前編
◎月●日 ストーカー被害38日目
あのトカゲ女、今日もついてきやがった。
いい加減に諦めろってんだ。
俺にだって、自分の嫁くらい選ぶ権利あるはずだろ。
……俺は、騙されねぇぞ。あんな顔したって……
* * * *
「いい加減にしやがれ!!」
草原に叫び声が響いた。
叫びをあげたのは一人の男。
黒い髪を短くまとめ、腰の左右に一本ずつ短めの刀を帯びている。
彼の名はフレック。各地をまわっている冒険者である。
「それはこちらのセリフだ。いい加減、私を娶ってくれ」
落ち着いた口調でそう返したのは、長い茶髪をポニーテールにした、ややキツ目の女性。
こちらも剣を携え、軽鎧を纏っている。
彼女はシリア。少し前までは彼女も各地を旅していたが、決闘でフレックに負けて以後は彼のストーカーと化した。
というのも、彼女が体の各部を覆う鱗と尻尾が特徴の魔物――リザードマンだからだ。
「俺はまだ結婚したいとは思わねぇし、自分の妻くらい自分で選ぶっての」
「ならば、妻として選ばれるまで着いていくだけだ」
これまでに何十回と繰り返されたやり取り。
〜リザードマンは、決闘で自分を負かした相手を夫とする〜
これを知らずに彼女を倒したのが、フレックの羨ま……もとい、不幸。
いくら拒絶しても逃げようがないことはもうフレックにもわかっているのだが、ここまで来ると半ば意地である。
「おや、次の街が見えてきたぞ。大きい街だな」
「………」
「あの街なら私たちが式を挙げるのにちょうどいい場があると思うのだが、どうだ?」
「………」
「以前手合わせしたアマゾネスが言っていた。仲間の前でまぐわうのが彼女たち流の結婚式だと。もし貴方が望むなら、人が見ている中だろうと私は……ハァハァ」
自らの肩を抱き、顔を赤らめ、息を荒げるシリア。
頑として無視を続けるフレックだが、何か叫びたいのを必死で堪えているのはその顔を見れば一目瞭然。
「………」
「……ハッ!? まっ、待ってくれ!」
黙ったまま急に早足になり、シリアとの距離を空けにかかる。
そして、現実に戻ってきたシリアはそんな彼を追い掛けるのだった。
※※
「おっと、そこのお二人さん。ここを通りたきゃ通行料を払って貰おうか」
街の入り口に着いた二人は、鎧を着た二人組に絡まれていた。
「言っておくが俺たちはチンピラなんかじゃないぜ? この街の領主さまに雇われた、れっきとした門番よ」
とてもそうは思えないが、彼らの鎧に刻まれた紋章と門に描かれた紋章を見比べるに、どうやら事実らしい。
「……どうも、マジっぽいな」
「そうさ、だから黙って金出しな」
フレックが苦い顔をしながらもそう言うと、門番Aは醜いニタニタ笑いを浮かべて手を突き出した。
「やれやれ、とんだ領主もいたものだな」
「あぁ? いいのかな、そんなこと言って? 領主さまを侮辱したやつは捕らえられても文句言えないんだぜ?」
シリアがため息をつけば、門番Bも意地汚さ全開の声色で絡む。
「……わーったよ、ホレ」
「へへ、まいどありぃ」
しかたなく、フレックは通行料とやらを門番Aに渡し、通らせてもらう。
「まったく……」
「おっと、ネエちゃんはまだ払ってねぇだろ?」
彼に続こうとしたシリアだが、二人の門番がその道を塞いだ。
門番Bは左手の手の平を上にし、彼女に向けて突き出している。
「なっ!? お、おい、私の分も払ってくれたのではないのか!?」
「知るか。てめーの分はてめーで出しやがれ」
門番たちの向こうに立つフレックに叫べば、ばっさりと切り捨てられる。
しかも、彼はそれだけ言うとスタスタと街の中へと歩いていってしまう。
「待て、待ってくれ!? ほら金だ、これでいいのだろう!?」
「おぅ、たしかに」
「くそっ、逃がしてたまるか!」
シリアも慌てて金を取り出し、突き出された門番Bの手に押し付ける。
門番たちが道を開ければ、フレックを追って街の中へ走り去っていった。
※※
シリアが去った後。門番たちはひそひそ声で会話を交わしていた。
「おい、あのトカゲ女どう思うよ」
「もう一人の男のってわけじゃなさそうだし……見てくれはいいからな、いいんじゃねぇか」
「じゃあ」
「ああ、俺が連絡しとく」
※※
「……ふぅ」
宿屋のベッドに横になり、フレックはため息を一つ。
シリアを撒いたときにだけ味わえる、一人だけの時間。
たとえ一時的なものだとしても、彼にとっては貴重な休息のとき。
「さーて、晩飯も済んだし、少し早いけど寝るか……」
窓の外を一瞥し、誰に言うでもなくそうつぶやくと、ゆっくりと眠りに落ちていった。
※※
キイィ……。
完全に夜の帳が降り、酒が進んだ人々の騒がしさもピークを過ぎる頃。
フレックの部屋のドアがゆっくりと開いた。
しかし、驚くべきことにフレックはドアの開く微かな音で目覚め、眠ったフリをして侵入者を待ち構えていた。
侵入者は入り口近くでごそごそと何かしていたかと思うと、おもむろに彼に近づき――飛び掛かった。
「多少強引だが仕方――」
「おらあっ!」
「なああああっ!?」
フレックは相手が自分の上に被さる一瞬に足の裏でその腹を捉え、そのまま後ろに向けて放り飛ばした。
変形の巴投げ、といったところだろうか。
「ぐはっ!!」
壁に激突し、ずるずると床に落ちる侵入者。
フレックは侵入者に背中を向けてベッドから起きあがり、やれやれと頭をかいた。
「ったく……明日の朝までは見つからないと踏んでたんだがな」
「何を言うか、夫婦たるもの常に共にあるべきだろう」
立ち上がりながら持論をぶち上げる侵入者は、もちろんシリアである。
「だから夫婦じゃねえって何回言――わああああ!?」
いつものように訂正しようと彼女の方を振り返ったフレックだが、一瞬でまた彼女に背を向けた。
理由は簡単。
「な、なななんでお前服着てねぇんだよ!?」
「それは……多少強引にでも、既製事実を作ろうと……」
「……ってーと、さっきごそごそやってたのは」
フレックが入り口の方に目をやれば、そこには脱ぎ捨てられた女物の服。
彼が察した通り、先程の物音がシリアが服を脱いだ際のものである証拠だった。
「なあ……見ただろう?」
「見てねえ」
バレバレというレベルではない。
なにせ、彼は彼女が裸であることを自ら指摘したのだ。
彼にとっては、事実かどうかというより、認めるかどうかということが重要なのだ。
「あらためて言うぞ?……私を、娶ってくれ」
「断る。さっさと服着て出てけ」
冷静を装うには少し早すぎる口調でそう言うと、フレックはいったん部屋から出て、扉を閉めた。
そして、長く深いため息を吐く。
ここまでの仕打ちをしておいてなんだが、フレックはシリアのことが嫌いなわけではない。
美人だとも思っているし、剣の腕も認めている。
迫られれば正直ドキドキするし、肌を見せられれば興奮だってする。
旅の連れ合いくらいにはしてやってもいいかな、と思うこともある。
――だが。彼にはどうしても結婚したくない理由があった。
いや、どちらかといえば結婚できない理由、あるいは家族を持てない理由が。
そんなことを考えていると、扉が開いてシリアが出てきた。
またキワどい格好をしてないかとフレックは少し警戒したが、普通の格好だった。
「じゃ、俺は寝るから出てけ」
「こんな時間に女を一人で外に放り出すのか?」
「知るか。今ならまだ宿屋も空いてるとこあるかも――ん?」
フレックが部屋に入り、ドアを閉めようとノブに手を伸ばすと、その袖を掴まれた。
顔を上げれば、彼女は俯いたまま黙っている。
「おい、離せよ」
「わ、私は……私は、そんなに魅力がないのか?」
「……え?」
「どんなに迫っても、誘惑しても……貴方は、私に応えてくれない」
「い、いや、それは」
「……すまない」
そして、彼女は走り去って行った。
フレックは棒立ちのまま、それを見送ることしかできなかった。
ただ、一瞬だけ見えた淋しげな表情が、一晩中彼の頭から離れなかった。
あのトカゲ女、今日もついてきやがった。
いい加減に諦めろってんだ。
俺にだって、自分の嫁くらい選ぶ権利あるはずだろ。
……俺は、騙されねぇぞ。あんな顔したって……
* * * *
「いい加減にしやがれ!!」
草原に叫び声が響いた。
叫びをあげたのは一人の男。
黒い髪を短くまとめ、腰の左右に一本ずつ短めの刀を帯びている。
彼の名はフレック。各地をまわっている冒険者である。
「それはこちらのセリフだ。いい加減、私を娶ってくれ」
落ち着いた口調でそう返したのは、長い茶髪をポニーテールにした、ややキツ目の女性。
こちらも剣を携え、軽鎧を纏っている。
彼女はシリア。少し前までは彼女も各地を旅していたが、決闘でフレックに負けて以後は彼のストーカーと化した。
というのも、彼女が体の各部を覆う鱗と尻尾が特徴の魔物――リザードマンだからだ。
「俺はまだ結婚したいとは思わねぇし、自分の妻くらい自分で選ぶっての」
「ならば、妻として選ばれるまで着いていくだけだ」
これまでに何十回と繰り返されたやり取り。
〜リザードマンは、決闘で自分を負かした相手を夫とする〜
これを知らずに彼女を倒したのが、フレックの羨ま……もとい、不幸。
いくら拒絶しても逃げようがないことはもうフレックにもわかっているのだが、ここまで来ると半ば意地である。
「おや、次の街が見えてきたぞ。大きい街だな」
「………」
「あの街なら私たちが式を挙げるのにちょうどいい場があると思うのだが、どうだ?」
「………」
「以前手合わせしたアマゾネスが言っていた。仲間の前でまぐわうのが彼女たち流の結婚式だと。もし貴方が望むなら、人が見ている中だろうと私は……ハァハァ」
自らの肩を抱き、顔を赤らめ、息を荒げるシリア。
頑として無視を続けるフレックだが、何か叫びたいのを必死で堪えているのはその顔を見れば一目瞭然。
「………」
「……ハッ!? まっ、待ってくれ!」
黙ったまま急に早足になり、シリアとの距離を空けにかかる。
そして、現実に戻ってきたシリアはそんな彼を追い掛けるのだった。
※※
「おっと、そこのお二人さん。ここを通りたきゃ通行料を払って貰おうか」
街の入り口に着いた二人は、鎧を着た二人組に絡まれていた。
「言っておくが俺たちはチンピラなんかじゃないぜ? この街の領主さまに雇われた、れっきとした門番よ」
とてもそうは思えないが、彼らの鎧に刻まれた紋章と門に描かれた紋章を見比べるに、どうやら事実らしい。
「……どうも、マジっぽいな」
「そうさ、だから黙って金出しな」
フレックが苦い顔をしながらもそう言うと、門番Aは醜いニタニタ笑いを浮かべて手を突き出した。
「やれやれ、とんだ領主もいたものだな」
「あぁ? いいのかな、そんなこと言って? 領主さまを侮辱したやつは捕らえられても文句言えないんだぜ?」
シリアがため息をつけば、門番Bも意地汚さ全開の声色で絡む。
「……わーったよ、ホレ」
「へへ、まいどありぃ」
しかたなく、フレックは通行料とやらを門番Aに渡し、通らせてもらう。
「まったく……」
「おっと、ネエちゃんはまだ払ってねぇだろ?」
彼に続こうとしたシリアだが、二人の門番がその道を塞いだ。
門番Bは左手の手の平を上にし、彼女に向けて突き出している。
「なっ!? お、おい、私の分も払ってくれたのではないのか!?」
「知るか。てめーの分はてめーで出しやがれ」
門番たちの向こうに立つフレックに叫べば、ばっさりと切り捨てられる。
しかも、彼はそれだけ言うとスタスタと街の中へと歩いていってしまう。
「待て、待ってくれ!? ほら金だ、これでいいのだろう!?」
「おぅ、たしかに」
「くそっ、逃がしてたまるか!」
シリアも慌てて金を取り出し、突き出された門番Bの手に押し付ける。
門番たちが道を開ければ、フレックを追って街の中へ走り去っていった。
※※
シリアが去った後。門番たちはひそひそ声で会話を交わしていた。
「おい、あのトカゲ女どう思うよ」
「もう一人の男のってわけじゃなさそうだし……見てくれはいいからな、いいんじゃねぇか」
「じゃあ」
「ああ、俺が連絡しとく」
※※
「……ふぅ」
宿屋のベッドに横になり、フレックはため息を一つ。
シリアを撒いたときにだけ味わえる、一人だけの時間。
たとえ一時的なものだとしても、彼にとっては貴重な休息のとき。
「さーて、晩飯も済んだし、少し早いけど寝るか……」
窓の外を一瞥し、誰に言うでもなくそうつぶやくと、ゆっくりと眠りに落ちていった。
※※
キイィ……。
完全に夜の帳が降り、酒が進んだ人々の騒がしさもピークを過ぎる頃。
フレックの部屋のドアがゆっくりと開いた。
しかし、驚くべきことにフレックはドアの開く微かな音で目覚め、眠ったフリをして侵入者を待ち構えていた。
侵入者は入り口近くでごそごそと何かしていたかと思うと、おもむろに彼に近づき――飛び掛かった。
「多少強引だが仕方――」
「おらあっ!」
「なああああっ!?」
フレックは相手が自分の上に被さる一瞬に足の裏でその腹を捉え、そのまま後ろに向けて放り飛ばした。
変形の巴投げ、といったところだろうか。
「ぐはっ!!」
壁に激突し、ずるずると床に落ちる侵入者。
フレックは侵入者に背中を向けてベッドから起きあがり、やれやれと頭をかいた。
「ったく……明日の朝までは見つからないと踏んでたんだがな」
「何を言うか、夫婦たるもの常に共にあるべきだろう」
立ち上がりながら持論をぶち上げる侵入者は、もちろんシリアである。
「だから夫婦じゃねえって何回言――わああああ!?」
いつものように訂正しようと彼女の方を振り返ったフレックだが、一瞬でまた彼女に背を向けた。
理由は簡単。
「な、なななんでお前服着てねぇんだよ!?」
「それは……多少強引にでも、既製事実を作ろうと……」
「……ってーと、さっきごそごそやってたのは」
フレックが入り口の方に目をやれば、そこには脱ぎ捨てられた女物の服。
彼が察した通り、先程の物音がシリアが服を脱いだ際のものである証拠だった。
「なあ……見ただろう?」
「見てねえ」
バレバレというレベルではない。
なにせ、彼は彼女が裸であることを自ら指摘したのだ。
彼にとっては、事実かどうかというより、認めるかどうかということが重要なのだ。
「あらためて言うぞ?……私を、娶ってくれ」
「断る。さっさと服着て出てけ」
冷静を装うには少し早すぎる口調でそう言うと、フレックはいったん部屋から出て、扉を閉めた。
そして、長く深いため息を吐く。
ここまでの仕打ちをしておいてなんだが、フレックはシリアのことが嫌いなわけではない。
美人だとも思っているし、剣の腕も認めている。
迫られれば正直ドキドキするし、肌を見せられれば興奮だってする。
旅の連れ合いくらいにはしてやってもいいかな、と思うこともある。
――だが。彼にはどうしても結婚したくない理由があった。
いや、どちらかといえば結婚できない理由、あるいは家族を持てない理由が。
そんなことを考えていると、扉が開いてシリアが出てきた。
またキワどい格好をしてないかとフレックは少し警戒したが、普通の格好だった。
「じゃ、俺は寝るから出てけ」
「こんな時間に女を一人で外に放り出すのか?」
「知るか。今ならまだ宿屋も空いてるとこあるかも――ん?」
フレックが部屋に入り、ドアを閉めようとノブに手を伸ばすと、その袖を掴まれた。
顔を上げれば、彼女は俯いたまま黙っている。
「おい、離せよ」
「わ、私は……私は、そんなに魅力がないのか?」
「……え?」
「どんなに迫っても、誘惑しても……貴方は、私に応えてくれない」
「い、いや、それは」
「……すまない」
そして、彼女は走り去って行った。
フレックは棒立ちのまま、それを見送ることしかできなかった。
ただ、一瞬だけ見えた淋しげな表情が、一晩中彼の頭から離れなかった。
10/11/05 01:05更新 / かめやん
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