・)
なぜスノウが無事なのかというと、話は森に入る直前までさかのぼる―――
*********************************
「スノウ、ちょっとじっとしててね」
「なんだいミラ?・・・っておお!?」
「・・・これで完了っと。万が一の為にあなたにだけ強力な結界を張ったわ。」
「何で俺なんだい?自分に張ればよかったじゃないか?」
「あたしはもう魔力があんまり残ってないし、体術もそんなにたしなんでないから万が一動けるような状況になっても意味が無いのよね。それならあたしよりもスノウの方が助かる確率はぐんと高いってわけよ〜」
「さらに何で俺?グレイさんとかソフィアさんとかもっと強くて頼れる人がいるじゃないか。」
「この魔法はね・・・自分か術者が一番信頼している人にしか使えないの。
・・・頼りにしてるよ♪」
「頼りにされました♪・・・こんな俺でも君は信頼してくれているのかい?」
「?何言ってんのよ。恋人を信頼しないカップルなんているの?」
「・・・ありがとう、ミラ。俺は必ず君を、皆を守り通すよ!」
「あなたはやるときゃやる男ってのはあたしが一番わかってるのよ〜♪」
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(ミラが託してくれたこの想い、無駄にはしない!)
スノウは剣を握り締めヴェルゼブキャッチャーの茎を探す。それらしきものをバサバサと切りつけていくが皆には何も変化がおきない所を見ると、本物ではないようだ。
広場の半分を捜索しても本体の茎は見つからなかった。
(クソッ!!なかなか見つからないな・・・早くしないと・・・)
すると後ろの方でガサガサと音が鳴った。スノウはハッと振り返るとそこには、巨大なまつ毛のような葉が二枚で一人の兵士を挟み込む形で捕らえていた。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!」
スノウは必死に枝に切りかかり、枝と葉で分離させる事に成功した。が、時既に遅し、その兵士はとても強力な力で挟み込まれており救出する事は出来なかった。
葉を切ろうとしたが、枝とは違いとても硬く傷一つ付けられなかった。
スノウ一人では到底足りる訳がなかったのだ。
(嘘・・・だろ・・・?畜生ぉ!!!!茎、茎はどこだ・・・)
スノウは必死で探すがもうそれらしき物は一通り切りつけており、広場にあるのは臭いを出している花と巨木のみ。スノウの疲労もピークに達しているようだった。
彼は万策尽きた様子で巨木に寄りかかる。顔には諦めの色が出ており、今までの記憶が走馬灯のように浮かび上がってきた。と同時に彼の鼻にかすかにあの良い匂いが香りだす。
「もうすぐ結界の効果も切れるってことか・・・」
彼の意識もまたぼんやりとしてきて視界が霞んできた。その間にも一人一人と仲間が捕らえられてゆく。どうやら力の弱いものから捕食するようで、既にほとんどの兵士や魔術師はもう捕まってしまっていた。全員が捕まるのもそう遠くはない。
(あら、あなたってそんなに諦めの良い男だった?あたしに何度も告白して何度もフラれたけどあなたは決して諦めなかったじゃない。あたしはあなたのそーいうとこに魅かれたんだよ。だからもうちょっと頑張―――)
「!?」
それは聞き覚えのある声。毎日聞いている声。彼の脳直接話しかける声はいつもどおりの変わらない彼女の声だった。
「ミラ!?意識はあるのかい!?」
ミラージュを見つめるスノウ。だが返事は返ってこなかったが、彼女の顔はかすかに笑みを浮かべている。
「・・・そうだ。俺はこんなとこで諦めるわけにはいかない・・・皆の為にも諦めるわけにはいかないんだ!」
スノウは勢いよく立ち上がり大声で雄たけびを上げ森の中で木霊するのが聞こえた。意識がなくなるのを防ぐためと、彼なりの気合の入れ方である。
(さっきまでは急がなければいけないという焦燥感に駆られたけれども、よくよく落ち着いてみろ・・・見えたっ!!!)
スノウの目線には先ほどまで寄りかかっていた巨木。よく目を凝らしてみて見ると所々の木目が虫の様にわさわさと蠢いている。本当に小さなもなので集中でもしないとまず見つからないであろう大きさであった。
「まさかこの巨木がヴェルゼブキャッチャーの本体だったとは・・・茎っていうより幹だろ・・・」
そう言うと剣を構え狙いを定める。今までの苦労をすべてこの一撃に込めるように力強く構える。
ドスッ、と彼の一撃がピンポイントに当たり剣は巨木に刺さりこんだ。剣が刺さった場所は蠢きが激しくなりまるで波のように巨木全体に伝わる。彼が巨木から剣を抜くと今まで綺麗だった広場の草花はたちどころに枯れ腐り、景色は魔界のそれに戻った。またあの良い匂いはひどい悪臭に変わり、皆の幻覚も晴れたようだった。
「む・・・なんだかとても良い夢を見てたような・・・」
「わ、わたしもっ(夢にもグレイが出てきたなんて言えない////)」
各自少しずつ目を覚ましていき、意識もだいぶはっきりして来る。幻覚によって夢を見せさせられていたようで、まだ頭がぼんやりしている人も少なからずいて、一部の兵士はまだ余韻に浸っているようである。
その隙をヴェルゼブキャッチャーは見逃すはずがない。幻覚を晴らされた怒りと、獲物を逃がすまいという思いで大量の葉を広げる。
「皆さん!説明は後です!逃げてください!」
スノウがそう叫ぶと同時に葉が一同に襲い掛かる。剣を取り出す者、逃げ出す者、まだ意識がはっきりしていない者とがいる中に、突如先頭に一人の女性が踊り出た。
彼女は杖を片手に巨大な光の壁を作る。葉は光の壁に衝突し跳ね返されるが、懲りずに何度も突進して来る。
「ここはあたしが食い止めます!どうか皆さんは先に行っててください!」
ミラージュはわずかに残された魔力をすべて使い切り、皆を守る。だが、次第に光の壁は攻撃されどんどん薄くなっていくのが目に見えてわかり、壁がなくなるのも時間の問題であった。
「ミラ!君の体力じゃもう無理だ!早くこっちへ!」
逃げ始める兵士達の中、スノウは立ち止まりミラージュへ呼びかけるが、彼女から返事は返ってこない。スノウはさらに何度も続けざまに呼びかけ、ぼそりと彼女は返事をした。
「・・・今あたしが魔法を解いたら皆襲われる。あたしがこのまま残ったら襲われるのはあたしだけ。どっちが大事かなんて考えなくてもわかるでしょ・・・?」
「それは騎士団員としてだろ?俺は・・・俺は一個人として君が何よりも一番大切なんだ!!!!!!・・・だから・・・もう・・・」
腰を落として呆然と立ち膝になっているスノウの元にグレイが歩み寄る。彼はふぅと一息つくとミラージュにも聞こえるようにわざと大きめな声で言う。
「スノウ・・・もう諦めろ・・・彼女の考えは正しい。彼女は相当の決意であそこにいる。お前も男なら彼女の頼みくらい聞いたらどうだ?
お前のさっきの発言は騎士団員としてタブーだが、まぁ今回だけは大目に見てやろう。
だがな、これだけは守ってくれ。『後ろを振り向くな』」
グレイは心を鬼にしてかみ締めていた。彼も助けれるものなら助けたいと思っていたが、今の彼は聞き手の右手を酷い火傷に覆われていてとても剣を握れる状態ではない。守れるものを守れないということは彼の心も激しく傷つけた。
「俺達は先に行く。・・・付いてくるかここに残るかはお前の好きにしろ。」
そう言うと、騎士団一行は森の奥へと進んでいった。
スノウはミラージュに歩み寄る。
「スノウ!!団長の話を聞いてなかったの!?早くここから―――」
彼女の言葉をさえぎるようにスノウの唇が彼女の口を覆いかぶさる。とても熱く濃厚で気を抜いたら結界が弾け飛びそうだった。
唇を離し銀色の糸が二人の間を伝い、スノウはつぶやく。
「ごめんミラ・・・俺は行くよ。でも・・・このキスはさよならじゃない。またいつか出会ったら・・・これの続きをしよう。」
「・・・・・・・・・うん。あたしも待つよ。あなたが迎えに来るまで、この魔界でずっとずっと・・・」
スノウ何かを思いつき腰の剣を抜き取ると、地面に突き刺す。
「ミラ・・・俺はこの剣を置いていく。この剣が再開の合図だ。俺を見つけたらこの剣を振ってくれ。」
「わかったよ。・・・ねぇスノウ、ゆびきりげんまんしよっ!」
スノウは何で今頃と不思議に思いながらも、必ず再開できますようにと強く指を切る。彼はなぜか懐かしい感じがした。
光の壁にはところどころにひびが入っており、いつ崩れてもおかしくない状況であった。
「ありがとっ♪・・・そろそろあたしも限界みたいね・・・」
「・・・俺はもう行くよ。大丈夫、もう気持ちは変わらない『後ろを振り向くな』さ。」
「・・・スノウ・・・また・・・会えるよね?」
ミラージュの問いかけにスノウは迷うことなく答えれた。
「必ず。」
そう言うと彼はミラージュを背に騎士団を追うように走った。途中で後ろから大きな物音がしたが、彼は決して振り返らず走った。泣き叫びながらひたすら走った。
彼女は彼が走ってしばらくすると自分で魔法を解く。これ以上続けても疲れるだけだろうと悟ったのだ。
魔法を解除すると同時にたちまち葉が彼女を襲い掛かり、彼女は抵抗する力もなくなすがままされるがままに体を差し出す。だが、今の彼女に恐れは皆無に等しかった。皆を守れたことと、彼と再開の約束が出来たことで彼女の心は非常に満たされていたのだ。
「・・・ありがとう・・・あたしは今幸せだよ・・・」
薄れゆく意識の中で彼女は最後に二つのものを見た。
一つは走り去っていく彼の背中。
もう一つは―――
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『あなたほんっとにこりないわねぇ!これで何回目よ!?』
『今日で丁度10回目となります。してお返事の方は・・・』
『・・・わかったわよ。あなたのその諦めの悪さ気に入ったわ♪・・・今日からよろしくね♪』
『い・・・いやったあああああああぁぁぁぁ!!やっと念願のミラージュさんと付き合えたぞ!』
『あたしのことはミラって呼んでね!・・・実を言うと・・・あたしも最初っから好きだったんだよね////
・・・なかなか素直になれなくて・・・』
『な、なんということだ・・・俺は今猛烈に幸せだ!そうだ!ゆびきりげんまんをしよう!』
『なによぅかしこまっちゃって〜照れるじゃない////・・・はいっ小指』
『「今日からこの剣は貴方をお守りすると誓います。」っと・・・』
『ふふ・・・ありがとっ♪』
10/11/27 00:29更新 / ゆず胡椒
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