連載小説
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後編
 翌朝。
 フレックは意味もなく部屋の中を行ったり来たりしていた。
眉間にはシワを寄せ、イラついたオーラが全身からほとばしっている。

「……まだ来ねぇ……」

 朝、目覚めたフレックは何よりも先に違和感を感じていた。
布団や衣服が乱れているわけではなく、部屋の中にもかわったところはない。
窓からは朝日が差し込み、外からは朝市だろうか、街の喧騒が聞こえてくる。


 何もおかしなことなどない。
そう、まったく何も。


 それこそが、彼が感じた違和感。
 シリアに付き纏われるようになって一月と少し、彼に平穏な朝などなかった。
彼女が部屋に侵入してくれば、その物音で目覚めて即撃退。
気が張って侵入前に目覚めれば、侵入してきたところを撃退。
 彼の一日は、毎朝(性的に)襲いかかってくる彼女を撃退するところから始まっていた。
それは、たとえ彼が彼女を凹ませた翌日でも同様だった――今日までは。
 だからこそ、彼は何とも言えない気持ち悪さにイラついているのだ。

「あ゙あ゙あ゙っ!!」

 髪をぐしゃぐしゃと掻きむしり、天井を見上げる。
そのまましばらく固まっていたのだが――。

「……クソッ!!」

 二本の刀を腰に挿すと、ドタドタと部屋から出ていったのだった。


  ※※


「今回のは、これまででも指折りですぜ」
「ふむ、それは楽しみだな」

 暗い廊下を、二人の男が歩いている。
一人は髭を伸ばした恰幅のよい大男、もう一人は眼鏡をかけた身なりのいい男。
 大男がカンテラを持って道を照らし、眼鏡がその後に続く。

「さ、どうぞご覧くだせえ」

 やがてある扉の前で立ち止まると、大男はそう言って扉を開く。
 そこは、廊下と同じく暗い、独房のような小部屋だった。
4メートルほどの高さに小さな窓はあるものの、入る明かりは少ない。

「ほう……」
「へへへ、上モノでしょう」

 中を見た眼鏡は感嘆の声を漏らし、大男は下卑た笑いを浮かべる。
 彼らの視線の先、暗い部屋の中には、

「〜〜〜!! 〜〜〜!!」

 さるぐつわをされ、手足を縛られたシリアがいた。
臆病者ならそれだけで殺せそうな、殺意に満ちた目で男たちを睨みつけている。
じたばたともがいてはいるが、縄は堅く縛られており、とても抜けられそうにない。

「いかがですかい?」
「そうだな、なかなかの素材だ」
「へっへ、そいつぁどうも」

 その時、シリアの尻尾が床を叩き、バシィと大きな音が部屋に響く。
その音に眼鏡はわずかにビクリとし、大男は不満そうに眉間にシワを寄せる。
 が、すぐに不機嫌そうな顔に苦笑いを被せ、眼鏡に向き直った。

「まあ、気性の荒さは大目に見てくだせえ」
「なに、それは問題ない。むしろそのほうが楽しめるというものだ」

 冷静さをつくろうかのように襟を正しながら、眼鏡が息を吐いた。

「気の強い女を堕とすことほど楽しいことはない……ってか」

 大男がやや軽い口調で言えば、それを侮辱ととったのか眼鏡が彼を睨みつける。

「おっと、失言でしたかね」
「ふん……まあいい。これが今回の分だ」

 ポケットから眼鏡が袋を取り出し、大男に渡す。

「毎度どうも」

 大男は袋を開け、その中身、金貨の枚数を確認する。
確認が済むと、眼鏡に向かって軽く頭を下げ、カンテラは置いたまま扉を閉めて部屋を出ていった。

「さて……」

 眼鏡は懐から布を取り出し、シリアに近づいていく。
そして、その布を彼女の口元に押し付けた。

「〜〜〜〜!!!」
「くっ、この……」

 振り払おうと必死に抵抗するも、だんだんとその動きは鈍くなり、やがて全身から力が抜けていく。
 眼鏡はそんな彼女を仰向けに寝かせ、さるぐつわを解いた。

「ふふ……」
「貴、様……何をした、っ」
「なに、ちょっとした麻痺毒ですよ」

 続いて彼が取り出したのは、小さなナイフ。
刃を上に向けて持つと、空いた左手でシリアの服を浮かせる。

「な、まさかっ……やめろ!!」

 眼鏡のやろうとしていることに気がつき、シリアは必死に叫ぶ。
しかし、眼鏡はむしろその声をきっかけとしたようだった。
嗜虐的な笑みを浮かべると、彼女の服を縦に切り開いた。

「くう……見るなっ、見るなぁ!!」

 服が裂かれたことで、その胸の双丘と、鍛えられ締まった胴が露になる。
 屈辱的な顔で叫ぶ彼女に、眼鏡はますます口の端を吊り上げる。

「まだまだですよ、次はこちらを……」

 そう言って、眼鏡がズボンに手をかけようとしたそのとき。

 バァン!

 部屋の扉が勢いよく開かれた。
 入り口に立っているのは、真っ黒なマントを着た人物。
フードを深くかぶったその顔は、暗がりとあいまって全く見えない。

「な、何者――」

 眼鏡が言葉を発しようとすると、その人物はマントの中から何かを出し、彼の足元へと投げた。

「ひいっ!?」

 その恐怖の叫びは、何かを投げ付けられたことそのものに対してか、それとも投げ付けられたモノに対してか。
 ごろり、と眼鏡の足元に転がったもの。
表面の大半をちぢれた毛に覆われた、それなりの硬さと重さがあるもの。
それは、先程までこの場にいた大男の生首だった。

「きき、貴様っ、いったい」

 眼鏡は頭から爪先までガタガタと震え、歯をカチカチと鳴らしている。

「………」

 黒マントはといえば、無言のままゆっくりと彼に近づいていく。
床は石造りになっているにも関わらず、全く足音を立てていない。

「わた、私が誰かわかっているのか!? この街の領主だぞ!?」
「………」

 壁にぶつかりそれ以上後ずさりできなくなった眼鏡に、黒マントはわざとらしくじらして歩みを進める。

「わ、わかった! 金をやろう!! それこそいくらでも――」
「……ゲスが」

 ヒュン。

 鋭く短い、風切り音。
それが部屋に響くとともに、眼鏡の首が飛んだ。
宙を舞うその顔には、命乞いをする情けない表情が張り付いている。
一瞬遅れて、胴体からは噴水のように血が噴き出し、壁を赤く染めた。

「なっ……」

 ここでようやくシリアが口を開き、声を漏らす。
ただし、その中に込められた感情は恐怖でも感謝でもない。
 ――見えなかった。
そのことに対する驚嘆、あるいは感動。
少なくともそこらの剣士なら軽く捻るほどの腕を持つ彼女の目にも、眼鏡の首を飛ばした一閃は全く捉えられなかった。
 その声に、黒マントが彼女の方を向き、馴染み深い口調でこう言った。

「……ったく、なんでまたお前はそんな格好してやがる」

 そして彼はマントを脱ぎ、上半身半脱ぎ状態のシリアにかぶせた。

「フ、フレック……貴方は……」
「……俺はさ、まともに戦うよりこっちのほうが慣れてんだよ。生まれた家が、そういう家系だったからな……」

 心底驚いた、という彼女の表情をどう受け止めたのか、彼の瞳に暗い陰がさした。

「ま、その話は後でいいだろ。さっさとこっから逃げるぞ」
「む……そもそも、ここはどこなのだ?」
「領主の屋敷の地下、いや、半地下か? そんなとこだ。それより、いつまでそこに寝てるつもりだ? 早く立てよ」
「薬のせいで動けないのだっ」
「……マジかよ。担いでけってか? めんどくせ」

 彼はどうしたもんかと頭をかき、ふと上を見上げて――

「んだよ、窓あんじゃねぇか。さすが半地下」

 そう言うと、彼はいとも簡単に窓まで跳び、指をかけてぶら下がる。
普通なら跳んだところで届く高さではないはずだが、彼はいともたやすくやってのけた。
そして、そのまま窓から外の様子を伺う。

「っし、いけそうだな。ほれ、さっさと逃げるぞ」
「はわっ!? こ、これは……」
「あ? 何赤くなってんだ?」

 フレックは一度床に降りると、シリアを横向きに抱き上げた。
いわゆる、お姫様抱っこ。
 思わぬ僥倖に顔を赤くするシリアだったが、同時にそっけない彼に少し腹が立った。
せめて少しくらい気にしてくれても――

「っらあああ!!」
「え――っわああ!?」

 途端、シリアの体が浮いたかと思えば、次の瞬間には窓を突き破って完全に宙を舞っていた。
何のことはない。先程のお姫様抱っこは彼女を投げ飛ばすための姿勢だったのだ。

「がうっ!」

 背中から落ち、肺の空気が一気に口から出た。
むせる彼女の視界の端に、窓から出てくるフレックの姿が映る。

「お前、重い。腕の筋肉が切れるかと思ったぞ」
「ゲホッ、ケホ……女性に、向かってっ、重いとか、ゲホッ、言うな」

 外は既に日が沈みかけ、空は夕日に赤く染められていた。

「で、体は動くようになったか?」
「……無理だ」
「はぁ……だいぶショートカットできたとはいえ、結局担ぐのかよ」

 文句を言いつつも、再びシリアを抱き上げるフレック。
ただし――

「な、なぁ」
「んだよ?」
「できれば、さっきの抱き方のほうが……」
「あれじゃいざというとき走りづれぇだろーが」

 マントで簀巻きにした状態で肩に担ぐ、いかにも物を運んでます的なスタイルで。


  ※※


「改めて聞く。どうして助けに来たんだ?」
「さぁな。自分でもよくわかんね」

 宿に戻る頃になると毒もだいぶ抜けてきたらしく、シリアは自分で歩き、フレックに詰め寄っていた。

「貴方は、私をうっとうしいと思っているのではないのか」

 そう。今回のことは、彼にとって彼女と離れる絶好のチャンスだったはず。
では、なぜ助けたのか?

「……ああ、おもってるぞ」
「では、なぜ」
「いないと調子が狂ったり、心配になったりするくらいには想ってる」
「え……?」

 彼は彼女がいなくなったことで、喜ぶどころか不安になったのだった。
このまま二度と戻って来なかったらどうしよう、などとまで考えていた。
 ――ったく、なんてこった。いるとイライラするくせに、いなけりゃいないでソワソワするとか。
彼は心の中で自嘲し、そして決心した。

「その、なんだ。結婚とかは置いといて……とりあえず、ついて来るか?」
「いい……のか?」
「んだよ、来るのか? 来ねぇのか?」
「……ああ! 喜んで!」
「ただし、俺の言うことはちゃんと聞け」
「わかった!」
「女として最低限の恥じらいは持て」
「わかった!」
「け、結婚については保留、普通の旅の連れ合いだからな!」
「わかった!」
「………」
「………」
「くぁせdrftgyふじこlp」
「わかった!」

 人間の言語でない言葉にまで笑顔で首肯するシリア。
どうやら喜びのあまり、完全にどこか別の世界に飛んでいってしまったようだ。
 瞳を潤ませ、締まりのない幸せそうな笑みを浮かべる彼女を、可愛いと思ってしまうフレックだった。

「とりあえず、まだ結婚はしないのだな?」
「ああ」
「だが、同行は認めてくれると?」
「ああ」
「つまり、婚約者二人の婚前旅行」
「……もういいや、それで」
10/11/05 01:15更新 / かめやん
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