滝沢さん家の場合
ある春の夜の事。
僕は、先日結ばれたばかりの恋人のお招きに預かり、
彼女が借りているアパートの玄関先で、彼女が鍵を開けるのを待っていた。
長い黒髪の一部を、後頭部の高い位置でシニョンにまとめた、
ややきつい目つきだけど、優しげな表情。
清楚な雰囲気に見合う、淡い色でまとめられたカーディガンとスカート。
それらの内側に息づく、なめらかながらしっとりと吸いついてくる白い肌、
豊かに実った胸元、たおやかな手。
優美ながら、捕食者特有の禍々しさをもほのめかす八本の脚に、
お尻の辺りに生える、節足動物じみた腹部。
すべらかな額に煌めく、ルビーのような六つの単眼。
……うん、ここで疑問に思った人がいるかもしれないので、一応の説明を。
僕の恋人は、人間ではない。
ロールプレイングゲームに、敵役のモンスターとして登場しそうな、
人と蜘蛛が融合したような異形――本人はジョロウグモと名乗っている――なのだ。
頬に走る紅い牙のような紋様や、凶悪な外観の下半身に似合わず、性格はいたって穏やか。
ただし夜になると……いや、その話はまた別の機会に……。
ともかく、僕が、初めて招かれた恋人の部屋に、大きな期待と、ごく僅かの不安で、
胸――と、ついでに身体のとある一部分――を膨らませていると、
ドアを開きながら、はにかんだ微笑を浮かべた持ち主が、入室を許可してくれた。
「じゃ、入って」
と、僕が生涯忘れえない第一歩を踏み出そうとしたところに。
眠そうな目つきで、撥ね癖がついた茶髪の青年が、
キツネめいた耳と、三本の尻尾を生やした、同じ年頃の女性の手を引いて通り掛かった。
青年の方は片手で腰をかばうように、女性の方は何やら内股で歩き難そうにしていたが、
ふと僕らの方を見やり、口々に声を掛けて来た。
「あ、みとさんこんばんわー」
「どうも」
「こんばんは……安倍さん達も、お出かけしてらしたんですか?」
「ん、ちょっと晩ごはん食べに」
ここまで言って、キツネ耳の女性は、あらためて僕に注意を向けたようだった。
ミニスカートに隠されたお尻まで届く、赤みがかった金髪から覗く耳がぴくぴく動き、
琥珀めいた大きな目は、瞳孔を縦裂きのスリットに絞る。
何やら唸ったり、口元を楽しげに歪めたりしている女性に、僕は、
「ど、どちらさまですか?」
……びしりと問い質そうとして、失敗した。
うう、女性恐怖症も、治してもらえたはずなんだけどなぁ、みとさんに……。
ちなみに“みと”とは、
先程からドアの隣に佇んだまま、困ったように笑っている僕の恋人の名前である。
フルネームだと滝沢みと、水が透けるで水透。
ただ、本人は「漢字で書くと、大仰で嫌なんですよねぇ……」とこぼしていたので、
平仮名で表記させてもらう事にしよう。
話を戻して。 キツネ耳の女性が、僕に答えを返そうとしたのか、口元を蠢かせた瞬間、
連れの青年が、やや申し訳なさそうな表情で、僕達の間に割り込んで来た。
「ああ、すんません、ウチのツレが……」
「いいえ……妖狐の方、ですか?」
「稲荷だよ! よく間違えられるけど!!」
「夜遅くに騒ぐなバカ」
「きゃん! 人前ではたかないでよぉ」
「ずいぶんといい音がすると思えば、あなた達ですか……」
身も蓋も無く言えば、奔放で享楽的なのが妖狐、穏和で家庭的なのが稲荷、だったろうか。
どちらも、油揚げと肉をこよなく愛する、キツネめいた耳と尻尾を持つ獣人だ。
……などと、僕が脳裏でそんな情報を思い返していると。
安倍夫妻が来たのとは反対の方向から、白い着物に身を包んだ、
やや小柄な少女が、のっそりとやって来た。
腰の辺りで切り揃えられた癖の無い白髪、
同じく眉の辺りで切り揃えた前髪の下に、大きな吊り気味の半眼、小さめの鼻とへの字口。
何より目を惹くのは、深い青色の肌だろうか。
昔話とはだいぶ違う容貌だが、ゆきおんな……温厚で一途な性質と、
やや暑がりな体質の持ち主だったはずだ。
「や、なおちゃんこんばんわー……で、いい音ってどーゆー意味?」
「中身が無いからじゃねえか?」
「中身が無いからですね」
『ひっぱたいたらいい音が出ると』
「みとさぁん、旦那とお隣さんがいじめるぅ……」
「兄妹か何かみたいだなぁ」
先程、旦那さんに軽くはたかれた後頭部をさすりつつ、稲荷の女性が訊ねると、
間髪入れずに返って来たのは、青年と蒼白の少女の二重砲火だった。
思わず僕が、上記のセリフを漏らしたのもむべなるかな。
みとさんに頭を撫でられながら、あやしつけられる女性をほったらかしに、
なおと呼ばれた少女は、今度は僕の方に目を向けてぼやいた。
「……安倍さんみたいな兄なら構いませんが、橙火さんみたいな姉は願い下げですね」
「ああ、なおさんみたいな妹がいたら嬉しいけど、美濃みたいな弟は要らねえな……かみさんだけでもいっぱいいっぱいなのに」
「二人ともひどっ!? そういえば、なおちゃん、どっか行くの?」
「ええ、ちょっと口寂しいので、アイスを買いに」
「……太んない?」
「夫が出稼ぎ…じゃなくて、出張中ですから。 太りたくても太れませんよ」
「Hして精をくれる相手がいないからねぇ」
トーカさん――後日、本人に確認をとってみたら、
“だいだい色の火で橙火って言うんだ、派手な名前でしょ”と苦笑いしていた――の
あけっぴろげなセリフに、思わず赤面して吹き出す僕。
いや、彼女達魔物――和風の者は妖怪、そうでない者は魔物と自称する娘が多いみたいだ――は例外無く、性的な事全般に対してストレートな性分なので仕方ないのだが。
あわあわする僕を見かねたのか、呆れ気味な気配を滲ませつつ、
なおさん――“那由多の那に、青梅(おうめ)の青”だそうだ――が、トーカさんをたしなめた。
「橙火さん、この人はうぶみたいですから、もう少し自重してくださいな」
「えー? でもこの子、もうHは済ませたみたいだよ? みとさん相手に」
『ぶッ!?』
「みとさんに筆下ろししてもらえたんだ、幸せ者だね♪」
「な、なななななんのことですかあ!?」
「そしてみとさん……痛くなかったですか? ウチの旦那も童貞だったし、
初体験の時はあんまり濡らしてくれなか…」
初対面の相手に向かって、実にイイ笑顔で何を言いやがってくれるんだろう、この人は……。
いや、正確には人じゃなくて、魔物なんだけど。
さておき、トマトみたいな顔色になった僕とみとさんに、魔手を伸ばすトーカさん。
……ああ、みとさん御免なさい、今の僕だとこの駄雌ギツネを止める術が……。
「もういいから黙れあんた」
かすかに色づいた、げんなりとした顔で、安倍さんがトーカさんの背後から裸絞めを掛けていた。
いくら気心知れた仲で、頑丈な身体を持つ魔物相手とはいえ、
女性相手に躊躇い無く首を絞めるのはどうなんだろう……と、
普段の僕なら思うだろうけど、うーん……。
……などと、打ちひしがれたり、葛藤したりして忙しい僕をほったらかしにして、
「そりゃあ痛かったですけど、その……この子が気持ちよさそうにしている顔や、
イくのを我慢できなくて、情けなさそうな顔を見ているうちに、どんどん気持ちよく……」
「分かるなぁ」
「分かります」
頬に血の気を残したままのみとさんは、面映ゆそうな笑顔で、
「我慢できなくてイっちゃった時の、せつなそうな涙目なんて、
もう食べちゃいたいくらいかわいかったんですよ?」とのたまった。
それに応えて、裸絞めから解放されたトーカさんと、
僕達四人を無表情な半眼で眺めていたなおさんが、
「ああ、あるある」とでも言わんばかりにうなずく。
何だかもう安っちぃプライドとか羞恥心とかはどうでもよくなってしまったので、
僕は二人に質問してみる事にした。
「……ちなみに、どっちがですか? 分かるって」
『後者』
「サディストが三人もおる……」
「ビビりなさんな、でねーと魔物のツレなんて勤まんねえぞ」
二人から目を背けて俯く僕の肩を、激励するように安倍さんの平手が二、三度叩く。
すると、今度は彼の奥さんが、ほっぺたをぽりぽり掻きながらポツリとつぶやいた。
「いや〜、どっちも嬉しいし気持ちいいんだけど、
騎乗位の時に、我慢できなくてイっちゃう時の表情を見下ろしてると、こう……。
魔物の本能が満たされるというか、もっとわたしの膣内(なか)で、
あなたを貪り尽くしてあげる、だからい〜っぱいあなたのをちょうだいって、
滅茶苦茶に腰を振りたくなるというか……」
「ですね」
「ところで、なんで僕が、その……みとさんが初めての彼女だって……」
「ん? わたしね、ニオイでだいたい分かるのよ、人が今まで何人とHしてきたか。
……みとさんもなおちゃんも、今の相手だけだよね」
「あなたも人の事は言えないじゃないですか。
それに、今まで寝た相手が多い事なんて、自分の不実さをさらけ出すだけで、
少しの自慢にもなりませんし」
さっきから人の性遍歴をぱかすかバラすトーカさんに対して、
まったく動じた色も見せず、なおさんが答える。
そしてやや気だるげな無表情を崩さずに、彼女は安倍さんに話を向けた。
「まあ、それはいいとして……安倍さん、夫婦仲がいいのは素敵な事ですが、
ケダモノみたいにところ構わず盛るのはどうかと思いますよ」
「う、面目無い……」
「いや〜、にんにくラーメン食べたらついムラムラと……。
でも、出たゴミはしっかり回収して来たから、問題ないよね?」
『いや、それはないから』
「むー……シンまで言う? 三回も膣内(なか)に出しておいて。
そりゃ、誘ったのはわたしからだけどさー」
最近、人間と魔物のカップル――余談ながら、何故か、魔物は女性しかいない――が成立していくにつれて、それと歩みを同じくして、地味に増えた軽犯罪が一つある。
青姦だ。
……しかし、道理で、トーカさんが小さめのビニール袋をぶら下げていたわけだ……。
閑話休題。
くずおれて四つん這いになる安倍さんと不満げに唇を尖らすトーカさんを眺め、
一つ軽い溜め息を吐き、なおさんが口を開く。
「お盛んで実に妬ましいですね……では、そういう事で。 ……ああ、そういえば、水透さん」
「はい、なんでしょう?」
「今度、二人でお茶でも喫みましょう」
「はい」
「えー? わたしはー?」
「子供に飲ます色つき水などありませんよ」
「……あ、そーゆー事か。 みとさんもなおちゃんも、彼氏や旦那より凄いとしう…」
なおさんに皮肉られたトーカさんが、よけーな事を言い切る前に、
いや、それに対して僕が抗議のセリフを吐き出す前に、
みとさんが涙目で喚いた。
「女が恋人より十歳年上で何が悪いんですかぁ!! ……ううう……」
「よしよし、十歳差なら無いも同然ですよ。 私なんて百何十歳上なんですから」
「那青さん……!」
「……ゴメン、そこまで気にしてるなんて思わなかった」
「アレ? そういえば、なおさんはさっき、安倍さんと兄妹どうこう言ってたような……?」
僕の呟きに答えたのは、いつの間にやら復活した安倍さんだった。
「この人、生まれてからほとんど、山奥で冬眠してたようなモンだったらしいんスよ。
んで何か月か前に、山に遊びに行った俺の後輩が、なおさんを起こしちまって……」
「貞操を奪われてしまいましたので、しかたなくついてきたんです」
「奪われ……?」
「生まれて二十年足らずの頃から、百年以上眠っていたから、
精が足りてなかったんですよ……。
そうでなければ、誰があんなひょろひょろのお調子者の精など欲しいものですか。
……まあ、飲み慣れてしまえば、味も濃さも量も、ついでに当人も……その……」
「なおちゃんなおちゃん」
「言えませんよ、こんな事。 本人がいるところでは。 余計に調子づかせて……」
「いや、いるから、当人」
「ただいま」
いつの間にやらそこにいたのは、背が高くてひょろりとした、
眼鏡を掛けたスーツ姿の青年だった。
彼が、先程安倍さんが「あんな弟は要らねー」と言っていた後輩の……美濃さん、なのだろう。
やや幼い顔立ちに、お軽いニヤニヤ笑いを浮かべていた青年に対し、なおさんが向き合う。
彼女の顔が、どことなく赤みがさしたように見えるのは気のせいだろうか。
「……お帰りなさい。 そして記憶を失いなさい!」
「野外DVっ!?」
「うわぁ、漫画みたいなタンコブなんて、初めて見た」
なおさんが打ち出した、氷塊製グローブつきの右アッパーをまともに顎にもらい、
きれいに放物線を描いて吹っ飛ぶ美濃さん。
廊下に打ちつけた後頭部に膨れ上がった、僕の挙げたシロモノ以外、
大したダメージが無さそうに見えるのは、彼がギャグ世界の住人だかららしい……とは、
自称同類であるトーカさんの言。
「ああ……どうせなら、先輩達、みたいに、外でも、したかっ、た……リア充、爆ぜろ……ガクッ」
……うん、確かに、トーカさんの同類だ、こんなセリフを吐く時点で。
「お前が言うなアホウ、いろんな意味で」
「では、この駄メガネは私の方で保管しておきますので。 お休みなさい」
「ああ、んじゃ、俺らも」
「おやすみー。 あとさー、みとさんがいるのに自分でしちゃうのはどうかと思うよー?」
「なっ……!」
「……自分でしちゃった、の……ちょっと、私の部屋でしっかりと確認させてちょうだいね?」
「 」
……こうして、僕らと二組のカップルとの、現在まで続く腐れ縁は結ばれたわけである。
ちなみにこの後、僕はみとさんに、
「今後二人でいる時以外は性器を弄ったりしない」なんて契約を結ばされ、
いつも通りに身体の自由を奪われた上で、一晩中貪り尽くされたのだが、それはまた別の話。
僕は、先日結ばれたばかりの恋人のお招きに預かり、
彼女が借りているアパートの玄関先で、彼女が鍵を開けるのを待っていた。
長い黒髪の一部を、後頭部の高い位置でシニョンにまとめた、
ややきつい目つきだけど、優しげな表情。
清楚な雰囲気に見合う、淡い色でまとめられたカーディガンとスカート。
それらの内側に息づく、なめらかながらしっとりと吸いついてくる白い肌、
豊かに実った胸元、たおやかな手。
優美ながら、捕食者特有の禍々しさをもほのめかす八本の脚に、
お尻の辺りに生える、節足動物じみた腹部。
すべらかな額に煌めく、ルビーのような六つの単眼。
……うん、ここで疑問に思った人がいるかもしれないので、一応の説明を。
僕の恋人は、人間ではない。
ロールプレイングゲームに、敵役のモンスターとして登場しそうな、
人と蜘蛛が融合したような異形――本人はジョロウグモと名乗っている――なのだ。
頬に走る紅い牙のような紋様や、凶悪な外観の下半身に似合わず、性格はいたって穏やか。
ただし夜になると……いや、その話はまた別の機会に……。
ともかく、僕が、初めて招かれた恋人の部屋に、大きな期待と、ごく僅かの不安で、
胸――と、ついでに身体のとある一部分――を膨らませていると、
ドアを開きながら、はにかんだ微笑を浮かべた持ち主が、入室を許可してくれた。
「じゃ、入って」
と、僕が生涯忘れえない第一歩を踏み出そうとしたところに。
眠そうな目つきで、撥ね癖がついた茶髪の青年が、
キツネめいた耳と、三本の尻尾を生やした、同じ年頃の女性の手を引いて通り掛かった。
青年の方は片手で腰をかばうように、女性の方は何やら内股で歩き難そうにしていたが、
ふと僕らの方を見やり、口々に声を掛けて来た。
「あ、みとさんこんばんわー」
「どうも」
「こんばんは……安倍さん達も、お出かけしてらしたんですか?」
「ん、ちょっと晩ごはん食べに」
ここまで言って、キツネ耳の女性は、あらためて僕に注意を向けたようだった。
ミニスカートに隠されたお尻まで届く、赤みがかった金髪から覗く耳がぴくぴく動き、
琥珀めいた大きな目は、瞳孔を縦裂きのスリットに絞る。
何やら唸ったり、口元を楽しげに歪めたりしている女性に、僕は、
「ど、どちらさまですか?」
……びしりと問い質そうとして、失敗した。
うう、女性恐怖症も、治してもらえたはずなんだけどなぁ、みとさんに……。
ちなみに“みと”とは、
先程からドアの隣に佇んだまま、困ったように笑っている僕の恋人の名前である。
フルネームだと滝沢みと、水が透けるで水透。
ただ、本人は「漢字で書くと、大仰で嫌なんですよねぇ……」とこぼしていたので、
平仮名で表記させてもらう事にしよう。
話を戻して。 キツネ耳の女性が、僕に答えを返そうとしたのか、口元を蠢かせた瞬間、
連れの青年が、やや申し訳なさそうな表情で、僕達の間に割り込んで来た。
「ああ、すんません、ウチのツレが……」
「いいえ……妖狐の方、ですか?」
「稲荷だよ! よく間違えられるけど!!」
「夜遅くに騒ぐなバカ」
「きゃん! 人前ではたかないでよぉ」
「ずいぶんといい音がすると思えば、あなた達ですか……」
身も蓋も無く言えば、奔放で享楽的なのが妖狐、穏和で家庭的なのが稲荷、だったろうか。
どちらも、油揚げと肉をこよなく愛する、キツネめいた耳と尻尾を持つ獣人だ。
……などと、僕が脳裏でそんな情報を思い返していると。
安倍夫妻が来たのとは反対の方向から、白い着物に身を包んだ、
やや小柄な少女が、のっそりとやって来た。
腰の辺りで切り揃えられた癖の無い白髪、
同じく眉の辺りで切り揃えた前髪の下に、大きな吊り気味の半眼、小さめの鼻とへの字口。
何より目を惹くのは、深い青色の肌だろうか。
昔話とはだいぶ違う容貌だが、ゆきおんな……温厚で一途な性質と、
やや暑がりな体質の持ち主だったはずだ。
「や、なおちゃんこんばんわー……で、いい音ってどーゆー意味?」
「中身が無いからじゃねえか?」
「中身が無いからですね」
『ひっぱたいたらいい音が出ると』
「みとさぁん、旦那とお隣さんがいじめるぅ……」
「兄妹か何かみたいだなぁ」
先程、旦那さんに軽くはたかれた後頭部をさすりつつ、稲荷の女性が訊ねると、
間髪入れずに返って来たのは、青年と蒼白の少女の二重砲火だった。
思わず僕が、上記のセリフを漏らしたのもむべなるかな。
みとさんに頭を撫でられながら、あやしつけられる女性をほったらかしに、
なおと呼ばれた少女は、今度は僕の方に目を向けてぼやいた。
「……安倍さんみたいな兄なら構いませんが、橙火さんみたいな姉は願い下げですね」
「ああ、なおさんみたいな妹がいたら嬉しいけど、美濃みたいな弟は要らねえな……かみさんだけでもいっぱいいっぱいなのに」
「二人ともひどっ!? そういえば、なおちゃん、どっか行くの?」
「ええ、ちょっと口寂しいので、アイスを買いに」
「……太んない?」
「夫が出稼ぎ…じゃなくて、出張中ですから。 太りたくても太れませんよ」
「Hして精をくれる相手がいないからねぇ」
トーカさん――後日、本人に確認をとってみたら、
“だいだい色の火で橙火って言うんだ、派手な名前でしょ”と苦笑いしていた――の
あけっぴろげなセリフに、思わず赤面して吹き出す僕。
いや、彼女達魔物――和風の者は妖怪、そうでない者は魔物と自称する娘が多いみたいだ――は例外無く、性的な事全般に対してストレートな性分なので仕方ないのだが。
あわあわする僕を見かねたのか、呆れ気味な気配を滲ませつつ、
なおさん――“那由多の那に、青梅(おうめ)の青”だそうだ――が、トーカさんをたしなめた。
「橙火さん、この人はうぶみたいですから、もう少し自重してくださいな」
「えー? でもこの子、もうHは済ませたみたいだよ? みとさん相手に」
『ぶッ!?』
「みとさんに筆下ろししてもらえたんだ、幸せ者だね♪」
「な、なななななんのことですかあ!?」
「そしてみとさん……痛くなかったですか? ウチの旦那も童貞だったし、
初体験の時はあんまり濡らしてくれなか…」
初対面の相手に向かって、実にイイ笑顔で何を言いやがってくれるんだろう、この人は……。
いや、正確には人じゃなくて、魔物なんだけど。
さておき、トマトみたいな顔色になった僕とみとさんに、魔手を伸ばすトーカさん。
……ああ、みとさん御免なさい、今の僕だとこの駄雌ギツネを止める術が……。
「もういいから黙れあんた」
かすかに色づいた、げんなりとした顔で、安倍さんがトーカさんの背後から裸絞めを掛けていた。
いくら気心知れた仲で、頑丈な身体を持つ魔物相手とはいえ、
女性相手に躊躇い無く首を絞めるのはどうなんだろう……と、
普段の僕なら思うだろうけど、うーん……。
……などと、打ちひしがれたり、葛藤したりして忙しい僕をほったらかしにして、
「そりゃあ痛かったですけど、その……この子が気持ちよさそうにしている顔や、
イくのを我慢できなくて、情けなさそうな顔を見ているうちに、どんどん気持ちよく……」
「分かるなぁ」
「分かります」
頬に血の気を残したままのみとさんは、面映ゆそうな笑顔で、
「我慢できなくてイっちゃった時の、せつなそうな涙目なんて、
もう食べちゃいたいくらいかわいかったんですよ?」とのたまった。
それに応えて、裸絞めから解放されたトーカさんと、
僕達四人を無表情な半眼で眺めていたなおさんが、
「ああ、あるある」とでも言わんばかりにうなずく。
何だかもう安っちぃプライドとか羞恥心とかはどうでもよくなってしまったので、
僕は二人に質問してみる事にした。
「……ちなみに、どっちがですか? 分かるって」
『後者』
「サディストが三人もおる……」
「ビビりなさんな、でねーと魔物のツレなんて勤まんねえぞ」
二人から目を背けて俯く僕の肩を、激励するように安倍さんの平手が二、三度叩く。
すると、今度は彼の奥さんが、ほっぺたをぽりぽり掻きながらポツリとつぶやいた。
「いや〜、どっちも嬉しいし気持ちいいんだけど、
騎乗位の時に、我慢できなくてイっちゃう時の表情を見下ろしてると、こう……。
魔物の本能が満たされるというか、もっとわたしの膣内(なか)で、
あなたを貪り尽くしてあげる、だからい〜っぱいあなたのをちょうだいって、
滅茶苦茶に腰を振りたくなるというか……」
「ですね」
「ところで、なんで僕が、その……みとさんが初めての彼女だって……」
「ん? わたしね、ニオイでだいたい分かるのよ、人が今まで何人とHしてきたか。
……みとさんもなおちゃんも、今の相手だけだよね」
「あなたも人の事は言えないじゃないですか。
それに、今まで寝た相手が多い事なんて、自分の不実さをさらけ出すだけで、
少しの自慢にもなりませんし」
さっきから人の性遍歴をぱかすかバラすトーカさんに対して、
まったく動じた色も見せず、なおさんが答える。
そしてやや気だるげな無表情を崩さずに、彼女は安倍さんに話を向けた。
「まあ、それはいいとして……安倍さん、夫婦仲がいいのは素敵な事ですが、
ケダモノみたいにところ構わず盛るのはどうかと思いますよ」
「う、面目無い……」
「いや〜、にんにくラーメン食べたらついムラムラと……。
でも、出たゴミはしっかり回収して来たから、問題ないよね?」
『いや、それはないから』
「むー……シンまで言う? 三回も膣内(なか)に出しておいて。
そりゃ、誘ったのはわたしからだけどさー」
最近、人間と魔物のカップル――余談ながら、何故か、魔物は女性しかいない――が成立していくにつれて、それと歩みを同じくして、地味に増えた軽犯罪が一つある。
青姦だ。
……しかし、道理で、トーカさんが小さめのビニール袋をぶら下げていたわけだ……。
閑話休題。
くずおれて四つん這いになる安倍さんと不満げに唇を尖らすトーカさんを眺め、
一つ軽い溜め息を吐き、なおさんが口を開く。
「お盛んで実に妬ましいですね……では、そういう事で。 ……ああ、そういえば、水透さん」
「はい、なんでしょう?」
「今度、二人でお茶でも喫みましょう」
「はい」
「えー? わたしはー?」
「子供に飲ます色つき水などありませんよ」
「……あ、そーゆー事か。 みとさんもなおちゃんも、彼氏や旦那より凄いとしう…」
なおさんに皮肉られたトーカさんが、よけーな事を言い切る前に、
いや、それに対して僕が抗議のセリフを吐き出す前に、
みとさんが涙目で喚いた。
「女が恋人より十歳年上で何が悪いんですかぁ!! ……ううう……」
「よしよし、十歳差なら無いも同然ですよ。 私なんて百何十歳上なんですから」
「那青さん……!」
「……ゴメン、そこまで気にしてるなんて思わなかった」
「アレ? そういえば、なおさんはさっき、安倍さんと兄妹どうこう言ってたような……?」
僕の呟きに答えたのは、いつの間にやら復活した安倍さんだった。
「この人、生まれてからほとんど、山奥で冬眠してたようなモンだったらしいんスよ。
んで何か月か前に、山に遊びに行った俺の後輩が、なおさんを起こしちまって……」
「貞操を奪われてしまいましたので、しかたなくついてきたんです」
「奪われ……?」
「生まれて二十年足らずの頃から、百年以上眠っていたから、
精が足りてなかったんですよ……。
そうでなければ、誰があんなひょろひょろのお調子者の精など欲しいものですか。
……まあ、飲み慣れてしまえば、味も濃さも量も、ついでに当人も……その……」
「なおちゃんなおちゃん」
「言えませんよ、こんな事。 本人がいるところでは。 余計に調子づかせて……」
「いや、いるから、当人」
「ただいま」
いつの間にやらそこにいたのは、背が高くてひょろりとした、
眼鏡を掛けたスーツ姿の青年だった。
彼が、先程安倍さんが「あんな弟は要らねー」と言っていた後輩の……美濃さん、なのだろう。
やや幼い顔立ちに、お軽いニヤニヤ笑いを浮かべていた青年に対し、なおさんが向き合う。
彼女の顔が、どことなく赤みがさしたように見えるのは気のせいだろうか。
「……お帰りなさい。 そして記憶を失いなさい!」
「野外DVっ!?」
「うわぁ、漫画みたいなタンコブなんて、初めて見た」
なおさんが打ち出した、氷塊製グローブつきの右アッパーをまともに顎にもらい、
きれいに放物線を描いて吹っ飛ぶ美濃さん。
廊下に打ちつけた後頭部に膨れ上がった、僕の挙げたシロモノ以外、
大したダメージが無さそうに見えるのは、彼がギャグ世界の住人だかららしい……とは、
自称同類であるトーカさんの言。
「ああ……どうせなら、先輩達、みたいに、外でも、したかっ、た……リア充、爆ぜろ……ガクッ」
……うん、確かに、トーカさんの同類だ、こんなセリフを吐く時点で。
「お前が言うなアホウ、いろんな意味で」
「では、この駄メガネは私の方で保管しておきますので。 お休みなさい」
「ああ、んじゃ、俺らも」
「おやすみー。 あとさー、みとさんがいるのに自分でしちゃうのはどうかと思うよー?」
「なっ……!」
「……自分でしちゃった、の……ちょっと、私の部屋でしっかりと確認させてちょうだいね?」
「 」
……こうして、僕らと二組のカップルとの、現在まで続く腐れ縁は結ばれたわけである。
ちなみにこの後、僕はみとさんに、
「今後二人でいる時以外は性器を弄ったりしない」なんて契約を結ばされ、
いつも通りに身体の自由を奪われた上で、一晩中貪り尽くされたのだが、それはまた別の話。
10/09/11 22:54更新 / ふたばや
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