the age of 10' 〜母二人の暇な一日〜
朝。エジェレを送り出した少し後。
私が外に出ると、隣家の玄関先にはニヤニヤ笑っているクチナがいた。
「あら。シベル、おはよう♪」
「……何があった」
水の入った手桶と杓を手にしたまま、ジト目でクチナの方を見る。
「えー? 別に何もないけどー?」
「嘘をつけ。何も無いのにお前がそんなに楽しそうな訳がない」
口の両端を吊り上げたまま、なんと白々しい。
私は玄関先に打ち水をまきながら、フンと鼻を鳴らした。
「で、何があったんだ」
「エジェレちゃんがねぇ? レイスに初めてを捧げる宣言したのよ〜」
「……そうか」
まあ、驚かなかったと言えば嘘になるが、十分に予想できる範囲内だ。
あの子は、なんであんなマセた10歳児になってしまったのやら。
「そんな複雑な顔しなくてもー。まだ先の話だから大丈夫よ。ふふっ」
あー、たぶん、というか確実にこの変人のせいだろうな。
幼い頃から色々と吹き込まれていたし。
私は……少なくともあの子の前では、牝犬にはなっていない。はず。
空になった手桶を地面に置き、一息。
つい先程子供たちが歩いていっただろう学校への道へ、遠い目を向ける。
「まだ先の話……か」
「そうそう、だから」
「あの子たちを結婚させるさせないという話をしていた頃は、今のような関係になることさえ『まだ先の話』だった訳だが?」
ころころと笑うクチナの言葉を、私は真剣な表情で遮った。
「うー……じゃあ、すぐそこの話?」
「そこまでは言わないが……そう遠い話ではないことは確かだ」
「でも、まだレイスは通ってないわよ? エジェレちゃんはもう来たの? 署長に就任しちゃったの?」
………。
わりと真面目な話をしていたはずなのに、この発言。
拍子抜けして肩を落とし、深く、それはもう深くため息をついた。
「いや……まだだと思うが……本当にお前という奴は……」
「あー、また私のこと馬鹿とか言うつもりでしょー」
クチナはわざとらしい不機嫌な声を出し、幼児のように頬を膨らませる。
「ハァ……もういい。この10年言い続けて直さなかったんだ、どうせ死ぬまで直さんだろう?」
「とーぜん!」
「威張るな、変人」
※※
夕方。
台所に立ち、夕食を作っていると、玄関の扉が開閉する音が聞こえた。
トーマスが帰ってくるには少し早いから、買い物を頼んでいたエジェレだろう。
「母様、ただいま帰りました」
「ああ、ご苦労様。何かあったのか?」
エジェレから買い物かごを受け取りながら、その顔にかすかに朱がさしているのに気付く。
まあ、大方クチナにからかわれたのだろうな。レイス君がらみのことで。
「レイスがまだ帰らないそうです」
ああ、やはりレイス君のことか。
「門限の鐘はもう鳴ったというのに……レイス君は何をしているのやら」
「捜してきます」
「門限は守るために……え?」
「行ってきます」
「ちょっ、エジェレ、待っ」
私の制止も聞かず、エジェレはスタスタと玄関へ歩いていく。
レイス君のこととなると、魔王ですらこの娘を止められないのではないだろうか、と最近では思う。
……今、ふと「りょ、りょ、呂〇だーっ!!」と浮かんだのは気のせいだ。
気のせいに違いない、うん。
エジェレは玄関先でクチナと二言三言を交わすと、街の中へと消えていった。
うむ、我が娘ながら体幹にブレがない見事な走行姿勢だった。
昔かけっこの為に指導した成果は今も…って違うだろう。
さっきからなんなんだ、私の頭は……念のため後で病院へ行くか……
「ごめんねー、ちょっとエジェレちゃん貸して?」
「ああ、いや。それは別に構わないが、レイス君と何かあったのか?」
むしろクチナが何もしない日がない気がするが、まあそれは置いておこう。
「別に、これってものはないけど……反抗期かしら?」
「反抗期か……。道を踏み外させないようにな」
平和なこの街にも、不届き者はいる。
夜になると、裏路地などにどこからともなく現れるような連中だ。
もし、レイス君がそんな者たちとつるむようになったら。
普段はよその家庭に干渉しない私も、さすがに黙ってはいない。
それにクチナも変人ではあるが母親だ、当然止めようとするだろう。
「大丈夫よ。それについては心配してないわ」
「ずいぶんな自信だな」
「エジェレちゃんがいるから」
「エジェレが?」
どういうことだ?
たしかに止めはするだろうが、レイス君はエジェレなら無視できる気がする。
毎朝エジェレが抱き着こうとするのを避けるくらいだしな。
「レイスはね、エジェレちゃんが悲しむようなことはしないのよ。わざとなのか無意識なのかはわからないけどね♪」
「……言われてみれば、まあ……そんな気もするな……」
レイス君の弁当はエジェレのお手製だが、彼が完食しなかったことはない。
毎朝一緒に登校するのも、なんだかんだで拒絶はしなかった。
「結局ね、なんだかんだであの二人は両思いなのよ。結婚っていうのも、私の妄想だけじゃなくなりそうでしょ?」
「そう、だな……」
こういう風に気付く辺りは、私よりクチナの方が母親していると思う。
というか、一応妄想であることは自覚していたんだな。
「あなたはどう思う、トーマスさん?」
「何!?」
その言葉に振り返ると、後ろには仕事帰りの夫が立っていた。
俯いたまま、握りこぶしをブルブルと震わせている。
「ふ、ふふ……わかっていた、わかっていたさ……いずれそうなることは……」
「ま、待てトーマス、落ち着け。まだあの子たちは10歳だし、まだ先の」
「そんなのすぐだって、朝に自分で言ってたじゃない。『父様、母様、今までお世話になりました』も、そう遠くないんでしょ?」
愛する娘の声マネをしたその言葉に。夫は、壊れた。
「うわああああああー!」
耳を塞ぎ、叫びながら街の方へ走っていく。
私から流れ込んだ魔力の影響なのか、人間離れしたスピードだった。
「さ、最愛の旦那さんが泣いてどこか行っちゃったわよ? あなたも追い掛けたら? エジェレちゃんみたいに」
「……ああ、当然追い掛けるが、その前に」
私は虚空から杖を召喚し、大きく振りかぶる。
「え、ちょっ、何この流れ? もしかして、もうお約束になっ」
「黙れえっ!」
ぱがぁん、と気持ちのいい音が街角に響いた。
私が外に出ると、隣家の玄関先にはニヤニヤ笑っているクチナがいた。
「あら。シベル、おはよう♪」
「……何があった」
水の入った手桶と杓を手にしたまま、ジト目でクチナの方を見る。
「えー? 別に何もないけどー?」
「嘘をつけ。何も無いのにお前がそんなに楽しそうな訳がない」
口の両端を吊り上げたまま、なんと白々しい。
私は玄関先に打ち水をまきながら、フンと鼻を鳴らした。
「で、何があったんだ」
「エジェレちゃんがねぇ? レイスに初めてを捧げる宣言したのよ〜」
「……そうか」
まあ、驚かなかったと言えば嘘になるが、十分に予想できる範囲内だ。
あの子は、なんであんなマセた10歳児になってしまったのやら。
「そんな複雑な顔しなくてもー。まだ先の話だから大丈夫よ。ふふっ」
あー、たぶん、というか確実にこの変人のせいだろうな。
幼い頃から色々と吹き込まれていたし。
私は……少なくともあの子の前では、牝犬にはなっていない。はず。
空になった手桶を地面に置き、一息。
つい先程子供たちが歩いていっただろう学校への道へ、遠い目を向ける。
「まだ先の話……か」
「そうそう、だから」
「あの子たちを結婚させるさせないという話をしていた頃は、今のような関係になることさえ『まだ先の話』だった訳だが?」
ころころと笑うクチナの言葉を、私は真剣な表情で遮った。
「うー……じゃあ、すぐそこの話?」
「そこまでは言わないが……そう遠い話ではないことは確かだ」
「でも、まだレイスは通ってないわよ? エジェレちゃんはもう来たの? 署長に就任しちゃったの?」
………。
わりと真面目な話をしていたはずなのに、この発言。
拍子抜けして肩を落とし、深く、それはもう深くため息をついた。
「いや……まだだと思うが……本当にお前という奴は……」
「あー、また私のこと馬鹿とか言うつもりでしょー」
クチナはわざとらしい不機嫌な声を出し、幼児のように頬を膨らませる。
「ハァ……もういい。この10年言い続けて直さなかったんだ、どうせ死ぬまで直さんだろう?」
「とーぜん!」
「威張るな、変人」
※※
夕方。
台所に立ち、夕食を作っていると、玄関の扉が開閉する音が聞こえた。
トーマスが帰ってくるには少し早いから、買い物を頼んでいたエジェレだろう。
「母様、ただいま帰りました」
「ああ、ご苦労様。何かあったのか?」
エジェレから買い物かごを受け取りながら、その顔にかすかに朱がさしているのに気付く。
まあ、大方クチナにからかわれたのだろうな。レイス君がらみのことで。
「レイスがまだ帰らないそうです」
ああ、やはりレイス君のことか。
「門限の鐘はもう鳴ったというのに……レイス君は何をしているのやら」
「捜してきます」
「門限は守るために……え?」
「行ってきます」
「ちょっ、エジェレ、待っ」
私の制止も聞かず、エジェレはスタスタと玄関へ歩いていく。
レイス君のこととなると、魔王ですらこの娘を止められないのではないだろうか、と最近では思う。
……今、ふと「りょ、りょ、呂〇だーっ!!」と浮かんだのは気のせいだ。
気のせいに違いない、うん。
エジェレは玄関先でクチナと二言三言を交わすと、街の中へと消えていった。
うむ、我が娘ながら体幹にブレがない見事な走行姿勢だった。
昔かけっこの為に指導した成果は今も…って違うだろう。
さっきからなんなんだ、私の頭は……念のため後で病院へ行くか……
「ごめんねー、ちょっとエジェレちゃん貸して?」
「ああ、いや。それは別に構わないが、レイス君と何かあったのか?」
むしろクチナが何もしない日がない気がするが、まあそれは置いておこう。
「別に、これってものはないけど……反抗期かしら?」
「反抗期か……。道を踏み外させないようにな」
平和なこの街にも、不届き者はいる。
夜になると、裏路地などにどこからともなく現れるような連中だ。
もし、レイス君がそんな者たちとつるむようになったら。
普段はよその家庭に干渉しない私も、さすがに黙ってはいない。
それにクチナも変人ではあるが母親だ、当然止めようとするだろう。
「大丈夫よ。それについては心配してないわ」
「ずいぶんな自信だな」
「エジェレちゃんがいるから」
「エジェレが?」
どういうことだ?
たしかに止めはするだろうが、レイス君はエジェレなら無視できる気がする。
毎朝エジェレが抱き着こうとするのを避けるくらいだしな。
「レイスはね、エジェレちゃんが悲しむようなことはしないのよ。わざとなのか無意識なのかはわからないけどね♪」
「……言われてみれば、まあ……そんな気もするな……」
レイス君の弁当はエジェレのお手製だが、彼が完食しなかったことはない。
毎朝一緒に登校するのも、なんだかんだで拒絶はしなかった。
「結局ね、なんだかんだであの二人は両思いなのよ。結婚っていうのも、私の妄想だけじゃなくなりそうでしょ?」
「そう、だな……」
こういう風に気付く辺りは、私よりクチナの方が母親していると思う。
というか、一応妄想であることは自覚していたんだな。
「あなたはどう思う、トーマスさん?」
「何!?」
その言葉に振り返ると、後ろには仕事帰りの夫が立っていた。
俯いたまま、握りこぶしをブルブルと震わせている。
「ふ、ふふ……わかっていた、わかっていたさ……いずれそうなることは……」
「ま、待てトーマス、落ち着け。まだあの子たちは10歳だし、まだ先の」
「そんなのすぐだって、朝に自分で言ってたじゃない。『父様、母様、今までお世話になりました』も、そう遠くないんでしょ?」
愛する娘の声マネをしたその言葉に。夫は、壊れた。
「うわああああああー!」
耳を塞ぎ、叫びながら街の方へ走っていく。
私から流れ込んだ魔力の影響なのか、人間離れしたスピードだった。
「さ、最愛の旦那さんが泣いてどこか行っちゃったわよ? あなたも追い掛けたら? エジェレちゃんみたいに」
「……ああ、当然追い掛けるが、その前に」
私は虚空から杖を召喚し、大きく振りかぶる。
「え、ちょっ、何この流れ? もしかして、もうお約束になっ」
「黙れえっ!」
ぱがぁん、と気持ちのいい音が街角に響いた。
10/11/01 00:51更新 / かめやん
戻る
次へ