・8月26日
『天気：晴れ
　気が付けば私は研究跡地を後にし、エル達家族が待つ屋敷まで戻っていた。今こうして日記を記録しているのは、私が得た情報のあらかたのことをエルに説明した後のことである。実況モードを解除して普通の録音モードに戻してあるので落ち着いて整理できそうだ。
　あの暗号、あれには私の知りたい情報が全て書かれていた。いや、知らなければならない情報なのかもしれないし、もう既に運命付けられていたのかもしれない。
　私は唯々<<驚愕>>した。暗号に記された恐ろしく一方的で怖ろしく合理的な、とにかく感情のある者が見たら発狂してしまいそうなほどの内容に私は押しつぶされ、淡々と綴られる前マスターの思いの内が、感情の存在せぬ私の中にたたみ掛けるように止め処なく流れ込んできた。
　だがしかし私には彼を否定することも肯定することもできなかった。余りにも情報が大き過ぎたのだ。
　世界を滅ぼす？
　世界を救う？
　私はそのようなことが知りたかったわけではない。ただ、私の出生はどのようにして生まれ、何の為に作り出されたのか。ただそれのみを知り得たかったのだ。だがしかし、何がどうして今の事態に陥っているか頭では理解できとも、認識したくはない。
　生涯かけて創り上げた研究物の最高傑作だとか、亡き妻の亡骸をベースに創り上げたゴーレムだとか･･･影ながらそういったロマン、ファンタジー性のある過去を密かに望んでいたのだが、現実は余りにも非情の限りを尽くした残酷的なものだということを改めて再認識せざるを得なかった。自らの出生の秘密を解き明かそうとしたつもりが、自らの終わりの宣告だったことほど面白おかしいことはない。笑いたくとも笑うこともできないがな。
　
　私は家に戻り、まず初めにエルの部屋へと駆け込んだ。
　相も変わらず油と煤まみれの作業着に身を包み工具を扱っているエルの姿がそこにあり、彼も私の存在にすぐ気が付いたようで、エルと私の目が合う。
　数日、そう、たった数日屋敷を後にしたというのだけなのにエルはまるで数十年ぶりに再会した恋人かの如く私を見るや否や、全力で抱きついてきた。神界の武具で作られたらしい私のボディが煤まみれになってしまったがまぁエルだから何も思うことはない。むしろ抱きついてきてくれたのが上なく嬉しいのが本音といったところだ。
　エル曰く、いくら人間より強力な力を持っている魔物娘だとしても結局は女性であることには変わりなく、つまるところ私が心配だったらしい。魔物娘である私はいまいちその心情は理解し難いが、裏を返せばエルはそれほどまでに私を心配していてくれたということになる。そして、ゴーレムとしてのみならず女性としても見てくれていたのだ。
　これほど《嬉しい》ことはあるだろうか。
　愛想も感情も欠落している自律人形として今まで―異例はあったが―共に付き添っていたが、これほどまで高揚したことはない。いつもはエルや妹様のことを心配ばかりしていた私だが、逆の場合もなかなかよいものだな。
　数日振りに触れ合うエルの感触、質感に当てられ今すぐにでも精の搾取を行いたいと思った次第だが、そうなるとまた一日を無駄にしてしまうことになるので、まだ出来るだけ精一杯の我慢をしておこうではないか。
　それから私はエルにだけ日記の内容を断片的に知らせた。

　日記の筆者はエル達の先祖であったこと。
　彼は天才的科学者兼哲学者であったこと。そして人間に希望と絶望を抱いていたこと。
　私は彼に創られ彼の手によりコールドスリープさせられていたこと。
　私は泥と土でできているゴーレムではなく、他のゴーレムより少しだけ特殊だということ。
　その他色々と･･･

　そう、全ては話さなかった。

　一番の主要であり必ず伝えなくてはならないことを私はあえて語ることなく、胸の内にしまい置くことにした。どうしてエルに伝えなかったのかは私自身もよく分からない。言わなければいけないのにもし言ってしまえば全てが壊れてしまうような、今まで積み上げてきたものが全て崩れてしまうような気がしてならなかったのだ。
　私自身、自らの終わりを認めたくなかった深層心理の表れなのかも知れないな。
　もし仮に私が全てを話したらどうなったであろうか。
　恐らく、何も変わらない。
　日記に記されていることは全て避けることの出来ない信実なのだ、もう何も変えることが出来ない。
　日記の内容に耐えかねてエルが正気でなくなってしまったら･･･そちらの方が私にとって怖ろしい限りである。終わり来る世界を前に一家心中などされた日には私も死んでも死に切れないものだ。

　ふぅ･･･久しぶりの日記は疲れる。
　まだ書くことはたくさんあるのだが、いかんせんまだ疲労が取れきっていないもので文章が浮かんでこないのが口惜しい。文体も支離滅裂だ。
　今日はここまでにして眠りに付こう。
　あぁ最後に。暗号には二つの選択肢のうち一つを現マスターと選んでもよいと書いてあったが、私一人で選んでしまったよ。私が始めて自立的に起した行動として記録しておこう。
　あ、いや、初めてではなかったか。まぁよい。
　どの道私は朽ちるのだ。心残りなど何もない。あってはならない。』

・8月27日
『天気：雨
　今日はエル、妹様共々アカデミーに行ってしまっていたので、私は御屋敷の清掃等使用人として職務を全うしていた。
　もう残り少ない職務を行うというのは些か感慨深いと言うか、懐古を感じさせる。がらんどうとして物音何一つない広間は一見すると寂しげで荒廃的情景を想起させるが、私には寧ろこれくらい静かなほうが落ち着いていられるのだ。
　それが私にプログラムされた設定なのか、人工知能が自動的に学習し自己の好みを見出しているのかは分からぬが、理由はどうあれ私はこの場所が好きだ。
　少し端がほつれたカーペット。
　年季が入ったセピアカラーの油絵。
　黙々と沈黙し規則正しく鳴る振り子時計。
　少し錆びついた真鍮のドアノブ。
　どれもこれもが普遍的に形を変えずそこにあり続ける様は、ノスタルジックな情景で無人の廃墟を想像させる。だが、この御屋敷には人間三人、魔物一人が同じ屋根の下に住んでいるということがたまらなくイレギュラーでありノーマルでもあるのだ。
　まるで戦場で歌う歌姫のように場違いであり、喪服を着たサーカス団のように不釣合いなこの場所が私はこの上なく大好きだ。私のいくら汚れ傷ついても跡が残らぬボディよりも余程美しく歴史が生きているようにも感じ取れるし、ただの風景の一部が息をしているかのようにも感じ取れる。
　
　つまり、何が言いたいのかというと私はこれほど思うまでにをここを離れたくないのだ。きっと止めなければ永遠と賛美し、記録し続けていただろう。私の31日という短い活動限界の中で広間はなくてはならない場所として、想像以上にメモリーの深奥まで記録されてしまったらしく、現に今こうやって記録している時間を除いても滞在時間の一番長い場所はこの御屋敷である。
　御屋敷といえば、今思えば母様には多大な迷惑をおかけした。
　今まで力加減の調整不具合でどれほどの食器を割ったことか。味覚というものを感じないので酷く不味い食事を提供してしまった時もある。　
　妹様が誘拐された時だって、私が付いてさえ入ればあのような事にはならなかったのであり、今思い返してみても若干悔しさと不甲斐なさが沸々とこみ上げてくる。
　エルと二人きりになるとはいえ、嘘をつきワーシープの寝具をプレゼントしてしまったのも申し訳ない。本人は感謝しているらしいが、やはり実行した身としては胸が痛いものである。
　私は何かに突き動かされたようにいたたまれなくなり、母様のいる部屋へと突き進んでいた。財産の関係上仕事をする必要もない母様はいつも御屋敷の中で時間を潰しており、今日は部屋で編み物をしていたらしい。

「あら、もう終わったの？ご苦労様」
　
　実際まだ清掃は半分も終わっていないのだが、どうしても母様に会いたくなり無我夢中で行動していたのだ。どうせ夕飯の時には家族揃って食事をするので必ず顔を合わせるのだが･･･どうしても今この時間に会わなければいけない、話さなければいけないという不可解な衝動に駆られておりそれに従ったわけだ。

「母様。今の今まで私を雇ってくださいまして本当に感謝しております」
「いきなりかしこまっちゃって何？そんな頭下げる必要なんてないって」

　本当に、何を口走っていたのだろう。
　私の命があと数日しか残されていないというのはエル含め誰にも語ってはいない。だというのにこの言い分では、私がもうすぐいなくなるだとか、使用人をやめるだとかそのようなイメージを考えられてしまう言葉を無意識に発したことに違和感を感じざるを得なかった。
　母様は編み針と桃色の毛玉をテーブルに置くとドアを開け廊下と部屋の境界で立ち尽くしている私の方を見て一言。

「とりあえず入りなさい。何か言いたいことでもあるのかな」

　おずおずと部屋の中に入った私は改めて実感した。母様の部屋に入るのは今日が初めてなのだと。
　よく考えてみればこの御屋敷に雇われてから今日まで一度も足を踏み入れていなかったのだ。別に入ろうと思えばいつでも入れたし、そう難しいことではない。特に避けていたわけでもないのだが、何故か近寄り難いものがあった。
　本棚には大量の小説やら学本が敷き詰められておりカラフルに色づいて佇んでいる。テーブルには先ほど置かれた編み物のセットの他に、羽ペンと数枚の書類が積み重ねられており一つ一つ丁寧にサインを施してあったことから母様の几帳面さや丁寧さといったものが十分に読み取れた。
　部屋をキョロキョロと見回している私を尻目に母様は言う。
　
「そっか。ユミルは私の部屋に入るの始めてだもんね。そんなに目動かしたって特に何もないわよ？」
「あ、いえすいません。初めて映る映像なのでつい観察思考になってしまいました」

　クスクスと笑う母様はとても美しく、外見だけならば二十代、いや十代後半と偽っても十分に通用する程のものである。無骨で無愛想な私なんかよりも余程可憐で美しいものだ。
　特に最近は目を見張るほどに肌の艶や張りが若々しくなっているのがありありと分かるし、雰囲気もどことなく熱っぽくフェロモンのようなものが探知されそうになる。ワーシープの寝具をプレゼントした辺りからか･･･？と、まあ健康なのはいいことである。

「で、何か言いたいことでもあるのだっけ？何の用事かしら。」
「それが･･･」
「それが？」
「それが･･･特に理由などないのです。誠に身勝手ながら無性に母様と二人で会話がしたくなりましてここにいたった所存でございます」

　私の口から出た言葉はゴーレムとしては異質そのものだったのではないだろうか。ゴーレムは常に何らかの目的を持ち、的確に行動するようプログラムされているものである。それは私とて例外ではない。
　いくら他のゴーレムより優れていようとも、魔王様からの絶対的な種の固有性は抗うことは出来ないのだ。
　ゴーレムには主に従い完璧に遂行するという、命令ではなく種としての本能がある。それまでに生じる障害は極力最低限に抑えるのはごく当たり前のことであるし、今までもそうやってきた。
　だが、今回の行動は御屋敷の清掃とは何ら係わり合いのない、雑務であるからにして異質であるのだ。
　魔王様の下す支配が変わったのか、業務よりも優先してやらなければならないことなのかは今の私に知る由もないが。

「ユミルらしくないね。ま、たまにはこういう時間も必要なのかもしれないわね〜」
「ありがとうございます」

　深々と礼をする私を制す母様はベッドに腰掛け、私はそれに対面するような形で椅子に座った。オーク材で拵えられた椅子は少し古ぼけており、それがまた絶妙にアンティークさを感じさせる。
　
「ユミルとこうやって二人同士になるって機会は余りなかったわねぇ。どう？貴女がここに来てからもうすぐで一月になるわけだけど慣れたかな」
「はい。それもこれも全て母様やエル、妹様のおかげで随分とこの生活に慣れてきました」

　今思い返せば、この一月で様々なことが起こったな。本当に様々なことが･･･
　始まりはエルである。遠いご先祖の遺伝子操作でこの時代の私を連れ出すように細工されたとはいえ、私を連れ出したのはエルに違いない。そんな身も知らずのゴーレムを何の隔たりもなく受け入れてくれたのはエルだけではなく、心優しき母様と妹様であった。母様は何の役割もない私に使用人としての意味を見出してくださり、また妹様は私の良き話し相手であり相談相手でもあった。
　きっと今の私はエル達家族がいてからこそ在るのだと思う。いや、思うのではい。そうなのだ。
　そして家族を纏める母様がいてこそ、このように心優しき家族があるのだろう。

「母様、貴女は私なんかよりも遥かに御強い。何故そのように逞しく気丈でいられるのですか」

　私は母様に問うた。
　母様はユミルのほうがよっぽど頼りがいがあって強いわよ。と仰るが私はそうは思わない。
　私は今では運動能、知能の面ではきっと普通のゴーレムを遥かに凌駕してしまっている存在である。そんな私でも母様は御強い。私なんかと比べ物にならないほどに偉大で一生勝てることはないと本能的に直感してしまっているのだ。
　だが、一体何が強いのか。それが私には分からないのである。答えが出かかっているのに、最後の最後で霞がかかりよく分からなくなってしまう。

「そう、ねぇ。母として、女としてならユミルよりも勝っているのかも知れないわね」
「母･･･女･･･」

　ぽつりぽつりと母様の言葉を復唱する。
　私の中ではどこかで納得したような気がして、どこかでは納得できないような気がしてさらに霞が強くなってしまったような思いである。

「そう母と女。
母というのは家族を守るためならたとえどんな困難が待ち受けていようとも命をかけて守り通す気丈さと、良しも悪しも全てを受け入れる慈愛に満ち溢れたもの。
女というのは自分に向けられた愛を相手に倍にして返すこと。そうやって深く深く愛し合っていくもの。
んーユミルにはちょっと難しい話だったかな」
「･･････」

　きっと以前の私ならば、理解できないの即答であっただろう。
　しかし、今の私はそれを理解しようと必死に人工知能で構築しているのだ。心のない私でもどうにかして精神論を理解しようということがまず無謀な行為であり、以前の私ならば行動を起す前に選択肢を破棄してしまったであろう。
　だが、現に私は必死に日記を綴っている今でも【無】から【有】を生み出そうと必死に人工シナプス回路を構築している。オーバーヒートが起きてしまう寸前、そこまでしても会得できない【心】というものは如何に尊く賢く複雑で計算できないものであるものなのか。

「すみません。今の私にはまだ理解できないようです」
「いいのいいの。私だって偉そうなこと言って理想の母なんてものにはかけ離れているのだから。
きっとこれは人も魔物も関係なく、全ての女性への永遠の課題なんじゃないかしら･･･ね」

　内なる霞が晴れたようなより濃くなったようなどっちつかずの状態であったが、母様の語る熱意を120％受け入れようとしていた私にとって、心すなわち感情というものがどれほど人に大きく影響するかを実感していた。
　私の日記の最終目標である感情の会得。残された短い時間の中で答えを導き出せることが出来るのだろうか。感情を理解することが出来たのならばそれは世紀の大発見ともいえる事柄であり、理解できなければ私は所詮それまでの存在であったということになる。エルの為にも、私自身の為にもどうにかして手がかりを見つけたいものである。

「どうしてそんな強さの事なんて聞いたのかしら。ユミルは十分過ぎるほどに強い。これは確かよ」
「母様がそう仰られるのならば、私は強きゴーレムであり続けたいです」

　いや、私は弱い。
　刻々と迫りくる時間が死と共に訪れることがこの上なく寂しいのだ。
　別に死ぬことが怖ろしいのではない。それにより皆と永遠に会うことができなくなることが寂しいのだ、怖ろしいのだ。
　逃れられぬ死を前にすると、人間はどのような行動に出るのか。
　最後に母様にこれを聞いてみようと思ったが、もしこれで私の残り時間が少ないなどと勘付かれてしまったら元も子もない。自分が自分なりに考え決断を下した選択を躊躇してしまわないように、あえて誰にも語らずにおいてある決断をそう易々と変えたくないのである。私の身勝手な我侭かもしれないがな。
　故に誰にも勘付かれてはいけないのである。誰にもな･･･

　その後も小一時間ほど母様と語り合い、気が付けば時刻は昼の4時を過ぎてしまっていた。まだ清掃の半分も終わっていなく、またもう少しすればエル、妹様がアカデミーからご帰宅なさるのにも関わらず夕飯の支度も済ませていない。

「それでは私は業務に戻ります。貴重な御時間を使わせていただき誠にありがとうございました」
「いいのよ〜貴重な時間っても一日中暇なだけだし･･･ふぁぁあ」

　ずっとベッドに腰掛けていたせいか、母様はワーシープの寝具の魔力により眠気に襲われているようであった。そこまで魔力が強力な品を購入した記憶ではなかったのだが、母様自体が気に入ってくださっているので良しとしよう。
　部屋を出ようとドアに手をかけた時、後ろから母様が一言呟いた。

「貴女には本当に感謝しているわ。これからもあの子たちをよろしく頼むわね･･･」

　私は返事をすることなく、ドアと閉じた。
　私に【これから】なんてものは存在しないのだから』

・8月28日
『天気：曇り
　今日はエルがアカデミーに行き、妹様はお休みになられ、母様は未だ睡眠中といういつもと少し違う一日であった。
　母様から数日の間業務のお休みを頂いたので特に何をする気もなく御屋敷の中を散歩していたところ、妹様がなにやら慌しく部屋の掃除をしているのが見えたので様子を伺ってみることにした。
　妹様の部屋は昨日私がいつも通り清掃したはずなのだが、妹様はそれでもまだ足りないといわんばかりに部屋の隅々まで箒を掃け、布巾でテーブル等を綺麗に拭いていたのが少々気になったので部屋に失礼することになった。

「妹様、清掃が不十分でしたならば再度私が行いますがいかがなさいますか」
「え、あ、あぁ･･･ユミルか。いやいいよ、私がやりたくてやってるだけだしね」

　サキュバスになったことにより、以前から活発だった性格が拍車をかけて活発になったのだが、その分ものぐさな性格も強調されてしまい自分の部屋の清掃など一度も行っていなかったはずの妹様がそそくさと手際よく清掃しているのに私は失礼なようだが違和感を感じた。
　妹様は以前私が目撃したエルとの行為以降、エルとはセックスしていないので心底安心したがあのようなことは二度とやって欲しくないものである。親族であり、サキュバスでもある妹様は本当にとても色っぽく芳香と香る体臭は男が嗅いだものだら発情は間違いないだろう。毎日エルは妹様の臭いを嗅いでいるが大丈夫なのは、親族だからということにしておきたいものだ。

「今日は私のクラス、講義休みだから彼氏ウチに呼んじゃったんだ♪だ・か・ら〜いつでもデきるように部屋を念入りに綺麗にしてるってわけ！あ、ユミルの掃除が汚いってワケじゃないから安心して！」

　ああなるほど。そういえばボーイフレンドが出来たという話があったことを思い出した。サキュバスの彼氏ということは相当タフな青年なのだろう。もしくは既にインキュバスになってしまっていることも考えられるが。
　目を輝かせて語る妹様は見ているこちらからも期待や楽しさがありありと伝わってくる。魔物化というものはヒトの構造をまるっきり変異させ形態を変えてしまうが、もともとあったそのヒトの【心】は元の人間をベースに変えられないという。今の妹様を見れば一目瞭然で、見た目はヒトのそれではなくなってしまったけれども、中身は今も昔も変わらず妹様のままである。

「･･･よし終わった！んむ〜ハリキリすぎちゃったかな、早く終わりすぎちゃった。
ユミル、カレが来るまで話しでもしない？ちょっとユミルに言いたいことがあるんだ〜」
「何なりと」

　特にやることがなく残された時間を刻々と待つ私にとって、人と触れ合う時間というものは命に代え難いほど貴重である。最近妹様と触れ合う機会も少なくなっていたところなので丁度いい機会と私も思い、会話を楽しむことにしよう。がーるずとーく･･･というやつなのかな。言葉だけなら聞いたことがある。


「ん〜ユミルってさ、生まれた時から魔物でしょ。だから私みたいに途中から魔物になったわけじゃない真性の魔物娘ってことになるんだよね」
「ええ、そうです。まだ目覚めてからの時間も約一月しか経過しておりませんから魔物娘として自覚は然程ありませんがね」

　サキュバスよりも好色でなく男性を魅了する能力も控えめであるゴーレムは、周囲からの認知度もサキュバス種ほど広くはない。私は真性の魔物娘であるが、魔物娘らしいのはもっぱら妹様の方ではないだろうか。豊満な胸に艶かしい尻尾、漆黒の翼に黒く捻れた双角が物語っている。
　むしろ魔物娘としてサキュバスとは現魔王様の思想にもっとも忠実で正しい種族なので、妹様はもっと胸を張るべきだと思うのだが。

「サキュバスになって後悔しているわけじゃないんだケド･･･少し、ほんの少し不安なんだよね」
「不安、ですか」

　普段の妹様とはまったく違った一面の神妙な顔つきを私は始めて目の当たりにした。

「カレはね本当にかっこよくて優しくていい人なの。毎日アカデミーでもセックスしてくれるし私の要望にちゃんと応えてくれるカレがいて幸せなの。そう、幸せ過ぎて逆に不安なのよ。
こんなに幸せだとね、巧く出来すぎているような気がして不安で不安でたまらないの。私って変かな･･･？」
「妹様は本当に御優しい。心配する必要はありませんよ。魔物娘は幸せになるようにできているのですから、その幸せを十分に噛み締めそのひと時を堪能するのが御二人の未来に繋がります」

　あぁ、やはりこういったところは以前の妹様と何ら変わりがない。いや、サキュバスになり人と触れ合うことでより他の人へ目が届くようになったのかもしれないな。
　確かに魔物娘というものは人間、主に教会側の人間からしてみてみれば人類の敵とまで思われている。実際は愛を一番に受け一番多く注ぐことの出来る種族だというのに、主神の教えとやらで嘘を教えられてしまっているのだ。可哀相な事よ。
　真実を隠し、虚偽を広めるという卑劣極まりない方法で魔物娘を迫害しているとは、聞いただけで虫唾が走るほどだ。貴様らに魔物の何が分かる、魔物でない者が魔物を語るなと一喝してしまい気分だぞ。
　妹様の余りに謙虚な悩みは私自身も見習うところがあり、感情の構築に役立てばいいと思っている。
　とっさに返したその言葉はまるで今の私の状況を真逆にしたような自分への慰めだったのかもしれないな。

「じゃあユミルは自分が魔物娘で良いと思ったことはある？」
「私･･･ですか」

　魔物娘でよかったことなど一つしかない。
　エルと交えることができること。それの一つに尽きる。
　そもそもセックスとは互いの愛を確認する上で基本的に欠かせない事柄であると私は思っている。いかにセックスが円滑に、気持ちよく行なえるか。全てが互いの愛によって織り成すハーモニーなのだ。
　キスのあの下が蕩けるような感覚は食材で補えるか？
　乳房を揉まれ勃起した乳首を捏ねくり回される蹂躙される感覚。ビリビリと胸の先端から脳髄まで伝わる快感は他の何事にも形容し難い性感であることは間違いない。
　性器の中は宛ら性感帯の大宇宙といったところであろうか、カリ首と肉ヒダが擦れあい子宮まで届く性感の波はより膣の締付けを促進させ、パートナーを快感の坩堝へ招き入れることができる。
　それがセックスというものだ。互いが互いを愛し合い愛を確認する為に性欲の深淵まで足を踏み入れ、熱中することにより心が混ざり解け合い二人が一つになる。私はセックスとはそういうものだと解釈しているつもりだ。

「私はエルと補きゅ･･･いや、セックスする時が一番幸せな瞬間ですね。あの感覚は普通の人間にはきっと感じられない感覚だと思いますよ」
「なるほどねぇ。やっぱり魔物娘なんだから性に塗れて精に溺れなさいってことなんだね♪
やっぱり魔物娘としてはユミルのほうがよっぽど先輩だな〜納得しちゃうよ」

　ゴーレムとサキュバスとでは圧倒的にサキュバスの方が性について詳しいと思ったのだが･･･こういうこともあるものなのだな。
　
「なんだかユミルってとっても頼れるお姉ちゃんみたいだし、すっごい優秀な妹って感じもするな〜
なんだか変なの♪」
「私はどちらでも構いませんよ。妹様の思うままに私をイメージしてくださればそれが私の本望でございます」

　作られた年代的には私のほうが大先輩なのだが、活動している時間的には1歳も迎えていないので大後輩になってしまうなこれでは。どちらにせよ、私は仕える身であるからにして必ず下手であることに変わりはない。
　妹様もまた母様とはまた別の安堵感というものがある。母様が慈愛だとすると、妹様は横溢といったところであろうか。

「あっ、そろそろカレが来る時間だ」
「ではそろそろ私も業務に戻るとしましょうか」
「何だかゴメンねユミル。ちょっと私たち、明日のアカデミーが始まるまでに何回ヤれるか記録に挑戦しようと思ってね♪」
「実に妹様らしい。それでは失礼いたします」

　部屋を後にした私は少々物思いに耽っていた。
　妹様はきっと彼氏様と一生幸せのまま暮らすのだろう。結婚し毎日性交し愛を育み、子を授かれば母となり新しい家族として幸せの連鎖が続いてゆくのだ。
　私はそんな妹様が元気であって欲しいと思うと同時に、この上なく羨ましかった。
　私だって普通に魔物娘として、いや人間でもいい。普通に男の人と結ばれいつどんな時でも二人で愛し合い家族というものを作りたかった。ただ切実に。
　爆弾など抱えて生まれたくなかった。感情のないゴーレムとして生まれたくなかった。
　何のしがらみもいらなかった。










　私も普通のサキュバスに生まれたかったなぁ･･･』

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